以前、南米で縄文式土器に似たものが見つかっていた、と言う話を書いたことがあり、その時、時計回りに南米に行けるなら反時計回りでオセアニア方面にも行ってそうだ、みたいなことを書いた。
そしたらやっぱり行ってたみたい。
しかも見つかったものとしてはこっちの方がかなりガチ臭い。
経緯としては、30年ほど前、エロマンガ島で有名なバヌアツでフランス人考古学者が見つけた土器片から始まる。
当初はフィジーあたりで発掘される土器に似ているとされていたが、日本の考古学者が「ちょっと待て、それってなんか縄文くせぇ」と思い立ち、鑑定してみたようだ。すると、紋様も縄文で、しかもバヌアツの土壌にはない成分が含まれていた上、三内丸山で発掘される土器と成分が一致した。
三内丸山と言えば青森だ。南洋上に浮かぶ島で見つかった土器が本州の最果てから来てたのかよ、沖縄とかでもいいじゃん、とっつこみたくなったが、日本とバヌアツの距離を考えれば沖縄と青森の距離なんかどうでもいいレベルだわな。三内丸山の縄文集落は土器製品の輸出もしていたのかねぇ。やたら派手な芸術性の高い土器が見つかるのは輸出用の工芸品だったりして。
しかし縄文ってのは調べれば調べるほど分からん。縄文時代の年代がどんどん昔に遡ってるし。かと思うと平安時代でも縄文の生活は続いていたという記述もあるし。まあ、弥生と縄文の大きな違いが稲作なら、南国の作物である米を寒い東北で育てられるようになったのは品種改良が進んでからだ。北海道の稲作なんか始まったのごく最近だし。稲作が出来ないところに弥生以降の人間が進出するのはむしろ無茶か。
平たく言ってしまえば弥生時代の始まり=縄文時代の終わりじゃないんだわな。
縄文時代の生活レベルも何気に結構高かったようだ。三内丸山はそのスケールの大きさに加えて大規模建造物があったり、遠洋漁業でないと捕れないような魚の遺物が出てきたりと、技術面でもなかなかだ。建物が木造中心なので地味な印象があるが、なかなか高度なレベルだ。
まあ、これでまた小説書き直しって事はなさそうだけどな。三内丸山あたりが縄文の中心地、都市部だとすれば当然田舎もあるだろうから、縄文末期のはずなのにスケールの小さすぎる村々も田舎だって事にすりゃいいんだし。
参考記事
バヌアツの縄文土器
飛語宇理日記: 縄文人大移動説
縄文の都 青森市三内丸山遺跡を振り返る

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