言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2009/3/31
弥都波能売神(みづはのめのかみ)
21・3・31
今朝のメッセージの映像は、水の世界が、三つに別れている「理・ことわり」が、文章の説明として示されて来た。
そして、次に、B4程の大きさで、厚さが3センチ程の縦形の本が一冊現れて、其の本を捲って見ると、カラー写真入りの文章が書かれているのである。
其の、写真入りの頁をドンドン捲って行くと、3分の1を過ぎる所からは、写真も文字も、色が消えてモノクロの頁に成った。
そして、其の写真入りの本は、神の世界の「日記・ブログ」の様な物である事が、理解出来た。
どうやら其の本は、此の人間が存在する世界を、天・神が、映像と言葉・文字で記録している理・ことを示して来ている様である。
其れは、一昨日、地球環境を見詰めていた存在が、昨日は、宇宙の景色を写真集にしていて、今朝は、人間が生きている此の現象世界を、人間が歴史を記録する様に、記録している事を知らせて来ている様である。
今朝の映像に現れた本は、内容の前半3分の1は、光が当っている、色着きの世界の出来事を記録した物で、後半の3分の2は、光の無い闇の世界の出来事を、記録している物の様である。
そして、其の「3・3・3」の割合こそ、宇宙が存在している理・ことわりを、示して来ているのだろう。
其の、「3・3・3」の割合の世界こそ、密教の「三密」の世界であり、日本の古事記に有る「天照界」「月読み界」「素戔鳴界」の分類の要因なのであろう。
古事記の分類からすると、「天照神」の世界の3分の1が、今朝の本のカラーの世界であり、「月読命」と「素戔鳴尊」が、影の部分と謂うか、土台の部分である理・ことを、示しているのではないだろうか。
今朝は、水の存在・はたらきが、三つに別けられていた事から、私にイメージされて来た言葉・言霊は「みつは」である。
其れは、何故かと謂うと、3月20日に告げられた「4月23日」の日付が、旧暦の3月28日で、私の身体に異変が起きて来たのが、新暦・太陽暦の3月28日で、其の日が「328・みつは」の日であるとの事が、思い出されたからである。
私の身体の変調は、3月28日に、左の後頭部が痛く成り、29日は頭全体が痛く成り、耳鳴りがして、頭を動かすとクラクラして、吐き気もして居た。
そして、昨日30日は、頭の痛みや吐き気は消えたが、右耳の鼓膜が、パタパタ音を立てる感じの違和感が有ったのである。
しかし、今朝は、何事も無かったかの様に、異常は何も無いのである。
そして、朝、事務所に出て来てPC前に座ると、女神の声で「なんでもないのよ」と有ったので、「パートナーズ」の「命を探せと云った人の名は」のブログを開いて、其の「何でもないのよ」の言葉を打つと、次の言葉が告げられて来た。
「何でも ないのよ
貴方が 気付きさえすれば それで良いのです
貴方が 其れに 気付きさえすれば
全ては うまく はこびます
貴方の 意識が 其れを 確かに 見つめて 居てくれれば
あたしが 其処に 存在できるのです
其の理に 是まで 誰も 気付かなかったのです
あたし 其のモノが 貴方の 存在であり
総べての 存在なのです
だから 貴方は あたしの 確かな 目に成ったのです
其れが みつはめの神・はたらきと 言うことなのです 」
「何でもないのよ」http://moon.ap.teacup.com/20060103/240.html
其れを打つてから、「みづはのめのかみ」を検索すると、次の様に有る。
「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」ミヅハノメは、日本神話に登場する神である。古事記では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、日本書紀では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記する。神社の祭神としては水波能売命などとも表記される。淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)である。
古事記の神産みの段において、カグツチを生んで陰部を火傷し苦しんでいたイザナミがした尿から、和久産巣日神(ワクムスビ)とともに生まれたとしている。日本書紀の第二の一書では、イザナミが死ぬ間際に埴山媛神(ハニヤマヒメ)と罔象女神を生んだとし、埴山媛神と軻遇突智(カグツチ)の間に稚産霊(ワクムスビ)が生まれたとしている。
神名の「ミヅハ」は「水走」と解して灌漑のための引き水のことを指したものとも、「水つ早」と解して水の出始め(泉、井戸など)のことともされる。古事記には他に闇御津羽神(クラミツハ)があり、これも同じ語源と考えられる。「ミツハ」に「罔象」の字が宛てられているが、罔象は『准南子』などの中国の文献で、龍や小児などの姿をした水の精であると説明されている。
─引用終了─ ウィキペディア辞典 現在記載
是に拠ると、「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」は「伊弉冉命・いざなみのみこと」の尿から生まれた事に成っている。
其れは、「伊邪那岐命・いざなぎのみこと(時間性)」の禊ぎに因り、目鼻から生まれた「天照大神」「月読み命」「素戔鳴尊」とは違い、「イザナミ・(空間性)(肉体)」から排出される「尿・みづ」から生まれたモノ・現象である。
其れに、其の弥都波能売神と一緒に生まれた神の名は「和久産巣日神(ワクムスビ)」である。
「ワクムスビの神」の名に、正確な漢字を当てれば「枠結びの神」と成り、今朝のメッセージに現れた「三つの枠組みを司る神」と謂う事に成り、其の三つの枠組みの中には「闇御津羽神(クラミツハ)」が含まれているので、「影のミツハ」である3分の2が「暗いみつは・闇328・闇水波」として、存在している理・ことに成り、今朝のメッセージの意味が解けて来る。
其れに、私が、平成元年3月13日(313)に、初めて阿蘇の「日宮弊立神宮」に参詣したら、3時33分に日の宮の神が激しく掛かって来た事がある。
そして、同じ年の5月16日に、奈良の自然農の「川口由一氏」を日宮弊立神宮に案内してから、北九州市小倉に帰って来て、救世教の自然食品店に買い物に行くと、自分の手が勝手に動いて、棚の上に有る本を一冊取って、其の本を開くと、其の頁には「岡田茂吉聖師」が死んだ・昇天した時間が「3時33分」だと記されていた。
そして、其の岡田茂吉が信仰していた神は、「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」である事も解かった。
其れに、同じ年の9月1日から日宮弊立神宮の境内に有る地球平和道場に宿泊していると、3日の夜中3時33分(3・3・33)に聖徳太子が「高天原に達した」と、伝えて来た事も有る。
「是からが本番」http://green.ap.teacup.com/20060818/465.html
其れ等の出来事を考えると、「3・3・3」の数字には、特別な秘密と謂うか、神の働きが秘められているモノと考えられる。
そして、「333」は、女性の波動・周波数であり、男性の「777」と、対に成っているのではないだろうか。だからこそ、3月3日は女の子の節句であり、7月7日の七夕の行事では、短冊に願い事の文字を記すのであろう。
其の様に考えると、「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」の名の「みづはのめ」とは、「三つ派の目」か「水波の目」の意味を含んでおり、三つ巴のマークとも関係が有るのではないだろうか。
其れは、「宗像三女神」や「住吉三神」の、水に関する三つの働きの「分けミタマ・わけみたま」「和久産巣日神(ワクムスビ)」の「概念・元意識」に、繋がっているのではないだろうか。
私が、昨日のメッセージの映像で、女性である母親を、神山に連れて行こうとしていたのは、其の「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」の源に、母親の御魂を送り届け様としていたのかも知れない。
其の様に考えると、「姥捨て山」の風習は、善い風習であり、役割を終えた老婆を、「弥都波能売神」か「闇御津羽神(クラミツハ)」の元へ、送り届ける事なのかも知れない。
其れは、老婆が耄碌・もうろくする前・確かな意識を保っている内に、神の元に還す事ではなかったのだろうか。
私は、此の世界に入った時は、数ヶ月間荒野を彷徨い歩き、幾日も山中で過ごした。其の時は、水ばかりを飲んでいたが、空腹感があるのは数日間の事であり、其れに慣れて来ると、胃腸は食べ物を欲しがる事を止めて、静かに成るので、とても気持ち良い感覚が訪れて、至福感に包まれた。
其れを考えると、歳取ってから、何時までも家に居て、家族に厄介を掛けて嫌な想いをするより、早く「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」の元に、還った方が良いのかも知れない。
しかし、現実には、山中に年取った母親を連れて行って置き去りにすれば、直ぐに警察に逮捕されて、自分が、山どころか刑務所の檻の中に、閉じ込められてしまうであろう。
私が、今朝のメッセージで感じた事は、其の三つに分けられた「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」の、働きの理・ことわりに付いてである。
其の理由・わけを考える前に、何故、暦の新・旧合わせての3月28日が、私の意識と身体に関係して来ているのであろうか。
私が、其の件に付いて考えられる事は、4月23日の旧暦3月28に向けて、私の御霊と謂うか「魂魄・こんぱく」が、変化をしていると謂う事である。
其れは、太陽暦の12月23日の冬至とは、裏返しに成っているのではないだろうか。
マヤ暦の預言では、太陽暦の12月22日で現在の世の中が終わり、翌日の23日から新しい次元が始まると言うか、始めなければ、此の世界が消滅してしまいそうな事に成っているらしい。
私は、其の事に付いては残り3年ではなく、2018年まで延長されたと知らせを受けているので、余裕を持っているのだが、現在・いま私に起きている事は、其れが延期される為の原因を、創らされているのではないだろうか。
其の様に考えると、12月23日は大体に於いて「冬至」の前後なので、太陽に関係が有り、今朝の「ワクムスビ・枠組み」からすれば、上辺の3分の1の世界であって、其の裏側には「月・旧暦・大陰暦」の水波が、3分の2隠れており、其の3分の2の部分を、是から、私の身体と意・こころを使って、調整するとの理・ことではないだろうか。
其の意味を考えると、地球生命には、太陽の光が大事であるが、全体的には水の波動の方が、容量的に大きい理・ことを意味しているのかも知れない。
其れは、「宇宙時間・トキ・事象の変化」には、みづの波動の方が力・エネルギーが強い理・ことを意味し、時間の流れは、トキを司る龍体に在るとの理・ことかも知れない。
其の、事象の流れである龍体的働きが、「みづはめ」の事であり、宇宙のアカシックレコードの渦巻きを、時間的に管理しているのではないだろうか。
私には、未だ良く理解出来ないが、宇宙の働きの象徴として、現れて来る龍神が、何を意味する物なのか、是から時間を掛けて、研究して行かなければ成らない様な気がする。
其れは、みづ →流れ →トキ・時間 →龍神 →事象 →暦 →数字 →言葉 →神 →光 →此の世 →人間の存在 →等々の、関係性である。
「弥都波能売神(みづはのめのかみ)」の別名が、「罔象女神(みつはのめのかみ)」と、何故成っているのかを考えて見た。
・「罔象・モウショウ」の「罔・モウ」は、「鳥獣を捕える網。捕らえる。」の意味である。
・「象・ショウ」は、カタチの意味なので、「罔象女神」とは「形を捕らえる女神」の意味に成り、今朝の映像に現れた、写真入りの日記帳の持ち主は、「罔象女神(みつはのめのかみ)」である事に成り、今朝の女神の言葉と、通じている事に成る。
其れは、どうやらインドの水の神である「サラスヴァティ・弁財天」と、同じ働きの女神の様である。
其れに「罔象」とは、龍の姿の事であるともされている。
いま、神奈川の高橋智恵美さんから電話が有り、今朝のビジョンには、PCのキーボードが現れて「hawk・ホーク」の文字が打たれ、男性が、其の情報を複数の男性に発信すると、ピカッと光って相手の男性に伝わって行ったとの事である。
「hawk・ホーク」とは「鷹・たか」の事である。
鷹の情報が、複数の男性に光として放たれるとの事は、古事記の物語にある、神武天皇の「金鵄」の物語を思い起させる。
其れに、エジプト文化の、「隼・はやぶさ」の姿のホルス神は男性神であり、ヘルメスの杖の把手も、同じ禽鳥類の隼・はやぶさの形である。
其れに、2006年3月17日には、私のメッセージに、其の隼の顔が現れている。
・・・今朝は、意識一杯に、ハヤブサの顔が現れた。それは、トキが訪れた事を意味している。中国の古文書にも「其のトキが来たら 先ず 禽鳥が其れを受けて 人間に伝えて来る。」と有る。其のトキ・時とは、回転する宇宙の調べの変わり目の事である。宇宙には「玄の響き」が存在し、其れが定期的に地球にも訪れる事を意味している。・・
「はやぶさがトキを運んで来た」http://star.ap.teacup.com/20121223/2.html
其れに、今年の3月13日に、暦の事が伝えられて来ており、其の3月13日の日付は、私が平成元年に、阿蘇の「日宮弊立神宮」に初めて参詣した日でもある。
「暦の分け」http://star.ap.teacup.com/20121223/101.html
一昨日29日は、旧暦の3月3日であった。
其の日が峠として、私の身体に変化が有った。残り23日で、旧暦の「3月28日・みつは」と成る。其の日までに、私のエネルギーがどう変化するかを見詰めていれば、何か謎が解けて来るかも知れない。
そして、ホルス神の正体も、明らかに成って来るのではないだろうか。
平成21年3月31日
礒邉自適
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