言葉の智恵袋
言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。 言葉は 魂しいの元なのです。 そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。 其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。 其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
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「法華経の十二支縁起」
言葉の智慧
言の葉の世界
法華経の十二支縁起
1)無明(本来根源的な無知)は、行(形成力)の
縁(原因となるもの)である。
2)行は 識(認識作用)の縁である。
3)識は 名色(名称と形態)の縁である。
4)名色は 六入(眼・耳・鼻・舌・身・意 の六つの領域)
の縁である。
5)六入は 触・そく(接触)の縁である。
6)触は 受(感受)の縁である。
7)受は 愛(妄執・耽溺)の縁である。
8)愛は 取(執著)の縁である。
9)取は 有・う(生存)の縁である。
10)有は 生(生まれること)の縁である。
11)生は 老・死・憂・悲・苦・悩の縁である。
12)したがって
無明が滅すれば、行が滅する。
行が滅すれば、識が滅する。
識が滅すれば、名色が滅する。
名色が滅すれば、六入が滅する。
六入が滅すれば、触が滅する。
触が滅すれば、受が滅する。
受が滅すれば、愛が滅する。
愛が滅すれば、取が滅する。
取が滅すれば、有が滅する。
有が滅すれば、生が滅する。
生が滅すれば、
すなわち 老・死・憂・悲・苦・悩が滅するのである。
訳者・著書・著者 不明
法華経 6万9千384文字
投稿者: 礒邉自適
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「讜逓聖・とうていせい」
神の伝言
讜
とは「当」の元字で「あたる・ただしい」の意味です。
逓
は、郵便局を逓信省と云っていたように、次から次に伝える。渡して行くの意味です。
聖
は、聖者の聖ですが、私へメッセージでは、文字ではなく 聖者が本当に座っていました。
「讜逓聖」とは、真理に当たっている 本当のコトを 次から次へ傳へて行く「ひじり」の意味です。
是は 2000年7月22日に 文字が告げられて来たものです。
「讜逓聖・とうていせい」
https://star.ap.teacup.com/170606/1157.html
投稿者: 礒邉自適
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「ふうれんとう」
神の伝言
風
とは、風習・ならわし・慣習などの 生活全般のマナーのことです。
は、鍛錬の錬と同じ意味で「錬」は鍛冶屋。練習の「練」は、織物。
「煉」はアンコ屋です。
「麥東」 は辞典には有りませんが、パン屋さんの小麦粉を練って寝かせる・発酵させるの意味です。
陶
は、教え導くの意味です。
「風 麦東 陶」 とは、生活全般の物事を もう一度 根本の処から見直して 皆を訓え導くの意味です。
是は、人類が未来を生きて行くのに どうしても神との約束として、護らなければ成らない基本的な理なのです。
1994年3月22日に「風 麥東 陶・ふうれんとう」・・・
其の日のメッセージの映像は、私の意識が、遥か地球の上空の飛行物体の操縦室の中に在り、上空から地球の緑豊な山岳地帯を見下ろしていた。其の景色は、未だ、人間の手が加わっていない状態で、大自然其のままの状況である。そして、其の森林地帯に白い線の四角の枠が嵌められ、其の四角の枠の中の景色が、急激に拡大されて来た。それは、其の飛行物体が、地球に着陸して行く感じが有った。
そして、深い山岳地帯の山頂近くの、大きな岩が点在している場所に降りて行った。すると、大木の枝が張り出している枝の下に、大きな岩が有り、其の岩の上に達磨禅師の様に、白い木衣を被った聖者が1人座って居た。私は、其の人物が誰だろうかと想い、近づいて行って其の聖者の顔を覗き込んだら、其の聖者が消えて、代わりに「風 麥東 陶」との漢字が顔面に現れて来たのである。
其の「風 麥東 陶・ふうれんとう」の文字の意味は、「風習や習慣を練り鍛えて 人々を導き教える」と言う意味である理・ことが判った。・・・
「風 麥東 陶」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/422.html
投稿者: 礒邉自適
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「民・ミン・たみ 臣・ジン・おみ」
言葉の意味
民・臣
民とは、戦いに負けた人が 目を矢で潰されて 奴隷として働かされるとの意味の象形文字ですから 民とは「めくら」の意味です。
めくらとは 目が暗いの意味だから「目暗・めくら」でしょう。
其れと反対の文字が 大臣の「臣」です。臣は大きく見開かれた目の象形で「物事の道理に明るい人」の意味です。
佛教のブッダも 覚醒した者の意味で 宇宙の真理に明るい人の意味ですので、一人でも多くの人が覚醒することを願いたいものですね。
投稿者: i礒邉自適
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「うつくしい物」
言葉の智慧
花に誰が「はな」と名を与えたのか
誰が 其れを「うつくしい」とか「きれい」とか云ったのか
其れが 私には思い出せない。
人間以外の生き物は 自分では名前を一切持たない
物の名は 総て人間が勝手に名付けたもので
人間だけの世界だから 他の生物には全く関係が無い。
名が無くても 言葉を話さなくても みんな立派に生きている。
彼らは 自分たちの通信システムを持っているのだ。
其の言葉を 習うことから始めれば もしかしたら
忘れている言葉の意味を 思い出すかも知れない。
そして もし 思い出す事が出来れば
神様とも 話が出来るかも知れないのだ。
2006年1月6日
投稿者: 自適
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2020/12/18
「慟哭・ドウコク」
文字の意味
深森と須佐之男尊の慟哭
2・12・18
今朝のビジョンには、先ず、外皮が剥かれている立派なトウモロコシが一本映し出されて来て、其れは虫喰いや病斑が全く無い美しく大きな物であった。
そして、其れは、アメリカが輸出する遺伝子・DNA組み換え作物であり、日本国がアメリカに車等を買って貰う為の交換条件として、家畜の餌として輸入されている物である理・ことが、理解されて来た。
次に、ラグビー部の監督の様な雰囲気の頑丈な男性が一人登場して、私に一枚の紙を渡す場面が映し出されて来た。
其の紙は、B4程のサイズの紙を二枚折りにしている物で、開いて見ると、其の紙面には縦書きで右側から読む物で、少し太目の文字で難しい漢字が多く、縦15文字程、20行数程であり、文字は霧雨(涙)にでも濡れたのか、滲んだ感じであった。
私は、其の文章に数回目を通そうとするのだが、読み取る事が出来ないで、記憶に残ったのは、「深森」と「慟哭」との単語であった。
今朝起きた・起こされた時刻は、8時8分である。
今朝のビジョン・メッセージは昨日のビジョンにて、「母神・グレートマザー」が最高権力者である男性を迎えに出掛けて行く様子が映し出されて来た事と関係が有り、今朝私に「深森」「慟哭」の単語が含まれている文書を手渡した、ラグビー部の監督の様な雰囲気の男性は、日本の国土に植林をして廻ったと傳えられている「須佐之男尊・すさのおのみこと」の御魂であるのではないだろうか。
どう‐こく【×慟×哭】 の解説
[名](スル)悲しみのあまり、声をあげて泣くこと。「訃報に接して慟哭する」
キー「須佐之男尊 家族 植林」
2013/7/31本日で7月が終り、明日から8月である。8月8日まで、残り8日と成った。今朝のメッセージの内容は、其の事に関係が有る様である。
今朝のメッセージは、先ず、私が人間の悪心が何処に有るのかを、探っている処から始まった。
そして、人間の悪心は「表層」「中層」「奥層」の三層が有り、表層の悪心は、誰にでも容易に確認できるが、中層や奥層は本人自身でさえ、なかなか認識できない理・ことが示されて来た。
其れから、私は自分の悪心を探って行くと、私の悪心は見付からず、最後には何処までも青い青空が、映し出されて来た。其れは、私の「意識・こころ・魂しい」が、完全に澄み切っている理・ことを示していた。
次に、誰からか電話が掛かり、「何処に居るのか」との質問が有って、私は「西郷さんが 最後まで農作業をしていた 畑に居る」と応えていた。
そして、周囲を見渡すと、其処はなだらかな岡の上で、一本の柿の木が畑に立っており、其の柿の木は青葉が茂り、夏の日の光を浴びて、テカテカと光っていた。
私は、其の景色を写そうと想って、カメラを取り出してシャッターを押すのだが、カメラが機能せず映す事が出来ないのである。カメラを調べると、外国人の写真撮影の為に、機能を切り替えており、其の儘の状態なので、日本国の写真撮影が出来ない事が判った。
そして、最後に「172」の数字が示されて来たが、其の意味は判らないままであった。
今朝のメッセージの題は「日本人の魂しい」か「西郷さんの魂」としようかと想ったが、「日本人の心」とした。其れは、「魂・たましい」は「日本人全体」や「先祖代々」の事までが含まれるので、個人意識を考えると「心・こころ」の方が良いと想ったからである。
今朝のメッセージのテーマは、西郷隆盛翁の意識に有り、西洋の価値観や風習を写し込んでは成らないとの理を、示して来ている様である。
西郷隆盛翁の精神は、「敬天愛人」や「子孫に美田を残さず」の有名な言葉に表されており、西洋人には理解できない価値観である。
西洋人の考えには、「世界中 何処でも 勝手に自分の物にして良い」との理・ことが有り、世界中何処でも出兵し、原住民を虐げて植民地化して来た。
其の原因は、旧約聖書に、此の世界は人間の自由に成るものと有り、キリスト教の信者は、イエスキリストの訓えを拡げる為には、何でもして良いと考えていたからである。
其れに、聖書には天国・エデンの園は「蜂蜜とミルク」が豊富な世界とされ、農耕をする兄カインよりも、牧畜をする弟アベルの方が、大事にされている。
其れは、農耕民族よりも、牧畜民族の方が優位に立っている理・ことに成る。
其れ等の聖書の影響を考えると、聖書に書かれている理・ことも、時代に合った内容としなければ成らないのであろう。
其の点で言えば、日本の伝統文化と言うか、価値観は「山に植林をし 水環境を護って 稲を栽培し 初穂を食べる時は 一家の主人が禊ぎ祓いをして 先祖霊・御祖神・みおやかみを家に招き 一緒に直会・なおらいをする」との理・ことなので、牧畜民族の生活習慣とは全く異なるのである。
其れは、約2700年前から続いている、「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと。別名 須佐之男尊・すさのおのみこと」の生き方が指針と成っている物である。
須佐之男尊は、大陸から馬を持ち込んだ天孫族が、牧場を造る為に森林を破壊する事に怒って、天照大神の家に馬の皮を剥いで投げ込んだり、天津族の儀式に糞尿を撒き散らしている。そして、全国に、家族で植林をして回っているのである。
其の「須佐之男尊・櫛御氣の命」の生き方が、日本人の精神構造の柱である「神道」として、伝わって来ており、天皇陛下も其の伝統を継いでいるのである。
私を30年前に捜し出した無庵師匠は、私に「自適さん 日本人は頭が良すぎて 外国人が理解出来ないのですよ」と謂っていた。
其れは、桜沢如一や宮本武蔵だけではなく、日本には二宮尊徳、大原幽学、安藤昌益、南方熊楠等、外国人には理解されない独学を築いた人達がいて、人民の為に命を削って生きているからである。
彼等の様な生き方こそ、本当の男性の生き方なのである。現在の世の中には、其の様な哲人はいない。
彼等の真似をしようと考えれば、知力だけではなく、強靭な体力と勇気が必要である。私が、是から何が出来るのか、彼等の様な真似も出来ないし、年齢も来月で61歳と成る。私が出来る事と謂えば、瞑想を深め、生命の謎を解明して行くぐらいのものであろう。しかし、何か一つでも道を確立出来れば、人類の歴史に貢献をすると言う事に成るだろう。・・・
イエスは弟子達に「私の教えを広めなさい」と云って居る。其のイエスの一言が、世界中を植民地化する道具に使われ、どれだけの人間が殺されたであろうか。其れは、イエスの悲しみでもあり、悲劇でもあったのだ。其の事が、ようやく私の言葉で解消したのであろう。ようやくまた一人、「墓石・149のモノリス」に納まったようである。・・・ 「振り出しに戻る」
今朝のメッセージでは、私は西郷さんが、明治政府の大臣を辞して鹿児島に帰郷し、畑を耕して居た舞台に立たされていた。
其れは、今朝、岡の上に有る畑に立って居た私の意識が、西郷隆盛の意識である様な錯覚を起すモノである。
西郷隆盛翁は2006年2月7日に、私の霊夢に登場して「始めようか」と告げて来た事が有る。
誰でも知って居る、西郷さんの言葉に「敬天愛人(天を敬い人を愛す)」が有り、もう一つ「子孫に 美田を残すな」が有る。
此の二つの言葉は、釈迦牟尼佛や老子の言葉を超えているのかも知れない。
私には、此の二つの言葉が、全てを言い尽くしていると想えるのである。「敬天愛人」は、「神・宇宙」が課題で、「子孫に美田を残すな」とは、人間の哲学や、経済の真の意味を言い当てている。・・・
西郷さんが、理想としていた世の中は完成していない。明治維新は、多くの正しい考えの人間を排除して出来たものである。急激に、西洋から取り込んだ大量の情報は、未消化の侭であり、其の影響で、日本の大事な情報まで掻き消されてしまっているのだ。・・・「始めようか」
「172」の数字が、「稲荷・いなに」を意味しているのであれば、稲荷は「刈り取った稲穂・稲俵・米袋」の事であり、其の稲の収穫(経済)を司る「宇迦之御魂神・うかのみたまのかみ」が存在し、其の宇迦之御魂神は全国に在る「稲荷神社」の祭神である。
・・・の点に置いて、日本の古神道の世界は、欠点が無い。何故なら日本の古神道は、人間は全て神の「別御魂・わけみたま」であるから、罪穢れを禊ぎ祓いさえすれば、全員が「みこともち・御事もち・使命持ち」に成れるとの理であるからである。其処には、横繋がりの概念は無く、皆悉く天・神と直結するとの縦形思考である。
そして、其の「みこともち」が暮らす国が「瑞穂の国」であり、其の瑞穂の国に暮らす人々の心の指針は「食国の政(おすくにのまつりごと)」であり、神社は熊野神社系である。熊野系とは、出雲の熊野神社の祭神である「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」・「櫛御氣・くしみケ」が元で、和歌山の「熊野本宮・家都美御子大神(ケつみのみこ)」、伊勢の「外宮・(とよケ)」、福井県敦賀市の「気比神社・(ケひ)等も其れに当る。其の「氣・ケ」とは、天皇家で一番大事な神である「御饌殿・みけどの」の「饌・ケ」の事であり食物の意味である。・・・「瑞穂の国の政(まつりごと)」
今朝のメッセージの様子からすると、私は西郷さんの意志を継いで、田舎で畑仕事をしながら、天下泰平を願う生き方をしなければ成らないとの事なのかも知れない。そして、其の条件として、西洋の文化や価値観を写すのではなく、純粋な日本文化である「神道」を生きる事であるとのことではないだろうか。
日本の神道は、「言挙げせず」であり、自分自身が「神惟道・かんながらのみち」を実行する事である。其の神道を実行すれば、私は楽に成るとの事ではないだろうか。
其の様に考えると、既に、私は毎日畑の野菜達に触れているので、西郷さんの生き方に通じている事に成り、8月8日を過ぎれば、私は真の自由に成れるのかも知れない。
「日本人の心」
https://green.ap.teacup.com/20060818/2764.html
2003/5/28・・19年前、修業を続けている時に、島の殆どの草木の葉や実を齧(かじ)って見た。その修業の成果なのか、十八年間の全国の旅では、多くの樹木がアンテナの働きをしてくれた。
初めての土地では、知らない人間よりは、神社や寺の樹木が話し相手であり、心の頼りだったのである。
旅の中で、樹木との思い出は沢山あるが、其の中でも、特に大事であると想われる例を、思い出して書いてみよう。
私は、1996年(平成8年)10月6日から、1997年10月16日まで、京都市の大徳寺の側に住んでいた。そうしたら、私の夢に97年の8月23日と9月11日に、大きな木が映って来た。
両方の木とも、変った姿の木なので、手帳に絵を書いていた。
其れから暫くして、11月から島根県の出雲に住む事に成り、世話に成る「安部忠宏氏」に、出雲の地を案内して貰った。
すると、夢に出て来た木が、両方とも出雲の地に実在していたのである。
8月23日に出て来た木は、大東町の「佐世神社」の境内に生えている椎木で、9月11日に出て来た木は、横田町の「伊我多氣神社」の境内に生えている、欅(けやき)の木だったのである。
両方の木は、夢に出て来た其のままの姿で、立っていたのである。
そして面白い事に、木は見る方向によって、姿は全然異なって見えるのだが、私の夢に現れた姿で視るには、両方とも、神社の境内に在る相撲の土俵の中心に立たなければ、其の様には見えない事も判明した。
何故、両方とも、土俵の真中から見た、姿で映って来たのかは分からないが、相撲の儀式も、土俵の真中に穴を掘って、米や昆布等の鎮め物をするので、神様の世界では、何か共通するものが有るのだろう。
佐世神社の椎の木は、佐世神社の御神木であり、周囲には柵が設けられ、中に入る事は禁止されている。云われは、「須佐之男尊」が「櫛稲田姫」と出会い、新居を定めるのに、其の場所を通り、丘の上で須佐之男が舞いを舞って、手に持っていた木の枝を、地面に挿したら、其れが根付いて、現在の幹は五代目であり、六代目の由(ひこばえ)が、既に根本に生えている。
地名の「佐世」は、木を地面に刺した処から、その地名に成ったとの事である。
須佐之男と、稲田姫の新居は、佐世神社から東へ、車で5分ほど走った所の須賀に在る「須賀神社」がその跡である。
もう一方の「伊我多氣神社」は、佐世神社から南へ車で一時間程走った所で、稲田姫の故郷とされている、横田町稲田の直ぐ近くに在り、祭神は須佐之男と稲田姫の二男「五十猛(イソタケル)の命」である。
何故、私の夢に、須佐之男と、五十猛命の父子が祭られている神社の、御神木が現れたのであろうか。
私は、その事が気に成り、一応の調査を行って見た。
すると、須佐之男尊と五十猛命の親子は、日本国中に、木を植え始めた植林の元祖である事が判って来た。日本の天皇陛下が植樹をするのも、3000年の長い歴史に基づく理・ことが分かって来たのである。
須佐之男尊は、長男の「清之湯山主三名狭漏彦八島篠命・すがのゆやまぬしみなさるひこやしまじぬのみこと」に、出雲の政治を任し、二男の五十猛命と、中国や朝鮮から、木の苗や種子を持ち帰り、全国に木を植えて廻ったとの事。
和歌山が「紀の国(木の国の意)」と呼ばれるのも、其の須佐之男尊の父子が木を植えた事に、由来しているとの事である。
公孫樹(イチョウ)や、欅(ケヤキ)、黄櫨(はぜ)等、日本の山野に自然に生えていない木は、父子が持ち帰った木である様なのだ。
須佐之男尊の娘である「大屋津姫」と「抓津(つまつ)姫」の二人も、木の実を蒔き育てたとの事で、宮崎県高千穂に在る「高千穂神社」では、現在・いまでも二人の行為が神楽として、残り伝えられているし、島根県の松江市の「賣布(めふ)神社」では、樹種ノ神(こだねのかみ)として祭られている。
父親と、息子と娘が、四名で日本国中に植樹をして廻った事は、日本の文化の礎と成っているのである。
私に、夢で、御神木の存在を知らせて来たのは、木魂なのか、祭神と成っている、過去の人間の想いなのかは分からないが、どちらかの霊魂が、私が出雲に住む事に成るのを、前もって知っていて、私に、木に注意を向ける様に仕向けていたのだろう。
漢字の「想・ソウ」は、「木+目+心」の組み合わせで、意味は「木を見る者の心」で、樹木は、此の三次元の物質を総合した対象として、古代から考えられていた様である。
人類にとって、樹木は一番身近に存在する物であるし、住居を建てるにも、火を燃やすにも、食料を確保するにも、樹木はなくてはならない物である。
昔から、旅をするにも、場所を説明するのにも、立木は目印として使用されている。地名にも、一本松や二本松等、何処にでも残っている。
一ヶ所から動かないで、一本一本特長の有る木は、一番確かな存在として、考えられて来ている。
私が、京都に住んでいるのに、出雲の木が現れた事で、その不思議から、須佐之男尊の家族や、日本の歴史まで、調べる事と成った。
私の行動を、予測していた存在が、樹木だとは考え難い。
やはり、須佐之男尊達の霊魂が、木に憑いていて、人間の姿ではなく、木の姿を借りて出て来たのだろう。
昔から、是等の現象があるからこそ、御神木として、巨木は大事にされて来たのではないだろうか。人間は、長生きしても、精々100年程であるが、10倍も20倍も、同じ所に生きる樹木は、霊魂にとっては、一番住み着き易い物なのだろう。
私の体験が、森林や樹木を守る為に生かされれば、私の18年間の旅も、皆の役に立つ事に成る。
ただ単に、シャーマニズムとして片付けるのではなく、人が、自然の中で暮すには、忘れてはならない当然の事として、此の理が認識されれば、須佐之男尊と五十猛命、そして大屋津姫と抓津姫の家族の霊魂も、安心するのではないだろうか。
私の両親が、何故、屋久島に来て住むように成り、獣の脳味噌と同居している私の魂が、島の自然の中で育ち、全国を旅する事に成ったのか、縄文杉に聞いて見たいものである。
今日も、私は、島の水を飲みながら生きている。
島の水は、屋久杉の生きている奥岳から流れて来ている。
其の水は、地球を循環しているので、出雲の樹木も、同じ水の世界に身を置いている事に成る。
私も、其の樹木と同じ、水の世界に生きているのだ。
水の循環を支えている、樹木に感謝して、ペンを置こう。
「樹木霊」
https://moon.ap.teacup.com/20061108/473.html
2013/6/28今朝のメッセージの映像は、一昨日の女神のメッセージで伝えられて来た「貴方が 此処まで 無事に辿り着けた お蔭で 此方も 見事に 立ち上がりました」との言葉と関係が有り、人類の未来と言うか、宇宙意識が進化する理・ことを示して来た。
其れは、昨日のメッセージの「過去」と「未来」との事にも関係があり、未来は人間の行動次第で、良い方に変化する理・ことを示して来ているのであろう。
今朝のメッセージの映像には、先ず、三つの大車輪が映し出されて来た。其の三つの大車輪は、回転していないので、私が修理する事に成り、分解して見ると、心棒の所に詰めてある丸いベアリングの石が、バラバラに成っており、潤滑油が全然無い事が判った。
私は、其の石をきちんと丸い物に取り換えて、油・グリスを満たして組み立て直した。
次の映像には、先の方が見えない程、無限に拡大している、植物の全ての根元に当たる一本の太い蔓を、切断してしまう場面が映し出されて来た。
次の映像は、美しい水の循環と、完璧な食事が出来る環境が映し出されて来て、其の環境の中で、新しいスメラミコトと成る男の子が誕生する場面が映し出されて来た。
そして、其の事が、私が是まで30年間取り組んで来た、業績に拠るものである事が示されて来た。
今朝のメッセージは、確かに、私の是までの行動が、人間社会の古い「カルマ・業・柵・情報」を立ち切って、新しい未来世界を創る準備を整えた事が、示されて来ている。其れは、未だ、「相対世界(三次元)」である人間社会は旧態依然のまま続いているが、神の世界である「絶対世界(四次元)」の方は、完全に切り替っている事に成る。
今朝のメッセージは、私が29年前1984年6月4日(旧暦5月5日)に、此の神の世界に入った時の状況とは、全く異なっており、人類の未来が「次元上昇・アセンション」に成功する目鼻が立った事に成る。
だとすれば、私は本当に、肩の荷が下ろせる事に成る。
今朝のメッセージに現れた、大きな三つの大車輪は、宇宙には三つの働きが在り、其の三つの働きが揃って回転する事で成り立っている理を、示して来ているのであろう。そして、其の車輪の運転に関わる者の名が「チャクラヴァルティン・転輪聖王(てんりんじょうおう)」なのではないだろうか。
其の三つの車輪の回転・働きは、日本の神話では「天照大神」「調読命・つきよみのみこと」「須佐之男尊・すさのおのみこと」と、されているのではないだろうか。
「天照大神」とは、太陽の光が照らしている昼の世界を意味し、其の太陽の光の存在で、熱が保存され、地球には水の循環が生まれ、植物の炭酸同化作用の働きが生まれ、全ての地球生物が誕生し生かされている。
そして、動物には目ができ、物が見える様に成った。
其の動物の一部である我々人類は、物に名を付ける事で言葉が生まれ、言葉を使用する事で絵文字が誕生し、其の言葉や絵文字で意識が発達し、文化を発達させる事で現在の社会を創り上げて来た。
「月読命」とは、夜の国を治める働きを意味する。其れは、人間の目に見えない波動や引力や重力や地磁気などの働きの事を意味し、其の代表が海水の満ち干きを司る月である。其の月の動きは、女性の生理を生み出した元であり、月の引力が無ければ海水の動きが止まるので、海は温度変化が無く成り、また酸欠が起きるので、生物は住む事ができなく成るであろう。
其れに、地球の磁気がなければ、渡り鳥が旅をする事も出来ないし、人間の脳波も大地と共鳴する事が無いので、記憶・アカシックレコードの存続が不可能と成る。そして、ツキが有るとか、無いとかの言葉も、存在しない事に成る。
「須佐之男尊」とは、生物が誕生した海を治める働きを意味している。
「須佐之男尊・すさのおのみこと」の「すさ」とは、「苆・すさ」の意味であり、苆とは家壁を塗る時に、壁がひび割れしない様に、藁や草を切って練り込む物の呼び名であり、神社でお祓いに使う「ぬさ・幣」と同じ物で、切り刻んで繋がっている物を意味する。
其れは、「海(産み)」から誕生し、分裂しながら拡大して来た、生物のDNAのシステムを意味し、生命の鎖・連鎖を言い表しているモノである。
其の「須佐之男尊」が祭神と成っている出雲の「熊野神社」は、須佐之男尊の別名を「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」と呼び、妻の「櫛稲田姫・くしいなだひめ」と対の「櫛御氣命・くしみけぬのみこと」としている。
其の「くしみけ」の「け・氣」は「食べ物」の事で、天皇家の台所の神である「御餉殿・みけどの」の「御餉・みけ」と同じ意味である。
今朝のメッセージの二番目の映像で、広がっている蔓の根元を切断してしまったのは、其の蔓が「生命の連鎖」である「DNA・遺伝子」の進化拡散(苆)を意味しており、其のDNAに記憶されている「ゲノム・情報」の切り換えを意味しているのではないだろうか。
人間の意識は、大脳のシナプスの働きで発生している理・ことは、既に常識と成っている。そして、其のシナプスは植物の蔓・枝と同じで、三カ月で枯れては、再び幹から枝が伸びる事で成り立っているとの理・ことである。
だから、諺に「他人の噂も75日」との言葉が有る様に、記憶は復唱しなければ新しい枝・シナプスに記憶されないので、三ヶ月で消えてしまうのである。
其の理が、解っていたからこそ、お寺では、世間から三ヶ月間出家して山寺に籠り、古い情報を消去・ぬぎさって、悟りを開こうとするのである。
そして、其の事を、短時間で済ましてしまおうとするのが、神社での禊ぎ祓いの儀式なのである。
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージで拡大している蔓の根元を切断してしまったのは、人間の古い価値観・概念を消去する事を意味し、根元から新しく芽吹く芽を、伸ばす必要がある理・ことを示唆して来ているのであろう。
そして、全てが新しく成った社会環境の中で、新しい「王・すめらのみこと・大君」が誕生する理・ことが示されて来たのだ。
其れは、美しい水が循環する地球環境の中で、完全な食事・御餉殿が行われなければ成らないと言う事でもある。
其れが、日本に伝えられている「食国の政・おすくにのまつりごと」の世界であり、其の伝統を護る為に天皇家では、新嘗祭が毎年行われるのである。
天皇陛下の役割は、自ら山に木を植え、水を護り、田植えをして、新米を食べる時は禊ぎ祓いの儀式を行って、先祖霊である「御祖神・みおやかみ」を呼び戻し、一晩中掛けて「直会・なおらい」をする事である。
其の、天皇家に伝わっている伝統こそ、混迷を増している世界に対して、公表しなければ成らない情報なのである。其の天皇家に伝わる伝統こそが、出雲の熊野大社の祭神である「神祖熊野大神櫛御氣の命」が元と成っているのだ。
熊野神社では、毎年10月15日に亀太夫神事が行われ、出雲大社(杵築大社)で搗かれた餅が、熊野神社に運ばれて奉納されており、其の亀太夫神事で唄われる歌には、「明日から晴れ着を 仕事着に着替えて 農作業に励む」との意味合いの文句が有る。
其れは、食べ物が如何に重要であるかを、伝承している。
天皇陛下が植林をするのは、2700年前に須佐之男尊が次男の「五十猛命・いそたけるのみこと」と、娘の「大屋津姫命・おおやつひめ」や「都麻津姫命・つまつひめ」と共に、全国に植林をして回った事に由来しているのである。
今朝のメッセージの映像は、其れ等の事が世界中に伝えられ、新しい人類の生き方が始まる理・ことを示して来ているのであろう。
そして、其の為には、今までの人間の生き方は、四次元・調読みの世界で切断されてしまうとの理・ことであろう。
其れは、現在の貨幣制度による、政治・経済の世の中が終了・崩壊する事を意味している。其れに、現代社会に蔓延している「宗教」や「思想・イデオロギー」は、全て消去されると言うか、禊ぎ祓われるとの事であろう。
新しく誕生する「すめらのみこと」には、過去の情報を一切与えては成らないのである。
其れは、鴨や雁などの刷り込み現象で明らかにされている様に、純粋な子供には善悪の判断が無く、与えられた情報を、全て真実の事として入力してしまうからである。
お金の無かった時代は、人間は自然環境と神の働きだけを気に掛けながら生活をしていたのである。其れが、貨幣制度の世の中に成ってから、金の為なら何でもする世の中に成り、嘘を付く事、他人の物を盗む事などや、暴力や殺人が平気で行われる様に成った。
其れに、テレビや雑誌などの情報内容物が、子供や若者達の意識を汚す物ばかり、目立つ様に成って来ている。
其れ等の社会は、一日でも早く消滅して当然であり、其れが行われないかぎり、人類には幸福な未来は無いのである。
其の意味でも、今朝のメッセージの情報は、過去と、未来の、切り換えし・境目が示されて来たモノ・現象ではないだろうか。
此処までの事が、書ける様に成った私が、一体何者であり、どの様に育てられて来たのか、そして是からどの様な暮らし・行動をして行けば良いのかは、私にも未だ判らない。まだまだ、私の人生は完結していない様である。
私も、釈迦仏陀が謂っている様に、未来仏誕生の為に、準備を急がなければ成らない様である。其れが、今朝映し出されて来た、三つの大車輪の意味なのであろう。
今日は、文章を書き終えてから、朝食を摂って畑に行き、しばらく手入れをしてから作物を収穫して、自宅に帰り汗を流す為にシャワーを浴びていると、言霊のシャワーが降って来た。
気持ちの整理が済むと、詩聖が依り憑いて来る様である。
『 意う気持ち
私が 此処まで 育って来たのは
家族を想い 子供の事を 思う気持ち
家畜をおもい 鯉や小鳥のおもい
畑のみかんの木や 作物へのおもい
海や 川や 山への念い
其れ等の物に対する おもいが 有ったからだ。
其の意いがあったからこそ
私は此処まで 生きる事が出来た。
其れは 母親の 子供への愛い
父親の 家族へのおもい 社会へのおもい
国へのおもいや 地球へのおもい
そして 果てしない 宇宙への想い。
其れ等の 両親の念いが 土壌と成って
私は此処まで生きて来た。
其の おもいの源は 何処に在るのだろうか。
それこそが 仏の念いであり 神の情けであり
森羅万象を司る もの云わぬ 天の意いなのだ。
其れ等の おもいの 世界で
全ての 物が 生かされているのだ。
だから 其のおもいの 存在に対して
人々は 「阿弥陀仏」や 「大日如来」や
「天御中主神」や 「アラー」の名前を 与えて来た。
其れ等の 名前は
目に見えない 同じモノに 名付けた名である。
其れ等の名前は 見えない物を おもう
人間の 気持ちに 因るものである。
だから ひとも 神も 天も
同じ おもいの中に 存在する理・ことになる。
だからこそ 今日も 其のおもいの中で
全ての命が 生かされているのである。
私が こうして 言葉を 綴る事が出来るのも
其のおもいと 繋がっているからである。
私のおもいは 日夜 畑の野菜達に向かっている。
今日の言葉は 其の私のおもいの中で育った作物達が
私の お腹の中で
私が生きる為の 栄養と成っているからであろう。
其の様に 考えると
私は 野菜達の代弁者と 成っている事になる。
今日も 畑の 作業を行い
キュウリ 南瓜 ニガウリ 茄子 トマト じゃがいも
トウモロコシ ピーマン パセリ レタス にら 大葉
バジル 隠元豆 人参 大根を 収穫して来た。
そして 汗を流す為に シャワーを浴びて居ると
これ等の 想いが 次々に 生まれて来た。
やはり「いざなぎのみこと」が 水浴びをして
神々の 働きを 生み出したのは 本当だったのだ。
来る日も 来る日も
私達は 其の おもいの世界で 生きており
其の おもいの世界からは
誰一人 逃げ出す事は 出来ないのである。
毎日を 其のおもいの中で 暮らす私の様に。 』
「スメラミコトの働き」
https://green.ap.teacup.com/20060818/2731.html
2016/9/11本日9月11日は、私の次女「悠美」の39歳の誕生日で、2001年9月11日に起きた「アメリカ同時多発テロ事件」から丸15年目の日でもあり、2011年3月11日の「東北地方太平洋沖地震」から5年6ヶ月の日でもある。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有るのか、人間は「傲り高ぶり」を止めなければ成らない事が示されて来た。・・
「アメリカ同時多発テロ事件」は、完全な人災であるが、「東北地方太平洋沖地震」は天災である。9月と3月(反対側の11日)
だが良く考えて見れば、過去に津波が来た事が判っているのに、人間が其処に建物を建てて住んで居ての災害であり、解決が出来ない原発事故に措いては、人間の行為に対しての天罰でもあると言える。
其れを考えると、両方の災害は、人間の「傲り高ぶり」から齎されたモノ・事件であると言えるだろう。
おごりたかぶる【驕り高ぶる・傲り高ぶる】( 動ラ五[四] )
相手を見下して,高慢な態度をとる。 「少し人気が出てきたというだけで−・った態度をとる」 大辞林 第三版の解説・・
今朝のメッセージの映像は、先ず、人間が森林を伐採した為に、段々と河川の水が流れて来なく成り、水が干上がって行く川の水溜りに、清水が流れる川に棲むハゼ(かわよしのぼり・ゴリ)が、10匹程取り残されている場面が映し出されて来た。
私は、其の儘ではハゼが全部死んでしまうので、手で掬い上げて容器に移し、水が溜まっている池の中に放魚していた。
次に、森に住む類人猿の家族の存在が映し出されて来て、其の種類が絶滅危惧種である事が示されて来た。私は、其れ等の状況を変える為に、森林の復活の事業を始める事に成った。
そして、私から三世代目に、理想的な夫婦が誕生する事が映し出されて来た。
其の夫婦の姿は、とても美しく輝いており、私が是まで目にした事が無い光景で、人間は是ほどまでに、美しく成れるものかと思った。
そして、其れは、本来の人間の姿であり、傲り高ぶりを止めれば、其の様に成るのだと言う理・ことが示されて来た。
今朝は、PCを立ち上げると、男性の口調で「其れは お前のこと」と告げられて来たので、Wを開くと続きの言葉が告げられて来た。
『其れは お前の事。
お前は これまで 自分が傲り高ぶって居た事を
自覚してはいなかったのである。
だから 今朝は 其れを お前に自覚させる為に
映像を見せたのである。
だが 其れは お前だけではなく
現在の世の中で 自信を持って生きて居る人間は
殆どが その様なあり様である。
だから 先ず お前が率先して
其の 人間の傲り高ぶりを 止めなければ成らない。
其れが 無くならない限り
此の世界の問題は 解決しないのだ。 』
此の言葉からすると、私自身の成長を見護ると言うか、私を管理している何者かの存在が在り、其れは、是までの女神の態度とは、明らかに異なるモノ・存在である。
其の違いは、子供を育てる母親・母神の態度とは異なり、愛情で育てる事よりも、厳しさを持って鍛え上げる態度である。
其の様に考えると、やはり、母親(女性)と、父親(男性)の役割は違っており、夫々の役割が際立ってこそ、レベルの高い・・が誕生すると謂うか、育つのであろう。
今朝のメッセージは、其の事の先に、人間の完成が有る理・ことが示されて来ている。今朝の映像に映し出されて来た、夫婦の姿(有り様)は現在の皇室の「天皇陛下」と「皇后陛下」には無い、光り輝き様であった。
其の差は、自由に自分の生き方を貫かなければ、身に付かないエネルギー状態であり、其れは、現在の不自由な皇室の在り方では、絶対に不可能な世界である。
其れを考えて、現在の皇室の在り方を視ると、現在の両陛下には、其の様な光輝は見受けられないし、其れかと言って皇太子夫妻には、実績が無いので自信から生み出されるオーラが無いので、今朝の映像に映し出されて来た夫婦とは縁遠い存在であると謂えるだろう。
其れを考えると、政教分離を明らかにして、皇室に自由を与え、本来の「詔勅・みことのり」が出来る状態に、還さなければ成らないと言う事になる。
其の様に考えると、昨日の三「Si」と、三「SA」は、「天皇・すめらのみこと・大君・帝(みかど)」の立場と言うか、存在に付いて示されて来ていたのではないだろうか。
今朝のメッセージの内容を考えると、日本の天皇陛下が、毎年行われる全国植樹祭で、樹木の苗を手植えする事と関係が有り、其れは「豊葦原瑞穂国・とよあしはらみずほのくに」との呼称が、森林が豊かな国土でなければ成らない事と、関係が有るのだろう。
其の様に考えると、どうしても私の意識は「須佐之男尊・すさのおのみこと」の存在に、意識・きもちが向いてしまう。・・・
「傲り高ぶりを止める」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/691.html
2011/4/11「家族・ファミリー」
https://green.ap.teacup.com/20060818/1894.html
2012/7/15「生活の基本」
https://green.ap.teacup.com/20060818/2372.html
2015/9/10「馳せる」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/602.html
2020/10/21「自分では何もしては成らない」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5525.html
此の真っ先に出て来た「日本人の心」の文章には、今朝起こされた8時8分の数字と同じ「8月8日」の日付を記して有り、其の内容は、私が今朝思い出していた「須佐之男尊・すさのおのみこと」に関する事が纏めてある。
其れで8月8日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/8/8本日8月8日は徳島市国府町に存在する「天石門別八倉比売神社・あめのいわとわけやくらひめ」の大祭日である。
昨夜は、其の事と関係が有るのか、床に就いて眠ろうとして居ると、私の右手の中指にカモ(神の電気信号)の反応が起きて、其の反応が止まらないので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「8月8日0時00分」であった。
今朝のビジョンは、先ず、私が暗い世界で他人の木造舟に乗せて貰って、何処かの河川を下って居ると、途中で其の船は船底から浸水が始まって、沈み始めた。
すると、其の船主は手に負えないと考えたのか、直ぐに川に飛び込んで岸に向かって泳ぎ始めた。
私は、自分が大事な物を船内に隠していたので、其れを取り出そうとしたのだが、浸水が早く転覆しそうに成って来たので、私は荷物を取り出すのを止めて、泳いで岸に向かった。だが泳ぎ着いた場所は、コンクリート製の岸壁の所であり、階段かロープがなければ陸地に上がれない場所であり、水が汚れているので、どうしたら良いかを考えている所で目が覚めてしまった。
其れで、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時18分」であったので、私は其の数字は、「土肥無庵」に捜し出された1983年3月18日の日付けであると記憶して再び眠った。
其れから再び眠ると、今度は「現出・げんしゅつ」との言葉が一言告げられて来て、其の意味を考えて居ると、次に「鎌倉別泊」との言葉が告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時10分」であった。
其れから再び眠ると、薄紫の反物が横断幕の様に、建物に引っ掛かっている様子が映し出されて来て、古く成った人間社会が崩壊していると言うか、見捨てられて誰も居なく成っている様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時30分」であったので、私は今朝のメッセージは、昨日の続きであるのだと考え、再び眠った。すると、今度は「6月1日」の日付が提示されて来た。
今朝は、其れ等のメッセージの意味に付いて、色々考えて居て起きた時刻は8時15分であった。
其れからPCを立上げ、先ず「現出」を調べると次の様に載っている。
げん‐しゅつ【現出】 の解説 国語辞典
[名](スル)実際にあらわれ出ること。また、実際にあらわし出すこと。出現。
此の説明からすると、今朝のメッセージは、昨日「明後日から始まる」と告げられて来た言葉と関係が有り、其れが、どの様な意味が有るのか・どの様な出来事であるのかを、示して来ているのであろう。
其の様に考えると、滅びた街中に「薄紫の反物が横断幕の様にモノに引っ掛かっている」場面は、宇宙の北方に有るとされる「紫微垣・しびえん」の横断幕(情報・企画)が、新時代には役に立たないので、消え去ってしまう理・ことが示されて来ているとの事が考えられる。
其れを考えると「鎌倉別泊」との言葉は、鎌倉幕府を開いた「源頼朝」が「天皇」が住む「京都」ではなく、鎌倉に新幕府を開いた事と関係が有り、明日から始まる新時代は、東京都内ではなく、安全な土地にて「別泊」して行わなければ成らないとの理・ことが、示されて来ている事にも成る。
其れを考えると、6時30分に起こされた後から「6月1日」の日付・数字が示されて来たのは「61」の数字に意味が有り、其れは「61・むいち・無一」との事であり「無から始めなければ成らない」との事で、現在の政府の政(まつりごと)は、邪魔には成っても、助け・資する事には成らないと言う事であり、全て根本から遣り直す必要があるとの理・ことが、示されて来ている事になる。
其れで、今年の6月1日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「生活重視」の文章の内容から考えると、現在の政治は、本来の「経世済民」ではなく、銀行や保険会社だけではなく、農林中金や郵便局までが、株式に投資をしており、株が下がれば、全ての機関・機構が潰れてしまうので、政府(日銀)が株式を何兆円も購入して、株の暴落をくいとめて居るので、其れは、本来の「経世済民(世を治め、人民を救うこと。経国済民。)」ではない事に成る。
其の事を考えると、世界中に広がってしまった「ユダヤ商法」の政(まつりごと)を止めて、本来の「生活重視」の政(まつりごと)に戻らなければ成らないとの事であり、其の理・ことを説いた「マルクス」の共産主義のロシアや中国までが、ユダヤ資本主義の後を追従する所か、先を進み出しているので、天神(女神・母神)も、人間を救いようが無いので、仕方無く、「新型ウイルス」を拡散させて、其れを止め様としているのであろう。
次に、今朝船が沈没するビジョンが映し出されて来た3時18分の数字から、3月18日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
3/18本日3月18日は、私が「土肥無庵」に1983年3月18日に捜し出されてから丸37年の日である。
其の事と関係が有るのか、今朝のメッセージには「原理原則」との言葉と「飯意口実」との文字が示されて来た。
今朝はひと眠りすると、耳元で蚊の羽音が聴こえるので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は未だ「1時1分」であった。
其れから、再び眠ると今度は薄暗い世界に、様々な人間社会の事が映し出されて来た。其れは、次の様な世界である。
・日当たりの良くない野菜畑が映し出されて来て、其処に生えている作物は貧弱な物である。
・木が生い茂っている山中に、手入れがされていない墓石が並んで立っている場面。
・山肌にコンクリートの土砂止め・防砂壁が造られているが、基礎が弱いので、いざ土砂崩れが起きれば、役に立たない物である事が示されてくる。
・其れから、崩壊しかけている人間社会のあり様・様子が映し出されて来てから「原理原則・げんりげんそく」との言葉が一言告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時1分」であった。
其れから再び眠ると、今度は『』の中に「飯意口実」との漢字が小さく記されている場面が映し出されて来たが、其の小さな文字は大きく強いエネルギーを秘めている事が理解されて来た。・・
其れを考えると、今朝のビジョンは、次の様な理・ことが示されて来ている事に成る。
・人間は、太陽光を十分に浴びた作物を食する事が大事・重要である。
・先祖の霊魂や、世の中の為に業績上げた人々の御魂を祭禱(さいき)する伝統を失えば、人間の魂しいは深みを失って、世の中から仁徳が消え、殺伐とした世の中と成る。
・何事にも万事備えが必要であり、基礎が浅ければ、役に立たない。
其れから、『』の中に強いエネルギーを放つ「飯意口実」との漢字が小さく記されている場面が映し出されて来た場面は、日本の伝統である「食国の政(おすくにのまつりごと)」の世界と関係が有り、「飯意口実」との言葉は「人間の真実の言葉は 食物の情報・いのちから齎される」との理が示されて来ているのではないだろうか。
其れは、仏教の「精進・しょうじん」との言葉とも関係が有り、現代の都会生活(文化人)には、其れが失われてしまっているとの理・ことなのであろう。
其れを考えると、今回の感染症拡大の問題は、天神・宇宙意識が、我々人間に「最後通告(くいあらため)」を与えて来ている現象と、捉える事も可能なのではないだろうか。「原理原則・飯意口実」
此の「原理原則・飯意口実」の文章の内容には、「1月1日・元旦」「4月1日・新年度」「7月14日・夏・秋禊ぎ」の日の事が書いて有るので、明日から新しい御世が始まるとの事と関係が有る。
其れに、「土肥無庵」の御魂が「妙見宮」の祭神「御祖神・みおやかみ」であり、「紫微垣・しびえん」の事が書いて有るので、今朝のビジョンに映し出されて来た古い町に、薄紫の反物が掛かって朽ちかけていた場面の意味が、良く理解されて来る。
其れに、次に「現出」と「鎌倉別泊」との言葉が示されて来た「4時10分」の数字から「4月10日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「物語・ストーリー」の文章の内容から、私に考えられる事は、此の私が早急に新しい「物語・ストーリー」を創作・創造して「紫微垣・アカシックレコード」に送り込まなければ、此の世界は「色・rūpa・ルーパ・縁起・結び」が切れてしまい、「空(色即是空)」に成ってしまうと言う理・ことであり、其れを防ぐ為には、私が「般若波羅蜜(パーラミター)」を興して「空即是色」を実行しなければ成らないと言う事に成りそうである。
そして其の事を、私自身が興さなければ、「現出」との事は起きないと言う事であり、其の為の指針として「鎌倉別泊」の言葉が示されて来た事に成る。
其れを考えると、今朝のビジョン・メッセージは、昨日のビジョンに映し出されて来た、新しい人間社会の仕組み・様子を、私が自分で、此の三次元世界・現実世界に描写・企画しなければ成らないと言う事に成り、其の役割こそが「現人神・あらひとかみ」との名前の意味なのであろう。
其れを考えると、昨日「6月30日」の日付に拘(こだわ)された事と関係が有り、其れを私が昨日熟(こな)していないので、今朝再び6時30分に起こされたのであろう。其れで、全文に目を通すと、次の様な内容である。・・
此の「成長した魂しい」の文章の内容は、明日から「新しく始まる」御世創造の為に、私がどの様な態度・意識・きもちで取り組めば良いのかを、「四次元世界・冥途・霊界」に存在する全ての「神霊・御魂」が心配している・憂いているとの事であり、私の「決断・勇気・心構え」が確認出来なければ、今回の最後のチャンスである九回目の「トンネル潜り・アセンション・次元上昇」も、此処で頓挫するとの事であり、神々の努力も水の泡と化すとの事であり、私自身が本日心を決めなければ、明日から始まる出来事は、人類全体が奈落の底に落ち込んで行くプログラムの発動である事に成る。
『是は 困った事に成って来た。』・・・
「現出・げんしゅつ」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5449.html
其れに「スメラミコトの働き」の文章には、次の様に書いて有る。
・・其の三つの車輪の回転・働きは、日本の神話では「天照大神」「調読命・つきよみのみこと」「須佐之男尊・すさのおのみこと」と、されているのではないだろうか。「天照大神」とは、太陽の光が照らしている昼の世界を意味し、其の太陽の光の存在で、熱が保存され、地球には水の循環が生まれ、植物の炭酸同化作用の働きが生まれ、全ての地球生物が誕生し生かされている。・・・
此の文章の内容からすると、今朝の由香のビジョンに映し出されて来た世界は、正に其の「天照神(はたらき)」の世界の様である。
其れは、由香が講堂の様な室内に居て、縦1m横1.5m程の大型のPC画面の様な物があり、上から下へと絵画が次々と映し出されて行き、其の一枚一枚は指導者が絵画教室で生徒一人一人にヒントを与えて描いたものであり、全ての絵には光が描かれ、眩しくて目を開けて見るのが辛い程であったとの事である。
その指導者はどんな人だろうかと思って居ると、偉丈夫で肉体と精神を最高レベルまで磨き上げた様な35〜40歳ぐらいの男性が現れて、「ゴム印の様に彫って写せば、誰でも簡単に光が描ける」と謂うので、其の人が指導者である事が判ったとの事である。
其の男性は、左足に立派な薄青に赤い紐のブーツ・長靴を履いており、其れは鍛えられた足にピッタリの特注の物で、とても気に入っている様子で、少しの隙間などは自分で布・ゴム等で整えるのだと謂い、其の特注の靴を作ってくれた人にはとても感謝しており、其の感謝の気持ちを傳える為に、直接出向いて御礼に行くのだと話してくれたとの事である。
次の場面は、付き合っていた男性が死亡する寸前に婚姻届を出し、相手の親族に自分の権利を主張している30〜35歳位の女性が登場し、親族達が苦悩している様子が映し出されて来たとの事である。
其の、由香に示されて来たビジョンからも、カルマ・業の禊ぎ祓いをしない人々は滅びの世界へと真っ直ぐに落ち込んで行くが、天意・神意に従い自分を浄化する人々には、明るい未来が有るとの事は保証されており、其の為には「深い森・原始の森」の保全が最も重要・大事であり、其の原始の自然環境が失われた場合は、我々現代人だけではなく、相互関係で成り立っている「神様・神霊」の世界も、消えてしまうと言う事なのである。
其の原因は、我々人類の元が「遺伝子・DNA」が99%が同じである類人猿(チンパンジー)であり、6500万年前に枝分けれした「身体・細胞」の記憶が、森の消滅と共に思い出せなく成ってしまうと言う事なのであろう。
そして、其の問題の解決策として、此の私が、世界自然遺産に登録される様な原始の森で産まれ育つ必要があったと言う事なのであろう。
其の様に考えると、一昨日沐浴中に「メーデー・メーデー・メーデー」との救難信号が送られて来た事の意味・現象も、能く理解できると言うモノ(現象)である。
其して、其れ等に対する私の役割こそが「調読命・つきよみのみこと」であり、「月読み界・冥府・冥界・四次元世界・ホルス」の世界とされているのであろう。
今朝「深森」と「慟哭」との言葉が記憶させられた事は、日本政府が税金を注ぎ込んで行っている「Go To トラベル」を12月28日から中止すると発表した夜に、当の本人である「菅総理大臣」が銀座の高級ステーキ店で芸能界の人達と食事をしている事等に関係が有るのなら、明治時代と成るまで、役人が肉食する事を禁じていた、天武天皇の意思にそぐわないとの事があるのかも知れない。
其れは人間の肉食の為に、地球の肺であると例えられているアマゾンの森林が急激に燃やされている事にも繋がって来る。
2019/3/24今朝のメッセージの映像は、先ず、自然豊かな山間に昔の王都が存在する場面が映し出されて来て、其の場面を背景として、政(まつりごと)に関わる人間の人脈・組織図・配置図が映し出されて来て、其の組織図が、十数回変わる場面が映し出されて来た。
次に、宮廷の食卓の様子が映し出されて来て、「ベジタリ」との言葉が一言告げられて来た。そして、其れは「天武天皇」と関係が有る事が理解されて来た。・・ 宮廷の食卓の様子が映し出されて来て、「ベジタリ」との言葉が一言告げられて来たのは、「天武天皇」が政(まつりごと)に関わる人間が肉食をする事を禁止して、其れが明治維新で西洋文化が導入される迄、継続されていた事と関係が有るのだろう。・・
今朝の文章の題は「天津日嗣の復活」とした、其れは私が世界自然遺産に登録される様な自然豊かな屋久島で産まれ育った事と関係が有り、私が「土肥無庵」に捜し出されて「マクロビオティック ・Macrobiotic」の食生活を3月5日から6月4日まで三ヶ月間実行し、安房川の岸辺で禊ぎ祓いを行った時に「神武天皇」を初めとする4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きた事と関係が有り、其のプログラムは、昭和21年8月3日に私の両親が屋久島に上陸した事から、開始されていたと謂う事に成るのであろう。
「天津日嗣の復活」
https://green.ap.teacup.com/20060818/4939.html
「慟・トウ・ドウ」【解字】形声。「忄(心)+動」音符の動は、うごくの意味。身をうごかしふるわせて、かなしむの意味を表す。【字義】なげく。ひどく悲しむ。身をふるわし、大声で泣く。
「哭・コク」【解字】形声。「犬+口+口」音符の口は、くちの意味。犬はいけにえの犬の意味。二口は、多くの口の意味。人の死に臨んで、犬をいけにえとし、多くの人が口を開けて大声で泣くの意味を表す。『説文』「口口+獄」の形声文字とする。【字義】@なく。大声をあげて泣く。「痛哭」「獄哭」A人の死を悲しんで声をあげて泣く礼。 漢語林より
此の慟哭の意味からすると、古事記に、須佐之男尊が「母親の国に帰りたいと言って泣き叫んだ」と記されている事と関係が有り、慟哭は須佐之男尊の専売特許であるらしい。
其れを考えると、昨日「グレートマザー」が最高権力者を迎えに行ったのは、やはり「須佐之男尊」であり、須佐之男尊が「荒神様」として暴れ出さない間に、何とかしなければ成らないとの事に成りそうである。
令和2年12月18日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2020/12/12
「吾・峨・私・朕」
文字の意味
霊木再根・たまきさいこん
2・12・12
本日12月12日は、私が27歳の時に結婚した「名越美代子」の誕生日であり、明日12月13日は私が岩手県の五葉山でイエスキリストの御魂と遭遇して「私に肉体を十字架から降ろしてくれ。誰も私の謂う事を守っていない。私の名を呼ぶのを止めさてくれ。」と告げて来た日である。
昨夜は入浴して、自分の意識を確かめると、「無念夢想・安寧」である事が確認された。
そして、其の原因を確かめると、其れは、私自身の意識(たましい)である【内側】と、「御祖神(みおやかみ)・久遠実成(くおんじつじょう)・永遠のいのち」【外側】が「一体化・合流・大調和」している所為である理・ことが理解されて来た。
そして眠ってからのビジョンには、山の峠・峰に大きく枝を広げた一本(一株)の樹木が枯れて、枝や幹が黒く朽ち掛けている様子・すがたが映し出されて来た。
其れから、私が其の原因を探る為に峠峰の道路を歩き始めると、突然に両手に激しい痛みが起きたので、其の痛みの原因を探ると、バッタの様な昆虫が、私の皮膚を喰い破って血液を飲んでいる事が判った。
私は其の昆虫を潰したり、振り払ったりし始めたが、数が減る所か増えて来るので、走って逃げ始めると、其の振動をキャッチしたバッタが周囲から群れて来るので、私は其処でバッタに食い殺される事を覚悟して居た。
其の諦め状態の中で、其の原因を探ると、山全体から緑の草木が無くなっているので、バッタが餌がなく水分を摂取できなく成っており、最後に生き残って居る人間を餌にするしか、生き残る道が無い状態に陥っている事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時13分」であった。
其れから再び眠ると、「たまきさいこん」との言葉が一言告げられて来たので、玉木再婚かと思ったが、そうではなく「霊木再根」との漢字を当てる事が理解されたので、其れは峠に残っていた枯れ木が「霊木・たまき」であり、其の枯れ木の形は、高千穂の「岩戸神社」の境内に生えている「招魂木・おがたま」である事が判った。
次に私の右前に、座る事が出来る様になった幼児(男子)が居て、左側に居る存在に向かって、何かの言を盛んに話して居る場面が映し出されて来た。
そして、場面が変わり、今度は私の真正面の薄暗い空間から、茶系の衣を着た顔が誰だか判らない細身の男性が、私の目の前に近付いて来る場面が映し出されて来て、私が其の男性が着ている服を良く見ると、其れは人間が作った布製や毛皮の物ではなく、蓑虫の様に木の皮製である事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時36分・7時24分前」であった。
其れから、今朝のビジョンが何を意味しているのかを想い始め、意識を集中する為にうつ伏せに成って、枕に額を押し付けて内側を探ろうとすると、其の自分の姿・様子から、熊野大社で10月15日に行われる「亀太夫神事」で、「宮司・神主・禰宜」達が、神棚に向かって、是以上頭を下げられない状態・床に額を着ける様子が思い出されて来た。
10/15「10月15日・亀太夫神事」
https://star.ap.teacup.com/170606/496.html
「出雲の熊野大社・亀太夫神事」
https://moon.ap.teacup.com/20051112/266.html
そして、何故日本語で、其の事を「ぬかづく・額ずく」と表現するのかが、思われて来て、其れは「松果体・第三の目」が純粋な「珪素・シリコン・シリカ」が松毬状に結晶している物である理・ことを、理解していたとの事であり、其の珪素・シリコンの言葉・世界を知らなくても、米を食べる日本人(東洋人)は、身体で其の理を認知していた事になる。
其れに、現在普通に流通している米は白米であるが、昔し臼で搗く米は籾殻を剥いだだけの物であったので、糠(ぬか)や胚芽が残った儘の玄米であり、炊くのには圧力が必要不可欠であったので、釜の上には分厚く重い蓋を載せ、「初めちょろちょろ 中パッパ 赤子泣いても蓋取るな」と、火加減と蒸し時間を重要事として傳えていたのである。
2002/2/28「稲魂」
https://moon.ap.teacup.com/20061108/166.html
其の理を考えると、「謂」の漢字や「腹の虫・虫の知らせ」との日本語は、「穀物採食」の日本人と「肉食・乳飲み」の人間とは、腸内細菌の種類が異なり、腸の長さも異なるので、「科学・知識偏重・騒」の西洋人と「瞑想・精神・静」の東洋人は、根本的に思考回路・意識基盤が異成る理・ことに成る。
2009/6/26「法(ダルマ)の主人」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/382.html
其れ等の事柄を考えてから、起きて時計を見ると時刻は8時31分であった。
其れからPCを立上げ、今朝起きた・起こされた8時31分の数字から、8月31日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/8/31本日で8月が終わり、明日9月1日は旧暦7月14日で、「秋禊ぎ日」である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有るのか、私の思考・脳の働きは、人間社会に積み上げられて来ている「知識・情報」ではなく、五感の気(エナジー)に拠って働いている理・ことが示されて来た。
今朝のビジョンと言うか、私の意識状態は、厳しい暑さの所為で起きる「夏疲れ」の症状の様で、自分の肉体が岩場の重なりの中に挟まれて居て、植物の蔓に絡め取られて、吸収されて行く様な場面・状況が、現実感を持って襲って来たので、急いで照明を点けて現実世界を確かめて、其のビジョン・場面を打ち消した。
其処で時刻を確認すると、2時27分であった。
其れから再び眠ると、今度は私の意識は南方の海岸に在って、誰だか知らない・判らない男性・客人を案内して居る場面が映し出されて来た。
そして岩場を歩いて行くと、大きな魚が所々に捨てて有り、客人が「何故大きな魚が捨てられているのですか」と質問するので、其の捨てて有る魚を確かめて見ると、其の魚は地元民が食べない魚であるので、私は「釣れたけど 食べないから 持って帰らなかったのでしょう」と、応答して居た。
次のビジョンは、私が数軒の建物が並んでいる自然の森の中に居て、車で自然探索に出掛けた二組の客人の帰りを、待って居る場面が映し出されて来た。
そして、其の二組の客人が二台の車で帰って来たので、私は夫々別の建物に案内して、風呂やトイレの扱いを説明していた。
どうやら、私は民宿の様な施設の管理を行って居る様で、其の建物は自然の森の中に在るが、ライフラインが整っている近代的な建物施設である事が理解されて来た。
其れに、客人が運転している車は四駆の新型の車であり、客人達はスーツ等の洋服を着用しており、教養のある都会人である事が理解されて来た。
其れで、私は自分の身なりを確認すると、私は上着は着て居らず、南方の原住民の様な姿・恰好である事が判った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時27分」であり、初めに起こされた時から丁度1時間が経過している事が判った。
其れから再び眠ると、「ナイス・ボディ」との言葉が一言告げられて来て、其れは私の肉体の事に付いてであり、私が「土肥無庵」に連れられ北九州市の洋服の仕立て屋に行くと、店の主人が「是が本当の肩甲骨」だと驚く様に謂うので、其れは私が中学を卒業してから毎日砂糖キビの束を大型トラックに投げ上げて居た所為だと理解した事や、全国の旅に出てから足の相を見る専門家が「こんな足を見た事が無い。」と謂い、其れは私の土踏まずが発達している事を意味し、私が中学校まで裸足で通学していた事や、子供の頃から山岳・山中を駆け回っていた事と関係が有る事が理解されて来た。
其れに、私は子供の頃から猿の様に木に登って、様々な木の実を食べて居た事や、川に鰻の罠を仕掛けたり、海で魚釣りや貝取りをしていた事と関係があり、砂糖キビを齧る事で顎が発達している事にも関係があり、私は学校の授業時間以外は殆ど机に座る事なく、野外で朝から晩まで躰を動かして、身体を鍛えて来た事が、並みの人達とは違う五感を養う事に成った理・ことが、示されて来ているのであろう。
そして、其の私の体験の多さ・積み重ねが、神のメッセージを受け取るアンテナ・受信に役立っているとの事であり、私の意識の基盤が、人類が650万年前に類人猿から分離した次元迄、里帰りをしている事に成るのであろう。
/7/9・・是等の15年程前の文章を読むと、確かに私は、都会で高度な教育を受けて育った人達は違い、独特な意識(脳味噌)の構造をしている事に成り、其れが、138億年の宇宙年齢(情報)や、38億年の生命情報(記憶)と関係が有り、世界自然遺産に登録される様な、山川海の自然環境の中で肌感覚で育って来た、私の意識感覚・センサーは、何物に換える事が出来ない、貴重な存在であると謂えるのかも知れない。
其れを考えると、私の人生はとても恵まれていた事に成り、全ての神々に、心から感謝の念を抱かなければ成らないと言う事に成りそうである。
「自然に帰る」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/835.html
/3/14「源へ還る意識」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/305.html
今朝起こされた2時27分の数字から、今年の2月27日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、「・・其の石垣の岩の隙間に、マメ科の植物が彼方此方に発芽して、伸び始めている様子が映し出されて来た。」と書いて有るので、今朝のビジョンで植物が私の肉体に侵入して来た場面は、植物が根から酸を出して岩を溶かして吸収している事と関係が有り、私が「いそべ・礒邉・磯部・石部・石屋・石工」の血筋と関係が有る事が、示唆されているのではないだろうか。
其れに「・・私の身体は白毛の類人猿の姿であり、白い子猿を懐に抱いて、椅子の上に、猿其の物の様子で座っており・・」と書いて有るので、今朝の私の姿が森の中に暮らす原住民の様であった事とも符合している。
其れと「98%の繋ぎ目の掃除」との言葉は、明日9月1日が旧暦7月14日で「秋禊ぎ日」である事と関係が有り、意識の継ぎ目を徹底的に禊ぎ祓う必要が有るとの事であり、今夜が「天津日嗣・あまつひつぎ」の最終日であるとの事なのではないだろうか。
其れに、次に起こされた3時27分の数字から、3月27日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「宝の島は永遠」の文章には、「神様も佛様も自適さんのファンに」と告げられて来たと書いて有るので、私が屋久島で産まれ育った事と関係が有り、私の意識は自分の物ではなく、屋久島自体が、私の躰を使用して、本来の「磐座・いわくら」の情報・記憶を再生したとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、私はライアル-ワトソンの著作である「アフリカの白い魔術師」に書いて有る「岩に棲む蜥蜴」の役割を果たした事に、成るのではないだろうか。・・
今朝は此処まで打ってから畑に下りて、水掛けを行い帰って来てPCに向かうと、男性の聲で「3月17日」「5月18日」「6月18日」「10月13日」の日付が告げられて来たので、其の日付の文章を確認すると次の様に書いて有る。・・
此の文章には、二度「土肥無庵」が出て来るので、今朝日付を告げて来た男性は其の土肥無庵の御魂である様である。
其の理由を考えると、私の文章の内容や日付を記憶できるのは、「図書館の本は全部読んだ。書いて有る文章は捲るだけで全て記憶できる。」と謂い、私の風変りな質問にも直ぐ応答していた土肥無庵にしか不可能な事であり、其の土肥無庵の意識は17歳の時に頭蓋骨骨折事故を起こしてから、小倉の妙見宮の祭神である「御祖神・みおやかみ」が守護霊と成っているからである。
「無庵師匠の御魂」
https://green.ap.teacup.com/20060818/2915.html
私は其の「土肥無庵」に捜し出されて、三ヵ月間の「マクロビオティック ・Macrobiotic」生活の後1984年6月4日・旧暦5月5日に安房川の岸辺で、土肥無庵が見守る下で禊ぎ祓いを行い4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象が起きた。
其れから、本日で12237日と成る。
今年は4月が閏月であったので、明日9月1日が旧暦7月14日「秋禊ぎ日」である。
今朝で文章の題が、三日連続「英語・カタカナ」である。
其れを考えると、明日から始まる禊ぎ祓いは日本だけではなく、世界全体の出来事と成るとの事なのではないだろうか。
「ナイス・ボディ」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5472.html
此の「ナイス・ボディ」の文章の内容は、正に私の「心身」の育ち方と謂うか、意識基盤の有り様が纏められている事に成り、一昨日告げられて来た「ファド・fado・運命・宿命」の言葉が其れに関係が有り、昨日告げられて来た「ここまで」との言葉は、今朝告げられて来た「たまきさいこん・霊木再根」との言葉と関係が有り、日本語の「たまき」は環境の「環・たまき・手巻き」でもあるので、本日から「意識・神事」の再構築が開始されるとの事なのかも知れない。
其れを考えると、明日12月13日の日付が、私がイエスキリストの御霊と遭遇してから丸36年の日である事と関係が有り、イエスキリストの言葉・預言の始まりであり、世界最大の宗教(77億人の10%)の信者の、真の目覚めが始まるとの事なのかも知れない。
2004/12/13「キリストの手足」
https://star.ap.teacup.com/170606/501.html
其れに本日12月12日は、私が「日蓮上人」の御霊と触れる切っ掛けと成った「名越美代子・1952」の生誕68年であるので、日本の仏教(宗教)の根本的改革が始まるとの事なのかも知れない。
2018/12/12「宗教は最大のカルマ」
https://green.ap.teacup.com/20060818/4835.html
其れを考えると、一作日から私が感じている・覚えている「安寧・あんねい」の感覚は、仏教で言う所の「三昧・サマディ」と関係が有り、私は漸く自分が持って来た「悠々自適」の世界に入れる・入って居ると言う事に、成るのかも知れない。
2001/5/4「神霊の思頼 自適」
https://moon.ap.teacup.com/20061108/122.html
そして其の事に、今朝のビジョンに映し出されて来た、朽ち果てようとしている「招魂木・おがたま」の木が象徴であり、日本の古神道の復活を開始しなければ成らないとの事なのであろう。
キー「招魂木・おがたま 臼 」
2001/6/10・・日本の数多くの神社で、御神木として使用されている木は「榊木・さかき」だが、古い神社では「おがたま・小賀玉・招霊」の木が「御神木」として境内に植えられている。小賀玉の木は、別名「臼の木・うすのき」とも呼ばれ、昔はこの木で餅を搗く臼を作っていたらしい。
出雲の「熊野大社」では、古くから、餅を神に供える行事が、毎年10月15日に続けられている。
出雲大社は、元々は「杵築大社・きつきたいしゃ」と呼ばれ、毎年、出雲大社で臼と杵で餅を搗き、熊野大社に10月15日にお供えに行くのである。
其の行事(亀太夫神事)が「受餅・うけもち」の儀式で、其の為に、食物の神の事を「保食(うけもち)の神」と呼ぶように成っている。
だから、何10年間に糸回かは、臼を新しく取り替えなければならないので、その為に、境内に小賀玉の木が植えられたのかもしれない。
神社で儀式の舞の時に、御巫が持つ鈴の形は、小賀玉の木の実の形から出来たものとも云われている。昔は、小賀玉の木は、神事には欠かす事が出来ない木であったのだろう。
現在では、石で出来た臼や、電気餅搗機で餅を搗く様になったので、小賀玉の木が植えられる事が無くなった。
小賀玉の木は、ヒビ割れがしなかったのであろう。
おがたまの木は、何か、他に使い道を捜さなければ、この世から消えてしまうかも知れない木である。
「おがたまの木」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/128.html
2013/6/12「御神木の花が咲く」
https://moon.ap.teacup.com/20060109/42.html
今朝山岳が丸裸に成っており、私がバッタに襲撃される感覚が襲って来た「4時13分の数字から「4月13日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/4/13本日4月13日は「虚空菩薩の日」として、各地で大祭が行われる日であるが、冬型の天候で肌寒い一日と成った。
其れに本日4月13日は私の長男「海生」の41歳の誕生日である。
今朝のビジョンは、先ず、牧場等の人間が自然破壊をした土地に、杉や檜などの針葉樹だけではなく、様々な木々の苗が植え付けられている様子が映し出されて来た。
次に、屋久島の西部の村である「栗生」集落に住んで居ると言う、60歳位のの大人物の存在が登場して、私が其の人物に会うと、私の気持ちとしても、其の男性なら、親分として世に出しても良いと意い、新しい御世創りをする為の資金を、どの様にして集めれば良いかを考え始めていた。
そして、其の大人物の顔が、下から見上げる様な感じで瞬間だけ覗き見えた。
其の顔はアジア人の顔ではなく、面長の顔で堀の深いアラブの王族の様な顔であり、年齢を重ねているせいか頬が少し欠けた感じに見えた。
是で私は、老子・釈迦・イエスに続いて、写真の無い「須佐之男」の顔を見せて貰った事に成る。
そして、其の西部の栗生集落の事を考えて居ると、屋久島の東西南北の集落に、同じ様に、未来創造の為の人材が居るのではないかと想い始めて居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は私が由香と二人で、姉妹らしき女性が経営する喫茶店に着席して居る場面が映し出されて来て、店のカウンターの横に、サトウキビの汁を煮詰めて、ザラメ状にしている機器が動いているので、私は自分の実家が製糖工場であった事から、其れを懐かしく思い、其のザラメの様な物を注文をして居た。
そして、今朝起きた時刻は7時22分であった。
今朝のメッセージは、私にも能く判らないモノであるが、屋久島の西方の集落に住む大人物と、新しい御世創りの資金の必要性を考えると、中国の四神の西方の守護神が「白虎・びゃっこ」であり、「道路・経済・商売」に関する神(はたらき)なので、先ず、新しい経済の道筋を開く必要性が有るとの事なのかも知れない。
其れに、起こされた時刻が6時13分であるのは、昨年の6月13日のメッセージのテーマが「切り開く能力・ちから」であるので、此の私が、何らかの事を考え出す・創出する必要があるとの事なのかも知れない。・・
此の文章の内容から考えると、今朝のビジョンで大人物が住む集落が西方であった事は、日本国の西方が朝鮮半島である事と関係が有り、やはり韓国との関係を改めなければ成らないとの事なのかも知れない。
其れに今朝起きた・起こされた時刻が7時22分であったので、昨年の7月22日の文章を視て見ると、何と、其の文章にも、昨年の6月12日と13日の文章が貼り付けられている。
是は、どう言う事なのであろうか。・・
此の文章には、「・・私は、森林の手入れ・管理を行っている部署に行って見ると、其処には道場の様な施設が存在し、・・」と書いて有るので、今朝のビジョンに広い土地に、様々の木々の苗が植えられていた場面が映し出されて来た事と、関連している。
其れと朝鮮の事を考えると、「須佐之男尊・すさのおのみこと」が韓国との往来を繰り返して居た事が関係が有り、朝鮮半島や中国から木々の種子や苗を持ち帰り、日本国中に木々を植えて廻った須佐之男尊の御魂が、今朝関わりを持って来ていた事が考えられる。
其の様に考えると、今朝の映像に屋久島の事が映し出されて来たのは、「須佐之男尊」の霊魂が北海道の女性を麦生集落の森山に存在する祇園様に呼び出して「此の島に或る計画が有る。其の事を私に伝えてくれ。」との出来事があった事と関係が有るのかも知れない。
そして其の事が、「紀(とき)のまつり」「御稜威建国」の始まりに成るとの事なのではないだろうか。・・
此の文章の内容から考えると、是までの出来事が、全て腑に落ちる様な気がして来た。
其れが、36年前に別れた儘一度も会っていない、息子・長男の誕生日である事を考えると、「約束は守られる」と告げて来た「ククルカン・ケツァルコアトル」の言葉も信じられる様な気がする。
其れに、今朝のビジョンで、私と由香が二人で喫茶店に親しく座って居り、砂糖キビを煮詰めた物を注文して居た場面は、私が子供の頃から、砂糖キビを煮詰める為の薪を集める、父親の作業を手伝って居た事と関係が有り、其の姉妹は木の苗を育てる作業を手伝って居た「須佐之男尊」の娘二人「大屋津姫命・おおやつひめのみこと」「都麻津姫命・つまつひめのみこと」を登場させて来た事に成りそうである。
其の様に考えると、親しくして居た場面は、由香の実家が、母親である櫛稲田姫が祭神である稲田姫神社の参道沿いに有る事と関係があり、2700年の時空を超えて、物語・ストーリが復活して来ている事にも成りそうである。
其れを考えると、今朝のビジョンは、矢張り「宇宙・虚空」の世界が開いて来たモノ・現象であると、言う事に成るのではないだろうか。
「虚空菩薩の日」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5332.html
此の文章には、山に植樹を行う事と、熊野神社の祭神である「須佐之男尊・すさのおのみこと」の事が書いて有るので、今朝のビジョンは熊野大社の祭神である「須佐之男尊・すさのおのみこと(神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと)」が絡んで来ている様である。
其れに、木の皮を纏った男性が登場した「6時36分・7時24分前」の数字から、7月24日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/7/24本日7月24日は、マヤの「13の月の暦」の大晦日であり、明日25日は「時間の拘束が無い日」とされ、26日が「一年の始まりの日」である。
今朝のビジョンは、一口に謂うと、私の認知しない世界・ところで新しい建国の儀式が行われている様子・場面が映し出されて来て、私の存在(意識)も、其の会場に入る為に、何列か人々が並んで居る受付の列の中に在った。
すると、後から到着した仲間らしき男性が、私に、「井上佳子(伊勢神宮を創建した斎宮・倭姫の御魂)」から伝言を受けたとの事で、其れは「花 七色」との言葉であった。
其の「花 七色」との言葉は、日本原産である「紫陽花」が七色に変化すると言われている事と関係が有り、奈良の「矢追日聖法主」に終戦日に天神が告げて来た「新しい世の中は紫陽花の花の様な仕組み」との言葉と、関係が有りそうである。
其の矢追日聖法主は、1911年(明治44年)12月23日(旧暦11月3日)「冬至」生まれであり、其れは、マヤの13の月の暦で2012年12月23日から新しい御世・世界・次元が始まるとされていた事と深い関係が有り、其のマヤの予言は、私に2012年11月11日に「8年先延ばしにする」と告げられて来て、其れは今年の12月23日である。・・
【此処で私の右手の小指にカモ(神の電気信号)の反応が起きる。】8時18分
此の8時18分の数字は、マヤ・アステカの神である「ククルカン・ケツァルコアトル」が「約束は守られる」と告げて来た平成18年8月18日の日付であり、小指は「指切り拳万」の約束の作法に使う指なので、矢張り今朝のメッセージはマヤの神(はたらき)である「時間の操縦士」に関係が有る様である。
其れに私は、其の三年前の2003年8月18日に由香のガイドで屋久島の奥岳縦断(東経130度30分・御稜威ライン)を行ってもいる。・・
此の文章には、次の様に書いて有る。
「・・今朝起こされた時刻は、「4時13分前」「6時13分」「8時13分前」である。何故「13分」であるかを考えると、私が「土肥無庵が神だから守れ」と告げられた日。岩手県の五葉山でイエスキリストの御魂と遭遇した日。昭和天皇の御魂のお告げにより「日の宮幣立神宮」に辿り着いた日。マルチンルターの縁(弁財天・サラスヴァティー・水・湖を持つもの)で江藤敬介氏に出会った日などが、13日である事が関係が有り、虚空菩薩の祭り日が4月13日である事に絡んでいるのかも知れない。其れに、「6時13分」が「前」ではなく「過ぎ」である事を考えると、昨年の6月13日のメッセージが「切り開く能力・ちから」である事と関係が有り、既に「新しい御世の創造」は始まっているとの事なのではないだろうか。・・・」
此の「13日」の日付の事を考えると、「マヤの13の月の暦」の世界は、私が1984年3月13日に太陽が太平洋に半分顔を出している時に「神だから守れ」と告げられて来た時から連動しており、私が11月半ばに全国の旅に出発し、12月13日に私が酒井勝軍が神の宝剣を受け取ったとされている五葉山で「イエスキリスト」の御魂と遭遇した事も、設定済みの出来事であったと言う事に成りそうである。・・
今朝のビジョンには、新しい時代・次元の王である若い男性の存在が映し出されて来たが、其の人物の手前には黒糸の網(御簾)が降ろされているので、顔を確かめる事は出来なかった。
其れは、今月18日のビジョンに映し出されて来た男性・王の存在と関係が有り、今朝の若者が、其の王に成る迄には20〜30年の歳月が必要であり、此の私も其の若い男性が「新しい王・統尊」に成る迄、何らかの役割を果たさなければ成らないとの事の様である。
私が此処の所、気に成っている事は、衛星写真で中国の病院の駐車場の車の台数を調べると、昨年の8月から台数が増えており、其の原因を調べると患者に新型ウイルスと同じ様な症状が見られるので、新型ウイルス感染は8月から始まっていたとのニュースである。
私が何故、其の報道を気にするかと言うと、昨年の6月30日に「明日から始まる」との事が告げられて来ているので、新型ウイルスの発生には天神の意図が働いているのではないかと想われるからである。
何れにしても、本日7月24日に明日の事を書かされたのは、私にも明日、休日(時間の拘束が無い・解かれる。)が、与えられると言う事なのかも知れない。
「マヤ暦の大晦日」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5434.html
此の文章には、「12月13日 イエスキリスト」「12月23日 矢追日聖法主」「8月18日 マヤの神 約束は守られる」の事が書いて有るので、やはり、残り10日間が大詰めである事に成りそうである。
其れに、ブログ記事管理の画面で、2020年7月24日の日付を押したのだが、随分と時間が掛かって出て来たのは、何故か一ヶ月違いの8月24日の文章であり、其の日付の文章の題は「二千年間動かないイエスの死体」である。
其れに、確かめて見ると矢張り開いている所は7月分の画面であった。
此の現象(電子機器の誤作動)は、神の漢字が「示(祭壇)+申(電気・雷)」の象形である事と関係が有り、イエスキリストの御霊が電気の世界を操作して、此の文章を出して来た事に成る。
2020/8/24今朝のビジョンは、昨日のメッセージで、私が黒砂糖を使用した食品の試作品をバックに詰めて、砂糖キビを原料として黒砂糖を造る製糖工場に向かう場面の続きの様で、何処かの街中に、昔の茶店の様な施設が存在し、庭先に並べられれている茶席には、黒砂糖を使用した、お萩やクッキー等の様々な食べ物が、小皿に載せられて並べられている場面が、映し出されて来た。
そして、私の意識は、其処を拠点とするか、活動のモデルとして、様々な世界を構築して活動を始める様子が示されて来て、其れが平和な人間社会の完成に向かう事に繋がる理・ことを意識して居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時19分」であった。
其れから再び眠ると、今度は屋久島の長閑な農村風景が映し出されて来て、私が散歩をしていると、河川の水を溜める貯水池の堰のコンクリ―が、外側に膨らみ始めており、やがて決壊する恐れが有るので、其の事を村人に知らせると、数人の男性が現場を視察したが、其の人達は私が感じた事を認識できないので、コソコソと「自適は未だ頭が変しい。治っていない様だ。」との事を話して居るので、私は其の人達は大変な事が現実に起きてからでないと、物事が理解できないと言うか、未来を推測する事は無理である理・ことを理解していた。
其れから、其の村人達は、やがて決壊するだろう其の堤の場所を、埋め立てて道路にしてしまったので、大雨が降った時に一気に堤が崩壊して、麓に被害が出るまで、私が傳えた事は忘れ去られてしまう事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時6分」であった。
其れから再び横に成り、目を閉じると、今朝のビジョンは「弘法大師空海」の御魂・意識に因るモノ・現象である事が理解されて来た。
其れは、弘法大師空海が村人が何度も被害を受けていた、香川県のまんのう町に有る「満濃池・まんのういけ」の堤防を完成させた事と関係が有り、人間の感知能力と言うか、頭の使い方に付いて、私に何らかの理を悟れとの事の様である。
今朝は7時15分に起きて、カメラを二台提げて畑に下りて、写真を撮りながら野菜の収穫を行った。
其れは、私が神のお告げ(天の御臥す間・真床襲衾)の世界から離れて、自分自身の意識・こころに復帰・かえる行為・儀式でもある。
そして、野菜や草花の写真を撮りながら、天皇家に嫁いだ女性は、自分の過去を全て忘れ去る必要が有り、過去の物語・思い出が消えてしまうと、自分の意識が不安定に成ってしまうので、其れを防ぐ為に、自然に意識を向ける為に「季節の花一つ」と、心の支えにする「一品を手元に置く事」が、求められる事を思い出した。
其れに、日本の禅宗では、達磨禅師が8年間壁に向かって座禅を続けて悟ったとして座禅を続けて居るが、其れは間違いであり、達磨禅師はインドで悟った事で中国に自分の弟子が居る事を知り、其の弟子「慧可」が訪ねて来るまで、壁に向かって座って居ただけである。・・
其れに仏教の始祖である釈迦(ガウタマ・シッダールタ)は、座禅をする事で悟ったのではなく、厳しい六年間の修行を止めて・投げ出して、池で沐浴をして菩提樹の根本に座って休んだ時に、無空と成った意識が受信体と成って、宇宙の全情報が一瞬に流れ込み、其の情報を反芻して自分の海馬に収納する作業が七日間掛かったモノであり、座禅の行為をする事で覚醒したモノではないのである。・・
其れに、最大の間違いが「磔の姿」としての、イエスキリストの死体を、子供の時から「神」として拝まされている人々の存在である。
其れは最も悪い行為・伝統であり、死体を拝んで居る者達には、救いは無いのである。
何故かと言うと、イエスキリストの願いは「自分の肉体を十字架から降ろしてくれ」との事であり、イエスキリストが弟子に謂った・傳えた事は、「私の教えを広めない。持って良い物は 杖以外は下着一枚だけ。」で、あるので、イエスキリストの弟子である為には、無所有で歩き続ける事だけだからである。・・
私は「土肥無庵」に找し出された時に、「自適さんが話す言葉は 誰にも理解されない。私が永田のホテル石蕗の舎を買い取って、先ず三木武夫総理大臣から連れて来る。」と謂った事が、霊界・神界の事として始まると言う事であり、私はイエスキリストの遺言をPC一台で、実行できると言う事なのであろう。
其れは2000年前から、人間の頭の中の蜘蛛の巣に張り付いている、イエスキリストの遺骸を取り除く事でもある。
今朝のメッセージは、他の生き物は本能(遺伝子・DNA)に純粋に従って生きているので、一切悩みが無いが、大脳が発達した人間は、必要以外の物(言葉・文字を含む)に固執するので、純粋な生き方が出来ないで居るとの理・ことが、示されて来ている様である。
其れで其の最大の物が、世界最大の組織であるキリスト教であり「2020年8月24日」の暦も其れに付随するので、今朝の文章の題は「二千年間動かないイエスの死体」とした。
「二千年間動かないイエスの死体」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5465.html
此の文章にも、明日の日付12月13日の出来事が書いて有る。
其れを考えると、やはり明日12月13日は重要な日であり、冬至の日までに、「招魂木・おがたま」の「再根」を図らなければ成らないとの事に成りそうである。
『ところで 貴方の今の気持ちは 何処に位置していますか。
此の文章を打って居る間は 貴方自身の気持ちは
吾には在りますが 我には成って居ませんよ。
私に成る事はいけませんが 朕の意味を良く考えなさいね。』15時00分
「吾・ゴ」【解字】形声。「口+五」口は、神のおつげの意味。音符の五は、棒を交差させて組み立てた器具の象形。神のお告げを汚れから守るための器具のさまから、ふせぐの意を表す。借りて、われの意味を表す。
【字義】@われ。じぶん。わが。じぶんの。A相手を親しんで呼ぶ時にそえる語。「吾子」Bふせぐ。とどめる。
「我 ガ われ わ」【解字】象形。もと、刃先がぎざぎざしたほこ(戈)の形にかたどり、借りて、われの意味を表す。我を音符に含む形声文字に、儀・蛾・峨・義・議・戯・艤・曦・犠・などがある。
【字義】@われ。自分。私。「自我」「没我」Aわが。私の。㋐自分に属すること。自分の所有することを表す語。㋑自分の味方や国を指している。㋒親しみの意味を表す語。Bかたいじ。頑固。ひとりよがり。「我流」C仏、自分のことに執着すること。
「私・シ・わたくし」【解字】形声。「禾+ム」音符のムは、わたくしするの意味。禾は、いねの意味。私有する稲の意味から、わたくしするの意味を表す。
【字儀】@わたくし。㋐自分。自己。㋑個人⇔公。「公私」㋒かたておち。不公平。㋓よこしま。邪悪。㋔利己的な欲望。㋕ひとりでいること。㋖人に知られたくない行い。また、かくしごと。秘密・プライバシー。Aわたくしする。㋐自分のものにする。自分の利益をはかる。㋑不公平にする。かたよる。㋒姦通する。ひそかに。こっそりと。正式ではなく。C愛する。あわれむ。めぐむ。D気にいり。愛する者。Eふだんいる所。自分の家。また、ふだん着。Fまたけらい。家来の家来。陪臣・バイジン。Gみうち。家族。Hゆばり。ゆばりする。Iあいむこ。姉妹の夫同士。Jかくしどころ。Kいね。小作人の所有となる稲。国語 わたくし。わたし。一人称の代名詞。
「朕」は「舟+跡+両手」の組み合わせで、音符の「チン」は、上に向かって物を押し上げるの意味。船を上流に向かっておしあげるとき航跡をえがくさまから、しろし・あとの意味を表わす。借りて、われ、天子の自称の意味を表す。
【字義】@われ。㋐昔、一般に、自分をいう。㋑天子の自称。秦の始皇帝以来、天子の自称のことばとなった。Aきざし。また、しるし。あと。兆候。
漢語林
此の朕の意味からすると、私は、此の滅びて行きそうに成っている人間社会の流れに打ち勝って、新しい御世を創造しなければ成らないと言う事に成りそうである。
其れを考えると、「ファド・fado・運命・宿命」がポルトガル語であった事と関係が有り、ドイツ語で「「ルーヴェン-デス」と告げられていた事を思い出した。
2009/7/10今朝のメッセージの映像は、私の意識が、現象世界の一番底に在って、自分の上に積み重なっている物を押し破って、表面に出る様子を体験していた。
そして、其の動きは「朕」と言う言葉に、関係がある理・ことが示された。
其れから、一枚の用紙が現れ、其処には日付の欄が有って、左側の欄は、上が空白で、一番下に7の数字が残っており、右側の欄には、上から8・9・10・11・12と、今年の残り月の数字が、縦に並んでいた。
今朝の、メッセージの映像の意味では、今年一杯で、何かを押し破って、表面に出なければ成らない事があるらしい。
いま、漢語林で「朕・チン」の漢字の意味を調べると、次の様に載っている。
「朕」は「舟+跡+両手」の組み合わせで、音符の「チン」は、上に向かって物を押し上げるの意味。船を上流に向かっておしあげるとき航跡をえがくさまから、しろし・あとの意味を表わす。借りて、われ、天子の自称の意味を表す。
【字義】@われ。㋐昔、一般に、自分をいう。㋑天子の自称。秦の始皇帝以来、天子の自称のことばとなった。Aきざし。また、しるし。あと。兆候。
漢語林
此の朕の漢字は、勝の文字と同類である。「勝」の漢字は「舟+両手+力」の組み合わせで、字義は「川の流れに逆らって 両手で舟を押し上げて行く力」で、流れに勝つの意味である。其れと反対の言葉である勝負の「負」は、背景に財産や地位をかざして、言・モノを云う人の意味である。
其の「勝負・ショウブ・かちまけ」の言葉の意味からも、今朝のメッセージで告げられて来た「朕・チン」の言葉の意味は大きい。
どうやら「朕」の言葉は、始皇帝と関係しているので、地位や財力を持っている皇帝の姿を連想するが、本来の意味には「地位・権力・財産・城」などには関係がなく、もっと大きなモノが、対象と成っている様である。
其れは、此の三次元的な現実世界で、物を得る「朕・われ」ではなく、大きな宇宙的要素を抱えている様である。
其れは、宇宙の進化である森羅万象の流転の中で、古い情報を押し除けて、未来空間に、新しい芽を出して行く事なのではないだろうか。
其の様に考えると、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に此の神の世界に入って、神・天に告げられた「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との言葉の意味も、理解できると謂うものである。
其れは、此の我々の住む現象世界は、過去の情報で成り立っているモノ・現象であり、今と言う次元を「護る・保持する」為には役に立っているが、宇宙が進化する為には、「邪魔・殻」と成っているモノなのである。
だから、宇宙の回転運動の法則である「一輪廻・2666年」の周期で、誰かが内側から、其のトキの「壁・古い情報」を突き薮って、外に出る必要があるのだ。
其れが、今から凡そ2600年前の時代を生きた、中国・老子(智慧)、インド・釈迦(悟り)、日本・神武(政治)、ギリシャ・ピタゴラス(数学・音楽・科学)等の役割だったのである。
其の役割の人物が、2666年の節目で、いま必要とされて来ているのである。
今朝、何故、其の「朕」の意味が映像で告げられて来たかと言うと、昨日「登龍」の文章を書いた事が、登龍門を通過した事に成るのかも知れない。
そして、其の「龍門の瀧登り」こそ、「朕」が自分に勝つ為の、「脱皮」を意味しているのであろう。・・・
「朕・チン」
https://star.ap.teacup.com/20060505/79.html
2003/2/14私の旅日記を捲ると、様々な事が記してある。
何しろ、18年間自由に旅をして来たので、多くの出会いが有り、日記を書いた場所も、全国バラバラである。其の中で、自分でも興味深い事が有るので、文章に起して見ようと思う。
1999(平成11)年5月21日の夢に、「ルーベン-デス」と出て来て、次に「判断基準」の意味が伝えられ、縦書にて「記― 性― 食― 霊―」と、次々に文字が書かれて現れた。
そして、一番上の「記」の文字だけが光っていたのである。しかし、当日は未だ、何の事だか分からなかった。
次の日22日に、出雲から、東京に向かって出発した。
23日に、埼玉県上福岡市で神明塾を開いている「佐々木将人氏」の祭りが有り、其れに呼ばれていたからである。
不思議な事に、二ヶ月前の1999年3月18日金曜日の夢に「23日 1.4」と現れて、何だろうかと考えていたら、其の日の午後2時頃、郵便が届いたので開けて見ると、佐々木将人氏からの手紙で、『5月23日午後1時より4時まで祭りを行う。』との内容であった。
3月18日は、私が無庵師匠に捜し出されて丁度16年目の日である。
其の16年目の記念すべき日に、夢に出た日付と、時間が附合する手紙が届いたのである。
早速、安部忠宏氏(当時、私がお世話に成っていた 出雲の会社社長)に其の事を話し、二名で参加する旨を連絡した。
そんな事が有って、5月22日朝9時20分発の飛行機で、出雲空港から東京へ向けて出発する事と成ったのである。
其の、5月23日の祭りも無事に済んで、出会いの中から、東京に安部氏が事務所を持つ事に成り、私は事務所探しの為に東京に留まる事になり、其れから暫らくホテル住いと成ったのである。
26日に、時間が空いたので、渋谷の本屋に寄って「ルーベン-デス」を調べてみようと思い、辞典のコーナーに行って見た。
行って見て、分かった事は「ルーベン-デス」のスペルが分からないと、調べ様が無いとの事である。「ルーベン-デス」の日本語の意味も、分からないので調べ様が無い。
私はガッカリして、あきらめ掛けたのだが「ルーベン」の言葉の響きがドイツ語の様な気がするので、ドイツ語辞典の棚の前に立った。
しかし「独和辞典」なのか、「和独辞典」なのかも分からない。
私は、何気なく、厚い独和辞典を手に取って、栞・しおりの挟まっているページを開けて見た。すると、独語のスペルの右側に、カタカナが書いてある。
其のカタカナの中に、何と「ルーヴェン」と有るではないか。
そして、後の方に「船首を 風上に向ける」と書いて有り、スペルの方を見ると「lu-ven」と載っている。「ルーヴェン・(ルーフェン)」の所に、偶然に栞が挟まっていたので驚きであった。
私は喜んで、昂奮気味に、今度はカタカナで「デス」を追っ掛けて頁を捲って行った。すると「デス・タメント」が載っており、【@遺言状 Aキリスト教・神と人との契約】とある。判った事は「デス」とは「テスト」や「テスタメント」の「テス」で、「精確に。精密に。」「聖なる契約」の意味である事が分かったのである。
遺言状や、神と人との契約は、人間にとって一番大事なもので、決して間違ってはならないものである。テストは間違っても、点数が悪くなるだけだが、それでも正確に書くという約束事は、ハッキリ意味付けされている。
「ルーヴェン」と「デス」を続けて意味を採ると、「正確に 船首を 風上に向ける」となり、私の是からの行動は、「風に向って 正確に前進せよ」とのメッセージとして受け取れた。
この事が判明したので、私は、馴れない東京での、一人暮らしの覚悟が出来たのである。
話を元に戻すと、5月21日には「性(男・女の働き)」「食(食物の良し悪し)」「霊(守護霊の霊格)」等の判断基準の前に「記」の文字が有り、其の文字が光っていた事が有る。
此れらの事からも、「ルーヴェン-デス」が、何の事か解って来た。
「デス」が正確に書く、つまり記す事に関係が有る事が分かったので、「記す事を正確にし 其れを判断基準にして、風上に向って進む」とのメッセージが、明確に成って来たのである。
西洋の旧約聖書が、預言書として3000年来伝えられている様に、人間が風に流される事なく前進する為には、何らかの記された物が、必要であるとの事だろう。
「記す」と言う事は、古代シュメール文化や、エジプト文化や、マヤ文化でも行われている。記された物が、如何に、人間の判断に影響を与えるかは、昔から重要視されていたのであろう。
それにしても、中学校しか出ていない私に、ドイツ語で云って来るのも不思議な事であり、東京の本屋の辞典の、其処のページに栞を挟んである事も、常識では考えられない。
私が、出雲に住んでいる事を知っており、東京の本屋の人間まで、動かしている者の正体は、一体何者であろうか。
私にも、神の世界がどう言う「絡繰・からくり」に成っているのか分からないが、全体的に、目には見えない何者かが、手を尽している事は、ハッキリ感じられるし、其の働きを人間側が知って、証しとして記す事が、大事である事も理解できて来た。
私が文章を書き始めたのも、此の「記」と「ルーヴェン-デス」のメッセージが大きな切っ掛けと成り、1999年の秋から、日記だけではなく、文章にも残し始めたのである。それから、三年余りに成るが、私が記す事で、神界も段取り良く、事が進められる様である。
私の行動を支えながら、メッセージを送って来る者、それも、私が持っている辞書の中身まで知っていて、私の知り得る情報の限界をも、把握していての事らしい。
昔から、神は、偉大な存在だと云われているが、私も、其の事に対して疑いは無くなっている。
私が、不思議に思うのは、其れだけ力の有る神が、何故・なにゆえこんな出来の悪い人間を、大量に増やして来たのかと言う事である。
他の生物や、地球環境の事を考えると、もう少し、何等かの方法が有るのではと想うのだが、其れも人間の余計な考えなのであろう。
神は、偉大な存在であるのだから、全て知っていての、現象界への現れなのだろうから、私達人間は、風上に向って、神の御業の完成を手助けし、勝って行かなければならないのだろう。
13日には、愛媛県と岡山県の中年男性が、「もう 世の中に合わせて 生きて行くのには疲れた」と、限界を訴えて来た。
人間社会全体が、古い価値観では、どうしようもない処まで、来ている様である。
未来に向って、新しい船を出港させなければならない日は、近いのであろう。其れが、「ルーヴェン-デス」のメッセージの指し示す事であると想われる。
「記」
https://star.ap.teacup.com/170606/245.html
此の「朕」の文章の最後には・・其の龍門の瀧登りこそ、「朕」が自分に勝つ為の、「脱皮」を意味しているのであろう。・・と書いて有る。
其の事と、今朝のビジョンに映し出されて来た、木の皮を衣としていた顔の見えない男性の存在が関係有るのなら、「神籬・ひもろぎ・御神木」に人間の霊魂が宿るとの事は真実である事に成り、私が原始の森が存在する屋久島で産まれ育った事や、旅の途中で各地の神社に生えている御神木同士が、私が到着した事を傳え合う聲が聴こえていた事現象の裏付けが、取れた事にも成る。
2005/10/6今朝のメッセージは、文字や言葉ではなく、森の中の一筋の道が、現われただけだった。
しかし其れは、今までのメッセージの終極を示す様な感じがするモノである。
昨日のメッセージの「木の汁」「デモンストレーション」「ステージ」この三つの単語が、最後の言霊であった様だ。
そして、今朝は、其の短い言葉さえ無く、木汁のデモンストレーションのステージが現われたのだ。木の汁とは、ミトコンドリアのプールの事なのだろう。
我々地球生命は、其のプールが存在する事で、いのちを繋いで来たのだ。
一切の「いのち」の元は、植物の体液に在るのだ。だからこそ、木は、人間の言葉は話さなくても、釈迦を仏陀にし、私を誘ったのである。
静かな森の中は、木々の息吹だけが在る所だ。
しかし、其の世界を能く考えて見れば、太陽の光りエネルギーを葉で受けて、根から酸を出して岩を溶かし、水を循環させ、全ての生命を支えているのである。
木が地球に存在しなければ、酸素も無いし、石炭や石油も無かった事になる。あらゆる動植物が、植物の体液の中を泳ぐ、目に見え無い存在に支えられて来たのである。木々は、言葉は使用しなくても、確かな情報を有している。
杉はスギの、公孫樹はイチョウの、確かな周波数を使っている。
其れは、静電気の様な振動波であるが、生命全体の周波数の海の中で、其々のチャンネルを有しているのである。
私は21年前、屋久島の森の中に素っ裸で過ごし、彼等の周波数の海に入り込んで行った。そして、木々とのコンタクトのお陰で、全国の旅が出来た。
天河神社の、反対側のお寺の公孫樹や、富士浅間神社の太郎杉などは、全国の木の司令塔と成って、連絡を取り合ってくれたのである。
そんな世界は、古代では当たり前だったのである。
だからこそ、神社には鎮守の森が造られ「神籬・ひもろぎ」が植えられたのだ。
屋敷の門には、木のアーチが作られ、茶道の世界では露地が有り、神社では榊木の枝で頭の上を祓われる。
それらの作法の原点には、木々の持つ力が認識されて居たのだ。・・
「やまと」
https://star.ap.teacup.com/170606/596.html
今朝のビジョンに一歳児が言葉を話して居る様子が映し出されて来て、其の次に木の皮の服を着た顔の判らない男性(霊魂)の存在が登場したのは、幼児は自分(現代人)の未来(遺伝子・DNA)の存在を意味し、木の皮を纏っている霊魂は、過去の自分の影を意味しているのかも知れない。
其の様に考えると、今朝のビジョンも、釈迦仏陀の言葉に有る「我は 過去・現在・未来に存在し 衆生一切我が子」との世界が、示されて来ている様な気がする。
其れは、私の安寧状態は「ブッダ」の再来・復元であると謂えるのかも知れない。
令和2年12月12日
礒邉自適
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2020/12/11
「東山紀之」
文字の意味
ここまで
2・12・11
昨夜は入浴中、瞑想をして見ると、私の意識は是までに感じた事が無い「無念夢想」の状態で、凄く安定していると謂うか、満足の状態である事が確認できた。
其れは、1983年3月18日に「土肥無庵」に找し出されて、家族と離縁し、仕事や他人との付き合いも全て断ち切り、84年3月5日から6月4日迄の三ヵ月間、土肥無庵と食事を共にしながら、自分の心身を浄化して、病気だけではなく、意識・脳内を空にして貰った時とは異なり、今回は何等かのモノが心身に満ち足りて・充足している感じなのである。
其れは風呂から上がり、布団の上で正座しても、胡坐でヨガの瞑想を行っても、同様の状態で変化する事は無かった。
今朝のビジョンには、先ず、暗い世界を背景に、私自身の御魂か守護霊なのかは判断できないが、真正面から、茶系の服で身を包んだ40歳位に感じる男性が、真っ直ぐに私の前に歩いて来る様子が映し出されて来た。
そして、「ここまで」との言葉が一言告げられて来たので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時55分・5時5分前」であった。
其れから、電気を消して横に成り目を閉じて居ると、瞼に、陶器製の大きな真っ黒の新しい丼鉢の存在が目の前に映し出されて来て、右側から清水が其の鉢に注ぎ込まれる様子が映し出されて来た。
そして、其の清水は、水道水の蛇口からの物ではなく、山から何等かの筒で引かれて来ている自然水である事が理解された
次に、公園などに設置されている、噴水式の水飲み施設が映し出されて来て、其れは、喉が渇いている者が、誰でも自由に飲める物である事が理解された。
次に「東山紀之」との名前が映し出されて来た。
其れから、顔は見えないのだが、陶器製の茶系色のティーカップを右手に持っている男性の存在が映し出されて来た。
次に、東南向きに立っている、一軒の西洋風(コンクリート製)の建物が映し出されて来て、其の建物は、窓の部分に枠は有るが、ガラス戸が全て取り払われて一枚も無いので、雨や日差しは避けられるのだが、年中、風が吹き通しである事が理解されて来た。
其れは、自然の中の景観の良い高台に建っている、日本の東屋の様な役割の物である様だった。
其処で意識が目覚めたので、起きて時刻を確かめると、「6時49分・7時11分前」であった。
其れからPCを立上げ、起こされた5時5分前の数字から、5月5日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/5/5今朝のビジョンは、私が誰かのお供をして、神社の様な施設を訪れる場面が映し出されて来た。
すると、別の入り口から参道を歩いて来た、白装束の小柄な40歳位の男性が、私が右手に持っている木の棒を見て、「そんな物を持ち込んだらだめだ」と、嫌な顔をして厳しく咎めるので、私が右手に持っている棒を確かめると、其の棒は人間の背丈の倍程有る、伐ったばかりの生きた榊の様な植物の棒であり、梢に残されている青い枝葉の部分には、干したイワシが三匹括られている事が判った。
所が、其の白装束の男性の後に付いて来ている普段着の男性は、鰯が無いだけの、私と全く同じ榊の棒を持っており、私が其の男性の顔を視ると、其の男性は私の意を汲んだのか、「同じ物なのに」との意味を目で合図して来た。
私は其の男性の様子から、私が怒られた原因は「鰯の乾物」に有って、「生臭い物」を其の施設に持ち込んでは成らない理・ことを、示唆されている事が理解されて来た。
私は、其の白装束の男性は「仏教の信者であるのか」とも考えたが、其の参道の様子から寺院ではなさそうなので、新鮮な「鯛」でもお供え物として持ってくれば良かったのであろうかと、皮肉ぽく意って居た。
今朝のビジョンは其れだけである。
其れから、私は寝がえりをうって腹ばいに成って寝て居ると、私の両手両足が砂浜に這い上がる亀の様に、四足を広げて砂の感触を確かめ始めた。
其れは単なるビジョンではなく、実際に私の両手両足が砂の感触を確かめる様に、掌で布団での擦れの音を出す仕草であり、其の仕草と音は、寄せては返す波の潮騒の音に合わせて動かす物であり、まるでバイオリンの音色に合わせて舞踏をする様な雰囲気のモノであった。
そして、其の感触と雰囲気を私が楽しんで居ると、「光のエナジーがカミ」との女神の言葉が聴こえて来た。
私は其の女神の言葉から、更に其の雰囲気・世界に吸い込まれて行くと、
「潮騒に因る 砂のうねりが ワタシを生み出す
トキが ワタシを漕いで行く。
何か 新しいモノ(世界)が現れてくる
其処が 未来と言う言葉が 走るところ。
だが ワタシはまだ 触ることができない。
其処が 永遠の命のみなもと。
閉まっていて 追いつけない。
だからなに。 もう待てない。
ワタシは行くわ けしつぶが 流れ去るまえに。
その時 ワタシを 少し見守ってね。
本当のワタシの 姿
何もかも おしまいに成る 前に。
貴方の出番の日が見つかった。ワタシの良人だもの。
トキは既に生まれているの そこにね。
其処で中断して、思い出せる事だけ、枕元の紙にメモをした。
5時15分
其れから今度は口調が男性に変わり。
「時を回してくれ チャップリンの様に ゆっくりと。
ワタシは 潮騒が砂を練る動きの様に在る
ワタシはその様なモノ
少し待って 風が止まれば ワタシは漕げない。」
私は、其れ等の言葉を受け取りながら、自分の意識が1984年6月4日「旧暦5月5日)に、飛び込んだ時の状態に戻っている事を感じていた。
其れは、私が自然其の物なのか、自然が私に成っている物なのかの、区別が着かない状態の世界である。
其れ等の異次元世界から、漸く自分を取り戻して、起きて時計を見ると時刻は8時6分であった。
今朝の様子から考えると、私の今朝の意識は、神社の「砂庭・お白砂」の世界と関係が有り、鰯が群れで波打ち際に産卵する事と関係が有り、私が榊の枝に鰯を三匹神札の替わりに付けていた事は正しい事であり、「鰯の頭も信心」との諺は間違っているとの理・ことが示されて来ているのではないだろうか。
何故なら、食物連鎖の最も重要な位置に存在するのが、其の鰯だからである。
【鰯の頭も信心から 】
イワシの頭のようなつまらないものでも信心する人には尊く思われる。物事をかたくなに信じる人を揶揄 (やゆ) するときなどにもいう。国語辞典より
其の鰯の存在は、イカを始めとして、サバ・カツオ・マグロ・ブリ・イルカ・クジラまで多くの生き物を養っているからである。其の鰯の餌は、「動物プランクトン」であり、其の動物プランクトンの餌は「植物プランクトン」であり、其の植物プランクトンは森林から流れ出したフルボ酸鉄など栄養物や、其れが含まれている深層海水などが、太陽光に当たった時に、ミネラルが生まれ変わる物だからである。
其れを考えると、神社の参道入り口に立てる物として、私が今朝右手に持っていた「乾物の鰯三匹を 梢に括り付けていた 榊の生きた棒」は最も相応しい物である事に成る。
「神社 磯の段・白砂」で調べると、出て来たのは、昨年の5月5日の文章であるので、連動している事に成る。
2019/5/5本日5月5日は、「男の子」の健康を禱る「端午の節句」である。
今朝のメッセージの映像は、諺(ことわざ)に有る「可愛い子供には旅をさせろ」との言葉と関係が有るのか、私が一人で旅を続けている場面が、長い間映し出されて来た。
「磯の段」とは、神社に有る拝殿の庭に、白い砂か小玉石を撒いている場所の呼び名で、神の住む社に上がる階段の、一段目の手前の地面(斎庭・さにわ)の事である。其れは、時代劇で「大川越前守」が取り調べをする「御白砂・おしらす」の場にも、同じ設定状況として取り入れられている。
そして、お盆に、お墓の回りに白砂を撒く事にも繋がっている。
其れ等は皆、魂に関わる場には、白い砂が欠かせないものである理・ことを、示している。
何故、白い砂が撒かれた場が、聖なる地とされるのか。其れは、人間の意識と謂うか、魂しいが、海から陸に上がって来た事に、関係が有るのだろう。
陸地に暮らす生き物が、何億年前に、海から陸地に上がって、生活する様に成ったのかは、私には良く解らないが、「DNA・遺伝子」の記憶としては、其の次元がハッキリと記憶されているので、其の場に、人間が身を置けば、生命の記憶が其処に還り、純粋な気持ちを取り戻す事が、出来るからであろう。
其の事が、インドのガンジス河での沐浴であり、日本の神道の元である「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」の、「小戸の あはぎはら」の禊ぎでもある。・・・
「磯の段の整備」
「新しいユダヤの王」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/873.html
其れに、今朝起きた8時6分の数字から、昨年の8月6日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
キー「フルボ酸鉄 プランクトン」・・
是はどう言う事であろうか、上記の文章には「住吉三神」の事が書いて有り、下の文章は「宗像三女神」で、両方とも海の「兄弟・姉妹」神である。
此の事を考えると、矢張り今朝のメッセージは「海」が「産み」である理・ことを示唆しており、人間はここ等で、自分の生命の源に付いて、振り返る必要が有り、其の為に此のウイルス現象が起きているのであろう。
其れは、子供の為に高い鯉幟を立てる事よりも、鰯の話をして遣る事である。
「光のエナジーが神」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5354.html
此の文章の中には1年前の「5月5日」の日付の文章が貼り付けて有り、「男子の旅」の事に付いて触れて有るので、私が此の世界に飛び込んだ1984年6月4日」が「旧暦5月5日」であった事と関係が有りそうである。
其れは、新暦の日付は「太陽暦(天照界)」で三次元世界・世間・人間社会での営みに繋がっているが、旧暦の方は「四次元世界・月読み界・霊界・冥府」の「精神世界」である事と関係が有り、私は其の四次元世界・月読み界との関係性(柵・軛)から、本日解放されるとの事なのかも知れない。
そして、其の原因の一つが、昨日「ファド・fado・運命・宿命」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、由香の「掛布・系譜・血筋」が独立して「ジャンプ・跳躍・飛翔」するとの事なのかも知れない。
其れから、映し出されて来た「東山紀之」との漢字を調べると、次の様に載っている。
「東・トウ・ひがし」【解字】象形。ふくろの両端をくくった形にかたどる。重いふくろをうごかすさまから、万物をねむりから動かす太陽の出る方、ひがしの意味を表す。一説に、木の中間に日があることによって、日がのぼるひがしの方を示す指事文字とする。【字義】@ひがし。ひんがし。日の出る方角。五行では、木、四季では春。五色では青に配置する。Aひがしする。東方へ行く。B主人。昔は、客が西に、主人が東に位置したからいう。
国語 あずま。箱根から東の方の地。東国。「関東」
「山・サン・やま」【解字】象形。山の形にかとどり、やまの意味を表す。
【字義】@やま。また、山の形をしたもの。「火山」「氷山」Aはか(墓)。つか。B寺院。「山門」国語。やま。㋐物事の頂点・重点。㋑万一の幸運をねらって行う冒険的な行為。「山をはる。㋒むかし、特に比叡山をいう。
「紀・キ」【解字】形声。「糸+己」音符の己は糸巻の象形。糸すじを分けるの意味を表す。転じて、おさめる・きまりの意味を表す。
【字義】@おさめる。ただす。㋐糸を分けて整理する。㋑秩序を正す。Aいとぐち(緒)。はじめ。また、もとい(基)。Bかなめ。要点。要所。Cつな。細い綱。「紀綱」Dみち。人のふみ行うべき道。「人紀」Eのり。(法)。おきて。
「之・シ」【解字】指字。「止+一」止は、足の象形横の一線は、出発線を示す。出発線から今にも一歩を踏み出して行くことを示し、ゆくの意味を表す。借りて、「これ」の意味に用いる。之を音府に含む形声文字に、時・詩・市・志・誌などがあり、これらの漢字は「行く」の意味を共有している。
【字義】@ゆく。でる。いたる。A助字。これ。この。
漢語林より
此の「東・山・紀・之」の漢字の意味からすると、「東山紀之」との言葉は「東の山から日が昇り 紀が行く」との意味合いに成るので、愈々此の日本から「物事の頂点・重点」である「紀(とき)のまつり」が、出立つするとの事なのかも知れない。
『そうではなく 貴方が行くとの意味なのです。
其れは 間もなく判りますので 気楽に過ごし為さい。』9時22分
此の女神の言葉からすると、「東山紀之」文字の意味は、今朝のビジョンで、山から引かれて来ている清水が大きな丼鉢に注ぎ込まれていた場面は、「水」と「智慧」を司る青龍(せいりゅう)の存在と関係が有り、私が是まで、水から漉いて紡ぎ出して来た言葉・言霊が、世界中に流れて行(之)き、魂しい不足で喉が渇いている人は、自由に何処でも蛇口を捻れば飲めるとの事なのかも知れない。
此処で、今朝起きた・起こされた7時11分前の数字から7月11日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/7/11昨夜は居間で寛いで居ると、私の右足の親指に激しいカモ(神の電気信号)の反応が起きたので、時計を見ると時刻は午後10時9分であった。
今朝のビジョンは、先ず、私が沖縄らしき島を訪れ、海岸を散歩する場面が映し出されて来た。すると、一人の男性が木陰の台の上に座って、身動きもせず朝日が昇る東の海の方を眺めて居る姿が在るので、近付いて行き其の男性の様子を確かめると、藍木綿の古式の服を着ている65歳ぐらいの年令で、身体も丈夫で理知的な人物であり、大役を仰せつかっても、未だ十分な能力を発揮できる事は、顕かな雰囲気であった。
私は其の佇まいから、尊敬の念を込めて挨拶し「瞑想をしているのですか」と訊くと、其の男性は重みの有る言葉で、「其の様なものではなく、ただ青い海・青い空を眺めているだけだ。」と、応答してくれた。
そして、私は「目はどの様にするのですか。瞑らないのですか。」と訊くと、「其の様な事は一切何も考えない。」との事なので、特別な宗教の様な価値観は持っていない事が判った。
其れから場面が変わり、私は民宿の様な施設に一人で休んで居ると、やはり65歳くらいの婦人が、40歳近い息子を伴って訪ねて来て、私に「私は 島外に土地を所有しているのですが、息子が其の土地には興味が無いと謂うので、処分したいので協力してください。」との願い事に遣って来た。
私は其れで、島を出ようとして旅立ちの準備を始めると、紺色の新しい靴下が一足だけ有り、私が其の靴下を履こうとすると、其の靴下は、私が長年愛用している五本指の靴下ではなく、普通の靴下であったので、私は下駄や草履ではなく、普通の靴を履かなければ成らないのだと意っていた。
今朝は起きた時刻は、7時1分である。
其れから、PCを立ち上げ、昨夜の右足親指の強いカモ(神の電気信号)の反応が気に成るので、昨年の10月9日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
其れに、今朝起きた・起こされた時刻7時1分から、今月1日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「レオ・パレス」の文章の内容から考えると、今朝のビジョンに海辺に座って、東の海原を見て居た偉丈夫な男性は、正に「獅子・しし・スフインクス」の様な人間で、何事にも動揺する事の無い大人(たいじん)であったと思った。
其れに、息子が土地の譲渡に興味が無いと言うのも、若者には親の財産を受け次いで守るとの意識・気持ちが無い理・ことを示唆しており、是まで「先祖代々受け継いで来た土地を 命懸けで守らなければ成らない。」との概念が有った世の中が、終わりを迎えるとの事であり、今朝登場した65歳くらいの男女の存在は、人間のカルマ・業・柵が一切無い人物であり、古い形の社会風習が終焉を迎えると言う理・ことが、示されて来ている様である。
其れはイエスキリストが、「永遠の命に入るのは、財産を持っている人間より、駱駝が 針の穴を潜る方が可能性が有る。」と謂っている事と関係が有り、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が王様の後継を止めて無一物の生き方を送った事や、老子が王様の図書館勤務を終えて、老牛の背に乗って国外に消えた事などが関係があり、聖者と呼ばれている人の条件は、物に一切執着しないと言う事は顕かである。
其れで、今朝の文章の題・テーマは「幸軛を外す時」とした。
*「幸・コウ・さいわい・さち・しあわせ」【解字】象形。甲骨文でもわかるように、手かせの象形。執が、手かせにとらえられた人の象形であるのに対して、手かせだけの象形で、さいわいにも手かせにはめられるのを免れて、しあわせの意味を表す。【字義】@さいわい。さち。しあわせ。幸福。「不幸」Aさいわいする。幸福をもたらす。さきわう。Bさいわいにして。運よく。ありがたいことに。Cかわいがる。いつくしむ。「幸姫」Dめぐみ。いつくしみ。Eこいねがう。希望する。Fみゆき。天子の外出。「行幸」
*「軛・アク・ヤク」【解字】形声。「車+厄」
【字義】 くびき。車の轅(ながえ)の端にあり、牛馬の頸にかける横木。
漢語林より
今朝は、11月9日の日付が示されて来たので、昨年の11月9日の文章を視て見ると、其の「幸頸を外す」との事と関係が有り、此の私も漸く4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」から、解放される時を迎えたのかも知れない。・・
其れに一年前の今日、何を書いて有るのかが、気に成るので調べて見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、人間は子供の時から何もしなければ、唯の「阿呆・無知」で終わってしまうと言う事であり、今朝登場した初老二人は、全ての修行を為し終えた、大人「翁(おきな)&嫗(おうな)」で有り、何の心残りも無く、往生が為される魂しいの完成者であるとの事なのであろう。
「幸軛を外す時」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5421.html
此の「幸軛を外す時」の文章の内容からすると、今朝告げられて来た「ここまで」との言葉は、此の私が365日24時間続けて来た、彼の世との交信作業も終わる時を迎えたと言う事なのかも知れない。
其の様に考えると、昨夜私の心身が「無念夢想」の状態と成り、気持ちが安定して居た事の意味も能く理解できて来ると謂うものである。
其れを考えると、今朝のビジョンにティーカップを手に持った男性の存在が映し出されて来た事と、風通しが良い東屋の様な建物が映し出されて来た事に関係が有り、此の私は風通しの良くない「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」から、視線を広げられる景色の良い昼間の世界に、出て行っても良いと言う事に成りそうである。
其れに、今朝映し出されて来た建物が東洋風の物であり、湯飲みではなく「ティーカップ」であった事は、東洋だけではなく、西洋の文化にも影響を与えるとの理・ことなのではないだろうか。
令和2年12月11日
礒邉自適
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2020/11/28
「高勞 髞 ロウソウ」
文字の意味
自分の座を確認する事
2・11・28
「私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切我が子」
昨夜は入浴して居ると、「これから 一番いそがしくなる」との言葉が、告げられて来た。私は、其の「いそがしい」との言葉は、漢字の「忙(心を亡くす)」ではなく、「急がしい」との意味である理・ことを理解して居た。
今朝のビジョンには、南瓜の蔓に黄色い花が、咲いている様子が映し出されて来た。
次に、日本語の横書きの文章が、枠の中に記されている場面が映し出されて来て、其の枠外の右上に、見た事が無い難しい漢字が、二文字記されているのが映し出されて来て、其の二文字は「かいそう(かえる・かえす)」の意味が有る事が示されて来た。
其の二文字の右側の漢字の旁に「喿」が付いている事だけが、記憶に残った。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時56分・6時4分前」であった。
其れから再び眠ると、「闘争心」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると時刻は「7時48分・8時12分前」であった。
其れからPCを立上げ、漢語林で「ソウ」で「喿」が旁の漢字を調べると、「髞」の漢字が有り、其の字の意味が、今朝のメッセージと符合している様である。
「髞・ソウ・サウ」【解字】形声。「高+喿」
【字義】(一)「高勞 髞 ロウソウ」は、急ぐ。急なさま。
(二)「高勞 髞・ロウソウ」は、高いさま。
「労・勞・ロウ」【解字】会意。「力+火火冖」火火冖火は、たいまつを組み合わせて立てた、かがり火の意味。かがり火が燃焼するように力を燃焼させて、つかれるの意味を表す。また、そのつかれをねぎらうの意味を表す。常用漢字の労は省略体による。【字義】(一)@つかれる。くるしむ。ほねおり。「疲労」「苦労」Aはたらく。つとめる。つとめ。しごと。「勤労」Bほこる。てらがらとする。てがら。「功労」Cなやむ。うれえる。なやみ。「心労」D農具の一種。歯のないまぐわ。(二)@いたわる。ねぎらう。なぐさめる。「慰労」Aたまう。(賜)。 漢語林より
これ等の意味からすると、「急いで 高い階層に還れ」との理・ことが、示されて来ている様である。
其れと「闘争心」との言葉を調べると、次の様に載っている。
とう‐そう〔‐サウ〕【闘争】 の解説
[名](スル)
1 相手に勝とうとして争うこと。争闘。「闘争本能」「武力闘争」
2 社会運動や労働運動などで、権利や要求を獲得するために争うこと。「賃上げを要求して闘争する」「階級闘争」
この両方の言葉からすると、是から人々が、急激に権利や要求を獲得するために争い始めるとの事であり、私は其の事に巻き込まれて成らないので、急いで高い次元に避難しなければ成らないとの事が、示されて来ている様である。
其の「闘争心」との言葉が告げられて来た、8時12分前の数字から、8月12日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/8/12今朝のビジョンは、昨日のメッセージで人類の三分の二が生き残る事が示されて来た事の続きの様で、山中に宿泊施設が準備される場面・様子が映し出されて来た。
其の施設は、中央に大雪が降っても屋根が潰れない様な上部な構造をした、食事が出来る木造の建物・センターが存在して、周囲の山中に寝泊まりだけが出来る木造の小さな小屋(バンガロー)が建てられている物であった。
そして、強調されて来た事は、長期保存が出来る食料の備蓄であった。
そして起こされた時刻は、4時6分である。
今朝は、7時12分に起きて・起こされて、PCを立上げ、起こされた4時6分の数字から、今年の4月6日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
2020/4/6今朝のビジョンには、先ず、クレオパトラの様な褐色の肌の女王が一人登場して、私の潜在意識(プログラム)は其の女性を妃として、受け入れなければ成らない様子が映し出されて来た。
次に、覚醒・成佛に成功した釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が実家・王家に帰って「王様・キング」の役割に着かなければ成らない事が示されて来た。
其れは「4 4」の数字が、釈迦ブッダと関係が有ると示されて来た事と関係が有り、其の4に「余・世・代」の文字を当てる事を示唆しており、其れが釈迦ブッダの言葉に有る「過去・現在・未来に 私が在り 衆生一切我が子」との言葉と関係が有る理・ことが理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時29分」」であった。
其れから再び眠ると、「定着」との言葉が示されて来て、其れは、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の存在と関係が有る事が示されて来て、現在の何もしない天皇とは異なり、一切の政(まつりごと)を取り仕切る役割である理・ことが示されて来た。・・
今朝の由香のビジョンには、「物を持つから 他人に狙われる」との理・ことが示されて来たとの事である。
其れは、「聖者」は何も所有していないからこそ、他人に慈悲心を養う事に成り、物に執着する者は、物を守る為に次第に防御態勢を取り、増々物の管理が複雑化し、死後は財産争いで骨肉の争いが起きて、霊界に地獄を創り出す事で顕かな事である。
其れ等の事を考えると、確かに覚醒・解脱・成佛の世界を体験した人物に、政治を委ねなければ成らない時が到来したとの事なのであろう。
是くらい打てば、明後日が誕生日である釈迦(ガウタマ・シッダールタ)の御魂も、次の段階へと進み易く成るのではないだろうか。
「御手柔らかに」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5325.html
此の文章には、「釈迦ブッダ」の事が書いて有るので、昨日「ブッダの息の根を止める」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、今朝のメッセージは、釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が托鉢(タクハツ・乞食・こつじき)にて、命を繋いでいた事と関係が有り、自給自足でしか生き残れない事態が起きれば、托鉢・乞食が不可能に成るとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れを考えると、生き残る三分の二の人達は、田舎に暮らす人達や、100%自給出来ている国家の人達の事であり、近代社会の大都会に住んでいる人達は生き残る事が出来ない三分の一の方に入るのではないだろうか。
特に先進国の殆どが100%の自給を維持しているのに、此の日本は車や電気製品を輸出する替わりに、小麦や大豆、其れに家畜や鶏の餌を輸入し、頼りの綱である稲作を減反しており、自給率は30%しか無いのが実情であり、イザという時には一番危うい国である。
其れに、老後を屋久島で過ごす為に移住している人々は、田舎に住んで安心して居るが、屋久島の自給率は10%台であるので、農地を持っていない人々は、逃げ出すしか他に道が無いと言う事にも成る。
屋久島は、電気だけは水力発電で自給出来ているが、日本国のエネルギー自給率は、原子力(17%)を除くと僅か4%でもある。
キー「日本 食料自給率」・・
今朝のビジョンから、私が考える事は、私の頭脳の中で、何物が映像・ビジョンを描いているのかと言う事である。
其れは、私が考えた事も、見た事も無い場面である。
其れを考えると、「天津日津久神・あまつひつぐのかみ」とは、どの様な神(はたらき)であるのかが気に成って来る。
其れは、「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」との言葉が実在する事からすると、古代から、私の様な役割の人間が存在した事に成り、其の神(はたらき)に与えられた・名付けられた言葉が「天津日津久神」であり、其の神(はたらき)を自分の身体に受け入れた者が、統尊(すめらのみこと)であり、其の統尊の役割が「御嚴・みいつ・御稜威 」であると言う事に成るのであろう。
其れを考えると、今朝のビジョンを映し出して来たモノが、其の「天津日津久神」のモノであれば、生き残りたい者は、人里離れた場所に移動して自給自足しろとの事であり、現在の人間社会・都会生活は一度崩壊するとの事であり、私自身が何を謂っても・打っても、現在の社会システムが継続する事は無いと言う事に成る。
其れは、今朝映し出されて来たビジョンこそが、今の神界の様子であり、其れを人間界に知らせるのが、私に与えられている役割である事に成るので、此の文章は「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」であると言う事に成るのであろう。
本日8月12日は、35年前に日本航空の123便ジャンボジェット機が群馬県上野村の御巣鷹の尾根に墜落して520人が死亡した日である。
其の中に歌手の「坂本九(本名大島九」が乗っており、其の機は離陸12分後に大島の上で急に方向舵が故障して内陸に向かっている。
私は、其の前の年の11月22日(九ヵ月前・29.5×9=265日)に伊勢の磯部町の伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」にメッセージを受けた後、八代龍王が祭禱(さいき)されている山に導かれて「磐座・いわくら」で儀式を行っている。
其れから、今年の11月22日(新嘗祭の儀式日)で「12年×3回=36年)が経過する。
其れを考えると、今朝のビジョンを私に送って来たのは、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」なのかも知れない。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・「定着した画像」
昨日からのメッセージを考えると、私は「惟神の道」に徹する事であり、余計な事を、是以上打っては成らないとの事なのかも知れない。
「生き残る道」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5453.html
此の文章の内容は、確かに「闘争心・闘争本能」と関係が有り、・・2020/4/6今朝のビジョンには、先ず、クレオパトラの様な褐色の肌の女王が一人登場して、私の潜在意識(プログラム)は其の女性を妃として、受け入れなければ成らない様子が映し出されて来た。・・・」と書いて有るのは、4日前に告げられて来た「クインのネットワークが効く」との言葉と符合している。
其れに、其の「4月6日」の日付は、今朝起こされた「6時4分」の逆の数字である。
2020/6/4本日6月4日は、私の母親「礒邉芳子」の生誕100年の日である。
私は、其の母親の64歳の誕生日1984年6月4日に此の世界に飛び込んだので、其れから12年×3回=36年が経過した事に成る。
私は其の日に、「土肥無庵」が見守る下、自宅前の安房川で禊祓いを行った。
其の時は未だ、2000mの奥岳から流れ下って来る水は冷たかったので、安房川を泳いで往復した私の身体は冷え切ってしまい、岸に上がると強烈な震えが起きて来たので、自宅の二階に布団を敷いて貰って横に成り、痙攣する私の身体の右手を「土肥無庵」が、左手を弟が押し付けて、私の震えが止まるのを待って居た。
すると、目の前に20年前49歳で死亡した父親の姿が現れ、私に「お前に苦労をさせたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。」と謂った。
そると、其の父親の後ろに何千人もの霊魂・神霊が存在して居る事が判り、其の数は、後に4311体であった事が判った。
そして、天皇が行う大嘗祭の儀式の様な事が起こり、天神の言葉が告げられて来た。
其れは先ず、「土肥無庵」と弟「礒邉正也」に向かって、「是から宇宙語を傳える」と謂って、「残り16年半しかない」「アンテナが二つ要る」との事で、其の二つとは「四次元プログラム」と「水素原子管理」であった。
次に、私の役割として「事象の特異点」との言葉が告げられ、其れは別の言葉で言えば「新しい神の座標軸」であるとの事であった。
今朝のビジョンには、其の「水素原子管理」との言葉と関係が有る様々なモノ・現象世界が映し出されて来た。
其れは、此の宇宙は水素原子(H)と呼ばれている物が集まって、ヘリウムとして核融合を起こして恒星・太陽と成り、其の恒星の爆発の繰り返しから100近い物質が誕生し、其の物質から様々な物体や生物が生まれ、其の時間・とき・現象の最先端に、我々人類居る事に成る。
そして、其の水素/Hは、あらゆる物の構成の原点・基礎・基盤として、此の138憶年間膨張を続けて来た宇宙空間の主体であるので、我々は其の水素・Hの海に漂っている物体の一部である事に成る。
其れは「恒星・光」の元が「水素/H」であるので、水素/Hの氣の中に全てが包含されている事に成るので、私が告げられた「事象の特異点」と「新しい神の座標軸」との言葉は「水素/Hの氣」からの言葉である事に成るのだ。
其れを考えると、5月27日に告げられて来た「あたしは 貴方なの」との言葉は、其の「水素/Hの氣」からのモノであり、「高い櫓の上の水盤」や「光輝く高御座」のビジョン・存在の意味も理解されて来る。
『今日は あたしの日なのよ
其れで 貴方にお願いが有ります。
其れは あたしが貴方である事を公言して欲しいのです。
其れは 簡単な 言葉の振りですが
究極の答えなので 大切に扱ってくださいね。
其れが間違うと 是までの事が
全て 無駄に成ってしまうからです。
貴方はヒトですが 此方には姿が有りません。
其れは 此の宇宙 全ての存在なので
ただ一つの物に 言葉・名前を
当て嵌める事が できないモノだからです。
其の為にこそ 約束の日が
此処まで 伸び伸びに成って来たのです。
其れは 貴方の 力不足の為ではなく
貴方の能力が 余りにも豊であったので
此方は貴方の意識を トコトン高める事にした為なのです。
ですから 貴方は是までのかんがえ考察を止めて 別の次元で
「色・rūpa・ルーパ・縁起・むすび」を開始して欲しいのです。
其れは 此方側にとっても 予想外の展開であり
とても喜びを抱ける 世界の始まりなのです。
ですから 貴方自身も 此方に 期待を持ったり
責任転換を行ったりしては 成りません。
何故なら 其れは貴方自身の 問題であるからです。
其の理由は貴方自身が トキ・事象の最前線に存在する為です
此の様に傳えば 貴方には簡単に理解できる理・ことでしよう。
ですから 本日から貴方は自分の魂(珠しい)が
生まれ変わったのだと考え 自分自身の背骨を
中心・芯柱として意識の 反応・うごきを
確かめて 行かなければ成らないのです。
其れが「すめみま」の役割であり
万物の霊長である者の 御坐なのです。
良いですか此処から先 貴方を援助するモノは存在しません。
何故なら 貴方自身が
事象の特異点=新しい神の座標軸で あるからです 』
令和2年5月27日 10時00分
今朝のビジョンには、是まで「庶民・農民」の上に君臨して、贅沢三昧をして来た人達の生活が、全て瓦解して、其の世界に女性達が、皆と同じ次元に転落して行き、其の人達は自分では何も出来ないので、生きて行けなく成る様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時19分」であった。
私は、其の数字「419」は、123の二乗の「149」の数霊と関係が有り、第一次世界大戦が始まった「1914年7月28日」や、太平洋戦争が始まった「1941年12月8日」と関係があり、今回の「新型ウイルス感染」の現象は、庶民・農民等の第一次産業の上に胡坐をかいている人々を、原点に還す為の「水素/Hの氣・エナジー」の意図である事を感じ取って居た。
其の4時19分の数字から、今年の4月19日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「準備が出来たか」との言葉を考えると、此の私は、何らかの意識・こころの準備をする必要が有り、其れは「水素/Hの氣・エナジー」と同じ周波数のISO・感度でなければ成らないとの理・ことなのであろう。・・
此の「虚像」の文章は、三年前の5月8日の文章である。
其れで、一昨日起こされた時刻が5時8分である事を思い出したので、5月8日の文章見て見ると、コロナウイルス感染で亡くなった「志村けん」の設定で、女神を載せた車が山越えをして下り坂で転がり落ちて行く場面が、何回も繰り返し映し出されて来ているので、虚像の中で生きて居る人の車には決して、女神(水素/Hの氣・エナジー)は乗らないとの理・ことなのではないだろうか。
5月8日・・今朝のビジョンは、先ず「志村けん」の姿ではないのだが、志村けんだと言う名前の設定で、良く晴れた日に、其の男性がスポーツカーの後ろに女神を乗せて運転して居る場面が映し出されて来た。
そして、山越えをすると、下り坂で其の車が転げ落ちて行くので、私の意識が其の女神の安否を気にすると、女神は無傷なので安心した。
所が、全く同じ映像場面が、繰り返し10回以上も映し出されて来て止まらないので、私はいい加減、其れが嫌に成って来たので、何とか止めようと意い、無理に起きて照明を点け、現実世界に意識を戻してから時計を見ると、時刻は「2時28分」であった。・・・
其れを考える、イエスキリストの言葉に、「だれかがあなたがたに『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。」と有るので、今回の「新型ウイルス感染」の問題は、其の事を防ぐ女神の対策なのかも知れない。
其れは、「水素/Hの氣・エナジー」の領域内から外に出て、罪穢れの有る場所に出掛けるなと言う事でもある。
マタイによる福音書第24章・・
今朝のビジョンには、由香が、電車の様に見える、丈夫な鉄骨で四方が角が保護されているバスを運転して、私を迎えに来る場面が映し出されて来たので、其れを由香に話をすると、由香のビジョンは30人ぐらいの子供達を迎えに行って、岩山を駆け下りて来る様子を離れた場所から見守って、此方に到着するまで、少し時間が有ったので、レストランの様な休憩所で待って居る場面が映し出されて来たとの事であるので、私は共通点が有ると思った。
其のビジョンの様子から考えると、由香も禊ぎ祓いが済んで、「水素/Hの氣・エナジー」に認められて、新時代の幕開けに協力する立場に至っているとの事なのかも知れない。
そして、「水素/Hの氣・エナジー」の中に入って生きる人々は、神の世界に頑強に守護されると言う事なのであろう。
「水素原子管理」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5384.html
今朝の由香のビジョンは、次の様なモノである。
人間の手が及んでいない、何処かの大自然の沼地の景色が映し出されて来て、其処に有る池湖の上を、馬が一塊に成って飛翔しており、先頭は栗毛で、薄い栗毛が数頭、殿(しんがり)には白馬が付いて、中空を飛翔していたとの事である。
其の由香のビジョンから、私に思い浮かぶ事は、日本の現在の水田地帯が古代では其の様な沼地であった事が関係が有り、人間の意識を「高勞 髞 ロウソウ」へと導く為には日本の呼称である「豊葦原瑞穂の国」の精神を取り戻さなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れに、今朝のビジョンに、南瓜の花が美しく咲いている場面が映し出されて来た事で、私は以前から考えて居た「唐草模様」の理である、最処一点・根本の事を思い出し、「自分の座を確認する事」との題名の下に、副題として、釈迦牟尼世尊の言葉である「私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切我が子」と記したが、其の言葉が4月6日の文章に書いて有る。
・・ 次に、覚醒・成佛に成功した釈迦(ガウタマ・シッダールタ)が実家・王家に帰って「王様・キング」の役割に着かなければ成らない事が示されて来た。
其れは「4 4」の数字が、釈迦ブッダと関係が有ると示されて来た事と関係が有り、其の4に「余・世・代」の文字を当てる事を示唆しており、其れが釈迦ブッダの言葉に有る「過去・現在・未来に 私が在り 衆生一切我が子」との言葉と関係が有る理・ことが理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時29分」」であった。・・・
其の4時29分の数字は、私に「我が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」と告げて来た昭和天皇の誕生日「4月29日」の日付でもあり、「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の葬式の日付でもある。
其の事を考えると、昨日「由香に渡す」と告げられて来た事は、「大倭あじさい邑」の創立者である「矢追日聖法主」が邑の祭神を、「櫛稲田姫」と「倭姫命・やまとひめのみこと」にしてある事と関係が有り、矢追日聖法主に繋がっていた天神のシステムが、由香に繋がって来るとの事なのかも知れない。
「大倭新聞11月号
【櫛稲田姫 と 倭姫命】
http://www.ohyamato.jp/ohmotomiya/pdf/oymt202011.pdf
其れを考えると「井上佳子」に1996年2月11日「建国記念日」に告げられて来ていた、「岡山に居る鳳凰の御魂から始まる」との事が、愈々開始されるとの事なのかも知れない。
キー「2月11日 井上佳子 鶏 ハート」
2002/3/5昨日3月4日に、兵庫県明石に住む「晶子さん」より電話が有り、「神様が 何度も 自適さんに確かめろと 告げて来て 1996年2月11日の日付まで ハッキリと示された」と知らせて来た。
其れで、私が日記を見てみると、1996年2月12日の朝の欄に、「昨夜 妻の佳子に出て来た 霊夢の事」が、記して有る。
其の霊夢の内容は、私の師匠の奥様が夢に現われて、木で出来た鳥の形の置物を組み立てて、草や花で飾っていたが、「未だ ハートの部品が 一個足りないので 完成していない」と云って居たとの事。
佳子の霊夢は続き、佳子の意識が、その部品の有る場所を捜していると、地図が出て来て、「岡山辺りの場所にある」と教えられ、「新しく造るには 別の場所」と書いてある。
更に、日記の続きを見て行くと、また3月21日の欄に、佳子の霊夢の事が記されている。其の内容は、私が女の人を表に立てて居たらしく、その女性は40歳代くらいで、女優さんみたいに見えたらしい。
其の場面は、広い建物に小島章敬君(真言宗のお坊さん)と、佐藤宇三郎氏(自然素材の服を作る人)と、私と妻が居て、私が「全国を自然食にしよう」と云うと、皆が賛成した。と 書いて有る。
2月11日は建国記念日で、3月21日は弘法大師空海の命日である。3月21日に真言宗のお坊さんが出て来たのは、「空海」の意味かとも思え、2月11日の鳥は「神」の意味の、「鳳凰・ほうおう」の事かもしれない。
鳥が鳳凰の事であれば、宇宙の意志の現われである鳳凰のハートが、岡山辺りに存在する事が知らされたことになる。
そして、其の1996年2月11日から、今年2002年の2月11日まで、6年が経過した事になる。・・
明石は、日本の正午線であり、明石の地面に写る日時計の針が、日本の正午を告げる「時の鐘」でもある。明石には、日本最大の石を敷き詰めた墳墓「五色塚」が存在する。
石を敷き詰める事を、「イソしき」と言う。奈良県天理市にある「石上神宮・いそのかみ」は、物部一族の宮であり、祖は「天照国彦天火明櫛玉饒速日尊・あまてるくにひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと」で、天照大神の息子である「天忍穂耳尊」の長男だと伝えられている。
明石の、晶子さんの電話の意味する処は、太陽と、饒速日尊の一族・物部家因縁の御魂の為せる業かも知れない。蘇我馬子と聖徳太子に殺された物部守屋の念いが、危機を訴えて来ているのだろうか。
「1996年2月11日」
https://star.ap.teacup.com/170606/373.html
2018/5/4今朝のメッセージの映像は、先ず、中年女性二人が男性の柵・思考・業の糸紐でぐるぐる巻きに絡まっていて、私が其の人達に、山からホースで引いて来ている清水を頭から掛けている場面が映し出されて来て、暫くすると、其の柵(しがらみ)の糸紐は消えていった。
其の二人に絡まって糸紐は、一人は青色の糸紐で精神的なモノであり、もう一人は赤色の糸紐で、物に囲まれた都会の生活者の女性・存在を意味していた。
そして、其の二人の女性の身柄が自由に成ると、娘達を連れた女性達が、其の場所に集まって来る場面が映し出されて来て、其の中には、明るい光に包まれた、首の長い鳥の顔をした女性が、一人混ざって居る事が示されて来た。
其の女性達が集まって居る施設の中には、茶系の布に包まれた大きな物が有り、其の中には、新しく作成された檜製の祭壇の様な物が重ねられており、其れが組み立てられて、是から祭事が行われる事が理解されて来た。
其れに、私が由香に出会ったのは、岡山のスーリアさんの自宅であり、其の日は故井上佳子の誕生日である11月21日で、其のスーリアさんに私が会いに行った原因は、1996年2月11日建国記念日に、佳子の霊夢に「鳥のハートも持つ女性が 岡山市付近に存在する」と示されてきていた事が原因であった。
其の事を考えると、今朝の映像に登場した鳥の顔をした女性の傍らに、新しい祭壇が準備されていた事は、由香に何らかの関係が有るのかも知れない。
其れに由香が誕生した実家は、須佐之男尊の妻と成った「櫛稲田姫」が祭神である神社の参道の鳥居に近い場所でもある。
其れを考えると、今朝の由香のビジョンが美容室(お櫛)であった事も関係が有りそうである。・・・
「櫛御氣の命」
https://moon.ap.teacup.com/20060615/317.html
2014/4/27本日4月27日は、倭姫命の御霊の生まれ変わりと知らされた、二度目の妻「井上佳子」の17回忌の日である。
今朝のメッセージは「キリストの復活」との言葉が示されて来たが、其れは単なる「イエスキリスト」の復活と言うのではなく、イエスがキリストとして認められるには、12名の弟子が必要だった理・ことや、釈迦が仏陀として認められる為には、十大弟子の存在が必要であった様に、一つの現象が起きると言うか、一組の救世の動きが発動する為には、多数の人間が参加する必要があると言う理・ことであった。・・
私の知り得る処では、建国記念日である2月11日に、新しい王の誕生の兆しが出ている。別紙の1996年2月11日にも書いた事だが、妻佳子の霊夢に鳳凰らしきモノが登場している。鳳凰が現れる時は、新しい天子が現れる時だとの傳承もあるし、マヤの暦を操る神も、鳳凰と同類の鳥神である。
今月3月4日には、明石に住む晶子さんより、「1996年2月11日の事を 自適さんに 確かめろ。」と、何回も神様が告げてきたと連絡が有った。
若しかしたら新時代は、1996年2月11日に、既に始まっているのかも知れない。
其れに、自適塾のトップページの文章を書いたのは、2月10日であり、「伊丹由香」に初めて出会ったのは2001年11月21日で、其れは井上佳子の誕生日の日付であり、2002年2月10日には伊丹由香に「私のパートナー」であるとの強烈なビジョンが届けられ、其れから自適塾の「自適の言葉」のHPアップを手伝って貰う様に成り、現在に至っている。・・・
「キリストの復活」
https://green.ap.teacup.com/20060818/3038.html
今朝のビジョンに映し出されて来た「南瓜の花・蔓」の映像から、何故私が「自分の座を確認する事」との題名を付けて、副題に「私は 過去・現在・未来に在り 衆生一切我が子」としたのかは、私が「宇宙の構造」に付いてイメージしていた事に、「唐草模様」や「瓜類」の繁殖構造が有るからである。
其れは、最初に一個の種子から芽が出て四方・八方に蔓が拡がって行き、その先々に実が着いて多くの種子が地面に残り、蔓が枯れると根本と蔓は枯れて消えてしまう。
そして、其の残されら種子から発芽した蔓が同じ成長をして、又種子を四方八方に残して枯れて消えて行くのである。
其の繰り返しが、宇宙の泡構造と同じであり、地表では平面で起きる事であるが、無重量の宇宙空間では、其れが球形で行われている理・ことに成る。
だから、統尊(すめらのみこと)の意識とは、目の前の世界だけではなく、「全天・全宇宙空間」を自分の脳(意識・意念)に収めなければ成らないと言う事に成るのだ。
そうでなければ、釈迦牟尼世尊の謂う「私は過去現在未来に存在し衆生一切我が子」との言葉は生まれないとの事であり、其れが自分の言葉として納得できる者が久遠実成(くおんじっじょう)の御魂であると言う事に成るのである。
キー「南瓜 蔓 種子 宇宙」
2007/9/14「カボチャの蔓と水の流れ」とは、変な題であるが、今朝のメッセージの映像を、ただ其の侭、言葉にすればそうなるのである。
其れを、別な言い方にすれば「トキの流れと 時節の実り」となるだろうか。
今朝の映像は、先ず、カボチャの蔓が一本現れ、其の節に若い実が大きく育っているのが、鮮やかに映り出されて来た。其の、蔓の根元の方を見ると、もう一つ実が着いており、其の実が充実し切ったので、次の実が、いま大きく成りつつある場面だった。
次の映像には、清い水が、絶え間無く流れている用水路が現れた。
其の用水路に沿って、私の意識が下って行くと、大工さんが使用する鋸・のこの刃が、用水路の凹みに三枚引っ掛かっていた。
私は、其れが落し物なのか、其処に意識的に置かれているのかが判らないので、其れは其のままにして、下流へと下って行った。すると、途中に貯水タンクの様な施設が在ったので、其処で一休みする事にした。
すると其処は、女神の居る次元らしく、其の水タンクから、更に用水路が下流に向かって流れており、人間が生活する社会は、もっと下流に在る事が判った。
私は手ぶらで、何も道具を持っていないので、下流の人間社会に下りて行っても、役に立たないと意い、女神のいる次元に留まる事にした。
其れに、途中に引っ掛かっていた鋸の刃は、其処まで流れて来ないし、もう私には、其の鋸の刃が在った場所や、距離も定かではなく成っていたのである。
今朝の映像は、昨日の様に、山から町までの長い距離の物語ではなく、其れだけの短く簡単な映像であった。
しかし、今朝のメッセージは、昨日のメッセージに関連が有り、今朝のメッセージは、時間と方位がテーマに成っているような気がする。
昨日は、山の上から、九十九折の急な斜面を下って、町の集会場の建物まで行って、新しい経済(俗世界)に関わる内容だったので、其れは、山の上から下界への、上下や、場所を意味している。
処が、今朝の映像に現れたカボチャの蔓は、方位的には北の方から、真南の此方側に向けて伸びて来て、蔓の先には花も咲いていて、太陽の光線も当っているのである。
其れに、カボチャは「南瓜」と書き、南の文字が使われている。
他に、「西瓜・スイカ」とか「冬瓜・トウガン」などがあるが、今朝のメッセージに南瓜の蔓が使用されていたのは、其れなりの意味が有るのだろう。
だとすれば、蔓の方向から、南北の方向を意味している事に成る。
更に、植物は太陽に向って、伸びて行く働きを持っている事も暗示している。
そして用水路は、「艮・ウシトラ(東北)」の方角から、中央のタンクに流れて来て、今度は、西の方角に流れて行ったので、少し角度が折れている事になる。其れは、東方の守護神が青龍で、水の神を意味しているから、其れに関わりがあるのではないだろうか。
そして、西方の守護神は「白虎・ビャッコ」で経済を意味しているので、大工に関係が有る職業は、建築だから、町造りを意味しているので、新しい人間社会の構築を暗示しているのではないだろうか。
どうも、昨日のメッセージと、今朝のメッセージを合わせて考えると、現在・いま流行りの「風水」に付いて、示されて来ている様な気がする。
昨日は「克彦」との名と「小畑勝」の名が出て来て、人間の行動に付いて示唆されて来ていたが、今朝のメッセージは、丸い「マンダラ・銅鏡」の中心に、水を管理する女神が居て、私を、其の中心の処で、休ませたがっている様な気がする。
其れに、関係が有るかどうかは解らないが、今朝は、自宅が朝から停電なので、7時過ぎから自宅を出て、事務所に来てパソコンの前に座ると、女神のメッセージが有った。
「何も無い」
http://moon.ap.teacup.com/20060103/132.html
其れ等の事柄を考えると、中心の所に、水の神である弁財天が存在して、全ての管理を始めているのではないかと思えて来る。
昨年の12月27日から始まった、水神の働きが、自分の正体を徐序に現して来ているのではないだろうか。
「鬼子母神が見回りを始めた」
http://green.ap.teacup.com/20060818/140.html
今朝気付いた事は、南瓜の蔓の節に、何かの意味が、有るのではないかと言う事である。南瓜は、一本の蔓に、節毎に雄花が咲き、或る程度蔓が延びて、大きく葉が開いて茂って来ると、雌花が節に出来て花を咲かす。
そして、其の雌花が受精して、実が留まって大きく成り始めると、其の実が大きく充実するまでは5節〜7節毎に、雌花が咲いて受粉しても、其の実は、其の侭大きく成らずに腐れて落ちてしまう。
其のパターンが、何回か続きながら、蔓はドンドン伸びて行き、始めに着果した実の中身が、種まで成熟したら、もう栄養が必要ないので、栄養が蔓の先の方に運ばれる様に成る。そうなったら、そこで受粉した実が、大きく成り始めるのである。
そして、其れが三度繰り返された時の実が、「土手カボチャの三番成り」と呼ばれるのである。だから、三番目の実が成る時は、既に蔓が長く伸びて、畑をはみ出して、土手の上を這っているのである。
何故、長々と、南瓜の生態を述べたかと言うと、其の南瓜の生育パターンが、人間の歴史のサイクルと似通っていると、考えるからである。
其れは、仏教の「転輪聖王・チャクラヴァルティン」が、現れるサイクルと同じ意味を含んでいる。
南瓜が、宇宙の基本サイクルのプログラクを、現実に営んでいるのであれば、今朝の南瓜が現れた原因は、魂しいのサイクルを能く考えろとの事ではないだろうか。そうであれば、其のサイクルとは、ブッダの輪廻を意味し、2600年前出現した、仏陀の憶いが、結実したので、次のブッダの実が、大きく育ち初めていると言う事になる。
釈迦牟尼佛の涅槃は、北枕で、顔は西向きである。
だから、釈迦牟尼佛は、足は南に向けて、頭を北に向け、瞑想をしながら、西の人間社会の事を、想っている事に成るのである。
今朝、女神が居た貯水タンクは、其のブッダの、臍の処に位置するのではないだろうか。海神の臍から生まれた者が 男神ブラフマンで創造を司る神である。であれば、愈々水の神「サラスヴァティ」が、本来の場に位置し、男神であるブラフマンに、創造を任せるとの事ではないだろうか。
「ヴィシュヌと少彦名」
http://star.ap.teacup.com/170606/1010.html
この様な文章を打っている私は、一界の俗人である。
しかし、其の私の意識を操っている者達の正体が、何なのかは、私にも良く判らないのが本心である。私は、自分が出来る限りの努力をして、毎日のメッセージを解釈しているに過ぎない。
私が想う事は、私が、此の作業を続ける事で、目に見えない世界が、未来に向かって安定し、進化して行くのであれば、其れがただ、唯一の私の充実感である。
其れも又、涅槃に着いているブッダの意識なのであれば、私には何のとりえも無い事になる。しかし、其れは、其れで良いのだろう。
天界の、南瓜の実の中の種が充実して、真実の種として残れば、それだけで良いのである。
今日は、種子島のロケット基地から、月に向けて「かぐや姫」が打ち上げられた。事務所の庭からは、雲が邪魔して、ロケットの炎や噴煙は見えなかったが、爆音だけはしっかり聞こえて来た。また何か、宇宙の神秘が解き明かされて来るのだろう。
私は毎日こうして、目に見えない世界に向かい合って、行くしかないのだ。
其れにしても、南瓜の蔓が伸びる様子を見たり、用水路を遡ったりして遊んで居た子供の頃の思い出が、こんな形で利用される様に成るとは、不可解な世界である。
「カボチャの蔓と水の流れ」
https://green.ap.teacup.com/20060818/461.html
2009/11/18「耳を澄ますウサギ」
https://green.ap.teacup.com/20060818/1344.html
2013/6/16「絶対意識」
https://green.ap.teacup.com/20060818/2719.html
今朝「自分の座を確認する事」との言葉は、私が天神に「統尊(すめらのみこと)」の働きを要求して来る事と関係が有り、日本の天皇制度は、中国の「皇帝」を参考にした物であり、最初の皇帝である「秦の始皇帝」は「天に天帝が存在し 朕は其の代わりを地上で皇帝として務める。」との事を謂っており、日本の天皇との言葉は、其の天帝と皇帝を合わせた言葉である。
其の中国の「皇帝」の座から創られた言葉が、「中心座・黄金龍」であり、四神が「北・玄武(亀+黒龍)」「東・青龍」「南・朱雀」「西・白虎」である。
そして、其の中央に坐す・立つ者から、左右を表すのが日本語の「左・ひだり・日足り」「右・みぎ・見切り」であり、南が「日向・ひむか」である。
其れに「日が昇る」は「地球が回る」であるので、「天動説」から「地動説」にら替わった事からも、科学・真理に伴った言葉を創らなければ成らないし、「腸・有」の月偏は「月」ではなく「肉」である事や、「勝」の月は「舟」である事なども正しい物としなければ成らないだろう。
其れ等の事を考えると、其の言葉を考え出した昔人が居た事は顕かであるので、其れに「当・讜る」新しい言葉・概念を創出しなければ成らないと言う事であり、其れが36年前に告げられて来た「風 麥東 陶・ふうれんとう」と「讜逓聖・とうていせい」の言葉に関係が有るのかも知れない。
令和2年11月28日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2020/11/25
「吾 慶」
文字の意味
クイーンのネットワークが効く
2・11・25
今朝のビジョンには、祭壇の上に、青い縁取りの有る「真っ白い磁器」の楕円形の皿が一枚載っている場面が映し出されて来た。
そして、其の皿に載せられる物は、漢字の「吾」である事が示されて来て、其の事に源義経の守護を務めた「弁慶」が関係有る事が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時30分」であるので、私は其の数字である「2月30日」の日付は無いので、正しい暦を創らなければ、其の祭壇の上に有る皿の上に、供物を載せられないのだと意った。
其れから再び眠ると、今度は、「後10日」との言葉が告げられて来た後に、青い縁取りの四角な新しい画面が映し出されて来た。
次に、長い横書きの日本語の文章が映し出されて来て、其の文章の文字は角ばった書体であり、私の知らない中身・内容の物であるので、私が書いて・打ってはいない、文章である事が判った。
そして其の一部に、カタカナ文字の単語が有る事が示されて来て、其れは、未来創造に対して、世界中に通用する新しい言葉(概念)が、必要である理・ことを示唆していた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時44分・6時16分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は私が仲間を集めて、現在の世の中の仕組みを改革する為に、闘わなけれ成らない様子が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
今朝は起きた・起こされた時刻は「8時51分・9時9分前」である。
其れからPCを立上げ、今朝起こされた6時16分前の数字から、6月16日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/6/16本日6月16日の日付は、私が1998年11月1日に奈良市から、出雲の安部忠弘氏の所に引っ越した時に「6月16日に笹百合祭りを行え」と告げられ、安部忠弘氏の故郷である奥出雲の横田町に在る「櫛稲田姫神社」で、「祭草祭り・三枝祭り」を行った日である。
後に、奈良市の大神神社の摂社である「率川神社」で、6月17日の例祭「三枝祭(さいくさのまつり)」が有り、その祭りの折に神前で「笹百合の花」が奉献される「ゆり祭り」の行事が、1300年前の奈良時代から傳わっている事が判った。
其れが6月17日である事を考えると、私に6月16日の日付を傳えて来た事は、其の概念が奥出雲が原点である理・ことを示しているのであろう。
今朝のビジョンには、屋久島の「岳参り」の山岳信仰の世界と、「十五夜の綱引き」の行事が映し出されて来て、其の行事・祭事が、最も古い伝統文化であり、それ以外の祭事・行事は、全て不必要である理・ことが示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は未だ「1時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、何処かの高い山の上の台地に、最高の建築技術で建設された大きな近代ビル・施設が有るのが映し出されて来た。
其の建物は、時計回りにゆっくりと回転しており、其の建物の周囲は深緑の清水が満タンに溜められている事が判った。
私は何故、高台に有るビルの周りに何処から清水が引かれて来ているのか、不思議に思ったが、其れは、私に告げられて来ている、清水が溜められた高御座の「水素/Hの氣・エナジー」の世界が現実に成ったのだろうかと意っていた。
だが、建物の中に入って見ると、其処は国際会議場の様な施設であり、スーツ姿の立派な中年の男性が集まって来ており、取材陣の若者達も、見た事の無い近代的な取材機器を、持ち込んで来て居る事が判った。
だが視て廻ると、会議場では重要な会議は開かれておらず、分科会用の室内を見に行くと、立派な調理室が備えられており、高級料理が出される様になっていて、高級なアルコールも用意されている事が判った。
其れに、夕方に成ると、皆が繁華街(ネオン街)に出掛けて行く事が判明した。
私は、其の様子を視て、自分のお告げ・文章が悪用され、莫大な税金が無駄使いされており、世の中は増々神(はたらき)の意思から外れて、悪く成っている事を感じた。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時15分」であった。
私は、其の映像から、昔の事を思い出した。
其れは、私が23歳の時に「全国離島青年会議」の鹿児島県代表として、東京の日本離島センターでの会議に参加した時に、会議が済んでから数人が銀座に飲みに出掛けると言って、私も誘われたが、私はそんな気持ちで会議に参加した分けではないので断った事である。
其の50年前の出来事から、今朝のビジョンは世の中が何も変わっていないと言うか、増々、其の世界が増幅・増長している事に成る。
そして、「マクロビオティック ・Macrobiotic」の創設者である故「桜澤如一」の言葉に、「心を入れ替えた人間でなければ、マクロビオティック ・Macrobioticを教えると、増々悪事(道を外した生き方)を働く事に成る。」とある事を思い出した。
今朝は7時14分に起きて、PCを立ち上げ、先ず起こされた1時13分の数字から、今年の1月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には「・・新しい御世を創造する為に、其れなりの人物が広い会議室に集まって来ており、・・」と書いて有るので、今朝のビジョンに映し出されて来た会議場の事と関係が有りそうである。
其の事が、本日6月16日の事と関係が有るのかと意い、「6月16日・斎草祭り」で検索を掛けると、次の文章が出て来た。
其れに出て来た「2月15日」の日付は、今朝次に起こされた2時15分の数字で同じであり、「2月15日」は釈迦ブッダの命日とされている日でもある。・・
此の8月23日の日付は、1996年8月23日のビジョンに「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」が乗った宝船が登場して、「須佐之男尊・すさのおのみこと」が手植えした出雲の下佐世神社の境内に生えている御神木の土手に接岸した日から、丸9年目の日であるので、本は「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」&「水素/Hの氣・エナジー」の世界なのであろう。
其れに釈迦ブッダの御魂は、四国の金毘羅山の頂上に在る大物神社から、ネパールに派遣された神(はたらき)である事が、私に示されて来ているので、奈良の三輪神社の御神体である「三輪山・大物主」が元である事にも成る。
其れを考えると、奈良の矢追日聖法主は「櫛稲田姫」が何万年も前からの神であり、「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂も其の神(はたらき)の系譜であるとして祭禱(さいき)を続けていたので関係が有る事に成る。
其れ等の事を考えると、釈迦ブッダの御魂がリフレッシュして、高御座に着いているとの事なのかも知れない
其れを考えると、「ワタシは貴方」との女神の言葉は、「大物主神」のモノであると考えても良いのかも知れない。
何れにしても、「名越美代子」→「井上佳子」→「伊丹由香」と、パートナーを替えられながら、此処まで辿り着いた私には、何らかの役割が継続するとの事であり、其れが「天津日嗣・あめのひつぎ」の言葉・名前が意味する真実の世界なのであろう。
そして其の事に、旧暦7月14日」の禊ぎ祓いが必要不可欠であり、「惟神の道」の言葉が不変の「伝統文化」であり、其れが「岳参り」と「稲作文化」で継続されるとの理・ことなのであろう。
其れは「老子」「釈迦」「イエスキリスト」等の聖者が謂う、「宗教・おおもとのおしえ」には建物や教団は不必要であるとの理が、究極の答えであると言う事でもある。
「伝統と文化」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5396.html
此の文章の内容からすると、今朝告げられて来た「クイーンのネットワークが効く」との言葉は、「須佐之男尊・すさのおのみこと」の妻である「櫛稲田姫」のネットワークが、地球全域に構築され、新しい御世が誕生するとの事であり、其れが「クイーン」であるとの事は、男性意識よりも、女性意識の方が未来の価値観に適しているとの事であり、平和な世の中が誕生するとの事なのではないだろうか。
次に、6月13日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/6/13今朝のビジョンは、先ず、地表の上に、澤山の柔らかい白い球が浮かんでいる場面が映し出されて来て、其の中央部分に、二個の紅白の球が少し間隔を開けて、浮いている様子が示されて来た。
其の球は、先日のビジョンに映し出されて来た「白黒・陰陽」の球と同じ様に、 野球ボールの縫い目の様に、紅白が捻じれながら合わさっている物であった。
次に、電気炊飯器の中窯の様な丸い器が、大窯の中に小窯が入れられている物で、其の二つの器には透明な水が満たされており、其の両窯の水は、分けられている物ではあるが、両方ともが、同じ水を共有していると言うか、全体が同じ水の中に浸されている物である事が理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「1時47分・2時13分前」であった。
私は其の数字を「147・いしな・石名」と記憶して再び眠った。
すると今度は、透き通った「みずうみ」の中に、和紙を漉く(すく)繊維の様に、日本語の言霊が無限に漂っている様子が映し出されて来た。
私は其の言霊を繋いで、意味有る文章にしようと努力を続けたが、自分の意識の中に其れ用の単語(目的用語)が無いので、綴る事が出来ない・意味を組み立てられないで居た。
其処で「至難の業」との男性の聲色が聴こえたので、意識が目覚め照明を点けて時計を確認すると、時刻は3時20分から21分に成る所であった。
其れから、再び電気を消して横に成ったのだが、其の「至難の業」との言葉と、二つのビジョンの意味が気に成って眠れ無いので、起きて時計を見ると時刻は「4時16分」である。
其れで、PCをベッドに持ち込んで立ち上げ、今朝起こされた時刻「2時13分前」「3時20分・21分」「4時16分」の数字から、夫々の日付の文章に目を通す事にした。・・
これ等の文章の内容から、何となく神の指示が理解された様な気がして眠く成って来たので、眠る事にする。・・
此処で『此方には 二心は無い』との言葉が告げられて来る。4時59分・5時1分前
すると5時31分に再び起こされたので、再びPCを立ち上げ5月31日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、本日6月13日の日付の事が書いて有り、「・・其れが「統尊・すめらのみこと」の「高御座・たかみくら」の意味なのです。」と有るので、昨日の「統尊・すめらのみこと」の言葉は、一年前から用意・準備されていた「テーマ・課題」であった事に成り、本日6月13日は「切り開く能力」の本番・舞台が始まった事に成る。
だが、今朝のビジョンでは、私は「みずうみ」の中から「言葉・単語・文章」を漉く事は出来なかった。其の理由は、自分の頭・意識に「目的・意図・プログラム」が全く無い為である。其れは、私自身に「欲望・業・カルマ」が何も無い事を意味している。其れを考えると、「空の透明な一升瓶」と成っている自分の意識・脳に、何らかの目的・希望を持ち込まなければ成らない事に成る。
其れを考えると、今朝告げられて来た「至難の業」との言葉や「切り開く能力・ちから」の言葉が、重く圧し掛かって来る。
今朝二つのビジョンの、「二つの紅白(陰陽)の球」と、水の中に浸けられている「二つの炊飯器の中窯」の存在から、私の意識・脳味噌に浮かび上がって来る物は、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に物事の考えた方の基本として「陰と陽」「絶対と相対」「マクロとミクロ」の三つの言葉を教えてくれた事の意図である。
其れを考えると、私は自分の食生活や、意識の的をもう一回、ゼロから構築する必要が有り、其れが、昨年の今日告げられて来た「切り開く能力・ちから」との言葉と関係が有るのだろう。
『さあ 是からが君の 本番なのだよ。
長い月日を要しましたが 其れは
君の能力の 伸びしろが有った為なので
何も気にする必要は有りません。
宇宙には 時間と言うモノ・世界は有りませんので
一向に 月日の長さに付いて 気使う必要は無いのです。
其れに 君は 既に 永遠の世界に 入っているのですから
壽命との言葉を 気にする必要も無いのです。
良いですか 君には 無限のトキと
エナジーが 与えられているのです。
ですから 時間的な制限を
自分に課す必要は 全く有りません。
のんびり ゆったり と構えてこそ
君の本来のモチベーションが高まるのですから
其の理・ことを 胆に命じて 神情朗達を生きるのです。』11時16分・・
今朝の自分の「意識・こころ」の奥を探ると、無庵師匠が白く明るい世界で、茶道の世界を楽しんでいる様子が浮かび上がって来る。
其れは、聖徳太子が平成元年9月3日の深夜3時33分に「ようやく高天原に達した リンザイから始める」と告げて来た世界を、「土肥無庵」の御魂が実行に移すとの事なのかも知れない。
其れは「昭和天皇」や「西村見暁先生」の意念も、解決・完結する世界・次元である。
「至難の業」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5393.html
此の文章には、・・透き通った「みずうみ」の中に、和紙を漉く(すく)繊維の様に、日本語の言霊が無限に漂っている様子が映し出されて来た。・・・と書いて有る。
其れを考えると、今朝の最初のビジョンの、祭壇の上に、青い縁取りの有る「真っ白い磁器」の楕円形の皿が一枚載っていて、其の皿に載せられる物は、漢字の「吾」である事が示されて来た事と関係が有り、其の事が弁慶に関係が有るとの事は、弁慶が源義経を逃がす為に、敵の矢を全身で受けて仁王立ちで死んだ事が関係が有り、言葉(真言)を護る為に、決しの覚悟が必要である理・ことが、示されて来ているのであろう。
何故なら、漢字の「吾」は「神の言葉を護る」との意味だからである。
キー「吾・ゴ 形声 口+五 @われ。じぶん。」
2004/12/24本日12月24日は「クリスマス・イヴ」で、イエス・キリストに縁ある日である。
今朝のメッセージは、「6120」の数字と、私が、一番苦しめられた相手が、私に対する役目が無事に果せて、楽な顔に成るのが映されて来た。
其れは、私の人生の苦しみが、私の個人的な業(カーマ)ではなく、人類全般の業を整理解消する為の、現象であった事が理解されて来た。
ナザレの村に誕生したイエスは、「キリスト、メシヤ」として、人間の罪の償いをさせられたと伝えられている。
十字架上のイエスは、その証明とされ、其の姿が2000年間も、晒し者にされている。それは、イエスの望む処ではない。
イエスの望みは、唯一つ、人類全体が業から解き放たれて自由に成り、神(天の父)と人類が、世界を共有する事にある。
今朝のメッセージは、其の事の一つが、解決された事を伝えて来たのだろう。
私が、神の世界に入る為に、善悪の概念を超えて、多くの人々が協力し、また努力を続けて来たのだ。
「6120」を私なりに解釈すると、「無為に生きることがマル」と受け取れる。私が、此の神の世界に入ったのは、1984年6月4日(旧暦5月5日)だったのだが、「日月神示」が「岡本天明氏」に始まったのは、昭和19年6月10日(時び記念日)で、日付的には6日違いである。
岡本天明氏の神示は、殆どが、数字で下されて来ているので、今日の数字のメッセージも、岡本天明氏に関わりが有った、同じ神霊系が、作用して来ていると考えてもよいだろう。
天明氏に掛かった神は、「天津日継神・あまつひつぎのかみ」とされている。
天津日継とは、天の意志を引き継いで行く、神仕組みの意味である。
その天の意志が働いている世界から、イエス・キリストの誕生を祝う日に「6120」と告げられて来たのは、イエスキリストも、今回の神仕組みに連座しているとの、お示しであろうか。
私の、修行が終わったのであれば、もう苦しみの世界は無くなり、神の喜びの世界が、これから現象化して来るのだろう。
私が、無為にして自然に生きるだけで、役目が果せるのであれば、老子の謂う「自然無為」の生き方、親鸞の云う「自然法爾・じねんほうに」、日本の古神道の「惟神道・かんながらのみち」等の世界が現実と成り、私の名前である悠悠自適の「自適」の意味が、私の生き方とおりと成って来る。
私が、私ではなく、本来の「吾」として、確立される事に成るのだと想われる。漢字の「吾・ゴ・われ」とは、「神のお告げを 器具に入れて 汚れから護る者」との意味である。私が「私(自分の稲束を抱え込む)」から「吾」へと転換できたのも、私の仕事や財産を取ってくれた人達の、お陰様である。
*「吾・ゴ」【解字】形声。「口+五」口は、神のおつげの意味。音符の五は、棒を交差させて組み立てた器具の象形。神のお告げを汚れから守るための器具のさまから、ふせぐの意を表す。借りて、われの意味を表す。
【字義】@われ。じぶん。わが。じぶんの。A相手を親しんで呼ぶ時にそえる語。「吾子」Bふせぐ。とどめる。 漢語林より
私は、インドの釈迦の様に、自分から、全てを捨てて自由を得たのではなく、他人の働きに因って、自由に成れたのである。
その意味から、釈迦よりは求道心は薄い。
しかし、神霊界に釈迦牟尼仏を含め、4311体の霊界人が存在して、私の行動を支えているのであるから、釈迦やイエスの時よりは、物事がスムーズに行ったのではないだろうか。
この様な文章を、中学しか出ていない私が、書ける事自体が、奇跡の証明と言えるのではないだろうか。その意味では、イエスキリストも、天上界で喜んでいるのではないかと考えられる。
私が、聖霊界に対して恩返しが出来る事といえば、この様に、彼等に代わり言葉を連ねる事くらいであろう。
「6120」
https://moon.ap.teacup.com/20061108/514.html
2018/2/7今朝のメッセージは、昨日の続きであり、「五」である中心の座がどの様な働きであるかが示されて来た。
其れは、人間個人の意識の管理と、全体意識の在り方には、共通のモノが必要であり、其れが神柱や心御柱として、表現されて来ていると謂う事である。
今朝のメッセージは、先ず、昨日登場した二人が、私から離れ、一対二と成り、私は一人で、中心に治まらなければ成らない様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「2時5分前」であった。
其れから再び眠ると、箸に使う様な六角形の黒い二本の棒が映し出されて来たが、其れは長さが異なり、先が尖っていないので、加工しなければ、箸には使えない物であった。
其れから、私を子供の頃「坊ちゃん」と呼んでいた近所の「岩川カネさん(岩川道夫の母)」が、黒い服装で右側から登場して、私を「坊ちゃん」と呼んだ。
今朝は、7時29分に起きてPCを立ち上げ、今朝の文章の題を何にしようかと考えて居ると「並の事ではない」との男性意識の言葉が一言告げられて来たので、其れを其のまま題とした。
今朝は先ず、「坊」を調べると次の様に載っている。
*「坊・ボウ」【解字】形声。「土+方」音符の方は、左右に広がるの意味。左右にひろがる村里の意味を表す。【字義】@まち。㋐村や町の一区画。市街。㋑いちば。市場。Aみせ(店)また、工作場所。Bへや(室)。=房。また、いえ(家)。C建物。㋐皇太子の宮殿。「春坊」Dつつみ(堤)。Eふせぐ(防)。
国語 ボウ。㋐僧。また、僧のように頭をそった人。㋑幼児を親しんで呼ぶ語。㋒他人を親しみ、または、あざけるの意味を表す語。「朝寝坊「けちん坊」㋓昔、都の行政区画。十六町をいう。 漢語林より
此の説明に有る「方は、左右に広がるの意味」との事を考えると、今朝の映像で昨日の二人が私から離れたのは、「左大臣」と「右大臣」である事を示唆しており、村や町(国家・人間社会)を治める事を、示唆しているのではないだろうか。
キー「左大臣 右大臣」・・
これ等の文章の内容から考えると、昨日のメッセージの映像に登場した「剛の者」は、全ての行動を任せる「右大臣」の役割であり、乞食をして居た弁護士は、私欲が無く、法規に精通している人間であるので、「左大臣」の役割に適した人材であると謂う事に成りそうである。
其の様に考えると、今朝のメッセージの映像に映し出されて来た、二本の黒い棒は、箸に使用する物ではなく、人間の心の芯棒を示唆しており、人夫々の芯棒の長さが違う理・ことを示唆している事に成りそうである。
其れは、「天津日継・あまつひつぎ」に必要な「天津金木・あまつかなぎ」の世界と関係が有りそうである。
キー「天津金木」・・
此の「吾」の漢字の意味からも、今回示されて来た三方陣(魔方陣)の中心である「五」の数字は、多くの事を示唆している様である。・・
これ等の内容からすると、私が33年8ヶ月前に此の世界に飛び込んだ時に、私の役割が「事象の特異点」であり、別な言い方をすれば「新しい神の座標軸」であると告げられて来た事を、私自身が実行すると謂うか、自覚しなければ成らないと謂う事であり、先ず、昨日登場した二体の男性神(はたらき)を、現象化させなければ成らないのではないだろうか。
【並大抵】[名・形動]普通に考えられる程度であること。また、そのさま。ひととおり。多く打消しの語を伴って用いる。「この悪天候に出航するとは並大抵でない」出典:デジタル大辞泉(小学館)
「並みの事ではない」
https://green.ap.teacup.com/20060818/4520.html
今朝のメッセージから、私に考えられる事は、現在のウイルス感染拡大に拠って、多くの人々が集まり、話す事が不可欠である、「パーティ・晩餐会」「宗教活動」や「芸能」の自粛が求められている事と関係が有り、イエスキリストの言葉に有る「建物には神は住まない。人前で祷るな。同じ言葉を繰り返すな。禱りは一人でしなさい 隠れてしなさい。」が、正しい道である理・ことが示されて来ている事に成る。
其れを考えると、現在世界中に整備されて来ている「通信システム」は、天神が人間に与えた貴重な贈り物であると言う事に成るであろう。
今朝告げられて来た、「後10日」との言葉と、映し出されて来た、青い縁取りの四角な新しい画面の存在からは、次の様な事が考えられる。
「後10日」との日付は、「12月6日」であり、其の日付は、私が此の世界に飛び込んだ1984年6月4日に「残り16年半しか無い」と告げられ、其の期間が2000年12月4日であり、其の年月は、神武天皇が南九州を出発して、奈良・大和に辿り着くまで16年半掛かっている事と、12月4日は「長髄彦(ながすねひこ)大王」と、「神武天皇」が敵対している時に、天空が輝いて降りて来た金鳶(きんし)が神武天皇が手にする弓に止まったので、長髄王が「是は天意」だと受け取って、神武に国譲りを決意した日である。
私は其の2000年12月4日までに、神武天皇と同じ様な役割が果たせなかった・起きなかったので、東京の小泉氏に頼んで、12月6日に「森の木」のHPを立ちげて貰い、文章のアップを始め、PC作業が出来ない私は、文章をPCで打ってくれる人を探して居た所へ現れた由香に、手書きの文章をファクスで送り始めたのである。
其の事と、今朝映し出されて来た真っ新のHPと「クイーンのネットワークが効く」との言葉が関係が有るのなら、「須佐之男尊・すさのおのみこと」の妃である櫛稲田姫が、其の「クイーン・王妃」との事であり、12月6日までに、私の「森の木」を継ぐ、新しいHPを開設しなければ成らないとの事ではないのだろうか。
今朝の由香のビジョンには、「レオ」(ライオン・獅子/阿像)との名前と、「吽像」である「ユニコーン・一角獣・豸(チ)」の名前「慶子」と、「徹」(貫きとおす)が登場した事が、其れを裏付けている事にも成る。
「慶・ケイ」【解字】形声。「廌+心+夂(夊)」廌(タイ)は、牛に似た一角獣の象形で、むかし、被疑者に触れさせて裁判の判決に用いた。それを少し省略している。心は、勝訴したときの飾りの象形で、金文では、文と書かれることもある。夊は、行くの意味。人のよろこびをいわいに行くの意味を表す。
【字義】@よろこぶ。Aいわう(祝)。Bさいわい。幸福。Cめでたい。縁起が良い。また、吉事。「慶雲」Dたまう。くださる。賞与。また、そのたまもの。
漢語林より
今此処で、キー「ライオン・獅子 阿」「吽」「ユニコーン・一角獣・豸(チ)」で検索すると、一番上に出て来た文章は、何と5年前の今日の物である。
2015/11/25今朝のメッセージの映像は、先ず、神社の参道の横で「学習塾」の様な事を行っている、とても背が高く、神の存在の様にとても優秀・有能な、50歳代の男性の姿が映し出されて来た。
そして、日本語の「ほし(星)」の言葉が示されて来た。
其れは、参道に存在する学習塾が、日本語の学びを行っている事を、示唆していた。
其の日本語に付いて考えて居ると、「両岩壁・りょうがんぺき」との言葉が、告げられて来た。
「貴方の言葉が 其の岩壁を
通り抜ける キーワードと成るのです
ですから 貴方は是から 自分が口にする言葉に
気を付けなければ成りません
何故なら 神の力を得る事に成った
貴方の言葉使いを 皆が 真似る事に成るからです
其れは 貴方にとって
一番大事な 行為なのですよ
其の事が 一番重要であり 其の為にこそ
是までの貴方の修行が 有ったとも言えるでしょう
良いですか 貴方の言霊が
幾千年の未来を 決める事に成るのですから
心して 掛かりなさいよ 」
「女神の言葉集」
http://moon.ap.teacup.com/20060103/699.html
突然に、女神の言葉が告げられて来た。
其の言葉は、今朝のメッセージの重要性を示して来ており、私が是から、何をしなければ成らないかの指針を、示して来ている事にもなる。
今朝のメッセージは、昨日の「未来への扉」の続きであり、其れが、どう言う意味が有るかを、具体的に示して来ているのであろう。
どうやら「岩戸開き」とは、正面だけに扉が存在して開く物ではなく、左右に乗り越えられない高い岩壁が有り、其の左右の岩壁を抜ける為には、正しい日本語(大和言葉・マレー語)を使用する事が、必要であるとの事の様である。
そして、其のヒントが「ほし」と言う日本語に有るらしい。
漢字の星は、次の様に辞典に載っている。
*「星・セイ・ほし」【解字】形声。金文。篆文は、「晶+生」晶は、ほしの象形。音符の生・セイは、清に通じ、すみきっているの意味。澄んだ光のほしの意味を表す。【字義】@ほし。㋐空にかがやくほし。「恒星」「惑星」㋑としつき。歳月。光陰。㋒小さく丸い点。また、小さいもの、点々としたもののたとえ。「星星」A天体。日・月・星・地球などの総称。B重要な地位にある人。「将星」C朝早く。朝の暗いうち。また、夜。
(国)ほし。㋐目当て。目ぼし。また犯人。
漢語林
此の日本語の「ほし。㋐目当て。目ぼし。」からすると、「目印・めじるし」の意味が有るので、今朝のメッセージは、左右の岩壁を抜ける為には何等かの「目当て・目ぼし・目印(めじるし)」が必要であるとの事であり、日本語の「ほし」の意味は、古代人が星の位置を、目印としていた事に有るのではないだろうか。
其れは、柄杓の形をしている北斗七星の「斗・と」が、米や酒を計る「斗・升・ます」の意味であり、北極星が方向を計る基準・星と成っていた事で顕かであるし、「参道」や「参加」の「参・サン・参る」のム(冠)が三ツ星の象形である事からも、物事の基準に星の存在が関わっている事になる。
其れに「科学」の科は「禾(稲)+斗(升)」の組み合わせで、米の量を計るの意味である事から、科学とは「物を計る学問」と言う事にもなる。
其れ等の事を考えると、神社の参道に存在する学習塾の存在は、「科学的」に神の存在や言葉の世界を考えろとの事を、示唆して来ていることに成る。
其れに、神社の参道は、中央が「神様」の通り道であり、「人間」は鳥居の右側「阿・あ門」から中に入って、神の知らせを受け取ってから、左側の「吽・ん門」から外に出て来る事に成っている。
そして、左側の高麗獅子は「ライオン・獅子」ではなく、「ユニコーン・一角獣・豸(チ)」であり、神の知らせの解釈を間違った者を、角で刺し殺す役割を担っているのである。
2003/10/29・・ユニコーンは、神社の入り口に建てられている鳥居の、左側に置かれている高麗獅子の左側の物で、「一角獣・神獣」の像の事である。
其の「一角獣・神獣」は、神の言葉を間違って解釈した侭、門の外に出る者を、其の角で刺し殺す役割を、担っている物である。
其れに、右側の像は「ライオン・獅子」である。
高麗獅子はライオンを表し、ライオンは西洋では「水」の守り神である。
日本の神社では、右側を通って奥の社に近付き、左側を通って、外に出て来る様に決められている。
神社では、右側に御手水が有り、手や口を禊いでから鳥居を潜り、神に会って、左側から出て来る事に成っているのは、禊ぎ祓いをして神に会い「法・知」を授かって出て来るのを、意味しているのだろう。
神の門を潜る所に、水と、水の守り神である「ライオン・獅子」が備えられているのは、時代の古さを伝える物である。・・・
「聖獣 ユニコーン」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/592.html
2006/8/17・・今朝の映像は、大きな木が生えている、山中の川原の大きな岩の平らな表面に、太陽の光りが燦々と当っているのが映り、私自身が「豸・チ」に成っている感覚が遣って来た。
そして、政府の内閣府や総務省のデジタル資料らしき物が、次々にパソコン画面に現れて来た。其の資料を見せられた後、HPのカテゴリーの欄らしき所が映り、私の新しい概念が箇条書きに、何項目も書き出されるのが映されて来た。
今朝のメッセージの内容は、新しい憲法や、法律などの決まりを、創出しろとの事らしい。
「豸・チ」とは「解豸・かいたい」の事であり、中国では裁判を司る神獣で、日本の神社の左側に据えられている、西洋から持ち込んだ「ユニコーン・一角獣」の事でもある。
其の「豸」は、間違った判決を出した者を、其の角で刺し殺すと、傳われている神霊である。
一昨日は、右側の「阿・あ」で、昨日は「みや」だったので、今朝は「吽・うん」の左柱の外に、出て来た事に成るのである。・・・
「左の門を出た」
http://star.ap.teacup.com/170606/1012.html
2013/5/6「岩戸開き」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2677.html
2001/3/13「豸・かいたい」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/87.html
2006/7/26「豸(チ)」
http://star.ap.teacup.com/170606/987.html
今朝のメッセージは、昨日のメッセージで示されて来た、アカシックレコードの情報枠組み・検索システムが、日本語で組み込まれているとの事の続きであり、其の日本語の存在がどう言うモノ・世界であるかを、具体的に示して来た物なのであろう。
其れを考えると、天神・宇宙意志は我々人類を、神の道・真実の道に誘っている事に成り、確かに「未来への扉」が開かれている事に成るのであろう。
そして、其れは「ガムラン音楽」の鉄製の打楽器の音とも、関係が有るのかも知れない。
明日11月26日は、台湾の蘭嶼島に住む、ヤミ族の「ミカギシ」の祭りが行われ日でもある。
2014/11/26・・本日11月26日は、私の直ぐ下の弟「礒邉農夫成・のぶなり」の36回目の命日であり、台湾の蘭嶼島に住む、ヤミ族の「ミカギシ」の祭りが行われ日でもある。
今朝のメッセージの映像は、其の「ミカギシ」の祭りに関係が有るのか、神社での厳かな式典の様子が映し出されて来た。其れは、故「矢追日聖法主」が主体と成って、二人の禰宜・付き人が備品を取り扱う場面である。
其の式典・儀式に使用される物は、物が入っている数個の木箱が用意されるだけで、通常行われている神社での儀式の様なものではなく、酒・米・塩や食べ物などの供物は、一切何も無かった。
そして、幣・ぬさに拠る祓いや祝詞奏上等が、何も行われないのである。
其処で行われた事は、白装束の男性三人が、社の中に数個の木箱を持ち込んで、其の木箱の蓋を開けるだけであった。
そして、床に置いた木箱の蓋の内側には、文字が書かれており、床に置かれた蓋は内側が上面に成っているので、其の書かれている文字・言葉が、神に奉納される事の様であった。
そして、其の儀式が済むと、青空に薄い雲の様な物が、左側からせり出して来て、甘露と言える様な雨粒が、地上に降り注ぐ場面が映し出されて来た。
其の儀式が済んだ後、私は矢追日聖法主に誘われて、隣の部屋に移った。
そして、矢追日聖法主が、私に「此れは 知り合いが書いてくれた物だ」と言って、壁に掛けられている一幅の大きな掛け軸を見せてくれた。
其の掛け軸には、上部分から、左の方に筆文字が書かれており、中央やや右には、特別大きな文字で「順道」と縦に書かれていた。
そして、其の掛け軸は矢追日聖法主がとても気に入っている物であり、「順道」との言葉は、是からの未来世界に対して、全て理・ことを含んでいる言葉である事が示された。・・・
「順道・じゅんどう」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3277.html
2014/7/12「純粋意識」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3127.html
今朝のメッセージは、簡単な物であった。
其れは、今朝のメッセージの内容が、最も重要・大事なモノであるからこそ、簡単に示して来たのであろう。
今朝のメッセージの内容から、私が感じ取った事は、我々人間は、外から岩壁・岩戸を見て居ては、神の世界と言うか神秘の世界に入る事は出来ないと言う事である。其れは、何等かの手段で、岩の中に入らなければ成らないと言う理・ことである。
其の為にこそ、禊ぎ祓いやパプテスマの儀式が必要であり、神社の拝殿の正面に鏡が置かれているのである。
そして、エジプトのピラミッドの中の王墓に、花崗岩の「棺・ひつぎ・櫃ぎ」が置かれており、墓石が花崗岩・御影石であり、古代から、岩壁の窟の中で修行が行われて来たのである。
其れを考えると、神社の神主・神官の様に、岩に向かって、お祓いを行ったり、祝詞を奏上したりして居ても、其れは無意味な行為であると言う事になる。
れ等の行為は、岩壁と人間の意識・波動の関係性を、傳える手段にしか過ぎず、本来の意味が傳えられているモノではないのである。
何故なら、私は其れ等の行為をしていないし、神主や神官の指導を受けたり、祝詞などを奏上したりする事等一切無しで、此の世界に入っているからである。
私が此の世界に入ったのは、土肥無庵に捜し出されて、仕事を一切止めて、家族と離縁し、人間関係を遮断して、山中に新しく建てた土肥無庵の自宅で、3月5日から6月4日までの三ヶ月間の「マクロビオティック・正食」生活の末に、安房川の岸辺で土肥無庵が見守る中、沐浴・みそぎをしただけである。
*「沐・ボク・モク」【解字】形声。「氵(水)+木」音符の木は、尨・ボウに通じ、むく犬のように髪がたれるの意味。水で髪を洗うの意味を表す。【字義】@あらう。髪を洗う。「沐浴・もくよく」Aうるおう。めぐみをこうむる。恩を受ける。「沐恩」B漢代の、官吏の休暇をいう。家に帰って髪を洗うの意味。C髪を洗うに用いる米の汁。 漢語林
何れにしても、私は、屋久島に生まれ育って居なければ、現在・いまの自分は存在しない事は顕かである。
其れを考えると、我々人間は環境の産物である事は間違い無い。
「両岩壁」
https://green.ap.teacup.com/20060818/3670.html
其れに、今朝「白い磁器の器・吾・弁慶」の事が示されて来た「2時30分」の時刻から、「暦 2月30日」で検索すると、次の文章が出て来た。
2019/8/19昨夜は、由香がふと目に付いた動画を再生して観たところ、アステカ文化のテオティワカン遺跡に付いての番組であり、月のピラミッドの内部の発掘現場の様子を映した物であった。
其の内容は、突然に地面に十数メートルの深い穴が空いているのが見付かり、調べて見ると月のピラミッドの中心に続くトンネルの真上であり、手前に埋めて隠されていた入り口から、月のピラミッドの中心まで進むと、四体の石造が見付かり、其の四体の目が見詰めている場所を掘り出すと、火葬された王らしき遺体が入った棺が有ったとの事である。
そして、其の場所は水が溜められており、「水」は「太陽」と「人間の霊魂」が「復活・蘇る」装置として考えられていたとの事である。
其れに、ピラミッドは「雨季」の始まりと「乾季」を観測する装置で、ある事が判明したとの事であった。
何故、私が屋久島の奥岳を縦断して、永田岳の頂上に存在する磐座(いわくら)の中に祭られている神様に、初めて参拝して丸16年、マヤ・アステカの神である「ククルカン・ケツァルコアトル」に「約束は守られる」と告げられて来てから丸13年の日に、其のピラミッド発掘の映像を観る事に成ったのであろうか。
其れに、昨夜其の番組を偶然に見る事に成ったのは、前日からマヤ・アステカの神である「ジャガー」の神霊が、由香に依り憑いて居た証しと成る出来事なのかも知れない。
昨夜は一眠りすると、私の意識が建物施設の二階から、パワーショベルの腕の様な構造のバケットで、一階の地面から、土か水の様な物を掬い出している場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時30分」であったが、2月は28日か29日までしかないので、どの様に考えたら良いのか判断できなかった。
其れから再び眠ると、今度は、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」の家族が、当時の姿で登場して、私は懐かしそうに土肥さんの子供達と戯れ始めた。
暫くすると、土肥無庵の知り合いの自宅に到着して、玄関に到着すると入り口には鍵が掛けられており、クイズの答えを出さなければ、ドアが開かない仕掛けに成っている事が判った。
其れで、土肥無庵は其の答えが判ったらしく、裏庭の方に回り、台所に居る夫婦が見える場所で滑稽な感じで踊り始めた。
すると、其の踊りの名前か、歌詞の意味の、どちらかが答えに成っていたのか、主人の男性が玄関の方に回る様に手で合図をしたので、ロックが解除された様であった。
其れから家の中に入ると、クイズの答えとして、液体(水)の入った缶詰に穴を開ける鷲鷹の嘴の様な形の「開缶器・Vカッター」が、映し出されて来た。
開缶器(Vカッター)
一斗缶等の角にV字形の穴を空け、内容物を取り出せるようにするもの。空気孔と流出用の孔を空けるために使用される。
其れから、横書きの日本語の長い文章が、縦に長く映し出されて来て、其の文章の内容には、私の存在に付いて記されている物である事は判ったが、其の文章は私が書いた・打った文章ではなく、複数の男性の御霊が、私の存在に付いて記録を続けているモノである事が、理解されて来た。
私は、其の文章の存在から、私の人生と謂うか物語は、複数の関係者(神霊)の筋書きで動かされている事を理解した。
今朝は起きて、時計を見ると時刻は8時12分であった。
【月のピラミッド】
月のピラミッド(つきのピラミッド)はテオティワカンに現存するうち、太陽のピラミッドに次いで2番目に大きな構造物である。メキシコのテオティワカン遺跡の北の端に建っており、その真北にみえるセロ・ゴード山を模倣するかのように建設されている。ナワトル語ではテナン (Tenan) と呼ばれており、これは "母、もしくは石" という意味である。月のピラミッドは太陽のピラミッドと似た構造で建造されており、同様の構造は紀元200年以前から存在していた。
建設は周囲の建造物群と合わせて100年ごろから始まり450年ごろまで続いた。[2]正面の斜面には、死者の大通りから繋がるタブータブレロ構造で4段の階段状の祭壇があり、ピラミッドの頂上の舞台にまで繋がっている。かつてこの壇上には、ピラミッドの麓で彫刻が見つかった月と水と豊穣の女神で、自らと地球も造ったテオティワカンの大女神を讃えるための、式典を行う壇があったと考えられている。
ピラミッド正面には月の広場がある。広場の中央には内側が五点形 (Quincunx)、もしくは「テオティワカンの十字架」と呼ばれる独自の構造をした祭壇がある。
歴史
紀元前150年と西暦500年に、メソアメリカの人々は22平方キロメートルの高原に大都市を建造し、繁栄した。[要説明]テオティワカンを造った人々の民族性についてはほとんど分かっておらず、議論の対象となっています。ツァクアリ相 (0年〜150年) と呼ばれる初期のテオティワカンでは、月のピラミッドと太陽のピラミッドを建造に使われてる独創的な建設様式が開発された。また、テオティワカンの都市部は、15の巨大なピラミッドに囲まれた広場をもち、主軸に沿って計画的に都市化されている。アステカの人々は月に関するの巨大な石像が載っている、と表現していた。この像はピラミッドの頂上ではないところで発見され、22トンある水の大女神の像だった[3]。
1998年初めから、考古学者が月のピラミッドの下の発掘調査を行った。調査により、月のピラミッドは初めに建てられてから少なくとも6回増築されていたことが明らかになった。増築するごとにより大きくなっており、増築前のピラミッドを覆い隠す形で建造されていた。
考古学者たちはピラミッドの層を掘り進み、初期のテオティワカンの頃の埋蔵物を発見した。1999年に、日本の愛知県立大学及びアリゾナ州立大学の杉山三郎[4]とメキシコメキシコ国立人類学歴史研究所 (INAH. National Institute of Anthropology and History) のルベン・カブレラ (Ruben Cabrera) の調査団は、5層目建造の際に作られたと考えられる墓所を発見した。そこには、人の骨、動物の骨、宝石、黒曜石の刃物などがあり、その他多種多様な捧げ物と思われる物品があった。これらは100年から200年の間頃に埋葬されたと推定されている。
また、第4層建造時に作られた大女神に関連する墓所が1998年に発見されている。これには生贄と考えられるヒト一人と、オオカミ、ジャガー、ピューマ、ヘビ、鳥などの骨、また400を超える異物と共に見つかった。その中には大きな緑色岩や黒曜石の人形、儀式用と思われるナイフ、鏃などがあった。
フリー百科事典『ウィキペディア』2019/8/19現在
今朝の映像に登場した「土肥無庵」の様子から、私は自分が35年間取り組んで来た事は「クイズ・謎解きゲーム」の様な世界である事を理解した。
其れは、アークの箱の上に取り付けられている二頭の「ケルビム」の存在や、「スフィンクス謎かけ」の言葉・物語とも関係があり、間違った答えを出した者を角で刺し殺す「ユニコーン」のテーマとも通じている事に成る。
其れに、今朝起こされた時刻が2時30分であり、偶数月である2月が28日・閏29日までしか無いのは、次の様な理由に因る。
現在の形の暦を定めたのは、ローマの独裁官「ユリウス・カエサル」(英語読み:ジュリアス・シーザー)で、奇数月を31日、偶数月を30日とする暦を定めた。だが、自分の生まれ月である7月を自分の名前にする事にし、其れが原因で2月が1日少ない29日と成った。
更に、カエサルの後継者で初代ローマ皇帝となった「アウグスタス」も自分の生まれ月8月が奇数日の31日より1日少ない事を嫌がり、31日にする為に、2月から1日を取って2月が28日と成り、9月が30日で10月が31日・11月30日、12月31日と、可笑しな事に成ってしまっているのである。
其れを考えると、独裁者の都合・我が侭で、暦が正常な物ではない事に成っているので、其れを本来の暦・カレンダーに直さなければ成らないと謂う事なのであろう。
何故なら、時間・日付が神(はたらき)であったマヤ・アステカの神「ククルカン・ケツァルコアトル」にとっては、其れが許されないと言うか、我慢できない不都合であるとの事なのであろう。
其れを考えると、新しい暦・カレンダーは、正確・正常な冬至(南半球夏至)を元旦とした太陽運行(地球公転)の一年と、12ヶ月の日付を、1月(31日)、2月(30日)、3月(31日)、4月(30日)、5月(31日)、6月(30日)、7月(31日)、8月(30日)、9月(31日)、10月(30日)、11月(31日)、12月(30日・閏31日)としなければ成らないと謂う事に成る。
そうでなければ、イスラム教圏や、中国圏は、「新しい世界暦」の制定・発行には、協力しないであろう。
キー「新しい暦」・・
2007/5/1・・そして、私に現われた暦は、新しき社会で使用される物で、自然の移り変わりや惑星の運動に適った物だと言う事だろう。
私は、12年前に「新しき暦を創る会」の名刺を作り、近江神宮に出入りしながら其の暦の必要性を多くの人に話して来た。新しい暦・カレンダーとは、世界共通の暦で、惑星の運行に合った物で、皆が受け入れられる価値観に基づいた物である。
現在、多くの国で使用されているローマ暦は、新年が冬至から1週間も遅れているし、偶数月である2月は28日で、8月は31日・12月31日と、日付も王様の都合で真面な物ではないのである。
人間の、体のリズムは、月の運動に因る潮の満ち干きに拠って創り出された物だから、月の運動を意識から外してはいけないし、地球の北半球と南半球は、夏と冬の季節が反対なので、祭りや暮らしを一色単にする分けにも行かないのである。
其れ等の事柄を踏まえた上で、世界全体で使用出来る暦を創る必要が有るのだ。・・・
「新しい暦」
http://green.ap.teacup.com/20060818/273.html
此の「月読界」の文章の内容からすると、今朝のメッセージの映像で、私が「土肥無庵」と訪ねた謎解きが必要な家とは、土肥無庵が滑稽な踊りをして居た場面は、私が小野寺氏の自宅で、娘さん達とインディアンの踊りを始めると、小野寺氏も一緒に踊りに参加した事と関係が有るのだろうか。
其れとも「和暦」の製作者である、「芳賀透氏」に関係が有るのだろうか。
其れを考えると、今朝のメッセージで謎解きのキーが、液体(水)の缶詰を開ける器具である「開缶器・Vカッター」であった事と関係が有り、昨夜観た「テオティワカン」のピラミッドが、「雨季」と「乾季」の始まりの日付を知る為の施設である事に関係が有るのかも知れない。
其れに、太陽のピラミッドの大蛇の頭は、雨を齎す蛇神を表す物である事を考えると、台風10号が「8月15日・旧暦7月15日・満月」に呉に上陸した事と関係があり、太平洋戦争を初め、時代・事象を動かしている物の正体は、「ククルカン・ケツァルコアトル・括る神・白山権現菊理姫」と「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」「三輪山の大物主神」の神(はたらき)であると言う理・ことにも成るであろう。
キー「大山祇神・大物主神」・・
此の「生命の象徴」の文章に有る「可美葦牙彦舅尊・うましあしかびひこじのみこと」「葦の芽」の事を考えると、今朝の「謎掛けの鍵・キー」が、鷲鷹の嘴の様な形の物であった事が関係が有り、日本国の呼称である「豊葦原瑞穂の国」の言葉・世界と関係が有り、愈々「瑞穂の国の役割が開けられる」との事が示されて来ており、其の準備が必要であり、其の為に、16日の映像に映し出されて来た真っ白く真丸い顔の女神・母神が、彼岸から此岸に数10体の神霊を送り込んで来たのではないだろうか。
キー「可美葦芽彦舅尊 芽」・・
「芽・ガ・め」【解字】形声。「艸+牙」音符の牙は、きばの意味。きばのように突き出た草木の新しいめの意味。【字義】@め。草木のめ。Aめぐむ。めばえ。めざす。めが出はじめる。Bはじめ。もと。おこり。「萌芽」Cきざす。
漢語林より
此の芽の漢字の意味からすると、確かに何かが、新しく芽生える時節が到来したとの事であり、其の為に「母神・月の女神・水の神」が動き出していると謂う事に成りそうである。
「2月30日」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5089.html
要するに、本日のメッセージは、私は「言葉を紡ぐ」事に専念すれば良いとの事であり、私の此の身体に、宇宙の情報管理が集約しているとの事で、其れが「統尊・すめらのみこと」の「詔勅・みことのり」「御嚴・みいつ・御稜威 」の言葉の意味であり、私が此の世界に飛び込んだ時に、私の役割が「事象の特異点」であり、別の言い方をすれば「新しい神の座標軸」であると告げられて来た事が、漸く日の目を見る時が来たとの事であり、「ユニコーン・一角獣・豸(チ)」の世界が「慶事」と成るとの事なのであろう。
令和2年11月25日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2020/11/23
「博く傳える」
文字の意味
ソレは間もなく起きる
2・11・23
本日11月23日は「勤労感謝の日」で祝日と成っているが、其れは、「新嘗祭」の日が、戦後の1947年(昭和22年)に名称変更された物である。
「勤労感謝の日」 由来
日本では古くから、天皇が新穀などの収穫物を神々に供えて感謝し、自らも食する「新嘗祭にいなめさい」という祭事が行われてきた(詳細は新嘗祭を参照)。
新嘗祭は1872年(明治5年)までは旧暦11月の二回目の卯の日に行われていた。しかし、改暦の年である1873年(明治6年)になって、旧暦11月の二回目の卯の日は新暦の翌年1月に当たり都合が悪いということで新暦で行うこととなり、同年11月の二回目の卯の日であった11月23日に行われた。また、同年公布の年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム(明治6年太政官第344号布告)[注釈 3]によって、祭祀と同名の休暇日(休日)となった。本来、11月の二回目の卯の日は11月13日 - 11月24日の間で変動するが、翌1874年(明治7年)以降も祭祀・休日ともに11月23日に固定した[注釈 4]。
制定
第二次世界大戦後、新たに日本国憲法が制定され、祝祭日から国家神道の色彩を払拭するという方針のもとで新たに祝祭日を選定し直すことになった[2][3]。1947年(昭和22年)に召集された第2回国会で祝祭日の名称の全面的な見直しが行われる中、衆議院では新嘗祭が新穀の収穫に対する感謝の日であることからそれに代わる名称として「新穀祭」「生産感謝の日」などの案が検討された結果、「感謝の日」案が有力となった。その後の衆参合同委員会で「感謝の日」では漠然としていて何に対する感謝かわからないという理由で「勤労感謝の日」[注釈 5]と「労働感謝の日」の二つの案が出され前者の案が有力となり、衆議院文化委員会において日本社会党などの委員による賛成多数で「勤労感謝の日」が採択された[3][4]。この決議を踏まえて国民の祝日に関する法律に規定された。
このように、勤労感謝の日は実質的に制定の前年までの新嘗祭を引き継いだ祝日である。そのため、11月23日は現在まで続いている固定休(休日)の中で最も長く続いている休日である[注釈 4]。
フリー百科事典『ウィキペディア』2020/11/23現在
今朝のメッセージは、先ず「2月6日」の日付が告げられて来てから、「博」と「傳」の漢字の意味が記されている、二日分の、私のブログの存在が映し出されて来た。
今朝起きた時刻は「7時20分」である。
其れからPCを立上げ、今年の2月6日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/2/6昨夜は、自分がメッセージから解放されて「隠居・縁側で日向ぼっこが出来る爺・翁」に成れる事を「壽ぐ儀式」を、由香に頼んで、手作りの「おでん」を食べながら、焼酎のお湯割り二杯と、自然酒を三合飲んだ。
そして、気持ち良く成って来たので、椅子の上で胡坐をかき、ブッダのポーズ・姿勢をとると、ブッダの波動から不動明王の波動・姿勢に変わってしまった。
其れは、ブッダとは「解脱・覚醒・成佛」する事であり、意識が「空・無・平安・リラックス」に成る事であるが、不動明王は其れとは違い、名前こそ不動であるが、悪い物を剣で払い、悪事を働く者を縄で縛りあげる存在・役割であるので、全く逆の体制である。
そして、酒の所為で眠くなったので、入浴は止めて其のまま床に就いた。
すると、是までの神霊からの「メッセージ」ではなく、自分の存在を認識する為の「ビジョン」の様な映像場面が映し出されて来た。
先ず、私が複数の男性と一緒に旅から帰って来たのか、大きな建物の正面玄関の前に立つと、其の複数の男性達は、「宿主は 何も言わないのだが 立ち退いて欲しい気持ちを抱いているので 私達は是で失礼する。」と謂って、私の傍から離れて、何処かに立ち去って行った。
残された私は、建物の中に入る為に、上着を脱いで埃を払おうとすると、其の服には、中国大陸から飛んで来る「黄土・黄砂」の様な微粒子が、たっぷりと含まれており、能く視ると私の肉体全体にも、黄土・黄砂を被ったかの様に、其の黄色い微粒子が付着している事が判った、
次に、私が手に持っている弁当箱を、野外に有る水道施設で洗おうと意い、風呂敷を解いて留め金を緩めると、中から液体・水が噴出して来た。
其の様子は、ガスボンベにガスが液体として詰められており、使用する時は其の液体が少しずつ気化する事で火として使える事と、同じ様な感じの物であり、其の弁当箱の中身が空に気化する迄、暫く時間が掛かった。
そして、漸く気化が終わった所で弁当箱の蓋を取ると、中には一切の物や汚れは無く、真っ新なカラッポの状態である事が判った。
其れから、建物の中に入ろうとすると、其の建物は端が見えない程巨大な、窓も入り口も無い、空色・水色の壁が立ち塞がっている物である事が判った。
私は、其の映像場面から、自分の肉体の周囲・環境には、目に見えない空気が存在するが、其の空気も物質である窒素(8割)・酸素(2割)で構成されている物であるので、我々は、目に見えない・触れられない物の中に存在するものであり、一切合切が粗粒子・量子の存在で、現象化しているのだと理解した。
そして、中身がガス化する水・液体である弁当箱の存在は、私達の肉体が60%水である事と関係が有り、其の水の存在が酸素と水素の素粒子・量子である事を、示唆しているのではないかと思った。
其れ等の理・ことを考えて居ると、自分の内側から、優しい女性的なの聲で「ありがとう ありがとう」と謂う言葉のフレーズが沸き上がって来たので、其の女性の聲は「万物の母」のモノであり、私達の肉体を構成している物質その物が、万物の母その物であり、私の意識は、138億年を経て来た、物質其の物である理・ことを理解した。
次に、私が自分の畑で草刈り作業を行って居ると、後ろの方で機械の音がするので、振り返って見ると、隣の広い農地で牧草を刈り取っている50歳位の男性が居る事が判った。
其の男性は、何処かで見た事が有りそうな顔であるが、誰だかは判らなかったが、私の方に近づいて来て「自適さんは 草刈り機の歯には油を塗って 磨いていなければ成りませんよ」と謂った。
其れで、私は其の人の草刈り機を見に行くと、其の人の草刈り機はとても大型の物であり、大きな象でもなければ振り回す事が出来ない程の大きさの物であったので、私は聖書に記されている「刈り取り」の時節が近付いて来ている事を思った。
其処で、男性の聲で「未だ終わってはいない 是からが本番だ」と聴こえて来て、其れは、自分の「身体・カラダ」に傳わって来ている「久遠実成・くおんじつじょう」の「御魂・たましい」の聲であり、其の聲の主が「御祖神・みおやかみ」其のモノであると理解されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時5分」であったので、私は其の数字から、私が此の世界に飛び込んだ日が、母親の64歳の誕生日1984年6月4日であり、其の日は「旧暦5月5日」であったので、私は、物質の母親の身体から産まれて37年目に、安房川の水で禊ぎ祓いを行って、此の世界に飛び込んだ・覚醒・成佛した日が5月5日であった事に、神の世界のプログラム・計画性が有る理・ことを理解した。
其れから起きて、風呂場に向かい、お湯を足しながら、溢れる水音を聞きながら躰が温まってから、正座をしてマッコウ鯨瞑想を始めると、力を抜いている両腕が、私の呼吸に合わせて広がったり・縮んだりするので、自分の呼吸を確認すると、何と、私は呼吸は「腹式呼吸」に成っている事が判った。
其れから外に出て躰を洗ってから、再び湯船の中で正座をすると、今度は自動的に、両膝が動き始めて、ステンレスの底を太鼓として打ち、音を出し始めた。
其の音を聞き始めると、何かから「ペタン ペタン」との、水に浮かべているボートの船腹に小波が打ち当たる時の様な音が聴こえるので、其の音の原因を探ると、私が躰を洗う為に使ったお湯で、水位が下がった為に、私の腕と水面との間の隙間に、膝を動かした時に生じる水が当たる事で、やまびこの様な現象が起きている事が判った。
私は其の現象から、自分が歩き回る・旅をする事で、様々な現象を相手に与えて来ていた事を理解し、是からは、其れ等の事を起こさないで済む事を思った。
そうして居ると「長過ぎると ふやけてしまう」との言葉が内側から聞こえて来たので、風呂から出てから髪を乾かして、寝室に帰ると時刻は6時13分であった。
そして再び眠ると、自分の潜在意識の世界に付いて、様々な分野が長い時間映し出されて来て、目が覚めて時計を見ると、時刻は10時23分であり、其の数字は私の父親の命日「10月23日」の数字である。
今朝の文章の題は、自分の身体の存在原理&自立運動、其れに潜在意識の世界が強調されて来たので「真実の自分」とした。
其れは「自分」との言葉・単語が、「自らの分けを知る・探る」との意味合いであるので、私は是から霊界・神界の事を探るのではなく、自分自身の存在に付いての真理・真実を、問うて行かなければ成らないのだと、意ったからである。
キー「自らの分け」・・
今朝の映像・ビジョンでは、「宿主が 嫌がっている」との事で、複数の男性が去って行く様子が映し出されて来た。
其れは、日本語に「ひと」が「霊留・ひと(霊がとどまる者)」の意味合いである事と関係が有り、満73歳を迎えている私が、何時まで此の役割を続けられるのであろうかと気にしている事が関係が有るのかも知れない。
其れは、あの優秀な「弘法大師空海」でさえ、自分の脳細胞の減少を気にして、61歳の時に食を絶って入定しているからである。・・
今朝の状況からすると、私に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」の事は忘れて、自分自身の潜在意識の中に深く潜り込み、「久遠実成・くおんじっじょう」の世界で、生命の原質を探り出す事に専念する必要が有るのではないだろうか。
其れは、老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く」との事や、「帰巣本能」の言葉とも関係が有り、40億±2億年の遺伝子・DNAの鎖(苆の尾)の糸・縁を遡る事であり、其処に、「ありがとう」との言葉を謂ってくれる、自分の存在に付いて知りたい万物の母神(はたらき)が、待って居るのであろう。
「真実の自分」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5265.html
此の文章には「仏陀の波動から不動明王に」と「自分自身の潜在意識の中に深く潜り込み、久遠実成(くおんじつじょう)の世界で、生命の原質を探り出す事に専念する必要が有るのではないだろうか。」と書いて有り、テーマは「真実の自分」を探る事である。
其の事と「博」と「傳」の漢字にどの様な意味が有るのだろうか。
キー「「博・ハク 傳・デン 」
2015/8/26・・今朝の映像には、「アノニマスタジオ」を創設した、「丹治史彦(ふみひこ)」氏が登場して、広い土地で、農業研修場の様な物を経営しており、畑では50人程の人達が、作物の雑草取りをしている場面が、映し出されて来た。
次に、其の事に関係が有るのか、NHK・日本放送協会の人達が七名、田舎に来て居り、昼食に広い露店の饂飩コーナーで、其々が自分の好みのトッピングをして、うどんを注文して居る場面が映し出されて来た。
そして、其のリーダーは「NHK放送」の会長であった。
次に、青空に、大きな船の形をした白い雲が浮かんでおり、其の上空には「豸・一角獣(ユニコーン)」の働きを意味する形の雲が浮かんでいた。
其の姿は、仰向けの姿で、ゆったりと寝ており、自分の役割を終えて、休んでいる様子が窺えた。
そして、次の映像は、私の意識が自然の中を流れる、大きな河川の右岸に在って、水の流れを静観して居る場面が、映し出されて来た。
其の私の直ぐ前には、川縁に肌理の細かい砂浜が有ったので、河口に近い穏やかな流れの所であり、周囲には人家が無く、小船さえ浮かんでいない、とても清閑な風景であった。
私の意識は、其の静かな自然環境の中に在って、自分の大役が無事に果たされた事を感じ取って居た。
そして最後に、「O」と「F」の記号が、映し出されて来た。
今朝は、起きてから「愉伽さん」に、今朝のビジョンを訊ねると、「○○文子」と言う女性が登場したとの事なので、昨日から今朝のメッセージは、「博文・史彦(ふみひこ)・文子」との人名が共通しているので、「文・ブン・あや・ふみ」から「文化」に関係している事になり、其の事の為に「畑・農作業・野菜栽培」が必要である理・ことが、示されて来ている様である。
そして、其の事に、「NHK・日本放送協会」が関係有るとの事なのであろう。・・
*「博・ハク・バク」【解字】「十+専」十は、四方の意味。音符の専は、田の苗を広く植えるの意味。ひろいの意味を表す。【字義】@ひろい。㋐ゆきわたっている。㋑広く通じている。「該博」㋒おおきい。㋓おおい(多)。Aひろめる。ひろまる。Bひろさ。はば。Cえる(得)。とる(取)。 漢語林
此の「博」の漢字の説明には、「田の苗を広く植えるの意味」と有るので、昨日のメッセージで「天波博文」氏が「薩摩芋を植えたいので 広い土地が欲しい」と云って来た事と、今朝の映像で「丹治史彦(ふみひこ)」氏が、管理するする畑で、50人程が広い畑で作物の手入れをして居た事が、共通しており、博の漢字の重要性と、「文・ブン・モン・ふみ」の漢字の関係性を、示して来ている事になる。・・
そして、博・広めなければ成らない事は、「文」に関係があり、其の為には「史」が必要であるとの事なのであろう。
そして、其の為に最も必要なのが、「NHK・日本放送協会」の存在であると言う事に成る。
其れから、青空に、大きな船の形をした白い雲が浮かんでいたのは、神の御心に適った人々が大勢、準備が為された事を、意味しているのであろう。
そして、其の上空には「豸・一角獣(ユニコーン)」の働きを意味する形の雲が浮かんでいて、其の姿は仰向けの姿で、ゆったりと寝ており、自分の役割を終えて、休んでいる様子が窺えたのは、「豸・一角獣(ユニコーン)」の役割が、裁判の神であり、間違った答えを出した者を、角で刺し殺すと言う意味なので、其の豸・一角獣(ユニコーン)が休んで居るとの事は、人間界の「文・ブン・モン・ふみ」が、正された事を意味しているのであろう。・・
此の13年3月13日の文章を読んで居て、私は、一昨日のメッセージで告げられて来た、「終了 C13」との言葉は、「神に対するコール・callが終了」した事を示しているのではないかと、思われて来た。
何故かと言うと、私は昭和天皇のメッセージで阿蘇の「日の宮幣立神宮」の存在を知らされ、3月13日の日の宮幣立神宮での出来事を一番気にしているし、是まで何度も日の宮幣立神宮では儀式を行って来たからである。
其れに、イエスキリストの御霊が、岩手県の五葉山で私にメッセージを告げて来たのは、12月13日の事であった。
「天皇霊昭和天皇」
http://star.ap.teacup.com/20060505/69.html
2004/12/13「キリストの手足」
http://star.ap.teacup.com/170606/501.html
其れに、昭和天皇の大喪の日には、「吾が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」と告げられてもいるので、何とか、世の中を良くしなければ成らないとの「槅」を背負い、其の事が、私の「怏」とも成って来たからである。
今朝の「OとF」との言葉は、「O・酸素」と「F・鉄」の理を示唆しており、人間にとって一番重要な事は「いき・息・呼吸」であり、其れが「いきる」の言葉の元であり、呼吸が停止した時が「死・かれる」である理・ことを、示唆しているのであろう。
其の様に考えると、命の「元・もと・原点」は呼吸に在ると言う事になる。
何故なら、体中に「O・酸素」を運んでいる物が、其の「F・鉄」だからである。
明日8月27日は、旧暦7月14日であり、本来「夏禊ぎ」が行われていた日である。其の事を考えると、今朝私の意識が、聖なる川岸に在ったのは、私の意識は完全に禊がれており、自分の宿業と言うかカルマは、明日の夏禊ぎの日を前にして、完全に浄化・消化されたと言う事に、成るのではないだろうか。
若しからしたら、今朝の映像に映し出されて来た、静寂な河川は「四万十・シマント川」の意味が有ったのかも知れない。
何故なら、今打ち終わってアップした文章の中に、「シマント」との言葉は、アイヌ語で「清い水の流れ」の意味であると書いて有るからである。
「OとF」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/594.html
此の文章の中には、「13年3月13日」の文章が貼り付けられている。
其れを考えると、今朝の文章は昨日の続きである事に成る。
2015/1/11今朝のメッセージの映像は、先ず、紫色の何組かの重箱が映し出されて来て、其の内の一組の重箱が開けられる様子が映し出されて来た。
そして、最初に開けられた重箱の中身は、私の母親「礒邉芳子」に関係する文章・重文であり、其れが、今回の動きの中心に在る事が示されて来た。
そして、「あべのハルカス」「デッキ」「井上」との言葉が告げられて来た。
次に熊本の友人である、どれみ村の「天波博文」が映し出されて来て、文章を書く男性と共に、何かの政・まつりごとの準備を始める様子が、映し出されて来た。・・
其れに、息子の「日和歌」が神の手に拠って磨かれ、金髪に成って六体に分裂する様子は、日本の和歌の世界が、世界中に拡がる意味を、示しているのではないだろうか。
其れに、天波博文の名前の「天波」は「天の波動」で、「博文」は「文が広く行きわたる」の意味であり、専は「田のなえを広く植える」の意味なので、今朝の映像で奥さんが、広い畑に野菜を栽培して居た事と通じている。
「博・ハク」の漢字は、「十 +専」の組み合わせで、十は四方の意味。音符の専は、田のなえを広く植えるの意味。ひろいの意味を表す。
【字義】@ひろい。㋐ゆきわたっている。㋑広く通じている。「該博」㋒おおきい。㋓おおい。(多)Aひろめる。ひろまる。Bひろさ。はば。Cえる。(得)とる。(取) 漢語林
今朝のメッセージは、日本一高い「屋根・デッキ」から、文が広く広がる・行き渡るとの事・件が示されて来ている事に成るので、昨日の文章に書いた「讜 逓聖・とうていせい」と関係が有り、此の日本から、日本の「和歌・やまとことば」の世界、日本の文化が世界中に拡がる事が、示されて来ている事に成る。・・・
「晴るかす」
https://green.ap.teacup.com/20060818/3326.html
2001/3/13・・夜中を過ぎて、午前1時にホテルのベッドに入ったが、なかなか眠れずにいると、瞼に山奥の谷川が映ってきた。其のビジョンは、川の両側に大きな年輪を経た木が繁っており、川には清水が流れ下っている。
其の川の中に、岩が有り、岩の上に全身が毛に覆われたケモノが三匹居て、中の一匹は腕を羽の様に広げて、岩の上で飛び上がったり、降りたりを繰り返している。其の生き物は、全身が毛に覆われており、顔は小さく、鼻は少し尖っている。其れは、此の世では一度も見た事の無い動物であった。しばらく、その様子を見ていたが、そのうちに眠ってしまった。
次の日の朝、私達はホテルで朝食を済ませ、新大阪へ向かう車の中で、夢に出て来た不思議な動物の事を話した。
その後、午後4時に加古川の「川添氏」の自宅を訪ねたおり、漢字の話が出て、川添氏が白川静氏の著した『字通』を机の上に出して来た。
厚みが10センチも有る、其の分厚い辞書を開くと、開いたページに「祟(たたり)」と言う文字が目に付いた。
其処に出ている絵文字が、何と、私の夢に出て来た獣(毛もの)によく似た格好なのである。其の、絵文字の説明には、「占いの神様」と書かれていた。
私が朝、夢で見たばかりの「毛もの」の事が書いて有り、しかも、そのページが、一度で開いていると言う偶然性に驚き、これこそ神獣の仕業なのかと想った。
この文章を書いているのは自宅であり、13日になっている。
この文章を書くに当たって、自宅の「漢語林」で調べてみたが、「祟」は「たたり」と書いてあるだけで、金文も甲骨文も載っていない。
11日に、川添さんの自宅で『字通』を見なければ、「祟」の絵文字はわからず、夢に出て来た「毛もの」との関連性に、気付く事も無かった事になる。
漢語林で調べると、この神獣は「豸」という一本角を持つ羊に似た神獣であると載っている。「豸(むじなへん)」の項目に載っており、人が争って居るのを見れば、悪い方をその角で突き、人の議論を聞けば、不正な方を食ってしまうと説明している。
裁判や、法の公平を守るシンボルとされたようで、この神獣がよく曲直を判断したことに基づくとある。
昔の人達にとっては、この神獣は身近な所に何時も居たのであろう。
自然が破壊され、水が汚染されて、神獣は人里近くには住めなくなり、神獣と人間との繋がりが切れてしまったのだ。
それに伴って、人間に備わっていた吉凶を感じる能力も、失われてしまったのかもしれない。
今や、山の中の神社や、寺のある場所の上にまで、廃棄物が捨てられているのが現状である。神獣は、神社や寺からも、遠のいてしまっているだろう。
宗教者の中にも、神獣の話をする者が居なくなったと言う事は、もう誰も、其の神獣と出会った事が無い所為なのかもしれない。
今日は、平成13年3月13日であり数字を取り出すと「13・3・13」である。・・・
「豸・かいたい」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/87.html
此の文章の内容からすると、「豸・チ・かいたい」との名前の神獣は、神社の鳥居の前に置かれている「阿吽」高麗獅子が、右側の「阿像」は水の護り神である「獅子・ライオン」であるが、左側の「吽像」は裁判の神であり、右側から神社(かみのやしろ)に参拝し、受け取ったメッセージの解釈を間違った者を角の刺し殺してしまう「一角獣・ユニコーン」と同じ神(はたらき)であるので、私は未だ、其の裁判の神のご機嫌を悪くしていない事に成る。
其れに私は、東経130度30分の線上に在る「朱雀の宿」で2004年11月20日に「2007年3月13日 皇御子誕生」とのメッセージが有ったので、2007年3月13日に「日の宮幣立神宮」にて「瑞穂の国造り」の儀式を、「天波博文氏」や其の日が誕生日である「江藤敬介氏」、其れに「河津耕治氏」など、20数名が集まって行ってもいる。
其れに、「OとF」の文章には、・・「終了 C13」との言葉は、神に対するコール・callが終了した事を示しているのではないかと、思われて来た。・・と書いて有るので、8月24日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2015/8/24今朝のメッセージの映像には、先ず、中国の建物の入り口の上に掛けられている、縁取りが為されている横書きの古い看板の様な物が、一枚映し出されて来て、其の看板が裏側から透けて見えており、「終了 C13」の様な文字が書かれている事が判った。
其れは、私の意識が、表側から三次元世界を視ているのではなく、裏側から視ている状態であった。そして、其の「終了 C13」との言葉は、父親と言うか、「天の父・ファーザー (Father)」の存在の様な存在の、「カルマ・業」が終了したとの意味が有る事が、理解されて来た。
次の映像は、私が、何処かの、卸問屋の様な屋敷に世話に成っており、余り長く世話に成るのも気が引けるので、屋久島の実家に帰ろうと考えていた。
そして、自分の荷物を取りに行くと、部屋の外に出して有る荷物は、私の物に似てはいるが、私の荷物ではなかった。
其れから、出口の方に向かうと、捨てる塵を置く場所に、其の荷物の持ち主の他の荷物が、五個程措いてあり、乗用車一台程に成るので、車がなければ移動出来ない事が判った。其の荷物は、私の物ではないのだが、屋敷の人達が、私の荷物だと意って居る様なので、其の侭にして、出て行く事も出来ないので、どうしたら良いか困っていた。
そして、店先に廻ると、娘の「舞光」が遊びに来ており、「私が 預かって措いても良いよ」と謂ってくれたが、処置が出来ない荷物なので、娘に迷惑を掛ける分けにも行かないと考えている処で、今朝の映像は終わった。
今朝のメッセージの内容は、私にも能く理解できないのだが、簡単に考えると、私の父親を含む、四次元・神霊界のカルマ・業が解消された事を意味し、同時に、私個人のカルマ・業も解消された事が、示されて来ている様である。
しかし、私には未だ、知人(縁者)のカルマ・業が繋がっており、其れを綺麗に片付けなければ、真の自由には成れないとの事なのかも知れない。
そして、娘の舞光が登場したのは、人助けであっても、子供には自分のカルマ・業を残す・継いでは、成らないとの理・ことなのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、昨日のメッセージの続きであり、私を此処まで導いて来た、父親の御魂や、聖霊達のカルマ・業は解消されていると言う事であり、私に31年前に起きた4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」現象は、一応終了した事に、成るのではないだろうか。
だが、今朝の最初に映し出されて来た、「終了 C13」の文字の意味は、能くは理解できない。
「C13」の「C」が「虚空菩薩・こくうぼさつ」「C・こ」の意味であれば、「13」の数字は、虚空菩薩が13佛の13目である事と関係があり、弘法大師空海の謂う「虚空菩薩求聞持法・こくうぞうぼさつぐもんじほう」の世界が終了した事になり、是からは、其の「求聞持法」を実践しても、虚空からの応答は無いと言う事なのではないだろうか。
・虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ)、梵名アーカーシャ・ガルバ、またはガガナ・ガンジャは、仏教における信仰対象である菩薩の一尊。「明けの明星」は虚空蔵菩薩の化身・象徴とされる。
智慧と福徳の仏様。また、一般には十三仏の最後三十三回忌の本尊として、丑と寅とし生まれの人の守り本尊として、さらに十三詣りの本尊などと私たちにとって馴染み深い。・・
此の文章を打って居て、私は自分を動かしている神霊の存在が、私の意識行動を全面的に把握しているだけではなく、私が持っている辞書の中身も全て知っている事が、改めて理解できて来た。
其の神霊は、過去の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が終了しても、未来創造の為に、森羅万象の流転が続く限り、人間の意識を利用しながら、宇宙の進化を永遠に促して行くのであろう。
其れこそが、イエスキリストの謂う「永遠のいのち・魂しい」の世界であり、老子の謂う「タオ・道」や、釈迦牟尼仏の謂う「ダルマ・法」の世界なのであろう。其れを考えると、私の肉体は「空蝉・空だ・からだ」であり、日本語で言う処の「霊留・ひと・人」なのである。
そして、此の私の状態は、インドの概念である「チャクラヴァルティン・転輪聖王(てんりんじょうおう)」の働き、其の侭であると言う事に、成るのではないだろうか。・・・
「終了 C13」
https://green.ap.teacup.com/20060818/3574.html
此の「終了 C13」の文章の内容からすると、昨日から気に成っている「13」の数字は「虚空蔵菩薩・アーカーシャガルバ」と関係が有り、弘法大師空海が室戸岬の洞窟に籠って修行を続けて居る時に、明けの明星(金星)が口中に飛び込んで来て「「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぼさつぐもんじほう」を会得・マスターした事と関係があり、其の虚空蔵菩薩はエジプトの神の概念である「天空の女神 ヌト」と同じ意味の物であり、私に三個のタルト(渦巻)を皿に載せて差し出して来た、天空を両翼とする「鳳・おおとり」と同じ物であり、「終了 C13」との言葉は、私の方から天神にコールする事が2015年8月24日で終了しており、其の後は、一方的に虚空蔵菩薩の方から、ビジョン・メッセージが送られ続けて来ているとの事なのかも知れない。
其れを考えると「13日」の日付に関わるメッセージは「虚空蔵菩薩・アーカーシャガルバ(明けの明星・金星)」の神(はたらき)からのモノ・現象であるとの事が考えられる。
其れを考えると、「金星」の動きを取り込んででいるマヤの「13の暦」が関係が有り、私に「約束は守られる」と告げて来た「神の位」も理解できるし、私の心身の管理が「暦・時間」に則って行われている事・現実が、能く理解されて来る。
其れに、私が屋久島から車で旅立ち、1984年11月22日に磯部町で、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が、「今回が最後のトンネル潜り(アセンション・次元上昇)である」と告げて来た出来事は、私の旅立ちの日程も其の「虚空蔵菩薩・アーカーシャガルバ」の手に拠るモノ・現象である事に成りそうである。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」
http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れに、今朝示されて来た「傳・デン」の漢字の訳が載っている文章を検索すると、次の文章が出て来た。
2017/4/28今朝のメッセージの映像は、私が東京都の銀座の街角で、親戚の人と待ち合わせをする事に成り、其の場所に向かうと、其処に立って居る人物は、左側に中肉中背の35歳位の女性と、長身のスラリとした40歳位の男性の二人であり、両方とも精神性が高く、優秀で品位が有る存在だったので、私はホッとして居た。
そして、私の父方の礒邉家の人々は、背が低い方なので、長身の男性の存在は、親戚の中にも長身の人達が居るのだと思って居た。そして、「累傳・るいでん」との言葉が示されて来た。
其処で、照明を点けて時計を見ると、時刻は2時00分であった。
そして、明け方の映像では、私が都会のど真ん中に居て、手に農作業を使う新しい鍬を持っており、其れを持った儘では電車には乗り込めないので、どうしたら畑に行けるかを考えて居た。バスで通うにしても、毎回道具を手にして乗車する分けにも行かないので、畑に物置小屋を設置する必要があると思って居た。
今朝は、先ず「累伝・累傳・るいでん」との言葉を調べて見たが、其の単語は辞書には存在しない。
其れで以前の文章を「傳」で検索すると、次の文章が有る。
2016/8/19・・今朝のメッセージの映像は、先ず、歩いて居る7歳位の男の子が一人現れて、其の男の子が歩いて行く道を、整えなければ成らない事が示されて来た。
其れは、人類にとって一番大事な生き方・正道を、男子に継続して行かなければ成らないと言う理・ことを意味していた。
次の映像は、家庭菜園の様な畑に、西瓜や数種類の瓜が、藤棚や垣根に、勢い能く這って、澤山の実が付いている場面が映し出されて来た。
次の映像は、私が住んで居る家に、70歳位の大学教授の様な感じの男性が、普段着の様相で、弟子の様な感じの若者を数人連れてやって来た。
そして、暫く話した後で、私に一枚の書を渡してくれた。
次の映像は、其の人達が帰る車の横を、私は自転車を漕いで、凄い速さで追い越し、何処かに向かって居た。
何故か、其の自転車と私の躰は、金色であった。
次の映像は、屋久島の様な山岳島の原生林が映し出されて来て、其の土地の川原や海岸には、数多くの男性の姿が在った。
私は、其の男性達と一緒に、山岳越えをしたいと想い、其の人達を誘ったが、興味が無いらしく、誰も私の相手をする者が居ないのである。其れに、其の人達は皆、白い自然素材の服を着ており、着替える事をしないし、飲食を摂る様子も無いのである。其れに、道具類を何も持っていないので、作物を育てたり、建物を造ったりする事も無いらしいのである。
私は、今朝のメッセージの映像から、老子、釈迦牟尼佛、イエスキリスト等の聖者は、畑を耕して作物を育てる事や、自分で建物を立てたりしていないので、彼等の教えに従った人々は、何も出来ない人間と成ってしまうのかと思っていた。
だから、今朝登場した男の子には、聖者の道ではなく、自分で畑を耕して、衣食住を、自分の手で確保する生き方の方を、訓えなければ成らないと考えて居たのである。・・・
「傳えるべき事」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3960.html
「傳・デン・つたわる・つたえる・つたう」【解字】形声。「人+専」音符の専は、めぐらすの意味。人から人へとぐるぐると事物をまわすの意味を表す。 【字義】(一)@つたえる。また、つたわる。つたう。㋐さずける。ゆづる。さずかる。ゆずられる。「直伝・ジキデン」㋑つぐ。つづく(続)。㋒のこす。のこる。のこされる。㋓ひろめる。ひろがる。「伝播」㋔いいつぐ。語りつぐ。「口伝」Aつたえ。㋐いいつたえ。㋑かきつたえ。古書。Bのべる。解釈する。Cとりつぐ。通じる。@はやおい。宿つぎ馬車。A宿場。うまつぎ。宿駅。Bわりふ。関所通過の手形。C経書の解釈。注釈書。「春秋左氏伝」D伝記。一代記。人の一代をしるした記録。「義民伝」「五柳先生伝」
漢語林より
此の傳の説明文を読むと、今朝のメッセージの映像で私の意識が東京に在って、鍬を手にして畑に行こうとして居た場面は、其の義人である「佐倉惣五郎」の御魂が関係しているのではないだろうか。
何故なら、私は1992年3月14日に其の「佐倉惣五郎」の廟を訪れた事が有るからである。・・
今朝の愉伽さんのビジョンには、現代社会の有り様が映し出されて来て、周囲の人達がゾンビの様に、灰色の姿で、無表情にて往来して此方に向かって来るので、急いで車の中に避難すると、ドラゴンボールの「孫悟空」と仲間が進化(変身)する様子がパッと一瞬、映し出されて来たとの事である。
其れは、現代社会の人間が、本来の「霊留・ひと」の魂しいを失って、右往左往して居るとの理・ことを示唆しているのであろう。
其れは、「エジプトの死者の本」に記されている、「一人の霊留・ひとの為に 何千と言う泥人形を創っている」との事が、現代社会の実態である事が、示されて来ているのではないだろうか。
其の様に考えると、昨日の私のメッセージで、世界の表裏が反転する事が示されて来た事と関係が有り、煩悩の塊と成って、本心(良心)を失った人達の末路が示されて来ているのかも知れない。
そして「累傳」とは、良い人間も、悪い人間も同じ様に、魂魄が過去の因縁に因って、累々と傳承されているとの理・ことが、示されて来ているのであろう。・・
昨日のメッセージと、本日のメッセージの内容からすると、神霊界では新次元に向けて、何等かの仕分け・選択が行なわれ始めているのかも知れない。
其れは、新時代・新次元では、自分のエゴの為に義人・真人を苦しめた人間の霊魂は、復活出来ないとの事ではないだろうか。
今朝の私へのメッセージは、私自身の生き方は天理に適っており、私の親戚・血筋には、都会に住んで居ても、正しい生き方をして居る人間が存在する様なので、一先ず安心して良い様である。
明日4月29日は、私に御大喪の日に「我が身既に遠く 良き代を願い奉る」と告げて来た昭和天皇の生誕116年の日である。
私は、其の昭和天皇のお気持ちには、何とか沿った生き方はして居るのであろう。
「累傳・るいでん」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/741.html
其れに、今朝起きた・起こされた7時20分の数字から、「7月20分」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/7/20今朝のメッセージは、先ず、私の畑に自生して来て茂っている南瓜の蔓が映し出されて来て、其の蔓には、実の着いた雌花と、雄花が咲いている様子が映し出されて来た。
其れは、イチョウやヤマモモが雌雄の木が別々に別れて受粉をするが、南瓜や西瓜などの瓜類や、稲などは、自家受粉する理・ことを示唆しており、生物は雌が基本的物である理・ことを示していた。
其れから、「真実」との言葉が示されて来て、此の私と自然の生き物は其の真実の世界を生きて居るが、現代社会の人間と、家畜化・養殖化・ペット化等、改良されてしまった生き物は、真実の世界を生きていないとの理・ことが、理解されて来た。
其の理由は、本能(遺伝子・DNA)の儘に生きる事は、宇宙の道法に適っているが、大脳が発達して本能以外の情報を垂れ流している人間(他人)の影響を受けた物(動植物)は、既に、其の宇宙の道法から外れてしまっているからである。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時1分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、小さな鈴の様な物が、穀物の実の様に、何百個も付いている植物の枯れた茎束が、空中で、何者かの手に拠って振られる様子が映し出されて来て、其の美しく爽やかな音が、地上に広がって行く様子が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時44分・4時16分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私の屋久島の実家の様子が映し出されて来て、家の裏山の数か所が光り始め、何故か、若い頃の母親らしき人物が、窓から潜る様にして、室内に侵入して来た。
そして、優しい聲で「ワタシを信用して」との言葉が、一言告げられて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時19分」であった。
今朝起きた・起こされた時刻は7時30分である。
其れからPCを立ち上げ、今朝起こされた2時1分の数字から「2月1日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「自己最高位」との言葉と、文章の内容からすると、今朝の示されて来た「真実」との文字と「ワタシを信用しなさい」との言葉は、「ワタシは貴方 貴方はワタシ」と告げられて来た事と関係が有り、私の心身を占有しているのが「万物の母」であるので、私は自我意識を消して親鸞上人が謂う「他力本願」の気持ち・精神で在れば良いとの理・ことなのではないだろうか。
其れは、既に私は釈迦仏陀の謂う「久遠実成・くおんじつじょう」の世界に達して居り、イエスキリストの謂う「永遠の命の世界」に入っており、其れは老子の謂う「雄の立場を知った上で雌の立場に身を置く」との事であり、私は「祷り・いのり・帰命・ナーム・リリジョン・religion」&「三昧・サマディ・悠々自適」の日々を、送っている事に成るのであろう。
其れに、今朝のビジョンで私の実家の裏山が数か所光り始めてから、私の母親の若い頃の姿らしき人物が、窓から侵入して来たのは、私の母親自体が、其の「万物の母」の神(はたらき)であった理・ことを、示しているのではないだろうか。
其の様に考えると、私が此の世界に飛び込んだ日が、其の母親の64歳の誕生日である1984年6月4日(旧暦5月5日)であった事の理由・謎も解けてくる。
次に起こされた「3時44分・4時16分前」と「4時19分」の数字から、4月16日・19日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「全て神の意図」と「準備が出来たか」の文章には、今回問題に成っている「新型ウイルス感染」の共通点が有り、我々人間・人類に新しい価値観の創造と、現実的な対応が求められて来ている様である。
其れに起きた起こされた時刻7時30分の数字から、昨年の7月30日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「主食」の文章の内容から考えると、今朝示されて来た「真実」との言葉は「主食」が「穀物・植物の実」であるか、「動物の肉・乳」であるかが関係が有り、「自国を守る定住型」と「他国を侵略する移動型」の生活スタイル・民族の違いが関係が有り、何方が、真実の生き方・精神の進歩が有るのかを、考えなければ成らないのではないだろうか。
それを考えると、日本列島は山が険しく雨が多いので、家畜の放牧には向かない反面、河川・水に恵まれているので、水田稲作に向いており、農業者は自分の土地管理と暮らし向きの為に、意識は暦を始めとして内向き・内省的に成り、魂しいが充実化し易いとの事があるのではないだろうか。
其の様に考えると、漢字を考えた人々が暮らした場所が中華地域であり、満人や蒙古系ではないので、万里の長城の歴史でも分かる様に、其処には主食の違いが表れている事に成る。
其の様に考えると、今朝のビジョンに映し出されて来た、小さな鈴の様な物が何百個も付いている、植物の枯れた茎束が、空中で、何者かの手に拠って振られる様子が映し出されて来て、其の美しく爽やかな音が地上に広がって行く様子が示されて来た場面が関係が有り、天神・万物の母神は、動物食ではなく、穀物食の世界・人間の方を言祝いでいるとの事なのかも知れない。
其れを考えると、私を捜し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、漢方やドイツ医学ではなく、「和方」の御殿医の家系であった事と関係が有り、私は其の無庵師匠に「三ヵ月間私の謂う通りにすれば 体の細胞が入れ替わるので 自適さんは本来の宿命が現れる」と謂われ、三ヵ月間の治療受けた末に覚醒・成仏を体験する事が出来た事が、「天神・万物の母」の意図であった事に成り、其れが2月1日に告げられて来た「自己最高位」との言葉と関係が有り、其れは自分の心身を「万物の母」と一体化させた事に有るのだろう。
其れは諺に有る「人間は万物の長」であるとの事を、私は現実としてモノにしたと言う事に成り、「土肥無庵」の教えを「真実の物」にしたと言う事にも成るのだろう。
今朝のビジョンに、雌花の雄花が咲いている南瓜の蔓が映し出されて来たのは、生命の仕組み・基礎が、雌が土台である理・ことを示唆しており、私の魂しいは「万物の母」の懐に里帰りをしており、老子の謂う「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く」との理・ことが、現実の事として、起きており、其れが生命の営みの真実であるとの事なのではないだろうか。
其の様に考える・捉えると、私は他人の謂う事に耳を貸さず、ただ万物の母(女神・宇宙意思)に心身を預けて居れば良いとの事なのであろう。
「真実を生きている物」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5430.html
此の「真実を生きている物」の文章の書き出しは、
「先ず、私の畑に自生して来て茂っている南瓜の蔓が映し出されて来て、其の蔓には、実の着いた雌花と、雄花が咲いている様子が映し出されて来た。其れは、イチョウやヤマモモが雌雄の木が別々に別れて受粉をするが、南瓜や西瓜などの瓜類や、稲などは、自家受粉する理・ことを示唆しており、生物は雌が基本的物である理・ことを示していた。其れから、「真実」との言葉が示されて来て、・・云々」である。
其れは「雌雄・男女(♂・♀)・陰陽・±・」の理に付いてであるので、三日前のビジョンに「色・シキ・いろ」の漢字の象形が映し出されて来た事と関係が有りそうである。
其れに、2月6日の「真実の自分」の文章には「畑の草刈り作業」と老子の「雄の立場を知った上で 雌の立場に身を置く」が記されおり、「博」・ハク」デン」で検索して出て来た文章「OとF」「傳えるべき事」「累傳・るいでん」「晴るかす」には、農業の事に付いて書いて有る。
其の事を考えると、今朝示されて来た「博・傳」の漢字の訳が記されたブログの存在は、私が是から「博(ひろく)傳(つたえ)」なければ成らない事は、農業に関する教訓・理論に付いてであり、其れは「雌雄・男女・陰陽・±」の理(ことわり)をしっかりと理解しなければ、人間が此の世に存在する意味・真実が理解出来ないし、何回此の世に生まれ変わってきても「自分・自の分け」は絶対に解けないとの理・ことが、示されて来ている事に成りそうである。
其れを考えると、「土肥無庵」が私に「自適さんの事は誰も理解できない。自適さんは頭が一番良い。其れはオリジナルであるから。」と謂った事が関係が有り、私の様な環境で育たなければ、生命の「真実・原理原則」は理解できないとの事なのであろう。
其れは、一部分の事であれば、此の私より卓越した人物は無数に存在するが、総合的に判断が出来、また総合的に森羅万象に接続が可能な者は、私しか居ないと言う事に成り、其れは私が自然豊かな屋久島で産まれ育ち、37歳まで生活した事が関係が有り、「土肥無庵」に找し出されてから、意識の大海原に漕ぎ出して遭難する事なく、本日11月23日を迎える事に成ったと言う事である。
今朝の由香のビジョンでは、電話越しに「ヨルイル」との言葉が告げられて来たとの事で、意味が分からないので、調べて見ると、韓国語で「烈日/激しい勢い」「万事」、最近では「ヨルシミ イルハダの略で、一生懸命に働いている」との意味で使われているとの事なので、勤労感謝の日に合わせて傳えられて来たメッセージであると謂えるだろう。
其れを考えると、本日は「勤労感謝の日」であるが、私は、自分を労っても良いのかも知れない。
其れにしても、此処まで「年・月・日・時・分・秒」と、私の文章内容を管理出来ている物の存在は、一体何物なのであろうか。
其の事を考えると、5000年前に存在したエジプトのトト神の「書記官」が、私の前の赴任者であったのかも知れない。
そして、其の事・存在が、中国で4000年前「帝」の漢字と成ったのであろう。
今朝の文章の題は、昨日告げられて来た「起きるのには間がない」との言葉が「間もなく起きる」との事である様なので、イエスキリストの予言である「その時」を絡めて「ソレは間もなく起きる」とした。
令和2年11月23日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2020/11/20
「俶 叔」
文字の意味
次世代の活動が始まる
2・11・20
今朝のビジョンには、先ず、三人の若者が新時代の生活・暮らしの現場を立ち上げる場面様子が映し出されて来た。
そして、畑の作物の支柱に使うのか、長さ2m程の細竹が30本程束ねられている物が映し出されて来た。
次に、同じく三人の若者が、電子機器を使って、新しい情報の枠組みの構築を始めて居る様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時21分」であったので、私は弘法大師空海の事を思って再び眠った。
すると今度は、私が何処かの建物に宿泊して居ると、「色」の漢字の象形が示されて来た後に、部屋の入口のドアが開いて、斎宮・皇女「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった故「井上佳子」が、出会った時の姿(30歳・同じ服装)で、中に入って来る場面が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時19分」であった。
其れから再び眠ると、今度は30代の男性が大きな箱を背負って、山岳から下って来る・帰って来る場面が映し出されて来て、私に其の箱の蓋を開けて中を見せると、食べられる茸類が、20種類以上程入っていた。
そして、其の箱の中に、私が食料として渡した「伸し餅」が入っており、其の餅は手付かずの儘、私に返還される様子が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると時刻は7時12分であった。
其れからPCを立上げ、今朝起こされた「3時21分」の数字から、3月21日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/3/21本日3月21日は、弘法大師空海の1187回目の命日である。
空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号で知られる真言宗の開祖である。俗名は佐伯 眞魚(さえき の まお)。
今朝のビジョンには、私が玄関口に置いてある数鉢の皐月(さつき)の盆栽が、増水した水に流されて無くなっている場面が映し出されて来た。
其れで、皐月を置いている場所を見に行ってみると、誰かが全部倉庫の中に移しているので、私は其の儘では、降雨が無く、日光の当たらない場所では枯れてしまうので、早く外に持ち出さなければ成らないと考えて居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時22分」であった。
其れから再び眠ると、窓が一つも無い、人工的な壁の部屋が映し出されて来て、私は其の部屋に住んで居ては、死んでしまうと意い、庭や縁側の有る南向きの日本建築の家に住まなければ成らないと考えて居た。
次に、昔の天才であった60歳代の男性の存在が映し出されて来て、其の男性が、仕切り・壁の無い、陽炎(かげろう)の様な空間を通り抜けて、此方側の世界に生まれ変わって来て、成長すると、過去の記憶・潜在意識が作用しているのか、乗馬の練習を始める様子が映し出されて来た。
其れから「いいかたち」との言葉が一言告げられて来たので、私は其の言葉を「良い」「善い」と「形・型・容・象・方向」等のどの漢字を当てて良いのか、考えあぐねていた。
すると、私の末娘である「最明・もあ(11月2日生)」の名前が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は7時21分であった。
今朝初めに起こされた4時22分の数字は、新暦での弘法大師空海の命日で、本日3月21日は旧暦の命日であるので、空海の存在が関係有りそうである。
昨年の4月22日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで、私が南向きで、縁側や庭の有る家に住まなければ成らないと考えて居た事や、大雨で倉庫の中に移動した皐月を、早く野外に出さなければ成らないと考えていた事と関係が有り、太陽活動に接した生活を始める事が、最も重要事であるとの理・ことが示されて来ている様である。
次に、起きた7時21分の数字から、昨年の7月21日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の二つの文章は、両方とも仏教に関係が有り、弘法大師空海は真言宗の開祖であるが、釈迦ブッダは仏教自体の開祖である。
其の仏教には、「王様・皇帝・天皇・大統領」などの権力者に成る事は、一言も無く、自分自身が人間の本質に目覚めて、正しい生き方をする理が、中心課題である。
其れを考えると、今朝告げられて来た「いいかたち」との言葉は、物品の「かたち・形状」よりも、政(まつりごと)の「形態」に関係が有るのかも知れない。其れを考えると、今現在、私の意識に浮かぶモノは、以前に書いた二つの文章である。・・
何と此の「我々の使命」の文章は26年前の「7月21日」の物である。
其れを考えると、今朝末娘の名前「最明・もあ(11月2日生)」が告げられて来た時刻が7時21分であった事と関係が有り、私が自分の子供達の為にも、真剣に取り組む必要があるとの事なのではないだろうか。
其れを考えると、昨日告げられて来た「コロナはアイドリング中」との言葉は、私自身にも直接関係が有り、私が真剣に此の事に取り組まなければ、アイドリング状態から、ギアが入れられ、アクセルが踏まれるとの事なのではないだろうか。
其れに、マヤ暦の2012年12月23日のプログラムは「8年先伸ばしする」と告げられて来て、其れは、今年の12月23日である。
其れを考えると、現在重要なポストに付いて居る者達は、7月14日迄に「禊ぎ祓い」をする事を、真剣に考える必要が有ると言う事に成り、其の認識が起きなければ、最悪の状態が始まるとの事なのではないだろうか。
私が、此の世界に入った切っ掛けは、一人息子である「海生」が、原爆に拠る第三次世界大戦の放射能汚染で死亡し、私は泣きながら其の亡骸を抱いて葬式をする場面・映像を見せられ、私が神の計画・プログラムを引き受ければ、平和な未来社会が来る事の約束が為されたからである。
其れから、36年が経過したが、事態(人間の業)は増々悪い方向に進んでいるので、神(はたらき)の辛抱・我慢も限界に達したとの事なのであろう。
2006/6/3「神との約束」
https://star.ap.teacup.com/170606/923.html
今朝、7時21分に告げられて来た「いいかたち」との言葉は、「天神・宇宙意思」が人間に妥協と言うか、協力を要請している言葉で有り、其の事に11月2日に南アルプスの山中で「最明」との言葉が告げられて来た言葉が関係有るのなら、其の宇宙意思を受け入れれば、「最も明るい」世界が到来するとの事であり、新しい文化の日である11月3日を、迎えられるとの事なのではないだろうか。
キー「文化を頼む」
2014/11/2・・本日11月2日は、私の五女「最明・もあ」の19歳の誕生日でもあるが、明日11月3日は「文化の日」でもある。
今朝のメッセージは、其の文化の日に合わせてのモノ・現象ではないだろうか。
其の様に考えると、神の世界は、全ての事を管理運営している事に成り、私は其の「神・はたらき」の手伝いをしている事に成る。
其れに付いては、私が信頼していた故「日吉眞夫氏」の存在がある。
日吉眞夫氏は、静岡県出身で東京大学が卒業して、東京で広告会社を経営していたが、其れを閉鎖して屋久島に移住して来て、屋久島の有志と「屋久島産業文化研究所」を創設して、季刊誌である「生命の島」を発行していた方である。
其の日吉眞夫氏は、2008年11月20日に死亡して、初七日に私の霊夢に現れて「文化を頼む」と告げて来た。
今朝登場した男性は、其の日吉眞夫氏の姿ではなかったが、神界では何等かの繋がりが有るのだろう。・・・
「全てに優しい男性」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3249.html
其れに、其れ等の事が現実と成れば、昔し活躍した天才達が此の世に転生して来るとの理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
「いいかたち」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5309.html
何と、此の文章に貼り付けられている「全てに優しい男性」の文章には、本日11月20日が、私に「文化を頼む」と告げて来た故「日吉眞夫氏」の死亡日である事が書いて有るので、本日は其の日吉眞夫の13回忌の日である事に成るので、今朝のビジョンは「屋久島産業文化研究所」を創設した日吉眞夫の御魂が関わりを持って来ているのではないだろうか。
其れに、貼り付けて有る2006/6/3「神との約束」の6月3日の日付は、私が1986年6月3日に「井上佳子」と始めて高知で出会った日であり、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の事を書いた「定着した画像」の文章も同じく6月3日の日付であるので、伊勢神宮を創建した「倭姫命・やまとひめのみこと」も直接に関わって来ているのではないだろうか。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」
http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
キー「井上佳子 室戸岬 やまとひめ」
2013/12/18・・次の映像は、街中に出ると、1997年4月27日に亡く成った妻「井上佳子」が、元気な姿で立って居て、事は順調に進んでいるとの事で、先に進むと、何かの催しが有るらしく、多くの人達が黒い服を着て、列を成して何処かに向かっている場面が映し出されて来た。
今朝のメッセージの映像は、私が1984年6月4日(旧暦5月5日)に、此の世界に入ってからの動き・働きが、総決算されて、物事が動き出す事が示されている様な気がする。
私は、1984年6月4日に此の世界に入って、来年の6月4日に丸30年・一世を迎える事に成る。
「在位・ざいい」とは、私が其の日に、安房川の岸辺で無庵師匠が見守る中、禊ぎ祓いの儀式を終えて、4311体の聖霊に満たされ、二階の部屋で握り飯を要求し、「大嘗祭・だいじょうさい」の儀式に代る物を行い、数日後に竹山に出掛けて、杖を手にした事と関係が有り、私が「大君・すめらみこと」の役割を任じられた事と関係が有るのだろう。
私は、其の時に、私の役割が「事象の特異点」であり、別な言い方をすれば「新しい御世創造の為の神の座標軸」である事を示され、地球の管理を任されるビジョンを見せられている。
其れから旅に出て、丁度二年後の1986年6月3日に高知で「井上佳子」と出会った。其の佳子は、伊勢神宮を創建した皇女「倭姫命」の生まれ変わりである事を、室戸に行く途中に有る「観音堂」で告げられた。
そして、倭姫の霊魂が「奈良に帰りたい」と、私に告げて来たので、翌87年5月5日に、井上佳子の肉体を御杖に使って、伊勢から奈良に倭姫の御霊を連れ帰った事が有る。・・
「在位・ざいい」
https://green.ap.teacup.com/20060818/2905.html
2013/4/28・・井上佳子は、伊勢神宮創建の基と成っている皇女「倭姫・やまとひめ」の生まれ変わりであると告げられていたので、神霊界でも大きな力を有しているのであろう。
其れに、阿蘇に引っ越す事に成ったのは、昭和天皇の大喪の日のメッセージに因るもので、佳子の葬式は昭和天皇の誕生日である「4月29日」だったのである。其の事でも、井上佳子が天皇家と縁が深い理・ことが解る。
・・それから2年後の、1986年6月3日に高知県の女性と出会い、観音様を祭る社の前で、其の女性が「倭姫命の霊の 生まれ変わりだから護れ」と云われ、1988年11月21日に式を挙げ、2回目の結婚をして井上佳子と暮らす様に成った。其の二度目の妻佳子は、1998年4月27日に癌で亡く成り、29日に葬式を執り行って、その後四名の子供とも一度も会っていないのである。
昭和天皇の大葬の日(1989年2月24日)に、昭和天皇霊に阿蘇の「日の宮弊立神宮」の事を知らされて、蘇陽町に引っ越す事に成り、それから丁度10年後の、昭和天皇の誕生日の日に葬式をして、子供達は高知に皆引き取られて別れ、私も蘇陽を去る事となった。まるで昭和天皇の霊に操られているかの様である。・・・
・・私が、伊丹由香に出会ったのは、2001年の11月21日に岡山で開かれたスーリアサロンの会場である。其の日は、私の亡く成った妻「井上佳子(1998年4月27日死亡)」の誕生日であった。
其の井上佳子は、出会った時に「倭姫(伊勢神宮創建をした斎宮)」の生まれ変わりと言うか、倭姫の御霊を宿している理・ことを知らされた相手である。・・
・「斎宮(さいぐう/さいくう[1]/いつきのみや/いわいのみや)」は古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所であるが、平安時代以降は賀茂神社の斎王(斎院)と区別するため、斎王のことも指すようになった。後者は伊勢斎王や伊勢斎宮とも称する。・・・
「やる気満々」
https://green.ap.teacup.com/20060818/2669.html
これ等の事を考えると、今朝のメッセージは、伊勢神宮を創建した「倭姫命・やまとひめのみこと」と「屋久島産業文化研究所」を創設し「生命の島」を創刊した「日吉眞夫」の御魂から、「よいかたち」の新しい文化社会を構築しろとの事が、示されて来ている事に成りそうである。
次に起こされた「6時19分」の数字から、6月19日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/6/19今朝のビジョンには、先ず、私が指導している農村の生活・活動グループが、「コンクール(競争)」で一位に成る場面が映し出されて来た。
其れから再び眠ると、今度は私が1985年7月2日に日本一周の旅が終わり、宿の主人の紹介で翌日3日に出会った「田中真海禅師」が登場して、私を一人の禅僧の所に案内する場面が映し出されて来た。
何故か其の禅僧は、趣味で天然塩を作っているとの設定であった。
私を、其の禅僧の前に連れて行った真海禅師は、其の儘、何も謂わず帰って行った。其の禅僧は座った儘何も謂う事なく、私の顔を一瞥してから、自分の顔の表情を変化し始めた。
私は其の態度や、顔の表情から、其の禅僧はナカナカの人物である事が判った。
私の方も挨拶もせず、其の禅僧の前に座り、唯、其の禅僧の顔を視て居ると、「熱血漢」との文字が頭に映し出されて来た後に「明日 冷たいスプーンが届く」との言葉が一言告げられて来た。
私は、其の言葉の意味が分からないので、其の事を考えて居ると意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「3時57分・4時3分前」であった。
其れから再び眠ると、フライパンで出汁巻卵の料理が作られている場面が映し出されて来た。
今朝は、起きた時刻は7時23分である。
今朝のメッセージは、私が「農村の暮らし・田舎暮らし・自然生活」に付いては、プロのレベルに達しているとの事であり、次は「禅」の世界を本格的に学習・修練する必要がある事が、示されて来ている様な気がする。
其れは、昨日、私が「風 麥東 陶・ふうれんとう」との言葉を告げて来た、深い山岳の大木・巨木・古木の伸びた枝の下に有る、岩上に白い服装で座って居た男性の事を書いた・イメージした事と関係が有り、男性が孤独で単座する事の意味・真意を、しっかりと認識する必要があるとの事なのかも知れない。
『だが 其れも 一時的な事であり
長い事では ありませんよ』9時32分
今朝起こされた4時3分前の数字から、今年の4月3日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「自食」文章の内容からすると、今朝のビジョンに映し出されて来た「天然塩を趣味で作っている禅僧」の存在と、「熱血漢」「冷たいスプーンが届く」「フライパンで作る出汁巻卵」との事は、「塩・ナトリウム・陽性」の「作用・効能・使用方」に付いて、「考察・配慮・深識」を始めろとの事なのかも知れない。
其の事が、明日届く「冷たいスプーン・匙」に有るとの事なのであろう。
さじ‐かげん【×匙加減】 の解説 国語辞典より
1 さじに物を盛る加減。特に、薬を調合するときの分量の加減。
2 料理の味つけの程度・ぐあい。「ちょうどよい匙加減」
3 手加減。手ごころ。「上役の匙加減ひとつでどうにでもなる」「匙加減を誤る」
和食の基本は、最初に出される「吸い物お椀・箸洗い」の塩加減に有る。
だが、今朝のビジョンには、其の「吸い物椀」ではなく、フライパンでの「出汁巻卵」であったので、日本食に拘るのではなく、人類全体の食事・食べ物の世界に付いて洞察しろとの事なのであろう。
其れに「自食」の文章には、江藤敬介氏が「子牛が抽選で当たる」夢を見たと書いて有り、今朝も其の江藤敬介氏に出会った1月13日を示唆する「1時13分前」に起こされている。
其れを考えると、やはり「マルチンルター・イエスキリスト」「弁財天・サラスヴァティー・水(湖)を持つもの」と、「マクロビオティック ・Macrobiotic・正食・精進」、「女性や子供達が楽しく暮らせる社会。養楽」の関係を、能く考えなければ成らないと言う事に成る。
其れ等の事を考えると、今朝のメッセージには「土肥無庵」の御魂が絡んで居る様な気がする。
キー「無庵師匠 塩梅」・・
此の「特別傳授」の文章には、「猛々しい」の「猛」も当てる事ができる。其の「猛・たけ」には、「勇猛・ゆうもう」との単語があり、勇猛な「性格・振る舞い」には、塩気が必要であり、塩気が抜けた人間は戦う・働く事が出来なく成るので、「敵に塩を贈る」の諺の世界と関係が有る。・・・と書いて有るので、今朝私が禅僧と向かって居る時に「熱血漢・ねっけつかん」との言葉が告げられて来た事と関係が有り、塩気が効いた人間の性質が示唆されている様である。
其れが禅僧であったのは、達磨禅師が1987年の8月1日に「お前にしか分からない 動と静」と告げて来た事と、関係が有るのかも知れない。・・
今朝の「冷たいスプーンが明日届く」との言葉は、本日が「自からの仕掛けで滅びる」との言葉が告げられて来てから丸四年の日であるので、明日、塩気の効いた熱血漢の度肝を冷やす、凍らせる、何かの知らせが届くとの事なのかも知れない。
其れに「ヒトの仕種を身に付ける」の文章には、・・今朝は、例のミズのオモテの時間軸の竜巻が現れ、其の中心に、女神のエネルギー体である光りのエナジーが現れた。そして、其のエナジーは破裂して飛び散ってしまった。
そして、其の後方には、新しい女神(万象の母)が立ち現れて来る姿が見えた。
其れは、宇宙の森羅万象が、新しい世紀を迎える準備をしていると言うか、始めていると言える現象を、見せられたという事に成る。・・・」と書いて有る。
此の文章からすると、此処のところ告げられて来ているメッセージは、14年前に告げられて来ていた理・こと・件が、復唱されている事に成る様である。
「冷たいスプーンが明日届く」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5399.html
此の文章も暮らし・食生活の基本に付いて書いて有る・触れているので、今朝のメッセージには、私を找し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」や、私の前世であると告げて来た「宇摩志麻遅命・うましまじのみこと」の御魂も関りを持って来ているのではないだろうか。
次に、今朝起きた・起こされた7時12分の数字から「7月12日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/7/12今朝のビジョンは、屋久島で「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の祭禱(さいき)を続けていた故「大山邦博氏」が若い時の姿で登場して、私を山岳に案内する場面が映し出されて来た。
そして山頂の近くまで登ると、其処には何故か、自然林を広く伐採して、屋久島の杉ではなく、東北のカラ松の様な樹木を澤山植えて有るのである。
其の樹木は、気候に合わないのか、年数は経っていても、成長が鈍く、薪にしか成らない程、細い儘であった。
次に、登った時とは違う道を下って行くと、重機が登れる場所まで、農地開発されて果樹が植えられていたが、採算が取れないのか、果樹園全体が放置されて、荒れた状態と成っている事が判った。
今朝は、左耳に蒸気機関車の発車の合図の様な音が聴こえて、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「5時50分・6時10分前」であった。
其れから再び眠ろうとしたのだが、今朝のビジョンの意味が何を意味・示唆しているのか、全く判らないので、起きて時計を見ると、時刻は6時23分であった。
其れからPCを立ち上げ、汽笛の様な音で起こされた「5時50分・6時10分前」の数字から、6月10日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章には、次の様に書いて有る。
・・天空に真っ直ぐ伸び上がる大きな青竹・若竹の存在が目の前に映し出されて来て「天津日嗣発動・あまつひつぎはつどう」との言葉が強くハッキリと告げられて来たので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時7分」であった。
其れから、其の「天津日嗣発動・あめのひつきはつどう」との言葉を頭脳の奥にしっかりと収納すると、左耳の鼓膜にキーンと圧力が掛かって来たので、時計を見ると時刻は7時12分であり、・・・」
と、書いて有り、7時12分の数字は、本日7月12日と同じ数字であるので、今朝私の左耳に聴こえて来た汽笛の様な音は、正に其の「天津日嗣」が発動・発車したとの事に、成るのではないだろうか。
其れに、今朝起きた・起こされた「6時23分」の数字から、6月23日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の「・・転輪聖王の意識は、「阿弥陀」の言葉を超えた世界であると言うか、其のモノ自体であるとの理・ことを感じたので、「転輪聖王&阿弥陀」とした。」との事は、釈迦ブッダの謂う「ダルマ・法」や、老子の謂う「タオ・道」の言葉・理の世界・意識に関係が有りそうである。
何故かと謂うと、私が今朝の山岳のビジョンから感じ取った事が、現代人の行動・活動は、自然の理から外れている事が想われたので、文章の題を「道法(タオ&ダルマ」としたからである。
其れに、其の山岳に案内した人物が、故「大山邦博氏」の若い時の姿であったのは、「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」が脱皮・古い皮(概念)を脱ぎ捨てて進化したと言う事なのかも知れない。・・
此の意味からすると、「此の日本国から 新しく生まれ変わった大山祇神の存在が 世界中にひろまる」との事が、告げられて来ているのかも知れない。
何れにしても、本日7月12日午前6時10分前に、私の左耳に汽車の発車の汽笛の様な音が聴こえて起こされた事には、大きな意味が有るのだろう。・・
此の「三つの重要事」の文章は、2016年6月11の文章であり、其れから8日後に天空を両翼とする鳳が、私に三個のタルト(渦巻)を手渡して来た事と関係が有り、此処のところ触れて来た西瓜の中の「三又・三叉路」と、四方に広がる8個の渦巻に、其の課題のヒントが有るとの事なのかも知れない。
其れを考えると、今朝6時10前に左耳に発車の汽笛の音が聴こえて起こされた事と関係が有り、私は是から、西瓜の中の水の流れと、中心の三又・三叉路に付いて、深い洞察を明日から行って行かなければ成らないと、言う事なのかも知れない。
其れは、此の無明の世の中で、自から滅びて行く人達に、新しい道・法を示して、彌勒菩薩・マイトレーヤの神(はたらき)を真実のモノ・世界としなければ成らないのであろう。
そして、其の作業が新しい「天津日嗣・あまつひつぎ・あめの霊継ぎ」の世界を、開くと言う事に繋がるのではないだろうか。
「道法」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5422.html
此の「道法」の文章の内容から考えると、私は老子の謂う「道・タオ」の世界や、釈迦の謂う「ダルマ・法」の世界を若者が理解し易い様な形態に、表現する必要が有り、其の事に成功しなければ、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂」が私に告げて来た、最後のチャンスである九回目の「トンネル潜り・次元上昇・アセンション」も又不発に終わると言う事であり、私の36年間の苦労も水の泡と成るとの事なのかも知れない。
其れを考えると、私が36年前に宇宙の螺旋構造である時空を逆回しにしてから、地上に降りて来た御魂(天使・使命者・みこともち・スターチャイルド)達は、其の本分を果たせないとの事なのかも知れない。
2018/4/27本日4月27日は、1998年に41歳で死亡した倭姫命の御魂であった「井上佳子」の命日である。・・
其の様に考えると、現在・いま悪行が噴出して来ている「政治家・官僚・芸能界」の世界は、神(はたらき)の選別が始まっていると謂う事であり、本日が倭姫命の御魂であった井上佳子の命日である事と関係が有り、1987年7月12日に出雲の日御碕で井上佳子に告げられて来た事が、現実と成って来ている事にも成る。・・
1986年3月27日に、当時衆議院議員であった「二階堂進氏」の鹿屋市の自宅を訪ね、次の総理大臣に付いて話をした事が有る。
しかし、其の時二階堂進氏に話が通じないので、高知に住んで居た「井上佳子」を伴って、出雲の日御碕神社に1987年7月12日に参拝し、近くに有る国民宿舎に宿泊したら、佳子に神のお告げが有り、「もう 現在の自民党では駄目だから 駄目な人間を 役職に嵌め込んで 潰す事にする。其れが消毒の方法だ。」と知らされたのである。・・
私は1884年6月4日に此の世界に入った時に、4歳以下の子供達に導かれたので、其の事から自分の事務所・店舗の入り口のガラス戸に、「スターチャイルド集まれ」と書いた紙を貼り付けたので、私は頭が変しく成ったと思われ始めたので、私は其の紙を剥がしたのだが、其の事が現実の事と成るのかも知れない。・・・
「直道・なおみち」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/820.html
2018/10/14「スターチャイルド」
https://green.ap.teacup.com/20060818/4775.html
今朝のビジョンに、現場作業を行う三人の若者の世界に、畑の作物の支柱に使うのか、長さ2m程の細竹が30本程束ねられている物が映し出されて来た場面は、漢字の「俶・シュク・テキ」と関係が有り、農作物栽培の為の支柱と関係が有り、豆の蔓が這い上がる・伸びる手伝いをしなければ成らないとの理・ことが示されて来ており、其れは、若者の「魂しい・生命・遺伝子・DNA」が順調に生育する手伝いをしなければ成らないとの理・ことが、示されて来ているのであろう。
「俶・シュク・テキ・チャク」【解字】形声。人+叔(豆+支)音符の叔は、いたむの意味。他人の不幸をいたむことができるひとのさまから、よい・厚いの意味を表す。
【字義】(一)@よい(善)。=淑。Aあつい(厚)。Bはじめ(始)。はじめる。はじめて。Cおこす(作)。なす。(二)すぐれる。高くひいでる。=倜。
【俶装】身じたくを始める。また、みじたくする。
【俶儻・テキトウ】@さいきが高くすぐれていること。A物事にとらわれないさま。「倜儻・テキトウ」
「叔・シュク」【解字】形声。「又+尗」音符の尗・ショクは、枝(木+支)についている豆の象形。豆をひろうの意味を表す。また、尗は、弔(チュウ)に通じ、いたみあわれむの意味。あわれむべきいとけない者・善良な者の意味をも表す。転じて、おとうとの意味や、父のおとうとに当たるおじの意味なども表す。(豆をひろう は 豆を収穫するの語訳か?)
【字義】@ひろう(拾)。Aわかい(若)。おさない。年少者。Bおとうと。弟の中で年下の弟。Cおじ。父の弟(日本では母の弟をもいう)Dこじゅうと。夫の弟。Eすえ。また、末世。G父親よりも年少の人を呼ぶときにもちいる語。おじさん。Hよい(善) 大漢語林より
其れに、山から澤山の茸類を採って来た若者が、私に「伸し餅」を返還した場面は、日本の「正月・年越し」の餅搗きの始まりが、ユダヤの「過ぎ越し」の祭り・行事(種なしパン)と関係が有り、旧約聖書から始まっている文化(神話・傳統)の改革・手直しが、此の私に委譲されたと言う事なのかも知れない。
今朝は由香に何かビジョンを見なかったかと訊くと見たとの事であり、其れは次の様な場面である。
先ず、知り合いの「埋橋 灯〇さん」が映し出されて来た。
次に、直線道路に植えられている様な長い並木が映し出されて来て、其の整然と立っている細い並木の中程に、二本だけくっ付いて立っており、女性が其の片方の幹を梯子の様に使う為に、電柱の取っ手の様な物を取り付けながら姿が見えなく成るまで高く登って行き、やがて降りて来ると、持って帰った箱・器の中には搗きたての餅の様な物が満タンに入っており、其の餅の上端に、茹でた「飯蛸」が一匹置かれていたとの事である。
其の由香のビジョンは、私と同じく、餅が出て来ており、私の竹の支柱が、由香のビジョンでは「ジャックの豆の木」の様に、天に通じる物と成っている。
其の由香のビジョンは、仏教の「彼岸に渡る、地獄」の様な概念は、人々への脅しの様なモノと成っているので、其の概念は土に埋めるか、排除しなければ、人間のアセンション・次元上昇の妨げに成り、明るい世界が立ち上がらないとの理・ことが示されて来ており、天界の方に上って行けば、幸福の餅搗き行事に参加する事が出来、思考が八方(八足・八手)に広がると言う理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
明日11月21日は、今朝のビジョンに登場した、皇女・斎宮「倭姫命・やまとひめのみこと」の御魂であった「井上佳子」の生誕64年の日であるので、本日は佳子のイブである事に成る。
其れに、由香に出遭ってから、19年と成る記念日でもある。
新嘗祭まで、残り二日。
令和2年11月20日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2020/11/17
「制人」
文字の意味
制人
2・11・17
昨日は二十歳の時に、阿蘇の「日の宮幣立神宮」の近くに住んで居た私を訪ねて来て、暫く子供の遊び相手や農作業を手伝ってくれた「白土君」から電話が有り、85分間、是からの日本国の在り方に付いて色々話した。
其の事と関係が有るのか、今朝のビジョンには、船に掲げる「大漁旗」の様な雰囲気で「制人」との文字が大きく記されている看板の様な物が、建物の入り口の右側に置かれている場面・様子が映し出されて来た。
其の「大漁旗」の縁取り・飾りの色彩は、青色が基調と成っていた。
其れに「制人」との書き順は、現在の横書きでは制人であるが、漢字文化では右側から「人制・ジンセイ・ニンセイ」と読まなければ成らない事に成る。
だが、其れは、両方とも国語辞典には載っていないので、「制人」「人制」とも、有りそうなのに無いのは、「人を制する」との言葉は、禁句扱いに成っている様である。
制の漢字を漢語林で調べて見ると、次の様に載っている。
制・セイ 【解字】会意。篆文は「刂(刀)+未」未は、枝の重なる木の象形。余分な枝をそぎおさえるの意味を表す。制は、利の変形。制を音符に含む形声文字に掣・猘・製などがあり、これらの漢字は「そぎ、おさえる」の意味を共有する。
【字義】@おさえる。押さえつける。従わせる。Aとる。占める。手におさめる。制勝(かちをセイす)。Bきる(切)。たつ(断)。Cつくる(製)。整えつくる。また、調整する。Dおさめる。つかさどる。あやつる。Eのり。おきて。とりきめ。Fみことのり(詔)。また、その文書。
【制可】天子の許可。
【制誥】みことのり。詔勅。詔書。
【制詔】みことのり。天子の命令。 漢語林より
其れに、過去の文章を「制」で検索すると「制世」の文章が出て来た。
2010/1/25・・そして、場面が変わり、今度は知り合いの、足の不自由な70歳くらいの男性が現れて、若い夫婦を雇って、自分の家の敷地の川縁に、川水の流れギリギリまで、コンクリートの擁壁を造らせている。
其れは、1mmでも、自分の土地を広げ様と、考えている様子が伺えるものである。
私は、其の様子を見て、何れ崩れてしまうのは間違い無いのに、無駄な事をする物だと意って居た。
すると、「覚醒」との言葉が、枠の中に書かれて現れ、次に「制世」との言葉が、枠内に書かれているのが映し出されて来た。
「覚醒」との言葉は、よく使われている言葉だが「制世・せいよ」との言葉は、聞いた事がない。
PCで検索して見ると「制御」との言葉は有るが、「制世・せいよ」との語は無い。
「制御」は、せい‐ぎょ【制御/制禦/制馭】
[名](スル)1 相手を押さえて自分の思うように動かすこと。「欲望を―しきれない」2 機械・化学反応・電子回路などを目的の状態にするために適当な操作・調整をすること。「運転を自動的に―するシステム」 Yahoo辞典
*「制・セイ」は、「リ(刀)+末」の組み合わせで、「末」は枝の重なる木の象形。余分な枝をそぎおさえるの意味を表す。【字義】は、@おさえる。押さえつける。従わせる。Aとる。占める。手におさめる。制勝(かちをセイす)。Bきる(切)。たつ(断)。Cつくる(製)。整えつくる。また、調整する。Dおさめる。つかさどる。あやつる。Eのり。おきて。とりきめ。Fみことのり(詔)。また、その文書。
*「世」は、十を三つ合わせて、三十・三十年・長い時間の流れの意味を示し、転じて、世の中の意味も表す。【字義】@よ。㋐三十年間。㋑人の一生涯。父の後ついで家長となり、其の地位を子に譲るまでの30年間をいう。㋒一王朝の続く間。㋓その時代。その時勢。㋔世の中。世間。また世の中の人。㋕とし(年)。Aよよ・代々。Bよよにする。代々続く。C過去・現在・未来をいう。
漢語林より
此の意味からすると、「制世」とは、確かに「次元切り替え」の言葉に関係が有り、「世を制する」との意味であり、「まつりごとのつかさ」の働きを告げて来ている事に成る。
其の事は、以前1986年1月10日・近江神宮の大祭にて、祭神である「天智天皇」に「ひもろぎの 代よの乱れを 盃に 菊一輪と まわし飲み」と伝えられて来ているし、昭和天皇には「吾が身 既に遠く 良き世を 願い奉る」と、平成元年2月24日の大喪の日に告げられて来ている。
今朝は、其の「まつりごとのつかさ」としての条件が、「覚醒」に関係有る事を告げて来ているのであろう。そして、何に付いて、覚醒が必要であるかを示す為に、女性の本能(生殖)と、男性の本能(城造り・権力・縄張り)が映し出されて来たのであろう。
其れは、両方とも、純粋な動物の本能であるし、「自己保存」の自然法則に従ったモノであるので、「生命の本体」が映し出されて来ているのだから、別に悪い事ではないだろう。
しかし、其の人間の本能が暴走すれば、地球環境を破壊し、他の地球生命との調和を、欠いてしまう事に成るのである。だから、其の為に、今朝は「制世・せいよ」との言葉を創り出して、私に示して来たのであろう。
今朝のメッセージには、「覚醒」「制世」「自己保存」「生命の本体」等の言葉が、枠の中に書かれて出て来た。
其の言葉から、私が考えた理・ことは、「言葉」は「自己認識をする為に 役立っている」との理・ことであり、言葉は、其の為に発達して来たと謂える。
だが、現代社会には、様々な言葉が氾濫しているので、多くの人間が不消化を起こし、本来の「霊留・ひと」の道から外れてしまっている。
其の為に、社会が混乱を起こし、迷走を続けているので、若者や子供達がどの様に生きて行ったら良いかが、判らなく成っているのである。
「教育」の単語は、明治維新に拠り西洋から取り入れられた概念であり、英語の「相手の命・みこともち を 引き出してやる」の意味の「エデュケーション・education」を訳したものである。
其れに、人間の精神を、本来の道に返す為に取り入れられた概念は、「再び神と結ばれる」の意味である「リリジョン・religion」であり、其れを漢字二文字に訳したのが「宗教」の単語である。
其の「教育」と「宗教」の単語も、消化不良を起こしているのが、現在の教育と宗教の世界である。
今朝は、其の他にも、「本堂の修復を止める」との言葉が告げられて来た。
其れは、もう釈迦仏法の「真実」が明らかに成って来たので、寺の本堂が必要ないと言う理・ことを示唆して来ているのであろう。
其れは、本堂に、金を掛けて修復しないで良いとの事だから、古く成った本堂は解体して良いとの事であり、仏像も必要ないと言う理・ことである。
其れは、仏教の寺院だけではなく、キリスト教の教会も同じである。
何故なら、教祖である「イエスキリスト」自身が、「建物には 神は住まない」と謂っているからである。
イエスは、「人前で祷るな。」「同じ言葉を繰り返すな。」「大勢で祷るな。祷りは隠れてしなさい。一人でしなさい。」と、訓えているのである。
だが、日本の仏教と同じく、キリスト教もイエス本人の訓えが守られていないのである。守られていないどころか、止めろと謂った事ばかりが、行われているのである。
今日のニュースには、大手のイオングループが、葬儀の事業に乗り出して好評であると載っている。其の理由は、葬儀の透明化を図っているからだとの事である。
其れが、拡大すれば、お寺や教会も、葬式代が値崩れを起こして、立ち行かなく成るかも知れない。そう成れば、今朝のメッセージに有った「本堂の修復を止める」との事が、現実と成るのかも知れない。
日本で、仏教に拠る葬式が増えたのは、徳川幕府が隠れキリシタンを弾圧する為に、「仏教で 葬式をしない者は 隠れキリシタンと見なす。」との政策・制世を行ったので、其れまで、神式で葬儀を行って居た者まで、神社関係と天皇家の他は、全て、仏教で葬式をする様に成ったのである。
だから、400年前は、仏教に拠る葬式は一般的ではなく、むしろ神式が一般的だったのである。其れに1500年も遡れば、キリスト教どころか、仏教も、日本には無かった事に成るのである。
今朝の「制世」のメッセージは、2月11日に行われる「新大和発進 !」の集いで、私がどの様な内容を講演すれば良いのかを、示唆して来ているのかも知れない。
2月11日まで、残り16日と成った。
私に取って、其の講演の内容をどう言うモノにするかが、「問題・試練」と成って来た様である。
幸いな事に、「新大和発進!」のテーマには「国」の文字が入ってはいない。
「大和・倭・やまと」とは、奈良の事であり、神武天皇が奈良の橿原で「政・まつりごと」を始めたので、「大和・倭・やまと」と言えば、日本の国を意味する事に成る。
今朝のメッセージは「制世」との事なので、日本の国造りだけの事ではなく、地球全体、宇宙・神界・霊界・人間社会など、全てを含んでいる。
其れは、「我が国」とか、「うちの会社」とかの、小さな領域の世界ではないのである。其れを考えると、「国」と言う言葉ではなく、新しい「くに」の概念を、創り出さなければ成らないと謂うことに成る。
日本語・倭言葉の、「くに」に使われている漢字を調べると「国・國・州・六合・邦・郷」などが有る。
「國・国」は、武器を持って国境を守るの意味で、「六合」は、家が立ち並ぶ集落の意味で、「州」は、川と川の間の中州の意味で、「邦」は、敵の侵入を防ぐ土塁が築かれた土地の意味で、「郷」は、自分の故郷の意味である。
だから、現在良く言われている「地球村」や「世界政府」の様な意味の「くに」の文字は無いのである。つまり「国・邦・州」の漢字は、境目・境界の意味であり、地図上の仕切りを意味し、其処で生活する、人民の姿が在るわけではないのである。
日本語の「くに」とは、空や海に対する「大地」の意味であり、「祇神・くにつかみ」の言葉に有る「土地」の意味である。
だから、日本語の概念には、境界を必要とする「国」の概念は、無いと言う理・ことに成る。
だとすれば、日本語の「くに」とは、旅人でなければ使えない言葉であり、自由な民の概念であり、イエスや、釈迦や、老子や、芭蕉の様な生き方をした人間には、国とは無く、大地が「くに」である理・ことに成る。
其の様に考えると、「故郷に帰り 幼友達と一緒に 同じ食卓で 故郷の食べ物を食べて こころ・魂を響き合わせる」との意味の「郷・くに」が、一番合っている様だが、其れは個人的な理・ことなので、今朝告げられて来た「制世」の意味には合わない。其の様に考えると、「制世」とは、何処から、何処までを、制世の範囲・領域とすれば良いのであろうか。
一番近いのは、「身土不二・しんどふじ」の世界で、自分が食べ物を集められる距離の領域であり、自分の胃と、お友達の世界である。
そして、一番広いのは、ビッグバンから始まった138億年の時間で広がっている、此の宇宙空間である。
其の空間を抜けてしまえば、永遠の闇の空間なので「世(質量)」自体が無いのだから、制し様が無いので、考えなくても良いだろう。
其の様に考えると、「制世」とは、距離・範囲を何処に設定すれば良いのであろうか。
日本の古事記には、「黄泉の国・常世」が有る事に成っているので、死後の世界には138億年の「空間・世」が有る理・ことに成っている。
そして、宇宙が誕生して、現在の世の中が出来るまでを「ひ・火・日、ふ・風、み・水、よ・世、い・飯・禾、む・体(からだ・むね)、な・名、や・矢、ここの・心、たり・足り・完」の順番で、現しているので、昔し風に考えると、今朝の「制世」とは、其の「一・火・ひ 〜 十・たり」の世界を、全て含んでの事なのかも知れない。
其の様に考えると、今朝のメッセージに「覚醒」との言葉が伴っていた事の、意味も理解出来る。何故なら、「覚醒・かくせい」とは、其の「一・火・ひ 〜 十・たり」の世界を、全て思い出す事の意味だからである。
昨日は、時間が無いので書かなかったが、「300(8)」の数字が現れて来て、映像も現れて来た。其の映像は、部屋の中に置いて有る金庫を開くと、中に札束が澤山積んで有り、其の札束の上に乗せてあった紙袋の中から、金貨が外に零れ落ちて来た。
私が、其の中に、幾ら程の札束が有るのかを確かめ様として居ると、其の部屋に他人が入って来たので、 慌てて金庫の扉を閉めて、抱きかかえて居た。
其れから、場面が変わって、私は、建物が建っていない丘の上の土地から、広い海を眺めて居た。
其の二つの場面から、私が連想したのは、現在NHKで放送されている、大河ドラマの「龍馬伝」の番組に出て来る、「坂本龍馬」と「岩崎弥太郎」の二人である。
海を眺めているのは「坂本龍馬」風で、札束や金貨が入って金庫を大事に抱えているのは、アメリカの資本主義に協力した「岩崎弥太郎」風である。
坂本龍馬は、日本人に夢を与えたが、子供も居なかったので子孫も無く、生家の跡には記念碑が建っているだけである。
一方岩崎弥太郎は、兵器産業や、金貸し(銀行)や造船など、数多くの事業を起こし、現在でも子孫が其の事業を継いでいる。
昨日のメッセージで、宇宙から新しく生まれた子供(九代竜王)に見せるのは、其のどちらの姿が良いのであろうか。
其の、答えと成るヒントが、今朝のメッセージに、含まれているのではないだろうか。
今朝のメッセージの映像には、人の顔が現れて、其の顔の目が、様々な方向へと動いていた。
そして、次に瞼が閉じられて、今度は、顔の表情が色々様々に変化した。
私は、其の目の動きと、顔の表情から次の様に思った。
人間の目の動きは、「意識の方向性」を表しており、顔の表情は「心の動き」を表していると言う理・ことである。
其れは、「制世」の中に、先ず、自分の目線と、顔の表情を、管理する事が含まれている理・ことを、意味しているのではないだろうか。
何故かと謂うと、目線は意識の方向性・矢先を意味し、顔の表情は自分の心の鏡であり、其の二つを、意識的にコントロール出来る者でなければ、全宇宙の「制世・せいよ」は不可能だからである。
其の、自分の顔と目線が管理できる様に成れば、他人の目線や表情だけではなく、昆虫や、小鳥や、動物などの目線や仕草も、理解できる様に成るし、植物のこころ・命も読める様に成るであろう。
そして、其の先には、地球の悲しみや、喜びの表情が有るのである。
其の、地球の表情が読める様になれば、日本語の「くに」の言葉も理解できて来るのではないだろうか。其処には、日本国中に木を植えて回った「素戔鳴尊・すさのおのみこと」の存在が浮かび上がって来る。
「素戔鳴尊」は、息子の「五十猛命・いそたけるのみこと」と大陸に渡って、木の苗や種子を持って帰り、娘二人「大屋津姫命・都麻津姫命」に育てさせて、家族で日本国中に木を植えたのである。
其の、素戔鳴尊の家族の行動や、物語は、世界中に広げられる必要があるだろう。
其の、素戔鳴尊の家族の行動が、世界中に認められれば、植林をする為に、国境は無く成る事に成るし、人類の意識の解放・拡大にも繋がるのである。
そして、国境が無くなれば、戦争は無くなる事に成る。
正に、木を植える事は「いのち」を理解する事に成るし、生命は、植物に助けられて存在している理・ことわりを、理解できるのである。
そして、森林から、全てが生まれている理・ことを学ぶのである。
昔は、此の様な事を謂っても、誰も耳を貸さなかったであろう。
其れは、其の様な行動は、不可能とされていたからである。
しかし、現在の世の中には、PCとITが有るので、過去の社会システムとは全然違うのである。
ようやく、昭和20年8月15日の天皇の玉音放送の後に、奈良の「矢追日聖法主」に神が告げて来た事が、現実と成るのであろう。
其のメッセージは、新しい精神革命が、日本から世界に向けて起きると言う事である。
「制世」
https://green.ap.teacup.com/20060818/1416.html
此の「制」の意味「余分な枝をそぎおさえる」を考えると、現代社会の様相・仕組みは、余りにも人間の生活には関係無い物事が多過ぎて、資源の無駄使いだけではなく、地球環境の汚染に繋がっているので、天神・宇宙意思が未来の為に「余分な枝をそぎおさえる」との事を実行するとの理・ことであり、其の為の一手がコロナ禍の現象なのではないだろうか。
今朝「制人」との看板が映し出されて来て意識が目覚めた時刻が「2時11分」であった事から、今年の「2月11日」の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/2/11昨夜は入浴して、マッコウ鯨瞑想を行って居ると、「明日からゲンメツが始まる」との言葉が一言告げられて来たので、風呂から上がり、辞典原泉で「げんめつ」を調べて見ると、ゲンメツは「幻滅」しか無いので、「本日から幻滅が始まる」との事の様である。
「幻滅・げんめつ」幻想から覚めて現実にかえってがっかりすること。美化し理想視していた事柄が幻に過ぎなかったことを知らされること。
『あの人には幻滅した』
此の「幻滅」の意味からすると、本日から、人間社会に「覚醒」が始まり、人間だけではなく、芸術・政治・宗教・思想・教育・ファッション・金融・等々の世界で、良いと思っていた事柄が、実はそうではなかったとの理・ことが、自覚され始めるとの事の様である。
其れは、今朝のビジョンで「天界・神界・四次元世界」に完璧な準備が整った事が映し出されて来た事と関係が有り、愈々人類の意識の進化・アセンションが始まるとの事なのではないだろうか。
昨夜は、其れが分かってから、床に就いて目を閉じて居ると、瞼に満開の向日葵の様な感じの男性神の顔が映し出されて来て、其の顔が私の中に侵入すると、息子が二人居る家庭の居間の中に、其の存在が割り込んで来るので、私は立ち上がって、其の存在を居間の中に迎え入れて居た。
其れから、再び、私の目の前に三体の光の顔・女神の顔が正三角形状に並んでいる場面が映し出されて来て、私は、其の三体の光の顔の存在も受け入れて居た。
其れは、昨日の「三匹の子牛」の言葉と関係が有り、其の三体の女神が「三権分立」で三つの物の世界の管理を司るとの事なのかも知れない。
其の様に考えると、昨日私が「日本帝国印」の印鑑を受け取ったのは、父親の代理で、此の三次元世界を治める統尊(すめらのみこと)の存在を、示唆している事が考えられる。
今朝のビジョンには、先ず、私の唯一の親友であった故「岩川道夫」が登場して、私が実家の方に案内して居ると、其の故郷は人間が住まなく成って、何十年も経過しており、道路の両脇には木々や蔓が被い繁っており、通行できない状態に成っているのである。
そして、岩川道夫は昔のポンカン園の中に入って行き、暫くすると、野生化していたラッキョウをビニール袋に詰めて山の中から出て来た。
次に、私達が街中に向い、昔のレストランの建物に到着すると、其のコンクリートの建物の中には、大きなガジュマルの根が張っており、まるでカンボジアのアンコールワットの様な状態と成ってしまっているのである。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は漢字の「管」の竹冠の部分が、伸びた頭髪の様に、二本の竹が伸びて「官」の部分を被っている象形に成っているのが映し出されて来て、其の様な文字が次々に映し出されて来て、其の難しい漢字(絵の様な)で文章が綴られている場面が映し出されて来た。
其れから、青色の文字単語が、チベット曼荼羅の様に配置されている場面が映し出されて来て、其の文字単語は、PCのアドレスの様な役割と成っており、其の単語をクリックすると、其の世界がPC画面に現れる仕組みに成っている事が理解されて来た。そして、其の曼荼羅は「天界・神界・四次元世界」の情報整備が完璧に出来上がっている事を示唆していた。
そして、「下生して居た」との言葉が一言告げられて来てから、「3月13日」の日付が示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時16分」であった。
其れから再び横に成って、今朝のビジョンに付いて考え始め、起きた時刻は9時16分であった。
昨夜眠る前に、私の瞼に映し出されて来た「向日葵・太陽」の顔をした存在は、アステカ文化の「太陽神」と関係があり、其の太陽の化身の存在が、昨日私に「日本帝国印」の印鑑を手渡した「ユダヤ神」であり、後の三体の光の顔は、昨日私が乗っていた空中を走る列車の後部座席に座って居た三体の女神・姉妹の存在と関係が有り、私の身体・意識に、太陽神と其の娘である三体の女神が、入り込んで来たと言う事に成るのではないだろうか。
其れに、今朝のビジョンに登場した「岩川道夫」は遺言が「先に往って待っている」との事であったのだが、私は未だ此の世(現実界)に居るので、「待っている」と謂って居た岩川道夫が待ち切れずに、私の方に降りて来た事に成る。・・
だが、其の降りて来た世界は、人間社会が滅び去って、元の森林に還ってしまっている世界であり、人間が存在していた事の証は、野生化している「ラッキョウ」と、コンクリートの残骸だけであった。
其れを考えると、此の世・三次元世界から人類が居なく成れば、霊界人・神霊も「立つ瀬が無い」と言う事に成ると言う理・ことなのではないだろうか。
今朝起こされた時刻「4時13分」「6時16分」「9時16分」の数字から、昨年の「4月13日」「6月16日」「9月16日」の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで、私の故郷が無人と成り、アンコールワットの遺跡の様な状態と成っていた場面は、自然の中でこそ生活できる農家・農業を、国家が守護せずに見捨ててしまえば、国家自体が滅び去ってしまう理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。・・
今朝告げられて来た「下生して居た」との言葉と、「3月13日」の日付に付いては、次の様な事が考えられる、3月13日の日付は、私が1984年3月13日に太陽が水平線から顔を半分(日の象形)出している時に、「土肥無庵が神だから守れ」と告げられた日付であり、更に昭和天皇の導きで、1989年3月13日に阿蘇に在る「日の宮幣立神宮」に初めて参拝すると、太陽が異常現象を起こし、3時33分に私の身体に激しく神がかかって来る現象が起きた。
其れを考えると、太陽神は既に下生していた事が考えられる。・・
此処まで文章を打って来ると、今朝の文章は太陽尽くめの内容である事に成り、何故日本の神(天津神)が太陽神とされているのかも理解されて来る。
其れは、「エジプトの神・イスラム教の神・アステカの神」が太陽とされている事と関係が有り、太陽信仰は世界全体で行われて来た事に成る。・・
其れは、以下に、太陽の存在が大事・偉大であるかが、古代から理解されていた事に成り、其の太陽の神(はたらき)に付いて理解が出来れば、人間以外の生き物が全て太陽の存在・エネルギーで純粋な儘、生かされている理が理解されて来る。
其れに比べれば、偉そうな顔をして、自然破壊・エネルギーの無駄使いを続けている人間の存在・有り方に、幻滅する事は顕かである。
其の事さえ、人間が自覚出来れば、明日からでも、平和な未来社会の創造が開始される準備は整っているとの理・ことなのではないだろうか。
「今日から幻滅が始まる」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5270.html
此の「2月11日 建国記念日」の文章の題が「今日から幻滅が始まる」である事は、今朝示されて来た「制人」との文字や「制世」との言葉と関係が有り、経済優先主義と成っている近代社会体制は、一度衣替えが必要であると言う事であり、地球自体が身震いをして、古い毛並み(睫毛)を祓い落すとの事なのかも知れない。
令和2年11月17日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2020/11/5
「益・エキ」
文字の意味
水の世界を通り抜ける
2・11・5
今朝のビジョンは、私が魚の形をした石を水中に投げ入れると、其の石は水中の岩壁を避けながら、ひらひらと魚の様に泳いで行くので、私は不思議と謂うか・面白いので、自分も水中に入って其の後を付いて行った。
すると今度は、途中に美しい翡翠色で、鳥の様に羽毛が生えた魚が泳いでいるので、今度は、其の魚の後に付いて行った。
そして、日当たりの良い世界に到着して、其の羽毛が生えた魚は、何処かに飛び去ったのか、姿が見えなくなった。
其処で、「水の世界を抜けた」との言葉が一言告げられて来たので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時27分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私の事を理解する40歳代の元気の良い、会社を経営している男性が登場して、私は其の男性が気に入ったので、「名刺をください」と謂うと、其の男性は「以前に天波博文氏の集まりで遭って渡してある」と謂うので、私の右後ろに居る秘書の様な男性に、「探してくれ」と謂うと、持って来た物は、名刺を二枚の写真(自然の景色)に挟んである物であり、月日が経過しているので、くっ着いていており名刺を剥がし取って見ると、苗字の方は「益子」と読み取る事が出来たが、名前の方は湿気でボヤけて判別が出来なく成っていた。
其れで、其の男性社長を找して視たが、既に何処かに去った様で見付からないのである。
そして、もう一度名刺の方を見ると、其の名刺には「サンウエーブ」と記されている事が判った。
其れから「てるてる(照る照る)」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「8時49分・9時11分前」であった。
其れからPCを立上げ、起こされた「6時27分の数字から、6月27日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/6/27今朝のビジョンは先ず、私の意識が、太陽光・日当たりの良い山丘が連なる谷間の村々を視て廻っている様子が映し出されて来て、私が通過した場所の跡には、足跡を意味するのか「点々・・・」や、コースの意味なのか「線 ―」が残っている映像が映し出されて来た。
そして、場面が変わり、其の点と線は、私の現地調査後の記録・報告文書の事を示唆している事が、示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時31分」であったので、私は其の数字を「231・ふみはじめ・文始め」と記憶して再び眠った。
すると今度は、戦争で焼けたのか、大津波が襲って水に浮く物が全て流されてしまったのか、鉄や石の様な物しか残っていない町の址が映し出されて来て、私は一人で其の中を歩いて、砥石や金梃子(てこ)等を拾いながら、歩いている場面が映し出されて来た。
次に、私は定期船が通っていない離れ小島に、自宅と成る家を手に入れて、生活用品を揃えて居る場面が映し出されて来て、其処は他人の影響が何も無いので、静かに暮らせる事を確認して、安らかな気分に成って居た。
だがガスコンロのガスが無いので、煮炊きをする竈を作らなければ成らないと意って居た。
次の映像は、其の小島ではなく、本土の様子が映し出されて来て、地面には毒の有る「水仙」しか生えていない様子が示されて来て、其の理由は食料難の為に、他の毒の無い草が、全て食べられてしまった結果を示している事が、理解されて来た。
次に、人間が通らなく成った山道に、木々が育ち始めている様子が示されて来て、森の中では、私の知り合いらしき樹医をしている男性が、老木(御神木)が出来るだけ長生きする様に手入れをして居る場面が映し出されて来て、私は其の男性と樹木の事に関して色々話して居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時55分・5時5分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は雨音と共に雷鳴が轟き始めた。
そして、其の音を聞いて居ると、空気中に溜まって来ている「+・−」の電気粒子の所為か、雷から空中に放射・伝波されている「電気・磁気・大山祇神」との繋がりなのかは判らないが、様々な世界が瞼・脳裏に映し出され始め、私は其の映像が余りにも現実的な場面なので、昔の人が雷を「かみなり・神鳴り」と呼んだり、「神・シン・ジン」の漢字を「示(祭壇)+申(電気・雷)」としているのかが、理解される様な気がしてきた。
其れから、女性・女神の聲で「現れたくない」との言葉が一言告げられて来た。
其れは、地球全体・生命全体の事を考える女神が、暴走・破壊を止めない人間の数を減らさなければ、どうにも成らない次元に至っているのだが、其れを始めれば、感謝される所か、逆恨みされて、「悪魔・悪神」であるかの様に受け取られかねない事を、気にしている事が理解されるモノであった。
其処で起きて時計を見ると、時刻は8時24分である。
今朝の最初の場面は、太陽の「陽」の漢字と、「郡」の漢字の世界が示されて来ており、人間の暮らしの原点を見つめ直す必要がある事が示されて来ているようである。
キー「陽 郡」
2014/9/14本日の日付は「9・14」で、149の数字は123の二乗である。
第一次世界大戦は、1914年に始まり、第二次世界大戦(日本参加・太平洋戦争)は、1941年に始まっている。
今朝は、起きて洗面を済ませ、PCの前に座ると「愈々ですね」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「愈々ですね」
貴方の本番が 近付いています。
貴方は 既に 御存知の様に
自分の躰は動かさなくても 事は順調に進んでいます。
貴方は 動かない事で
貴方の能力は 最大限に生かされているのです。
ですから 此方の準備も 順調に整っているのですよ。
よくしたもので 其の方が 皆が遣り易いのです。
何故なら 皆に自由が 生まれるからです。
是までの 八回の失敗は 其処に原因があり
頭がこければ 全体が こけてしまったからです。
どうやら 貴方には もう 其れが無いようですね。
良いですか 考える事と する事は 別なのですよ。
貴方は 良く解かっていると 想いますけど。」「愈々ですね」
今朝のメッセージの映像は、先ず、昨日の続きの様で、神の光の中で、人間の躰の五臓六府の仕組みや、五感である「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」などの働きが、全てバラバラにされて、其の働きを、明確に認識する必要がある事が示されて来た。
其れは、男女の肉体の仕組みの違いや、五体の骨組・筋肉組織・神経組織・血管網などや、爪・髪・髭・歯、其れに脳の働きなど迄、全てを認識する事である。
次の映像は、雪が降っている真冬の天候の中に、私が歩いて居り、途中で数人の女性が、氷が張る湖の側の土地で、食べられる野草を雪の下から捜し出して、摘み採って居るのに出会った。
其の中の一人が、私が普通の服装をしているので、自分の黒い毛皮のコートと、帽子と手袋を貸してくれた。
私は、其れを着て、自分も野草摘みを手伝っていた。
すると、誰かが、車で私を迎えて来たので、借りて着ていた物を脱いで、其の女性に返した。すると、其の女性が、心配そうに「大丈夫ですか」と、私に問うた。私は、其の慈愛に満ちた女性の顔を見て、何処かで会った事のある、懐かしい顔であると思った。
だが、其れが、誰だか判らないでいると、映画で観た事のある、イエスキリストの母親「マリア」ではないかと思えて来た。
其処で一度目覚めて、トイレに行き、再び眠った。
すると、木造の古い田舎の家屋の中に、私は居て、他にも数人の同じ年代の男性が居て、土間で薪ストーブ焚いて暖を取っていた。
そして、私が外に出て見ると、30代後半の男性が三人来て居て、巻尺で屋敷の周囲を計測して居るので、私が「貴方達は 何をして居るのか」と厳しく尋ねると、責任者の男性が「貴方が 代金を払わないので 利息が膨らんで300万円を超えたので 屋敷を競売にかけるのだ」と、言うのである。
私は、物を買って代金を払っていない覚えも無いし、屋敷を抵当に入れた覚えも無いので、其の男性に「会社と自分の名前を云え」と言ったのだが、其れに対して何も返答をしないのである。
其の様な問答をして居ると、其の男性の仲間が二人・三人と次々に遣って来て、段々の数が増えて来たので、私は其の人達に、日本語の「ひと」との言葉は、「霊留・ひと」で「霊が留まる」との意味であり、霊魂が留まって居無い人間は、「只の空だ・ただの肉体だ・殻」と、説教を始めた。
すると、段々の人数が増えて来て、屋敷内に入り切れなく成って来て、近所迷惑に成るので、観覧席の在る競技場の様な所に移動した。
そして、其の競技上の様な場所も一杯に成って来た。其れは、男性ばかりなのだが、中に三人だけ女性が並んで座っていた。
其れから、自宅に帰って居ると、大きな車の後部座席に、60歳位の立派な男性が三人乗って、私を訪ねて来た。
そして、其の三人の男性を家に通すと、私の書いた文章が、長々と映し出されて来て、其の文章の中に「阝」と「易」の文字が有る事が、強調されて来た。
今朝のメッセージの映像は、其れだけなのだが、全体的な繋がりが、私にも良く解からない。
今朝の映像で、雪の中で野草を摘んで居た、数人の女性の他は、私の所に集まって来たのは全て男性だったのだが、観覧席に三人だけ女性が居た。
其の三人の女性は、姉妹の様だったので、「宗像三女神」を意味していたのかも知れない。
そうすると、最後に、私の家に訪ねて来た立派な三人の男性は、「造化三神」だったのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像に登場した人物は、全て現実界の人々ではなく、神界か霊界の人々であったと言う事に成って来る。
何故、今朝の映像で、何百人もの男性が、私の話を聞きに、集まって来たのであろうか。
其れは、今朝の女神の言葉に有った様に、愈々本番が始まるとの事であり、此の三次元世界である現実界にも、何等かの兆候が表れるのであろうか。
今朝のメッセージではっきりしているのは、私が、多くの男性に説法を始めた事と、私の長い文章が映し出されて来た事である。
其の私の文章の中には、「阝」と「易」の文字が有る事が強調された。
其の「阝」と「易」の文字は、合すと「陽」の漢字と成り、太陽の陽である。
*「陽・ヨウ」形声。阝+易。音符の易は、日が上がるの意味。おかの日の当たる側、ひなたの意味を表す。」
【字義】「@ひ(日)。Aひなた。日の当たる所。山の南側。川の北岸。B易の用語。天・春・夏・日・天子・君主・父・夫・風・火・剛・仁徳・奇数などのように、主に積極的・男性的な性質を持つもの。Cあらわれる。また、あきらか。Dそと(外)。うわべ。また、うわべだけの見せかけ。Eきよい。すむ。
Fたかく大きい。また、貴い。Gいきる。また、生。Hいつわる(偽)。
漢語林より
其の、陽の文字を使用した言葉には、次の様な単語がある。
「陽澤」天子の恩徳をいう。
「陽道」⇔ 陰道。@陽の道。男子。君子。父・夫として取らなければならない生活態度。A太陽の軌道。B男子の生殖力。C山の南側の道。
「陽徳」@陽気。万物を成長させる気。A太陽。
此の、「陽」の文字の意味を考えると、慈悲の顔を持つ聖母マリアらしき女性が、厳寒の中で野草摘みをして居たのは、ただ単に「飢え」を意味しているのではなく、「陰徳」の世界を示していたのではないだろうか。
「陰性」⇔陽性。@暗い・消極的な性質。
「陰道」⇔陰道。@陰の道。臣・子・母・妻としてとるべき道。A喪事や戦争。B月の軌道。C女子の生殖力。D山の北側の道。
「陰徳」@人に知られない善行。A地の徳。地が万物を育てている徳。
転じて婦人の徳。婦徳。
*「陰・イン」は「阝+侌・今」の組み合わせで、音符の「今」は、含に通じ、含むの意味。雲が太陽を覆い含む意味から、くもり・かげの意味を表す。のち、篆文は、云を付し、雲につつまれるの意味を明らかにした。
【字義】@かげ。アひかげ。日のあたらないところ。㋑物におおわれている所。「樹陰」㋒山の北側。また、川の南岸。Aおおう(蔽)また、おおい。Bくもる。かげる。C移って行く日かげ。転じて、時間。「光陰」D暗い。Eしめる。また、しめり。Fひそかに。ひそか。G男女の生殖器。特に、女性についていう。H易学の用語。陽(男性的・動・剛)に対して、消極的・女性的なもの。地・水・女・静・内・夜・月・雨・寒・秋・冬などをいう。⇔ 陽。
此の意味からすると、空が曇り、雪が降る厳寒の中に居て、湖の側の大地から、野草を摘み採って居た女性達と、慈悲深い聖母マリアの存在は、正に其の「陰」の世界を表している。
と言う事は、今朝のメッセージの映像は、最初に映し出されて来た、人間の肉体の働きを全てバラバラにして、其の部分的な働きを、再確認する事が求められて来た事と関係があり、先ず「男女・陽陰」の役割から理解する事を、示して来ている事になる。
此れは、ナカナカ大仕掛けの学問の世界であると言うか、確かに、「大学・おおきなまなび」の世界が示されて来ている事に成る。
其れを考えると、今朝PCに向かった時に、先ず、女神の言葉で「愈々ですね」と告げられて来た事が、信憑性を持つと言うか、天神・宇宙意識の働きの大きさが、能く理解されて来る。
老子の「タオ・道」の世界は「陰陽」がテーマであるが、弘法大師空海も「乾坤は 教籍の箱なり」と謂っているので、私は、其の二人が謂う世界に、入り込んで行く事に成り、其れが、「愈々私の本番である」と言う事なのかも知れない。・・・
「阝+易=陽」邑(阝)部
阝・おおざと偏 邑が旁になるときの形。邑(阝)を音符として、人の住む地域・地名を表す文字ができている。
こざと‐へん【▽阜偏】 の解説
漢字の偏の一。「防」「隊」などの「阝」の称。
[補説]漢字の右側にある「阝」は「おおざと」という。
「郡・グン」【解字】形声。「阝(邑)+君」音符の君は、群に通じ、むれの意味。邑は、むらの意味。村の一郡、行政単位の一つを表す。
【字義】@こおり。グン。周代以後の地方行政区画の名。周代は県の下。戦国時代以後は県の上。Aつかさ。郡の役所。国語。グン。日本の地方行政区画の一つ。府県の下。
漢語林より
今朝のビジョンは、私が進んで行く方向の左上に太陽が有る事で、右側に縦に繋がる山・岡は、全て「日向・ひむか・陽向か」であり、太陽光を谷合いにまで目一杯に受けており、其の谷合いから流れて来る水に拠って、豊な生活を続けて居る人々の邑が、谷間毎に並んでいる事が判った。
其れは「小郷偏」が、一個所の邑を意味し、幾つも其の邑が繋がっている・群れているのが、のが「大郷偏・郡」である。
其れは、其の様な環境条件の下で生活して居る人々には、今朝女神から告げられて来た「現れたくない」との言葉は、関係が無い事になり、今朝のビジョンの滅びの世界は関係が無い事に成る。
其れは、今朝起こされた時刻が「8時24分」であった事と関係が有り、昨年の8月24日の文章が「老子の理想郷」である事と関係が有るのだろう。・・
此の文章の内容からすると、今朝最初に起こされた時刻が「2時31分」であり、私が其の数字を「231・ふみはじめ・文始め」と記憶した事は、岡本天明に6月10日「時の記念日」から「天之日津久神社」の祠の前で始まった、「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」の世界と関係が有り、「老子の桃源郷」の言葉を「心の指針・魂しいの柱」にしなければ成らないとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、日月神示に有る「道院殿老祖様(老子から派生した概念)だけを中に祀り 他の神は外に祀れ」とある事と関係が有り、其の老子の理想郷の教訓こそが、現在大問題と成っている「コロナウイルス感染」の良薬に成る事は間違い無い様である。・・
今朝の最初のビジョンは、私が屋久島の東南向きに位置する矢本嶽の山懐に産まれ育った事と関係が有り、太陽の光を全身に浴び、雷のエネルギーをチャージしながら、思考を膨らました事が、其の儘「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の温床・土台・基礎に成っている理・ことが、表されている事に成る。
其れを考えると、私の意識の寝床は「日向」であり、「日高見の国」の伝統を宿している事に成りそう・・
其れに起こされた5時5分の数字は、今年の5月5日の文章の題が「光のエナジーが神」であるので、今朝の最初のビジョンと関係が有り、母神は太陽(恒星)の神であるのかも知れない。
「231・文始め」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5407.html
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージに示されて来た「サンウエーブ(太陽と波)」「天波博文」「照る照る」は、「太陽・天照大神」に関係が有り、私は「水」→「石・石工」→「翡翠(かわせみ)・羽毛の生えた蛇」→の世界・次元を、泳ぎ切って、「太陽」の世界に出た事に成りそうである。
其れは、私が1984年11月22日に、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が告げて来た「最後のトンネル潜り」に成功した事に成りそうである。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」
http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れに、登場した男性社長の苗字が「益子」であった事から、「益」の漢字を調べると次の様に載っている。
「益・エキ・ヤク」【解字】象形。皿に物を大きく盛り上げた形にかたどり、ます・あふれるの意味を表す。常用漢字は省略体による。
【字義】@ます(増)。㋐ふやす。加える。「増益」㋑加わる。㋒富む。多くなる。Aためになること。役にたつこと。「有益」Bもうけ。利益。また、もうける。⇔損。C多い。また、多く。Dますます。いよいよ。
漢語林より
此の益の意味からすると、「益子」とは、「増やす子・ためになる子・いよいよの子」との意味合いが有り、私は伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の希望に、沿えた事に成るとの事なのかも知れない。
『貴方の為しえた事は 是まで 誰も出来なかった事であり
其の業績は 何物にも替え難い 結果を齎したのです。』11時31分
今朝「てるてる・照る照る・輝輝」との言葉が告げられて来た、9時11分前の数字から、今年の9月11日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/9/11本日9月11日は、「アメリカ同時多発テロ事件」から丸19年の日である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有るのか、金メッキの人間と、典型的な暴力人間の存在が映し出されて来た。
今朝のビジョンには、先ず、頭以外の肌と歯を全て金箔で覆って、其の出来栄えに喜んでいる男性の存在が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、今は誰も住んで居ない、私の屋久島の実家の敷地の中に、重機を使って、奥の山林に続く道路を造る工事が行われており、私が其の道路を進んで行くと、20歳代の若者が居るので、「何をしているのか」と訊くと、「父さんが上に居る」との事なので、奥に進んで行くと、如何にも暴力的な50歳代の男性が居て、勝手に此方の土地の中に、人間の手では抜けない大きな紅い境界杭を立てているのである。
私が、「此方の土地に 何故勝手に 道路を通しているのか」と言うと、如何にも暴力を振るいそうな雰囲気で、私の方に向かって来たので、私は、周りに誰も居ないし、殺されて埋められてしまう可能性が有るので、警察官を立ち合わせなければ、話に成らないと意い、引き下がる事にした。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時7分」であった。
其れから再び横に成り、私は、今朝のビジョンから他の生き物には無い、人間の個人的な我欲・権力欲・物欲などに付いて、様々な事を考え始めた。
そして起きた時刻は、8時15分である。
今朝は、何を書いて良いのか分からないので、取り敢えず起こされた時刻「6時13分」「7時7分」「8時15分」の数字から、6月13日・7月7日・8月15日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「至難の業」との言葉は、今朝のメッセージと関係が有り、人間の「我欲・エゴ(利己主義)」を止める事は、正に「至難の業」である事に成る。
其のテーマは、釈迦牟尼世尊の仏教のテーマであるが、2600年が経過しても解決できないテーマ・課題であり、其れは、現在の「民主主義」「資本主義」や「共産主義」「社会主義」でも解決できてはいない。
此の「適性」との言葉と「天照坐皇大御神御魂」との神名の関係を考えると、天照坐皇大御神御魂が祭神である「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の参道の石塔に刻まれている神紋が「六芒星」である事と関係が有り、其れは「須佐之男尊・すさのおのみこと」の神紋が「亀甲紋・六画」である事に繋がり、何らかの仕組み・形を整えなければ成らないとの事であり、其れは「適性」に合わせた「人材の選択」と「組み合わせ」が求められて来ているのではないだろうか。
てき‐せい【適性】 の解説
性格や性質が、その物事に適していること。また、その性格や性質。「適性を見る」「適性に欠ける」 国語辞典より
キー「六芒星」「亀甲紋」・・
今朝の文章の題は、「産毛が何も感じない人々」とした、其れは私が36年前禊ぎ祓いの儀式を行ってから、荒野で裸生活を始めた時に、産毛で空気の流れを感じ取り、全生物との命の遣り取りを出来る様に成ったからである。
だが、今朝のビジョンに映し出されて来た人間の様に、全身に金箔を貼ってしまえば皮膚呼吸が止まってしまうし、産毛が「風・氣」を感じ取れなく成ってしまうからである。
「産毛が何も感じない人々」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5484.html
此の「産毛が何も感じない人々」との言葉は、昨日のメッセージで私が短パン一枚の姿であった事と関係が有り、私の皮膚感覚は、世界自然遺産に登録された屋久島の自然の中で産まれ育った事と関係が有り、人類が服を着る前の時代(次元)まで、遡ったと言うか、人類の其の儘(本来)の感覚を、取り戻したと謂う事に成るのであろう。
今朝の由香のビジョンは、其の事と関係が有るのか、大好きだったが夢には殆ど登場した事の無い父方の祖父【1978年12月21日(旧暦11月22日)没・葬式は12月23日】が登場して、客人の一人が持って来た茶葉を使用して、中国式でお茶を淹れて腕前を披露しており、親戚らしき品格のある客人をもてなす様子を、部屋の隅から眺めていると、自分の目の前にも湯飲みにお茶があり、一口飲んでみると、今まで飲んだお茶とは比べられないほどの、豊潤な芳香と深みのある味を、一口ずつ味わいながら全て飲み尽くして、余韻に浸っていると、次の場面では、其の客人の著書が目の前で開かれており、其れを黙読していると、「手前は水を扱う商いをしておりますので・・・」と書いてある箇所が目に入って来たので、水を扱う仕事をしているから、厳選された茶葉も、一緒に持ち歩いている事に納得していたとの事である。
其の由香のビジョンも伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の世界が、開闢した事を示して来ているのではないだろうか。
何れにしても、私は、36年5ヵ月前(1984年6月4日旧暦5月5日)に父親が彼の世から20年振りに4311体の神霊を伴って還って来て、「お前に苦労を掛けたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。だが、仕事だと意うな 遊びだ 遊びだと意って行け。」と謂った事を、守り切った事に成りそうである。
其れを考えると、今朝女神が告げて来た『貴方の為しえた事は 是まで 誰も出来なかった事であり 其の業績は 何物にも替え難い 結果を齎したのです。』との言葉の意味も、能く理解されてくると言うものである。
今朝の題は、告げられて来た「水の世界を通り抜ける」とした。
其の言葉は、仏教の「彼岸に渡る」との言葉と関係が有り、其の彼岸の世界の次元が2600年振りに、人間の頭・意識に、新風を吹き込む事に成るとの事なのではないだろうか。
令和2年11月5日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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2020/10/30
「再録」
文字の意味
再録
2・10・30
今朝のビジョンは、私が全く会った事が無い40歳位の夫婦に、喫茶店の様な室内で、講演を依頼されている場面が映し出されて来た。
そして、お互いが合意できたので、広いレストランの様な会場で講演を行う事に成り、私が其の会場に早めに行くと、会場の床に丸い染みが彼方此方に有るので、私は其の床の染みを、ナイフかスプーンの様な器具で、削り始めた。
すると其れは染みではなく、着色の金属の床に貼られているシールの様な物であり、両手が接着剤でベトベトに粘着して来たので、手洗い場を捜していた。
其れから、客が集まり始めたので、私は着替えをしようとすると、私が持っている物は着古した藍木綿の作務衣の上着と、タオル一枚だけである事が判った。
そして、講演の準備が整って、私が会場を見渡して視ると、集まって居る人々は、皆薄暗い顔をしており、私の謂いたい事を理解できる様な人間が居ない様なので、私は話す気力を失ってしまい、講演を中止する事にした。
そして、其の建物から立ち去ろうとすると、私に講演を依頼した男性が「自適さんは 今日は何処に泊まるのですか。」と訊いて来たが、私は其の質問に応える事無く、其の場から去った。
そして、私は何も手にしておらず、ポケットに小銭も無いので、電話も掛けられない状態である事が判った。
其処で照明を点けて、其れが夢である事を確かめ、再び眠った。
すると今度は、「三つの重要事」を検討しなければ成らない事が示されて来た。
私は其れに対して、先ず「地球の自転」がなければ、暦・カレンダーが作れないし、地球の太陽光線が直射する場所は高熱と成り、裏側は凍りついてしまうので、生命が存続できない理・ことを考えた。
其れから幾つかの事を考えて居ると、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時41分・7時19分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は朝日が当たって逆光に成っている木々の枝に、雀の群れが戯れながら飛んでいる様子が映し出されて来て、雀の広げた羽根が白く透けて輝いて見えるので、私は其の美しい景色に見とれて居た。
そして、私は聖書に記されているイエスキリストの言葉(例え話)を、思い出していた。
すると、其の雀の様子を観て居る女性(女神)の右顔(モノクロのデッサンの様な感じ・60歳程)が、左側に在る事が示されて来た。
私が其の女性が誰なのかを想うと、其の女性は「白川家」の娘さんである事が示されて来た。
其れから「再録」との文字が映し出されて来た所で意識が目覚めたので、起きて時計を見ると、時刻は「8時51分・9時9分前」であった。
私は其の「9時9分前」の数字から、「再録」との文字を示して来たのは「白山権現菊理姫」ではないかと意った。
其れからPCを立上げ、先ず、起こされた「7時19分前」の数字から、7月19日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/7/19今朝のビジョンは、先ず私が赤子のオムツを替えている場面が何回も繰り返し映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「0時37分・1時23分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私が何処かの家庭の台所に居て、器をテーブルの上に並べて妻を待って居るのだが、暗く成っても其の妻が帰って来ないので、腹が空いた私は、妻の実家に電話を掛け様かと思ったのだが、他人が出て話をするのは億劫なので、外食(ガイショク)・外に食べに出掛けようと意い、玄関のドアを開けると外は闇であり、大粒の土砂降りなので、車が無い私は、食事・買い出しに出掛ける事も出来ないのである。
其の二つの映像は、私の中で、誰かが夢を見て居る様な感覚であり、意味が全く掴めないのである。
最初の場面は、子供や孫が身近に居ない私には縁の無いビジョンであり、後の場面も、両親が既に死亡している由香には関係が無いし、台所や器も私が見た事の無い世界である。
其れ等の事を考えて居ると「非常事態宣言」との言葉が一言告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「3時25分」であった。
其れでPCを寝室に持ち込み、起こされた「1時23分前」と「3時25分」の数字から、1月23日と3月25日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。・・
此の二つの文章の内容から、今朝の訳の分からないビジョン・場面は、新型ウイルス感染が増々増加して、現代の世の中が崩壊して行く事を示唆しており、私自身には直接関係が無いとの事が判って来たので、再び眠れる様な気がして来た。
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すると今度は、正しい言葉(嘘が無い)で明るく生活して居る人達の町村の存在が映し出されて来て、其の町に有る学校の校舎の周囲には、美しい草花が咲き乱れていた。
其れは、子供達の学校教育に、自然を愛でる気持ち・情緒が重要視されている理・ことを示唆しており、生物の生命(いのち)の世界に付いても、憧憬を抱かせるものに成るとの事なのであろう。
しょう‐けい【憧憬】 の解説
[名](スル)《慣用読みで「どうけい」とも》あこがれること。あこがれの気持ち。「西欧の絵画に憧憬する」国語辞典
其れから「合わせ鏡」との言葉が告げられて来て意識が目覚め、起きて時計を見ると時刻は「7時44分・8時16分前」であった。
其れでPCを立ち上げ、昨年の8月16日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の文章に書いて有る、「・・私が用心しなければ成らない事は、女神・母神の満面の笑顔に騙されて、簡単に次の役割を引き受けては成らないと謂う事である。」との事は、「ワタシは貴方・貴方はワタシ」との言葉が告げられて来た事と関係があり、私の喜びは女神(万物の母)の喜びであり、私の悲しみは女神の悲しみである事に成り、今朝告げられて来た「合わせ鏡」との言葉は、私と万物の母が「対面」であるとの理・ことに成るので、其の様な言い方は間違いである事になり、此の「私」と「万物の母」は一心同体であり、区別が出来ないと言う事に成る。
其れを考えると、私を找し出して此の世界に送り込んだ「土肥無庵」が、私に「自適さんは 何でも想った様に成るでしょう。ですから自適さんがおもえ(意念)ば良いのですよ。」と謂った事が、どう言う世界であるかが理解されて来るし、釈迦仏陀の言葉に有る「私は過去・現在・未来の三世に在り 衆生一切我が子」との言葉が、何を意味しているのかや、日本の統尊(すめらのみこと)の「御稜威 ・みいつ」との言葉の意味も能く理解されて来る。
其れを考えると、今朝のビジョンで、私が赤子のオムツを何度も替えて居た場面は、私の意識のモノではなく、万物の母が何度も繰り返し人間の魂しいを産み育てている事を示唆している事に成り、起こされた時刻が1時23分であったのは、「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」の世界の「天津日嗣・あまつひつぎ・天の霊継」と関係が有り、過去に八回失敗して今回が九回目の最後であると言うのは、過去に八回失敗したと言うのは、私自身の事なのかも知れない。
其れを考えると、73歳の年齢に達している私には、残された時間は少ない・貴重であるとの事に成り、一日も無駄に出来ない事に成る。
其れを考えると、1月23日の「アゲイン(again)」との言葉を、もう一度深読みしなければ成らないと言う事になる。
其れに私が大雨の中、一人だけで腹を空かして居た場面は、私一人の問題ではなく、人類全体に迫っている危機を示唆しており、雨・気象を管理している「大山祇神・おおやまつみかみ・大山の巳神」の機嫌を損なわない間に、何らかの方針を打ち出さなければ成らないと言う事に成りそうである。
其れを考えると、昨日は江藤敬介氏が、朝から肩が凝って動けないので、整体に行って解して貰ったと謂って居たが、私と由香も夜に急激に肩が、石の様に固く成り、痛くて堪らなく成って、是は「神凝り」現象だろうかとの話に成り、私は両肩に治療用のマットを貼って眠り、由香は眠ろうと横に成った時に、左上方から肩に、とても繊細な光・エネルギーが降り注いで来るのを感じ、目が覚めるとすっかり凝りが取れて居たとの事である。
其の効果で、私は肩の凝りを気にしなく成ったのだが、3時25分に起こされた後に、四国剣山の徳島県側の「コリトリ・垢離取り」上に存在する「剣山金剛院藤之池本坊・修験道根本道場」や、高知県の「神峰神社」、其れに奈良県吉野山 金峯山寺「脳天大神」の禊ぎ祓いが出来る施設の存在に付いて考え始め、全国の禊ぎ祓いの道場一覧表を作らなければ成らないのではないかと思って居た。
「コリトリ」に「垢離取り」との文字が使用されているが、其れは単なる「垢・あか」を除去するとの意味ではなく、阿波・徳島では御神体として「神を棲まわせた石」を「神石」と呼ぶのではなく「神凝り石」と呼ぶ事と関係が有り、神霊が憑依して来る・降臨して来ると、肩凝りに成る事と関係が有り、「こりとり」との言葉は、憑依して来た霊魂を禊ぎで洗い流す理・ことを意味しているのである。
其の事が、昨日我々三人に起きた事・現象を考えると、確かに何らかの変化が、四次元・神の世界で起きたとの事で有り、「神界」と「人間界」が「合わせ鏡」として、対面的に事象が変化を始めるとの事なのではないだろうか。
今日は過去の写真を調べて、「剣山龍光寺」の祭神が「八大龍神王」である事が判った。
其れを考えると、江藤敬介氏と出会った年の3月13日(江藤氏の誕生日)に阿蘇の「日の宮幣立神宮」に「九代龍王水神」の幟旗を立てて「瑞穂の国造り」の儀式を行った事が、昨日から動き出したと言う事であり、一昨日二人で話し合っている時に、二人とも自然に涙が流れ落ち始めたのは、其の龍神の涙であり、其の龍神の存在は、私に身体に巻き付いて来て、「地球の管理を頼む」を頼むと告げて来た「白山権現菊理姫」であるのではないだろうか。
何故なら、「剣山龍光寺」の境内には、其の龍神像が立てられているからである。
「非常事態宣言」
https://green.ap.teacup.com/20060818/5429.html
何と此の文章には、2006年9月9日の「白山権現菊理姫」の文章のアドレスが貼り付けられている。
2006/9/9本日9月9日は「重陽の節句」である。其れに、「ククリの日」で「白山権現菊理姫」にも関係が有る。「ククリ」とは、神霊界と人間界が「結び合う・括り合う」との意味であろう。
昨日から、私の心身が変調を起して来て、具合が悪いと云うまでには至らないが、何だが落ち着かない。其れは、大本教の出口王仁三郎の謂う、「9月8日の12の秘密」が、表世界に現われ始めたからであろうか。
私の神事の始まりは、出口王仁三郎に下駄を履かされた事が切掛けだが、其れより前に、霊夢の中で、「白龍」が私の身体にトグロを巻いて来て、私の左手の掌の上に、丸い地球を乗せ、管理する様に云い、私の頭を切り離して地球と重ねてしまい、私の胴体の上には、龍神が自分の頭を据えてしまったのである。
其れは、身体は自分の物だが、其の胴体には「白龍」が巻き付いており、頭は龍の頭と取替えられ、自分の頭は、地球として左手の上に乗っていると言う、説明し難い有様である。
其れは、不思議な感覚で、自分の頭が地球で、身体とは分離されており、自分の意識は屋久島の岩山を通してでなければ、肉体に還れないのである。
私は、自分の意識に辿り着く為には、宇宙から地球に帰り、屋久島の花崗岩の岩を経由しなければ、手足の付いている肉体には帰れないのである。
其れは、自分の意識が自分ではなく、何か得体の知れないモノと掏り替っている事に成る。
今朝、明確に成って来たのは、其の得体の知れないモノとは「ククルカーン」なのである。ククルカーンとは、アステカの神で、8段積んだ石のピラミットの階段から、地上に降りて来る水を齎す大蛇である。
其の、8段の階段の段差に出来る隙間の三角部分が、蛇のトグロを巻く7つの空間なのである。
其れは、八段の又に住む「やまたのおろち・八又大蛇」なのである。私の身体に巻き付いて来たのは、其の「ククルカーン・括る神様(くくるかんさあー)」だったのである。
私は、1985年3月5日に、初めての全国の旅の途中で、島根県の出雲大社に参詣した。其の時、導かれる様にして、「大国主命」を祀る大社と、神楽殿の間に在る川筋の道を、山の方に向かって歩いて行った。
1km程坂道を登って行くと、其処にあまり大きくない社「大穴持御子神社(三歳社・みとせのやしろ)」が一つ在る。
私は、其の社にお参りし、其の夜は大社の参道の近くにある大島屋旅館に宿泊した。すると、夜中に、其の山の社から、女のコケシみたいな物がピョッコン・ピョッコン・ピョッコンと下りて来て、宿に寝て居る私の布団まで遣って来た。
すると、其れに対応する様に、私の身体から直径30センチくらいで、長さ2mくらいの白い蛇の様な物が抜け出し、コケシに導かれ大社の方に向かって進み始めた。私の意識は、其の白い大蛇と一体に成って、空中を移動して行った。
其の、コケシと白い蛇の様な物は、大社の表側から社の壁を抜け、後ろに在る「須佐之男尊・すさのおのみこと」を祀る社に行き、更に其の社も抜けて、後ろ側の岩板の土手に突き当った。
すると、其の途端、其の白い蛇の身体の様な物は、白い光りと成って爆発して消え去ってしまったのである。其の光りの現象の後、私の意識は又宿の布団の中に在った。
其の映像を、今朝思えば、屋久島で私に入り込んだ白龍が、出雲大社の裏山に住む「コケシ神(シャクジ神?)」に導かれて、大社の裏山の磐座に還った事に成る。
出雲大社の裏山は、「弥山」と呼ばれて居るが、地元では昔から蛇山と呼んでいるらしい。其れは、奈良県の三輪神社の三輪山(三室山)と、同じ言い伝えを含んでいるものである。
どうやら、出雲も三輪も白山も、同じオロチが関係している様である。
「大穴持御子神社(三歳社)」
http://wave.ap.teacup.com/894019/2137.html
其のオロチを信仰する、古代の「国津神・祇(くにつかみ)」から「櫛稲田姫」を奪って妻にしたのが、渡来系の「素戔鳴尊・櫛御気命」なのであろう。
私の体に、トグロを巻いて来た龍神は、七回トグロを巻いて、頭を其の上に出している、祖母山の水神と同じモノだったのであろう。
今朝のメッセージの映像は、歌舞伎役者の大物が出て来て、様々な顔をしたり、身体を動かして、色々な動作を繰り返した。
其の役者の四方に、弟子らしき男性が現われると、其の舞台は水に覆われ、海中の舞台の様に成った。其の水の中で、五名が歌舞伎を演じ始めた。
其の様子は、無重力の中で手足をバタつかせている様な感じである。其の時、私の意識は、其の様子を見ながらエラブ(海蛇)の意識に成って居て、水中を揺ら揺ら漂いながら其の様子を眺めて居た。
そして、「大国主命」の名と、「瀬織津姫」の名が気に成っていた。其れは、先日現われた般若男が大国主で、お婆さんが瀬織津姫でコケシ神の様に想われるものである。
今朝、出雲の件を思い出したのは、日本の歌舞伎の始まりは、出雲のお国さんの河原芝居が基に成っているからである。出雲の「お国さん」を動かした本体こそ、弥山のオロチだったのかも知れない。
今朝、私が感じた事は、昨日「臭」がテーマで鼻の働きだったが、今朝は五感「視・聴・嗅・味・触」の内、物に触れる「触」の世界が現われて来た様である。
蛇は手足が無いので、臭いを嗅ぐ鼻の感覚の次は、身体が触れる物の感覚なのかも知れない。其れは、食欲を離れた処の性衝動の、触れ合いの出来事に関係があるのではないだろうか。
赤子が、母親の子宮の羊水の中から外に出て来て、水の肌触りからイキナリ接触するのは母親の肌である。羊水に浮かんで居た柔らかい肌が、イキナリ硬い母の手に抱き上げられるのである。
其の時に、感じた不安感がトラウマと成り、死ぬまで意識を左右していると考えても何等不思議な事ではない。
人間が、野生の猿と同じく、スキンシップを欲しがるのも、そこら辺りに原因が有るのではないだろうか。
蛇が、雌雄絡み合っている姿を、神の姿と重ね合わせて憧れる人間の意識は、多分この「触」の世界に、要因が隠れているのかも知れないのである。
そう言えば、歌舞伎役者が水中で行なっていた仕種は、産まれたばかりの赤子が、産湯のタライの中で、手足をバタつかせている様子にソックリであった。
現在、人気の有る歌舞伎役者の仕種と、タライの中の赤子の仕種を重ねて見れば、生命の基本原理は、赤子も大人も、あまり差が無いのではないかと想えて来る。
歌舞伎役者は、顔に隈を描き、特別に表情を引き立てているが、其の顔の表情の世界こそ「想」を現すことにある。
私は今朝、事務所の横に在る汲み取り便所が汚れていたので、水で洗いながら掃除をした。ホースで便器を洗っていると、勢い有るホースの水で、下の糞尿が攪拌され、臭いが立ち上って来た。其の時、顔をしかめた私の顔は、歌舞伎役者に負けないくらい良い演技をしていたかも知れない。
其の無意識の表情こそ、物と、人と、蛇が、括り合った瞬間ではないだろうか。
私の内に、存在するオロチの意識こそ、全ての生命の意識の源なのだろう。
万物の霊長とは、人間自身ではなく、人間の意識の中に住んで居て、時には答えが見付からず、手足をばたつかせ、身もだえしている「蛇・エラブ(選ぶ)」の事なのではないのだろうか。
何故、釈迦仏陀の背後の護り神が、七又頭のオロチなのか、其の答えも見えて来たようである。「白蛇・白龍」が分離して働く時、七色に別れるのである。其の時、プリズムの役割を果たすのが神社に備えられている鏡や、イシス神の頭上の鏡なのだ。
「鏡・かがみ」の名が、「カカチ・蛇」と「カガミソ・カガミッチョ・蜥蜴」の同語であり、正月に七段重ねられる「カガミ餅」は、其のまま「ククルカーン・括る神(はたらき)」のトグロを巻いた姿なのである。
其の「括る働き」が、「白山菊理姫」で、「瀬織津姫」の別の姿なのだろう。
「自分の中に住む白蛇」
https://green.ap.teacup.com/20060818/13.html
此の両方の文章には「赤子の育て方」に付いて書いて有る。
其れを考えると、今朝告げられて来た「再録」との言葉は、是からの人間の育て方を能く考えなければ成らないと言う事であり、其の事次第で、此の「生命の揺り籠」である地球の未来環境も菊理姫の手段でどうにでも変わると言う事なのかも知れない。
今朝は由香に「何かビジョンを見なかったか」と訊くと、見たとの事であり、「以前、仕事でお世話に成って居た白川家の娘さん(当時60歳位)と、同級生の有〇智恵子さんが出て来た。」と謂うので、私が驚いて、「白川家の娘さんの名前は」と訊くと、「葉子」との事なので、其の二人の名は「言葉の智恵」との意味に成るので、白川家は、漢字の研究者である故「白川静」に関係が有るのだと意った。
「言葉の智恵袋」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/
其れに「再録」との言葉を考えると、旧約聖書に有る「蛇が勧める知恵の林檎」の例えや、釈迦牟尼世尊の「十二因縁起」の世界と関係が有り、人類の未来世界は「正しい言葉(真言・マントラ)」必要不可欠であり、神社が何の為に存在するのかを、もう一度真剣に考え直さなければ成らないと言う事にもなる。
2003/5/12・・今朝は「とりいも なかに」との言葉が遣って来た。
漢字を使用すると「鳥居も内(中)に」と成る。
鳥居は、神社に行けば、何処にでも建っている物なので、誰にでも直ぐに分かる物だが、それを「なかに」とは、どう言う意味なのか、私には良く解からない。
鳥居は、神社のヤシロや建物よりは、敷地の入口の場所に建っており、入口や参道の在り様を示す、役目を果たしている。
神社に依っては、神社の入口だけではなく、神社に通じる道路の入口や、最寄りの駅前など、数ヶ所に鳥居が建てられている所もある。
今朝の「とりいもなかに」とのメッセージは、外にある鳥居は止めて、やしろの有る敷地の中だけにしろとの事なのだろうか。駅前や、一般道路に建てられている鳥居は、神社の宣伝効果を狙って建てられたものであったり、道案内の意味を込めたりと、人間の思惑が有っての事だろう。
本来の、鳥居の意味や役割からは、現在の在り様は、逸脱していると言えるかも知れない。
「鳥居」を辞典で調べて見ると、次の様に載っている。
【鳥居】神社の参道入口に立てて神域を示す一種の門。左右二本の柱の上に笠木をわたし、その下に柱を連結する貫(ぬき)を入れたもの。伊勢神宮の神明鳥居を基本として、明神鳥居・山王鳥居・三輪鳥居・両部鳥居などがある。
広辞苑より
上記の様に載っているが、鳥居自体の持つ本来の意味の説明が無い。
これでは、答えが出せないので、私が自分の足で、全国を旅して研究した事柄から、今朝の言葉を解釈してみようと意う。
或る本に拠れば、鳥居の原形は中国の雲南省辺りの、魔物の侵入を防ぐ為の、結界の風習に源が有るとされている。
私が、出雲に生活している時、松江市大庭町にある「神魂(かもす)神社」に行ったら、鳥居の原形の様な物が、国宝の社の横に立てられていた。
「神魂神社」は、出雲地方でも一番古い神社とされ、「出雲大社(杵築大社)」の社は、神魂神社の社を真似て造られたとも伝えられている。
その「神魂神社」の敷地の左側の山に、直径1メートル50センチ程の洞窟が掘られており、その入口に、二本の木が左右に立てられ、上に横木が渡され、稲藁で作られた飾りが付けられている。
私は、其れを初めて見た時に、是が鳥居の原形だと感じたのである。
其れを、そう感じたのは、伊勢神宮の創建の原因と成った「倭姫命・やまとひめのみこと」の物語に出て来る内容が、それらの風習を感じさせるものだからである。
倭姫命は、奈良の地より、天照大神の神霊が鎮まる、新しい地を求めて旅を続けるのに、榊の木を二本用意し、それを二人の巫女に別々に持たせ、木綿の布きれを一本には左巻きに、一本には右巻きに巻き付け、前方の左右を歩かせ旅を続けたという事である。
目的地に着けば、その二本の榊の木は、地面に左右に立てられ、新しき神域の結界を示すものと成ったのであろう。
私の考えでは、其の二本の榊の木の棒に、巻き付けられた木綿の布きれは、蛇の代わりだったと想われる。
左巻きと、右巻きの螺旋は、世界中で古代神のシンボルマークとされている
中国では、タオ・道のマークの二匹の陰陽の蛇として、西洋では神官の手にする神の杖に巻き付く、左巻きと右巻きの二匹の蛇として使用されている。
何故、中国でも西洋でも、二匹の陰陽の蛇がシンボルとされるのか。
日本の古事記の物語でも、「伊耶那岐命・いざなぎのみこと」と「伊耶那美命・いざなみのみこと」が、天の柱を左回りと右回りに回って、契りを結んだとある。
人間の意識の根底には、何かの二本の渦巻きが存在している様である。その、意識の奥に存在する二本の螺旋は、遥か昔から、人類に、永遠の謎を突き付け続けて来ている様である。
エジプトの神官が手にする杖は、握り手の所は鷹の姿で出来ている。
二匹の蛇の謎が解ければ、神の使いの鷹が、手に入る事を表しているものだろう。
鳥居に「鳥居」の文字が使われているのも、その意味が込められており、横に渡された木には、神の使いである鷹や鳶が降りて来るとの、願いがあるからなのだろう。
私には、18年前実際にその鳥の使いが訪れた。
其の鳥とは鷹で、私が、神社の鳥居に出向いたわけではなく、自宅の上空に毎日同じ鷹が迎えに来たのである。
私の、神の世界への旅立ちは、鳥に誘われて始まったと言っても良いだろう。
其の出来事は、私の心の中に、二匹の蛇が生じたから起きた事であろうか。
あれから、18年経過して、私の意識には、もう神社の鳥居は必要なくなり、心の中に、鳥居の仕組みが出来上がったとの事かも知れない。
そうであれば、私はもう、神社の鳥居を潜る必要は無く、意識の中の鳥居を見続けていれば良い、と言う事に成って来る。
私の父親は、子供達を、神社やお寺に一度も連れて行く事は無かった。その事が、私が迷い道に踏み込む事を、防いで来たのだろう。
私の意識の中の鳥居は、私一人が通る為の物ではなく、全ての人々の通る参門である。全ての人々が、私の建てる鳥居を通過する時、世界人類の意識は、同じ道に帰る事に成るだろう。
私の意識は、宇宙意識と繋がっている事はハッキリしているが、人類の何%が、同じ意識に至っているのかは、私にも未だ判らない。
今朝のメッセージは、私が何処かの、一つの鳥居に固執するのを、くい止める為のものだったのかも知れない。
日本の神社の鳥居を、世界中に建て、その門を、人類が全て潜る様にするのは、絶対に不可能な事であろう。
私に出来る事は、私の意識の中の鳥居を、全ての人々が潜って、幸福に成る事を念じる事だけである。
今朝のメッセージで、私の意識は、再び新しき段階へ、進み始める事に成りそうだ。私の意識が、私一人のものではない事を証明する為にも、私はこの道を進んで行くしかない。
「鳥居もなかに」
http://wave.ap.teacup.com/20060106/53.html
さい‐ろく【再録】 の解説 [名](スル) 国語辞典より
1 すでに発表された記事などを、別の書物などにあらためて取り上げること。「受賞作品を本誌に再録する」
2 一度録音・録画したものから、また録音・録画しなおすこと。
今朝のメッセージは、私の身体に巻き付いて来て、「地球の管理を任す」と告げて来た白山権現菊理姫が、私に「地球」や「生命・いのち」の存在に付いて、新しい次元・舞台で解き明かせとの事を、告げて来ているのではないだろうか。
其れは、日本の首都である東京には皇居や国会が存在し、全国からエリートが集まって来て政(まつりごと)を行っているが、其の東京には地面(アース)が無く、森林や清い流れ・空気、小鳥の囀りなどの、人間の精神にとって最も大事・重要な自然環境が無いとの事であり、其の条件では「正しい言葉・真言・マントラ・神意」が、生じ無いと言う事なのであろう。
此処で「イエスキリスト 小鳥」で調べると、何と「母神の御手伝い」との文章が出て来た。
2018/6/27今朝のメッセージの映像は、先ず、人間が口にする食べ物一個の為に、どれだけの背景(システム・環境・エネルギー・時空)が存在するのかを示す為(私に記憶さす為)に、何度も同じ場面が映し出されて来た。
其処で、意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると時刻は「1時15分」であった。
其れから、再び眠ると、今度は私が「お堂」の様な施設の室内に居る場面が映し出されて来て、私が誰だか分からない10名程の人に話をして居る場面が映し出されて来た。
そして、私の話が終わり、皆が帰った後に、大きめの茶封筒が残されており、其の茶封筒の中には、参加費が入っている事が分かった。
私は、其の封筒を集めて、何処に置いて帰れば良いかを考え始めて居た。
其処は、誰でも自由に出入り施設なので、其の儘置いて帰れば、誰かが持ち去ってしまう事は間違い無いからである。
すると其処に、人々が集まって私の話を聴く様に段取りをした、熊ほどの大きな女性の存在が現れ、其のお金を私に管理する様に指示するので、私は其の様な事をしたく無いので、どうしようかと思って居た。
次の映像には、果物が成る樹木が植えられている、果樹園の存在が映し出されて来た。其の樹木は、既に成木に育っており、深緑の細長い葉が美しく繁茂しているのだが、花や実が着いていないので、果樹の種類は判断できなかった。
しかし、其の意味は、家畜を飼う為の放牧地や、飼料を生産する農地の為に、森を破壊してしまう方法ではなく、食料と成る果樹・木の実を生産する事で、森林の保全が可能な理・ことを、私に知らして来ているモノである事が理解できた。
其処で起きて、PCを立ち上げると時刻は「5時43分」であった。
今此処で(6時17分)「さあ本番よ」との言葉が告げられて来たので、女神のブログを開くと続きの言葉が告げられて来た。
「さあ 本番よ
貴方には 是まで 何度も本番であるとの
意味の言葉を告げて来ましたが 其れは 此の世界は
何時も本番であると謂うか 臨界体制であるからです。
此方には 本番の舞台しか有りません。
ですから 何時も本番であり 架空の世界は無いのです。
何故 貴方に 本番であるかを示して来たのは
貴方の意識が 事象の流れから
一時でも離れる事を 防ぐ為であったのです。
ですが 貴方の意識が 収まるべき所に収まったので
漸く 事を動かす事ができる様に成ったのです。
其れは 貴方自身が 何かを始めると言う事ではなく
此方の動きを 人間界に
言葉で示す役割が 本格化すると言う事なのです。
其れが「統尊」の「御稜威 ・みいつ」なのです。
良いですか 一つのミスも 許されない世界ですので
其の理・ことを 心にしっかりと据え置いて掛かるのですよ。
良い子なのですから 素直に従い為さいね。
其れが 此処まで 34年間掛かった
貴方の 修行の成果なのですから。「さあ 本番よ」
いま告げられて来た、此の女神の言葉からすると、今朝のメッセージの映像は、天空に存在し、慈悲心を持って全てを管理している「宇宙神・母神・グレートマザー」が、自分の存在(すがた)を私に見せて、私の自覚を迫って来ている事が理解できる。
*「慈・ジ・いつくしむ」【解字】形声。「心+茲」音符の茲は、ふえるのいみ。子をふやし育てる心、いつくしみ・愛の意味を表す。【字儀】@いつくしむ。かわがる。情けをかける。「慈雨」Aいつくしみ。㋐あわれみ。情け。㋑父母の子に対する、また、子の父母に対する愛。Bはは(母)⇔厳(父)C衆生に楽しみを与えること。
*「悲・ヒ・かなしい・かなしむ」【解字】形声。「心+非」音符の非は、左右にわかれるの意味。心がひきちぎられ、いたみかなしむの意味を表す。【字義】@かなしむ。㋐なげきいたむ。㋑したいいたむ。Aかなしい。Bかなしみ。
*「持・ジ・もつ」【解字】形声。「扌(手)+寺」音符も寺は、止に通じ、たちどまるの意味。手の中にとどめおく、もつの意味を表す。【字儀】@もつ。手にとる。たずさえる。身につける。「所持」Aたもつ。もちこたえる。守る。「保持」「堅持」Bもちあう。つり合いがとれる。「持碁」Cさだめる。正す。Dもって(以)。
国語 @もつ。㋐所有する。㋑負担する。引き受ける。受け持つ。Aもち。㋐歌合わせや囲碁などの勝負ごとで、たがいに優劣のないこと。あいこ。引き分け。㋑所有。㋒負担。担当。 漢語林より・・
是等の今朝のメッセージは、昨日の「吹っ切れた」とのテーマの続きであり、其の吹っ切れた私の頭(脳・意識)に、新しい事象の風が吹き込んで来た事に成り、私は新しい次元に出発すると謂うか、未知の世界に足を踏み出す必要があるのだろう。
其れは、昨日の文章に小鳥の雀が「本能(遺伝子情報)に従って生きている」と書いた事と関係が有り、人間はイエスキリストが謂う「空の鳥をよく見なさい」の喩え話では駄目である理・ことが、示されて来ている事に成る。
何故かと謂うと、其のイエスキリストの言葉は、人々を煩悩の世界である人間社会から解き放つ・自由にする為の次元・世界で有り、私にとっても、其れは34年前には最も必要な言葉・世界であったのが、昨日、其の人間社会の柵(しがらみ)が払拭された事で、イエスキリストの30歳代の言葉はもう合わないと謂う理・ことであり、「大人(おとな・おてな)・翁(おきな)」の次元で物事が考える必要が求められて来ているからである。
{空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
マタイによる福音書第6章26〜28節}
考えて見れば、若し、其の時ユダヤ人がイエスを「イスラエルの新しい王」として受け入れていれば、イエスに何が出来たかと謂う事が有る。
イエスの其の時の言動は、「国・政府に税金を納めるな。」「建物には神は棲まない。参道で商いをするな。」など、当時の社会体制を壊すモノであるので、反対・逆にイエスが「王の立場・権力者」に成った時に、何ができたか疑問が湧いて来るからである。
其れは、イエスキリストの奇跡を信じた人々は、自分の生活を全て放棄しているので、国民全体が自分の持ち場を放棄してしまえば、人々は自由を得る事は出来るが、食料を生産する者が居なく成るし、物資の流通も停止してしまうので、無秩序の世の中と成り、人々は生活できなく成るからである。
其れは、釈迦牟尼世尊も出家を薦めているので、似た所が有り、現代社会で宗教に関わって生活して居る人々は、働いて居る人々からお金や物品を吸い上げている。
其の点に措いては、老子は全く別モノである。
老子は、王様の図書館に勤務して給料を貰って生活をしており、退職してからは国を一人で出て行方を晦ましている。
何故、老子は弟子や信者を一人も作らないで、一生を無事に過ごせたのか。
其れは、イエスや釈迦が生きた世の中・社会には、文字が発達していなかったので、書き物で教訓を伝播できなかったからである。
其れを考えると、現代社会は余程の未開地でない限り、学校・教育機関が有るので、自分自身で過去の聖者の教訓に触れる事が出来るので、古い体質での宗教は不必要(寧ろ害毒)と成るモノが多い事は明らかである。
其れ等の事柄を考えると、人類全体・社会機構が過去のシステムを払拭・一新して、新しい次元に進まなければ成らないと言う事に成る。・・・
「母神の御手伝い」
https://wave.ap.teacup.com/20060106/830.html
此の文章の内容からすると、今朝のビジョンで美しく戯れる雀の様子・姿を私の左側で一緒に眺めて居た存在は万物の(母神」である事に成り、昨日「愛吉」との名前・言葉を告げて来たのは、其の母神で有り、私を海原が見える丘に案内した「愛吉おじー」の娘であるとの女性の設定は、今朝顔を見せた白川家の娘と同じ存在である事に成りそうである。
其の様に考えると、私が「再録」しなければ成らない事は「万物の母神(はたらき)」に付いて、考えを再構築しなければ成らないと謂う事に成るのであろう。
若しかしたら、今朝の母神の顔は、レオナルドダヴィンチが自分の顔を老人の様にデッサンした様に、モナリザの顔を老けさしたモノであった物なのかも知れない。
どうりで何処かで一度見た様な顔であった。
其れを考えると、神々には姿や顔が無いとの事であり、此の三次元世界に遣って来ている我々人間が、勝手に神々の姿を想像・創造し、其れに名前を与えている理・ことに成りそうである。
此処で、試しに「再録」との漢字を調べると、漢語林には次の様に載っている。
「再・サイ・サ・ふたたび」【解字】象形。一つを持ち上げることによって左右が同時にあがる形にかたどり、ある一つの事がらが起きて、それに重ねてもう一つの事がらが起こる・ふたたびの意味を表す。
【字義】@ふたたび。二度。また。「再会」Aふたたびする。二度くりかえす。Bふたつ。
此の「再」の説明には、今朝のメッセージに「三つの重要事」との事が示されて来て、私が地球の自転の事を考えた事が関係が有り、地球の自転の事を掬い上げると「暦・カレンダー」の事と「地球の気候・温度・生命の存在」の事が、頭・意識に上って来た事が関係が有りそうである。
「録・ロク」【解字】形声。「金+彔」音符の彔は、水をくみあげるの意味。重要なことをくみあげて金属にしるすの意味を表す。
【字義】(一)@しるす(記)㋐書きしるす。「記録」㋑心にしるす。記憶する。A書きつけ。書きしるしたもの。㋐書きぬき。うつし「抄録」㋑品物や書物などの名を書きならべたもの。「目録」Bうつす(写)。書きうつす。Cすべる(統)。㋐とりまとめる。しめくくる。㋑とりしまる。検束する。Dあらわす。明らかにする。E歴史。「実録」(二)禄禄。(三)しらべる。しらべ考える。
漢語林より
此の禄の【解字】には「重要なことをくみあげて金属にしるすの意味」と有るので、今朝のビジョンで茶色の金属の床にシールが貼られていた事が関係が有り、【字義】には「Cすべる(統)。㋐とりまとめる。しめくくる。㋑とりしまる。検束する。Dあらわす。明らかにする。」との事が書いて有るので、今朝の「再録」との言葉は「統尊・すめらのみこと」の「御嚴・みいつ・御稜威 」にも関係が有りそうである。
何だか、確かに次元が上がって来ている様な感じがする。
令和2年10月30日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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