言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2020/11/5
水の世界を通り抜ける
2・11・5
今朝のビジョンは、私が魚の形をした石を水中に投げ入れると、其の石は水中の岩壁を避けながら、ひらひらと魚の様に泳いで行くので、私は不思議と謂うか・面白いので、自分も水中に入って其の後を付いて行った。
すると今度は、途中に美しい翡翠色で、鳥の様に羽毛が生えた魚が泳いでいるので、今度は、其の魚の後に付いて行った。
そして、日当たりの良い世界に到着して、其の羽毛が生えた魚は、何処かに飛び去ったのか、姿が見えなくなった。
其処で、「水の世界を抜けた」との言葉が一言告げられて来たので、意識が目覚め、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時27分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、私の事を理解する40歳代の元気の良い、会社を経営している男性が登場して、私は其の男性が気に入ったので、「名刺をください」と謂うと、其の男性は「以前に天波博文氏の集まりで遭って渡してある」と謂うので、私の右後ろに居る秘書の様な男性に、「探してくれ」と謂うと、持って来た物は、名刺を二枚の写真(自然の景色)に挟んである物であり、月日が経過しているので、くっ着いていており名刺を剥がし取って見ると、苗字の方は「益子」と読み取る事が出来たが、名前の方は湿気でボヤけて判別が出来なく成っていた。
其れで、其の男性社長を找して視たが、既に何処かに去った様で見付からないのである。
そして、もう一度名刺の方を見ると、其の名刺には「サンウエーブ」と記されている事が判った。
其れから「てるてる(照る照る)」との言葉が告げられて来たので、起きて時計を見ると、時刻は「8時49分・9時11分前」であった。
其れからPCを立上げ、起こされた「6時27分の数字から、6月27日の文章を視て見ると、次の様に書いて有る。
2020/6/27今朝のビジョンは先ず、私の意識が、太陽光・日当たりの良い山丘が連なる谷間の村々を視て廻っている様子が映し出されて来て、私が通過した場所の跡には、足跡を意味するのか「点々・・・」や、コースの意味なのか「線 ―」が残っている映像が映し出されて来た。
そして、場面が変わり、其の点と線は、私の現地調査後の記録・報告文書の事を示唆している事が、示されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「2時31分」であったので、私は其の数字を「231・ふみはじめ・文始め」と記憶して再び眠った。
すると今度は、戦争で焼けたのか、大津波が襲って水に浮く物が全て流されてしまったのか、鉄や石の様な物しか残っていない町の址が映し出されて来て、私は一人で其の中を歩いて、砥石や金梃子(てこ)等を拾いながら、歩いている場面が映し出されて来た。
次に、私は定期船が通っていない離れ小島に、自宅と成る家を手に入れて、生活用品を揃えて居る場面が映し出されて来て、其処は他人の影響が何も無いので、静かに暮らせる事を確認して、安らかな気分に成って居た。
だがガスコンロのガスが無いので、煮炊きをする竈を作らなければ成らないと意って居た。
次の映像は、其の小島ではなく、本土の様子が映し出されて来て、地面には毒の有る「水仙」しか生えていない様子が示されて来て、其の理由は食料難の為に、他の毒の無い草が、全て食べられてしまった結果を示している事が、理解されて来た。
次に、人間が通らなく成った山道に、木々が育ち始めている様子が示されて来て、森の中では、私の知り合いらしき樹医をしている男性が、老木(御神木)が出来るだけ長生きする様に手入れをして居る場面が映し出されて来て、私は其の男性と樹木の事に関して色々話して居た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「4時55分・5時5分前」であった。
其れから再び眠ると、今度は雨音と共に雷鳴が轟き始めた。
そして、其の音を聞いて居ると、空気中に溜まって来ている「+・−」の電気粒子の所為か、雷から空中に放射・伝波されている「電気・磁気・大山祇神」との繋がりなのかは判らないが、様々な世界が瞼・脳裏に映し出され始め、私は其の映像が余りにも現実的な場面なので、昔の人が雷を「かみなり・神鳴り」と呼んだり、「神・シン・ジン」の漢字を「示(祭壇)+申(電気・雷)」としているのかが、理解される様な気がしてきた。
其れから、女性・女神の聲で「現れたくない」との言葉が一言告げられて来た。
其れは、地球全体・生命全体の事を考える女神が、暴走・破壊を止めない人間の数を減らさなければ、どうにも成らない次元に至っているのだが、其れを始めれば、感謝される所か、逆恨みされて、「悪魔・悪神」であるかの様に受け取られかねない事を、気にしている事が理解されるモノであった。
其処で起きて時計を見ると、時刻は8時24分である。
今朝の最初の場面は、太陽の「陽」の漢字と、「郡」の漢字の世界が示されて来ており、人間の暮らしの原点を見つめ直す必要がある事が示されて来ているようである。
キー「陽 郡」
2014/9/14本日の日付は「9・14」で、149の数字は123の二乗である。
第一次世界大戦は、1914年に始まり、第二次世界大戦(日本参加・太平洋戦争)は、1941年に始まっている。
今朝は、起きて洗面を済ませ、PCの前に座ると「愈々ですね」との言葉が有ったので、女神のブログを開くと、続きの言葉が告げられて来た。
「愈々ですね」
貴方の本番が 近付いています。
貴方は 既に 御存知の様に
自分の躰は動かさなくても 事は順調に進んでいます。
貴方は 動かない事で
貴方の能力は 最大限に生かされているのです。
ですから 此方の準備も 順調に整っているのですよ。
よくしたもので 其の方が 皆が遣り易いのです。
何故なら 皆に自由が 生まれるからです。
是までの 八回の失敗は 其処に原因があり
頭がこければ 全体が こけてしまったからです。
どうやら 貴方には もう 其れが無いようですね。
良いですか 考える事と する事は 別なのですよ。
貴方は 良く解かっていると 想いますけど。」「愈々ですね」
今朝のメッセージの映像は、先ず、昨日の続きの様で、神の光の中で、人間の躰の五臓六府の仕組みや、五感である「視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚」などの働きが、全てバラバラにされて、其の働きを、明確に認識する必要がある事が示されて来た。
其れは、男女の肉体の仕組みの違いや、五体の骨組・筋肉組織・神経組織・血管網などや、爪・髪・髭・歯、其れに脳の働きなど迄、全てを認識する事である。
次の映像は、雪が降っている真冬の天候の中に、私が歩いて居り、途中で数人の女性が、氷が張る湖の側の土地で、食べられる野草を雪の下から捜し出して、摘み採って居るのに出会った。
其の中の一人が、私が普通の服装をしているので、自分の黒い毛皮のコートと、帽子と手袋を貸してくれた。
私は、其れを着て、自分も野草摘みを手伝っていた。
すると、誰かが、車で私を迎えて来たので、借りて着ていた物を脱いで、其の女性に返した。すると、其の女性が、心配そうに「大丈夫ですか」と、私に問うた。私は、其の慈愛に満ちた女性の顔を見て、何処かで会った事のある、懐かしい顔であると思った。
だが、其れが、誰だか判らないでいると、映画で観た事のある、イエスキリストの母親「マリア」ではないかと思えて来た。
其処で一度目覚めて、トイレに行き、再び眠った。
すると、木造の古い田舎の家屋の中に、私は居て、他にも数人の同じ年代の男性が居て、土間で薪ストーブ焚いて暖を取っていた。
そして、私が外に出て見ると、30代後半の男性が三人来て居て、巻尺で屋敷の周囲を計測して居るので、私が「貴方達は 何をして居るのか」と厳しく尋ねると、責任者の男性が「貴方が 代金を払わないので 利息が膨らんで300万円を超えたので 屋敷を競売にかけるのだ」と、言うのである。
私は、物を買って代金を払っていない覚えも無いし、屋敷を抵当に入れた覚えも無いので、其の男性に「会社と自分の名前を云え」と言ったのだが、其れに対して何も返答をしないのである。
其の様な問答をして居ると、其の男性の仲間が二人・三人と次々に遣って来て、段々の数が増えて来たので、私は其の人達に、日本語の「ひと」との言葉は、「霊留・ひと」で「霊が留まる」との意味であり、霊魂が留まって居無い人間は、「只の空だ・ただの肉体だ・殻」と、説教を始めた。
すると、段々の人数が増えて来て、屋敷内に入り切れなく成って来て、近所迷惑に成るので、観覧席の在る競技場の様な所に移動した。
そして、其の競技上の様な場所も一杯に成って来た。其れは、男性ばかりなのだが、中に三人だけ女性が並んで座っていた。
其れから、自宅に帰って居ると、大きな車の後部座席に、60歳位の立派な男性が三人乗って、私を訪ねて来た。
そして、其の三人の男性を家に通すと、私の書いた文章が、長々と映し出されて来て、其の文章の中に「阝」と「易」の文字が有る事が、強調されて来た。
今朝のメッセージの映像は、其れだけなのだが、全体的な繋がりが、私にも良く解からない。
今朝の映像で、雪の中で野草を摘んで居た、数人の女性の他は、私の所に集まって来たのは全て男性だったのだが、観覧席に三人だけ女性が居た。
其の三人の女性は、姉妹の様だったので、「宗像三女神」を意味していたのかも知れない。
そうすると、最後に、私の家に訪ねて来た立派な三人の男性は、「造化三神」だったのかも知れない。
其の様に考えると、今朝の映像に登場した人物は、全て現実界の人々ではなく、神界か霊界の人々であったと言う事に成って来る。
何故、今朝の映像で、何百人もの男性が、私の話を聞きに、集まって来たのであろうか。
其れは、今朝の女神の言葉に有った様に、愈々本番が始まるとの事であり、此の三次元世界である現実界にも、何等かの兆候が表れるのであろうか。
今朝のメッセージではっきりしているのは、私が、多くの男性に説法を始めた事と、私の長い文章が映し出されて来た事である。
其の私の文章の中には、「阝」と「易」の文字が有る事が強調された。
其の「阝」と「易」の文字は、合すと「陽」の漢字と成り、太陽の陽である。
*「陽・ヨウ」形声。阝+易。音符の易は、日が上がるの意味。おかの日の当たる側、ひなたの意味を表す。」
【字義】「@ひ(日)。Aひなた。日の当たる所。山の南側。川の北岸。B易の用語。天・春・夏・日・天子・君主・父・夫・風・火・剛・仁徳・奇数などのように、主に積極的・男性的な性質を持つもの。Cあらわれる。また、あきらか。Dそと(外)。うわべ。また、うわべだけの見せかけ。Eきよい。すむ。
Fたかく大きい。また、貴い。Gいきる。また、生。Hいつわる(偽)。
漢語林より
其の、陽の文字を使用した言葉には、次の様な単語がある。
「陽澤」天子の恩徳をいう。
「陽道」⇔ 陰道。@陽の道。男子。君子。父・夫として取らなければならない生活態度。A太陽の軌道。B男子の生殖力。C山の南側の道。
「陽徳」@陽気。万物を成長させる気。A太陽。
此の、「陽」の文字の意味を考えると、慈悲の顔を持つ聖母マリアらしき女性が、厳寒の中で野草摘みをして居たのは、ただ単に「飢え」を意味しているのではなく、「陰徳」の世界を示していたのではないだろうか。
「陰性」⇔陽性。@暗い・消極的な性質。
「陰道」⇔陰道。@陰の道。臣・子・母・妻としてとるべき道。A喪事や戦争。B月の軌道。C女子の生殖力。D山の北側の道。
「陰徳」@人に知られない善行。A地の徳。地が万物を育てている徳。
転じて婦人の徳。婦徳。
*「陰・イン」は「阝+侌・今」の組み合わせで、音符の「今」は、含に通じ、含むの意味。雲が太陽を覆い含む意味から、くもり・かげの意味を表す。のち、篆文は、云を付し、雲につつまれるの意味を明らかにした。
【字義】@かげ。アひかげ。日のあたらないところ。㋑物におおわれている所。「樹陰」㋒山の北側。また、川の南岸。Aおおう(蔽)また、おおい。Bくもる。かげる。C移って行く日かげ。転じて、時間。「光陰」D暗い。Eしめる。また、しめり。Fひそかに。ひそか。G男女の生殖器。特に、女性についていう。H易学の用語。陽(男性的・動・剛)に対して、消極的・女性的なもの。地・水・女・静・内・夜・月・雨・寒・秋・冬などをいう。⇔ 陽。
此の意味からすると、空が曇り、雪が降る厳寒の中に居て、湖の側の大地から、野草を摘み採って居た女性達と、慈悲深い聖母マリアの存在は、正に其の「陰」の世界を表している。
と言う事は、今朝のメッセージの映像は、最初に映し出されて来た、人間の肉体の働きを全てバラバラにして、其の部分的な働きを、再確認する事が求められて来た事と関係があり、先ず「男女・陽陰」の役割から理解する事を、示して来ている事になる。
此れは、ナカナカ大仕掛けの学問の世界であると言うか、確かに、「大学・おおきなまなび」の世界が示されて来ている事に成る。
其れを考えると、今朝PCに向かった時に、先ず、女神の言葉で「愈々ですね」と告げられて来た事が、信憑性を持つと言うか、天神・宇宙意識の働きの大きさが、能く理解されて来る。
老子の「タオ・道」の世界は「陰陽」がテーマであるが、弘法大師空海も「乾坤は 教籍の箱なり」と謂っているので、私は、其の二人が謂う世界に、入り込んで行く事に成り、其れが、「愈々私の本番である」と言う事なのかも知れない。・・・
「阝+易=陽」邑(阝)部
阝・おおざと偏 邑が旁になるときの形。邑(阝)を音符として、人の住む地域・地名を表す文字ができている。
こざと‐へん【▽阜偏】 の解説
漢字の偏の一。「防」「隊」などの「阝」の称。
[補説]漢字の右側にある「阝」は「おおざと」という。
「郡・グン」【解字】形声。「阝(邑)+君」音符の君は、群に通じ、むれの意味。邑は、むらの意味。村の一郡、行政単位の一つを表す。
【字義】@こおり。グン。周代以後の地方行政区画の名。周代は県の下。戦国時代以後は県の上。Aつかさ。郡の役所。国語。グン。日本の地方行政区画の一つ。府県の下。
漢語林より
今朝のビジョンは、私が進んで行く方向の左上に太陽が有る事で、右側に縦に繋がる山・岡は、全て「日向・ひむか・陽向か」であり、太陽光を谷合いにまで目一杯に受けており、其の谷合いから流れて来る水に拠って、豊な生活を続けて居る人々の邑が、谷間毎に並んでいる事が判った。
其れは「小郷偏」が、一個所の邑を意味し、幾つも其の邑が繋がっている・群れているのが、のが「大郷偏・郡」である。
其れは、其の様な環境条件の下で生活して居る人々には、今朝女神から告げられて来た「現れたくない」との言葉は、関係が無い事になり、今朝のビジョンの滅びの世界は関係が無い事に成る。
其れは、今朝起こされた時刻が「8時24分」であった事と関係が有り、昨年の8月24日の文章が「老子の理想郷」である事と関係が有るのだろう。・・
此の文章の内容からすると、今朝最初に起こされた時刻が「2時31分」であり、私が其の数字を「231・ふみはじめ・文始め」と記憶した事は、岡本天明に6月10日「時の記念日」から「天之日津久神社」の祠の前で始まった、「一二三神示・霊文神示(ひふみ)・日月神示・天津霊継神事」の世界と関係が有り、「老子の桃源郷」の言葉を「心の指針・魂しいの柱」にしなければ成らないとの事なのではないだろうか。
其の様に考えると、日月神示に有る「道院殿老祖様(老子から派生した概念)だけを中に祀り 他の神は外に祀れ」とある事と関係が有り、其の老子の理想郷の教訓こそが、現在大問題と成っている「コロナウイルス感染」の良薬に成る事は間違い無い様である。・・
今朝の最初のビジョンは、私が屋久島の東南向きに位置する矢本嶽の山懐に産まれ育った事と関係が有り、太陽の光を全身に浴び、雷のエネルギーをチャージしながら、思考を膨らました事が、其の儘「天の御臥す間(あめのおふすま)真床 襲衾(まとこおふすま)」の温床・土台・基礎に成っている理・ことが、表されている事に成る。
其れを考えると、私の意識の寝床は「日向」であり、「日高見の国」の伝統を宿している事に成りそう・・
其れに起こされた5時5分の数字は、今年の5月5日の文章の題が「光のエナジーが神」であるので、今朝の最初のビジョンと関係が有り、母神は太陽(恒星)の神であるのかも知れない。
「231・文始め」https://green.ap.teacup.com/20060818/5407.html
此の文章の内容からすると、今朝のメッセージに示されて来た「サンウエーブ(太陽と波)」「天波博文」「照る照る」は、「太陽・天照大神」に関係が有り、私は「水」→「石・石工」→「翡翠(かわせみ)・羽毛の生えた蛇」→の世界・次元を、泳ぎ切って、「太陽」の世界に出た事に成りそうである。
其れは、私が1984年11月22日に、伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」が告げて来た「最後のトンネル潜り」に成功した事に成りそうである。
2008/6/3・・私は1984年11月22日に、三重県志摩市磯部町上之郷に「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」が存在す磯部町で、男性神である「天照皇大神」が霊夢に現れ、「此れまでに トンネル潜りに八回失敗して、今回が九回目であり、此の地球では最後のチャンスである」と告げられている。・・・
「定着した画像」 http://green.ap.teacup.com/20060818/770.html
其れに、登場した男性社長の苗字が「益子」であった事から、「益」の漢字を調べると次の様に載っている。
「益・エキ・ヤク」【解字】象形。皿に物を大きく盛り上げた形にかたどり、ます・あふれるの意味を表す。常用漢字は省略体による。
【字義】@ます(増)。㋐ふやす。加える。「増益」㋑加わる。㋒富む。多くなる。Aためになること。役にたつこと。「有益」Bもうけ。利益。また、もうける。⇔損。C多い。また、多く。Dますます。いよいよ。
漢語林より
此の益の意味からすると、「益子」とは、「増やす子・ためになる子・いよいよの子」との意味合いが有り、私は伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の希望に、沿えた事に成るとの事なのかも知れない。
『貴方の為しえた事は 是まで 誰も出来なかった事であり
其の業績は 何物にも替え難い 結果を齎したのです。』11時31分
今朝「てるてる・照る照る・輝輝」との言葉が告げられて来た、9時11分前の数字から、今年の9月11日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。
2020/9/11本日9月11日は、「アメリカ同時多発テロ事件」から丸19年の日である。
今朝のメッセージは、其の事と関係が有るのか、金メッキの人間と、典型的な暴力人間の存在が映し出されて来た。
今朝のビジョンには、先ず、頭以外の肌と歯を全て金箔で覆って、其の出来栄えに喜んでいる男性の存在が映し出されて来た。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「6時13分」であった。
其れから再び眠ると、今度は、今は誰も住んで居ない、私の屋久島の実家の敷地の中に、重機を使って、奥の山林に続く道路を造る工事が行われており、私が其の道路を進んで行くと、20歳代の若者が居るので、「何をしているのか」と訊くと、「父さんが上に居る」との事なので、奥に進んで行くと、如何にも暴力的な50歳代の男性が居て、勝手に此方の土地の中に、人間の手では抜けない大きな紅い境界杭を立てているのである。
私が、「此方の土地に 何故勝手に 道路を通しているのか」と言うと、如何にも暴力を振るいそうな雰囲気で、私の方に向かって来たので、私は、周りに誰も居ないし、殺されて埋められてしまう可能性が有るので、警察官を立ち合わせなければ、話に成らないと意い、引き下がる事にした。
其処で意識が目覚めたので、照明を点けて時計を見ると、時刻は「7時7分」であった。
其れから再び横に成り、私は、今朝のビジョンから他の生き物には無い、人間の個人的な我欲・権力欲・物欲などに付いて、様々な事を考え始めた。
そして起きた時刻は、8時15分である。
今朝は、何を書いて良いのか分からないので、取り敢えず起こされた時刻「6時13分」「7時7分」「8時15分」の数字から、6月13日・7月7日・8月15日の文章を視て見ると、次の様な事が書いて有る。・・
此の「至難の業」との言葉は、今朝のメッセージと関係が有り、人間の「我欲・エゴ(利己主義)」を止める事は、正に「至難の業」である事に成る。
其のテーマは、釈迦牟尼世尊の仏教のテーマであるが、2600年が経過しても解決できないテーマ・課題であり、其れは、現在の「民主主義」「資本主義」や「共産主義」「社会主義」でも解決できてはいない。
此の「適性」との言葉と「天照坐皇大御神御魂」との神名の関係を考えると、天照坐皇大御神御魂が祭神である「伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)」の参道の石塔に刻まれている神紋が「六芒星」である事と関係が有り、其れは「須佐之男尊・すさのおのみこと」の神紋が「亀甲紋・六画」である事に繋がり、何らかの仕組み・形を整えなければ成らないとの事であり、其れは「適性」に合わせた「人材の選択」と「組み合わせ」が求められて来ているのではないだろうか。
てき‐せい【適性】 の解説
性格や性質が、その物事に適していること。また、その性格や性質。「適性を見る」「適性に欠ける」 国語辞典より
キー「六芒星」「亀甲紋」・・
今朝の文章の題は、「産毛が何も感じない人々」とした、其れは私が36年前禊ぎ祓いの儀式を行ってから、荒野で裸生活を始めた時に、産毛で空気の流れを感じ取り、全生物との命の遣り取りを出来る様に成ったからである。
だが、今朝のビジョンに映し出されて来た人間の様に、全身に金箔を貼ってしまえば皮膚呼吸が止まってしまうし、産毛が「風・氣」を感じ取れなく成ってしまうからである。
「産毛が何も感じない人々」https://green.ap.teacup.com/20060818/5484.html
此の「産毛が何も感じない人々」との言葉は、昨日のメッセージで私が短パン一枚の姿であった事と関係が有り、私の皮膚感覚は、世界自然遺産に登録された屋久島の自然の中で産まれ育った事と関係が有り、人類が服を着る前の時代(次元)まで、遡ったと言うか、人類の其の儘(本来)の感覚を、取り戻したと謂う事に成るのであろう。
今朝の由香のビジョンは、其の事と関係が有るのか、大好きだったが夢には殆ど登場した事の無い父方の祖父【1978年12月21日(旧暦11月22日)没・葬式は12月23日】が登場して、客人の一人が持って来た茶葉を使用して、中国式でお茶を淹れて腕前を披露しており、親戚らしき品格のある客人をもてなす様子を、部屋の隅から眺めていると、自分の目の前にも湯飲みにお茶があり、一口飲んでみると、今まで飲んだお茶とは比べられないほどの、豊潤な芳香と深みのある味を、一口ずつ味わいながら全て飲み尽くして、余韻に浸っていると、次の場面では、其の客人の著書が目の前で開かれており、其れを黙読していると、「手前は水を扱う商いをしておりますので・・・」と書いてある箇所が目に入って来たので、水を扱う仕事をしているから、厳選された茶葉も、一緒に持ち歩いている事に納得していたとの事である。
其の由香のビジョンも伊雑宮・いざわのみや(磯部の宮)の祭神である「天照坐皇大御神御魂 ・あまてらしますすめおおみかみのみたま」の世界が、開闢した事を示して来ているのではないだろうか。
何れにしても、私は、36年5ヵ月前(1984年6月4日旧暦5月5日)に父親が彼の世から20年振りに4311体の神霊を伴って還って来て、「お前に苦労を掛けたのは お前の精神を鍛える為であった。もう大丈夫だから 此の人達に身体を貸せ。だが、仕事だと意うな 遊びだ 遊びだと意って行け。」と謂った事を、守り切った事に成りそうである。
其れを考えると、今朝女神が告げて来た『貴方の為しえた事は 是まで 誰も出来なかった事であり 其の業績は 何物にも替え難い 結果を齎したのです。』との言葉の意味も、能く理解されてくると言うものである。
今朝の題は、告げられて来た「水の世界を通り抜ける」とした。
其の言葉は、仏教の「彼岸に渡る」との言葉と関係が有り、其の彼岸の世界の次元が2600年振りに、人間の頭・意識に、新風を吹き込む事に成るとの事なのではないだろうか。
令和2年11月5日
礒邉自適
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