2008/4/27
MOMOさんのブログで、親の想いと子の想いという書き込みがありました。なんとなく、一連のスポーツ観戦関連とつながっているような気もしたし、反応したい話題でもあったのですが、コメントを書きそびれて、亀さんになってしまったので、自分のブログに書くことにしました。
まず、大学でも「保護者面談」があるとは! かなりびっくりでした。そういえば、20年近くも前の話ですが、わたしがまだ看護師をしていたとき、私たちには2連休でさえ年に数えるほどしかくれないのに(正確に言えば、貴重な休みの日も、その日の午前2時、3時まで働いての休みでしたからね。どこかに遊びにいくなんてパワーはありましたけど、何もない日は起きたら昼だったり、夜だったり、下手すりゃ翌朝まで寝ていて、バタバタ出勤したことも!)、自分の娘の大学受験のために上京するからと1週間ほどの休みを、数カ月の間に、婦長が何度もとったのを見て、すごい違和感感じた記憶があるなあ。
だって、自分の看護学校の受験。宿泊申し込みも含めて、願書も全部自分で書いて、一人で行きましたからね(そういえば「先生も親も願書をチェックしてくれなかったのか?」と嘲笑気味に面接で言われた学校があったなあ。落ちたけど^^; )。
だから、「なんで、大学受験に親がついていく?」とすっごい違和感があって。20年前でもそれだから、現代において、大学にまで親がしゃしゃり出てきていても、ちっとも不思議じゃないかもなあ。
で、MOMOさんの「親の想いに応えられなかった気持ち」を読んで、なんだか、すごくせつなくなりました。
父は男の子には「元気で活発でやんちゃで…」というようなイメージが、特にそういう男の子だった父には、強いんだろうなあと感じます。しかし、実際はそうもいかず、わが夫は「子どものころ、男の子というだけで、野球やサッカーが好きだと決め付けられるのが嫌だった」と言ってます。また、自分が「ほしい」といったわけでもないのに、家には野球のグローブやサッカーボールがあったそうです。
そして、わたしの弟も。わたしと性別を代えてほしかったくらい、弟は、外遊びそのものをほとんどせず、スポーツが嫌いで、インドア派で、泣き虫で、ずるがしこいほどの甘えたでした。
わたしはというと、いつも日が長くなる5月6月は、暗くなるまで外で遊んでいて親に叱られた記憶があります(つまり、夜の7時近くまで遊んでいたのかな^^;)。野球が大好きで、高校野球を一日中見ていて、どうして自分は男でないのかと涙していたほどです。そして、高校球児だった父と、何度もキャッチボールをした記憶もあります。
親の想いは、今もって「本当のところはどうだったのか」は知りませんが、私が感じていた親の想いは、「とにかく公立高校へ行ってくれ」でした。そして「早く自立してくれ」というのもありました。中学を卒業すると同時に、父は「義務教育終了宣言」なるものをし、衣食住は保障するけれども、あとは自力でなんとかしろと言われました。
実際、生活はギリギリだったし、わたしが中学生のときには、父が失業して就学援助を受けていたくらいですから。
わたしは「義務教育終了宣言」の言葉を真に受けて、新聞配達をし、奨学金を借り、授業料減免制度まで使って、文字通り「自力」で公立高校を卒業し、看護学校も、奨学金と長期休暇のバイト代だけで卒業しました。
そういう意味で言えば、わたしは「親の想いに応え続けた」子どもでした。応え続けたおかげで、子どものころに「親にせつない」想いをさせることは(たぶん)ありませんでしたが、その分、今「させている」と思います。
なにせ、わたしから一切電話をすることなく、実家に帰ることもなく、親が同意を求めて話しかけてくる(昔のわたしなら、親を安心させるために、親の期待に沿うような返事をしていた)話題に、無言を貫いていますから。
親は、どうして娘は「こんなに冷たくなってしまったのだろう」と思っていると思います。
自分自身も「せつない」けれども、どうしようもありません。もういまさら、わたしの闘病記録を読んでもらって、わたしの本音を知ってもらいたいとも思っていません(逆に、闘病記録を読んでなお、「自分は<親は>悪くなかった」という言葉をわたしに言わせるような反応しか、してこないことは容易に予想がつきますから)。
ただ、以前と違って、親に対して「しょうがなかったのかな」と思える部分が出てきているのは確かです。そして、今のところ、元気に暮らしてくれていることに感謝しています。今のわたしに親の介護問題が浮上したら、親に本音を言ってしまいそうで怖いです。もう10年ほどたてば、親に本音を隠したまま、見送れるような気がしています。
で、また、スポーツの話に戻ってしまいますが、子どものころ、私は「野球がしたくてもできませんでした」。当時でもリトルリーグなら女の子でも入れたようです。しかし、練習場所が遠いのと、経済的な負担の問題で、そこに入れることはありませんでした。
それでも、中学に入学したときには、アタックNO.1の影響も強くあって、バレーボール部に入りました。「厳しい練習を重ねて、レギュラーを勝ち取って、試合に勝ったり負けたり」というイメージとは裏腹に、90人も部員がいたという不幸も重なって、中1の夏休みには、レギュラーになれないグループに入れられ、結局3年間、応援とパスの練習をしていただけの、サボるのも自由、練習するのも自由な、わけのわからない部活になってしまいました(やめるという大きな決断はできない子どもだった)。
そして、高校では、いろいろな人との出会いから、社会問題研究部に入りました。このクラブで得た仲間、経験、知識は、何物にも変えがたいものがあります。後悔はしていませんが、「スポーツに本気で熱中したい」という要求は、わたしの心の奥底にひそんでいました。
だから、病気になって、休職せざるを得なかったとき、表向きは「健康のために」走りはじめました。そして、フルマラソンを5時間前後で走りきったりもしました。でも、このときのわたしは「健全にスポーツを楽しむ」というのとは、かけ離れていました。フルマラソンを完走できれば「自分の中で何かが変わる」と勘違いしていたのです。「何かのために必死で努力する」以外に、選択肢がない、自分の心のありように問題があったなんてゆめゆめ気づいていませんでした。
だから、何度、マラソンを完走しても、自分の中で「何も変わらない」から、だんだん走るのが苦痛になっていき、結局走れなくなりました。
走るのをやめて、1年で10kg太りました。その後、2回の出産を経てさらに5kg。今本気で取り組んでいるスポーツをやり始めたのは、そんな状態で看護師のパートをやめて、自宅で仕事をするようになり、また太りはじめたからです。
始めの2年は、週に1回行くのもやっとの、まさに健康目的でした。お菓子をやめると3kgくらいすぐにやせるけれど、食べるとすぐ戻るので、ダイエットにはならなかったけれど、健康にはプラスになったと思います。
本気になったのはこの1年。試合に出るようになってからです。ところが、スポーツは何でもそうなのでしょうが、本気になって練習すればするほど、「できない自分」に直面します。そして、自分の不器用さを「これでもか!」ってほど、つきつけられます。
あまりの不器用さに、いろいろな人がいろいろなアドバイスをくれるのですが、それを必死に練習していると、「自分の能力以上のことをやろうとしている(つまり、基本もできていないのに、応用に挑戦するな)」と言われたり、「考えすぎだから、何も考えずに無心になれ」と言われたり、だからと考えないように「とにかく運動量を増やそう」と頑張っていたら、「言われたまんま、バカ正直にするのではなく、自分で考えなあかん」と言われ、あげくは「いろいろな人のアドバイスを真に受けるな、自分で考えて、自分にあったやりたいスタイルを見つけていかないと、今のままでは上達できないし、試合に勝つのも無理だ」とまで言われて…。
ひどい言われ方をしているようだけど、冷静に考えてみると、これだけまじめに私が練習して、頑張っているのに、あまりに私が不器用で、試合に勝てる見込みのない戦法しか取れないことに、指導者のほうが「苛立ってしまう」ほど、わたしは不器用なのだという答えにたどり着きました。
ピアノに例えると、わたしの今の力は、両手で「ドレミファソラシド」を同時に、同じ強さで、弾くことができないというレベルなのです。少しでも、ピアノをかじったことがある人なら、これが基本中の基本であること、そして、厳密に同時に同じ強さで弾くのは、意外に難しいことがわかるのではないかと思います。
でも、ね、今やっと子どものころから願い続けてきた「スポーツに熱中する」ことができているのです。やっと自分の「やりたいこと」を見つけたのです。だから、どんなに自分が不器用でも、指導者が苛立つほど上達が遅くても、やめません。
それに、今やめたら、ストレスと脂肪がたまって恐ろしいことになります。そして、究極のところでは、ぶっちゃけ「上達」できなくたってかまわないのです(指導者には口が裂けても言えませんが^^;)。
わたしは「スポーツに本気で取り組みたかった」のであって、ひとつのスポーツで、「ある程度のレベルまで上達したい」わけではないからです。こういうところは、若い人には理解不能かもしれません。日々勝負の世界に向き合っている指導者の人たちにも、理解できないかもしれません。
そりゃあ、上達はしたいですよ。試合にも勝ちたいですよ。でも、それよりも、もっと大切なものがあることをわたしは病気を経験して知っています。
将来の「何か」のために、今の「苦痛」を我慢する生き方。誰かの「何か」のために、自分の「何か」を犠牲にする生き方。昔の私は、この生き方がかっこよくて、すばらしい人生の送り方だと思っていました。
でも、今は違います。「今、自分が満足できる」ことが大切なのです。「自分が自分のために、自分のやりたいことをする」ことが大切なのです。まあ、そうは言っても、子どもの母という役割がある以上、「好きなことだけ」するわけにはいきませんが、それでもね、「時間を作ってでも自分の好きなことをする」のが、今のわたしの生き方です。
最後は、話がそれちゃった感じもしますが、こういう背景もあったのでした^^;

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投稿者:pega
MOMOさん、こんばんは^^
周囲の声、確かにありますよね。学校の先生やお医者さんの子どもは「かしこいはずだ」とか、いろいろ。わたしの子どものころ、自分の親も当たり前のように、その類のことを言ってましたよ。
うちは、私も夫も合唱団を長くやっていたし、夫はピアノやギターの伴奏を、即興でこなすもので、「さぞかし音楽の才能があるのでしょうね」と言われます。しかし、今のところ、二人とも、音楽への興味はそれほど強くないようです。
そして、そうなんですよね。いつまでたっても、親にほめられたいし、認められたいんです。親がそのことにもしも、気づいてくれたら、一気に親を許せるかもです。
ホント、子どものころから、ほめられることはありませんでした。そして、認めてくれたのは、その分強烈に頼りにされるというおまけつきでした。
親が一言「子どもがいい子に育っているね」とか、「頑張って母親しているんだね」とか、言ってくれたなら、わたしの心は一気に氷解するだろうなあと思います。
そして、最後の「案外、親というものは、最終的に、子ども自身が満足しているのなら、その生き方を受け容れる度量を持っている・・・」について。
確かに、そうかもしれないと、今なら感じます。たとえ私が冷たかったとしても、病気から回復した私のほうが、親に優しいけれども治療が必要な私より、自分の親は喜んでいるはずだ、と思います。
だから、これでいいですよね、きっと^^
トラバありがとうございます。
先日の話題の続きのようになってしまうテーマだったので、「蒸し返す」ようで躊躇したのですが、もともと温めていたテーマでもあり、最近、たまたま、こういうことを考える機会もあって、まとめてみました。
記事には書きませんでしたが、親の想いに加え、周囲の声も異常な圧力を持っているだろうと思います。親と子は別人格なのに、親ができることは子もできるだろうとか、本気で思っているわけではなくても、世間の人は簡単に口にしちゃうんですね。それが意外と、子どもを苦しめていたりします。我が家の場合、「NANAくん、お勉強ようできはるでしょ」「御宅は、ご両親が勉強みてあげられるからええねぇ」なんて、言われるわけですが、これはNANAにとって辛いだろうなぁと同情してしまいます。言ってる側に悪意も、特別な意図もないんでしょうけどねぇ、厄介な話です。
私の場合は、何だかだ言って、やりたいことをさせてもらったわけですが、それだけに、「ホントは、親はこうして欲しかったんだろうなぁ・・・」なんてね、言葉の端々から、勝手に感じていたんです。いくつになっても、親に「褒められたい」し、「認められたい」んですねぇ、子どもというものは。だけど、ブログでも書きましたが、案外、親というものは、最終的に、子ども自身が満足しているのなら、その生き方を受け容れる度量を持っている・・・最近は、そう感じています。だから、「自分が満足できること」、それが大事なんですよ、やはり。