中学の卒業アルバムに書いた将来の夢は「外国語を使った仕事」だった。
その考えは中学1年で西アフリカから帰国した時から持っていたものであり、それ以降も自分の未来にそれ以外の選択肢はなかった。美術も音楽も運動も、人並みにはこなせたと思うし、演劇も好きだったけれど、将来それで生計を立てたいと思う程ではなかった。父から「カウンセラーとか向いてるんじゃないか」と言われ、確かに心理学にも興味を持ったことはあったが、あくまでも趣味としてだった。空想することも文章を書くこともわりと好きなので、小説を書いてみたりもしたけれど、あくまでも手遊びにすぎない。
まぁ、現状を省みれば夢は叶ったと言って差し支えないと思う。
卒業アルバムが作られた時と違うことがあるとすれば、当時の私にとって第一外国語はフランス語だったのに対し、今は英語に換わっていることだろう。
喋り言葉だけを比較するならば、得意な順に日本語→フランス語→英語→スペイン語・・・となるが、書き言葉となると、2番目と3番目の順序が逆になる。
何故「外国語」にこだわったのか?
答え:そこにしか自分の存在意義を見出せなかったから
一度崩壊しかけたアイデンティティーの形を繋ぎとめるための楔だったから
幼稚園・小学校と、それぞれに短期間ではあったが友情のようなものを感じていたはずの同級生に中学校で再会した後、私の中の「日本人」と彼らの「友達であること」を真っ向から否定された。本人たちに本当にその意図があったかどうかは確認のしようもないが、少なくとも私はそう感じた。
前後して父が病に倒れた。既に色々と大変な状態にある両親に、表面に現れている事象以外のことで心配をかけてはいけないと思い、なるべく「いい子」であろうとした。小さい頃から私の性格は「天真爛漫」だと周囲に認識されており、この頃までは自分でもそう思っていた。
きっかけさえあれば人間は変わるのだと実感し、一方で「変わらない何か」を一生懸命自分の中に捜し求めた。自分が自分であるために、以前から自分の中にあって、これからも変わらないはずの大切な「何か」。
そこで思い至ったのはベルギー人の親友、ディアーヌのことだった。
西アフリカ・トーゴの田舎町に住んでいた頃、隣の家に住んでいた同い年のベルギー人。一緒に過ごした1年半、同じ学校に通い、家族で旅行などするとき以外は、朝起きて夜寝るまでの間ほぼすべての時間を一度も喧嘩することなく共有した。
ベルギー国籍でありながらアフリカで生まれ育った彼女は、本国に帰国した後やはりいじめにあっていたらしい。その話を聞いたとき、私はまだ幸せだったので毎週お互いに送り合っていた分厚い手紙で慰めることしかできなかった。
自分がいじめにあい、家族にも相談できない孤独の中、世界中で私のことを理解してくれるのはディアーヌ唯一人だと思った。
当時私をかばって支えようとしてくれていた人たちには大変申し訳ないが、彼らの思いやりに感謝しつつも、ディアーヌ以外の人を心の底から信頼するは当時の私にはできなかった。
どうせ親も解ってなんかくれない。私が一番大変なときに自分も病気になって、結局私を放り出した。そもそも、私がこんな思いをしているのは父が海外で仕事をしていた結果だ。
でもディアーヌなら解ってくれる。
彼女は一生私の親友でいてくれる。
彼女との友情が私の中の「変わらないもの」だ。
実際にこの頃自分に何が起こっていたかを書くことはしなかったけれど、相変わらず毎週分厚いフランス語の手紙を彼女に書き送っていた。
彼女との友情を変わらないものにするためには、私がフランス語を忘れるわけにはいかなかった。
語学があまり得意ではない彼女が、細かい心情まで描写できるほど日本語に堪能になることは恐らくあり得ない。
彼女と私を繋ぐ命綱はフランス語しかない。
日本にいる限り、自分のフランス語レベルを向上させることは難しいけれど、環境次第で維持はできるはす。
そう思い、両親を説得して公立の中学から私立の帰国生受入校に編入させてもらった。
フランス語はいじめられるきっかけの一つでもあったけれど、「私」を構成する要素の中でも最も重要なものになった。
その代わり、一時期日本語で長文を書くことに恐怖心を覚えた。
日本語を多用することで、自分の中のフランス語の領分が侵されるのではないか。
人間の持つ「言語」領域には一定のキャパシティーしかなく、どれか一つのレベルを高めることによって別のどれかが下がるのではないか。
「日本人でありたい」と切望する一方で、それによってディアーヌとの関係が破綻してしまうのではないか、と思うと不安で仕方がなく、学校の休暇中に出された課題を完成させられないこともあった。
今ではそうした懸念はなくなったが、自分の内面の不安定さには振り回されていると思う。
余談だが、ディアーヌとの友情は今でも続いている。
素敵な旦那様と2人の可愛い娘がいて、幸せに暮らしている。
もう一人の自分とも言える彼女が幸福を手に入れたことが、いつまで経っても涙が出るほど嬉しい。

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