言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2001/2/27
緊張 対 リラックス
13・2・27
「緊張」の反対語が見付からないので、取り敢えず「リラックス」とした。
「リラックス」に当る言葉を、日本の言葉で探して見ると、「くつろぐ。くつろぎゆるめる。気晴らし。息抜き。」と 辞典には載っている。
「息抜き」は、漢語では「休息」になるのだろうか。
現代社会の、作業現場で使われている言葉は、「一服しよう」と言う言葉である。「一服」とは、茶を一碗飲む事を意味しているが、現代社会では煙草を一本吸うと言う事に、使われる事の方が、多いかもしれない。
確かに、お茶菓子を食べて、茶や缶コーヒーなどを飲み、煙草を吸うとリラックスする事は、体験的にも良く解かる。
「一休み」は、英語では「rest(レスト)」であり、レストハウス、レストルーム、レストランなどと使われている。
是は、リラックスとは、少し意味が異なる様だ。
「くつろぎ、気晴らし、息抜き」は「relaxation(リラクゼーション)」であり、その語幹の「リラックス」は「緊張を解きほぐす、くつろぐ、ゆるめる」となる。
しかし、其れも「緊張」の反対語としては、少し意味違う様である。
漢字で探すと、「楽易、楽天、気楽」などがある。
仏教用語では「解脱、三昧」が近い。
「三昧」は、インドの言葉である「サマディ」の音を伝える為に、漢字で表された言葉である。
「サマディ」の意味を、漢字で探すと、「悠々自適の生活」の「自適」と言うのが適当だろうか。
此処まで考えても、私がリラックスを感じないのは、日本の魂に即して考えていないからだろうか。
私の心に浮かぶ言葉は、「のんびり」である。
「のんびり」に当る言葉が、中国に無いので、漢字に表されていないのだろうか。
「のんびり」と言う言葉を、『言泉』で調べると、「束縛がなく、心身共にくつろいで、ゆったりとしたさま」とある。
「のんびり」には、茶も煙草も酒も必要ない。
「のんびり」していると言うのは、「緊張」が無い状態を越えた次元である。
「のんびり」の世界の対極として「緊張」が有り、「緊張」の裏返しがリラックスである。
「緊張」の無い処には、リラックスも必要無い理・ことが見えてくる。
そうすると、「のんびり」の状態を作り出せば、瞑想や、座禅や、宗教の世界も、必要なくなるし、煙草や麻薬も必要なくなる事になる。
そう謂えば、自然に恵まれた南国は、「楽園」の名で呼ばれ、其処には「緊張」も無いし、「リラックス」の概念すらもなかったではないか。
ハワイには、西洋人が入植するまで、風邪のウィルスさえなく、西洋人の持ち込んだ風邪のウィルスに、抵抗力を持たなかったハワイの原住民は、多くの犠牲者を出したと言う事が、起きたらしい。
若しかしたら、癌や高血圧などのストレス性の病気も、元々は無かったのかもしれない。
人間が、大酒を飲み、大食するのは、ストレス解消の所為だとする学者がいるが、それは本当なのかもしれない。
ハワイの人達には、労働を美徳とする価値観が無いので、ストレスを受けず、ストレス性の病気には、成り様がなかったのかもしれない。
ストレスは、多くの病気を生み出す事が知られている。
「のんびり」社会に成ると、頭がボケそうだが、必要な事は、其々が十分こなして行くのだから、ボケに成る事は無いだろう。
現代人は、必要以上の知識や、物を抱え込んでしまったのではないだろうか。
そうして、「緊張」と言う言葉を生み出し、反対語である「リラックス」を求め始めたのだろう。
森と、水と、海、其処に帰って、「のんびり」を思い出さなければならない。
平成13年2月27日
礒邉自適
2001/2/26
舞と踊り
13・2・26
一口に言うと、「舞」は神の為であり、「踊り」は自分の為である。
漢字の「舞・ブ」は「無」と同意語であり、舞の漢字の意味は、「神の為に舞う時は 人間社会である三次元世界に対して 借りが無い、執着がない」と言う事である。
其処から、「無(ム)」と言う概念が生じたのであろう。
一方、「踊る」は、字の成り立ちから謂えば、「大事な人が死んで その悲しみから逃れる為に 足を上げて踊る」と言う意味である。
したがって、「舞」は厳粛なものであり、「踊り」はハレンチなものである。
ハレンチだと言うと、踊りの好きな人達に攻撃されそうなので、付け加えると、人間は大変悲しい時に、じっとして居ると気持ちが「パンク・爆発」しそうに成るので、ガス抜きの為に踊ると言う事である。
其れをしないと、自己防衛の為に逃避して、自閉症や閉じ篭りに成ってしまう。其れを防ぐ為に、生み出した方法が「踊り」と言う手段なのである。
「踊り」とは、足を上げると言う意味であり、「落ち着く」とは、足が地にしっかりと着いている事である。
自分が、悲しみの場面に直面した時に、悲しみがしっかりと定着してしまうと、精神的に危機に陥る。
其の状態から逃れる為に、「踊り」は金も掛からず、他人の力も必要でなく、自分一人で出来る行為なのだ。
其れが、社会的な現象となるのが、いわゆる踊り念仏や、御陰参りなのであろう。
昔の人が、日常の辛さから離れて、一年に一度の「夏祭り」に踊り狂うと言う現象は、精神の安定を保つ為にも、効果的な方法であろう。
徳島の「阿波踊り」や、高知の「よさこい祭り」、鹿児島の「ハンヤ踊り」など、南の地方の「鰹・かつお」を多く食する人達にとって、溜まったうっぷんを晴らすには、一番向いている風習だと思われる。
「舞」の方は、貴族中心の行事であり、静かな事を原則とし、足はできるだけ摺り足で、音をたてない様にして舞う。
音楽も、神を招く為のモノであり、踊りの様に発散させるモノとは、異なっている。
現代社会では、「舞」と「踊り」の区別が着かなく成って、神社で「踊り」を盛大に催したりしている。
これは、神社が、神事に重きを置く理・ことを忘れ、民衆の人気取りに走ってしまった結果である。
其れが酷くなって、祭礼では神霊の乗り物である神輿を投げたり、ぶつけ合ったりする様と成ってしまっている。
本来、御輿の移動は厳粛なものであり、静寂の間に、行われなければならないものである。
世界の、どんな宗教であれ、神を迎える時は、厳粛を基本としている。
南方のターキの様に、動物の血液を撒き散らして、トランス状態に陥るのは、動物的霊魂の招聘にしかすぎないのである。
人間は、言葉に拠って人間性を確立して来た。
言葉から離れて、盲目的に踊り狂うのは、人間性の放棄ではないだろうか。
自然の生き物には、異性の気を引く為に、鮮やかに身を飾って、踊る物が澤山存在する。しかし、其れは自分の鬱憤・うっぷんを晴らす為ではなく、子孫を残す為の聖なる儀式である。
人間社会の、一年に一度の、収穫の祝いであった村祭りも、神への感謝であり、満月の、力や明かりを借りた、若者達の出会いと、結び付きを祝うものであったのだろう。
そんな時、神も笑顔で、人間の生き様を、見詰めていたのではないだろうか。
満月の秋祭りの夜は、道路信号の「黄色」と同じであり、「青色」と「赤色」の真ん中に位置する人間にとって、一番純粋な位置に当ると想われる。
平成13年2月26日
礒邉自適
2001/2/22
デモクラシー
13・2・22
昨日、山本七平氏の本を読んで「日本には デモクラシーが育っていない。民主主義は無いのだ。」と言う一節に、私は感じる処が有り、其れが頭に残ったままで眠った。
そして、今朝、思い付いたのは「デモクラシー」と言う言葉は、日本語の中に昔から存在すると言う事だ。
其れは、「デモクラシー」の言葉を 本当の意味の「デモクラ・シー(民主政治)」ではなく、「でも・くらし」との日本語に勝手に変えてしまうのである。
「デモ」と言うのは、普段、疑問が湧いた時に出て来る「でも 云々‥‥」と云う言葉であり、日本人の「クラシ(暮らし)」の中で、疑問の感情が「でも‥‥」と云う言葉となって表現されているからである。
子供達でさえ、大人の言う事に「でも‥‥」「でも‥‥」と抵抗の言葉を口にする。子供達は、自分の心が納得しない時に、抗議する言葉として「デモ」をよく使う。
日本語の中には、マレー語を語源とする言葉が数多く古代語として残っている。「でも‥‥」はその1つであろう。
デモの言葉は、人間の心の入り口に一番近い言葉なのだ。「でも」と「暮らし」をつなげた「でも・くらし」は「生活を 疑問を持って 営む」とか「疑問を いえる生活」と言う理・ことに成るだろうか。
「疑問」を飲み込んでしまわず、疑問として言える「生活」、其れが民主主義の暮らしであり、国民が自由に疑問を口に出せるのが、民主主義の国家である。
政治に疑問が湧くと、疑問符をプラカードに大書して、デモ行進をする。この場合の「デモ」は、デモンストレーションの略で、示威行為の事である。
「示威」とは、直接に示すのでなく、他の行為を通して、其れとなく示す事である。
(デモンストレーション(英語 demonstration)、略してデモ (demo) は、本来は明示すること、論証すること、実物に即して示すことを意味する。実際にこの言葉が使われるものとして以下のことが挙げられている。 ウィキペディア辞典から)
直接発言できるのは、政府自身か、発言の場を与えられた反対派の代表だけである。彼等が、国民の疑問を解決しなければ、国民の「でも‥‥」は止まらない。其れが言えなければ、不満を持ったままの「暮らし」となる。
現在の日本の政治は、「デモクラシー」でなく「オートクラシー(専制政治・独裁政治)」でもない、中途半端な状態である。オートクラシーが見られるのは、会社という組織の中である。会社の中では、上司に疑問をぶつけると出世しない。上司へ、疑問をぶつけられないので、一般社員のチェック機能が働かず、多くの問題が噴出している。
官僚機構や、学校と言う組織も同じである。世を正そうとして、疑問符を突きつけると、世に出られない。出世出来ないのである。
精神的な世界である寺や神社でも、疑問を出すと冷や飯を食わされる事に成るので、誰も疑問を口にしない。これでは、世の中が良く成るわけがない。
私は、天皇が疑問を口に出す事が出来るのが、本当の民主主義ではないかと想う。国民全体の声に、耳を傾け、国民の暮らしを幸福へ導く為に、言葉を発するのが、大君・天皇の役目である。天皇の1番の修行は、執着を離れて、天と地の間に立って、言葉・詔(みことのり)を発する事である。
その大君の言葉は、国民の代表の言葉であり、その言葉で、国民の「でも‥‥」の疑問は消えるのである。其れが、「治ろしめす」と言う言葉の本当の意味だ。
現在の憲法の下では、天皇は何も言えない様に成っている。自分の言葉を、発する事が出来ない天皇では、天皇の役目を果たす事が出来ないのである。
天皇制を維持して行くならば、天皇がありのままの気持ちを話す事が出来なければならない。外交辞令など、外務大臣に任せておけばよいのだ。
天皇の仕事こそ、国で一番自由でなければ出来ない仕事である。其の自由を護る為に、天皇の生活は国民に拠って賄われているのである。天皇が「スメラのミコト」に返り、国民の代表として「もの申す」事が出来る様にしなければならない。その時期が、正に来ているのである。
天皇が「治ろしめし」を行ったのは、「天智天皇(西暦667年)」まで、1333年遡る。天智天皇の後は、「治ろしめし」が正しく行われた事はない。
天智天皇から666年後、西暦1333年に「後醍醐天皇」が建武の中興を断行し「治ろしめし」を行おうとしたが、足利尊氏の反乱により失敗に終わっている。
建武の中興から、さらに668年後の今、正に天皇の「治ろしめし」を蘇らせる為に、何らかのデモンストレーションを起こす時ではないだろうか。
この侭では、指導者の不在と言う、救いの無い状態のまま、自動的惰性社会とでも呼ぶべき「オートクラシー(専制政治、独裁政治)」へ流されて行く様に想われる。
今日は、聖徳太子の命日(没年西暦622年2月22日)である。今一度、聖徳太子の17箇条の憲法の精神を思い起こして、国造りを始めると言う時節因縁の時を迎えているのだ。私のデモは、未だ続く暮らしである。
言葉を、勝手に並び変えて見るのも、なかなか楽しいものがある。
平成13年2月22日
礒邉自適
2001/2/21
磐境・いわさか
13・2・21
「磐境」とは、岩で境を作り、神の御霊が宿る御霊石を守る様に囲んだ場所、聖地を意味している。
神の御霊石が、直射日光に当たらない様に周囲に木を植えたり、あるいは森の中にある石を、神の御霊石としたりして「磐境」としたのである。
神社の、敷地を囲む石垣を「みずがき」と言うが、これも「磐境」の一つの形態であろう。
古墳時代には、霊魂・神霊を祭る為に、墓・御陵の周囲に埴輪を並べ、岡(古墳)の周囲には、堀を造って水を溜めていた。
これも「磐境」に繋がるものだと思われる。
元々古墳は、自然に有る山の連なりの、最も里へ突きだした岡の部分に、造られている。
すなわち、里に住む者達が、最も身近に神を感じる場所だったのである。
古墳が、山が無い場所に造られる場合は、山の連なりの形に似せた為に、テルテル坊主の様に切り取った、首の形に成っているのだ。
この形から、古代社会の人達が、人の魂と岩を、一体の物として考えていた事が理解できる。
霊魂を祭祀する時には、石が欠かせない物なのである。
現代でも、死んだ人の魂を祭祀するのに、墓石を据えて祭っている。
古墳は、力の有った一個人の霊を祭るものであるが、元々は、自然神を祭っており、部族全体の神との交流の場であったのだ。
山岳を、御神体として祭ると言うのは、各地に見られる風習である。
奈良県の「三輪神社・みわじんじゃ」は、花崗岩で出来た三輪山が御神体で、神社はその拝殿なのである。
滋賀県の、野洲町にある「三上神社・みかみじんじゃ」も、背後の山が御神体で、神社はその拝殿である。
また、岩を御神体として祭るのも、古くから行われている。
三重県の「伊勢神宮」は、元々は其処に有る岩を御神体として祭っていた所を、倭姫の一行に拠ってて、神宮が置かれたものである。
和歌山県の「熊野神社」は、岩の有る所を神の住む場所としている。
「クマ」とは、奥まった所と言う意味で、岩が有り、木が茂って水が湧き出し流れている場所をさしたものである。
「クマ」とは、自然のエネルギーに満ちた聖なる場所であり、縄文時代の人は、神を「クマ」と呼んだのであろう。
現在、「神の川・かんのかわ」と呼ばれている川には、その昔、「熊の川」と呼ばれていたものが多い。
アイヌ語で「カムイコタン(神居コ谷)」と呼ばれているのも「クマ」と同じ様な場所であったのだろう。
沖縄でも、神を招く場所を「ウタキ」といい、「クマ」と同じ様な場所を、石を積んで囲っている。
ここにも「磐境」と同じ意識が感じられる。
現在では、此の様なシャーマニズム的な世界は、学校教育からも顧みられず、迷信として切り捨てられてしまっている。
其の所為か、自然が破壊され、若者達は、其の様な世界を馬鹿にして、近寄ることさえしない。
森の神、岩の神は、見捨てられてしまったかのようだ。
若者達は、宇宙の方へは意識を向けているが、自然や大地の方へは意識を向けない。
しかし、古来より、神社で唱える祓詞には「天津神」と「国津神」が登場しており、宇宙の神と、大地の神、両方の名を唱えている。
若者達にも、地球への意識を向ける事を、思い出してほしい。
そうしてこそ、我々は地球人たり得るのだ。
地球と言う大きな岩の塊が、地上のあちこちで聖なる場所として現出し、人間が其処で、密かに神と交流する。其れが「磐境」の世界である。
イエス、モーゼ、マホメット、役の行者、空海、大本教の出口鬼三郎など、彼等は皆、岩と友達になった人である。
人間は、死ねば皆、岩である墓に名を刻まれる。
人間と、神との間で、岩は、永遠に魂の器として在り続ける事だろう。
明日は聖徳太子の命日
(太子命日西暦622年2月22日)
平成13年2月21日
礒邉自適
2001/2/21
神籬(ひもろぎ)
13・2・21
「神籬・ひもろぎ」とは、神社に植えられている御神木をさす言葉で、神の寄り付く木の事である。
「神籬」の「籬・カキ」は「まがき」で、竹や柴を粗く編んで作った垣の事である。
古代、神の宿ると信じられた森や老木などの周囲に、常盤木・ときわぎを植えて玉垣を作り、尊び祭ったところを「神籬」と呼んだのである。
別の漢字をあてれば、諸々の神霊が寄り付く木と言うことで「霊諸木」となるだろうか。
御神木を「まつる」と云う時の「まつる」は、どのような漢字が適当だろうか。「まつる」には祀・祠・祭・奠、が有る。
「祀・キ」は、神としてまつること、またその儀式。
「祠・シ」は、神の意向をうかがうために、願をかけて神をまつる。
「祭・サイ」は、供え物や祭壇を清める儀式を行い、神霊をまつる。
「禋・イン」は、煙を空にあげて天帝をまつる。
「奠・テン」は、供え物(酒)を神前に安置してまつることである。
此の中で、日本の風習の、神や祖先の霊に供え物をしてまつると言う「神籬」の場合には、「祭る」が適当であるようだ。
昔から、世界中で、樹木には魂が寄り付いていると信じられてきた。
全国的にも、木を切ろうとすると祟りが有り、とうとう切る事が出来ずに、神木として祭られていると言う木は澤山有る。
私の生まれた屋久島でも、屋久杉を御神木として崇め、360年前までは切り倒す事は決してなかったらしい。
現在・いま、屋久杉が保存を叫ばなければならないほど激減したのは、屋久島の安房地区生まれの「泊如竹」と言う僧が、住民の貧しさを救う為、屋久杉を切り、平木や木材として売る事を奨めたからなのである。
奨められても、伐採を怖がる島民に、泊如竹は次の様に云った。
「山に入って 杉の木に一晩斧を立てかけて置きなさい。朝、見に行って 斧が倒れていなければ 神が切っても良いと 許したと言うことだ。」そして、島民がその通りにすると、斧が倒れていなかったので、神の許しが出たと言う事に成り、伐採が始まったのである。
其れが、今から360年前の事である。
そして、長く続いて来た屋久杉の伐採も、ようやく15年くらい前より、切り倒す事が止んだのである
私は、1984年3月5日から玄米菜食の生活をしながら、師の指導のもと6月4日まで丸3ヶ月の修行をした。
そして、釈迦の様に木に寄りかかって休んでいる時に、宇宙のアカシックレコードとの共鳴を起こして、いわゆる覚醒を体験した。
木の魂の力を借りて、138億年の宇宙の進化のプロセスを思い出したのだ。
木には、それだけの力が宿っている理・ことを、古代の人達は知っていたのだろう。
古代社会では、人間が子供を得るときには、山の神木に祀りの石を立てかけて、女性を其の木に抱き着かせ、男性はその後ろから交わっていたらしい。
漢字の「色」の字は、女性の後ろから、男性が乗りかかっている象形文字である。文字の上からも、古代の様子がうかがえる。
私は、覚醒を体験してから、木や岩と仲良くなる為に、毎日、島内の云われのある場所や、岩山を巡り、また草木を口にして、その波動を身に付けて行った。
其れが4ヶ月続いて、11月になり、銀杏の葉が舞い落ちる季節に、屋久島を出て全国の旅に出発したのである。
夜に成っても、車で走り続け、眠くなった場所で車を止めて眠った。
不思議な事に、朝起きて見ると、必ず寺や神社、または山中の、大きな木の傍に停泊しているのである。
そして、其処に在る木は、私が来た事を、互いに伝え合っているのが、言葉として、私の頭に聞こえて来るのである。
さらには「貴方だったのですか。2〜3日前から この銀杏の木が 人が訪ねて来ると 云っていたのですよ。」と云う人まで、現れた事がある。
私の手足は、霊の宿っている木の近くに行くと、電気の様なモノの流れを感じて、言葉として伝わって来るのである。
古代の人は、私の様な反応が有る事が、当たり前だったのではないだろうか。樹林気功などは、その一端なのかもしれないし、アメリカインディアンが木に寄りかかって病を癒すと言う事も、同じ反応であるのかもしれない。
剣の達人である宮本武蔵は、「木は気なり」と言ったという。
達人ともなれば、木が、人よりも精妙なエネルギーを持つ理・ことを、感じるのだろう。
木に関する不思議は、まだまだ澤山有るだろうし、私の、木との対話も、まだまだ道半ばであるのだ。
平成13年2月21日
礒邉自適
2001/2/10
洗胃
13・2・10
「洗胃」と書いて、「心を改める」と言う理・ことを意味する。
今朝は、夜明け近くに自分の胃と、眉間の間が繋がっている様に感じて、胸と頭が一体と成る感じを受けた。
冷たい「かき氷」を食べた時、胃も冷たくなるが、同時に眉間にキーンと痛みに似たものを感じる、あの感じである。胃と眉間は、何かで繋がっているのだろうか。
キリスト教の信者が、祈りの時に切る十字は、縦に「額」と「鳩尾・みぞおち」の辺りを繋ぐ仕種をする。
人間の急所は、眉間と鳩尾で、喧嘩をする時も、眉間を殴ってはいけない事になっている。
何故、両方の急所が繋がっている様に感じるのか、私は文字の意味から調べてみた。
「眉間」の「眉」は、目の上のまゆ毛の象形である。
「胃」は「田(米)+月(肉)」で、「米」は胃の中に入った食べ物、特に穀物を表し「肉」は胃袋の意味を表している。
さらに「胃」の意味は、@いぶくろ。Aこころ。と載っている。「胃」が、こころという意味を持っているなど、初耳である。
そう言えば、「胃」を使った漢字に「謂」がある。
「謂」は「謂う」と使って、話す。説く。
「謂われ」と使うと、わけ。意味。
「謂う」と使って、考える。
と言う意味が有り、「心の中を言う」といったイメージが浮かぶ。
心の修養を行う仏教の修行僧達は、「精進」と言う言葉を使う。
「精進」とは、魂や精神を養うと言う意味だが、精進料理と使われるように、その修行中は肉や魚を摂らず、穀物菜食をしたのである。
日本では、天智天皇の時代から明治になるまで、1200年に亘って肉食が禁じられていた。肉は「四つ足」と言って忌み嫌われていたのである。それは、肉食に因って心が乱れる理・ことを、昔の人達が知っていたからであろう。
天皇の食事は「御饌・みけ」と言い、調理を行う場所を「御饌殿・みけどの」と言う。「御饌殿」は非常に重要なものと考えられており、天皇家の存在意義は「御饌殿」の伝承を守る事に有ると言ってもいいほどだ。
天皇家の最も重要な儀式は、世代交代の時に行われる「大嘗祭・だいじょうさい」と、毎年秋に行われる「新嘗祭・にいなめさい」であり、天皇は、その年収穫された米を先祖霊と一緒に食べ、来年の心の準備をするのである。
「胃」とは、米を胃袋に入れた時の状態を示している。新嘗祭で、天皇が米を食べ、その時の心が自然のはたらき、神の思いを包括していると言う理・ことを伝えているのだ。
其れが、日本の本当の伝統であり、「食国の政り事・おすくにのまつりごと」と呼んで、現在まで伝えて来たのである。
米を食べると、その米のエネルギー、すなわち胚芽の記憶が眉間にある第三の目と呼ばれる「松果体」の珪素と同調し、まぶたに映像を浮かび上がらせるのだ。人間の松果体は、30数億年前、生命が誕生した時からの器官であり、昆虫の時代には触角が生えていた所である。
昆虫は音、温度、匂い、風の流れ、危険な敵の忍び寄る振動まで、この触角から波動分析し、情報として取り込む。其のチャンネル装置が、珪素の機関なのである。人間もまだ、その装置を残しているのだ。
人間の器官は、其の昆虫の触角の働きが両手となり、しっぽが消えた代わりに、両足がバランスをとっている。両手の細かな動きが、脳の前頭葉を発達させ、両足の指や足の裏が、脳の後頭部と繋がりを持っている。
第三の目が、チャンネルとしての機能を取り戻したインドの釈迦は、足の裏まで信仰の対象となっている。釈迦が、悟りを開き仏になれたのは、王家の美食を捨て、洗胃を実行したからである。其れに因って、仏教では精進が大事であるとされているのである。
仏教で行われる「得度式」は、7000年前のシュメール文化の、王の儀式が始まりであるそうだ。日本の天皇制度も、シュメール文化を源としており、「シュメール」が「スメル(統める)」「スメラ」となったのであり、「スメラミコト(大君)」は「芦の生える地を 治める者」の意味である。
仏教の儀式も、天皇(大君)家の儀式も、源は同じと処から来ているのだ。「スメル」働き・役割の者は、胃と松果体の「珪素」の働きが元に戻った者なのである。
「虫の知らせ」の言葉を、我々は忘れかけているが、其の考えを大事にしなければならないのだ。
食物の神は、「豊宇気毘売神(伊勢外宮)」「大宣都比売神」「保食神」「倉稲魂神」「若宇迦乃売命」「宇賀御魂神」と呼ばれ、稲荷の神として全国に祭られているが、狐とは本来何も関係は無いのである。
「出雲大社(杵築大社)」が、その年に収穫された稲・米を、杵で搗き(築)、「熊野大社」に納めたと言う処から、「熊乃大社」の祭神である「神祖熊野大神櫛御氣の命・かむろぎくまのおおかみくしみけぬのみこと」が、「保食神・うけもちのかみ」と呼ばれる様になったのだ。
其れが、正月の「鏡餅・かがみもち」の始まりでもあるのだろう。
要するに、人間は、食い改めない限り、目覚める事は出来ないし、神と結ばれた仏・ブッダに成る事も出来ないのだ。
若し、食い改めない内に、霊が憑いた者が在れば、それこそ其の霊は邪霊であり、神社でお祓いを受けなければならないのである。
其れも、食い改めた「神主・神官」の手に拠ってである
平成13年2月10日
礒邉自適
2001/2/7
君
13・2・7
古代社会では、政治は「聖人・君子」の手に拠って行われていた。
「聖人」とは、耳を澄まして神の言葉を受け取る人と言う意味で、「君子」とは、神事を司る人と言う意味である。君子とは、部族の長であり、儀式の時の祭主を意味する文字である。
「君」の字は甲骨文では「尹+口」の組み合わせであると漢語林に出ている。
「君」は「杖+右手+口」だから、右手に、杖を持った一族の長が、命令をしている場面からの象形文字だと思われる。
「聖」の漢字は、杖は持たず、祭壇の前で一人静かに、神の言葉を聴いている姿から創られているようだ。「聖・ひじり」は、あらゆる部族を越えた処に存在し、其々の族長達の相談に乗たり、部族衝突の時には仲裁役にも成ったものだろう。
「皇帝」が、山に住む聖者の所へ、知恵を授かりに行く故事が、幾つも残っている。君子より、聖人の方が、神に近い存在であったのだ。
日本の天皇は、昔は「大君」と呼ばれていたが、今では聖人ではないし「君」と言えるかどうかも判らなく成っている。
現在の天皇は、儀式の面では長の立場に在るが、言葉を発すると言う一番大事な点に措いては、内閣の助言と承認を必要としており、長としての権限はなく成っている。
政治・まつりごとの権限は、内閣に有り、天皇は、国会で決まった事の承認をするだけである。
今や、政治の場は、愚民の集まりに成ってしまい、正論が通らない世界である。其処で決まった事に、御璽を与える事が君子の仕事だとするのは、ひどい間違いである。
君子が、聖者を訪ねて行うべき事が、愚民の決めた、欲望の赴くままの書類に、署名する事に成ってしまっている。
是では、君子の存在は無意味なものであり、「無くても良い」と云われても仕方がない。
大事な儀式でさえ、間違った指導で行われているので、これでは国民が間違った方向に導かれることに成り、儀式が無いよりも悪い状態であると言えるだろう。
此の様な事に成ってしまったのは、聖人が姿を消してしまったからである。
現在の政府が進めている教育では、聖者が育たないのである。
国家権力にとっては、聖者が存在しては困るのである。
天皇と、聖者が、同一視されてしまっている現代では、聖人と君子の区別も着かなくなり、どちらも存在しなく成ってしまった。
我々の課題は、教育の立て直しを行い、聖人・君子の育つ世の中を、創る事である。
現代社会は商業主義が蔓延し、全てを金に換算する世の中である。これを糺・ただし、神に人類の存続を願うなら、聖人君子を育て、神の許しを願うしかないのだ。
其れが「大君」の仕事であろう。
平成13年2月7日
礒邉自適
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