著者の新谷雅徳さんは当地に通い始めて最初期に知り合った同世代のご近所さん。拙宅の山小屋を建築中の冬の快晴の一日に、十数人の鮮やかなアフリカ系の民族衣装に身を包んだ一行がわが小屋の建築現場前の農道を歩いていった。静かな山間地と遠く聳える富士山を背景にひときわ異彩を放つ原色のご一行。彼らを引率していたのが仕事中の新谷さんだった。
その新谷さんが、静岡新聞社から”Interpretive Guide Book Mt. Fuji"という富士山ガイドブックを出版された。
新谷さんは、当地を訪れる外国人エコツーリストに当地一帯の自然とひとの暮らしを伝える「インタープリター」。「インタープリター」とは、フィールドでツーリストをガイドしつつ自然と文化、民俗などを言葉で伝える「語り部」。上掲ガイドブックによれば、「(インタープリテーションとは)自然・文化・歴史を単なる情報として伝えるのではなく、その背後にある大切なメッセージを、自然や文化資源や書籍などを通して、楽しみや感動、気づきを人々に提供し伝える技術」とあり、その技術を備えた解説者を「インタープリター」と呼ぶらしい。
新谷さんは兵庫県西宮生まれ。静岡大学を卒業後、フロリダ工科大学環境科学科で修士を取得。その後ハワイ島米国企業でエコツーリズムの企画に携わった後、現地ガイドを3年経験。その後ガイドとしてのキャリアとフィールドを屋久島、ニュージーランド、オーストラリア、マレーシア、そして日本各地の山々に拡げて研鑽を積まれ、日本のエコツーリズムの魁として全国に知られる当地の「ホールアース自然学校」でコーディネーターと国際室室長を歴任。現在は3人の娘さんと奥様とともに当地に定住してフリーランスの「インタープリター」として、フィールド活動を実践しつつ執筆活動を開始され、その初仕事が今回のインタープリティブガイドブックというわけだ。
総ページ数95ページのポケット判だが、コンテンツは多岐にわたる。富士山の海抜高度から地図上の位置といった基本データに始まり、プレートテクトニクスと火山活動による富士山誕生および生成のメカニズムと歴史、富士山の特異な湧水環境、古代神道から平安期の浅間大社造営、江戸期に関東一帯に広がった登山信仰「富士講」、明治期の廃仏毀釈令に至る富士山信仰の歴史、文学・絵画に描かれた富士山、富士山の高度ごとに分類された植物分布、美しい挿絵入りの動植物図鑑までがコンパクトながら情報量豊かに網羅されている。登山マップや携行品のアドバイスなど詳細な登山情報が巻末に付されているのも実用的だ。
富士山というのは不思議な山だ。浮世風呂のペンキ絵から文人画人の筆で、時に熱烈な賛美の、また時には皮肉交じりの揶揄の対象(太宰治の、金子光晴の富士山)とされ、さまざまに弄られ、酷使されても使い減りしないのはなぜだろう。毎日拙宅の窓越しに拝んでいても、不思議と飽きが来ない。ここへ移り住んでから気づいたことのひとつは、1年365日(夏場は雲井に隠れて視えない日も多いが)1日24時間、寸刻も同じ風貌でいることがないからだろう。雲のかかり方ひとつ、太陽の位置、空の色、光の彩りひとつで富士山は刻々と相貌を変える。それら天空の気象を借景に、揺るがず聳える不動の構えは、私たちに、移ろうものは大地ではなく気象なのだ、という大安心を与えてくれる。かと思えば、わすか数キロ観察点を移動するだけで富士山は劇的に形相を変える。例えば、拙宅からの富士山は芝川造山帯の低い隆起を額縁に冬場の晴れ日には蒼みがかった女性的なシルエットを優美に湛えているが、数キロ北上した朝霧高原、白糸界隈から垂直に仰ぐ富士山は、荒々しい玄武岩の赤肌を剥き出しに険しい形相で威圧する。不動の構えとは、もちろん私たちの願望であり祈願の当為に過ぎない。実際には、幸田文の名随筆「崩れ」に描かれた大崩落や、地球温暖化による南面スロープの永久凍土の後退など、富士山もまた地上の万物同様不動ではあり得ない。
「あとがき」より。「最後に僕たちからの提案です。自然の中に身を置いた時や訪れたところで、好きな場所を見つけてください。森羅万象の中で、私たちはいかに小さなものであるのか、自然に対して謙虚な気持ちを抱くとき、すべての生命との一体感が強まることでしょう。」
この小冊子のなかには、新谷さんがインタープリターとして踏破したさまざまな時空における富士山が、宝石のFacets(切断面)のように煌めいている。富士山にまつわる豆知識の提供も、読者の想像力を掻立ててくれる。第2章の「富士山とは」にある「高さの表し方」もそんな細部のひとつだ。
富士山の高さを表す「合目」の由来は、「夜間登山の際に用いた行灯の油1合(0.18L)で登攀できる道のり」という説と、「道しるべとしてまいた1合分の米が尽きる道のり」であるという説があるそうだ。このくだりを読み、即座に近代の富士山頂測候所〔現在は無人)の開拓の歴史と測候所観測員の高度3776メートルにおける日常の特異な自然現象と苦闘を描いた「カンテラ日記」(中島博著 1985年刊 岩波書店)という名作に登場する、明治期に民間人として初めて富士山頂の冬期気象観測を敢行した野中至夫妻の厳冬の登攀の歩みに想いを馳せていた。


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