自分以外の人たちの曲を聴くのは非常に面白い。違いが、面白いのであります。それは、アイデアとか特徴とかだけではなく、その「音」そのものの捉え方です。
要は、「どんな音を頭に描いているか」という事なんですけど(うまく説明できない)、とにかく自分がミックスした曲と違う。今日は30曲くらいの曲を聴いたんですけど、それによってものすごく自分の曲の事が分かったのでした。
僕が好きなアーティストがいるんです。彼は80年代はロックバンドをやっていて、今はソロでやってるんですが、もう、何というかあからさまに違う。はっきり言ってメチャクチャです。歌詞もメロディもギターもメチャクチャ。でも、良い。というか、突き抜けてます。「うまく弾かねば、うまく歌わねば」という次元から突き抜けている。その邪念が一切なく、伝えたい事を伝えるという当たり前の事に全てのパワーを使っているのです。
思えば、僕がバンドというものを始めるまで、こういうスタイルでやっていたなあと改めて思ったのです。
バンドという形態によってメンバーと時間軸を合わせて演奏するようになり、レコーディングしてアルバムを売り物として制作するようになって、もしかして僕は曲そのもののクオリティばかりを追いかけてきたような気がする。肝心の「心」を忘れた事はないけれど、でも何かしらの邪念というか、「よく見せたい」とか「満足してもらいたい」という邪念が含まれていたかもしれない。
それを、今夜気付かせてくれたわけです。大事なものはなんなのかを。
そもそも、善し悪しは聴き手が決める事であって、僕が決める事ではない。しかし、最近の僕は自分なりに善し悪しを決めて曲をリリースしてきたのかもしれない。
心の解放。
ずっとやってきた事なのに、実はここ最近はその大切なものを見失っていたかもしれない。
そもそも、かっこ悪い僕がどんなにかっこよく見せても、かっこ悪いのであり、そしてその善し悪しも僕が決める事ではなかった。
音楽は理論や響きの美しさだけで表現されるものではない。
悲しみはノイズを生み、また沈黙をも生み出すのです。
ステージの上で人間の弱さや丸裸の自分をそのまま出すという僕の音楽のあり方を思い出すことができた今日でした。
パッケージングにこだわって小さくまとまっていたような気がするこの頃の自分。
そうか、全てを放出するというのはこういう事なのか、と。とにかく、最近にしては目から鱗が落ちるような経験をしました。
これが今後の僕の音楽を変えていくような気がします。

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