言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2000/8/25
覚者と翁
12・8・25
日本の皇室の元は「神武天皇」だが、其の「神武(若御毛沼命・わかみけぬのみこと)」に「東征して 国を治しめせ」と伝えたのは、「塩土翁・しおつちのおじ」だと云われている。
だとすれば、日本の歴史の始まりは、塩土翁の一言に因って、始まったと言う事に成る。
塩土翁は、南九州に住んで居ながら、「奈良・大和・倭」の情報が見えて居た事に成るので、天通眼が有ったか、神のメッセージを受ける能力が有った事に成る。
日本書記には、神武天皇の項に、「天皇 あまつひつぎを始めた日に 大伴氏の祖先 道臣の命(みちのおみのみこと)、大来目部(おおくめら)を率いて 秘密(しのび)の事を受けてよく そえうた さかしまごとを もって 敵を掃討した。」と、有る。
道臣命、大来目部とはどの様な人かを考えて見ると、「道・衜・ドウ」の漢字は「行+首+手」の組み合せで、意味は、「敵の首を刎ねて 手にして 行く先を清める」となり、「臣・ジン」は大きく開かれた目の象形で、意味は「道理に明るい人」となる。
道臣とは、「戦いに強く 道理に明るい人」となり、大来目部は大きな目の氏だから、「目(意)が大きな人。良く目が見える道理に明るい人」と言う事になり、道臣命、大来目部とは、神に通じた大臣と言う事になる。
其の大臣が、祝詞を唱えたり、策を指示したりして、神武天皇の「政・まつりごと」を助けたと言う事に成る。
「ブッダ・仏陀」とは「覚めた者・成仏した者」の意味で、インドの釈迦牟尼佛の事であり、釈迦牟尼佛は「聖王」か「聖者」のどちらにでも成れたのだが、聖者の方を選んで一生を送った人である。
聖王は、徳を以って「国民・おおみたから」の生活を守護し、聖者は民衆を精神的に指導する人である。
よって、理想の「翁(おきな)大人(おとな)」の働きは、覚者・仏陀と成って政治を行い、おおみこころを実行する事にある。
平成12年8月25日
礒邉自適
2000/8/25
覚者の仕事
12・8・25
「仕事」とは「仕えること」だが、何者に仕えれば善いのか、其れが人生最大の問題である。仕えるとは、何かを支える理・ことでもある。「支・シ」の漢字は「枝+手」の組み合わせだから、つっかい棒を持って倒れない様に支えると言う意味になる。
しかし、何を支えたら良いのか、近頃、其れが明確でない。仕事の仕は「人+士」で、「士」は、立てるの意味で「志・こころざし」の事である。
「こころざし」とは、心をさすことで、何か心に挿さなければならない事になり、其の為には、何等かの仕方(方法)を見付けなければならないのである。
其の為には、自分(自らの分け)を知って、仕分けをしなければ、仕事が見つからない理・ことになる。
其の仕分けが、千手に分けられ表現されたのが、千手観音菩薩の姿である。その、千手に分けられた命・みことが「やおよろずの神々」で、それを神むすびするのが、「総大神」であり「王君・大王・スメラのみこと」である。
其の、総大神が現れてこそ、仕官の道がハツキリしてくるのである。「仕方が無い」ではなく、仕方を明確にする必要に迫られているのだ。
仕が絡むと「柵・しがらみ」と成って、事がスムーズに流れなく成り、「まつりごと・神むすび」が巧く行かない。其の為に、柵を解くのがホトケの役目である。
其の「ホトケ・覚者」である釈迦は、其の「御事・みこと」に成る為の入口の門が、8万4000の有ると説いたのである。
自分の業・カルマを解かないと、「リリジョン(religion・宗教)」の新しき神との結びが起きないのだ。
「天御中主神・あめのみなかぬしのかみ」は、「高御産巣日の神・たかみむすび(精霊の働き)」と、「神御産巣日の神・かみむすび(現世の働き)」と三神で「造化三神・ぞうかさんしん」と呼ばれている。
イエスキリストは、「天御中主神」を「天の父」と呼び、「聖霊」と「子(この世のむすび者)」の三つの働きを説明している。
イエスキリストの言う「子」とは「仏・ブッダ」であり、大御心の親・「スメラの天津日継の司祭」・聖者の事である。
平成12年8月25日
礒邉自適
2000/8/23
無常折檻
12・8・23
今朝「無常折檻」との、聞き慣れない言葉が頭に出て来た。
朝起きて「折檻・セッカン」を、辞典言泉で調べて見ると、以下のように説明されている。
「中国前漢の朱雲が 成帝を強くいさめて 怒りを受け、朝廷から引きずり出されようとした時に 檻につかまったため、その檻の手すりが折れたという漢書に見える故事による」厳しく叱ること。転じて、責めさいなむこと。「子を折檻する」
こうしてみると、「折檻・せっかん」の言葉が持つ意味は、あまり喜ばしい場面ではない。
「庁」の漢字を調べて見ると、「庁」は「广+丁」の組み合わせで、「广」は建物の屋根の意味であり、「丁」は「聴」の略字であり、元字は「广+聴」の組み合わせで、「建物の中に 聴く人が居る」ことを表す象形文字である。
此れに拠ると、役所とは、国民の云う事を能く聴く所であり、叱る所ではないらしい。
叱るには、叱る側の事情がある分けだが、叱る行為と権力は有史以来、二人三脚を続けている。
「無常・ムジョウ」を調べて見ると「現世における 全てのものが すみやかに移り変わって、しばしも同じ状態にとどまらないこと。特に生命のはかないこと」と有る。
私の父「礒邉勲」は、私が17歳の秋に、49歳の若さで亡くなったが、私は父親に叱られた記憶が一度も無い。
父は、戦後中国から引き揚げて帰る時、「不見猿・不言猿・不聞猿(見ざる 言わざる 聞かざる)の三猿の置物だけを、大事に持って掃って来ている。
そして、その置物を、自分が何時も座る場所の頭上に、板を打ち付けて其の上に安置していた。
家の中には、其の他には、正式には、神棚も仏壇も置かなかった。
もちろん、神社や寺に参拝する事は一度も無かったし、子供達に其れを勧める事も無かったのである。
父親は、49歳で亡くなったのだが、其の時私は未だ、17歳だったので、反抗期の真っ最中だった事もあり、父親から、生前に、是と言った教えを受けた記憶が、残念ながら余り無い。
だから、父親の無常観について、聴く機会も無いままであった。
ただ、小学校4年生の時「自適よ 人が走ったからといって つられて走るな」と、云われた言葉が記憶に残っている。
「無常折檻」の意味は、此の、只今の森羅万象の現象世界は「道・神」の現われであり、其処には「徳・法」がおのずと備わっているのであるから、その道の働き・徳に、任せて居れば、誰かが誰かを叱る事も無く、檻の取手が折れる損害も、起きないと言う理・ことだろうか。
付け加えて措くと、父親が叱らない分、母親が代わりに、しっかりと叱ってくれた。
しかし、何で母親に叱られたか、其の原因を一つも覚えていないのは、子供だった私にとって、母親に叱られることは、苦痛ではなく楽しみだったのかも知れない。
本日53歳の8月23日に「無常折檻」と頭に出て来たのは、何の意味が有るのだろうか。
父の命日が10月23日で、祖父の命日が9月23日だから、23日は先祖の月命日である。
其れを意うと、私の命日が11月23日に成れば幸いだと想う。
私は、今朝のメッセージを「生成化育」其の侭に、鏡であるから、其々が自分を映し見れば良い。
そう受け取る事にした。
平成12年8月23日
礒邉自適
2000/8/23
友と争
12・8・23
「友・ユウ」と「争(爭)・ソウ」は、同じ二本の手を表す文字だが、意味が反対である。
「友」の漢字の成り立ちは「手+手」の組み合わせで、賛同する者同志二人の右手の形である。
一方「爭」の漢字の成り立ちは、上下の手が、物を奪いあらそう形である。
友と、争(爭)の漢字の意味は、物を与え合うか、奪い合うかと言う、単純な現象を現している文字なのだ。
「争・あらそい」が鎮まる事を、「静・セイ」と言う。
其れからすると、静の前には、争が有った事になる。
其の様子を想像すると、人間の進化の前に、食べ物を取り合う猿が、自分のすぐ目の前に見えて来る。
いや、「爭」の上の手は、木の上の猿の手で、下の手は、私し自身の手なのだ。
猿と人間が、樹上と、地上で、自然の恵みを奪い合っているのだ。
平成12年8月23日
礒邉自適
2000/8/9
みんな頭がおかしい
12・8・9
平成12年7月28日未明、霊夢に文字が一字現われました。
「文字」と、言うけれど「文」は一つの意味を表す絵図で、「字」は「文」を組み合わせた絵図の意味です。
出て来た文字は「卩+芰」で、私の知らない文字なので朝起きて辞典で調べて見ました。すると、其の文字は、辞典には無い文字なのです。
仕方が無いので、文字をバラバラにして「文」を見ました。
「芰」の上の冠は、四画の竹冠で、女子の頭髪の形で頭を意味し、「卩」は「ふしづくり」で、人の跽・ひざまづく形を表し、「支」は「しにょう・えだにょう」で、右手に木の枝を持っている形を表しています。
続けて、文字の意味を考えると、「足を折って 祈りの形になった 人の頭を 右手に持った木の枝で 祓う」と言う意味になり、お祓いの意味の文字になります。
現在、神社に行って正式参拝すると、神主が「大祓祝詞・おおはらへののりと」を奏上してから「榊・さかき」の枝で参拝者の頭の上を左右に三回祓います。
是は、人間の「エゴ・利己心・自我意識」を取り除く為にする儀式・セレモニーです。
仏教でも、座禅や瞑想など、自分の自我意識を無くする行法が有ります。また、仏教・神道ともに、谷川で滝に打たれて、心身を清める行がありますが、これも自分の積・つみ(罪)穢れ・けがれ(汚れ)を祓う為のものです。
悟った人は、釈迦も、老子も、自分の作為を捨てる理・ことを謂って居ます。
人間は、作為を捨てて自然無為の状態に成ると、神仏の働きが自分の心身に降りて来ます。其の、降りて来たモノが神と言われるものであり、其の出来事を「大通・大覚」と言い、そう成った者を「聖者・仏(ブッダ)・至人」と呼びます。
「聖者・仏・至人」は、お経を唱えたり、祝詞をあげたりはしません。
其の人達の生活は、出来るだけ世間から離れた山中に住み、杖を手にして行動します。其れが、仙人と呼ばれる人の生き方です。
釈迦が誕生した時に、山から下りて赤子の釈迦を見に来たアシタカ仙人。イエスが生まれた時に訪ねてきた東方の三人の聖者。中国の老子も、王様の図書館の館長を退職したら山に向かいました。
聖人に共通するのは、杖をついた姿です。この人達の杖は、漢字の「教(孝+攵)」の文字の旁・つくりの「攵(ボクニョウ)文」で、長い木の枝を右手で突いている形に表されています。
現在の日本では、仏教の世界でも、神道の世界でも、あらゆる宗教で、山中で1人杖をついて生活し、人が訪れた時だけ話し相手に成り、相談にのるだけの人と言うのは存在しないようです。
現在の宗教家の殆どが、釈迦や、イエスキリストや、老子が止めなさいと謂った事だけを、行っています。
釈迦は、教団を作ることを許可していませんし、イエスキリストも「神は 建物には住まない」と謂って、旅を続けて教えを伝える事だけを云っています。
老子は、天の働き・道の徳を説明して、天の徳・道の働きに、身を処す理だけを伝えています。
これ等のことから考えると、現在の人々は、「皆 頭が変しい」と言うしかありません。世の中に、積み気枯れが充満しきったのでしょう。
釈迦が謂う様に、末法の世の中と成って、衆生皆無明に陥ったとしか言えないでしょう。
今こそ、大祓祝詞に伝えられているように、祝詞を唱えるのではなく、祝詞に書かれて有る通りに実行すべき時節に到っているのです。
それが、今朝現われた「卩+芰」の文字の意味でしょう。
平成12年8月9日
礒邉自適
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