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2008/4/7

フリーメーソン-79  アラビアのロレンス  フリーメーソン
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Thomas Edward Lawrence ( 1888 - 1935 )

アラビアのロレンスとして映画のモデルにもなったトーマス・エドワード・ロレンスは、イギリスの軍人です。 第一次世界大戦でオスマントルコ帝国は、ロシア帝国に対抗するために、三国同盟(ドイツ、オーストリア、イタリア)側にたって参戦しました。 そこで、イギリスはオスマントルコの支配下にあったアラブ人を味方に引き入れ、大戦後にはアラブ人の独立国家を約束し、オスマントルコとの戦いを有利にしようとしました。 この時、アラブ人をオスマントルコと戦わせるためにイギリスから送り込まれたのが、トーマス・エドワード・ロレンスです。



1885年に、ドイツのダイムラー(Gottlieb Wilhelm Daimler)がガソリンエンジンで動くオートバイを開発し、1886年にはドイツのベンツ(Carl Friedrich Benz)が世界で初めての実用的なガソリン動力の自動車を発明しました。 以後、1926年にダイムラー社とベンツ社は合併し、ダイムラー・ベンツ社ができました。

1892年には、ドイツのディーゼル(Rudolf Christian Karl Diesel)がディーゼルエンジンを発明し、安価な石油や重油を燃料としたこのエンジンは世界中に広まってゆきます。

イギリスで蒸気機関が発明され、産業革命を引き起こしましたが、ガソリンエンジンやディーゼルエンジンの発明により、小型で馬力のある機械がつくれるようになり、石油が注目を集めるようになりました。

これらの発明により、ドイツの科学技術や産業は発展し、ドイツの勢いは留まることを知りませんでした。 そんな中、1903年にはドイツ海軍が初めてディーゼルエンジンを装備した潜水艦を進水させ、世界を震え上がらせることになります。

翌年には、ルーマニアの油田に進出を果たし、 「 ドイツ石油 」 を設立しますが、ロスチャイルド vs ロックフェラー vs クルップ(ドイツ) の三つ巴の利権戦争に発展してゆくことになりました。

話が長くなるので、ここで詳しくは述べませんが、急発展を遂げるドイツを警戒したイギリスやロシアは、ドイツが石油を調達するのをことごとく邪魔をします。  石油が無ければ、いかに優秀なクルップの軍艦も役に立たなくなるからです。 この頃、船舶用の燃料は、すでに石炭から重油へと一大転換をとげていたからであります。 

ドイツはバクダット鉄道の株を握って、油田開発権を手に入れましたが、わずか2年という期間しか開発が許されず、またロシアではバグー油田に代わってグロズニー油田も脚光を浴びましたが、そこで許された開発は、イギリス12に対してドイツは1という不公平にドイツは苛立ち、1912年の 「 トルコ石油 」 の紛争解決法によって、数年間にわたって争われてきた石油利権は、イギリスが75%に対してドイツは25%という形で決着がつけられ、解決法どころか火に油を注ぐ結果となってしまい、ドイツの怒りは頂点に達してしまいました。

イギリス、フランスとしては、莫大な石油が埋蔵するオスマントルコ帝国を、何としてでも自分たちのものにする必要があり、 


マクマホン宣言
1915年10月に、イギリスの駐エジプト高等弁務官ヘンリー・マクマホンが、アラブ人の領袖であるメッカ太守フサイン・イブン・アリーとフサイン=マクマホン協定(マクマホン宣言)結び、イギリス政府はアラブ人がオスマン帝国との戦争に協力することを前提
に、アラブ人の独立を承認すると約束しました。


バルフォア宣言
第一次世界大戦中に、フリーメーソンであるイギリスの外務大臣アーサー・ジェームズ・バルフォアが、イギリスのユダヤ人コミュニティーのリーダーであるライオネル・ウォルター・ロスチャイルド卿に対して送った書簡で、パレスチナにユダヤ人の国家を樹立することを宣言したもの。


サイクス・ピコ協定
1916年5月にイギリス、フランス、ロシアの間で結ばれた、オスマン帝国の領土を分割する秘密協定で、イギリスの中東専門家マーク・サイクス (Mark Sykes) とフランスの外交官フランソワ・ジョルジュ=ピコ (François Georges-Picot) によって原案が作成されたもの。


上記の3つの約束が、イギリス外交の3枚舌と言われているものであります。


石油で動くエンジンが開発されてしっまたが故、莫大な石油が埋蔵されているオスマン帝国は欧米列強に狙われ、第一次世界大戦で敗戦国となったオスマン帝国は解体し、トルコ革命を経て、現在のトルコ共和国に至っております。

イギリスとフランスの中東分割は、1920年4月のサン・レモ会議でほぼ確定していましたが、1923年にトルコ共和国がローザンヌ条約に調印したことで正式に分割されました。


ローザンヌ条約
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/48.html


フランスの勢力範囲となったシリア地方からは後にレバノン、シリアが独立し、イギリスの勢力範囲からは後にイラク、クウェートなどが独立することになりました。


アラビアのロレンスこと、トーマス・エドワード・ロレンスは、アラブ人に完全自治権を与えることを交換条件に、アラブ人の支持を取りつけてトルコ軍を敗北させ、1917年にエルサレムを奪回しますが、英国陸軍のエドマンド・ヘンリー・ハインマン・アレンビー将軍はアラブ人を裏切り、多くを知りすぎたロレンスは、いつもオートバイで通っていた道を横切るよう、一本の電線が張られ、それに引っかかり、1935年5月19日に亡くなりました。  ロレンス、享年46歳。


何故、ロレンスは死ななければならなかったのでしょうか、それは第一次大戦中の対英支援の交換条件としてイギリスがアラブに行なった領土保全の誓約を立証できるロレンスが生きているかぎり、イギリスにとっては都合が悪かったのです。






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