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2006/2/12


私個人の意見ではありますが、時代の経過と共に、発展を加速度化させる日本の強さの秘密は、「宗教からの自由」を持つ事により、既存の古めかしい宗教的戒律から解き放たれ、フレキシブルに外来の文明や文化を取り入れる事ができた結果ではないかと考えています。


その世界で初めて、「宗教からの自由」を実現したのは、飛鳥時代の偉大なる思想家、聖徳太子(571−622)の「神仏儒習合」思想から始まったものと思われます。


また、当時の緊張する東アジア情勢の中において、独立国家としての日本のアイデンティティを確立させ、内部抗争を終結させ、天皇を中心とする中央集権体制を構築し、「隋の皇帝」に対抗し、「日本(日出ずる処=日の本)の天皇」という概念を生み出し、隋と対等の立場で外交しようとしたのも、聖徳太子の発想です。 


正式には、天皇という称号は、同じく飛鳥時代の、天武天皇(在位673−686)の時代に成立し、日本という国名が最初に定められたのは、701年施行の大宝律令とされています。


奈良時代に入り、710年に「日本書紀」が編纂され、神代から持統天皇までの、日本国家としての正式な歴史書が出来上がりました。 日本書記は、三巻で構成され、巻一から巻二には神話、巻三には神武天皇から持統天皇までの歴史が記されていますが、


ここに、天皇家は神格化され、天武・持統天皇の時代から、日本は国家として安定し、時代を経る毎に、驚異的な発展を遂げていく事になります。



正月は神社で初詣、神道で結婚式を挙げ、仏教を葬式で行い、クリスマスはキリスト教徒と同じように祝いながら、実際は仏壇の中には祖先の位牌があり祖先崇拝をしているという、一見滅茶苦茶に見える日本人ですが、そこには聖徳太子のしっかりとした「神学」思想に裏打ちされている物があるのです。 でなければ、場当たり的な事ばかりしていたのでは、個人としても国家としても安定せず、今日のような世界でトップクラスの科学技術や経済力を持つ事はできなかったでしょう。


また、私見ではありますが、天皇制というものは、隋と対等な外交を行う為の、日本国家としての、権力の中央主権化という意味合いのみならず、日本国内の安定化を図る為の、安全機能である事を既に説明しましたが、これについては記紀神話も大きく関係しているように思います。 



それらについての所見を、仏教伝来、聖徳太子の思想と共に、順次紹介してゆきたいと思います。





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