2016/12/14

俵万智さんと流行語大賞  夜警日誌

「新語・流行語大賞」創設から33回を経た歴代の受賞語の中から、気になるものを選んでみた。今年のトップ10入りした受賞語の中で個人的に最も際立っていると思う「保育園落ちた日本死ね」に因み、「日本の女性」に関わるものをできるだけ各年の受賞語の中から選んだ。

http://singo.jiyu.co.jp/old/index.html

このサイトから歴代受賞語を通読してみると、テレビドラマやCMなどのマスメディア由来の流行語は、人びとの口の端にのぼり伝染病のようにブレークアウトしパンデミックに拡散され消えていった泡沫(うたかた)のように無意味なものが多い。そしてそれらは、おしなべて後で振り返ると気恥ずかしいものである場合が多い。その恥ずかしさは「マス(大衆)」として時代の気分に浮かれた自分に対する恥ずかしさなのかも知れない。そういう人は次第に流行語を使わなくなるはずだ。個の確立される前の子供時代には、流行語を他者と共有して盛り上がる体験もそれはそれで悪くはないのかも知れない。言葉をめぐる人間の共鳴能力は言語そのものに備わった社会性の受容器で、流行語はそうした最大多数の共鳴能力に訴えるから流行語なのであろう。だが、いつしかひとは、流行語ばかりか、その使用によって形成される他者とのうたかたの共感から身を退き、自分をそうした同調的コミュニティから放逐・疎外するためのことばを探し始める。人間の「成熟」を測るひとつの物差しかも知れない。

受賞語のなかには、時代の推移を「観照的」に把捉しただけの言葉も多く、時代を超えて「刺さる」言葉はそれほど多くない。ただ、折々の社会的事象を映す言葉が、時間のフィルターを透過してもいまだに「現在の日本人の暮らしの足もと」に密接に関与し、深く影響を及ぼし続ける「半減期」の永い言葉となる場合もある。
 そこを中心に選んだ。
 
それらの中でも、今年の「日本死ね」は二重の意味で新しい。マスメディアがトップダウンで流行らされた言葉ではなく、SNSでひとりの育児中の女性が発した生の怒声であり、それは「観照的」に斜に構えた言葉ではない。ただ、これが「日本」ではなく「自民党」や「安倍」であったらもっとよかったと思う。それは待機児童をめぐる山尾志桜里議員と安倍首相の国会質疑・答弁をきちんと視聴すればわかる。

 さらにいえば、今年の流行語大賞に次の言葉がノミネートされていないことも私には不満だ。
「障害者総勢470名を抹殺することができます。」
 これは、相模原の津久井やまゆり園の実行犯・植松聖が衆議院議長大島理森に宛てた私信の中の一文だ。
私信はこう続く。

 「常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い、居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。」

 この事件はこれまで生きてきた57年の人生の中でも、最も衝撃的な事件だった。日本社会の拝金主義、経済効率重視主義、人間の生存の多様性に対する侮蔑と弱者への憎悪。この事件と植松容疑者は、猫かぶりの日本人社会が生み出したもっとも赤裸々な日本社会の「鑑(かがみ)」である(に過ぎない)と私は受け止めた。

彼が安倍晋三首相に宛てたというもう一通の私信も、最近はリンクを探すのが難しい。

 つねづね周囲の友人や知人にはこう言っている。「あなたが国家公務員であるか、経団連の輸出型大企業の社員であるか、それらの企業の株主あるいはその他のステークホルダーであるならば、また、アメリカの金融グローバリストに朝貢し続け、アジア・極東の斜陽国として孤立する道を選びたければ、安倍自民党に票を入れ彼の安泰な老後のコヤシになるがいいだろう。」幸い私の友人や知人には、上記の該当者がいないので、安心してそう言う事ができるわけだが。
 私もまた、「ニッポン死ね」と呪詛の言葉を日に夜に口ずさんで生きているひとりだ。

1984 おしんドローム
1985 キャバクラ ネバカ 私はコレで会社を辞めました
1986 川の手 家庭内離婚
1987 マルサ
1988 ハナモク アグネス論争
1989 セクハラ Doda Hanako 濡れ落ち葉 オバタリアン 24時間タタカエマスカ
1990 オヤジギャル アッシー バブル経済
1991 損失補填
1992 カード破産(宇都宮健児)複合不況 9K 謝長悔長 Time for change(B.クリントン)
1993 規制緩和 清貧 お立ち台(ジュリアナ)
1994 「同情するならカネをくれ」 価格破壊(ダイエー) ヤンママ ゴーマニズム 契約スチュアーデス
1995 無党派 安全神話 官官接待 「見た目で選んで何が悪いの!」
1996 援助交際 不作為責任
1997 日本版ビッグ・バン もののけ 郵政3事業
1998 「凡人・軍人・変人」(田中眞紀子) 貸し渋り 老人力
モラルハザード
1999 学級崩壊 癒し
2000 自己中 「官」対「民」
2001 抵抗勢力 Show The Flag DV
2002 貸し剥がし 内部告発 拉致
2003 マニフェスト 年収300万 バカの壁
2004 自己責任 負け犬
2005 小泉劇場 想定内 富裕層 萠え
2006 品格 格差社会 ミクシイ
2007 消えた年金(舛添厚労相) 鈍感力 ネカフェ難民
2008 アラフォー 埋蔵金 あなたとは違うんです(福田総理)
2009 政権交代 事業仕分け 草食男子 派遣切り 歴女
2010 イクメン 女子会 脱小沢 無縁社会
2011 絆 3.11 風評被害
2012 終活 LCC
2013 倍返し アベノミクス 特定秘密保護法 ヘイトスピーチ
2014 集団的自衛権
2015 爆買い アベ政治を許さない(澤地久枝)一億総活躍社会 SEALDs
2016 保育園落ちた日本死ね マイナス金利 盛り土


 「日本死ね」がまだ尾を曵いているようだ。今朝のニュースで、今度は審査委員のひとり、歌人の俵万智氏に、自称 「愛国者」どもの入れ歯が噛み付いた。極右政治家たちの虫歯菌に脳髄の芯まで冒された入れ歯の自称「愛国者」どもが、よりによって、あらゆる芸術(音楽や絵画)の中でも、もっともコアな「愛国的芸術」である短歌を業とするプロ歌人に「反日」のレッテルを貼りネット上で吊るし上げる光景は、もはや尋常ではない。俵氏が伝統的な歌人であろうがなかろうが、伝統的な三十一文字という定型リズムで現代日本語が映す日本人の暮らしの「感情」を描くプロフェッショナルである氏が、こうした自称愛国者よりも「日本を愛していない」ことなどあり得るはずがないのである。
 詩人はすべて、ロバート・フロストの有名な詩の一節「Poetry is what gets lost in translation.(翻訳で失われてしまうものこそが詩)」という母語のもっとも中核に横たわる固有の論理や非論理、軟らかで畸形な矛盾撞着にみちた情調を、一般人が日常もちいている当たり障りのない「社会・生活圏の言葉」から救い(掬い)出すことに生命を賭けているひとたちだからだ。ゆえに彼らの言葉は、彼らの「愛国心」同様、一般人の「愛国心」とは時に大きくかけ離れる。
 一般人の愛国心とは何だろうか。ワールドカップや五輪で日本代表選手が胸の日の丸に手をあてて君が代を歌うのが愛国心だろうか?長い海外旅行で柿の種を食べたくなったり、納豆とみそ汁を飲みたくなる時、日本の食卓を懐かしく思い出すのが愛国心だろうか?正月に晴れ着をきて屠蘇をたしなみ、ホロ酔いで神社で賽銭を投げて神籤をひくことが愛国心だろうか?全日空に乗って帰国する時に出される機内食や窓から眼下に富士山を眺める際のほっとする気持ちが愛国心だろうか?まさか、「天皇陛下万歳!」と叫んで行きの燃料しか積まれていない戦闘機に乗せられて敵艦に突っ込まされることが愛国心だなどと感じているひとはいないだろう?ところが、そういうことを「愛国心」だと考えているひとが、この日本には庭石をひとつひっくりかえすと湿った土の中にムカデや蟻の卵が蠢いているように、いまでも蠢いているのだ。しかも国家の立法・行政府の頂点に。彼らが大好きな靖国神社の遊就館に。日中戦争や太平洋戦争の「大義」を正しいものだったと考えたがっている人たちが、表面はアメリカに面従しつつ、腹の中では日本の中でしか通用しない歴史観を後生大事に温めながら、国民を自分たち支配層の都合のいいひとつの方向に束ねて導きたがっている。彼らは、過去の日本の恥をなかったことにしたいと思っている。自分たちの支配する日本のすべてが美しくて、日本は世界で一番素晴らしい国なのだと国民に信じさせたがっている。そうすれば、年金をめぐる失敗も、原発政策をめぐる国民の被害も、貧困家庭で子供が餓死している現実も、大企業ばかりが儲かるグローバル経済も、娘たちを米兵に強姦される沖縄の人たちの怒りや苦しみも、国民が目を閉じ、耳を塞ぎ、自分たちの思うように国民を操作できるからだ。こういう連中は、日本の遅れている部分(国民生活のゆとり、基本的生活物価の高さ、異様な土地の値段、極端な都市地方格差)、日本のダメな部分(役人天国、経済分野以外の文化・思想に対する鈍感さ、人権意識の低さ)、日本のイヤな部分(村八分体質、外国人恐怖症)を他国民や自国民から指摘されることに異様に敏感だ。嘘をついている人間が耳許で「嘘をついていますね」と指摘されると狼狽し、やがては怒り出すように。

 こういう連中をわが家では、ちょっと長いが「UGLYジャパン鬱病患者に処方された抗鬱剤『COOLジャパン』服用の副作用による躁病患者たち」と呼んでいる。およそ日本人ほど自国に対する西欧先進国の評価を気にする国民はないと昔から言われるが、日本に滞在する外国人を出演させ、大したことのないことでも針小棒大に日本の風俗や文化、技術、生活習慣などの美点をあげつらい自画自賛するNHKの番組が、しばしば「自信を失った日本人へのエール」などと形容され、安倍政権下で経産省の貿易振興室の名前にも採用されていることも気恥ずかしくムズ痒いかぎりだ。それでも、日本の産品を海外に売るショーバイのキャッチコピーであるだけならまだしも、日本人自身が日本のクソもミソもいっしょに自画自賛することほどみっともないことはない。
こういう躁病人が夏場の小虫のように大量発生したのは安倍政権になってからだが、小泉政権時代には、北野武プロデュースの「ここがヘンだよ日本人」という番組があった。あれもよそ目を気にする日本人の典型のような番組だったことには違いないが、日本人が当たり前だと思っている常識のなかで、異邦人たちの目にネガティブな非常識と映ることを論う方がま面白かった。異邦人の日本に対する「違和感」を知ることの方が、日本人が異邦人に「自画自賛したい」ことを見せられるより面白いに決まっている。そこには少なくとも「発見」と「正直さ」があるのだから。あの番組なども、日本の現況では企画すら通らない番組に違いない。「自虐」と「自賛」の両極だけがあり、是々非々で自国の美点と欠点を客観的に認識できないことが島国の民の最大の欠陥である。
歌人・俵万智さんの「愛国心」は、こういう連中が考える愛国心とはまるで違う。政治家や役所から無理強いされて掲げる日の丸や謳わされる君が代、「COOLジャパン」が喧伝したがるニッポン万歳目線とも異なる。それは、私たち庶民が日常暮らす「いま」の日本の等身大の哀歓、いわば、詩的「あるある」だった。次のような「しなやか」な言葉を、彼女を「反日」呼ばわりするような自称「愛国者」どもの鈍感な言語感覚で書けるとは到底思えない。日本人の日本の現在の暮らしに手向けられたことばの花束ではないか。

1.
「おまえオレに言いたいことがあるだろう」
       決めつけられてそんな気もする
2.
母の住む国から降ってくる雪のような淋しさ 
       東京にいる
3.
資本主義のとある街角
       必要に応じて受けとるティッシュペーパー
4.
妻という安易ねたまし春の日の
       たとえば墓参に連れ添うことの
5.
さくらさくらさくら咲き初め咲き終わり
         なにもなかったような公園

(1.日本人の付和雷同性とうらはらな、ふわっとした優しさがいい意味でも悪い意味でも「日本人」なんだな、と思わされる歌だ。)
(2.母の住む「淋しい」地方の原発の犠牲で「楽しい」東京はある。過疎に苦しむ地方の淋しさを代償に都市の華やかさはある。)
(3.ミライロの身体障がいをもつ代表が、ティッシュ配りのひとにガールズクラブに明るく誘われた経験を語っていた。大阪らしい、いい意味で「壁」を感じなかったと。)
(4.「夫婦別姓」反対論者である稲田や、「女性活躍」などという空疎なスローガンを量産する安倍にたたきつけてやりたような女性目線の、日本の男性中心の家制度への文学的批評性も含まれた繊細な歌ではないか。)
(5.少子化日本の人工的で無機質な町場の公園。そこに上野公園や九段、名所の桜の下のばか騒ぎとは異なる桜が咲いては散っている。本居宣長の「大和ごころ」とは異なる説教臭くないヒラガナのさくらを慈しむ、滅びていく将来の日本の幻像すら先取りしているような名歌だと思う)

2016/12/13

A Bet  翻訳ゲリラ

What can happen if I may marry a girl with millions of dowry,
to me, a poor poet?
How can the happiness mean,
purchasing a grand piano,
empting glasses of vintage wine,
kissing on her cheeks, then lips behind gorgeously woven curtain,
is it all that the happiness mean?
What else will the happiness bring
but having a new silk hat
in my awkward hands of poet?

Ah!
Suddenly at the moment
the world around me sank into stillness.
On the second floor in a rusty white building
when I saw a girl;
just as stupid,
penniless, temperamental,
stubborn as myself,
who wore a blue rose of Jacobsen* at her breast button.
Her eyes brimmed with sadness of impiety.
Her spiteful tongue spat out malicious language like
seeds of grape.
Her cheeks had shadows of deep dimples
when I saw the girl smile insolently at me.

What could I bet then
for my once-in-a-lifetime encounter?
Turning my pockets inside out to pick out
a certificate of marriage proposal with dowry
a crooked laurel crown and unpaid bills of months
a button of coat ripped off
that's what I saw I had.
Some pennies rolled out
from my light purse shaken upside down.
Time for bet was near at my empty hands.
I bet my destiny
on my ruin or everything
at the center of the world sunk into stillness
like a beginner of gambler
I opened my eyes.


*Jens Peter Jacobsen "There Should Have Been Roses"
タグ: 黒田三郎 賭け

2016/12/5

Datebook  Pidgin Poems

I leaf through pages of my expired datebooks,
not of last year but many years ago
long forgotten at a corner of shelf,
filled with scribbled plans, executed or canceled.

On marked hours, minutes; described names of people,
buildings, cafe, square, intersection
arranged to meet at, whom still get in touch with after years,
others gone after one-night stand,
a few even found not in this world any more.

Hardly I remember how they looked.
their voices vapored with purpose of appointment,
only recalled that was mostly to make some nickels
for fragiles consumable in blinks:

A chain strap for glasses to check statement of gains going nil
an unused ticket for a clay art gallery before grandfather died,
a dentist to treat a decayed tooth to make another mess in mouth,
a photo frame to be broken into pieces like rippled universe.

I remember once my mom preached:
Do to others what you want them to do.
Sin and punishment balance once in a while --
they forget me as much as I forget them.

At midnight kitchen I drink a glass of water
to quench my dusty throat.
I hear river of Lethe rumble.
A pale horse pass with an ephemeral glance over empty pages.
タグ:  英詩

2016/11/30

Bridge  Pidgin Poems

A bridge, once a symbol of buoyant pathway
bright future to another world has fallen down,
been swallowed by troubled water for these months years
a decade or more
(maybe since those twin towers departed?).

One called towers as vertical bridge to heaven,
which must collapse when they reach ultimate haughtiness.
People stray on bridge of the rubbles with nameplates in hands
for their missing anonymous to look down
at marching candles like noctilucae floating on tides of history.

We can only look down at the sinking bridge
into one-way stream with our arms folded,
turn backs to the burning sunset under someone else's horizon
on another bank with sigh to mumble,

let us go home and do our own homework.

The sun rises like a counterfeit coin,
sets like falling sparks of cinders inside dark cupola,
always shining behind us.

Our frail existence and belief can only rely
on testimony of shadows
beneath our feet,
slightly sensed heat on our spines.



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Image: Phil Boiarski "Bridge"
タグ:  英詩

2016/11/29

Kora Rumiko "AUTUMN"   翻訳ゲリラ

Now's autumn of the Universe:
A girl depressed yearning for death
regains at cost of independence from her family,
a stranger from overseas spots more clearly
your isolation than yourself knows.
Through lower leaves of a magnolia beginning to yellow the sun shines,
"Eternity" abruptly reveals itself from hazy room light of a bus drawing near.
As the world rapidly shrinks,
more intimately you may remember
an unseen tribe in distant desert:
All that may happen in such an autumn day.
Suddenly you feel your body getting limpid from your coccyx,
hurried to rise from a cold chair,
when you find short holidays halt,
yourself already committed to new acts rushing into another day.


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Photograph: Paolo Pellegrin "Today is Another Day" (November 2012)
タグ: 高良留美子 

2016/11/23

BS1スペシャル レッドチルドレン 中国・革命の後継者たち  夜警日誌

http://www4.nhk.or.jp/bs1sp/x/2016-11-23/11/29821/2552347/

 再放送らしいが、地上波が入らないわが家では今夜視聴することができた。
非常に面白いドキュメンタリーだったし、今世界が奔流に押し流されるように向かっている方向に対して一考を促されるNHKの編成の明確な意図すら感じさせられる再放送であると思った。
 インターナショナル、コミンテルン、そして中国共産党によるPRCの建国。
 日本が米国を中心とする自由主義と資本主義の陣営(Camp)もしくは「半球(A Hemisphere)」の一員として戦後復興に邁進している間、「共産主義」がインターナショナルな人種的・地理的な拡がりと、(日本人が好むと好まざるとにかかわらず)歴史的な必然性や理想をもつ「もうひとつの世界(another world)」であった時代があったことを、戦後の日本人の多くと世界がすっかり忘れてしまったからだ。
反日戦線における八路軍の優れた「実務家」であった毛沢東が、大躍進の失政や劉少奇との権力闘争を発端とする文化大革命で偶像的な「イデオローグ」となってしまった後遺症は、ソ連におけるスターリンと同様、今日のロシアと中国の双方、ひいては西側諸国の「共産主義観」に深いトラウマと、社会主義のホルマリン臭い剥製化をもたらして今日に至っている。
 寡占的資本主義が暴走を続ける現在、戦後の歴史を白紙還元する視座がどうしても必要になると痛感していたので、このフランス、カナダ、英国などから毛沢東の革命に賛同して果敢にそこに飛び込んだ西欧諸国の少数派と、その二世たちが生きた数奇な20世紀後半の人生は、21世紀の硬直化しつつある西側諸国(日本も含む)に生きる現代人にとって、多くの示唆を含んでいる。

2016/11/22

Bai Juyi "Girl from Hsi-yu" on Akira Ifukube's "Chant de la Sérinde"  音楽(J.S.B中心に)

白居易「胡旋女」(Bai Juyi "Girl from Hsi-yu")

胡旋女胡旋女   
Girl from His-yu,
心應弦手應鼓  
Your heart responds to strings, hands to drum,
弦鼓一聲雙袖舉 
Once strings strummed, drums beaten in tutti, sleeves slowly raised,
回雪飄搖轉蓬舞  
You dance like snow, pop as mugwort in wind
左旋右轉不知疲  
Tirelessly circling to left, suddenly spinning to right
千匝萬周無已時  
That goes beyond a thousand or ten into perpetual mobile
人間物類無可比  
Nothing living or still on the earth rivaled to your elegance
奔車輪緩旋風遲  
To make one feel inpatient to slowness of spinning wheels, knotted loops and whirlwinds.
曲終再拜謝天子  
When dance and music are over, you make a deep bow to Emperor,
天子為之微啟齒  
Who rewards with unconscious grin in rapture of bliss.


2016/11/21

Night of Stuffed Constitution  Pidgin Poems

Naked legs of a young couple
pale as the room, air of the era,
amputated from their faces and the outer world
lying on a bed in the suburban hospital
float like a boat without mast, keel, prow and direction.

At a partitioned corner by vinyl curtains like shrouds,
they play with a pocket torch to light
on his pedicured toe she varnished for him
making shadow pictures on cleansed wall
for short-lived comfort and mute rave-up.

Everything there breathes in pure void of whiteness:
Medical instruments drone and flicker,
more advanced-edged machine rotating like a ferris wheel,
nurses come and go the hallway like flying Valkyries in careful quietness,
so they stifle their laughs at surroundings, and maybe their own playful evanescence.

At the seventh stop of metro distant from their white Walhalla,
Clumsy hands of unqualified taxidermists will soon premier
Night of stuffed Constitution when some essential articles snatched away
from the ragged parchment of very old peace.
Meteorologist forecasts the crystal night to come, protesters shy away.

Why must those naked legs as logs left dreaming in far deep forest care?
They will soon fall in sleep, singing
a thousand songs which they can only flounder through.
Songs of green mold,
Songs of mild rainfall to drizzle over them.

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Photo: Miu Nozaka
タグ:  英詩

2016/11/18

Drifts of Amazon  Pidgin Poems

A decade's passed since grandfather died at his age of 98.

One day in his latest years at elderly hospital, he requested me to go to adjacent bookstore to look for a photo collection of Harley Davidson.

I said with ambiguous smile that a shabby small bookstore in local city might not have such special book in their poor stock, so I should easily get it at Amazon.

He looked hung in the air for some moments to reply in apologetic tone (which the voice of aged men in weariness, with full of memories, mostly of regret and contemplation may usually wear) ,

"You need not go through that distance faithfully to fulfill my whimsical request."

Then he fell into very long sleep, longer than years when he had been detained in the hospital, his entire life as an emperor's soldier who was likely to drown in muddy night stream when he crossed a vast river of inland China 500 km far from Shanghai conducting twenty some military horses (muscular as but worn-out Harley Davidsons) of his platoon at his senior officer's command ( he remembered the river was like ocean with the hazed opposite bank, seldom seen sort in our small islands until he barely reached where some comrade surrounded a bonfire to dry their dampen khaki uniforms), then demobilized to be professional hard-working dyer in post-war period spending very little pastime with a Harley sportster to cruise on unpaved roads everywhere, to become father of my mom who is his only daughter, and a long-lived patient with numb legs harbored in suburban hospital as a wounded horse.

Loosen pages of a Harley photo book ( not ordered before he departed) still drifting on middle reaches of his unseen Amazon often come into my narrow stream of life yet to reach anywhere.

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タグ:  英詩



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