日本初の近代建築運動であると言われる分離派建築会(1920年結成)の中心メンバーとして活躍し、その後のヨーロッパ旅行を契機に日本の伝統建築へと傾倒した建築家・堀口捨己(1895-1984)。歴史主義を批判、建築の芸術性を重視しつつ、「日本的なもの」を追求し続けたとされる堀口思想の一端を紹介する。
1931年(昭和6年)の論文
『現代建築に表れた日本趣味について』では、形の問題に偏重する当時の帝冠様式建築を批判しつつ、建築を知性によって捉えられる美(功利の美・組織の美)と感覚によって捉えられる美(功利的結果から自然に生じた美・功利的限局の中で意識して求めた美・表現の美)の二面から捉える。そして、建築と(工学的技術的純粋な)機械を上述の美についてそれぞれ比較することにより、その異同を詳しく説明しており、若干理解しにくい箇所もあるが興味深い。
堀口は表現の美を中心に取り扱う今までの建築史を批判しつつ、「功利的限局」の中に最大の美を求めるのが現代の建築であるとする。そして、制限と自由とは相容れないとし、目的を持った建築に、その目的の限局を超える恐れのある表現の美を附与することは、建築本来の美を不純にすると結論付け、日本趣味建築(帝冠様式)を否定的に捉える。結局は、制約のある功利の美と自由なる形態の美との背反が究極において調和するところに、真の建築美が誕生すると考える。
また、過去の造形物に見出される日本趣味の類型を発見し、系統立てて分類することは大きな問題を孕み、それを言葉で表すことなど不可能であるとしつつ、日本趣味を作っている要素として、材料上の好み・色彩上の好み・比例上の好み・調和均整上の好みなどを例として挙げている。
1934年(昭和9年)の論文
『建築における日本的なもの』では、神社建築・日本住宅・茶室を日本建築の代表として挙げている。
神社建築においては(創立当時の)東大寺を唐文化様式における「日本的なもの」の完成と考え、細やかなまとまりのある表現だけでなく、その雄大で単純な(装飾の無い)構成も「日本的」であるとしているのは興味深い。
日本住宅として、平安時代の「寝殿造」、鎌倉時代の「武家造」、桃山時代の「書院造」を挙げており、現代(当時)の住宅は書院造と農家の混成であるとする。そしてその特徴を「徒然草」を引用し、「家の造りやうは夏をむねとすべし、冬はいかなる所にてもすまる」とし、冬季の考慮の伝統的不足を指摘、西欧と比較しての住宅の貧弱さを認める。しかしながら、日本住宅の特徴として主要材料の規格統一と室の融通性を認め、低コストながら気候に適した最大限に近い豊かさを実現していることを評価する。
茶室に関しては本論文では詳しく述べられていないが、これこそが堀口が最も追求した分野であり、別の論文『茶室の思想的背景と其構成』(1936年)で詳細に論じられている。
以上、二つの論文概要を独断と偏見で簡単に紹介してみたが、短い論文なので興味のある方は是非とも読んで頂きたい。神社建築や茶室に、装飾を排した空間的構成の美を認め、そこに近代主義建築の特徴である合目的性を見出し、それを「日本的」と肯定的に解釈したことは当時の時代背景を考えると自然の成り行きかもしれない。ただ、功利の美を強調しつつ、その美の判断が結局は堀口の感性に大きく委ねられているように思える。また、機能主義の流れに合わせた都合の良い「日本」解釈もやはり気に掛かる。しかしながら、多少偏った部分や矛盾した箇所も見られるものの、一人の洞察力のある建築家の「日本」解釈としては非常に意義のある内容だと思う。
また、「日本」を考えるに際して、建築的視点からだけでなく、多様な視点から考えるとさらに面白くなるだろう。例えば、司馬遼太郎は歴史的視点から「日本」或は「日本人」に関する興味深い著作を多数遺しており、「日本的なもの」を考える上で大いに参考になると思われる。
参考図書
『建築論叢』(堀口捨己/1978/鹿島出版会)
「現代オランダ建築」「現代建築に表われた日本趣味について」「建築における日本的なもの」「信長茶会記」「桂離宮」の主要論文から構成される建築論集。ヨーロッパ旅行から帰国後、「日本的なもの」を追求し続けた著者独自の鋭い視点が明確にされている。
『堀口捨己の「日本」―空間構成による美の世界
』(1997/彰国社)
堀口捨己に関わる論述と作品が多数紹介されており、その概要を知るには最適の1冊。特に「日本」をキーワードに、堀口の活動を総合的に捉えた上での再評価を試みている。


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