(二〇〇七)大晦日(月)晴
大晦日の東京にいる自分を、昨年の大晦日と今年の元日に私は全く想像していなかった。そんなことを思いつつ、今年最後の弁当を作り部屋を出た。
今日は高田女史と二人での仕事である。午前中はそれ程来客は無かったが、昼食後は休憩を取る暇も無く、黙々と仕事を続けた。六時で閉店であるが、待って居た客を全て終わらせたのは六時二十分頃になっていた。全部で六十九人、私は三十一人であった。間もなく土肥オーナーが来て、一年の労を労ってくれた。
七時過、三日間店は休業なので、シャッターを降ろして帰途に就く。
商店街のオークラなるスーパーマーケットにて、屠蘇用の純米酒四合瓶を買って電車に乗る。電車では昨日の日記を付けていた。
八時過、糀谷駅に着きベンガ・ベンガで麦酒を買い、自転車を漕いでアパルトマンに帰る。
湯につかった後、一年を振り返りつつ、屠蘇を待てずに日本酒を開けるが、飲む前に瓶を倒して半分程こぼしてしまった。気を取直して酒を注ぐと、自然に莞爾となった。
年明ける間際に裏の羽田神社分社の様子を見に行くが、誰も居なかった。本社の方だけで、分社には氏子はいなようだ。
実家より電話があり、勝伯父が死んだとのことであった。よく死んだ。伯母も見事な死に様であったが、伯父も大した死に様である。十年以上寝たきりで漸く煩わしいチューブから解放されるのである。そして、伯父伯母の息子であり、私の従弟である泰史が二十二歳で逝ったのも、二十四年前の大晦日であった。今頃は、親子三人、色々積もる話をしているだろう。しみじみと酒を酌み、御苦労様と心で繰り返した。
夜半、年越蕎麦を食べて、朝方まで飲み続けいつとも無しに寝に就く