アーキ・レヴュー 第3期(2005−06)
テーマ/モダニズム建築のハードコア
堀口捨己、あるいは建築における「日本的なもの」
建築における、「日本」___
その、余りに自明すぎるがゆえに誰一人として輪郭を与えることができなかった難問に、日本近代建築史における、唯一人の「西欧的な建築家」が挑戦した ___
日時:2005年10月15日(土) 16:00-18:30
場所:INAX大阪・8階会議室
会費:500円・事前申込不要
詳しくは:
http://page.freett.com/archireview/index2.html
今年初めのアーキ・レヴュー 第2期 「広島ピースセンター/丹下健三」でも気になった、「建築における日本」。
今回は堀口捨己氏をネタに、さらに突っ込んで考えてみたいです。
そういえば、磯崎新氏も『
建築における「日本的なもの」
』について書いてます。
追記/
堀口捨己の論文『建築における日本的なもの』『現代建築に表れたる日本趣味について』を図書館で入手したので、とりあえず読んでみます。
『建築における日本的なもの』
:建築論叢(堀口捨己著)/雑誌「思想」1934年5月号 掲載
『現代建築に表れたる日本趣味について』
:建築論叢(堀口捨己著)/雑誌「思想」1932年1月号 掲載
感想
オランダ建築の影響を受けたとされる特徴的な住宅「紫烟荘」に触れつつ、本題の「岡田邸」へ。その和洋折衷(テラスと草庭の融合?)の印象的な庭について、様々な意見が飛び交い、非常に興味深い内容であった。
この住宅は庭を中心に考えられているであろうことは、様々な写真からも容易に推測できる。背景としての真っ白な塀・微妙な段差とそれを強調するかのような面/ボリューム・垂直方向への奥行きを感じさせる池とそこに侵食しようとする植栽と大石 など、考えさせられる要素で溢れている。そして、この庭を眺めていると、和・洋という区分を超えた、抽象的な空間構成に対する意識が読み取れるように思う。
また、米正氏の指摘する、堀口捨己と藤井厚二・吉田五十八とのレベル差に対する考え方の違いは非常に興味深かった。視線を揃えるため、堀口は(和室と洋室の)床レベルはそのままで庭のレベルを変えたのに対し、藤井・吉田は庭レベルをそのままで床レベルを変えている(和室の床レベルを上げる)。後者の方が一般的な手法だと思われるが、堀口のように庭レベル、つまり建物が建つ地面を設計するという発想は興味深い。
堀口は自分の直感で美しいものを発見し、そのどこがどう美しいのかということを追求し続けた建築家ではなかろうか?その分析・思惟の過程が上記の論文にも表れているように思う。そして、米正氏の指摘するように、堀口は「建築における日本的なもの」よりはむしろ、「日本における建築的なもの」を追求し続けたのではないかと思う。
紫烟荘
岡田邸
追記
岡田邸は最初、堀口の設計ではなく島藤組の設計施工で始まり、施主の要望により途中から(和館の大部分が出来上がった頃)堀口に依頼された。従って、和館は堀口の設計とは言えないが、ほぼ出来上がっていた和館に洋館を付けたのは堀口の設計。当然、庭も堀口の設計になる。

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