http://www.unicef.org/

2012/2/11

自然との共生と堤防  環境・エネルギー
クリックすると元のサイズで表示します
鳥海山(出羽富士)


昨年の3月11日に、東北大震災があり、その津波により、多くの人々が死傷しました。 このような災害を二度と起こすまいと、高い防波堤建設が計画されていますが、現地の方々はお気づきでないかも知れませんが、東北地方の海岸線と山々の自然の美しさは、小笠原諸島と並び、日本に数少なく残っている美しい景観を持つ場所なのです。  


続きを読む
6


2012/2/9

邪馬台国と卑弥呼-200  蘇我氏  邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
石舞台古墳(いしぶたいこふん) 蘇我馬子の墓とする説が有力


蘇我氏の本拠地は、大和国高市郡曽我(現在の奈良県橿原市曽我朝)で、近鉄曽我駅を下車したところに式内社「宗我坐宗我都比古神社(そがいますそがつひこじんじゃ)」があります。 また、この神社から東南500mほどのところに、曽我玉作遺跡があり、このあたりは大和朝廷の祭祀をつかさどった忌部氏の本拠地とも重なるので、忌部氏と蘇我氏の親密な関係がうかがえます。



邪馬台国と卑弥呼-145  台与 と ヒスイ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1521.html
邪馬台国と卑弥呼-146  蘇我氏 と ヒスイ    
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1522.html
邪馬台国と卑弥呼-147  蘇我氏 と台与(とよ)
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1523.html



続きを読む
5

2012/2/5

邪馬台国と卑弥呼-199  葛城氏  邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
葛城山


武内宿禰を始祖とする出雲系と思われる葛城氏は、奈良盆地の南西に位置する金剛・葛城・二条山麓に広がる葛城地域を本拠に、倭国(大和)王権の執政官である大臣(おおきみ)として5世紀代に大きな権勢を誇りました。

葛城氏は、応神天皇、仁徳天皇、履中天皇、雄略天皇に娘を妃として差し出し、天皇家の姻族としても不動の地位にあった豪族です。



邪馬台国と卑弥呼-190  出雲は神々の流刑地
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1572.html
邪馬台国と卑弥呼-196  伊勢-大和-出雲 レイライン
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1578.html
邪馬台国と卑弥呼-192  三輪山とヤマタノオロチ 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1574.html  


続きを読む
5

2012/2/4

日本を元気にして下さい 嘉門先生  宗教・思想・哲学・文学・芸術

民主党政権になって、右をみても左を見ても暗い話ばかりの日本。 ここは、一発、大阪府茨木市が生んだ天才、嘉門先生に元気をつけてもらいましょう。


混乱する民主党
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1410.html


嘉門達夫SP天賦の才能9-1
http://www.youtube.com/watch?v=j-XmUHsXixc&feature=related
嘉門達夫SP天賦の才能9-2
http://www.youtube.com/watch?v=sf02YJPU30I&feature=related
嘉門達夫SP天賦の才能9-3
http://www.youtube.com/watch?v=PuRQIkJ_k-M&feature=related
嘉門達夫SP天賦の才能9-4
http://www.youtube.com/watch?v=ANjP4axq20Y&feature=related
嘉門達夫SP天賦の才能9-5
http://www.youtube.com/watch?v=l5ZlOtk2BA0&feature=related
嘉門達夫SP天賦の才能9-6
http://www.youtube.com/watch?v=Ut5tcK7G9_E&feature=related
嘉門達夫SP天賦の才能9-7
http://www.youtube.com/watch?v=9IsRWvO03yg&feature=related
嘉門達夫SP天賦の才能9-8
http://www.youtube.com/watch?v=pZ09XA8-knw&feature=related
嘉門達夫SP天賦の才能9-9
http://www.youtube.com/watch?v=xfVcALOumhY&feature=related


続きを読む
6
タグ: 嘉門達夫 日本 元気

2012/2/1

クリックすると元のサイズで表示します
理化学研究所と富士通が開発した、世界最速のスーパーコンピューター 「京」
民主党の蓮方議員に事業仕分けで、事実上開発凍結のレベルまで大幅に予算削減。
NECは開発途中で撤退。 NECは後日、理化学研究所に損害賠償金を支払った。


1980年代のNECは輝いており、C&C(コンピューター&コミュニケーション)のキャッチフレーズの下、半導体をはじめとする最先端技術の開発は世界トップレベル。 そして会社の業績もいずれは松下やトヨタを抜いて日本No.1の企業になる事が期待されるほどでした。

ところが、NECは、2012年1月26日、3月期の連結業績見通しが1000億円の当期赤字になり、グループで外注含め1万人の人員削減を行うと発表。 最近では、コンピューター、通信、半導体など全てがガタガタで、当時のNECの凄さを知る者にとっては、悲しくなってしまうような凋落ぶりです。
続きを読む
16
タグ: 政治 国際関係 企業

2012/1/31

邪馬台国と卑弥呼-198  漢氏と秦氏   邪馬台国と卑弥呼

神功皇后の三韓征伐の後、皇后は北九州で誉田別尊(ほむたわけのみこと=後の応神天皇)を産み落としますが、応神天皇の時代から雄略天皇の時代に、多くの渡来人がやってきました。

その渡来人の代表格が、東漢氏(やまとのあやし=倭漢氏)と秦氏です。 どちらも単一の支族を表すものではなく、複数の渡来系支族の総称で、その出自は、自称ではあるものの、中国の偉大なる帝国である、漢王室の末裔、また秦の始皇帝の末裔としています。

どちらも自称なので怪しいと思われますが、学会では大和朝廷が渡来人を受け入れる際に、中国の有名な王朝名である漢・秦になぞらえて秦氏(はたし)・漢氏(あやし)と分類した可能性は大いに考えられるとしているようです。

ちなみに、漢氏は大和を本拠地とした東漢氏に対して、河内を本拠地にした西漢氏(かわちのあやし)も存在しました。

続きを読む
2

2012/1/29

邪馬台国と卑弥呼-197  安曇氏と呉    邪馬台国と卑弥呼

安曇氏のルーツは、中国春秋時代の呉であります。 呉は紀元前473年に越に滅ぼされますが、その主力は、南船北馬で知られる、優れた航海術を持つ海人族であり、この海人族は越への強い復讐心を抱きながら、日本に逃れてきました。

彼らは根拠地を現在の福岡県福岡市東区の志賀島に置き、越への強い復讐心をエネルギーに源に、軍資金稼ぎと越の情報入手のため、船を使って中国大陸および日本列島各地で交易をはじめますが、同時に稲作、味噌、醤油、納豆、餅、鵜飼、金属器、養蚕技術が日本列島に伝わります。 いわば、彼らが弥生時代の基礎を築くことになります。 



邪馬台国と卑弥呼-32  安曇(あずみ)氏
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1279.html
邪馬台国と卑弥呼-144  越の子供たち
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1520.html
邪馬台国と卑弥呼-82  呉音と漢音
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1384.html
邪馬台国と卑弥呼-84  呉服と蚕
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1386.html
邪馬台国と卑弥呼-85  銅鐸のルーツ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1387.html  
稲作伝来
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1247.html
邪馬台国と卑弥呼-24  稲作と海人族 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1271.html


続きを読む
3
タグ: 日本 天皇 神道

2012/1/27

邪馬台国と卑弥呼-196  伊勢-大和-出雲 レイライン  邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
伊勢神宮レイライン : 伊勢神宮-三輪神宮(大神神社)-出雲大社が直線に並ぶのに注目


もともと天皇家は三輪山信仰で、その皇祖神は高皇産霊神(タカミムスビノカミ)でしたが、7世紀の天武天皇の時代に伊勢神宮での天照大御神(アマテラスオオミカミ)を皇祖神とし、アマテラス信仰となります。

出雲が大和朝廷に国譲りを行い、その見返りに大国主命が巨大な出雲大社をつくって欲しいと天孫族にお願いしたとされますが、それなら出雲大社の建造は3〜4世紀以前でなければなりません。 それどころか、出雲大社の名称は明治に4年に改名されたもので、それ以前は、杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれ、「出雲国造家文書」よれば、杵築大社がつくられたのは霊亀2年(716年)の事としています。  すなわち、杵築大社(現在の出雲大社)がつくられたのは8世紀の事で、ちょうど記紀神話がつくられた時期と一致しているのです。 古事記の完成は712年、日本書紀が完成したのは720年の事であります。

また、出雲風土記には、記紀神話にあるヤマタノオロチの話も、オオクニヌシの国譲りの話も無く、建御名方命や事代主神の神社のみならず、イザナミを祀った神社すらないのです。

これらの事実は、記紀神話がつくられている時期に、伊勢神宮や杵築大社(現在の出雲大社)がつくられ、三輪山からみて、太陽が昇る東側に太陽神を祀る伊勢神宮、それに対比するかのごとく、太陽が沈む西の根の国、出雲に杵築大社が建てられたという事で、

杵築大社(現在の出雲大社)の歴史は神話どころか浅く、大和に拠点をもっていた出雲族を流刑し、記紀神話で根の国と記述したのにあわせるようにつくられたといえます。 

そして、上の図にあるように、伊勢神宮と三輪神宮と杵築大社(現在の出雲大社)が一直線に並ぶよう設計され、記紀神話がつくられている時期に、天皇家に反逆する三輪山を本拠とする出雲族の大物達(神々)が、次々と出雲に流刑となったと推測されます。 

だいたいにして、敗北した側の本拠地に、立派な神社を建てるわけがありません。 いつ反逆ののろしがあがるかも知れないからです。 この巨大な大社は、流刑となった出雲族に対し天皇家の力を誇示するもので、また隠岐之島に流刑となった反政府勢力の人々にもいつも見張っているぞといわんばかりの誇示ではないでしょうか。 私は、流刑地の出雲には、数多くの監視員がいたと思いますが、今後の研究に期待したいところです。



続きを読む
3

2012/1/26

邪馬台国と卑弥呼-195  宗像一族と出雲一族  邪馬台国と卑弥呼

出雲大社建造がひそかに計画されたと思われる文武天皇二年(698年)、筑前国宗形郡の郡司、宗像氏に、出雲国意宇郡の郡司、出雲氏とともに、「三等巳上の親が連任することを許す」という詔が下されている。 一郡における一氏族の横領をふせぐために、近い親戚の連任を禁止していたが、宗像氏と出雲氏だけは例外が許されたというわけである。 この場合、意宇郡の郡司は、その特権の見返りとして神々の流竄の宮、杵築大社(現在の出雲大社)建造の任務が与えられている事は明らかである。

                                          神々の流竄 梅原猛




邪馬台国と卑弥呼-190  出雲は神々の流刑地
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1572.html
邪馬台国と卑弥呼-191  出雲大社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1573.html
邪馬台国と卑弥呼-192  三輪山とヤマタノオロチ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1574.html
邪馬台国と卑弥呼-193  稲羽の素兎 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1575.html
邪馬台国と卑弥呼-194  白村江の戦い
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1576.html
邪馬台国と卑弥呼-77  因幡の白兎伝説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1326.html
邪馬台国と卑弥呼-76  ヤマタノオロチ伝説
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1325.html
邪馬台国と卑弥呼-65  出雲国風土記と記紀神話の不一致
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1313.html
邪馬台国と卑弥呼-64  阿波 多祁御奈刀弥神社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1312.html
邪馬台国と卑弥呼-63  阿波 伊射奈美(いざなみ)神社 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1311.html



 
続きを読む
3

2012/1/22

邪馬台国と卑弥呼-194  白村江の戦い  邪馬台国と卑弥呼
クリックすると元のサイズで表示します
白村江の戦い


天智天皇の白村江の戦いでの惨敗は、日本の歴史の大きな転換点となり、もともとの皇祖神は三輪山のタケミムスヒでありましたが、その後の天武天皇の時代に伊勢神宮のアマテラス信仰がはじまります。

その白村江の戦いとはどういったものなのか、また勘違いされている人が多くいるようなので、日本人のルーツ、稲作のルーツ、日中朝の関係についてもDNAなどの科学的分析結果やそれぞれの国の正史に裏付けられた、正しい歴史を述べたいと思います。




続きを読む
11


Powered by teacup.ブログ “AutoPage”