2002/4/18
癒・いやす
14・4・18
今朝の霊夢は、歳取った先生の話しを聴いてあげて、癒している場面が映って来た。私は、基本的な道理を纏(まと)めてあり、百ヶ所くらいの場所へ出かけて行き、老齢の人達の話しを聴いてあげて、「後は 心配しなくても良い。」と、安心させなければならない様だ。
私が訪ねた家は、先生の自宅で、先生が説法をする部屋が有って、既に先生の説法を聞く為に、弟子が数名来て待って居た。私は、先生の座席が右に見える位置に座って、手土産を袋から出して、其処の係りの人に渡した。
どうやら、私は手土産まで持って行き、先生の話しを聴いてあげなければ成らない様なのである。
あの世が近くなった老人は、この世の事が心配で、安心出来ない人が多いらしい。
金儲けの為に、宗教を起した人は、金さえ儲けてしまえば目的を果しているが、心から「人間社会を 救わなければ。」と考えている人は、現在の世の中の有様では、安心してあの世に旅立つ事は出来ないだろう。
私の役目は、その人達に「私が居るから もう 心配しないで良いよ。後の事は 私が引き受けるから。」と云えば、良いとの事だろう。思いを残した人達が、霊界(あの世)に行けば、自分の思い残した事(残念)を果そうとして、この世(現界)の人達に憑依して、続きを行おうとする。
憑依された人は、守護霊が憑いたと言って喜んで、宗教などを起したりするが、それは所詮、余計な事である。
「癒・(いやし)」の漢字は、「疒+兪+心」の組み合わせで「疒」は「人がベッド(寝台)に寄り掛かっている形」で、「刖 」は「丸木船を造る為に、中の一部分を抜き取る・削る」意味で、「1部分を抜き取る」の意味に使用されている。 漢語林
其の漢字の意味からすると、相手の「身体」や「精神・心」を悩ませている原因を取り除いて遣る理・ことが、癒しの意味である事に成る。
この意味から察すると、私は心配事を抱えたまま、あの世に旅立とうとしている老齢の人達の、心配事の部分を抜き取ってあげる事が役目らしい。
現在の世の中には、宗教を起したり、会社を興したりして、後継ぎの事で心配を抱えている人が多い。私は、その様な人達の癒しをしてあげなければならないのだろう。此の世で生きている内に、余計な物を抜き取っておかないと、霊界に行ってからでは、其の霊魂は何処の誰で、何を残念していたかが判らなくなってしまう事になる。
今朝の映像からすると、私は業を抱えて苦しんでいる老齢の人達を、100ヶ所も巡って、助けてあげなければ成らない様である。 漢字の「百」は、「数が多い」の意味らしいから、100の意味はもっと多数を意味しているのかもわからない。
私には、再び、行き先の決まっていない、放浪の旅が待っているのだろうか。
お釈迦さんの残念が、未だ、私に取り憑いているのかもしれない。
平成14年4月18日
礒邉自適

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