僕は一度だけ母を突き飛ばした事があった。
僕は一度だけカノジョを突き飛ばした事があった。
高校を休学して部屋で悩んでいた頃(ちょうどギターと知り合った頃)、僕は朝夜逆転した生活を送っていた。SBSラジオの「唄うヘッドライト」という番組を聴き終えて眠り(早朝の番組で、主に長距離トラックの運ちゃんをターゲットにした居眠り防止番組で、演歌ばかり流していた)、笑っていいとものオンエアで起きる生活。
深夜のラジオでは、よく人生相談をやっててね、僕と同じように悩んでいた若い連中の声が毎晩のように聴こえてきたのです。
それを聴いているうちに僕は電話相談員みたいな仕事をやりたくなった。心が弱ったり進むべき道に迷う人の話を聞く仕事をしたいと思ったのです。それで、絶対に心理学を勉強しなければならないと思い立ち、復学して高校を卒業して、淑徳大学(社会福祉学部)に進学することになった。
受験の際には淑徳大の他に、東北福祉大、同朋大、日本福祉大など、社会福祉学部のある学校を片っ端から受けた。
丁度その時、同じクラスに僕と同じ大学を受験する女の子がおりまして、どうせなら一緒に受験の旅をしようという事になったわけです。
彼女は一人、違う女子校に通う友達も連れて来た。3人で、同じ学校を受験したわけです。その時に知り合ったその女子高生こそが、僕の始めての彼女であり、その後7年間を共にした人でした。
受験の時から仲良くなって(付き合い出した)、一緒に同じ大学に行こうという事になりましてね。僕は上京して唄を唄いたいというもう一つの目的があり、結局、2人で千葉の学校に進学したのでした。
千葉ではもちろん、片方のアパートを空けて同棲生活。
浜松に戻ってからも、お互いが就職してほどなく、アパートを借りて一緒に暮らし始めたのです。7年目ともなるとですね、もう結婚するつもりだった。いや、入籍こそしていないが、暮らしぶりは結婚しているようなものだった。
僕は市役所へ入り、彼女は老人ホームのヘルパーとして働き出したのです(今の僕の職場には、その老人ホームの職員が毎日のようにやってくる。因果なものである)。
ところが。
実は彼女とあたしのお袋が仲が悪くてですね。よくある話ですが。
僕は2人とも好きというか、嫌っていないわけで、メガマックばりにサンドイッチ状態になって挟まれておりました。
ある日彼女と付き合っていることでお袋と揉めまして。
「あんな女、お前を駄目にするだけだ」とお袋がついはずみで言ってしまったのです。
当時若かった僕は頭に血が昇ってしまい、一生に一度、お袋を突き飛ばしてしまったのです。将来自分の嫁さんになる人だと思っていたのです。だから、どうしてもそんな罵声は許せなかったのね。。お袋悪かった。。ゴメン。。
しかし、そうは言うてもお袋、陰ながら僕らの暮らしを心配してくれていました。
当時お袋はスーパーの総菜屋で働いていて、店の余り物などを袋に詰めて、僕らのアパートの玄関のドアノブにそっとかけてくれたりしたのです。決して豊かな暮らしではなかった。お袋は生活の足しにと、おかずを仕事帰りにそっと届けてくれていたのです。
僕は、それがうれしかった。
しかし、彼女にとってはそれは神経を逆撫でる行為だったのです。
「おかあさんはあたしが料理できないと思って、あてつけでこんなものを置いて行ったんでしょう。なによ、こんなもの!」
彼女はそのおかずを、部屋の床に叩き付けたのです。食べ物は床一面にぐちゃぐちゃになって散乱した。
僕は女の人には絶対手を出しません。という言い訳も虚しく、その時ばかりは、一生に一度、彼女を突き飛ばしてしまったのです。。僕は震える低い声で「食べ物を粗末にするんじゃねえ。。」と言いました。覚えてますな。。
僕は悪者です。ひどい男ですよ。どんな理由であっても、これは良くない。結局、2人を傷つけてしまった。
それから、、彼女とは家族の痴話げんかのように、当たり前に仲直りしたのですが、ほどなくして、彼女は他の男に走ってしまい、それが発覚した翌日、僕は不動産屋にアパートを引き払う連絡をして、二人の7年の関係は終わったのでした。
今、お袋は墓の中。別れた彼女はそれから結婚して浜松にいないという噂。。
もう、どちらにも一生会えない。傷つけた2人に。
こんな過ちはもう、たくさんです。
それから僕は、どうにも人にやさしくありたいと思うようになった。人を傷付けない。人を陥れない。
夕焼け空に誓うのであります。

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