言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2001/8/30
考察
13・8・30
「考察」とは、物事を明らかにする為に、良く調べて考えることの意味ですが、調べる側の立場が問題です。
考察する人の物差しが間違っていれば、その調べた事も間違ってしまいます。
現代の世の中では、この考察をしている人の立場や能力が、問題なのです。
情報が正しいのか、間違っているのか、考察者を選ぶ人の、考察力が問題なのです。
考察の「考・コウ」は、老人の意味で、「老人の考え・年とっているが 人生体験が抱負で 知恵が有る」の意味ですから、人生体験が豊かな人がつまびらかにする、明らかにするの意味です。
「察・サツ」の文字は、家の中で神をまつり、神の心をはっきりさせるの意味ですから、神の心をはっきりさせるのは、知恵有る老人の意味なのです。
だからと言って、無意味に人生を送り、歳を重ねても体験が少なく、何の洞察力の無い者は、考察者としての資格は有りません。
特に現代では、学校の教育だけ済ませて、社会の中核の位置に座っている人が多いので、考察力が有るとは言えません。
昔は、男も、女も、其々の立場で生きる体験を積んでいたので、社会全体の考察力は、高い位置に有りました。
処が現代では、民間レベルのテレビ番組で、三面記事的内容が休みなく放送され、人間の洞察力は地に落ちてしまいました。
政治の世界は、特にその弊害が大きく、正しき道を歩いている者は、票が集まらずに落選し、国民として、実に恥かしいレベルの人が、政治の世界を動かしています。
今や、日本社会全体のレベルが落ちて、何を見て良いのか、全く分からない時代となりました。
古代の社会の様に、其々が、独自に自然の中で生活していた時は、良かったのですが、数名の人の指示で、国全体が動かされる様な現代社会では、人の上に立つ者の考察力が、一番の問題であります。
私達が、いま一番気を付けて見なければならない事は、社会を良く導く人は果たして誰なのか、正しく物事を見詰め、神の御心を知る事が出来るのは、誰なのかを、良く見極める事です。
情報社会に成れば、社会の中心に在る人の、一言一句が非常に大事です。
選ぶ人も、選ばれる人も、自分が、何をどう言う風に見ているのかの自覚が、大事です。
「考察」の意味を、今一度、肝に命じなければならない時を、迎えたと言えるでしょう。
平成13年8月30日
礒邉自適
2001/8/24
遊び心が本当の心
13・8・24
今朝のメッセージに、「あそびこころが 本当のこころ」と出て来た。
其の、言葉の中では「本当」だけが、中国からの輸入の言葉で、「あそび」も「こころ」も、日本の言葉である。
「あそび」の「こころ」が、何の「こころ」か、本当に当たる言葉を捜してみる。
「本当」を、日本語読みすると「もとに あたる」と読む。
「本に当たる」とは、根本の事である。
是を、日本の古い言葉で探ると、「根の国・島根」が出て来る。
大陸から、「素戔鳴尊」が辿り着いた国が、根の国・島根である。
島根は、「出雲の国」と呼んだ方が、覚えが良い。
其の出雲の国は、「大国主命・おおくにぬしのみこと」が国造りをして、天津族の「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)」に、国を譲った国柄である。
出雲には、古い言葉が澤山残されている。
・「ひと」は「人」ではなく「霊留・ひと」である。
・「ありがとう」と「ごめんなさい」等の、新しい言葉は無く、「だんだん」である。
・「くまくましき谷」が、神の宿る土地であり、・「すがすがしい地」が、人の住む土地である。
出雲の言葉には、仕事に仕える人の言葉が無い。
全てが、部落共同体、氏族支え合いの言葉だ。
言葉が、「あそび」で出来ているのである。
出雲の言葉は、コミュニケーションの言葉であり、ビジネスの言葉ではない。
人間は「霊留・ひと」として、全ての暮らしは「おかぐら・神楽」なのだ。
生きる事を楽しみ、あそび感覚の時、人の言葉は、心の素のままに現れるのだ。
現代社会は、ビジネス社会だから、全てが、駆け引きの手段に、言葉が使われている。
何の「すがすがしさ」も「くまくましさ」も残って無い。
人間の、本当の真心の言葉は、神と共に在る時、神楽の状態の時が、真実の言葉である。
「神楽・かぐら」とは、神霊と共に、遊ぶ時の言葉だ。
我々人間は、この地球に仕事をしに来ているのではなく、神の為に、生を楽しみに来ているのだ。
その、遊びの心の状態に、真実の言葉が交わされるのである。
その証拠が、子供達の遊びの言葉だ。
彼らには、駆け引きの心は無い。我々成人が、子供の心を取り戻す時、真実の言葉が蘇るのだ。
その場が、神社のお祭りで、お供え物を、神霊と共に食べる「直会・なおらい」の食事である。
「直に会う」とは、誰と会うのか。
それは、「産土神・うぶすなかみ」であり、「氏神様・うじがみさま」と言う、先祖の御霊なのである。
真実の言葉は、先祖と共に生きる為に、絶対的に必要な物なのだ。
それが、今日の、私の「あそび」の言葉であり、私と、神霊とのコミュニケーションなのである。
平成13年8月24日
礒邉自適
2001/8/20
善悪
13・8・20
「善」は解決する事で、「悪」は次へ持ち越す事。
人間は、問題が解決するとホッと安心するが、問題が長引いて根深くなり、拗・こじれると悩み、仕事が手につかず、病気に成ったりして、家庭まで壊れたりする。
善悪の文字は、その理・ことを表現する象形文字である。
「善」の漢字は「羊+誩」の組み合わせで出来ている。
「誩」は、原告と被告の発言の意味。羊を神の生け贄として、神の前で良い結論を求める様から、良いの意味を表す。
「悪」は、「亜+心」の組み合わせで「亜」は、甲骨文字の、古代の墓の部屋を上から見た形にかたどる。先祖の墓を造って祭る。次の世代の意味から、次のものの意味を表す。と、載っている。 (漢語林)。
此の漢字の意味からすると、「善」は問題を先送りにしないで、出来るだけ早く解決し、積み穢れを防ぐことだ。
「悪」は、その反対で問題を先送りして、次に継いで行くことを意味している。
此の事からすると、弁護士は悪の為に在ることになる。
イエスキリストは、裁判所へ行く前に、相手に直接会って、問題を早く解決する様に教えている。
正しい弁護とは、其の問題を抱えている相互が、早く善い答えを出せる様に、言葉の応援をするのが役目であって、現代の様にお金儲けの為に、問題を複雑にする事ではない。
アメリカなどでは、本人は気付いていない事でも、金に成りそうな事を捜し出し、其の事を問題として取り上げ、裁判所に持ち込み、訴訟を起こしている。
是は、善悪の「悪」より、もっと悪い遣り方である。
神や、自然の中には、悪の世界は無いのだが、人間自身が、欲望の為に悪を作り出しているのだ。
悪魔とは、人間が、自分自身で創出した世界なのである。
天・神の働きには、生命を育み、慈しむ事しかない。
其れを、中国の老子は「嗇にしくは無し(天の働きは種を蒔いて育て収穫する。其れより他の事は何も無い。)」と謂っている。
私の人生も、その神の意志の内に在るのだ。
平成13年8月20日
礒邉自適
2001/8/13
「カン」の箇所には辞書の字を入れて読んでください
「萑・カン」
13・8・20
1999年1月20日の夢に、私に対して「求める」との意識が現れて、「萑・カン」 の文字が映って来た。
私は、朝起きて「 カン」の文字を、漢語林で調べて見た。
「萑」 は「古字参考」で、@スイ A漢・カン 呉・ガン と読み、【解字】形声。「艸+隹」。【字義】(一)@草の多いさま。A薬草の名。めはじき。やくも。(二)@おぎ。荻のじゅうぶんに成長した物。若いものを菼(タン)という。A萑蘭は、涙の流れるさま。と 載っている。
何故、この「萑」文字が「求める」の意味と、一緒に出てきたのだろうか。
誰かが、私に、何かを求めて訴えている事は分かったので、しばらく考えてみた。
すると、頭に浮かんで来たのが「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る 其の八重垣を」の歌である。
この歌は、日本初の和歌として伝えられている歌で、島根県雲南市(旧大原郡大東町)須賀に在る「須我神社・すがじんじゃ」が発祥とされている。
須我神社は、「須佐之男命」と「櫛稲田姫命」が新居を構え、住み着いた場所として伝えられ、夫婦と、長男である「清之湯山主三名狭漏彦」が、共に祭神として祭られている。
私は、1998年の11月1日より、この大東町に住み、よく須我神社にはお参りをしている。
だから、私に、何かを求めて来たのは、須佐之男命ではないかと想い、歌の意味から、須佐之男命の気持ちになってイメージをして見た。
歌には「八雲立つ」と有るが、「八重雲・やえぐも」と言うのは自然だが、「八雲立つ・やくもたつ」と言うのは変だし、雲は「たなびく」とは言うが、「立つ」とはあまり聞かない。
私が、辞典を出して調べてみると、古事記では「八雲」ではなく「夜久毛立つ 出雲八重垣・・・」で「八雲」ではない。
是で「八雲」の文字を使ったのは、近代に成ってからだと言う事が判明した。
須我神社から、車で20分程の所に存在する、同じ祭神を祭る「八重垣神社」に行って見ると、八重垣神社の説明版には、古事記通りに「夜久毛立つ・・・」と書かれている。
此の事からも、判かる様に、「八雲」と書いた人が、間違いを犯しているのである。
其れでは、「夜久毛立つ・・・」の「夜久毛」とは、何なのかと考えて見ると、歌の後の「八重垣」から「垣根」の事だと言うことが分かる。
すると「夜久毛」とは、垣根の材料である事になる。
何が、材料かとなると、此処で、1月20日に夢に出て来た「萑・カン」の文字の意味がハッキリする。
「夜久毛」とは「萑・めはじき・やくも」の事なのだ。
私に求められて来たのは、言葉の間違いを正す事なのである。其れで、此のお告げは、須佐之男命が、私に文字の間違いを訂正する事を、頼んで来たことであるのが理解できた。
神社で唱えられる祝詞には、「神魂の思頼・みたまのふゆ」と言う言葉が有るが、それはこの世に生活して居る人間が、禊ぎ祓いをして、昔の人の御霊・みたまを、自分身体に「依代(ふゆ)」し、思いや、頼み事を、聞き取る事を伝えるものだ。その意味からすると、私に其の「神魂の思頼」が起きた事に成る。
そうすると、私が、「須佐之男命」の願いを、受け取らなければ成らない事になる。
日本の住居には、周囲に垣根をするのが一般的である。
垣根に付いて、一番古いと思われる伝説が、この須我神社の和歌である。
須佐之男命が、愛する「寄稲田比売媛・くしいなだひめ」の為に、新居の回りを垣で囲いをし、其の心境を歌ったのがこの「萑(やくも) 立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」の歌なのである。
「萑」とは、昔し、垣根に使われた草の茎の事らしい。
「萑」とは、「益母・やくも」の事で、漢方にも使う薬草で、人間の背丈程にも伸びる多年草だと、辞書に載っている。
日本名では「めはじき」とあり、毎年春に芽を出し、夏には花を付け、秋には枯れてしまう一年草である。
その茎が、人間の顔の高さまで達して、枯れて立っていると丁度目に当たるのであろう。
昔の人々は、細い道を歩いていたので、前の人が、草を押し退けて進んで行くと、曲がった茎がハネ返り、後に続いている人の、目をハジいてしまうので、この「目ハジキ」の名前が付き、又その名を付ける事で「目ハジキ」が生えている場所を通る時は、目をハジかれない様に、注意しなさいとの、心構えにも成ったと想われる。
文字の意味が、良く理解されていない時代に、表音の為に「夜久毛」の漢字が使用され、須我神社では石碑を彫る人が、後の「八重垣」の「八」と混同して「八雲」と彫ってしまい、それから後の人々は、「幾重にも 雲が立ち昇った」と、イメージをする様に成ったのだろう。
「八雲」ではなく「八重雲」なら、棚引くであり、棚の様に横に段々で重なる状態だから、縦に立つとは云わない。
和歌は、自然の情景に、自分の心を歌い込む事だから、自然の絵が、しっかりと魂しいにイメージ出来なければならない。それが、この「八雲」では不自然である。
詩の文句を、「萑」か、「益母」に変えられないのであれば、元の「夜久毛」に戻すしかないだろう。
神社の役目は、御手洗で意識を洗い「ア」から「ウン」までの「48音・言霊・ことたま」を、清める事に有る。
其れが、日本で一番古い神社で、言葉が間違っていたのでは、須佐之男命もさぞや困っている事だろう。
現代の人間は、神社は、願い事をする所だと勘違いをしているが、本来の神社は、御霊を祀る「御陵・みささぎ・陵墓」であって、御霊の供養をする所である。その供養の役目の人を、「禰宜職・ねぎしょく(ねぎらう仕事)」と呼ぶ。
本来は、その氏族の子孫が、先祖を敬う事が、御稜の始まりであるので、現在のお墓と、同じ意味を持つものである。
昔は、「霊魂は永遠に存続する」との考えが、当然の事だったのである。
其の、永遠性の価値観の中で、見知らぬ男女が巡り会い、結ばれて一緒に生活を始めたのである。
現代と違って、昔は、自然と人間の間には、何も意識を妨げるモノは無かったのだ。古代社会の人間は、自分の生活の事だけが、意識の中心だったのである。
人気の少ない山中に、二人だけで住み着く事は、さぞや心細かったに違いない。3000年の昔なら、まだ、日本狼や熊等の獣も、澤山居たであろう。
「自然」の「然・ゼン」の文字は「月+犬+火」の組み合わせで、「狼が満月に向かって吠える」意味から、出来ている事からしても分かる様に、両親から離れて、慣れない生活を始めた、心細い新妻「寄稲田媛」に対する、須佐之男命の気持ちが、痛いほど良く伝わって来る歌である。
此の歌は、新妻を大事にする為に「お前の為に 新居の回りに 幾重にも垣根を立てて 大事に護るよ」との、意思表示だと考えて良いだろう。
現在では、垣根は、石垣やブロック塀、其れに板垣や生け垣と成っている。
昔は、刃物も発達していないし、工場も無いから、出来る事には限界が有ったのだ。
秋には、枯れて、根本から折れる「萑・益母草」は、垣にもなるし、台所で使う火を起こす事にも、手近に使われていたと考えて良いだろう。
私が、「夜久毛立つ」の歌を良く噛みしめていると、現在使われている言葉の「愛人(めかけ)を囲う」が、この歌と同じ意味を表しているのではとの、想いに至るのである。
「女を囲う」とか、「囲い者にする」とかの世界が、表現されたのが2000〜3000年前からだと考えれば、男性が、愛する女性を大事にする為、あるいは他の男に見せない為に、垣根を造る事は当然の事であり、もっと遙か昔より、人間の本能として、存続しているものと考えて良い。
日本の天皇家で、一番大事な「大嘗祭・だいじょうさい」の儀式の建物の「悠記殿、主記殿」の周囲には、柴垣が立てられるとの事である。
其の事からも、垣は重要な意味を、現代まで伝えている。
神社の周囲にも「瑞垣・みづかき」と言って、石垣が造られているが、それも外垣、中垣、内垣と三重に造られる。
その意味は、外からの邪念が入らない為とか、悪霊の侵入を防ぐ為とか、云われている。
何れにしても、数千年来続いて来た、垣根の文化は、当分日本から無くならない様である。
「もとめる」と伝えてくる神霊が住む間は、誰かが「神魂の思頼・みたまのふゆ」を受け続け、その伝統は続いて行くだろう。
現代を、生きている我々にも、元始の謎を知りたいとの本能が有る。
其れに、人間は「大日如来」とか「阿弥陀佛」とか「タオ・道」「ダルマ・法」と名付けて、自分の心の源郷を求め続けている。
仏陀の第三の目や、ルシフェルの目とかは、私達の意識の始まりを、表現する言葉なのである。
「もとめる」とは、日本語の本当の意味は、元気の「元」と同じく、「元の目(意識)」を求める意味ではないのだろうか。
元始の目こそ、宇宙の始まりの意識の本体なのだ。
インドの釈迦仏陀は、その意識に目覚めた者を「ブッダ(覚者)」と謂った。
旧約聖書には「始めに 言葉ありき 言葉は神なりき」と有る。
我々人類が、「言葉(真言・マントラ)」の意味を正しく知ろうとするとき、元始の響きが聞こえて来る。その言葉の広がりが、此の日本では、和歌の世界と成って伝わって来たのである。
今、その始まりの処が、再び目覚め様としているのだろう。
「萑」の夢告は、その始まりの予告なのだ。
平成13年8月20日
礒邉自適
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