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2006/5/9

マリー・アントワネット  国際政治・金融・企業
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マリー・アントワネット・ドートリッシュ
(Marie Antoinette d'Autriche, 1755年11月2日 - 1793年10月16日)


オーストリア帝国・ハプスブルク家のマリア・テレジアと、その夫で神聖ローマ皇帝のフランツ1世の間の娘(第9子)として生まれ、結婚前のドイツ語名はマリア・アントーニア(Maria Antonia)。

政略結婚にて、フランス国王ルイ16世に嫁ぎ、王妃となるも、フランス革命でギロチンによる処刑で、革命の露と消える。  享年37才





彼女ほど、ユダヤ人の革命家たちによって、王家を倒す為のプロパガンダにうまく利用されてしまった王妃はないでしょう。

また、同時に歴史に残された敗者側の人物像など、勝者が自らを正当化するために、捻じ曲げているという、当たり前の事が理解できておらず、ウソの情報を未だに信じているのが、多くの日本人であり、それを正していないのが、サヨク主義的捏造に凝り固まった日本のメディアです。

そうして、ヨーロッパに旅行や、ビジネスに来ては、自分達のもつ、数少ないマリー・アントワネットに関しての誹謗中傷の言葉を、知ったかぶりで現地人に一生懸命に話して、現地の人の感情を害し、その無知ぶりを馬鹿にされている姿は滑稽でもあり、今後の政治外交的にも望ましい物ではありません。

日本で伝えられる有名な逸話として、群集が食べる物がないといって、お城に迫ってきたとき、マリー・アントワネットが、「パンがないなら、ケーキを食べればいいのに」 と発言したというエピソードがありますが、これは完全な作り話です。

また、放蕩を象徴するプロパガンダとして、 「ダイヤモンドの首飾り事件」 がありますが、これにしてもユダヤ人のヴァイスハウプトのヤラセであり、25万ルーブルの価値があるといわれる首飾りが、彼女の知らないところで注文され、宝石商が注文どおりに、マリー・アントワネットに納めに現れたとき、彼女は全く身に覚えがないと言い切っています。  さらに、悪質にもバルサモが、これを世間に流布した後、ウソを上塗りし、この問題の首飾りは、王妃の愛人が彼女の恩寵に対する感謝のしるしとして贈ったものであるとする印刷物を、何万部も市中にばらまきました。  

こうして、彼女の名誉と名声は、革命家達の悪質な捏造情報により、汚され、評判は踏みにじられる事になります。

愚かにも真に受けた民衆達は、王妃への憎悪と殺意を抱くようになり、ギロチン台で彼女の首をはねた後、その首をもって、市中で引きずり回したのでした。

この首飾りは、フランス革命の後、イギリスに持ち込まれ、解体され、高価なダイヤモンドの粒の大半は、ユダヤ人のイライアソンの手元に置かれる事になりました。

フランス革命の直接的な原因となった財政難は、宮廷の浪費もありますが、それよりも比べ物にならないくらいの、ルイ14世時代からの戦争による出費です。 

1667−1668年   ネーデルランド戦争
1672−1678年   オランダ侵略戦争
1701−1714年   スペイン継承戦争
1754−1763年   イギリスとの北米植民地戦争
1775−1783年   アメリカ独立戦争
1789−1799年   フランス革命

とどのつまりは、この北米の植民地戦争でイギリスに破れ、またアメリカの独立戦争に巨額の支援をしたことにより、

フランスの国家財政は、収入が5億ルーブルに対し、支出が45億ルーブルと、支出が収入の約9倍と大赤字を抱える事になり、

食べる事にも事欠くようになった民衆の不満と怒りが爆発し、フランス革命は起こったのであり、彼女の浪費など、たかが知れた物くらいである事は、常識で考えても分かる事です。
 
この度重なるフランスの戦争で、大儲けをしたのは、フランス政府に戦争資金を貸し付け、軍事物資などを調達していた、宮廷ユダヤ人であったことは言うまでもありません。


ユダヤ人と金融
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/169.html


また、マリー・アントワネットは、仮にも中世ヨーロッパを約600年間にも渡り支配していたハプスブルグ家の娘で、母親は、義務教育を導入し、教育に力を入れていた女帝マリア・テレジアです。



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マリアテレジア(Maria Theresia von Österreich, 1717年5月13日 - 1780年11月29日)



マリー・アントワネットは、ドイツ語、イタリア語、フランス語が出来ましたが、37才にもなる彼女が 「食べる物がなくて、パンがなければケーキを食べればいいのに」 などと、よほどの馬鹿扱いするほどのレベルであった人物であったかどうか? また、こういった流布は、勝者の革命家たちによってつくらてたものではないのか? という疑問くらい、すぐに頭の中で回るのが、普通という物です。

革命家たちの嘘のプロパガンダによってもたらされた、深い苦しみに耐え抜いた不屈の精神、ギロチン台で取り乱す事なく、最後まで王妃として気高く気品を持ち続け、運命に立ち向かい命を捧げだしたマリー・アントワネットの潔さと勇気は、決してふしだらな人間の性質ではありません。

むしろ、子供でも分かるような、単純なプロパガンダに簡単にのせられ、彼女の事を辱める言葉を、何のためらいも無くはいてしまう、品格を失ってしまった我々日本人の姿こそ、笑われるべき存在である事に気付くべきでありましょう。


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2006/5/12  6:44

投稿者:Renaissancejapan
風薫さん、

きっと、マリアントワネットが、風薫さんに本当の自分を知ってもらいたくて、ささやいていたのかも知れませんね。

マリーアントワネットにまつわる有名な話には、モーツアルトが6歳の時に、ウィーンのシェーンブルン宮殿で、マリアテレジア御前演奏をした時に、マリーにプロポーズしたという微笑ましい話が残されています。

2006/5/11  21:44

投稿者:風薫
大変、興味深く読ませていただきました。先日、パリを訪れ、マリー・アントワネットが処刑前に幽閉されていたコンシェルジュリを見学に行って参りました。ギロチン台にかけられた王妃、悲劇の王妃ということ以外、詳しい知識のなかった私でしたが、何かそれ以上の事を知っておかなければならないような気持ちにさせられ、そこで売られていたマリー・アントワネットという分厚い本を、英語であったのにもかかわらず、思わず購入しておりました。まだ、その本を開く機会がなく、本棚に並べられたままでおりましたが、こちらを読ませていただいて早速紐解いてみようという気持ちにさせられました。

http://diary.jp.aol.com/x6j9yw24w/

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