今回は数学の話か?いいえ、違います。
方程式と言ったのは我々で言う所の法形の事です。そして応用問題とは技の実際と言うか、運用法とでも言いますか。ただしこれは今、本部が推奨している運用法の事ではありません。もっと自由な、まぁ、自由乱捕りの事だと思ってもらえばいいでしょう。ただし試合ではありません。あくまで学ぶ立場での話です。
今の我々の学び方と言うのは法形が大きなウエイトを占めています。運用法としての自由乱捕りをする道場は少ないと言っていいでしょう。勿論それにはそれなりの理由もあるでしょう。
あまりにも学ばなければならない事が多いと言うか。私に言わせれば多過ぎると言う事なんですが。鎮魂から始まり、学科に柔軟、そして基本に各ランクに応じた法形の習得。勿論この順番の流れは各支部、道院によって若干の違いはあるでしょうが、概ね、これらの事を消化しなければならないと言う事に変わりはないでしょう。それ以外に話好きの先生では長い法話と言うのもあるかもしれません。
そして基本の中には突き蹴りだけではなく運歩法や受身、単演に相対、移動稽古と色々あるでしょう。ですから実際に自分の技をやっている時間なんて限られたものになってしまいます。その上法形の数が多い。それを消化するだけで精一杯でしょう。
そして頻繁に行われる部内や公の演武大会、武専に講習会、それに昇級昇格試験と時間があれば法形中心のメニューばかりです。各道場でもそれらに沿った指導で毎回終わってしまうと言うのが実情でしょう。まして都会では場所が借りられないから週3回を週2回でこなさなければならないと言うような事情もあるかもしれません。
更に言うなら最近は子供が多い。そうなればまたもっと時間がかかり、まして乱捕りなんて危ない真似はやらせられないとなり、それこそ小さい子供の多い所では子守で終わってしまうなんて事になってませんか。しかも自分一人じゃ小さい子供は手がかかり過ぎる、だから助教や助士を総動員して指導に当たらせる。「俺らは子守しに道場に来てる訳じゃねぇ。俺達の練習時間はどうなるんだよー」なんて直接先生には言えませんが、そんな事思う人もいるでしょう。だからまた大人が離れてゆく、そんな悪循環はありませんか。
また先生も子供ばかり相手にしてると大人の相手がしんどくなると言うか疲れてしまいます。勿論技は出来るでしょう。でも乱捕りは遠のいてしまう。こればかりは自分でも普段やってないと体が動きませんからね。それで下手して門下生に一発でも入れられたら面子が立たないと、それでまた余計、形稽古のみに傾いてしまう。そう言う傾向ありませんか。
「なら形稽古の何処が悪い?」となるのかもしれませんが、別に悪くはないでしょう。形稽古、つまり法形とは言わば方程式のようなものです。こう言う場合はこうして、ああ言う場合はああしてと詳しく形に指し示された動きであり、その状況での理想形と言って良いでしょう。またこの方程式なくしては流派の形も技も成り立たないと言う事ですから。
しかしながら方程式はあくまで方程式であって実際ではないと言う事です。実際では方程式にない動きも出てくるでしょう。まして人間の動きなんてものはその場その場で千差万別に変化します。またその一つ一つ、全てに当てはまる万能の方程式なんて存在しないのです。
もし可能性があるとすれば、それこそ全ての状況を網羅する個々の方程式をつくらないといけないと言う事です。でもそんなものを作ったとしたらそれこそ数百、数千ではきかないでしょう。人間一生かかっても覚えきれない数になってしまいます。そんなものがこなせるのはコンピューターの擬似映像くらいのものです。
それでなくても我々の法形は六百数十あるとさえ言われています。それを覚るだけでも大変でしょう。ならそれよりも少ない型しか持たない他の武道では現実に対応出来ないのかと言う事になってしまいます。そんな事はないでしょう。実際、他武道と乱捕りしたり試合をした経験のある人ならよくわかるでしょう。我々よりも型(形)や技の数の少ない所に苦戦し勝てないばかりか負けてしまった経験ありませんか。
勿論個人の資質と言うのもあるでしょうが、技の数、法形の数が勝敗を左右するものではないと言う事です。それは応用問題が解けるかどうかと言う事なのです。方程式をいくら知っていても応用で生かせないようならそんな方程式など知っていても無駄だと言う事なのです。
ところが普段から方程式(法形)漬けになっていると、法形の数さえ覚えれば技が使えると錯覚してしまう事になってしまうのです。つまり形の為の形稽古に終わってしまって、実際その形を生かす為の練習と言うものをやってないと言うかやらなくなってしまっているのです。
先ほども言いましたが法形と実際は違うのです。勿論法形通りの場合もありますが必ずしも法形通りの動きを相手がしてくれると言う保障は何処にもないのです。むしろ自由乱捕りでは法形通りでない方が多いでしょう。
相手はフェイクも使えば形にない攻撃方法で仕掛けてくる事もあるでしょう。それを「おいおい、それは形にないから反則だろう」で殴られますか?形にあろうがなかろうがそれが実際だと言う事です。ならそれに対処出来るように自分で考え努力するしかないでしょう。
その勉強の場を与えてくれるのが乱捕り練習だと言う事です。ここで応用問題をいくつもやり、方程式から応用できる自分の対応力を身につけると言う事です。
方程式(法形)はなくてはならないものです。それも流派としてその正しい法形を身につけなければなりません。流派を継承し維持する為に。でもそれはあくま基礎、基本であって応用ではないと言う事です。そして実際とは応用の場であると言う事です。
にも関わらずあまりにも最近の練習はその方程式に漬かり過ぎていませんか。また、その方程式(法形)を覚えるのに精一杯になってその使い方を怠ってはいませんか。法形の数が多いと言う事は応用へのデーターが多いと言う事で利点でもあり、またその為にその数多い法形を覚える事に精一杯になってしまって応用の為に裂く時間がなくなってしまっていると言う欠点でもあります。
試験の為に覚えなければ仕方がないと言ってしまえばそれまでですが、でも大事なのは試験に通って段位を上げる為に形を覚える事なのか。我々の試験は実際の実力試験ではなく形重視の試験ですから。それとも自分の身や回りの者の身を守る為に使える技を身につける事なのかと言う事でしょう。
まぁ、両方出来ればそれに越した事はないのですが、今の現状ではなかなか難しいでしょう。勿論これだけの会員数を持っているのですから中にはそう言う事の出来る人もいるでしょうが、全体としてのレベルで見ればどうかと言う事です。それはひとえに指導者の認識如何にかかわって来る事でしょう。
で、実際にその応用問題ってどうすればいいんだと言う事ですが、それは簡単です。各支部、道院で自分達の出来る乱捕り練習をやればいいだけです。そんなに堅苦しく考える事もないでしょう。これは本部がやっている公の運用法ではないんですから、規則がどうのルールがどうのと気にする必要はありません。
ルールなんかはその場その場でお互い納得の出来る必要なものを決めればいいだけです。これもの我々の普段の練習の一環なんです。何処にお伺いを立てる必要もない事なんですから。やっている事は真剣でも気持ちの上ではもっと気楽に考えてやればいいのです。その方が怪我は少ないでしょう。
または遊び感覚でも即出来るくらい、そう言う事を馴染ませればいいのです。乱捕り練習なんて特別な事ではないと。ここに一つサンプルを入れておきます。さー果たしていいサンプルなのかどうなのか?それはわかりませんが少なくとも我々はたまにではなく毎回の練習日にこう言う事を楽しんでいると言う事実です。(一応正規の練習が終わってからですが)
今回は相手の為にやってみた実験です。まぁ、ある意味遊びと言ってもいいでしょう。彼が先日テッコンドーの使い手と乱捕りをしてどうしても入り切れなかったと言うので、その状況をもう一回再現して、彼が聞いてきた攻略法を実験してみようと言う事でやってみました。
勿論私はテッコンドーはやった事がないので、同じような技は出せないでしょうが、少なくとも半身からの蹴りと言う事で。私がやった攻撃も少林寺拳法には全くない攻撃方法でしょう。まぁ、足刀はあるにしても、半身の体勢やステップ、そして半身の体勢から出てくる引っ掛けるような半後ろ廻しやフルの後ろ廻し蹴りにその他諸々。これらに対してどう対処するかと言うのが彼の課題でした。
こんなのでもいいのです。要は乱捕りの敷居を高くしないでいつでも楽しめるレベルで簡単に入っていける事が大事なんです。そしてそれが自分の応用力をつける事につながって行くのです。
半身からのサイドキック

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