言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2013/4/7
のりとの言葉
25・4・7
今朝のメッセージの映像は、先ず、姿の見えない60歳くらいの男性と何処かの山中に居ると、突然山が崩れて来たので、急いで斜面の左の方に逃げ出した。
何とか、崩れて来た土砂に流されないで、安全な所まで到達して、一息つくと、今度は下の方から50歳くらの男性が、丸く巻いた山登りに使用する長いザイルを手にして、登って来た。
次の映像には、言葉が書かれた紙が入っている容器が、10個程、円形に並べられており、其の文章は、全て古く成っているので、使用価値が無くなっている事が解った。
次の映像には、新しく編まれた竹籠が、一つ映し出されて来て、其の竹籠の中には、丸められた紙クズが二個投げ込まれていたので、誰かの手が其の紙クズを取り出して外に捨てた。
今朝のメッセージの映像が、何を意味するのか分からないまま起きると、女神の言葉が有ったので、其の内容から、どうやら今朝のメッセージは、我々人間が使用する言葉が、テーマに成っている様である。
其れは、弘法大師空海が興した「真言宗」にも関係が有るのだろう。
弘法大師空海が興した真言宗は、「密教」の流れであるが、其の密教も元は釈迦仏陀の仏教の一派である。其れを考えると、今朝のメッセージは明日が誕生日である釈迦牟尼仏陀にも関係が有るのではないだろうか。
其れに「愛」がテーマに成っている事を考えると、愛を説いた「イエスキリスト」の存在も関係が有るのだろう。
しかし、其の事と、今朝の山崩れの映像には、どんな関係が有るのだろうか。
其れに、山が崩れ落ちる時には、私は姿の見えない男性と二人で逃げたが、避難した後には麓から現実的な登山者が登って来た。
山崩れの「崩・ホウ」の漢字は、「山+朋」の組み合わせで、音符の「朋・ホウ」は、「鳳・ホウ」の象形が変形したもの。鳳は、凡に通じ、ひろがり散るの意味。山がひろがりちる、くずれるの意味を表す。
【字義】@くずれる。ア山やがけがくずれる。イこわれる。やぶれる。すたれる。ウばらばらになる。Aかくれる。みまかる。天子の死をいう。「崩御」Bくずす。 漢語林より
此の「崩」の意味からすると、今朝の映像に現れた10個程の文章の入った容器が、円形に広がって言葉・文字の力を失っていたのは、鳳凰の力が失われている理・ことを、意味しているのではないだろうか。
其れに、山に姿の見えない60歳くらいの男性が存在したのは、天子が崩御した時に、山岡の山頂に祀られる事と関係が有り、「天子・天皇」の「詔・みことのり・言葉」が力を失えば、山が力を失って崩壊してしまう理・ことを、示唆しているのかも知れない。
其れに、日本の価値観には「言霊幸合う国」と有り、自然の中に「言霊」が満ちていると考えられ「敷島の道・和歌」が発達して来た。そして、天皇・大君が敷島の道を実行する事で、天地人の和合・調和が行われるとされて来た。
其れに、日本の神道では、神は「高き山 低き山の 草草の陰に棲む」とされて来ている。
其れを考えると、神霊・聖霊が棲む山が崩壊すると言う事は、言霊の世界が崩壊する理・ことに成るのである。
それに、今朝のメッセージの映像には、新しい竹籠が映し出されて来て、其れは屑籠ではない理・ことが示された。其れは、新しい言葉・祝詞を書いた、紙札を入れる為の、容器を意味しているのであろう。
言葉の「言・ゲン・ゴン」の漢字は、「辛+口」の組み合わせで、「口」は「ちかいの文章を入れる容器」の意味であると、白川静氏は述べている。
其れを考えると、今朝の映像に現れた新しい竹籠は、新しい誓いの言葉を書いたお札を、入れる物であると言う事に成る。其の様に考えると、今朝の女神のメッセージの意味が良く理解できてくる。
「真言」とは、インドの「マントラ」の訳であり、「マントラ」とは「マン」が「考える・悶・モン」の意味であり、「トラ」は「容器・皿・サラ」の意味で、マントラとは「言葉は 考える為の器である」との意味である。
其れに、弘法大師空海が「讃える神・はたらき」は「大日如来・マハーヴァイローチャナ」である。大日如来とは、「宇宙の真理の本体」との意味であり、其れを三つに分けた説明に「三蜜」が有る。
・・・宇宙の存在は大日如来の「身」であり、其の身には「意」が有り、意が有るから「言葉」が有ると言う理・ことである。
だから、正しい言葉・真言・マントラを唱えれば、宇宙の森羅万象に働き掛けが出来ると言う事である。
其れを考えると、正に今朝のメッセージの映像は、私の意識が其の「大日如来」の体内に潜り込んで居たと言う事に成るのではないだろうか。・・・
「門付けの言葉」http://green.ap.teacup.com/20060818/1835.html
・・・その3つの世界こそ、大日如来の三密である「身・口・意」の世界なのである。其の「身・口・意」とは、身が「身体・健康」で、口は「言葉・知識」であり、意は「こころ・精神」の理・ことである。
人間は、死ぬ時に「身体・肉体」は地上に置いて行く、そして「知識・記憶」と「精神・魂しい」は分離して、他の次元に移るのである。そして、新たに生まれて来る時に、約3kgの肉体と、神の「こころ・心・精神」を携えて、此の地上に生まれるのである。
そして、其の時代の知識を集め、新たな「大日如来・マハーヴァイローチャナ」を、自らの内に組上げて行くのである。其の為の舞台が、此の、美しい環境に恵まれた地球なのである。
此の、礒邉自適と名づけられた1個の個体は、62年前「霊留・ひと」として此の世界自然遺産に登録された屋久島に生み落とされ、神の働きに拠り、新しい「身・口・意」を組み込まれたのである。其れが、此処3日間で極みに達し、糸車の「芯・紀」が現れ出て来たのであろう。
「大日如来・マハーヴァイローチャナ」とは、「宇宙の真理の本体」との意味である。其の「真理の本体」こそが、釋迦牟尼佛の謂う「縁・エン」であり、日本の神道の「結び・注連縄」の意味であり、海原の生命進化のルーツである「素戔鳴・スサの尾・クサの穂・生命の鎖・いのちの連鎖」の情報の素・もとなのである。・・・
「大日如来を育てる」http://green.ap.teacup.com/20060818/1300.html
今朝のメッセージの映像で、麓から手にザイルを持って上がって来た男性は、日本の神道の「結び・注連縄」を手にして、神の棲む山に登る理・ことを意味しているのではないだろうか。
其れは、古代から世界中で行われている、山岳信仰の人間の「祷り」の行動を意味しているのかも知れない。
私が、生まれ育った屋久島では、昔から山岳信仰の形である「岳参り」の行事が行われている。そして掟には、「山岳の峰から峰は、神様の通り道だから、昼寝をしてはいけない。寝ると神様に依り憑かれる。」とも有る。
私は、其の掟に逆らって、頂上の花崗岩の上で昼寝をするのが好きであった。
其の所為で、私はこの様な人生を、送る嵌めに陥ってしまったのであろう。
しかし、どうやら其の事も、謎が解けて来た様である。其の山の掟も、私の様な状態に成った人々が居たからこそ生まれたのであろう。そして、其の事で、山岳信仰の世界が発達して来たのだ。
私は、66年間掛かって、其の事の解明をした事に成るのであろう。
後は、普通の人間に帰って、子供達に「パパ・papa」と呼ばれる存在に成れば良いのであろう。
子供達は、大人に成るまでは、自分の父親が相対物である。其れが「天の父・Father」を相対物として求めるまでは、父親が責任を持って育てなければ成らないのである。其の為には、父親が正しい言葉・真言を護っていなければ成らないのだ。
平成25年4月7日
礒邉自適
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