夏休み最後の紀行として,「余部鉄橋」に行きました。
この鉄橋は,明治45年(1912年)に2年の歳月と33万余円 の巨費、延25万人の人夫を投じて完成されました。
建築様式は,トレッスル式で当時の鉄道院技師古川晴一氏等により,米人技師 の意見を取り入れ,トレッスル(橋脚部分)の資材はアメリカより九州の門戸に送られ、3千トンの内地汽船に積替え明治43年8月余部沖でハシケに移し陸揚げされました。
いつもなら荒れがちな日本海が材料取り卸しの間中ナギが続き無事に作業完了となり,また,作業員には,当時としては2万円という巨額な保険がかけられていたそうです。
山陰本線建設では最大の難工事であり,この鉄橋の完成により,事実上の山陰本線の開通となりました。
高さ41.45メートル 長さ310.59メートルの規模は,当時,東洋一としてデビューしましたが,現在でもトレッスル式鉄橋では,日本一の規模を誇っています。
昭和61年(1986年)12月28日日曜日午後1時25分頃,鉄橋を通過中の香住発浜坂行き回送列車が日本海からの突風にあおられ,機関車と客車の台車の一部を残して7両が転落,真下にあった水産加工場や民家を直撃しました。
この列車は,団体臨時の和風列車「みやび」,山陰お買い物ツアーなどの一般客174人を乗せて午前9時26分に福知山駅を出発,11時49分香住駅に到着し乗客を降ろした後,浜坂駅に回送するため午後1時15分香住駅を出たあとの落下でした。
橋脚に残ったのは先頭のディーゼル機関車1両と客車の台車3組(1両半分)だけで,現場は約50メートルにわたってレールが曲がりまくら木もずたずたに・・・。
この事故で山陰線は不通となり,直下の国道178号線も一時不通,電話回線も切断されたのか,一部地域が一時不通の大惨事となりました。
(客車内に居た車掌1名と,加工場の従業員5名の計6名が死亡,客車内に居た日本食堂の従業員1名と,加工場内の従業員5名,計6名が重症を負いました。)
明治45年の開通から93年の長きにわたり,風雪に耐え,私たちの足となって支えてくれました。
しかしながら,強風による輸送効率の悪さと,老朽化による維持・管理に,多額の費用がかかるため,架け替えが決定しました。
今年度中には,架け替え工事が始まり,コンクリート橋に転身します。
「さようなら,余部鉄橋!」
追伸
鳥取砂丘に立ち寄ったら,以前,テレビで紹介されていた「砂たまご」っていうのがあったことを想い出し,ちょっと試食・・・。

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