言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2017/12/23
明日何をするか
29・12・23
昨日の冬至の日を「元旦」とすると、本日は正月二日目であると言う事に成り、今日は初夢の日であると言う事に成る。
今朝のメッセージは「電光石火」との言葉が告げられて来た後に、枠内に細い横線が引かれている、紙面・用紙が映し出されて来て、「明日何をするか」との言葉が告げられて来たので、其の紙面は、日程表の様な件に付いて書く物である事が判った。
だが、其の用紙には、内容は未だ一字も記されていない状態であったので、天神の指示は無く、私自身が書き込む必要が有る物の様であった。
今朝起きた時間は「6時36分」である。
【電光石火】
1 稲妻や火打ち石が発する閃光(せんこう)。きわめて短い時間のたとえ。
2 動作が、きわめて速いこと。すばやいこと。「電光石火の早業(はやわざ)」
デジタル大辞泉
今朝のメッセージの内容から、私に考えられる事は、統尊(すめらのみこと)の働きは、初夢を頼りにするのではなく、自分自身が、明日「何をするか」を決める必要が有り、其れを日程表に、しっかりと書き付けなければ成らないと言う事である。
そうする事で、天神(てんのはたらき)が其の計画に合わせて、動き出すと言う事であり、其れが正しい「統尊」と「天神」の関係であると言う事に成るのであろう。
其れに付いて考えて居ると、「たみ・民」と「おみ・臣」との日本語が気に成って来た。
漢字の「民・ミン」は「戦いに負けて 矢・針で目を潰され 奴隷とされて働く男性」の意味であり、「臣・ジン」は「大きな眼を開いて 物事を能く見る・物事を能く知っている男性」の意味である。
其の意味を考えると「臣」の漢字はともかく、「民」の漢字は日本語の「たみ」には合っていない事に成る。
日本語に「民百姓」との言葉が有るが、其れは、元気に働く人々の事であるので、奴隷や盲人ではない。
私に考えられる事は「たみ」とは、「た」が「手綱・たずな」や「手力男尊・たじからをのみこと」「環・たまき・手巻き」の「手・た」であるので、「たみ」とは「手身」であり、其れを「鳥の手(翼)」と考えれば、「おみ」は「尾身」であり、「尾羽・舵とり・方向舵」の意味に採れ、「殿・しんがり」の役割と共通するので、「殿・王様・皇帝・天皇・統尊」の役割と同じ意味合いに成り、日本語の「おみ」「たみ」に符合してくる。
キー「民・ジン・たみ 臣・ジン・おみ」
2008/11/20・・大臣の漢字の「臣・ジン」は、大きく見開かれた目の象形で、物ごとの道理が能く見えている人の字義から、しっかりしている賢者の意味である。因みに「民・ミン」は、「戦いに負けて 矢(針)で目を潰された奴隷」の意味だから、「民主主義」とは「メクラ主義」と言う意味であり、麻原彰晃に率いられたオウム教団と同じ意味である。・・・
「君・CEOの役割」http://star.ap.teacup.com/20060505/71.html
2016/7/19・・此の女神の言葉や、今朝のメッセージの内容から考えると、私は新しい分野と言うか、人間社会の価値観を、創造して行かなければ成らないと言う事であり、其れは一般庶民の生活体系と、皇統の存在を完成させなければ成らないと言う事であり、人間社会には、其の両方が車の両輪として、完成していなければ、人間は幸福には成れないと言うか、宇宙のシステムが巧く機能しないと言う理・ことなのであろう。
其れは「民主主義」や「帝国主義」の価値観ではない、別の政治体制の概念・価値観が必要であると言う事に成る。
こうとう【皇統】@天皇の血統。A天皇が国を統治すること。大辞林 第三版の解説
「民」と「帝」の漢字に付いては、是まで下記の様に触れて来ている。
「民・ミン・たみ」【解字】象形。金文でよくわかるように、片目を針でさした形にかたどり、片目をつぶされた奴隷・被支配民族の意味から、たみの意味を表す。【字義】@たみ。㋐ひと。一般の人。「民衆」㋑国家・君主に統治される者。「国民」「人民」㋒官位のないひと。身分の低い人。「庶民」Aくらい(暗)またおろか。
「臣・シン・ジン」【解字】象形。甲骨文・金文でよくわかるように、しっかりと見ひらいた目の象形で、賢いけらいの意味を表す。臣を音符に含む形声文字に堅・慳・腎・賢などがあり、これらの漢字は「しっかりしている」の意味を共有している。
【字義】@けらい。㋐君主に仕える人。「臣下」㋑しもべ。めしつかい。「臣妾」A家来となる。家来として仕える。また、家来とする。B家来として本分を尽くす。Cたみ。一般の人民。D家来が君主に対する謙遜の自称。E昔、自分を謙遜していうことば。
「帝・テイ」【解字】象形。甲骨文でもわかるように、木を組んで締めた形の、神をまつる台の象形。天の神の意味から、天下を治める、みかどの意味を表す。帝を音符に含む形声文字に、締・諦・蹄などがあり、これ等の漢字は「しめくくる」の意味を共有している。【字義】@みかど。きみ。天子。「帝王」「皇帝」Aあまつかみ。天の神。「天帝」「上帝」Bかみ。五行の神。C大きい。
漢語林より
「民・臣・帝」http://wave.ap.teacup.com/20060106/677.html
2016/1/29・・其の映像は、フィギュアスケートで322・40点を記録した「羽生結弦」選手の様に、断トツプの成績を上げれば、誰もが感服し、文句を謂う者が居なく成る理・ことを示している様であった。
其れを考えると、私は、是まで触れて来た世界の事は忘れ去って、次の世界に飛び込んで行かなければ成らないと言う理・ことなのであろう。
そして、其の世界・教室を開けば、男女を問わず人々が元気で楽しく活きられる事が示されて来て、其れは民主主義の概念ではなく「臣主主義」の世界である事が示されて来たので、今朝の文章の題は「臣主主義」とした。
私は、本日69歳の誕生日を迎えた事に当たって、再び、新しい次元に旅立たなければならないのであろう。
其して、「臣・大きな眼・物事を見通す目・プロビデンスの目」を持つ者達に拠り、臣主主義の世の中が確立される事になるのである。・・・
「臣主主義」http://green.ap.teacup.com/20060818/3741.html
2017/2/2・・昨日は、眠る為に目を閉じて居ると、若者が一列に並んで、次々に私の顔と言うか存在を、覗き込んで来る場面が映し出されて来た。
そして、眠ってからの映像にも、人々の姿が映し出されて来て、「善良な車」との言葉が告げられて来た。
今朝のメッセージの映像は、其れだけであり、「善良な車」との言葉に全ての意味が含まれている様である。
善良な車とは、「善良な人々が押す神輿・みこし」との意味合いが有り、諺に「駕籠に乗る人担ぐ人 其のまた草鞋を作る人」に関係が有りそうである。
駕籠(かご)に乗る人担(かつ)ぐ人そのまた草鞋(わらじ)を作る人 の意味
世の中には階級・職業がさまざまあって、同じ人間でありながらその境遇に差のあることのたとえ。また、そのさまざまの人が、うまく社会を構成していることのたとえ。 出典:デジタル大辞泉
其れを考えると、昨夜寝る前に映し出されて来た場面は、私が神輿の中に座って居て、其れを若者達が一列に並んで、覗き込んでいたと言う事に成り、新しい時代の幕開けに、其の様な出来事が、必要である理・ことが、示されて来ているのではないだろうか。
其れは、私自身が、今更、駕籠や神輿に乗るとか言う事ではなく、未来を担う若者達に、現在の大人の世界に「随・ズイ」するのではなく、自分達で代表者を担ぎ出す事を、考えさせる必要があると言う事なのかも知れない。
其れに「善良な車(みこし)」との意味は、善良な人々が担ぐ神輿との意味合いが有るので、善良な人々を集めるか、善良な人々が住む市町村が、必要であると言う事に成る。
だが、現在・いまの現状では、「神輿・山車」は庶民の祭りに繰り出される物であって、真実の「皇帝・天皇」が御幸(みゆき)に乗る物でもなく、神霊を厳かに運ぶ物でも無くなっているのが現状である。
其れを考えると、今朝示されて来た世界は、非現実的な事であり、現実化させる為には、社会構造変革と言うか、抜本的な人間意識改革が、必要であると言う事に成る。
だが、現在の学校教育は「民主主義」の名に拠って、日教組(社会主義)または共産主義の人達が「天皇制度」だけではなく「神様・神霊・霊魂」の存在を拒否して、生徒を指導しているので、一般的な社会活動には成りえないのが、現状である。
其れに、民主主義を唱えていても、「民主主義」との言葉・漢字は「民・ミン」が「戦いに負けて 矢(針)で眼を潰されて 奴隷にされた者」の意味なので、其れは「目暗を主にする主義」との意味との意味になり、本来の「デモクラシー・democracy」とは、かけ離れていると謂えるだろう。
「善良な車(みこし)」http://green.ap.teacup.com/20060818/4134.html
本日12月23日は、天皇陛下の84歳の誕生日である。
私は、其の父である昭和天皇の御大喪の日(2月24日)に、「我が身既に遠く 良き代を願い奉る」と告げられて来た。
其れに、天智天皇祭の日に「神籬の代々の乱れを盃に菊一輪と輪廻飲み(ひもろぎの よよのみだれを さかづきに きくいちりんと まわしのみ)」と告げられて来たし、後醍醐天皇の御霊にも接触を受けている。
そして、此の世界に飛び込んだ日(1984年6月4日)には、神武天皇の御霊の指令を受けて、私の行動が始まっているのである。
「天皇霊 其の一 天智天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/63.html
「天皇霊 其の二 昭和天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/64.html
「天皇霊 其の三 後醍醐天皇」http://star.ap.teacup.com/20060505/91.html
「天皇霊 其の四 神武天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/567.html
其の神武天皇の御霊の指示は、「残り16年半しかない」であり、其の16年半とは神武天皇が南九州を出発してから、奈良で政治を始める迄の期間と同じであり、其の16年半目は2000年12月4日で、其の12月4日は金鵄降臨の出来事を祝う大祭が開かれる日である。
【金鵄(きんし)】は、『日本書紀』に登場する日本建国を導いた金色の鵄。後に無血勝利の象徴。
概要
『日本書紀』の記述では、初代天皇となる神武天皇が長髄彦と戦っている際に、金色の霊鵄が天皇の弓に止まると、その体から発する光で長髄彦の軍兵たちの目がくらみ、天皇軍が勝利することができたとされる。この霊鵄を指して「金鵄」と呼ぶ。
神武東征の際、熊野から大和へ天皇の軍を道案内した八咫烏と混同、あるいは同視されることが多い。金鵄と八咫烏が同一であるか、それとも別の存在であるかはっきりしないが、いずれにしろ日本建国に関わった霊鳥として、吉事や勝利あるいは建国の代名詞として使われ、特に大日本帝国時代には意匠や名称が多方面で使用された。
また、平安時代から存続する賀茂神社においては、金鵄および八咫烏ともに、賀茂建角身命の化身とされており、この二つを合わせて「金鵄八咫烏」と呼び祀っている[1]。
ウィキペディアフリー百科辞典 2017/12/23現在
此の「金鵄」及び「八咫烏」の存在は、太陽神の使いであるので、今朝のメッセージは昨日のメッセージの続きであると言う事に成る。
其れを考えると、新しい世界の暦・カレンダーと謂うか、歴史の発動は冬至の日にしなければ成らないと言う事であり、2008年12月29日に告げられて来た「18年」との数字は、2018年の冬至を示唆しているのかも知れない。
いま、来年の暦・カレンダーを調べると、来年の冬至は12月22日(旧暦11月16日)月齢14・8である。
そして、今上天皇は2018年度・平成30年度末の3月31日を持って退位する。
2008/12/29・・今朝の映像には、新しき「海神」のHPと、18年の数字が示されて来た。
其れは、新しい海神の働きが開始される事を意味し、2018年か、是から18年後に、新しい御世が完成するとの知らせではないだろうか。
18年が、2018年の事であれば10年後であり、18年後であれば2026年である。
どちらにしても、4年後に迫った2012年12月23日の次元変化は、先送りされる事に成る。・・・
「海神・わたつみ」http://green.ap.teacup.com/20060818/
昨日は夕食を済ませ、少しの間ウトウトして居ると、瞼に顔は見えないのだが、双子の様に感じる若い人間の姿が、同じ球体を踏み台にして、左右に伸び上がっている姿が映し出されて来た。
今、双子座を調べると、世界中で其の双子座の二星が、蟹などの二つ目に例えて認識されている事が判った。
其れにギリシャ神話での双子座は、男子の双子であり、母親は「レーダー(光・根元?)」である。
其れが冬至(太陽の復活)の日の出来事である事を考えると、昼間の太陽の存在だけではなく、見えない時の太陽の働きも考えなければ成らないと言う事が、示されて来ているのかも知れない。
2017/9/20其れから再び眠ると、「見えないときの太陽」との言葉が一言告げられて来た。・・・
「自分との答えはブッダ」http://green.ap.teacup.com/20060818/4374.html
2010/1/27「黒い太陽」http://green.ap.teacup.com/20060818/1418.html
2008/11/30「白金の太陽」http://green.ap.teacup.com/20060818/968.html
「一年の計は元旦にあり」との諺が有る。
其れを考えると、私自身が何等かの事を考えると謂うか、求めなければ、天神が動き様が無いと謂う事に成るのではないだろうか。
其れは、私が書いた書物・記録が有れば、天神の働きが、人間界に確認される動機と成るからである。
そして、太陽のシンボルが国旗である「日の本国」の、大和言葉の「おみ」と「たみ」のバランス感覚が、復活する事に成ることを、新年に禱る私がいま此処に存在するのである。
平成29年12月23日
礒邉自適
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