pegaの子育て日記

アスペルガー症候群と言われた自分とその子どもの奮闘気

 
 わたしが出版した本です^^ 20代後半から30代前半まで、心の病気と闘っていました。その闘病記録です。でも、ただの闘病記録ではありません。  「どうして、自殺未遂を繰り返すのか?」「どうして『死にたい』と言って人を困らせるのか」がわかります。  書いていただいた解説は、その先生のカウンセリングを10年分、一度に受けたような内容で、元看護師の自分の知識の限界をはるかに超えた貴重なアドバイスが、あっちのもこっちにも出てきます。  本屋さんで買うには、よほどの大型店でないとありませんが、ぜひぜひ見つけてくださったときには、手にとってみてやってくださいませ。
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投稿者:pega
まだ追加です。

MOMOさんの「3〜4割楽しかったら、6割嫌なことがあっても、楽しい記憶になるようにできてるんだ」の話。なるほどっと思いました。

で、自分を省みてみると、1割?いや、5%の楽しみのために、残りの9割ないし、95%の嫌なことを我慢しているかも???とちょっと思いました。

2000ピースのジクソーパズルをするとき。最初は2000個のピースを色分けすることから始めるんです。で、端のピースを探し、端のピースの色から、順に当てはめて、2000分の1の確率のピースを探していく。
確かに、一個はまれば、2000分の1の喜びはあるのですが、正直なところ、6〜7割進むまでは苦痛でしかない。
でも、それを我慢するのは、最後の100ピースってところまで到達したいからなんですよね。最後の100ピースになると、もう、穴の形を見ただけで、ピースを探せるようになるんです。それに、最後の100ピースは、ものの5分もかからないスピードになります。手に持ったピースがはまらないってこともまずなく、最高の幸せな瞬間なんです。
その最後の100ピース。時間にして5分のために、1900ピースを3カ月もかけて我慢して探す…。これは、100ピースのジクソーパズルでは味わえない感動なんです。

そして、マラソンも…。わたしは走ることが好きなわけでなく、最初の半分はむしろ苦痛で、「今すぐやめたい」のを「完走の感動のため」に我慢します。そして、最後の1kmの幸せなこと^^ 最後の数キロの幸せのために、40キロも我慢するなんて、アホかと言われそうですね^^;

 だから、思ったのですが、もしかして、わたしも、ますみさんも、MOMOさんも、「運動する」という点において、同じくらい不器用なのかもしれないと。というか、ごく一部のセンスのいい人以外は、みんな不器用だとジムで練習していて思います。
 わたしと、ますみさんやMOMOさんとの違いは、「運動が好き」だっただけ。
 前にますみさんは、書いてくれてましたよね。勉強していい成績をとればほめられたから、頑張って勉強したと。
 わたしは、運動を頑張ることができて、ますみさんは勉強を頑張ることができた、ということではないのでしょうか?
 「頑張れることが違っただけ」のように感じるのですが…。違うでしょうか?
 
投稿者:pega
続き

まあ、その楽しみ方が、いいか悪いかという話ではなく、学校の体育教育による弊害で、そのときの嫌な思い出のために、「スポーツを見る」ということさえ「楽しめない」現実に怒っているわけです(「作文教育が子どもを国語嫌いにする」という議論と少し似ているかもです)。

工夫をすれば、できたかもしれない子どもに、努力や根性だけを押し付けた教育に怒っているのです。

でも、一言だけ反論するとすれば、確かに英語ではテストの点数はみんなには知られませんが、一緒に授業を受けていれば、わたしが「まったく英語ができない」ことは、一目瞭然でしたよ。必死で当てられても恥をかかないように予習をしているにもかかわらず、「間違える以前の」自分…。能力別のクラスわけで「下のクラスに入れられた」ときの情けない自分。
その屈辱感は、やっぱり体育でも、英語でも同じだと思うのですが…。わたしも英語の先生に対して、「勉強ができて英語の先生になった人に、英語のわからない気持ちはわかってもらえない」と思ってましたからね。

それに、運動ができる、運動が好きでスポーツに真剣に取り組んでいるわたしも、スポーツをやっている人の中では、究極のといいたくなるほどの、不器用人間なんです。
体を余分に緊張させてしまうために、人よりスムーズに筋肉を動かせない。余分な力が入っている分、疲れる。スピードもにぶる。

大げさにいえば、1年間、毎日毎日同じことを繰り返して、やっと、ちょびっとうまくなれる。

楽器の練習と同じだと思います。入門、初心者、初級者あたりまでは、そこそこのスピードで上達しても、中級から上級は、下手すると維持するのも大変です。

じゃあ、なんでやっているのかといわれれば、「好きだから」「うまくなりたいから」と、今のわたしは「健康を維持したいから」です。

最後は、話がそれてしまいましたが、私が怒っている中味のことは伝わったでしょうか…。

それと、ますみさんのコメント、二つ出ているので一つ消そうとしたのですが、消せませんでした。何かのバグかもしれません。ごめんなさい。
投稿者:pega
MOMOさん、ますみさん、コメントありがとう^^ おそらく同じような返事になりそうなので、お二人に向けてのお返事にさせてください。

まず、今回の記事を書いたのは、運動が苦手だと思っている人に、「運動を好きになってほしい」とか「運動をするようになってほしい」とか思っているわけではありません。
そして、「スポーツを見たくもないくらい興味がない人に、スポーツを見てほしい」と思っているわけでなく、わたしが悲しかったのは、子どものころのスポーツにまつわるトラウマが邪魔をして、興味を感じて(?)見ているスポーツでさえ「楽しむことができない」ということなのです。

運動が苦手な人でも、一流のスポーツ選手がスポーツに取り組む姿を応援したり、挑戦したりするのを応援したり、という形では楽しめると思うんですよ。
わたしは、そういう楽しみ方をすごくする人で、マラソンの高橋尚子選手や、テニスの伊達公子選手、スキーのジャンプの原田雅彦選手、フィギアスケートの伊藤みどり選手など、長く頑張り続けていて、テレビで取り上げられることの多い選手だけですが(知らない人は応援しづらい)、彼らの勝負時には、自分のことのように応援し、成功すれば喜び、失敗すればがっかりし…というような楽しみ方をしています。続く

投稿者:ますみ
こんばんわ。私もスポーツでは学校時代に楽しめたという経験はありません。テストでは成績の悪い人は分からないようにテストを返したりしてくれるのに体育ではできない子供は一目瞭然でできないことに対する配慮がありません。体育の先生はその道のプロなのにできない生徒にどうしてできないかを分析して練習方法を示してくださったりすることは決してありませんでした。ただただ「やる気がない」とか「努力が足りない」とかいう話にしかなりません。私が思うに体育の先生は、もちろん運動のできる人が体育大学とかにいってなるのでどうしても運動のできない人の気持ちが分からないのだと思って諦めていましたが、正規の授業であればそうしたできない生徒に対して必要な分析がされ少しでも運動を楽しいと思えるように導く教育方法が 確立されていないとおかしいと思いませんか?社会人になったときに最初に体育の授業がないからもうクラスメートにお前のせいで負けたとののしられなくてすむなって考えてなんだかとっても嬉しかったのを今でも覚えています。PEGAさんのようにスポーツ好きな人の気持ちとすごい隔たりがあるでしょう。MOMOさんとスポーツの話をして本当に共感できる所が多くてすごく盛り上がった経験があります。運動会で下手な子供を見るとかつての自分の姿を重ねて本当に涙がでるんですよ。36歳にもなってそのトラウマを克服できていない自分を不思議に思います。
投稿者:ますみ
こんばんわ。私もスポーツでは学校時代に楽しめたという経験はありません。テストでは成績の悪い人は分からないようにテストを返したりしてくれるのに体育ではできない子供は一目瞭然でできないことに対する配慮がありません。体育の先生はその道のプロなのにできない生徒にどうしてできないかを分析して練習方法を示してくださったりすることは決してありませんでした。ただただ「やる気がない」とか「努力が足りない」とかいう話にしかなりません。私が思うに体育の先生は、もちろん運動のできる人が体育大学とかにいってなるのでどうしても運動のできない人の気持ちが分からないのだと思って諦めていましたが、正規の授業であればそうしたできない生徒に対して必要な分析がされ少しでも運動を楽しいと思えるように導く教育方法が 確立されていないとおかしいと思いませんか?社会人になったときに最初に体育の授業がないからもうクラスメートにお前のせいで負けたとののしられなくてすむなって考えてなんだかとっても嬉しかったのを今でも覚えています。PEGAさんのようにスポーツ好きな人の気持ちとすごい隔たりがあるでしょう。MOMOさんとスポーツの話をして本当に共感できる所が多くてすごく盛り上がった経験があります。運動会で下手な子供を見るとかつての自分の姿を重ねて本当に涙がでるんですよ。36歳にもなってそのトラウマを克服できていない自分を不思議に思います。
投稿者:MOMO
pegaさん、ありがとうございます。
私の運動音痴は、たぶん、pegaさんの想像を絶するような状態だと思います(爆)。とにかく、原因は、どうも「人が自然と身につけるはずの、力の入れ具合(筋肉の使い方)が分からない」ところにあるようなので(http://diary.jp.aol.com/bfkxuuhuqg4n/215.html)、「失敗するもの」というよりは、「失敗しかしないもの」という感じでした。本当に、不快な日々でした(http://diary.jp.aol.com/bfkxuuhuqg4n/220.html)し、私自身は、スポーツを見ることが好きだったし、「スポーツができる」人に憧れていた(親からは、「勉強より、運動しなさい!もやしっ子になるで」と言われ続けていたので、「元気はつらつ」でないといけない、という呪縛があったのだろうと思います。日ごろは「明朗活発」に振舞っていても、体育になると、てんでダメな状態でしたからねぇ)ので、余計、悲しかったのでしょう。今、学校を嫌がるNANAの気持ちや一歩踏み出せないNANAの心中を察するとき、「もし1日の大半が体育だったら」と想像するようにしています。そんな学校だったら、私なんて、きっと小さくなって、何事にも自信がなく、オロオロしていたでしょうからね。
私のことはともかく、一般論としては「大半は失敗するもの」という発想は大事だと思います、これは体育に限らず、ですけどね。私は、NANAにも、(学生にもですが)「人間は便利な脳を持っていて、3〜4割楽しかったら、6割嫌なことがあっても、楽しい記憶になるようにできてるんだ」と話しています。これに似てるかもしれませんね。
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