世界的ポップアイドルMJの死が報じられた時、真っ先に思い出したのは、10代の頃に読んだ1960年代の大岡信の詩集『わが詩と真実』所収の「マリリン」という詩。MJに限らず、多くのアイドルや時代のシンボル化された固有名詞を世界数十億人の野次馬のひとりとして野辺送りするたびに思い出してしまう詩だ。
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死
そこからフィルムが
あらためて逆転してくる
鏡
*
彼女の眼の抛物線は
もう夢の結晶する森にとどかない
霧のような死の炎がベッドを乗せて運ぶさきには
優しい白い象が待っているのか
閉ざされた鉛の窓が待っているのか
体じゅうの毛をおとなしくそよがせて
彼女は暗い鏡の上に
洗濯板となって横たわる
鏡の底に
メスが突っ立つ
だが魂の真実は
メスではさわれない
*
歴史の透明なサングラスの下では
八月の灼けつく丘は
すべてカルヴァリオの丘であろう
マリリンに茨のありかをきくな
透明な毒のとげは
運命的な賞讃の中で育ったのに
小さな虫眼鏡で
アメリカ地図をたどり
彼女の睡眠を占領した
資本主義の癌細胞をゆびさして
こはいかに顔をそむけて語る博士たち
君たちは自伝の中にしるすな
マリリンの名を
彼女の死の中に
君らのすべては
すでに書かれている
*
いまは
ひとしずくの涙だけが
すべてを語りうる時代だ
裸かの死体が語る言葉を
そよぐ毛髪ほどにも正確に
語りうる文字はないだろう
文字は死の上澄みをすくって
ぷるぷる震える詩のプリンを作るだけだ
*
彼女の両眼は陥没し
湖水となる
月光にきらきら光りながら
虫の大群のように
見渡す限り水面を覆い
ただよっているフィルムの屑
その散乱する反射光が
血友病のハリウッドを
夜空に浮かびあがらせる
ほんとうの血を流して死ぬには
はだかで横たわらねばならなかった
*
マリリン
君の魂は世界よりも騒がしく不安で
エビのひげより臆病で
世の女たちの鑑だった
アジサイの茂みからのぞく太陽
君の笑いに
かつてヤンキーの知らなかった妖精伝説の
最初の告知があった
君が眠りと眼覚めのあわいで
大きな回転ドアに入ったきり
二度と姿を見せないので
ドアのむこうとこちらとで
とてもたくさんの鬼ごっこが流行った
とてもたくさんの鬼ごっこが流行ったので
君はほんとに優しい鬼になってしまい
二度と姿を見せることが
できなくなった
そしてすべての詩は蒼ざめ
すべての涙もろい国は
蒼白な村になって
ひそかに窓を濡らさねばならなかった
*
マリリン
マリーン
ブルー
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いくつかの美しい喩、フレーズや行(「彼女は暗い鏡の上に/洗濯板となって横たわる/鏡の底に/メスが突っ立つ」「彼女の両眼は陥没し/湖水となる〜血友病のハリウッドを/夜空に浮かびあがらせる」「マリリン/マリーン/ブルー」)があり、そのはざまにいくつかのキメの行(「だが魂の真実は/メスではさわれない」「いまは/ひとしずくの涙だけが/すべてを語りうる時代だ」「ほんとうの血を流して死ぬには/はだかで横たわらねばならなかった」)が立っている
* *
この詩は、MM(マリリン・モンロー)という希代のセックスシンボルの肉体を、混濁する時代の多色(血、癌細胞の黒い影、エビのひげ、アジサイの茂み、水面を覆いただようフィルムの屑)の中からつかみだし、詩のシャーレ(あるいは「プリン」の盛られるデザート皿)の上で、限りなく透明な色価と音韻(ひびき)を尾曳く最終フレーズ「マリーン・ブルー」に向けて溶融・漂白そして蒸留してゆくプロセスによって引っ張っていく詩だ。
同時に、「死/そこからフィルムが/あらためて逆転してくる/鏡」という冒頭スタンザで提示された時代とMMの循環的鏡像(共犯)関係(「鏡」はシュールレアリズムの高頻度アイテム)を、最終フレーズ「マリーンブルー」(死)から、再び詩の展開部の混濁した多色に向かって「逆回し」することで、蒸留しきれない異物=肉体(「死の上澄み」を拒む文字=MMと詩のCorps/肉体)を残留させ、作品の「上澄み」(美しい喩や普遍的なイメージを喚起する詩行という上澄み・・・)の下に成層しようと試みている詩でもあると思う。
循環的鏡像関係は、空を映す海の色である最終フレーズ「マリーンブルー」の中でも響いている。死を溶解するのではなく、その循環を伴奏するように「眠りと眼覚めのあわいで/大きな回転ドア」が空転する残響があり、そこに「入ったきり/二度と姿を見せない」MMの肉体がいずこかの内部に封印され忘却に抗わせようとする。(詩ではMMは回転ドアから「出ていく」のではなく「入っていく」tなっている。)
鬼ごっこのひとりの鬼である詩人は、出ていく多色のMMを単色のマリーンブルーに溶解させつつも、あくまでも鏡像の循環の中にMMを留保させるようにして最終フレーズ「マリーンブルー」を発語しているように思う。
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そうした結構のなかに散りばめられた詩における箴言的な断定の楔が、コーダのように打ち込まれていく。
「だが魂の真実は/メスではさわれない」
「いまは/ひとしずくの涙だけが/すべてを語りうる時代だ」
「ほんとうの血を流して死ぬには/はだかで横たわらねばならなかった」
「魂の真実」?「ひとしずくの涙だけがすべてを語りうる時代」?「ほんとうの血」?・・・
しかし、美しい喩の中に散りばめられたこれら箴言風の詩行が、此度のMJの死に伴うこの詩の再読では、マリーンブルーという詩のぜんたいを下支えしている溶解と循環機能を背負った色彩的、音韻的喩に向けた行跨ぎのダイナミズムを減殺してしまっていると感じた。あるいは、それがMMとMJというふたりのアイドルの死をめぐる抒情の、時代背景の隔たりででもあるのだろうか。
MJのこなごなに粉砕された鏡の破片のようなイメージの痛さは、次のように切迫した反問をこれらの箴言風の詩行に投げかける。
(身体をメスで苛むことによってしか叫べない魂の真実があるんじゃないの?)
(涙などでは語りえない悲痛があるんじゃないの?)
(ほんとうの裸でよこたわるためには薬物で血を汚さなければいけなかったんじゃないの?)
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「歴史の透明なサングラスの下では〜マリリンに茨のありかをきくな」というペダンチズムも気になる。なぜ同時代のアイドルの死と世界の関わりを描くのに、「カルヴァリオの丘」という換喩が用いられる必然性があるのか。大江健三郎による、ほぼ同時代の散文である「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」では、ペネロープ・マンダリンという「毛穴のひとつひとつが息づいているような」セックスシンボルを窃視するためにNYのホテルの窓に女装でよじ登り転落し下半身を粉々に砕いた元官僚の話が描かれていた。この大岡詩と大江小説が描き出す喚起力の差は単にジャンルの特質の違いなのか。
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もとより、MJというアイドルの生と死は「マリーンブルー」という限りなく透明な溶解と循環の喩に収束できそうにない。(毛穴のひとつひとつが息づくような)セックスシンボルの肌は、薬物のオーバードーズ(あるいは政治家絡みの謀殺)によってどのような無惨な変異を被っていたのにもせよ、アイドルという時代の大衆の美神の無欠さと、その肢体が骸となってベッドで発見されるまでの生と死の非連続は、舞台の暗転として描きやすい。死は美神の生を奪いはするが、美を奪うことはない。死は美の完全無欠さを強調しつつ防腐処理を施すだけだろう。美神は死による暗転により、イメージだけを留保する。その結構の上にこの詩は立脚している。
しかし、MJの死は。彼の、度重なる美容外科手術でスタズタに切り裂かれ、継ぎ接ぎされていった肌と同様、きわめて緩慢で、どこで彼が死んだのか、MMの死のような明瞭な暗転のドラマによって描きにくい。少しずつ奪われていくアイドルの生。
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ダンサブルなミリオンセラーを連発するアイドルが黒人差別へのプロテストを含むメッセージソングに傾斜していったといわれるMJの黒人の鼻梁はグラインダーで鑿削され、皮膚移植と漂白剤で肌はみるみる鑞のような白さを湛え、ネヴァーランドに隠棲して人形を抱きながらプロポフォールを注入しつつ後遺の痛みに耐える50歳の少年が生きた緩慢な死は、端的に想像を絶するものでありながら、日々薄く殺がれ、奪われていく姿によって胸を打つ。MMの時代には想像もできなかったパパラッツィとネットの時代の情報過多が、「ほんとうの血」「はだか」の在処をめぐって下世話に増幅する想像力の、愉楽ともろだきの痛みを奪い、溶融も循環もしない無機質な白い肌をキャメラアイの冷眼とともに見送っては忘却するだけのミニマルな機「能」を野次馬にインプラントする。MJの肉体に注入され続けたプロポフォールは、私たちの抒情にも注入されていたのだ。ズタズタに解体されたMJのイメージの皮膚は、いまのところどのような詩的喩や詩的論理展開ももたらさない断片として、中有界に漂っている。MJの生き死にを描く適者は、MMの時代のような小説家や詩人なのか、それとも検死を行う法医学者なのか、弁護士なのか、管財人なのか。それらを横断する伝記作者なのか。適者の資格証明書もMJの破片とともに「心」などという厄介な異(遺)物の重力を担いながら破片となって浮遊している。
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MJの緩慢な死に親しみに似た感情を覚える。ディーンやMMのような美しい肢体を瞬時の死により暗転させた劇的な夭折ではなく、MJはともかく生きたのだ。私たち同様に、少しずつ、少しずつ死にながら、しどけなく不条理に生き残りながら、緩慢に存在の痛さを滲み出すように青白く露光しながら。同じように緩慢な死を死にながら生き残る者たちは、メディアの偏光フィルターで怪物的に歪められ、彼方のネヴァーランドに隔離されたMJに、「我が友MJ」と親しみをこめて呟いてみる。

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