2008/12/28
「疲れた、寝る」 ウツケブリッコ公方のインパクト TVドラマ
この週末は、とにかく胃腸を休めて大掃除をしなくっちゃの週末なのだけど、洗剤だのなんだのを買ってきたところで土曜は満足してしまい、予定の半分も片付けぬうちに閉店、日曜に持ち越しにしてしまった。やるとなったら隅々まできれいにしなくちゃなので、「やる気」が失せるとその日はもう駄目なんですのよね。
一息入れた後、そういえば「篤姫」の総集編があったかも、と思いだした。「篤姫」については、当初まったく関心もなく観てもいなかったのだけど、ある時たまたま、堺 雅人のうつけぶりっ子公方が庭で池におちかけた篤姫を助ける回を見て「あら!」と面白アンテナが立った。
その回を見て以来、堺 雅人の家定公が亡くなるまでは近年には珍しく毎回大河ドラマを観た。その後は毎回ではないものの、断続的に最後までチェックはしていたが、やっぱりこのドラマは堺公方サマの出演するくだりが最も面白かったような気がする。
あの、底に諦念を秘めたウツケブリッコぶりはまさに画期的だった。

脆弱な体で滅びゆく体制のトップになってしまい、時代や運命に翻弄される自分をうつけのフリで嗤うしかない家定。アイロニーに満ちていながら軽妙にピエロを演じる家定に血肉を与えた堺 雅人のキャラ造形。人の心には必ずおそるべき裏があり、常に本音をうつろな言葉で隠し、たばかろうとする周囲の権謀術数の中で、何度も毒を盛られながら生きてきた家定さんにとっては、目から鼻に抜ける賢さを持ちつつ、単刀直入に本音しか口にしないまっすぐな女・篤姫は、まさに得がたい相棒で唯一無二のソウルメイトとなるわけだ。当初はよくいる大名の娘だろうと全く関心もなかった御台所に、彼は「疲れた、寝る」の一言で背を向ける。篤姫的には「エ〜〜〜!?」って感じだが、その後昔話を所望された篤姫が、語りだしたと思ったらあっという間に眠ってしまい、今度は家定が「エ〜〜〜〜!?」となる。はははは。篤姫は庭で助けられたときから、夫に対して微かな恋心が芽生えていたのかもしれないが(このシーンの堺 雅人がいいんですねぇ。「チ、しょうがねぇな」という顔でサッと抱き止めると、一拍おいてウツケブリに戻る。絶妙)、家定としては妻にサッパリ興味がなかった地点から、ごく限られた逢瀬の中でこの妻の得難さに徐々に気づき、精神的に深く妻を信頼するところまでが自然に、かつドラマチックに表現されていく。このへんの描き方が上手かったのが良かったんですね、このドラマ。宮崎あおいの子犬みたいな顔+素直さに堺 雅人の上手さがまさにバッチリのハーモニー。何しろ旦那さんは体が弱い。夫婦は寝所で碁ばかり打っている。でも、それでちゃんとコミュニケーションが成り立つ。文字通りの会話だけで、二人は夫婦として分かちがたく結びついて行く。夫婦は何よりソウルメイトである事が大事なんだな、という事がよく分かりますねぇ。実質的に肉体関係があるかどうかなんて、さしたる問題ではない。あればあった方がいいんでしょうけれどね。なくても深く結びついていられるものなのだ。本当のソウルメイトに出会えれば。 でも、二人が唯一白い寝巻きを着たまま抱き合ったシーンは、ほのぼのしつつも迫り来る「別れの時」の予感に満ちて哀切だった。
碁を打つ夫婦
堺 雅人の家定公は、とにかく緩急自在の演技で、短命で悲劇的な将軍(歴史的にはうつけ扱いにされてきた将軍)を鮮やかに再構築した。飄々ととぼけていながら、激しい目つきで「誰一人信じない」と言ったり、キリっとしていたかと思えば突如大あくびをしたり、一瞬にしてポーンと真逆の方向に飛躍するその「豹変」の鮮やかさで、韜晦術を用いて世間や周囲を煙に撒こうとする病弱な将軍の複雑な性格を表現していた。その演技はメリハリがあって、柔らかでいながら印象的。ハマリ役は演じる側も嬉しいだろうけど、観ている側にもカタルシスがある。積み重ねたタタミの上でハリスを謁見した時、突如遊び心がきざして歌舞伎の所作で見得を切ってみせるシーンはその真骨頂だった。(またやってしもうた)
様々の事に妻の助言を求めるまでに緊密な夫婦になった二人だが、公方さまが病に倒れると周囲の様々な思惑から二人は逢う事もかなわなくなる。挙句の果て、一応ひとつ屋根の下に住んでいながら、篤姫は臨終に立ち会うどころか、公方さまが亡くなってしまった事すらすぐに知る事はできない。どんなに邪魔が入っても、大奥の慣習を無視して妻に逢いに来た公方さまだのに…。将軍が死んでもその事は暫く公にされず、大奥などにも隠されるものだというのも初めて知った。何かと不自由なしきたりに縛られて気の毒のかぎり。
この長いドラマのキーワードは「家族」。徳川将軍家とそこに関わる人々を拡大家族として捉えた女・篤姫の夫なきあとの奮闘は涙ぐましいが、ワタシ的には家定公がみまかった時点でこのドラマに関しては盛り上がりが収束してしまったので、その後の方が歴史的には激動なのだけど、蛇足という感じで眺めていた。
ただ、このドラマでは徳川慶喜が何か陰険な雰囲気の男として描かれていた気配だったが、ワタシはけっこう慶喜という人は面白いと思っている。確かに毀誉褒貶は激しいし、ぬえのように得体が知れないという雰囲気もあるのだけど、とても頭のいい人だったのだろうな、という感じがするのだ。それにこの人、ハンサムじゃないですの。とっても。
ケイキさん
激動の時代に最後の将軍を引き受け、開国から大政奉還、江戸城を明け渡してからは趣味三昧に日々を暮らし、明治半ばに公爵に叙せられ明治政府で政治にも関わるが隠居後はまた趣味三昧。この趣味が写真に狩猟に囲碁に謡曲と多彩。幕末〜明治初期に写真を趣味とするハイカラさんである。その上、長生きで子福者だった。何か、総体に飄々としている。ドラマ「篤姫」で慶喜を演じた俳優は暗い顔つきで陰険なムードを作っていたが、ワタシは堺 雅人演じる家定さんの飄々とした感じと通じるものを慶喜さんも持っていたように思うのだ。そういう人でなければ
「とりたてて言うべきこともなけれども ただおもしろく今日もくらしつ」(文字や仮名遣いなどは不正確です)などという辞世の句を詠んだりはしなかろう。ワタシはこの辞世の句が大好きなのだけど、これ、家定の辞世の句と言われても、ふぅん、そうかなという感じもするでしょ?なんとなく。
一息入れた後、そういえば「篤姫」の総集編があったかも、と思いだした。「篤姫」については、当初まったく関心もなく観てもいなかったのだけど、ある時たまたま、堺 雅人のうつけぶりっ子公方が庭で池におちかけた篤姫を助ける回を見て「あら!」と面白アンテナが立った。
その回を見て以来、堺 雅人の家定公が亡くなるまでは近年には珍しく毎回大河ドラマを観た。その後は毎回ではないものの、断続的に最後までチェックはしていたが、やっぱりこのドラマは堺公方サマの出演するくだりが最も面白かったような気がする。
あの、底に諦念を秘めたウツケブリッコぶりはまさに画期的だった。

脆弱な体で滅びゆく体制のトップになってしまい、時代や運命に翻弄される自分をうつけのフリで嗤うしかない家定。アイロニーに満ちていながら軽妙にピエロを演じる家定に血肉を与えた堺 雅人のキャラ造形。人の心には必ずおそるべき裏があり、常に本音をうつろな言葉で隠し、たばかろうとする周囲の権謀術数の中で、何度も毒を盛られながら生きてきた家定さんにとっては、目から鼻に抜ける賢さを持ちつつ、単刀直入に本音しか口にしないまっすぐな女・篤姫は、まさに得がたい相棒で唯一無二のソウルメイトとなるわけだ。当初はよくいる大名の娘だろうと全く関心もなかった御台所に、彼は「疲れた、寝る」の一言で背を向ける。篤姫的には「エ〜〜〜!?」って感じだが、その後昔話を所望された篤姫が、語りだしたと思ったらあっという間に眠ってしまい、今度は家定が「エ〜〜〜〜!?」となる。はははは。篤姫は庭で助けられたときから、夫に対して微かな恋心が芽生えていたのかもしれないが(このシーンの堺 雅人がいいんですねぇ。「チ、しょうがねぇな」という顔でサッと抱き止めると、一拍おいてウツケブリに戻る。絶妙)、家定としては妻にサッパリ興味がなかった地点から、ごく限られた逢瀬の中でこの妻の得難さに徐々に気づき、精神的に深く妻を信頼するところまでが自然に、かつドラマチックに表現されていく。このへんの描き方が上手かったのが良かったんですね、このドラマ。宮崎あおいの子犬みたいな顔+素直さに堺 雅人の上手さがまさにバッチリのハーモニー。何しろ旦那さんは体が弱い。夫婦は寝所で碁ばかり打っている。でも、それでちゃんとコミュニケーションが成り立つ。文字通りの会話だけで、二人は夫婦として分かちがたく結びついて行く。夫婦は何よりソウルメイトである事が大事なんだな、という事がよく分かりますねぇ。実質的に肉体関係があるかどうかなんて、さしたる問題ではない。あればあった方がいいんでしょうけれどね。なくても深く結びついていられるものなのだ。本当のソウルメイトに出会えれば。 でも、二人が唯一白い寝巻きを着たまま抱き合ったシーンは、ほのぼのしつつも迫り来る「別れの時」の予感に満ちて哀切だった。
碁を打つ夫婦堺 雅人の家定公は、とにかく緩急自在の演技で、短命で悲劇的な将軍(歴史的にはうつけ扱いにされてきた将軍)を鮮やかに再構築した。飄々ととぼけていながら、激しい目つきで「誰一人信じない」と言ったり、キリっとしていたかと思えば突如大あくびをしたり、一瞬にしてポーンと真逆の方向に飛躍するその「豹変」の鮮やかさで、韜晦術を用いて世間や周囲を煙に撒こうとする病弱な将軍の複雑な性格を表現していた。その演技はメリハリがあって、柔らかでいながら印象的。ハマリ役は演じる側も嬉しいだろうけど、観ている側にもカタルシスがある。積み重ねたタタミの上でハリスを謁見した時、突如遊び心がきざして歌舞伎の所作で見得を切ってみせるシーンはその真骨頂だった。(またやってしもうた)
様々の事に妻の助言を求めるまでに緊密な夫婦になった二人だが、公方さまが病に倒れると周囲の様々な思惑から二人は逢う事もかなわなくなる。挙句の果て、一応ひとつ屋根の下に住んでいながら、篤姫は臨終に立ち会うどころか、公方さまが亡くなってしまった事すらすぐに知る事はできない。どんなに邪魔が入っても、大奥の慣習を無視して妻に逢いに来た公方さまだのに…。将軍が死んでもその事は暫く公にされず、大奥などにも隠されるものだというのも初めて知った。何かと不自由なしきたりに縛られて気の毒のかぎり。
この長いドラマのキーワードは「家族」。徳川将軍家とそこに関わる人々を拡大家族として捉えた女・篤姫の夫なきあとの奮闘は涙ぐましいが、ワタシ的には家定公がみまかった時点でこのドラマに関しては盛り上がりが収束してしまったので、その後の方が歴史的には激動なのだけど、蛇足という感じで眺めていた。
ただ、このドラマでは徳川慶喜が何か陰険な雰囲気の男として描かれていた気配だったが、ワタシはけっこう慶喜という人は面白いと思っている。確かに毀誉褒貶は激しいし、ぬえのように得体が知れないという雰囲気もあるのだけど、とても頭のいい人だったのだろうな、という感じがするのだ。それにこの人、ハンサムじゃないですの。とっても。
ケイキさん激動の時代に最後の将軍を引き受け、開国から大政奉還、江戸城を明け渡してからは趣味三昧に日々を暮らし、明治半ばに公爵に叙せられ明治政府で政治にも関わるが隠居後はまた趣味三昧。この趣味が写真に狩猟に囲碁に謡曲と多彩。幕末〜明治初期に写真を趣味とするハイカラさんである。その上、長生きで子福者だった。何か、総体に飄々としている。ドラマ「篤姫」で慶喜を演じた俳優は暗い顔つきで陰険なムードを作っていたが、ワタシは堺 雅人演じる家定さんの飄々とした感じと通じるものを慶喜さんも持っていたように思うのだ。そういう人でなければ
「とりたてて言うべきこともなけれども ただおもしろく今日もくらしつ」(文字や仮名遣いなどは不正確です)などという辞世の句を詠んだりはしなかろう。ワタシはこの辞世の句が大好きなのだけど、これ、家定の辞世の句と言われても、ふぅん、そうかなという感じもするでしょ?なんとなく。
2008/12/31 13:07
投稿者:kiki
koikoiさん。独特な持ち味の呑気なコメント、サンクスです。折々楽しんでいってくださいな。ワタシもたまにお邪魔しますわね。来年もよろしく〜。
2008/12/30 16:19
投稿者:koikoi
kikiさん、こんにちわ〜。今年からたま〜にお邪魔するようになった私。いろいろここでお勉強することが増えております、うれしい限り。どうぞ来年もいろいろなこと、読ませてくださいねぇ〜。
来年もよろしくお願いします〜!!
http://ameblo.jp/lm011255
来年もよろしくお願いします〜!!
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