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2012/1/27

邪馬台国と卑弥呼-196  伊勢-大和-出雲 レイライン  邪馬台国と卑弥呼
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伊勢神宮レイライン : 伊勢神宮-三輪神宮(大神神社)-出雲大社が直線に並ぶのに注目


もともと天皇家は三輪山信仰で、その皇祖神は高皇産霊神(タカミムスビノカミ)でしたが、7世紀の天武天皇の時代に伊勢神宮での天照大御神(アマテラスオオミカミ)を皇祖神とし、アマテラス信仰となります。

出雲が大和朝廷に国譲りを行い、その見返りに大国主命が巨大な出雲大社をつくって欲しいと天孫族にお願いしたとされますが、それなら出雲大社の建造は3〜4世紀以前でなければなりません。 それどころか、出雲大社の名称は明治に4年に改名されたもので、それ以前は、杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれ、「出雲国造家文書」よれば、杵築大社がつくられたのは霊亀2年(716年)の事としています。  すなわち、杵築大社(現在の出雲大社)がつくられたのは8世紀の事で、ちょうど記紀神話がつくられた時期と一致しているのです。 古事記の完成は712年、日本書紀が完成したのは720年の事であります。

また、出雲風土記には、記紀神話にあるヤマタノオロチの話も、オオクニヌシの国譲りの話も無く、建御名方命や事代主神の神社のみならず、イザナミを祀った神社すらないのです。

これらの事実は、記紀神話がつくられている時期に、伊勢神宮や杵築大社(現在の出雲大社)がつくられ、三輪山からみて、太陽が昇る東側に太陽神を祀る伊勢神宮、それに対比するかのごとく、太陽が沈む西の根の国、出雲に杵築大社が建てられたという事で、

杵築大社(現在の出雲大社)の歴史は神話どころか浅く、大和に拠点をもっていた出雲族を流刑し、記紀神話で根の国と記述したのにあわせるようにつくられたといえます。 

そして、上の図にあるように、伊勢神宮と三輪神宮と杵築大社(現在の出雲大社)が一直線に並ぶよう設計され、記紀神話がつくられている時期に、天皇家に反逆する三輪山を本拠とする出雲族の大物達(神々)が、次々と出雲に流刑となったと推測されます。 

だいたいにして、敗北した側の本拠地に、立派な神社を建てるわけがありません。 いつ反逆ののろしがあがるかも知れないからです。 この巨大な大社は、流刑となった出雲族に対し天皇家の力を誇示するもので、また隠岐之島に流刑となった反政府勢力の人々にもいつも見張っているぞといわんばかりの誇示ではないでしょうか。 私は、流刑地の出雲には、数多くの監視員がいたと思いますが、今後の研究に期待したいところです。




邪馬台国と卑弥呼-195  宗像一族と出雲一族 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1577.html
邪馬台国と卑弥呼-190  出雲は神々の流刑地
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1572.html
邪馬台国と卑弥呼-191  出雲大社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1573.html
邪馬台国と卑弥呼-192  三輪山とヤマタノオロチ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1574.html
邪馬台国と卑弥呼-65  出雲国風土記と記紀神話の不一致
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1313.html
邪馬台国と卑弥呼-64  阿波 多祁御奈刀弥神社
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1312.html
邪馬台国と卑弥呼-63  阿波 伊射奈美(いざなみ)神社 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1311.html

邪馬台国と卑弥呼-134  伊勢神宮とタカミムスヒ(高木神) 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1509.html
邪馬台国と卑弥呼-135  伊勢神宮 心の御柱 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1510.html
邪馬台国と卑弥呼-136  伊勢・尾張氏 と 火明命
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1512.html
邪馬台国と卑弥呼-137  天の羽衣伝説 と 伊勢神宮
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/1513.html











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2012/2/4  12:23

投稿者:mirai
初めまして。私は『記紀』だけが歴史書ではなく、中臣氏が「神武天皇の東征」という出来事をキッカケとして誕生した一族であることを秘した書であると考えればいろんな謎というか矛盾は解けると思っています。これを前提とすれば『紀』神代下は神武天皇の九州勢力と敵対するニギハヤヒ(天照大神)とナガスネビコ(高皇産霊命)の近畿勢力側からの視点で「神武天皇の東征」を語ったものであることになります。それと「国譲り」ですが、これは最後の最後で中臣氏の氏神タケミカヅチがオオクニヌシを帰順させていることがヒントであり、その前で登場していた天照大神(ニギハヤヒ)と「国譲り」のオオクニヌシが同一人物で、スリカワリのあったことがわかるのです。神武天皇の侍臣天種子命は中臣氏の遠祖とあり、宇佐家口伝では神武天皇と天種子命は同一人物であることを明らかにしています。

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