2009/7/3
ローマ帝国の物語-49 イエスキリストの誕生 ローマ帝国の物語
紀元前63年、パレスチナは、将軍ポンペイウスによって占領され、ローマの支配下に入った紀元前37年には、ローマ元老院の決議に基づいて、ユダヤ人王朝のハスモン王家が廃止され、ヘロデ大王がユダヤ人の王となりましたが、彼はローマ皇帝に従属することを約束して、ユダヤの分封王となることができていたので、ローマの属州である事に変わりはありませんでした。
ヘロデ王は都市の建設を進め、エルサレム神殿を補修、市街や神殿の丘に豪華なヘレニズム様式建築により、エルサレムを古代世界有数の神殿都市にしますが、その一方では重税に苦しむユダヤ人の姿がありました。 紀元前4年、ヘロデ王が亡くなると、王国は3人の息子によって分割統治されましたが、その一人アルケラオスが失政のため紀元6年に追放されると、彼が統治していたエルサレム周辺は、ユダヤ属州として皇帝直轄領に編入され、ローマ総督の直接統治下に置かれました。
ローマの支配は過酷で皇帝アウグストゥスは人口調査を実施して、辺境の寒村まで徴税の網を張り巡らせ、ローマ皇帝、ヘロデ王家一族、祭司や貴族、徴税請負人(属州民から税金を取り立てる役人)による富の独占を図り、パレスチナのユダヤ人は苦しい生活を強いられました。
時代は、アウグストゥス(オクタヴィアヌス)皇帝による、パクス=ロマーナの時代、 イエスは皇帝アウグストゥスによって支配される帝国の辺境に生まれ、そこには日雇い労働者、貧しい小作農民や漁師、羊飼いなど、ローマ帝国の繁栄から取り残された貧しい辺境の農漁村の姿があリました。 当時、ローマ帝国により数年に一度の人口調査が行われ、イエスの母マリアと父ヨセフは登録をするために、ナザレからはるばるベツレヘムにまで旅し、ちょうどベツレヘムに来たときに、イエスは誕生しました。
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ヘロデ王は都市の建設を進め、エルサレム神殿を補修、市街や神殿の丘に豪華なヘレニズム様式建築により、エルサレムを古代世界有数の神殿都市にしますが、その一方では重税に苦しむユダヤ人の姿がありました。 紀元前4年、ヘロデ王が亡くなると、王国は3人の息子によって分割統治されましたが、その一人アルケラオスが失政のため紀元6年に追放されると、彼が統治していたエルサレム周辺は、ユダヤ属州として皇帝直轄領に編入され、ローマ総督の直接統治下に置かれました。
ローマの支配は過酷で皇帝アウグストゥスは人口調査を実施して、辺境の寒村まで徴税の網を張り巡らせ、ローマ皇帝、ヘロデ王家一族、祭司や貴族、徴税請負人(属州民から税金を取り立てる役人)による富の独占を図り、パレスチナのユダヤ人は苦しい生活を強いられました。
時代は、アウグストゥス(オクタヴィアヌス)皇帝による、パクス=ロマーナの時代、 イエスは皇帝アウグストゥスによって支配される帝国の辺境に生まれ、そこには日雇い労働者、貧しい小作農民や漁師、羊飼いなど、ローマ帝国の繁栄から取り残された貧しい辺境の農漁村の姿があリました。 当時、ローマ帝国により数年に一度の人口調査が行われ、イエスの母マリアと父ヨセフは登録をするために、ナザレからはるばるベツレヘムにまで旅し、ちょうどベツレヘムに来たときに、イエスは誕生しました。
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2009/7/1
ローマ帝国の物語-48 パクス=ロマーナ(ローマの平和) ローマ帝国の物語

パクス=ロマーナ(ローマの平和)時代の領土
ローマの領土拡大は、アウグストゥスの時代までに既に終了しており、紀元1世紀にローマが新たに得た領土は、ブリタニア属州だけで、西はイベリア半島、北はドナウ川、そして東はユーフラテス川まで領土を拡大し、そのほとんど全ての地域を平定する事に成功し、ローマ市民が永年夢見てきた「パクス=ロマーナ(ローマの平和)」が達成。
これにより、ローマ市民たちは、帝国からさまざまな恩恵を受け、仕事に没頭できるようになり、はるか遠い土地まで旅しても、盗賊や海賊に襲われる心配はなく、どこに行ってもローマにいるときと同じ待遇を受け、空前の平和と繁栄を享受できるようになりました。
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2009/6/28
ローマ帝国の物語-47 アグリッパ ローマ帝国の物語

マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ(Marcus Vipsanius Agrippa, 紀元前63年 - 紀元前12年)
アグリッパは、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(オクタヴィアヌス)の右腕で、少年時代に軍事的素養と実直な性格をカエサルに見込まれ教育を受け、17歳で生涯の親友、上司となるオクタヴィアヌスに仕えました。 軍事的才能に欠けたオクタヴィアヌスがローマ皇帝になれたのは、彼のおかげで、オクタビアヌスの軍事的成果は、ほとんどアグリッパがあげたものです。 アウグストゥスに後継者と見込まれ、その娘ユリアと結婚しますが、紀元前12年に亡くなりました。
アグリッパの業績は軍事にとどまらず、ローマ市内のパラティヌスの丘に建造された神殿パンテオン(Pantheon)も、紀元前25年にアグリッパによって建設されたものです。
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2009/6/27
土星の衛星に塩水の海 科学技術

土星の衛星 エンケラドゥス 大量の水蒸気(塩分濃度max2%)が噴出している様子
土星の衛星「エンケラドゥス (Enceladus, Saturn II) 」の南極の地下には、塩水でできた海が存在する可能性が高いことが6月24日、英科学雑誌「ネイチャー」に掲載された論文により明らかとなりました。 明らかにしたのは、独マックス・プランク研究所のフランク・ポストベルク(Frank Postberg)博士を中心とする研究グループであります。
エンケラドゥスは、水(H2O)が液体の状態で存在し得るための熱源があること、また、今回の調査結果によりその水にはミネラルの成分が含まれていること判明したことを受けて、エンケラドゥスの地下に存在する海には生命が誕生している可能性も高まってきたと考えられます。
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2009/6/25
ローマ帝国の物語-46 アウグスブルグ ローマ帝国の物語

ドイツ ロマンチック街道
ロマンチック街道の北の端は、ヴュルツブルグで、江戸時代に来日した医学者シーボルトが生まれたところで、レントゲン博士が1895年にレントゲン線を発見したのが、ヴュルツブルグ大学です。 そして、ロマンチック街道に最古で最大の、アウグスブルグという街がありますが、紀元前15年にローマ皇帝アウグストゥス(=オクタヴィアヌス)が、ローマ属州の軍事拠点として築いたのが名前の由来で、古くから交易で栄えた街であります。 ロマンチック街道の最南端の街はフュッセンで、シンデレラ城のモデルとなった世界一美しいノイシュヴァンシュタイン城があります。
ローマ帝国の物語-45 オクタヴィアヌス
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/909.html
ローマ帝国の物語-44 共和制ローマまとめ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/908.html
ローマ帝国の物語-43 アントニウスとクレオパトラ-3
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/907.html
ローマ帝国の物語-42 アントニウスとクレオパトラ-2
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/906.html
ローマ帝国の物語-41 アントニウスとクレオパトラ-1
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/905.html
ノイシュヴァンシュタイン城
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/53.html
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2009/6/24
ローマ帝国の物語-45 オクタヴィアヌス ローマ帝国の物語

Gaius Julius Caesar Octavianus, 紀元前63年9月23日〜紀元14年8月19日
ローマ共和制復帰宣言から、わずか3日後の1月16日、かつてユリウス・カエサルの副官であったムナティウス・プランクスが、オクタヴィアヌスに「アウグストゥス(尊厳なる者)」の称号を贈ることを提案し、元老院は満場一致で国の全権を掌握するよう懇願。 これにより共和制は、オクタヴィアヌスが巧妙に偽装しつつ、元老院議員達には気付かれないうちに終焉し、ローマは帝政へと移り、初代ローマ皇帝アウグストゥスが誕生します。
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2009/6/24
ローマ帝国の物語-44 共和制ローマまとめ ローマ帝国の物語

Senetus Populusque Romanus (ラテン語:ローマの元老院と市民)
共和制ローマとは、紀元前509年に第7代王タルクィニウス・スペルブスを追放し共和制をしき、紀元前27年のアウグストゥス(オクタヴィアヌス)による帝政開始までの期間をいいます。 この期間に、ローマは、地中海世界の全域を支配する巨大国家に成長しました。
まさにローマ激動の時代で、ケルト人来襲、カルタゴとのポエニ戦争、奴隷スパルタクスの反乱、カエサル(シーザー)、アントニウス、クレオパトラ、オクタヴィアヌスなど、映画の題材にもなった出来事が多くあります。
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2009/6/19
ローマ帝国の物語-43 アントニウスとクレオパトラ-3 ローマ帝国の物語

クレオパトラと息子のカエサリオン(プトレマイオス16世)の壁画
エジプト ハトホル神殿
アクティウムの海戦では、優勢であったクレオパトラ・アントニウス軍でありますが、クレオパトラの気まぐれで、クレオパトラ率いるエジプト艦隊が戦線離脱しますが、決して逃げたのではなく、彼女はエジプトまで退却して戦うつもりで、作戦会議での決定を実行したに過ぎませんでした。 しかしながら、クレオパトラにぞっこんのアントニウスはそれを勘違いし、彼女の船を追いかけ戦場を去り、残されたアントニウス軍は総崩れとなり、300隻以上もの軍船がローマ側に捕獲されました。 オクタヴィアヌスは乗員の生命は助けたましたが、エジプト船と明らかな船は、戦利品として船首を切り離した後で、炎上させました。
パトラスにいたアントニウスの陸上軍は、それでも8日間、司令官を待ちましたが、アントニウスから何も連絡はなく、兵士たちはついに9日目、助命を約束したオクタヴィアヌスに降伏しました。
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2009/6/17
ローマ帝国の物語-42 アントニウスとクレオパトラ-2 ローマ帝国の物語

■アクティウム海戦 Lorenzo A.Castro
アクティウムの海戦とは、紀元前31年9月にオクタヴィアヌス軍とクレオパトラ・アントニウス連合軍の間で行われた海戦で、戦場がイオニア海のアクティウム(現ギリシア共和国Punta)沖であった為、この名がつけられました。
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2009/6/15
ローマ帝国の物語-41 アントニウスとクレオパトラ-1 ローマ帝国の物語

■クレオパトラの饗宴 Francesco Trevisani (1702) ,Galleria Spada, Rome
クレオパトラを詰問し、罰しようと考えていたアントニウスは、クレオパトラと食事をするうちに彼女に一目惚れしてしまいます。 この絵は、その饗宴を描いたものですがアントニウスが主催したものとクレオパトラが主催したものが、どちらが豪華な饗宴かを競ったもので、決して好意のための饗宴ではなく、敵対する饗宴であります。 クレオパトラが数億円はすると言う高価な真珠をビネガーに溶かし込み、金のかかった饗宴としてクレオパトラが勝った話の一場面です。
結局、アントニウスは、クレオパトラを罰するどころか、エジプト、シリア、フェニキア、そしてキプロスまで与える約束をし、そのままクレオパトラと一緒にガレー船でエジプトへ赴き、1年以上その地で暮らしました。
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