2008/4/18
「できるできないではなく、好きか嫌いか」
自分のこと
いかん。考え出したら止まらないモードに入っている…。
英語ができた人に聞いてみたいのですが、わたしが「英語ができなかった」といえば、「それは、努力しなかったからだ」と思いませんか? まあ、相手には言わないでしょうけど。
単語が覚えられなければ、覚えるまで練習すればいいのだし、文法がわからなければ、わかるまで調べればいいのだとか、感じる部分がありません? 「英語でいい成績をとるには、それなりの努力をしたのだ」と思っていません?
わたしは歴史の授業は確かにつまらなくて寝ていることが多くて、授業を聞いていませんでしたから、「努力をしていない」と言われても否定しませんが、英語に関して言えば、わからなさ過ぎるがゆえに、どうにかしなければと思って努力していました。
教科書をノートに写して、予習で和訳をして、授業で正しい和訳に訂正するというのも、ずっと続けてました(試験勉強のときに、ここまでノートをきちっととっていたのが、わたしの友人の中でわたしだけだって、びっくりしたことがあった)。
高校生のときのテスト前日に、試験範囲の単語や文法を、一通り見直していたら「朝になっていた」経験だってあります。
でも、それだけやってもテストで、英語は30点前後しかとれないのです。高3のときに一度、30点のために必死になるのが悲しくなって、まったく英語の勉強をせずに試験を受けたら、一つは5点で、一つは13点だったことさえあります。初めて通知表に赤文字で1がつきましたよ。赤文字は「単位をあげられない」という意味で、あとから考えたら、卒業が危なくなる、恐ろしいことでしたが^^;
電車の中で、英語の先生が「単語は2〜3回書いたら、覚えられる」と言っているのを聞き、耳を疑いました。だって、わたしは30回書いたってあやしいのですから。
わたしは、頭の構造上、無意味にならんでいるものを覚えるのはすごく苦手です。teacupという単語が、文字通りticapとかせめてteicappとかなら、覚えられるのですが、発音と文字が矛盾していることで、人の数十倍、覚えるのに時間がかかるのです。
100回書いて覚えた単語を、すぐに忘れてつづりが怪しくなってしまう気持ちがわかってもらえるでしょうか? どんなに努力しても「わからなかった」悲しさや、悔しさがわかっていただけるでしょうか?
それは、100回練習したって逆上がりができない悔しい気持ちと同種のものではないでしょうか?
逆上がりをするのに、10回の練習でできるようになる人と、30回の人と、100回の人と、500回の人と、1000回の人がいるのかもしれないですね。ちょっとしたコツを教えてもらえることで、1000回が800回になり、500回が300回になるのかもしれません。
鉄棒をするのが、体育の授業中だけなのだとしたら、とても1000回は練習できないですが、わたしの場合、小学校低学年の休み時間は、ずっと鉄棒にぶら下がっていましたし、公園で時間を忘れて鉄棒ばかりしていた時期もあります。
わたしは、逆上がりはできるけれども、それは、もしかしたら「1000回練習したからできるようになった」からであって、「もともとできる体を生まれつき持っていたわけではない」という可能性もあるって言いたいのです。
そして、1000回練習できたのは、ただ単に「鉄棒が好きだった」だけなのです。だから、英語だって「100回書いて忘れたら、2度も3度も100回書いて覚えた」って人もいるでしょう。わたしは英語が嫌いだったから、そこまでのことはできなかった、ということだと思うのです。
それに…。英語ができないっていうのは、進学する上で、ものすごく不利です。私は経済的な理由から大学への進学は「ありえない」と勝手に思って、選択肢に入れていませんでしたが、今から思えば、進学したくても、英語がネックになってできなかったかもなと思います。
ここまで書いてきて、やっとわかった。わたしは「スポーツができるpegaに、スポーツができない気持ちはわからない」と言われるのに、不満があるんだ。
わたしだって「できない」んだよ。「できない」けど「好き」だから、「できるようになりたい」から、努力しているだけ。それだけの違いなんだといいたいんだよ。
だからって、MOMOさんやますみさんが、「努力しなかったから体育が苦手だったんだ」なんて言いたいわけじゃない。人間、嫌いなことを努力するなんて、できないものだと思っているから。
だけど、学校は嫌いなことも「ある程度」の努力が必要なところで。1000回練習しないとできない人にとっては、100回の練習で「できるようになれ」と言われるのは、つらいわけで。しかも、嫌いなことだったら、その100回は苦痛でしかないわけで…。
先生たちは、「嫌いなこと」でも、100回の努力で「少しはできる」経験を子どもにさせてほしいなあと思うわけです。
今は、逆上がりの練習用に道具がありますね。リンク先のは跳び箱などを利用したものですが、隣の隣の小学校のグラウンドに、鉄棒の向こう側に坂道を上って蹴り上げられるような専用の道具が置いてあるのを見たことがあります。
こういう道具で解決できる工夫は、今後もどんどんしてほしいなあと思います。
そして、英語も…。高校1年のとき、習熟度別でクラスを分けて、少人数のクラスにされたとき(10人もいなかったような…)、ただ普通に授業をする先生でなく、一人一人、何につまづいているのか「みようとしてくれる」先生だったならば、わたしの「英語ができない」というコンプレックスは、もうちょっとましになったかなあと思います。そのときの先生は、他の授業と変わらず、黒板の前でしゃべって、黒板に書くだけだったのです。それじゃあ、わかんないから、このクラスにいるのにね…。
それと、わたしの場合、看護学校での英語の試験で、辞書は時間制限付きだけど(始まって30分だったかな)持ち込み可で、文法の教科書は持ち込み可だったんだよ。しかも、余白に何が書いてあってもOKという夢のようなテストで!
そのことを高校の恩師に報告したら、「そりゃあ、そうだよ。実社会では、わからなければ辞書を引いたり、文法の本を調べたりしていいんだから」って。目からウロコでしたね。同時に「もう単語を覚える努力をしなくていいんだ」と思ったときの開放感は忘れられないです。
ついでに、海外旅行に行ったときに「困ったか」というと、わたしの性格上「困りません」でした。まあ、観光旅行レベルという条件付ですが、その気になれば、身振り手振りでなんとかなるなあと^^; ただ、ハワイで日本の学生さんが、現地の人に話している英語でさえ、意味がわからないというレベルではなく、さっぱり何を言っているのかさえ聞き取れないのには、やっぱり劣等感ありましたけど…
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投稿者:pega
MOMOさん、ますみさん。
いえいえ、謝ってもらうことではないです。わたしは、途中から勘違いしてしまっていたのでしょうか。
なんだか、「できる」と思われているように感じたのです。あとで読み返したら「好きな」という表現でした…。すみません。
そもそもは、スポーツ観戦も「楽しめ」ないほどの、トラウマを発生させた学校の体育教育に対して、怒っていたし、悲しかったのでした。
今回の一連の書き込みで、言いたいことの中心は上記のみです。
しかし「ほぼ100%失敗」って…(絶句)。わたしの英語のように、多少なりともリカバリできる機会が、今もってないのは、なんとも言葉がありません。
そして、わたしの「英語ができない」というトラウマも、もしかしたら、自分の想像以上に大きい存在だったのかもしれません(今までの人生では、見ないようにしてきた部分ですし)。
ますみさん、スキーが楽しめてよかったですね^^ スキーも、一緒にすべる人によっては、ひどいトラウマになるんですよ。みんなが先に滑り降りてしまって、下で永延と待たれているのに、自分は何度もこけるし、板が外れるし、あげくに、みんなは待ちくたびれているし…で。
一緒に滑ってくれて、ずっとそばにいてくれた長男に感謝ですね^^
なんだか、感情的になってしまった部分があって、すみませんでした。
私のコメントの中にPEGAさんを悲しくさせてしまった表現があったのかも。すみません。運動についての成功体験がまったくないものなのでついつい・・・・・。でもそういえばこの冬学童のスキー合宿についていった時に上手に滑っているおばあちゃんのような人を見てこれなら私にもできるかもって思いました。そして子供と近くのスキー場にいって高校の修学旅行(このときは無残な結果で友達とけんかまでしてしまって今でもつらい思い出になっていますけれども)以来のスキー靴を履いて滑ってみたら散々こけたけれどもいやではありませんでした。すいすい滑れている長男が横についてコーチをしてくれました。こけても怒られずにちゃんと起こしてくれたりしたので嬉しかったし何よりリフトで上がれるので走るよりは全然疲れませんでした。これってちょっとした成功体験かもしれません。
投稿者:MOMO
pegaさん、私のコメントやレスのせいで、こんな気分にさせてしまったのだとしたら、ごめんなさい。
まず、ちょっと誤解があるかと思うのですが、私は「スポーツができるpegaさんに、スポーツができない気持ちはわからない」と言ったつもりは(少なくとも本人には)ありません。今、そういうふうに受け取られるような表現があったかなぁと少し読み返していたんですけれど・・・とにかく、そういうつもりではありませんし、多分、pegaさんのおっしゃりたいことは最初の記事から一応理解していたつもりです。
そのうえで、「失敗が9割で成功が1割」とか、もっと成功率が低くても、少なくとも成功したことがあって、私の記憶にもクラスメートの記憶にも残っていればともかく、そうではなく、ほぼ100%失敗していたので、ある意味、そういうポジションになったことは仕方ないかなと思っていただけなんです。そしてね、体育の時間以外では、私も、できない人に対して「あぁ、なんで、できないんだろ」と思っていたことがよくありますから、そういう気持ちを持つ人のことも批判する資格がありません。
「楽しみ」とか「好き」という気持ちは、「今度こそ、成功するかも」という可能性がわずかでもあってこそ、持続する話かなと私は思っています。とにかく、大げさな話ではなく、どこの団体に所属しても私より鈍い人は見当たらなかったので、他人にとやかく言われる前に、「ごめんね、私が入ると負けて・・・」という気分になってしまっていたのだろうと思います。工夫次第で、苦手なこともできるようになる、それが特別支援の理想だと思っています。だから、逆上がりの話題をブログで取り上げました。pegaさんのおっしゃっていることとは、そう大きな隔たりはないと思います。