2007/11/9

王が王であるために…太陽王ルイ14世  よろづ、好ましきもの、こと

クリックすると元のサイズで表示します The 太陽王!

春先にヒストリーチャンネルで放映されたものの、その時に気付くのが遅くて録画ができずに無念な思いを抱えていた「城・王たちの物語」。きっと再放送があると信じて待っていたら、ありがとう!ヒストリーチャンネル。再放送してくれました。この前は第2回目のルードヴィヒとノイシュバンシュタイン城特集からしか見られなかったものの、今回は第1回目、輝ける太陽王ルイ14世と彼の造ったヴェルサイユ宮殿の物語「太陽の宮殿ベルサイユ ルイ14世」を観る事ができた。
いやいやいや。ルイ14世、面白い。

   〜以下、たたみます〜


この14世の父、ルイ13世の時代を舞台にした物語がかの有名な「三銃士」。余談だが、講談社の児童文学全集でこの「三銃士」を読んだワタシと弟はそれぞれアラミスとアトスのファンになり、近所の遊び仲間を集めて「三銃士ごっこ」をやろうと思いついた。小学校低学年の頃である。ワタシはアラミス、弟はアトスをやりたいので、「三銃士」を読んでいない近所の幼馴染の兄弟に、ポルトスは一番カッコイイ役、ダルタニャンは二番目にカッコイイ役だから、などと言って役を押しつけ、風呂敷のマントを翻して三銃士ごっこをしてご満悦だった。…閑話休題。
ルイ14世を主役に描かれた三銃士の続編が「仮面の男」である。太陽王は双子だったという設定で、デカプーが主演した映画はなかなか面白かった。
クリックすると元のサイズで表示します デカプー演じるルイ14世

カエルの子はカエル。王の子に生まれたらいやでもおうでも王にならなくてはならない。だが、5歳で即位して王とならざるを得なかったルイ14世は「僕は王なんかになりたくない」と言ったとか言わないとか。ルイ13世の時代に中央集権制は敷いていたものの、国は宰相が治め、王は政治にはノータッチだった。しかし、父13世が亡くなり、母とその愛人だったといわれる宰相マザランが国を治める中で貴族の内乱が相次ぎ、太陽王の少年時代は麻のごとく国が乱れていたらしい。幼い力ない時代に見聞した事を内に秘め、やがて17歳になった王は、議会でマザランの意見に異を唱える貴族たちの前に現れ、堂々たる態度で彼らを一喝する。何かがこの時までに出来あがっていたものと見える。「朕は国家なり」という言葉で知られる太陽王だが、これはご本人がのたまったのではなく、この時あまりに毅然としていた王の態度に家臣があたかも王がそう言っているかのように感じた、という事らしい。17歳でそこまでの威厳。さすが太陽王。王が22歳の時にマザランが死ぬと代りの宰相は立てず、自ら国家を統治することに決める。太陽王の治世の始まりである。

クリックすると元のサイズで表示します 太陽王 少年時代

太陽王は、ともすれば反乱を起こそうと企てる貴族を抑え、財政難を立てなおし、王の元に権力を集中させるためにいやがうえにも輝ける王にならなければならなかった。そこで、永遠に舞台を降りることのない千両役者の王の常設舞台として造営されたのがベルサイユ宮殿である。この宮殿を建てるに至る経緯もいかにも太陽王らしい。その頃まだルーブル宮に住んでいた王は、時の大貴族ニコラ・フーケが新しい城を建てた時、その落成記念のパーティに呼ばれて行った。そしてその城と庭のあまりの美しさ、見事な装飾性、芸術性にたまげる。心底たまげた挙句に怒り心頭となる。映像で観るこのフーケの城ヴォー=ル=ヴィコント城はまさにプチ・ベルサイユ宮殿である。

クリックすると元のサイズで表示します ヴォー=ル=ヴィコント城の内部

ル・ヴォーの設計になる回廊で結ばれた部屋の数々、その室内を飾るルブランの絵や装飾と、ル・ノートル設計のフランス式庭園。おまけに宴会にはヴァテールの料理にモリエールの芝居。
…そんなものは王以外の誰に許される贅沢だろうか。王こそが最高の文化・芸術の担い手でなければならないのだ。王にこそ相応しいものを貴族が所有して王にそれを誇るとは!フーケは王を歓待して取り入るつもりが、逆に王の怒りを買って公金横領の罪で投獄され、そのまま生涯を終えることになってしまった。王はフーケの城を造ったスタッフをごっそり引き抜いてベルサイユ宮殿の造営にかかる。王サマの嫉妬を買うと怖いのだ。

クリックすると元のサイズで表示します 壮大なるベルサイユ

建物も自慢だが、壮大な庭もベルサイユのうち。ワタシは前にパリ旅行に行った時、一応ベルサイユも見てきたのだが、「そんなに凄いかしらん、なんかそうでもないなぁ」と感じた。革命により内装などはあまり当時のものが残っていないと言う事もあるだろうけれど、世間で褒め称えられているほどじゃないんでは?などと感じた。でも、広大な王自慢の庭園を殆ど散歩しなかったのは手落ちだったと悔やまれる。折角あそこに行ったなら、とにかく噴水を巡り、いやというほど歩いて、太陽王の指南するポイントで、庭越しの城を振りかえって鑑賞するべきだったのだ。

一般市民も衣服を整えてくれば、誰でも中に入り庭を散策することが出来たというこの庭園。宮殿内にも立ち入ることが出来、散歩中や食事中の王を気軽に見物することもできたという。いまだかつてない程に開かれた王室っぷり。王の威光を示すために広く住居と庭を一般にも開放したというのが太陽王の太陽王らしいところ。きちんとした衣服をもっていない市民には入り口で服を貸し出したという。おまけに見物人のために、自ら庭散策の指南書を書いた。自慢の庭を自分がもっとも推奨する形で観て欲しかったのだ。カワユイ。こういう無邪気さが、政治家としての計算に立ったパフォーンマンスと渾然一体になっているところが太陽王の面目躍如な部分。やっぱり傑物は一味違う。

また、王は宮廷バレエなるものを自ら踊り、太陽神の衣装を着て貴族の前にその姿をみせつけた。自然にしていることよりも、文化的であることが尊ばれた時代にあって、王はもっとも優れた踊り手でなくてはならなかったらしい。そのためには日々これ努力。宮廷一の踊り手であるために精進は怠らなかった。そして舞踏アカデミーなるものを設立し、バレエの研究に力瘤を入れた。これが今のオペラ座バレエ団の元になっているというんですからねえ。何年にも渡って城を増築しつづけ、庭を造りつづけながら、周辺と戦争し、破竹の連戦連勝を続けた。太陽王の栄光は44歳でベルサイユに都を移した時に極まった。

王はプライバシーを求めない人だったらしい。盛大に食事をするところも、排泄をするところも悠然と人にみせつけた。王が堂々と振舞う姿を見せることが重要だという考えだった。こういう発想が何事も衆人環視の前で行うという慣例を生み出し、公開出産だの公開ベッドインだのというフランス王家の奇妙な風習を形作っていったのだろう。当時のヴェネツィア大使は、よく王が豹変するところを見たという。誰も部屋に居ないと思っている時と、誰がか現われた時では、王の態度は瞬時に変った。いやがうえにも堂々と威風を備えた王らしき佇まいをあっという間に醸し出したらしい。太陽王は朝起きた時から、夜眠るまで寸分の休みもなく堂々たる「王」を演じつづけた。幕間も楽屋もない、あきっぱなしの舞台に出ずっぱりの千両役者。王と生まれたらボヤっとしていても王なのではなく、王でさえも、王であるために、王らしき物腰の芝居をしなくてはならないのだ。王の子に生まれればいずれ王にはなるものの、輝ける太陽王となるためには、常に意識してそれらしく振舞わねばならない。ただ漫然と生きていて「太陽王」とは呼ばれないのだ。
王は人前であらゆる事を行うことに最初は苦痛を感じたが、そのうちにそれがいわゆる「快感」になったものらしい。そこまで行ったら自分を王として認識できる。そして自分は王となるために生まれたのだと思えるようになるらしい。
王たることの恍惚…。う〜む。

全てが太陽王の栄光に捧げられたベルサイユ宮殿内で、朝起きて、かつらや着衣などの身支度を整え、排泄もそれ用の穴空き椅子に座って悠然と行いつつ、早朝から列を成した人々に謁見したという太陽王。しかし、さすがの太陽王も初老に及んでその栄光に翳りが見え始める。スペインとの泥沼の戦争が膠着状態に陥り、戦費が嵩んで国民の1割が飢えてしまい、パンを求める民衆がベルサイユに殺到し、王は涙したという。おまけに後継者として薫陶を与えてきた息子、そして孫までが自分より早く逝ってしまい、後継はひ孫(ルイ15世)となる。太陽王は76歳で世を去り、王の死後ルイ16世の時代になると王家は人前に姿を晒すことを好まなくなり、人民との間に溝が出来、やがて革命が起き、ブルボン王朝は太陽王亡き後74年で終焉を迎えることになる。

そして王宮と広大な庭園と噴水だけが残った。

ワタシが興味深かったのは、太陽王でさえも、王が王であるために王らしく見えるよう芝居をしていた、というところである。太陽王を演じていたのだ。1年365日、1日も休むことなく、朝から晩まで決められた時間通りに動き、大勢の人間に囲まれてあらゆる事を行った。常に人目から逃れないということはずっと芝居を続けなくてはならないということである。幕のおりない夢芝居。さぞくたびれることだろうと思うけれど、そんな感慨は一般ピープルのもの。
王にとって、それは「カ・イ・カ・ン」以外の何物でもない。
それが快感でない者は、王で居つづけることはできないのだ。
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2007/11/12  1:27

投稿者:kiki

そういえば、「王は踊る」っていう映画ありましたね。ビデオ屋の棚でたまに見かけるたびに、ちらっと気になって観てみようかどうしようかと思ったりしてるんですが、どうも外しそうで観てなかったりしてるんですわ。あれは王が踊りまくっていた、というお話なんですよね。もう、毎日練習しないと踊れないような1音ごとにステップがついているような踊りだったそうで、貴族たちは必死に練習して粋な貴族と呼ばれなくてはならなかったとか。大変ですねえ。まぁ、それで謀反など持つ暇ないようにしたらしいんですが。そうそう、デカプーも太陽王をやってたんですわよmayumiさん。一応(笑)ヴェルサイユ、パリから離れてるんですが、一応オプションツアーで行ったんですよ。庭をさっぱり見てこなかったです。ちと失敗だったかも。でももう一度行く気にもならないんですわねぇ、これが。困ったもんで…(笑)

2007/11/9  23:45

投稿者:mayumi

kikiさん、こんばんは!
太陽王といえば、私はブノワ・マジメル主演の「王は踊る」を思い出します。というか、あれでイメージが出来上がってしまいました。でもそうか、「仮面の男」のディカプリオも太陽王でしたか!(脱線しますが、ディカプリオはあのあたりからフェイスラインに弛みが・・・)
ヴェルサイユは一度は行ってみたい場所です。でもちょっとパリから離れてるんですよね・・・。


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