大型二輪免許の授業に
瞬時の判断力の重要性を説く時間があった。
迷いが生じると事故につながる。
正しい判断を一瞬で、というものである。
教習所の直線コースの彼方で、
教官が赤と白の旗を持って立っている。
こちらはと云えば合図とともに、
その教官目がけて750ccをブッ飛ばしていく。
もうハンドルを切らねば間に合わない
という距離に近づくと、教官が赤か白の旗をサッと上げる。
赤ならば右、白ならば左に避けて行きなさい
という教習なのである。
年寄りにさせる実技ではない。
ぼくは何度挑戦しても必ず右へ避けてしまった。
赤だの白だの、そんなことよりも
間に合わん 轢き殺してしまう
という焦りが先に立ってしまうのである。
もちろんぼくの判断力の評価はとても低かった。
まぁこの結果は成績と関係ないので
と教官が気の毒そうに作り笑いで慰めてくれた。
滅多に釣人には会わないこの川で、
餌師に出会った。
大きな落ち込みから流れが一気に拡がる一級ポイント。
ぼくがいちど下流をやって戻ってきても
イクラとミミズを取っ換え引っ換え
まだまだ奮闘していた。
川に夕闇が迫ってきた。
座り込んで煙草一本分の時間 その様子を眺めていたのだが、
火がフィルターに限りなく近づいた頃、
長い竿を仕舞いはじめるシルエットが確認できた。
さ 俺も帰ろ
餌師が30分以上攻めた場所では期待薄やろし
そう判断して腰を上げた時、餌師が傍へやってきた。
ぜんぜんあきまへんわ
ぼくが遠くで眺めていたことに気づいていたのだろう。
餌師は疲弊した笑顔でそう云った。
そうですかぁ
とぼくも笑顔を返しながら餌師のいなくなったそのポイントを見た。
ここで先ほどの判断がグラつく。
夕暮れの川、涎の出そうな流れ。
ここで釣れなきゃ、どこで釣れる
と思いつつ、やっぱり釣れないことはよくあるが、
もう一度、己のこれからを判断しようと
脳が電気信号を発する前に
ぼく ちょっとやってみますゎ
との言葉を餌師に向かって発したのである。
釣れるかぃな いやぜったい釣れるなよ
との視線を背中にヒシヒシと感じつつルアーを投げる。
一投め 流芯の向うで魚がフックに触った。
二投め うーむ気配を感じる。長年の勘だ。たしかに。
三投め 喰った。そんなに悪くないサイズだ。
八寸かそこいらのきれいなアマゴだった。
ほほぉ おるねんな なんで餌 喰わんかったんやろ...
写真を撮っていると餌師の大声での独り言が聞こえる。
なんででしょうね
とぼくも独り言のように云いつつ再びポイントへと向かう。
再開して5-6投だったと思う。
喰った瞬間にスプールが逆回転して、ドラグが仕事をはじめた。
これはデカい...
と思ったが意外に冷静だった。
直前に八寸を釣ったおかげでエクササイズができていたし
前の晩、神のお告げがあり3lbラインを4lbに巻き直していたのだ。
4lbもあれば少々のサイズならばラインブレイクはしない。
凄まじい走りだったが、走るだけ走らせた。
その魚体を岸へと寄せた時、
なんとも云えぬ感覚に精神も肉体も満たされていく。
釣人にしかわからない不思議な感覚。
トリップ。
餌師が帰りながらなにかを云ったが、よく憶えていない。
いったい脳や体がどんな物質を分泌するのだろう。
釣りを続けてきてよかった
と昨日書いたが、
この感覚に満たされたいがため ということなのである。
流れてくる 自分にとっての餌 を
渓流魚たちは瞬時に判断している。
教官の上げる旗の色で右か左かを決めるように、
喰うか喰わないかを一瞬で判断する。
それに頑固・的確なのである。
これはこれでアリ?
などと現代人のような曖昧な判断は下さなない。
稚アユなら稚アユだ、虫なら虫だ。
季節や状況によって、徹底的に頑固者になる。
2年ほど前、
鳥取は日野川でヤマメのスーパーライズに遭遇したことがある。
RTてっちゃんとぼくは、その光景に驚嘆しつつも
夢中でミノーをキャストし続けた。
おびただしい数のライズがあるに、ミノーにはチェイスすらしない。
昨日のイクラやミミズの如き、である。
赤でも白でも、
とにかく右へハンドルを切ってしまうような
判断力に劣ったぼくが渓流魚ならば、
解禁当初にさっさと釣り上げられ、
川原のバーベキューで焼かれてしまうことだろう。