http://www.geocities.jp/yaya_ftrack/_____Contents/Fish/FreshwaterFish.html
このアドレスは、私のもう一つのひそかな趣味の記録です。
この頁は、このF'Trackを訪れてくださるほとんどの方に、見向きもされないのでしょう。やはり鉄分と海水は合間見えないものかもしれません。どうしてそんな頁の案内をトップ頁に載せているか自分でも不思議に思う事がありますが、別に鉄道関連話題の種が尽きたからでも、自分の趣味の広さを誇っての事でもありません。
ただただ私は海が好きなのです。分けもなく潮風に惹かれるのです。良く考えてみればまったく理由がないわけではなかった事に気が付きました。三つ子の魂何とか、とよく言いますが私は生まれてすぐから5歳になるまで伊豆半島に疎開していました。今時の方に疎開などといってもぴんときませんが、戦時下の世の中では身を守る為に都会を離れたのです。当時我が家の家業は材木問屋でしたから深川の木場という所に住んでいました。いわゆる下町です。
その場所は海には近かったのでしょうが家の周りを水路が取り囲んでいました。材木を運んだり貯木したりするための水路でした。
私は生まれて半年もしないうち伊豆の方に疎開しましたから、故郷の木場の事を知る良しもありませんが、水辺に住んで居た生活は水への親しみを 体に深く焼き付けてしまったのかもしれません。
伊豆での生活は子供の私にとって夢のような毎日でした。大海をはるか下に見渡す事のできる傾斜した広い芝生の感触は不思議と今でも忘れていません。当時住んでいた場所は海を見下ろす小高い山を背にしており、我が家がその一番高い所にありました。
裏山にも泥だらけになりながら何度も転げ落ちながら上った事を体が覚えています。
一本道を漁師町まで下りていくと、浜では良く地引網を引いていました。朝早くにそれを手伝うと何匹かの躍る魚を手渡されました。
私は単にそのロープに触って本職の邪魔をしていただけでしたが。
昼の浜辺には良く網が干してありそこからは周りよりもいっそう強い潮の香りを感じていました。目に焼きつくような白い砂浜は昨今ではあまり見られないのかも知れません。単に私が当時の思い出を美化しすぎてしまったのかもしれませんが。
白い砂浜にただ一人座って時の流れをむさぼるのが好きでした。当時はかもめも低い空を飛んでいたように記憶しています。
時は経ち、大人になってからは長いこと東京都の一番南のはずれに住みました。そこは道路事情がすこぶる良く、車を飛ばして逗子、葉山、鎌倉、江ノ島、大磯へ出かけました。いつ行く時も手荷物は何も持たず、一本のコークのビンをぶら下げただけでした。海風に舞い上がる砂が肌に当たって痛い事もありました。日焼け止めもそこそこにただその場所にじっと留まっていたかったのです。当時江ノ島あたりの海はかなり汚れていました。昔の澄み切った藍色に輝く海水は見られませんでしたが、それも良しとしました。江ノ島に渡り小山を登って大海側の海岸へもよく行きました。岩がごつごつと荒削りな角をむき出していました。岩には所々潮溜まりがあり、その中に小さな生き物を何度も追いました。
当時はただただ夢のような時間が過ぎていき、ちょうどその頃から居ても立ってもいられず家で海水魚を飼うようになり、まず飼ったのはネコザメというサメの一種でした。
そこから先の遍歴は、最初にお知らせしたURLの頁に記録しています。
海水水槽は高々数十センチで、大海の一かけらを切り取った物のようです。しかしそれは私の心を硬くつかんで二度と離しませんでした。
ウエッブに載せている内容は本当に初歩的で、何一つ珍しい物はありませんが、そこから私の夢を拾い上げていただけたらどんなに素晴らしい事かと思い、あの頁を作りました。

1