「《御教歌》今こそは うきゝあらしに 吹かるれど 花さく春を たのしみにして」
★朝の御法門
嵐に吹かれて翻弄されそうな苦しく辛い境遇に立つことがあっても、そこが信心の真価を発揮するときです。決定の心を奮い起こして、御法様一筋にお頼みをして、苦難を乗り越えさせていただく、めげず諦めず、努めていく心の大事をお諭しいただく御教歌です。
私たち一人一人が持って生まれた罪障には、それぞれの重さに差があります。蟻一匹踏みつけても、命の重みは大変大きなものと仏様は説かれています。
私たち人間は、どれだけの命をこの一生の間に奪い続けていくのかわかりません。たくさんの命をいただき長らえている人生でありますのに、ただ闇雲に好きなことをやって、自分の思いばかりを追いかけて、人様には迷惑をかけて生きてしまうのが、お互い凡夫の一生であると教えていただきます。
人間誰でも、過去世から積み上げてきた罪障があるゆえに、その一生が全て順風満帆に進んでいるという人は、なかなかいません。少しばかり良いことがあったかと思えば、次の瞬間には奈落の底に落とされるような辛い目にあってしまうという、海に浮かぶ浮木が嵐に弄ばれて、あっちへ行きこっちへ戻されるという具合に、根を張った生き方が出来ないのが、お互い人間の人生です。
誰でも生きている限りは、次から次へといろんな問題が立ちふさがり翻弄されてしまいます。しかし、そんな時、ご信心をしているのに自力で何とかしようとしたり、問題から逃げようとしたりするのでは、ご信心していないのと同じです。
嵐は一瞬弱まることがありますので、世の中の人は、「大丈夫、そのうち何とか収まるだろう」と高を括ってしまいがちですが、大抵の人は何ともならなくなってしまい、益々泥沼にはまってしまい、怒りや苦しみや悲しみに苛まれることになってしまいます。
私たちは、有り難くもこのご信心をいただいているのです。今生から来世に向けて、命の通う間はお題目を唱えて、罪障を消滅させていただいて、他の人をお助けする菩薩行に励み、火にも焼けず人も盗めない功徳を精一杯積ませていただくことが大事と教えていただきます。
罪障がある限り嵐も吹き浮木のように憂えることもあります。それは、耐え忍ぶべき長く辛い冬のようではありますが、このご信心をさせていただくからには、決して乗り越えられない壁はない、必ず温かな花の咲き誇る春を迎えることが出来ます。
仏様ご自身も、この法華経のお題目をお持ちすれば必ず壁は乗り越えられるとお教えくださっています。このお題目のお力を薬王菩薩本事品に次のようにお示しです。
「この経は能く一切衆生を救うものなり。この経は能く一切衆生をして、諸の苦悩をは離れしむるなり。この経は能く大いに一切の衆生にニョウ益して、その願を充満せしむること、清涼の池の能く一切の諸の渇乏せる者を満すが如く、寒き者の火を得たるが如く、子の母を得たるが如く、渡りに船を得たるが如く、暗に灯火を得たるが如く、貧しきに宝を得たるが如く、この法華経も亦復、かくの如し、能く一切の衆生をして一切の苦、一切の病痛を離れ、能く一切の生死の縛を解かくむるなり。」
このみ教えを一心に信じて唱え重ね、仏様のお心を苦しむ人々のもとへ伝えていく菩薩行を貫かせていただけば、確かにご利益の花は咲き始めて、春の訪れを感得させていただくことが出来ると教えていただきます。
御妙判:「法華経を信ずる人は冬の如し。冬は必ず春となる。未だ昔より聞かず見ず、冬の秋とかえること。未だ聞かず、法華経を信ずる人の凡夫となることを。云々」
お祖師様の弟子旦那とならせていただくお互いであれば、苦しむ人を救うことが私たちの使命です。お題目で人をお助けすると言っても、決して簡単なことではありません。人の苦しみや悲しみを時に自分で背負って、我が事のように一緒に悩んで、共に乗り越えてあげる。
「法華経の行者は冬の如し。」辛い冬を一緒に乗り切って、一緒に綺麗な花を咲かせる。冬は必ず春となる。これが、私たち人間の命の使い方、生き方であります。
どうか、これからはもっとたくさんの花を咲かせるんだ、人を助けて行こう、と御宝前にお誓いさせていただいて、益々信心強盛に菩薩行を実践させていただく心掛けの大事をお教えいただく御教歌です。
清水清康師の御法門でした。
(投稿者:K2)