renaissancejapn@aol.com

2008/8/12

フリーメーソン-147  フリーメーソンとは何か-22  イルミナティ  フリーメーソン
クリックすると元のサイズで表示します


1770年代にドイツに伝播したフリーメーソン活動ですが、インゴシルシュタット大学の教会法教授のアダム・ヴァイスハウプトが1776年5月1日にバイエルンで極めて特異な結社である啓明社(イルミナティ)を創設しました。  そして、この秘密結社の創設に当たり、資金援助を行ったのが、ロスチャイルド財閥の祖、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(1744-1812年)です。  ちなみに、アメリカの独立宣言が行われたのは同じ年の1776年7月4日であります。




フリーメーソン-7  イルミナティ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/597.html
フリーメーソン-9  グラントリアン(大東社) 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/599.html
フリーメーソン-145 フリーメーソンとは何か-20 (大東社とフランス革命)  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/739.html
マリー・アントワネット
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/202.html



ヴァイスハウプトは、1777年に自らフリーメーソンに入会し、イルミナティをフリーメーソンの組織と運営を模して再編しましたが、ヴァイスハウプトと共にイルミナティの再編に参加したのが、フォン・クニッゲ男爵とヨハン・クリストフ・ボーデで、ともに1764年にフォン・フントが創設した 「 厳しい戒律の儀礼 」 に属するフリーメーソンでありました。

イルミナティ設立の目的は、社会的な平等主義の徹底と、会員の徳性の高揚によって社会改革を目指すことにあり、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテやゴットフリート・ヘルダーなど多くの著名な文学者や知識人の関心を引き付け、モーツアルトの 「 魔笛 」 の成立に影響のあった、ウィーンのフリーメーソン運動の指導者で鉱物学者のイグナーツ・ボルンもイルミナティの流れを汲んでいます。


フリーメーソン-11  オーストリア  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/601.html
フリーメーソン-12  モーツアルト
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/602.html
フリーメーソン-13  魔笛
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/603.html


イルミナティは古代の密儀を模範としており、 「養成」 「フリーメーソン」 「密儀」と三段階に区分された位階には、密儀という名称が直接使用されており、第三位階はさらに 「小密儀」 と 「大密儀」 の二段階に区分されています。

古代趣味は会員名にも顕著に現れており、ヴァイスハウプトはスパルタクス、クニッゲはピロンという独自の会員名を持っており、さらにインゴルシュタットはエレウシス、オーストリアはエジプト、ウィーンはローマと呼ばれていました。

また彼らは独自の暦を持っており、月名も独特な名称がつけられていました。 会員は暗号を使用して手紙を交換していましたが、フリーメーソンのロッジを意味する□という記号はこのイルミナティによって最初に使用されたものであります。

イルミナティの急進性に不安感をもったキリスト教会は、バイエルン選帝侯を動かして、1784年にイルミナティ禁止令を出させることに成功し、多くの会員は投獄されるか、ヴァイスハウプトのように国外に脱出し、一時は2000名以上の会員を誇った結社も、18世紀末までには消滅してしまいました。

しかしながら、ヴァイスハウプトは世界最大の秘密結社組織「フリーメーソン」に逃げ込むようにして入会を果たし、その後フリーメーソンのロッジでも最高位に登りつめ、フリーメーソン内にイルミナティ組織をつくり、フリーメーソンは変質してゆく事になりました。

フリーメーソン側も、この危険思想のヴァイスハウプトを追放しようともしましたが、時既に遅く、既に強大な力を持ったヴァイスハウプトを追い出すことはできず、1782年7月16日にイルミナティとフリーメーソンの間で会談が行われ、協議の結果、イルミナティは正式にフリーメーソンの中のひとつの派とすることになったのです。

そして、実質的に彼のイルミナティがフリーメーソンを飲み込み、フリーメーソンはフランス革命に大きな役割を果たすようになります。

特に、ヴァイスハウプトは、ルイ16世やマリーアントワネットを罠に嵌め、ダイヤモンドの首飾り事件でも、マリーアントワネットが何も知らないところで、発注され、それが飢えに苦しむ民衆の怒りを買うことになりますが、これは全てヴァイスハウプトの罠であった事が今日では知られるところとなっております。

フランス革命は、様々な要因によって引き起こされましたが、そのもっとも大きな要因はルイ14世の時代から続く戦争による出費が引き起こした財政難で、フランスの人々が飢えに苦しんだからで、一般論ではマリーアントワネットの無駄遣いがあげられていますが、戦費に比べれば知れたものであります。


ルイ14世からのフランスの戦争は以下の通りです。


1667−1668年   ネーデルランド戦争
1672−1678年   オランダ侵略戦争
1701−1714年   スペイン継承戦争
1754−1763年   イギリスとの北米植民地戦争
1775−1783年   アメリカ独立戦争
1789−1799年   フランス革命


とどのつまりは、この北米の植民地戦争でイギリスに破れ、またアメリカの独立戦争に巨額の支援をしたことにより、

フランスの国家財政は、収入が5億ルーブルに対し、支出が45億ルーブルと、支出が収入の約9倍と大赤字を抱える事になり、

食べる事にも事欠くようになった民衆の不満と怒りが爆発し、フランス革命は起こったのであり、彼女の浪費など、たかが知れた物くらいである事は、常識で考えても分かる事です。

  
フリーメーソンが、国際陰謀事件の黒幕であるという通俗的な誤解は、1797年にバリュエル神父が 「 ジャコビニズムの歴史の覚書 」 を出版し、フランス革命とフリーメーソン、特にイルミナティとを結びつけたことに遡ります。

ちなみに、フランス革命が勃発したのは1789年7月14日で、ルイ16世がコンコルド広場(革命広場)で処刑されたのが1793年1月21日、マリーアントワネットが後ろ手に縛られ肥料運搬車で市中を引き回された末に、ギロチンにより処刑されたのが、同年の10月であります。

トルストイの 「 戦争と平和 」 に於いても、イルミナティの立場に近いことを理由に、主人公ピエールの思想が危険思想として攻撃される場面があり、19世紀には既にフリーメーソンを危険視する見方が定着していた事が分かります。

イルミナティが、フリーメーソン史に於いて特異な位置を占めるのは、その目的と理想をはっきりと表明し、社会的にも影響を及ぼした唯一のフリーメーソン組織であった為です。 そういう意味では、イルミナティは極めて特異な存在であったと言えます。



フリーメーソンとは何か  まとめ  
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/770.html






-------------------------------------------------------------------------













2


※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ