「六郷之蘆音〜五十五、昨年に続き「やましん詩壇賞」」
日乗
(二〇〇七)十二月廿八日(金)曇後雨
休みである。今年最後の休みに、『月刊かみのやま』の連載「季を感ず〜俳諧逍遥」の想を練ろうかと思っていたが、何やかやと雑用があり手を付けられなかった。
先ず洗濯をして高橋クリニックに行くが、込んでいた為にそのまま蒲田駅前図書館に行き、『村野四郎・安西冬衛・北川冬彦詩集』を返却する。その後、家の近くのコーナンに行き、宮城県産「ひとめぼれ」を十瓩購入。持帰るのに軽トラックを借りたので、ついでにベランダに持て余していた安楽椅子を蒲田のリサイクルショップ「ユアーズ・ギャラリー」に持って行くと五〇〇円で買取って貰った。
それから一度アパルトマンに戻り、回して置いた二度目の洗濯物を干す。再び部屋を出て、オリンピックで缶麦酒を買い御沓女史のマイタウンに行く。
二時、少し遅い昼食を摂り、私は常の休みの如く麦酒を飲んでいた。女史はステロイドの副作用で不整脈が非道いということであった。
一昨日の日記などを書きながら飲み続けていると、鋏が切れないというので、夕方鋏を研いで差上げる。今年残り三日の仕事の為には、切れぬ鋏では歯痒くて気力が萎えてしまうであろう。間もなく切れるようになった。
七時、ベンガ・ベンガで久しぶりに砂肝を買って帰途に就く。部屋に入り一ト先ず麦酒を飲んでいると、従兄の芳朋氏より電話があり、何かと思えば昨年に続き「やましん詩壇」の
年間賞天賞に選ばれたことを教えてくれた。私は大変な驚きを持ってその知らせを聞いていた。まさか自分が再びの天賞に選ばれるなど思っても見なかった。目を瞑って、書き続けて良かった、と心に思った。常に私の文章を気にかけてくれていた御沓女史にすぐ電話をすると、女史も大変喜んでくれていた。私はこの人を信じて良かった。また、生涯濁りのない宮城生まれのこの詩人を信じ続けよう、と改めて思い、様々なことを考えつつ砂肝を肴にしての晩酌は祝杯となっていた。
加藤周一、深沢七郎のことなどを考え、十二時、寝に就く。いい休みであり、いい夜であった。