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2010/1/8

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伊勢神宮 内宮
http://www.iseshinwa.com/#


伊勢神宮には太陽を神格化した天照大御神を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう)と衣食住の守り神である豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀る豊受大神宮(とようけだいじんぐう)の二つの御正宮があり、皇大神宮を内宮(ないぐう)、豊受大神宮を外宮(げぐう)と呼びます。

祭神は、内宮は天照大神で御神体は八咫鏡(やたのかがみ)、外宮は豊受大御神。 この組み合わせは、卑弥呼とトヨと言われていて、鏡は自分の顔をみるものではなく、太陽光を反射させ太陽神のシンボルとしていたのです。


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三角縁獣文帯四神四獣鏡レプリカ(椿井大塚山古墳出土)




由緒は、内宮は伝垂仁天皇26年(紀元前4年)で、太陽神イエスキリストが誕生した年であります。 伝垂仁天皇25年から、天照大神を鎮座させる地を求め旅をし、一時的に鎮座された場所を元伊勢(もといせ)といいます。  そして最後にたどり着いたのが、現在の五十鈴川(いすずがわ)の畔に斎宮(いつきのみや)五十鈴宮という名で鎮座することになりました。 このイスズもイエズス会等、イエスキリストを連想されるものがあります。 


この神社が移動する旅は、まるでモーゼがエジプトから脱出し、イスラエルに到着するまでの神殿の移動を連想させられます。  


また、古代地中海文明では太陽神信仰があり、エジプトではホルス神、ローマ帝国ではミトラ神、そしてローマ帝国でキリスト教が公認されたのが、コンスタンティヌス帝によるミラノ勅令(AD313年)で、面白い事に上記の太陽神(ホルス、ミトラ、キリスト)はみんな誕生日が12月25日で、十字架に架けられ死んでから3日後に蘇ります。

これは偶然ではなく、太陽神信仰では神は12月25日に生まれ、死んでから3日後に復活する必要があるのです。  どういうことかといえば、太陽は東から昇り西に沈みますが、太陽の位置は夏は高く、冬は低いところにあります。  12月21日の冬至で昼と夜の時間が同じになり、太陽の高さが12月22日、23日、24日と最も低い位置に留まり、12月25日に太陽の位置は再び高くなってゆきます。 そして、オリオン座の真ん中にある3つの星が、古代地中海文明では三博士とも呼ばれ、この3つの星と、明るく輝くシリウスが直線状に並び、その線を延長すると地平線と交わる場所から12月25日に太陽は昇ります。  また、この明るく輝くシリウスが、イエスキリスト伝説のベツレヘムの星であります:明るく輝くベツレヘムの星に導かれ東方の三博士が太陽神イエスキリスト誕生を祝福にいくのです。  これが、太陽神の誕生日が12月25日であり、一度死んでから3日後に復活するという神話になってゆくわけです。

イエスが生まれたときには、ローマ帝国はミトラ教が最も勢力を誇っており、コンスタンティヌス帝もミトラ教信者でしたが、キリスト教が民衆に深く浸透したために、キリスト教を国教としないことには帝国を治める事ができなくなっていたので、キリスト教を国教に定めました。 そのため、今まで信仰していたミトラ教や、帝国内の神々との整合をとる必要があり、イエスキリストの誕生日を12月25日と決めたのは、コンスタンティヌス帝なのであります。 新約聖書を読めば分かりますが、イエスキリストの誕生日が12月25日であるという記述はありません。  すなわち、キリスト教というのは、ローマ帝国の天才学者たちがあつまり、それまでの宗教を総合し体系化したものであるがゆえ、後に世界的な宗教になったともいえます。


ローマ帝国の物語-93  クリスマス  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/970.html



伊勢神宮には式年遷宮といって、原則として20年ごとに、内宮(皇大神宮)・外宮(豊受大神宮)の二つの正宮の正殿、14の別宮の全ての社殿を造り替えて神座を遷しますが、このとき、宝殿外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の殿舎のほか、装束・神宝、宇治橋なども造り替えられます。



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伊勢神宮  新たに造り替えられ、白く輝く御正殿 (平成五年 第六十一回式年遷宮)

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伊勢神宮  式年遷宮


伊勢の遷宮―第61回神宮式年遷宮―1
http://www.youtube.com/watch?v=6pWrR_H3VLk&NR=1
伊勢の遷宮―第61回神宮式年遷宮―2
http://www.youtube.com/watch?v=wsg3tHbrnWw&feature=related



このような風習は中国や朝鮮半島にはなく、日本独特なものですが、何故に20年で、何故に遷宮をしなければならないのか、説明できる人がいるでしょうか。  

古代イスラエル人はモーゼに率いられ、エジプトを脱出し、荒野を放浪していたとき、幕屋と呼ばれる移動式の神殿をもっており、彼らは宿泊地を移ると、幕屋を解体し、新しい宿泊地で再び組み立て、こうして幕屋の遷宮が行われてきました。

幕屋は 「契約の箱」 と呼ばれる、神の神聖なる箱を安置するための宮で、約束の地カナンに入ってからも、契約の箱は移動しました。 そして、契約の箱が一ケ所にとどまる最大期間は20年であったのです。  これは、旧約聖書の記録にあり、20年の後に契約の箱は移されてゆきます。

「その箱が、キルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、20年になった」                                        −第一サムエル記 第7章2節−


また、日本神道には 「三種の神器(鏡、剣、勾玉)」 があり、伊勢神宮には、三種の神器の一つである「八咫鏡」を安置するための宮で、その鏡を入れる箱を「御船代(みふなしろ)」 といいますが、古代イスラエルにも 「三種の神器」 があり、契約の箱に入っていました。  そして、「御船代」、「契約の箱」、「ノアの箱船」 もラテン語で、どれも「Ark(アーク)」 であるという共通点があります。


神輿 と 聖櫃(Ark)-1
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/273.html
神輿 と 聖櫃(Ark)-2
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/274.html
神輿 と 聖櫃(Ark)-3 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/275.html
祇園祭 山鉾巡行
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/928.html



そして、もっと驚くお話をしてさしあげましょう。



2000年前までエルサレムの神殿でなされていた警備の仕方が、ミシュナ(古代ユダヤの律法学者の口伝・解説を集めたタルムードの本文)にかかれていますが、警備員のパトロールの仕方、交代の仕方、交代の儀式、人数などが詳しく書かれていますが、なんと伊勢神宮に伝わるの警備の仕方が全く同じであったのです。  これは何を意味しているかといえば、伊勢神宮の創建には、古代イスラエルの幕屋やエルサレム神殿に熟知していた人たちが関わっていたと推測されるわけであります。


この話は、イスラエルの主席ラビ(シュロモ・ゴレン)が日本にやってきたとき、大学で日本神道の先生に、伊勢神宮の警備について質問し、答えが返ってきたときに、あまりの驚きに、顔が青ざめ、ぱったりとペンの動きを止めてしまったというエピソードです。



また、伊勢神宮に行けばわかりますが、古代イスラエルのダビデ王の紋章(ダビデの星)が刻まれた石灯籠が数百基、内宮と外宮の間の道を埋め尽くしています。  この石灯篭は、神宮奉讃会が寄贈したものであり、木藤石材工業という兵庫の会社が製作にあたりました。 そして依頼者側の代表として当時の神宮庁長官である故二荒氏と奉讃会会長の故森岡氏によって詳細の指定がなされたもので、ダビデの星は伊勢神宮の奥宮である「伊雑の宮」の正式な紋章でもある事からも、古代イスラエルとの関係を感じずにはおれません。


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伊勢神宮には、「神馬(しんめ)」がいますが、太陽神である天照大神に捧げられた馬であります。  しかしながら、生きた馬を生贄として捧げていたのではお金が持たない事と、野蛮である理由から、これが後に馬の絵を描いた板となり、そこに願い事を書くようになりましたが、これが今日の 「絵馬(えま)」 であります。  

実は、これも古代イスラエルの習慣で、旧約聖書には太陽に捧げる馬について、こう記されています。  「ついで、ユダヤの王たちが太陽に献納した馬を、前庭にある宦官ネタン・メレクの部屋のそばの主の宮の入り口から取り除き、太陽の車を火で焼いた」  −列王記U第23章11節−



伊勢神宮は、太陽神である天照大神を祀っており、その御神体は八咫鏡と前述しましたが、この鏡の表面にはヘブライ語が書かれているという噂が以前からあり、明治時代の文部大臣・森有礼(もりありのり)が、八咫鏡の裏面にヘブライ語で次のように刻まれていたのを見たといっております。  「エヘイェ・アシュル・エヘイェ」(我は在りて在る者)の意味で、神ヤハヴェのことであります。     −旧約聖書 エジプト記 第3章11節−


その後も、八咫鏡を見たのが、元エリート海軍将校の矢野祐太郎で、彼が書き写したスケッチが残っており、ヘブライ語らしき文字が書かれているのが分かります。



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伊勢神宮は、太陽神を祀ってあるだけあって、天文学を駆使した設計となっています。  例えば、伊勢神宮内宮の宇治橋では、冬至の日に、大鳥居の真正面から朝日が昇るよう設計されており、



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日本の元旦の初日の出といえば、伊勢神宮の近くの「二見が浦の夫婦岩」からの初日の出ですが、夏至には富士山の向こうから昇る初日の出を拝む事が出来、冬至には夫婦岩の間から昇る月を見ることができます。



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アマテラスは、日本語で天(アマ)を照らす(テラス)という意味で、まさしく太陽の光を表す言葉ですが、実はヘブライ語でも同じ意味である事を皆さんはご存知でしょうか?

ヘブライ語のシャアマ(天)が訛りアマになり、テラスはヘブライ語のテラトゥ(照明)が訛ったもので、ヘブライ語で 「シャアマ・テラトゥ」 は 「天の照明=太陽神」 を表し、
卑弥呼(日巫女)= 天照大神の、シャアーマンなども言葉としてよく似ています。




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2013/12/11  22:45

投稿者:住吉安来
 摂津国人はまったく反省がないのでより過酷なステージになってしまいます。

2013/4/27  22:17

投稿者:山洞金物店
 私も職業柄、出雲に憧れます。

2012/11/19  22:28

投稿者:水戸武家
 いろんなこといっても21世紀になっても摂家神道が生きていることは、出雲王が生きていることも是認せざるおえない不気味なこと。天皇陛下にすべてを集めたのが明治革命だったとすれば、いまさらやんごとなき摂家などと片腹痛い。

2012/5/6  22:22

 出雲大社よかったです。巫女さんも丁寧で。伊勢神宮は逆にここに行っちゃいけないあそこに行っちゃいけないと禁止項目が多すぎてくたびれました。
 国家神道を率いた、汚点でもあるんですかね。いずれにしても天皇自体が神で、伊勢神宮は摂家神道とよばれる、公家の最高権威のお宮なので、それほど世間がいうような高級神社ではない。出雲大社のほうがやはり格が上だと今回行って感じました。

2011/12/16  15:39

投稿者:「エヘイェ・アシュル・エヘイェ」は
(אֶהְיֶה אֲשֶׁר אֶהְיֶה [’ehyeh ’ăšer ’ehyeh])、と書くようですね。

2011/5/1  16:14

投稿者:館1578
私の家の紋は通常鞠鋏と言われるものですが余り多くはないようです。これは蹴鞠の鞠を固定する道具がその起こりと考えていたところそうではなく古墳時代の鏡の裏にある模様がその起こりと言う記述を見てびっくりしました。この六角形、何となく日本離れした感じで或は??と考えたりします。

2010/11/12  18:29

投稿者:3.14
自身は、イスラム系民族の血が日本の象徴である
天皇家に混ざっている。のかどうか知りませんが
そのようなことを思わせる事実があるという
ことを聞きました

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