言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2000/9/18
府
12・9・18
昨日9月17日の霊夢に、漢字の「府」の文字が映って来た。
朝起きて 辞典漢語林で「府・フ」を調べると
@ くら(蔵)、文章や財宝を入れるくら。
A 役所。Bあつまる、あつまるところ。 と載っている。
「府・フ」の文字の成り立ちは「广(建物・屋根)+人+手(右手)+貝(宝貝)」の組み合わせで、もとは腐に似た字で「府+貝」である。
其の字義は「建物の中に 人の手で 文書や財宝を集めて 管理する。」の意味で、早くから使用されている文字のようである。
現在では、「文書(本)」は、本屋で誰でも容易く買えるが、昔の書物は、一枚一枚手書きで書き写さなければ成らない物だったので、手に入れるのは大変だったのである。
また、昔は紙ではなく、木簡や竹簡を使っていたので、文書を所持し保管すると言う事は、大変高価な財産を持っていると言う事だったのである。
今朝、私に、其の「府」の文字が出て来た意味は「新しい 府のイメージを考えろ」との知らせなのだろう。昔は、国の役所か、財産家の蔵にしかなかった文書が、今では一般大衆が、本屋で容易く手にしている。
其の、昔と違う世界を、意識しろと言う事であろうか。
しかし、だからと言って、一個人が、役所に代わって「政・まつりごと」を行う事は出来ないので、其の、時代の変化に付いては、別の事を考えなければ成らないのであろう。
現代社会は、IT社会と呼ばれており、コンピューターによるインターネット社会である。だから、個人が発信する情報でも、瞬時に世界中で受け取る事が出来る。
自分の家に、パーソナル・コンピューターが一台有れば、「府」と同じ働きが備えられる事に成るのである。
問題としては、発信される情報が正しいかどうかである。本来、役所は国民の為の機関だから、権利者の情報操作に供する事無く、国民の生活や、福祉を護る情報センターの役割を果たさなければ成らない。
21世紀の社会は、国と言うより、地球全体を視野に入れた、情報交換の場でなければ成らない。其の意味で、21世紀の「府」は、新時代の中心的役割を果たす役所と成るべきであろう。
平成12年9月18日
礒邉自適
2000/9/13
意工旋遍
12・9・13
今朝の未明の霊夢に、「意工旋遍」なる文字が映って来た。
朝起きて、其の意味を辞典で調べて見た。
「意」は、@こころAおもい。人の、言葉と成らない音の意味で、言葉に成る前のおもいを表すとある。
「工」は、@たくむ、造る。Aたくみ。の意味で上手に作る人のことである。
「旋」は、竿の先に吹流しが風でグルグル回るの意味から 人が歩き廻るの意味であろう。
「遍」は、あまねく隅々まで。の意味である。
其の四文字を、続けて考えると「意いの有る匠が、自由にグルグルと隅々まで あまねく巡る。」と成る。
私の旅は、既に16年の年月が経過した。其れは、霊界の人達が、「私の心身を 貸して欲しい」との事からであった。
私自身にとって、16年の旅は、移動する度に変わる環境の中で、自分の身体自体と自我意識が、何をキヤッチし、どう意識を組んで行くかを、客観的に認識することであった。
其の旅が終わり、自分の定着する場を得た事で、神の舞台は次の段階に進むようだ。
「意工旋遍」と告げられても、私は、何時、何処で、誰に、何を話すか、明日の事は判らない。天・神だけが、知っているのである。
平成12年9月13日
礒邉自適
2000/9/8
到帰峡
12・9・8
本日、神霊からのメッセージで「とうききょう」なる言葉が告げられて来た。
早速、漢語林で其の意味を調べて見ると、「到・トウ」の「至+刂」の「至」は「飛んで来た矢が 地面に突き刺ささっている形で、矢が目的の場所に いたる。」の意味だとある。
私が、16年前に屋久島を出たのは、霊界の矢が東に飛んで行くのを感じたからである。
今朝、告げられた「矢が 到って 帰る峡」とは、現在私が住んで居る、愛媛県伊予郡中山町の、此の狭い谷間の事であれば、私の旅は目的地に辿り着いた事に成る。
私が生まれたのは、屋久島の東南側に位置する安房と言う町だが、私の産まれた家は、其の安房でも一番山手で、矢本嶽と言う山の麓である。
矢本嶽で産まれ育った私が、神の指示する矢に導かれて、四国の現在地に辿り着いた事に成るのだ。
「目的」の「的」は「矢のマト」でもあり、一つのモノを際だたせる。目標とする。の 意味である。
私の「神議り(かみはかり)」の旅も、目標である一つの場所まで、運ばれて来たと云えるだろう。
私が、16年間の旅で果たしたと想われる役目は、全国を巡って色々様々な人々と出会い、新しい時代を築く為の、人材を探し出す事と、日本国内の各地の風土や場所柄を、見極める事だったと想われる。
新しい社会を築く為には、人脈の繋がりを造らなければならない。
また、其の組織の組み立ても、是から行わなければ成らない。
其の役割を、果たせる場所が、此の四国山中の中山町だと言うのだろうか。
人里離れた、山中に存在する「天地根源の霊処」と名付けられている此の施設で、私に何が出来るのかは判らないが、地図で此の場所を確認すると、真北は島根県の出雲大社で、南は高知県の足摺岬と成っている。
また西を見ると、宗像大社が在り、真東は熊野大社である。
易の方位で云うと、北は「玄武」で水の神、南は「朱雀」で火の神である。
西は「白虎」で、東は「青龍」だが、此の地から、どの方向に動きが拡がるのか、確かめて行きたいと想っている。
平成12年9月8日
礒邉自適
2000/9/6
人の面倒・神の面倒を見る
12・9・6
面倒とは「め(目)どうな」の転で「どうな」は無駄に成ることの意。見るだけ無駄なものが原義。と、言泉には載っている。
他人の面倒を見るとは、自分にとって無駄な事と分って居て、遣ることなのだろうか。
「愛」と言う漢字も、自分の行動を止めて、困って居る人に目線を向けて居る人の形から出来ている。
「愛」の漢字の意味も、自分の目的を置いて、困って居る人を助けると言う意味で、他人の面倒をみる事と同じ意味になる。
次に、他人の面倒を見るに続いて、「神の面倒をみる」との意識が浮かんで来た。
神の面倒を見るとは、神にも困った事が有るらしい。
其の事を良く考えると、神が困る事とは、人間が大自然の仕組み・調和を、壊している事ではないだろうか。
人間は、他の生き物と異なり、大脳を発達させたがために、自分の意志だけで大自然の調和を壊して、人口を増やし、地球の環境を悪化させている。
人間社会は、金の為には、何でも行う人達が、大多数を占める様に成ってきた。其れは、神との大調和を、忘れている事になるのである。
人間は、神が困っている事に気付き、神霊の言葉に耳を傾け、神霊の面倒を見なければ成らない時節を、迎えているようである。
平成12年9月6日
礒邉自適
2000/9/3
目は意識を止める
12・9・3
2000年9月3日未明、「目は 意識を止める」と言う言葉が告げられて来て、紺色の文字の様な物が映って来た。
其の文字の形は「由」で、縦長の田の文字の上に「ノ」が付いていて、其の「由」の左側に、仏の左向きの顔が見えた。
其の仏の顔は、優しくて徳相が有り、其の顔には、黄金の淡い光が当たっていた。
朝起きても、「目は 意識を止める」の「言霊・ことだま」が、私の意識にハッキリと残っているので、ペンを取ってみた。
人間の目が、見る物は、光を通して(関係して)の物質の世界である。
例えば、大金を見ると、人間の意識は其処に固定されてしまう。
そして、此れだけのお金が有れば、何が買えるかなどと、意識はもうー人歩きを始め、元の状態には戻らない。
其の、行為の積み重ねの為に、数千年の間に、神仏までもが、物に置き換わってしまっている。
特に日本では、聖武天皇の時代に、奈良に大仏を建立したり、全国に釈迦像を建てる運動を起こしたりして、仏陀の教えではなく、仏の像を建立して、その像を見る事を広げ始めた。
其の事が、元に成って、現在まで、偶像崇拝が延々と続いているのである。
聖徳太子と、蘇我入鹿が、物部守屋を殺して、仏教を国の宗教とするまでは、三輪山の神(大物主)や「石上神宮・いそのかみじんぐうの神」が、国の宗教の中心であり、国家祭祀は「「神惟・かんながら」の振魂で行われていたのである。
「振魂・ふるたま」とは、食物と水の力で、自分の「身(ミマ)」と「意・視覚(スメ)」を禊ぎ祓いして、神霊の力を借り受ける事で、自分の魂振り(振動)と、神の振動とを同調させる事である。
神と自分を、同調させる事が「神嘗祭・かんなめさい」や「新嘗祭・にいなめさい」の儀式であり、其れが「石上神宮」の古代からの作法である。
「神惟・かんながら」の作法は、目で物を追い駆けるのではなく、意識を自分の「身(ミマ)」の方に向け、「心(スメ)意識」が第三の目のところで映像化して、「神のはたらき・森羅万象の流転」と、「神議り・かみはかり」が、人間の意識に映り込む事である。
其の働きは、肉眼で見えるものではなく、60兆個有るとも言われている、人間の細胞の遺伝子・DNAが総動員されて、森羅万象との「ただ今」の関係性を、キャッチする事である。
其の、仕事をする役目の者の名が「スメラの命と」呼ばれ、「総める・スメル」働きをしていたのである。
「目は 意識を止める」とは、二つの理・ことを言っている。
一つは、目で「物の世界(いわゆる目で見える相対世界)」を見ると、意識が曇ると言う理・ことである。
もう一つは、物の世界を見る事を止めれば「空(神の世界)」が見える。意識が成長する。歩き始める。と、言う理・ことである。
大事な理は、宇宙の意識を背負って歩く事が、宗教の世界を支える人々の役目であり、信者の数を数えたり、お金の多少を見たりする事は、宗教家のするべき行為ではないと言う理・ことである。
現在の、「社会主義」や「共産主義」の考えの元に成った「マルクス」は、宗教の日常化は、麻薬の効果と同じであると言ったのであって、「神がいない」と言ったのではない。
むしろ、神の存在を理解したが故に、神の下・もとでの平等を説いたのである。
だから、マルクスの考えこそ、「神惟道・かんながらのみち」の世界に、一番近いのかも知れないのである。
平成12年9月3日
礒邉自適
1 | 《前のページ | 次のページ》