言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2001/5/25
二通りの言葉
13・5・25
「日本語」と、一口に云うが、その日本語の中身は、食べ物の「長崎チャンポン」と同じで、古来より、中国をはじめ様々な国から、言葉が流入して来て組み上がっている。
改めて、そう思ったのは、ここ2・3日、「おにぎり」と「おむすび」と言う、同じ物を指す二通りの言葉に、私の意識が囚われているからである。
その言葉に関連して、「手を握る」と「手を結ぶ」と言う、二通りの使い方がある。元々の日本語の言い方は、其のどちらなのだろうか。
神社での、「ムスヒ・むすび」は「注連縄」と使っている事から、「手を結ぶ」の方だろうか。
しかし神社の存在は、古くても2千数百年前に、渡来して来た、外来の文化の様である。
日本列島に、縄文時代から住んでいた「アイヌ」や「エミシ」には、定住して神社を建立し、祭祀を行うと言う風習は無かったらしい。
縄文時代の生活は、食料を自然からの採取に頼っているので、移動する事で、採取地の自然のバランスを、崩さない様にしていたと思われる。
稲作を中心とした、弥生文化が日本列島を席巻して、その後、定住生活が発展して人口が増えたのであろう。
そう成ってから、神社を建てて、祭祀を行うと言う事が、必要に成ってきたのだろう。
神社で、祭祀を行うと言う事は、部族の統一と安定を図ると言う事に繋がる。
「むすび」が、神社と関連した弥生文化の言葉だとすれば、「にぎり」は其れより前の、縄文文化の言葉だろうか。
其れとも、弥生文化後に発生した言葉なのだろうか。
「むすぶ」と言う意味の漢字を考えると、「冬」と言う漢字文字が思い当たる。「冬」と言う漢字は、「糸の終わりを むすぶ」と言う意味を持ち、「終」という字がその成り立ちをよく表している。
「むすび」とは、糸がほどけない様に、集めて固めるという状態を示しているのだろう。
そうすると、「おむすび」は米粒を集めて固めると言うところから、発生した言葉となる。
一方、「にぎる」と言うのは、物を握る、利き手である「右手」の状態を指しているようだ。
漢字の「右」は 、「(右手)+口(言葉)」の組み合わせでできていて、(右手)だけで「有る」と言う事を意味していたと、辞書漢語林に載っている。
右手で、何か物を握り掴まえる。
其の、物を掴まえている状態をとらえて、「有る」と実感している言葉なのだ。
其れが、後に変化して、右手に肉塊を持っている状態を「 手+肉」で「有」と表記するようになったのだ。
「左右」を、「さう」と読まないで「さゆう」と読むのも、「有る」と言う意味を意識している為であろう。
中国の文字の成立は、3300年前に遡るとの事。
成立の経緯は、字の変化を遡って想像するより他にない。
「むすぶ」と言うのは、複数、あるいは多数の物を対象とし、「にぎる」は単独の物を対象として、自分の位置を確かめる言葉ではないだろうか。
何れにしても、すでに言葉の味は薄くなっており、意の味を確かめるのは容易ではない。
平成13年5月25日
礒邉自適
2001/5/21
音の発見
13・5・21
日本の神話の神に、「イザナギ」と「イザナミ」の夫婦神がある。
「イザ」は「イザナウ」の枕詞だから、「イザ」を外すと、それぞれ「ナギ」と「ナミ」になる。
古代、「ナギ」と「ナミ」を最初に言葉として、口にした人の思考を考えてみた。
「ナギ」は、海の状態を表現する「凪」である。
すなわち、風がなく静かで、海面に波のないフラットな状態を示している。
一方、「ナミ」は「波」であり、海面が大きく、あるいは小さく揺れ、波立つ事を示している。
こうして考えると、「ナギ・凪」と言うのは「じっとしている」の「ジィー」に通じ、静寂を意味し、物事が収まる、収納されている状態で、時間そのものを表しているのではないかと思われる。
だから、「ジィー」と、「時・ジ」は同じ音である。
さらに、「ナミ」は「ナミ・波」であるから、波動であり、振動が伝わって行く、空間としての広がりを、意味しているのではないだろうか。
花がパッと咲く、人や物がパッと現れる、と言うときの「パッ」と「波・パ」は同じ音である。
時間は「ジィー」としているモノであり、空間は「パッ」と広がる波動の事である。
イザナミの肉体からは、様々な神が現れたと神話にはある。
一方のイザナギは、天の安河原で禊ぎをした時に「月読命(月読界)」「天照大神(天照界)」「須佐之男命(海原界)」を生み出している。
其れは、時間を意味するイザナギから、宇宙(夜)、太陽系(昼)、地球(海)が生まれた事を、伝えている事になる。
宗教の世界で、瞑想を大事にするのは、自分を「ジィー」と静かに見つめることで、時間を感じ取り、宇宙の存在を実感する為である。
其れと反対の世界が、音楽や踊り、そして美しい物を表現する、芸術の世界である。
これは「パッ」と現れることを求めていく行動であり、「華やかにパッと咲く」と言う世界だ。
女性が、化粧をして、華やかな衣装を身に纏うのは、イザナミの女性性を表しているのかもしれない。
そうであれば、男性性とは、禊ぎをして、時間・ときの流れの中に「ジィー」と身を置く事となる。
其の事に、意識を集中したのが、インドの釈迦であり、中国の老子であることになる。
日本の、天皇陛下の役目も、本来はその様なものであったと想われる。
さらに、「おじいさん」「おばあさん」の事を「ジイ」「バア」と呼ぶことが有るが、これも、男性の「ジィー」と、女性の「パッ」を伝えているものではないだろうか。
因みに、私の名は「ジテキ・自適」で、子供の頃から「ジィ」「ジィチャン」と呼ばれていた。
私が、老人に成れば、そのまま「ジイチャン」である。
私は、自分の名前に、何かの因縁を感じている。
私も、しばらくは「パッ」と咲く事より、「ジィー」としている事の方に、思いを寄せて行きたい。
平成13年5月21日
礒邉自適
2001/5/6
冒険
13・5・6
昨日が、端午の節句で、男の子の日だった所為か、今朝は、子供達が冒険をする夢を見た。
其の映像は、小学校の低学年の男子四人が、三日間、道をさ迷って、海岸に辿り着いて、海で行き止まりとなり、その後ろの崖を登った所で、身動きが出来なく成ると言うものである。
そして最後には、大人に助けを求めると言う夢だった。
何故か、彼らが海岸を歩いている時に、二歳くらいの幼児も加わっていて、その子が、水溜まりで倒れて、溺れそうになるのを、助けながら進むのである。
私は、夢の中では、彼等の一人に成って居るのではなく、映画を観る様に、彼等の行動を見ているだけであった。
朝起きてから、「冒険」の漢字を漢語林で調べて見た。
・「冒・ボウ」は、「かぶり物をして 目を覆っている形で、目が見えない状態で進むことから @おかす A向こう見ずに進む、押し切ってするの意味。
・「険・ケン」は、「人にきびしい緊張を与える山の形で、けわしいの意味を表す」。と 載っている。
「冒険」とは、正に、今朝の夢に出て来た子供達の、行動そのままである。
知らない場所に出かける事は、向こうが見えない状態で、押し切って進むことであり、夢の中の子供達が行き着いた場所も、まさに険しい崖であった。
この夢が、何を意味しているのか考えてみた。
子供達、特に、男の子には冒険が大事であると言う理・ことである。
現代の世の中は、幼児期から、文字に拠る情報を詰め込んで教育する。
だから、子供達の頭には、過去の、他人が経験して来た情報しか、記憶されていかない。だから、自分の体験に因るところの情報は、皆無である。
社会が平和で、自分が生きて行く舞台が、過去の人達と同じであれば、その人生も過去の人と同じく、上手く進んで行くであろうし、同じ演技をしていれば其れで良い。
しかし、一度、舞台が変わり、台本が無くなったらどうなるだろうか。詰め込んで来た情報では役に立たず、かえって過去の情報は、邪魔になるばかりである。
机の上で学んだ事は、新しい現場では、何の役にも立たないのだ。
ちょうど、ケージの中で何万羽と飼われている鶏が、外に出されると、数メートル先にある餌の所まで、歩いて行く事が出来ずに、死んでしまうのと同じである。
現在の、30〜40歳代の人達は、受験戦争の真っ只中で、育った人達である。そして、其の人達の子供は、自分の冒険をする処か、父親の冒険話しさえ、聞く事が無くなっているのだ。
頭を黄髪に染めたり、イヤリングをしたりする事は、男子の冒険ではない。
他人を真似る事は、既に其処に形として有るものを、真似るのであり、創造する険しさが何処にもない。それは、冒険とは、ほど遠い処に在るのだ。
現在の世の中は、先進国の論理で管理されている。
その論理とは、詰め込み教育の中から育ってきた人達が、創り上げたものである。
発展途上国も、自国の長所を伸ばすのではなく、先進国の後に従う形での発展を、目指して進んでいる。
先進国が、行き詰まりを見せている現在、其れを目指して進む事は、悪い意味での冒険である。
冒険の果てに、救世主は現れず、進める処まで進んで、その文明は崩壊するのである。
世界中に残されている遺跡が、その理・ことを物語っている。
大事な理・ことは、新しい道を、切り開く事が出来る若者を、育てられるかどうかに掛かっている。
未来を、創造出来る人材を育てるのは、やはり教育である。それも、現代の詰め込み教育ではなく、冒険ができる場と、最後に行き詰まった時に、救いの手を差し伸べる事ができる、方法を知っている師・達人に拠る、教育が必要なのである。
今のところ、子供達が冒険できる環境は、整備されていない。
其れに、そう言う場が必要である理・ことを、政治家や行政も理解していない。
時代は、大きく変化しようとしているが、舵取り役の政治家は、その舵を取る事が出来なく成っている。
彼等は、若い時代に、冒険の中で知恵を体得して来たわけではなく、更にそう言う師に育てられた分けでもないのである。
冒険は、一人ではできない。其れは、何故かと謂うと、一人で未知の世界に踏み込んでも、不安だけが増大して、前進する事ができないからである。
冒険を共にする友と、場所、さらにサポートするエネルギーが、必要なのである。
我々は、天地自然の子であり、大きなサポートの力は、何時も働いている。
後は、人間社会側の準備だけである。
60代、70代の人達の中には、冒険心の有る人達が、まだまだ残っている。その人達の、心の中に灯っている冒険心を呼び起して、若者の支援に回さなければ成らないだろう。
IT社会の到来は、其の為の大きな布石と成るのだ。
有情の世界が、弥勒の世である。何も心配する事はない。
惟、冒険したい者が集まれば良いのだ。
子供達は、その為に、未来から此の地球に来ているのだから。
平成13年5月6日
礒邉自適
2001/5/4
神霊の思頼(みたまのふゆ)
13・5・4
妻「井上佳子」の命日である4月27日に、「みたまのふゆ」との言葉が告げられて来たので、其れを私は「御魂の冬」として文章にした。
その後、4月29日に福岡市中央区に存在する福岡県護国神社で行った「みどりの会」発足の祭りで、宮司の祝詞の中に「みたまのふゆ」と言う言葉を聞いた。
其れが気になって居たので、昨日、愛媛県大洲市の「大洲神社」の宮司に、「みたまのふゆ」について尋ねてみた。
其れで、「みたまのふゆ」とは「神霊の思頼」と書いて、「神の霊の御陰を得る」と言う意味である理・ことが判った。
日本語の挨拶の言葉に、「お陰様で」と言う言葉が有るが、それと同じ意味である様なのだ。
人間は、行いが良ければ、「神霊の御陰を得る事が出来る」と言う教えの様である。
「神霊」は「神の霊」で、そのまま理解できるのだが「思頼」が、なぜ「ふゆ」なのかが解らない。
人間の側が、神を「思い」神に「頼む」のか、其れとも神霊が人間を「思い」、人間に「頼む」のかがはっきりしないのである。
「ふゆ」が「付由」ならば、付属し由来すると言う意味から、神霊が人間に対して思いを掛たり、頼み事をすると言う意味にとれる。
昔し、生きていた人達が、思いを残した事を、現代の人達に頼む。
それが、現代の人達を動かす原動力と、なるとの理・ことなのだろうか。
そして、昔の人達の願いを適える事が、神霊の守護を得る事に、繋がると言う理なのだろうか。
天皇の代替わりの儀式である「大嘗祭」は、代々の天皇霊を譲る・継続する為の儀式である。
譲る事が「付由・ふゆ」する事であると考えると、辻褄が合ってくる。
日蓮宗の創始者である日蓮聖人の教えも、釈迦の教えの法華経に帰依して「南無妙法蓮華経」と唱えれば、諸天善神が皆守護に付くとされている。
これも、諸天善神皆「思頼」すると言う理・ことであろう。
私は屋久島で、無庵師匠の指導の下1984年3月5日から三ヶ月間の修行を終えた。
すると、6月4の禊ぎ祓いの儀式の直後に、4311体の神霊が体を借りに来たのである。そして、私に、思いを伝え、霊界の事を頼んで来た。
私は、その「思頼・ふゆ」を17年間聞いて、神霊・聖霊・精霊を助けて来た事になる。
私の37歳からの17年間は、私の人生ではなく「神霊の思頼」の年月だった言う事になるだろう。
だから、礒邉自適の個人の人生は、17年間、冬の時代だったとも言える。
私にとっての救いは、どうやら、ようやく4311体の「思頼」が終わり、礒邉自適としての、自分の人生が、本番を迎える様に感じられる事である。
私の名前の「自適」は、悠々自適の自適である。
先日「適」については文章に書いたが、「啇」は「帝の言葉」と言う意味の文字である。
「帝」とは、天命のことである。
私の天命が、これから始まろうとしている。
其れもまた、「神霊の思頼」なのであれば、個人とは、本来存在しないと言う理・ことなのだ。
「自適」と言う名前は、私が産まれた次の日馬小屋の前で、父親に「自適」との神のお告げが降りて、名付けられた物だと言う話を、母から聞いている。
私と言う人間には、存在の第一歩から、自分が無いのかもしれない。
人間は、生まれてから、積んで来た経験を忘れ去れば、自分の役目に沿って、動く事が出来るのかもしれない。
其れを、荘子は「至人無己」と謂ったのである。
釈迦の謂う「仏」も同じ理なのかもしれない。
それは、私にも判らないので、今後の、自分の人生の成り行きを見守るしかない。
神惟らの道は、いよいよ「神霊の思頼」である。
平成13年5月4日
礒邉自適
2001/5/3
適
13・5・3
本日は、憲法記念日で、私の息子の12歳の誕生日でもある。
今日は、「適・かなう」との漢字の意味に付いて考えて見た。
「適」は、「かなう」と言う日本語の意味に、当てられている。
其れは、「啇」が帝の口を意味し、帝の口から出た言葉は、実行に移されるからである。
「帝」の文字は「漢語林」に次の様に載っている
・甲骨文では木を組んで締めた形の、神を祭る台の象形であり、天の神の意味から天下を治める帝という意味を表す。
・金文では「啇」に「口」が加えられて「啻」となり「啻(シ)」は中心の一点に寄るという意味を持つ。
・篆文ではさらに「彳・辵」が加えられて行為の伴う漢字となり、ある事柄が目的とする一点に寄っていく、かなうの意味を表す。
現在は、民主主義の世の中になって、本来の意味での帝がいない為、一人の人間の言葉が、直ちに、政治で実行に移される事は無い。
日本には、天皇陛下が存在するが、現在の天皇は、直接政治に関わる事はなく、儀礼的にのみ政治に参加を認められている。
総理大臣でさえ、議会を通さなければ実行に移す事は出来ないので、意った事を想った通りには、進められないのである。
では、世界中の何処に「帝(シ)」を行っている者がいるであろうか。
おそらくは、何処にも居ないだろうと想われる。
カトリックのバチカンの教皇でも、神の声を聞いて行動しているとは想えないし、イギリスの王も、アメリカの大統領も、天の声を聞いて政治をするのではなく、人間の考えだけで政治を行っている。
世界中で、天の儀に適っている者は、誰も居ないのである。
日本では、神功皇后を最後に、神の声を聞いて政治(まつりごと)を行った天皇は居ない様である。
正式には、神武天皇が神の命を受け、政治を行っているので、このときが「啻+彳・辵=適」が行われたと言えるだろう。
其れから、現在まで2661年が経過している。
その間、660年のサイクルで、天が動いた形跡がある。
神武天皇(紀元前660年)→ 崇神天皇(0年)→ 天智天皇(667年)→後醍醐天皇(1333年)などである。
「神武天皇」と「崇神天皇」其れに「天智天皇」は、自分の政治を行う事が適ったが、「後醍醐天皇」は足利尊氏の叛乱に遭い、失脚した為に、自分の想いが適ったとは言い難い。
その後、667年間、政治は天皇の手には返っていない。
明治維新に因って攘夷が行われても、其れは、官軍となった旧薩長連合が幕府に取って代わっただけであり、天皇直接の政治(まつりごと)とは言えない。
昭和天皇は、第二次世界戦争の出来事で苦しんだようで、崩御した平成元年1月7日の夜に、私の心臓に飛び込んで来た。
そして、2月24日大葬の日の未明に霊夢に現れて、「我が身 すでに遠く 良き世を 願い奉る」と私に告げた。
昭和天皇も、自分の意が適っていなかったのであろう。
其れでも、やはり、天皇は天皇の霊である。
天皇の御霊は、自分の栄華を極める為ではなく、国民の幸福を願って、日夜精進する霊の系統である。
その役目が実行できなかったので、私に、その役目を助ける様に、云って来たのだ。
私にも、自分の願いが、他に有った筈なのだが、天皇の霊魂の所為か、今では日本の国の事、世界の人類と地球環境のこと等、其れ等の事しか、頭にはなくなっている。
私の個人的な願いは、天皇陛下の国を思う願いに、すり替わってしまったのである。
代々の天皇の願いが適う事が、私の願いも適う事になるのだろう。
「帝・テイ」【解字】象形。甲骨文でもわかるように、木を組んで締めた形の、神をまつる台の象形。天の神の意味から、天下を治める、みかどの意味を表す。帝を音符に含む形声文字に、締・諦・蹄などがあり、これ等の漢字は「しめくくる」の意味を共有している。
【字義】@みかど。きみ。天子。「帝王」「皇帝」Aあまつかみ。天の神。「天帝」「上帝」Bかみ。五行の神。C大きい。
漢語林より
法記念日
平成13年5月3日
礒邉自適
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