言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2001/8/13
「カン」の箇所には辞書の字を入れて読んでください
「萑・カン」
13・8・20
1999年1月20日の夢に、私に対して「求める」との意識が現れて、「萑・カン」 の文字が映って来た。
私は、朝起きて「 カン」の文字を、漢語林で調べて見た。
「萑」 は「古字参考」で、@スイ A漢・カン 呉・ガン と読み、【解字】形声。「艸+隹」。【字義】(一)@草の多いさま。A薬草の名。めはじき。やくも。(二)@おぎ。荻のじゅうぶんに成長した物。若いものを菼(タン)という。A萑蘭は、涙の流れるさま。と 載っている。
何故、この「萑」文字が「求める」の意味と、一緒に出てきたのだろうか。
誰かが、私に、何かを求めて訴えている事は分かったので、しばらく考えてみた。
すると、頭に浮かんで来たのが「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る 其の八重垣を」の歌である。
この歌は、日本初の和歌として伝えられている歌で、島根県雲南市(旧大原郡大東町)須賀に在る「須我神社・すがじんじゃ」が発祥とされている。
須我神社は、「須佐之男命」と「櫛稲田姫命」が新居を構え、住み着いた場所として伝えられ、夫婦と、長男である「清之湯山主三名狭漏彦」が、共に祭神として祭られている。
私は、1998年の11月1日より、この大東町に住み、よく須我神社にはお参りをしている。
だから、私に、何かを求めて来たのは、須佐之男命ではないかと想い、歌の意味から、須佐之男命の気持ちになってイメージをして見た。
歌には「八雲立つ」と有るが、「八重雲・やえぐも」と言うのは自然だが、「八雲立つ・やくもたつ」と言うのは変だし、雲は「たなびく」とは言うが、「立つ」とはあまり聞かない。
私が、辞典を出して調べてみると、古事記では「八雲」ではなく「夜久毛立つ 出雲八重垣・・・」で「八雲」ではない。
是で「八雲」の文字を使ったのは、近代に成ってからだと言う事が判明した。
須我神社から、車で20分程の所に存在する、同じ祭神を祭る「八重垣神社」に行って見ると、八重垣神社の説明版には、古事記通りに「夜久毛立つ・・・」と書かれている。
此の事からも、判かる様に、「八雲」と書いた人が、間違いを犯しているのである。
其れでは、「夜久毛立つ・・・」の「夜久毛」とは、何なのかと考えて見ると、歌の後の「八重垣」から「垣根」の事だと言うことが分かる。
すると「夜久毛」とは、垣根の材料である事になる。
何が、材料かとなると、此処で、1月20日に夢に出て来た「萑・カン」の文字の意味がハッキリする。
「夜久毛」とは「萑・めはじき・やくも」の事なのだ。
私に求められて来たのは、言葉の間違いを正す事なのである。其れで、此のお告げは、須佐之男命が、私に文字の間違いを訂正する事を、頼んで来たことであるのが理解できた。
神社で唱えられる祝詞には、「神魂の思頼・みたまのふゆ」と言う言葉が有るが、それはこの世に生活して居る人間が、禊ぎ祓いをして、昔の人の御霊・みたまを、自分身体に「依代(ふゆ)」し、思いや、頼み事を、聞き取る事を伝えるものだ。その意味からすると、私に其の「神魂の思頼」が起きた事に成る。
そうすると、私が、「須佐之男命」の願いを、受け取らなければ成らない事になる。
日本の住居には、周囲に垣根をするのが一般的である。
垣根に付いて、一番古いと思われる伝説が、この須我神社の和歌である。
須佐之男命が、愛する「寄稲田比売媛・くしいなだひめ」の為に、新居の回りを垣で囲いをし、其の心境を歌ったのがこの「萑(やくも) 立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌なのである。
「萑」とは、昔し、垣根に使われた草の茎の事らしい。
「萑」とは、「益母・やくも」の事で、漢方にも使う薬草で、人間の背丈程にも伸びる多年草だと、辞書に載っている。
日本名では「めはじき」とあり、毎年春に芽を出し、夏には花を付け、秋には枯れてしまう一年草である。
その茎が、人間の顔の高さまで達して、枯れて立っていると丁度目に当たるのであろう。
昔の人々は、細い道を歩いていたので、前の人が、草を押し退けて進んで行くと、曲がった茎がハネ返り、後に続いている人の、目をハジいてしまうので、この「目ハジキ」の名前が付き、又その名を付ける事で「目ハジキ」が生えている場所を通る時は、目をハジかれない様に、注意しなさいとの、心構えにも成ったと想われる。
文字の意味が、良く理解されていない時代に、表音の為に「夜久毛」の漢字が使用され、須我神社では石碑を彫る人が、後の「八重垣」の「八」と混同して「八雲」と彫ってしまい、それから後の人々は、「幾重にも 雲が立ち昇った」と、イメージをする様に成ったのだろう。
「八雲」ではなく「八重雲」なら、棚引くであり、棚の様に横に段々で重なる状態だから、縦に立つとは云わない。
和歌は、自然の情景に、自分の心を歌い込む事だから、自然の絵が、しっかりと魂しいにイメージ出来なければならない。それが、この「八雲」では不自然である。
詩の文句を、「萑」か、「益母」に変えられないのであれば、元の「夜久毛」に戻すしかないだろう。
神社の役目は、御手洗で意識を洗い「ア」から「ウン」までの「48音・言霊・ことたま」を、清める事に有る。
其れが、日本で一番古い神社で、言葉が間違っていたのでは、須佐之男命もさぞや困っている事だろう。
現代の人間は、神社は、願い事をする所だと勘違いをしているが、本来の神社は、御霊を祀る「御陵・みささぎ・陵墓」であって、御霊の供養をする所である。その供養の役目の人を、「禰宜職・ねぎしょく(ねぎらう仕事)」と呼ぶ。
本来は、その氏族の子孫が、先祖を敬う事が、御稜の始まりであるので、現在のお墓と、同じ意味を持つものである。
昔は、「霊魂は永遠に存続する」との考えが、当然の事だったのである。
其の、永遠性の価値観の中で、見知らぬ男女が巡り会い、結ばれて一緒に生活を始めたのである。
現代と違って、昔は、自然と人間の間には、何も意識を妨げるモノは無かったのだ。古代社会の人間は、自分の生活の事だけが、意識の中心だったのである。
人気の少ない山中に、二人だけで住み着く事は、さぞや心細かったに違いない。3000年の昔なら、まだ、日本狼や熊等の獣も、澤山居たであろう。
「自然」の「然・ゼン」の文字は「月+犬+火」の組み合わせで、「狼が満月に向かって吠える」意味から、出来ている事からしても分かる様に、両親から離れて、慣れない生活を始めた、心細い新妻「寄稲田媛」に対する、須佐之男命の気持ちが、痛いほど良く伝わって来る歌である。
此の歌は、新妻を大事にする為に「お前の為に 新居の回りに 幾重にも垣根を立てて 大事に護るよ」との、意思表示だと考えて良いだろう。
現在では、垣根は、石垣やブロック塀、其れに板垣や生け垣と成っている。
昔は、刃物も発達していないし、工場も無いから、出来る事には限界が有ったのだ。
秋には、枯れて、根本から折れる「萑・益母草」は、垣にもなるし、台所で使う火を起こす事にも、手近に使われていたと考えて良いだろう。
私が、「夜久毛立つ」の歌を良く噛みしめていると、現在使われている言葉の「愛人(めかけ)を囲う」が、この歌と同じ意味を表しているのではとの、想いに至るのである。
「女を囲う」とか、「囲い者にする」とかの世界が、表現されたのが2000〜3000年前からだと考えれば、男性が、愛する女性を大事にする為、あるいは他の男に見せない為に、垣根を造る事は当然の事であり、もっと遙か昔より、人間の本能として、存続しているものと考えて良い。
日本の天皇家で、一番大事な「大嘗祭・だいじょうさい」の儀式の建物の「悠記殿、主記殿」の周囲には、柴垣が立てられるとの事である。
其の事からも、垣は重要な意味を、現代まで伝えている。
神社の周囲にも「瑞垣・みづかき」と言って、石垣が造られているが、それも外垣、中垣、内垣と三重に造られる。
その意味は、外からの邪念が入らない為とか、悪霊の侵入を防ぐ為とか、云われている。
何れにしても、数千年来続いて来た、垣根の文化は、当分日本から無くならない様である。
「もとめる」と伝えてくる神霊が住む間は、誰かが「神魂の思頼・みたまのふゆ」を受け続け、その伝統は続いて行くだろう。
現代を、生きている我々にも、元始の謎を知りたいとの本能が有る。
其れに、人間は「大日如来」とか「阿弥陀佛」とか「タオ・道」「ダルマ・法」と名付けて、自分の心の源郷を求め続けている。
仏陀の第三の目や、ルシフェルの目とかは、私達の意識の始まりを、表現する言葉なのである。
「もとめる」とは、日本語の本当の意味は、元気の「元」と同じく、「元の目(意識)」を求める意味ではないのだろうか。
元始の目こそ、宇宙の始まりの意識の本体なのだ。
インドの釈迦仏陀は、その意識に目覚めた者を「ブッダ(覚者)」と謂った。
旧約聖書には「始めに 言葉ありき 言葉は神なりき」と有る。
我々人類が、「言葉(真言・マントラ)」の意味を正しく知ろうとするとき、元始の響きが聞こえて来る。その言葉の広がりが、此の日本では、和歌の世界と成って伝わって来たのである。
今、その始まりの処が、再び目覚め様としているのだろう。
「萑」の夢告は、その始まりの予告なのだ。
平成13年8月20日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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