言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2013/12/5
139
25・12・5
本日12月5日の日付は、私が此の神の世界に1984年6月4日に入って、「新しい御世の始まりに 16年半掛かる」と告げられ、其れから29年半が経過し、今日は次の第一日目である。
今朝のメッセージの映像は、未明に、光が当たっている一枚の紙に、横書きの文章が書かれており、一番下の右側に、葉付きの大根と、イカの様な物の形が、黒い縁取りで画かれているのが映し出されて来た。
そして、右側の上に、認識記号の様に20桁程の数字が記されていた。
其れから、明け方の映像には、白い床に、白い体温計の様な物が、一本置かれているのが映し出されて来た。
次の映像には、美しいピンクの花びらが五枚、並んでいるのが映し出されて来た。
次の映像には、竹林が映し出されて来て、其の竹には彼方此方に実が着いていた。
次の映像は、私が、古くて錆び着いているレストランの調理場に居て、其の調理場が使えるかどうかをチエックしていた。すると其処に、溶接などの技術を持っている「西川良司君」が遣って来て、手伝ってくれる事になった。
しかし、壁の鉄板は錆びていて取り換える必要があり、水道の蛇口のバルブ・カランが付いていないので、新しい物と取り換えなければ成らなかった。
其れに、包丁も錆びており、錆びは内部まで侵食しているので、研いでも錆びを除去する事は出来ない事が判った。
其れに、水道が出ないので、清掃用の水を汲む為に、良司君が透明の20リットル入りのポリ容器を10個程貰った。
処が、大きな音がしたので、外に出て見ると、ポリ容器を持って来てくれた、良司君の知り合い女性の車が、他の車と衝突事故を起していた。
私は、水道を直さなければ、どうにも成らないと想って、水源地を調べる為に川の上流に上がって行った。すると、数人の小母さん達が、楽しく会話を交わしながら、月桃の葉を採って居た。
其の人達と挨拶を交わしてから、私は川に向かったが、行き着いた先が崖に成っていて、川に降りる事が出来ないので引き返した。
すると、父親が「神事・占い」を行っていた「川崎さん」が、道路際の畑に居て、清水の中に竹に通して、晒されていた色着きのタオルの様な布切れを、「お守りに」と云って、差し出して来た。
今朝の最後の映像には、自分の畑の様子が映し出されて来て、私が作物の間に間隔を置いて、支えに立てている竹に、芽が出て来ているので、抜いて見ると、土中の切り口から、発根している事が判った。
そして、最後に「139」の数字が示されて来た。
139の数字を検索すると、次の様に載っている。
【139】
139は自然数、また整数において、138 の次で 140 の前の数である。
性質[編集]
139は34番目の素数である。1つ前は137であり、次は149である。
137と139は11番目に小さな双子素数である。1つ前は(107,109)、次は(149,151)。
139 = 19 + 23 + 29 + 31 + 37 と5つの連続する素数の和として表せる。
【月桃の葉】
沖縄県の宮古島市で月桃の製品を販売. ... 月桃は沖縄に普通に見られ、九州、屋久島 、種子島や台湾、南アジアに分布する多年草芳香植物(生姜科)です。 葉の長さ ... 月桃の葉の 成分には防虫、防カビ、抗菌作用があり消臭剤や防虫剤などが製品化されています。 ウィキペディア辞典
昨日のメッセージの映像には、中年の女性達が解放される場面が映し出されて来たが、今朝の映像で、楽しく月桃の葉をと刈り取って居た小母さん達は、其の事と関係があり、自然の中で、楽しく暮らし始めた事を、意味しているのであろう。
其れと、昨日の文章には、深緑の世界に、細い線が張られていた事を書いたが、今朝の映像には、白い床に体温計の様な物が一個置かれていた。
其の体温計の様な物の意味は、此の世界・宇宙が、熱エネルギーで生じている理・ことを示唆しており、物事の始まりに、先ず熱・温度の事から考えなければ成らない事を、示して来ているのではないだろうか。
確かに、此の世界・宇宙に熱・温度がなければ、水は凍結して、生物は一切存在しない事に成る。
其の理・ことを考えると、「時間・トキ」の始まりの次に、温度・熱の事に触れなければ成らない様である。
其の事と、美しいピンクの花びらが、五枚映し出されて来た事は関係が有り、新しい事象の花が、開く事を、示唆しているのではないだろうか。
ピンク色は、物質の世界を意味し、「弁財天・サラスヴァティー」の存在にも関係が有り、女性の世界を象徴する色でもある。
今朝の映像には、緑の竹林が映し出されて来て、其の竹林に生えている竹には、彼方此方に青い実が着いていた。
竹が、花や実を着けると、其の竹林は寿命を迎えており、根が繋がっているので、全て枯れてしまうと云われている。
・・・通常、地下茎を広げることによって生息域を広げる。一部のタケ類は周期的に開花し一斉に枯れることが知られている。その周期は極めて長く、マダケの場合は120年周期であると推定されている。しかし、まだ周期が分かっていない種類も多い(日本におけるモウソウチクの例では、種をまいてから67年後に一斉に開花・枯死した例が2例(1912年→1979年・1930年→1997年)記録されている[1])。竹の種類によって開花周期に幅が見られるが、一般にはおおよそ60年から120年周期であると考えられている[2]。・・・
ウィキペディア辞典
今朝のメッセージの映像には、「139」の数字が映し出されて来た。其れは、数学的には「自然数」との事だが、偶数は混ざってはいなくて、3と9は三でしか割り切れないので、神の数字とされる「3・三・参」の世界を意味しているのかも知れない。
其れとも、「一39・ はじめサンキュウ」との、数霊でも含んでいるのであろうか。
其れに「139」を「イサク」と読めば、「イサクの燔祭」が有り、神への捧げ物が関係有るので、今朝の大根とイカの絵にも関係が出て来る。
【イサクの燔祭】イサクの燔祭(−はんさい)とは、旧約聖書の『創世記』22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話を指す概念であり、彼の前に立ちはだかった試練の物語である。その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものであった。この試練を乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって今日でも讃えられている。・・・
ウィキペディア辞典
今朝のメッセージで、初めに映し出されて来た紙面の下には、葉付きの大根と、イカの様な物の形が、黒い縁取りで書かれていた。其れは、日本人にとって身近な食べ物であり、里と海からの豊富な恵みを意味している。
其れを考えると、生命の基本を示唆しているのではないだろうか。其れに、昨日は、日本の伝統食である「和食」が、無形文化遺産登録に決まったとの事である。
しかし、今朝のメッセージの映像では、レストランの厨房がボロボロに成って使えなく成っていた。其れに、一度錆着いた刃物は、中に錆が食い込んでいて、研いでも元には戻らない事も示されて来ている。
其れ等の映像の意味は、古い世界・過去に戻っては成らないと言うか、新しい御世を創造する為には、過去の物事に一切関わっては成らない事を意味しており、手伝いに来てくれた人物の名前が「良司・りょうじ」であったのは、「良い幟を立てろ」との事を示しているのであろう。
「良・リョウ・よい」象形。穀類の中から特に良いものだけを選びだすための器具の象形。よいものを選びだすさまから、よいの意味を表す。
【字義】@よい。いい。⇔悪。ア富んでいる。豊。イすぐれている。まさっている。長じている。ウめでたい。運がよい。エやすらか。おだやか。オすなお。おとなしい。Aよく。できる。Bまことに。実に。Cやや。少し。Dてがら。いさお。Eおっと。むこ。「良人」Fすぐれた人・馬など。
「司・シ」の漢字は、「刁+口」の組み合わせで、刁はまつりの旗の象形。口は、祈りの言葉の意味。神意をことばによってうかがい知る、祭事をつかさどる・つかさの意味を表す。金文は、乱れた糸を秩序づけるさまから、治める。治める人、つかさの意味を表す。
【字義】一@つかさ。ア役人。官史。イつとめ。官職。公務。「司馬」ウ役所。Aつかさどる。職務として行う。責任者として行う。管理する。「司会」二うかがう。観察する。=伺。 漢語林より
・・・日本の「政・まつりごと」は、「神武天皇」が奈良・倭の地で2667年前に始めた事に成っているが、「塩土翁・しおつちのおきな」が神のメッセージを受けて、神武の兄弟に告げたのは、其れよりも16年半前であるから、神の指示が有ってからは「2666+16半」で2682年前である。
其の2682年前に始まった事が、現在・いま再び始まろうとしているのである。
だから、其の為に、新しいテーマの旗印が必要であり、其の旗を掲げる人間が必要と言う事なのであろう。
其れを実行する事が、「司」や「仕事」の言葉の意味である。
「司」の漢字は「神の言葉を書いた幟を立てて 神に仕える」の意味である。だから、私に、其の司の仕事を始めろとの事ではないだろうか。
「王家の旗」http://green.ap.teacup.com/20060818/243.html
本日12月5日は、旧暦10月3日で「納め水天宮」と「能登あえのこと」の儀式の日であると、近江暦に記されている。
若しかしたら、今朝のメッセージに現れた紙面に、大根とイカの姿形が画かれていたのは、其の「あえのこと」に関係が有るのかも知れない。其れに、屋久島で月桃の葉が使用されるのは、神仏にチマキ・団子が奉納される祭りの為である。
其れと、「納め水天宮」の事と、今朝、私が神事を行っていた家の川崎さんから、清水の中に竹に通して晒されていた布を差し出されたのは、水天宮の「水神」と関係が有るのかも知れない。
「文化財 奥能登のあえのこと」
奥能登一帯に伝わる田の神行事。全国的に「田の神様」と呼ばれる神事が伝承されているが、奥能登のものは、古式と厳格さをとどめており、きわめて貴重なものである。一般的に、アエは神を供応する「饗」、コトはハレの行事を意味する「事」で、「饗の事」と考えられている。
田の神は夫婦神で、稲穂で目を突いたとか、長い間暗い土の中で働いておられたために目が不自由であるとされ、所作のいちいちに言葉掛けを行なう。12月5日に、正装した主人が田まで神を迎えに行き、メバル、ブリ、二股大根など海の幸・山の幸で供応。いろりで暖をとってもらい、風呂に案内したあと、春までゆっくり休んでもらう。2月9日に再び田へ送り出す。
http://www.city.suzu.ishikawa.jp/kyouiku/bunkazai_aenokoto.html
今朝のメッセージには、竹林が実を着けている場面が映し出されて来たが、其の一方、私が畑の支柱に立てていた竹杭からは、土中で発根し、地上の竹節からは、新しい葉芽が吹き出していた。
其の意味は、全ての根が繋がっている構造・社会は寿命が尽きて、枯れてしまうが、個別に新しく挿し木した竹(存在)は、生き残って行く理・ことを、示唆しているのかも知れない。
其の様に考えると、新しい世の中とは、個人個人が自分の独立を果たす必要があるとの理・ことではないだろうか。
其れは、私が其の様に生きている事が、参考と成るであろう。
・・・其のビジョンの意味を考えると、私が大地・地球を愛しながら、新しい国造りをしなければ成らないとの理・ことではないかと、想えて来る。
確かに、国造りとは大地が必要であり、人間が建築物を建て、社会体制を整えて行かなければ成らない。何故なら、人間の手が加わっていない大自然は、国とは呼べないからである。
何故、琵琶湖を中心とした滋賀県が映し出されて来たかと言うと、琵琶湖の中に弁財天を祭る竹生島が有るからかも知れないし、天智天皇の御霊を祭る近江神宮が存在するからかも知れない。
其れに、1984年6月4日(旧暦5月5日)に、神から「人類の未来を任す 新しい国を造るまで16年半掛かる」と告げられ、其の日は2000年12月5日であった。そして、16年半とは、神武天皇が南九州を出発して、奈良で政・まつりごとを始めるまでに掛かった年数である事が判明し、12月5日は、天智天皇の息子である大友皇子(弘文天皇)が、天皇の位に着いた日である事も判った。・・・
「大地にキス」http://green.ap.teacup.com/20060818/1559.html
私は、イサクの父親が為した様に、神の祭壇である花崗岩の上に、自分自身を供物として捧げて来た。其の事も、ようやく終わりの時節を迎えているのではないだろうか。
平成25年12月5日
礒邉自適
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。