言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2002/12/28
本物は孤独
14・12・28
昨夜、床に入って寝ようとしたが、昨日から気温が下がり、屋久島でも布団が冷たいので、暖まるまで眠れないので、もの想いをしていると、自分は正月も来るのに家族とも会えないで、孤独だと感じた。
しかし良く考えてみたら、「イエス」も「釈迦」も「老子」も皆、孤独を自分から選んだ人達である事に、改めて気付いた。
と言う事は、私も、本物の部類に近付いたのかと、考えたりしていた。
そして、何故、真理・真実を求めると、孤独にならなければ成らないのかを考えて見た。
それで、私が出した答えが、「意」と言う漢字を「おもい」との大和言葉に使用する事である。
「意」とは「心+音」で、「音」は「人の言葉とならないおとの意味。言葉になる前の、おもいの意味を表す。」と 載っている。 漢語林
「意」とは、自分のおもいを言葉として口に出さないで、おもっている事を表している。
「おもう」の漢字は、「以」「侖」「念」「思」「惟」「意」「想」「憶」「懐」「謂」と有り、其々の文字が人間の「おもい」の多様さを表している。
人間は、シャベル・話す為には、話し出すの前に、何等かの「おもい」がなければならないが、その「おもい」が、何の為に、何処から立ち現れて来ているのかを、確かめなければならない。
単なる、昔の思い出だけなら害は無いが、怨みとか、妬みの「おもい」は、自分だけではなく、他人迄も害する「おもい」である。
では、聖者と云われている人達の「おもい」は、何であったのだろうか。
イエスの「おもい」は「愛」であり、釈迦の「おもい」は「人々を成仏・ブッダ・覚醒」させる事であり、老子の「おもい」は「道徳」であった様である。
其れは、三人三様だが、根本的には同じく、人類の幸福を願っての行動である。私が、其の三名の事を想うと、三名とも、幸福な人生を送ったとは、とても言えない様子である。
「イエスキリスト」は磔で殺され、「釈迦仏陀」は孫に囲まれ平和に暮らしたのではなく、旅の途中で食中毒にて倒れて死んでいるし、「老子」も一人で、行方知れずになったままである。
しかし、孔子やマホメットの子孫は、大勢残されている。
其れは、日本の神武天皇らと同じである。
前者の三名は、そうではない。
特に、イエスは一人ぼっちで、34歳の若さで殺されている。
イエスが殺された原因は、「おもい」を「愛の行為」として行動し、権力者を刺激したからである。
「おもい」が「意」では無かったのである。
「おもい」を、音にして攻撃し、敵を作り出し、其の敵に殺されてしまったのである。其の様に考えると、イエス自身が、殺人者を生み出してしまった事になる。
「おもい」を、愛ではなく、「意・おもい」にしていれば、釈迦や、老子みたいに生を全うし、魂しいの完成を見たと考えられる。
其の点、モーゼは「休息」をテーマにし、戦いを避けたので、老子に似た生涯を送っている。
空海・最澄・一休・良寛は家庭を持たず、子供も残していない様である。
日蓮は、少し風変わりで、イエス的行為を繰り返しているが、殺される処までは行かなかった。殺される寸前に、奇跡が起きて止まっている。
では、私は、彼等のどのパターンで進んでいるのだろうか。
私は、イエスや日蓮の事件が参考として有るので、無茶な事はしない様にしている。
日本には、未だ、過激な人達が居るので、下手をすると殺されかねない。
それかと言って、神武やジンギス・ハーンの様な事が、出来る御時世でもない。
イエスやサイババの様に、奇跡を示して人を集める訳でもないし、孔子やイエスの様に弟子を引き連れて、旅回りをする訳でもない。
一番近そうなのは、老子であるが、私は老子ほど、文字や言葉を把握出来ていないので、一生掛けても、老子に追いつく事は出来ないであろう。
私は、自分の見た夢を、書き残すぐらいの事しか出来ないので、明恵くらいが関の山であり、一休さんの様に気転も効かないし、良寛さんの様に、子供と鞠付きをしようと想っても、其の様な、子供の相手も居ない世の中である。
結論としては、過去の時代の人と、同じ様には行かないのであろうと言う事だ。
昔とは、社会構造や時代背景も異なるし、人心も変っている。
旅をするにも金が必要だし、モーゼやイエスの様に、他人の畑の作物を無断で盗って食べれば、直ぐ警察に携帯電話で通報されて、捕まってしまうのが落ちである。
私は、現代に合った生き方をして行くしかない。
当分は、自分の気持ちの整理の為に、日記を書いてインターネットに載せ、世の中の反応を見て行くしかないだろう。
仕事も、家も、家族も全部捨てて、出家したのは、釈迦の行動に似ているが、文字を自分で書いている事は、釈迦とは違っている。
イエスも文字は書いていないし、文盲の弟子を集めていた様である。
だから、イエスキリストの教えは例(たとえ)話だと伝えられているし、釈迦仏陀の教えを伝える、仏教の経典は「嘘も方便」の「方便品」である。
私は、有り難い事に、義務教育は受けているし、手の平サイズの電子手帳には広辞苑が丸ごと入っているので、文章を書くのに不便は無い。
だから、過去の人々の、どのパターンとも同じではない。
逆に考えれば、過去の人達の良い処を、全部取り込んで、更に一歩進んでいると言っても、過言では無い様に想われる。
釈迦や、孔子の様に、風雨に晒されながら歩き回らなくても、インターネットで、世界中に謂いたい事を、発信出来る世の中である。
口にしなくても、「意い」は文字や映像に托して、発信出来るのである。
そして、一番大きい奇跡的な事は、自分の意いは、脳でイメージ化された時、デジタル信号となって、I・T社会の送信設備に侵入し、全世界に、脳波が電波として飛び出して行くと言う事である。
宇宙の真理と、一体化した者の精神波動は、額にある第三の目と言われる「珪素・シリコンの結晶」である、「松果体」と呼ばれている器官から、信号として発進され、その信号は、花崗岩の岩とも共振するのである。
其の理・ことは、空海・モーゼ・マホメット・イエス・王仁三郎・役の行者などが、皆気付いていた理・ことである。
唯、其の事が、当時の人には、説明不可能だっただけである。
言葉で発して、音にしなくても、「おもい」が伝わる理・ことを、知っていた人達は多い。しかし、残念なのは、それが普通の人には、体験が無い為に、理解されなかった事なのだ。
それが、現在では、小さな携帯電話で、世界中に電波が伝わって、話が出来る事を皆が知っている。
それと同じ事が、人間の脳でも可能だと、理解される日は近いだろう。
携帯電話や、インターネットは、人間世界の情報だけだが、人間の脳はもっと優秀で、神霊とのコンタクト・通信も可能なのである。
音(言葉)にしなくても、「意い」が伝わる日は近い。
本物も、孤独ではなくなる日が、近いのではないだろうか。
平成14年12月28日
礒邉自適
投稿者: isobejiteki
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2002/12/24
195
14・12・24
12月8日の夜「195」と数字が出て、何の数字かわからないで居たが、今日に成って、世界の国の数ではないかと想った。
12月8日は、釈迦が「ブッダ・仏陀・覚醒・佛」と成って「ダルマ・ダンマ・法」に繋がった日であり、日本が第二次世界大戦に突入した日でもある。
また、ビートルズの「ジョン-レノン」の命日でもある。
其の日に「195」と数が出たのは、世界各国と言う意味ではないだろうか。
ジョン-レノンは、国境を定めているのは人間意識だけで、本来は国境など無いのだと歌っている。
太平洋戦争が終った、昭和20年8月15日には、奈良の「矢追日聖氏」に地球儀が現れて、世界中に日の丸が立っており、「新しい意識革命が 日本から起きる。その為に 今回の戦争は必要であったのだ。」と、告げられている。
「正傳矢追日聖」http://moon.ap.teacup.com/20061108/568.html
釈迦は「末法の世に 弟子の『弥勒菩薩(有情の菩薩の意味)』が輪廻転生して 衆生を救う」と告げている。
これ等の事は、単なる偶然ではなく、宇宙の意志の働きではないのだろうか。日本に生まれた「日蓮聖人」は、「広宣流布」と言って、世界に釈迦仏陀の教えの「法華経」が広がる事を念じている。
私を、動かして来た諸天善神の中に、確かに日蓮上人も居た。
霊界には、確かに、一致団結したチームが存在する様だ。
私は、1984年6月4日(旧5月5日)に、自宅前の安房川の岸辺で、無庵師匠の手に拠り「禊の儀式」が行われ、イエスキリストの謂う「聖霊に満たされる」、神道で言う処の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きた。
其れを、仏教では「虚空会の儀式」と言うらしい。
日本の天皇家では、その儀式を「大嘗祭・だいじょうさい」として、新天皇が位に着く時に行われる。
其れと同じ事が、釈迦が木に寄り掛かって休んだ時に、起きたのだろう。
釈迦が、何をしたかと言うと、宗教の教団を起こすのではなく、「真理・ダルマ」を共有体験する、仲間作りである。
その仲間も、今世の人だけではなく、過去世を生きた霊魂達も、その仲間として扱っている。
龍神や、鬼神までもが、釈迦の説法を聞きに集まったと、経典には記されている。其の様子を、日蓮は「南無妙法蓮華経」の本尊・マンダラに、文字で画いている。
創価学会の二代目会長「戸田城聖氏」も、平和運動で政府に捕られて、獄中で其の神霊界の様子を幻視した様である。
そして7月3日、広宣流布の決意に燃えて、出所したと述べられている。
昨日、昭和48年7月3日生れの「鬼頭知直」と言う若者が、初めて自宅を訪ねて来た。話をすると、日本国中旅をして、東南アジアも回り、屋久島で生活を始めて一年経つとの事である。
其の鬼頭君は、本来は真言宗の寺を継ぐべき血筋であるけれど、中学2年生の時から旅に出て、現在に到ると言う。
話の内容を聞いていると、是から、私が遣らなければ成ないと感じている事を、今日からでも、出来そうな青年である。
昨日12月23日は、平成天皇の誕生日であり、奈良の大倭あじさい邑の故「矢追日聖氏」と、救世教の「岡田茂吉氏」の誕生日でもある。
矢追日聖氏が設立した、奈良市の「大倭あじさい邑」では、毎年其の12月23日に「元旦祭」が行われており、新しいカレンダーの準備が始まろうとしている。
世界195ヶ国に、新しいカレンダーが普及される日が来るのであろうか。
私のイメージの中では、着々と、新しい未来社会の様子が組み込まれている。
日々、其の実現の為の人材が、組み込まれている様である。
追記
「195」の数が国の数ではないかと言っていたら、岡山のA.Kさんが外務省に電話を掛けて調べてくれた。外務省の答えでは、日本が国と認めているのは現在191ヶ国で、東ドイツが無くなったが、東チモールが独立したので、数は同じであるとの事。
外交上、認める事が出来ない国、台湾やチベット等、中国の一部とされている国や、ハワイ等のアメリカ国の一部とされている別の州もある。
若しかしたら、其れ等の国々も別々に数えると、195ヶ国が確かに存在するのかも知れない。
平成14年12月24日
礒邉自適
2002/12/24
つばくろ
14・12・24
今朝のメッセージは、「つばくろ」との言葉が告げられて来た。
朝起きて、辞典で「つばくろ」を調べると、「つばくら」の転で、燕の事とあり、竹取物語「つはくらの 巣くいたらば 告よと 給ふを」が 載っている。
辞典言泉
「燕・ツバメ」は渡り鳥で、初夏に日本に渡って来て巣作りをし、子供を育てて、秋には子供と一緒に南に帰って行く。
どうして、ツバメの事が、「つばくろ」として出て来たのだろうか。
日本に、ツバメが渡って来て、巣作りを始めるのは、季節的に丁度田植が始まり、稲の苗が育ち始める頃である。
其の燕は、一昨日の文章に書いた「瑞穂の国」の情景には、切っても切れない関係性を持つ鳥である。
燕は、水田の害虫を食べてくれる、人間にとって益鳥だから、昔から、日本人は燕を大事にして来た。人間と燕は、一番共生関係にあり、仲良き間柄である。
人間に一番害の無い鳥は、燕であろう。
「瑞穂」の言葉に、其の燕が加われば、日本の田舎の風景は決まりである。
「燕の巣作りが 始まれば 告よと給ふ」その句に、付いても意味が有れば、私にも、何か良い知らせがあるとの事だろうか。
私が1984年の3月5日より修行に入り、神憑りに成ったのは丸3ヶ月後の6月4日(旧暦5月5日)であった。
6月4日頃の、屋久島の風景は、紫陽花が満開で、梅雨空を燕が飛び交っている。
来年の春に成れば、私が、神の世界に触れて丸19年と成る。
燕が、何か、新しい知らせを運んで来てくれるのであろうか。
楽しみにしておこう。
是も、自然豊かな瑞穂の国だからこその、楽しみであろうから。
追記 昨日、岡山県△△町のA.Kさんより電話があり、「何か 変化が有りませんか?」と聞いて来た。昨夜は、「何も無いよ」と答えていたが、今朝は思い当たる事がある。
私は、A.Kさんの自宅に行った事があり、その時ビックリしたのは、牛舎に何十もの燕の巣があり、何十羽もの燕が飛び回っていたのである。
普通は、一軒に、一巣か多くても二巣ぐらいであるから、余程、餌になる虫が多いのだろうと想った。
A.Kさんは、12月22日の夜から23日の朝方にかけて、コンサートを開催した。
私の友人の田中竹仙氏に、夜2時間三味線の演奏をして貰い、夜明けにはオーストラリアの原住民の楽器「ディジュリドゥー」での演奏をして貰ったとの事。
12月22日から、23日は冬至の前後であり、マヤの暦でも意味ある日とされているし、クリスマスの祭りも、本当は、ヨーロッパのケルト族の「冬至祭」に関するものであると言われている。
イエスキリストの祭りと言うより、ケルトの冬至祭に、イエスやサンタが合体されたものであろう。
A.Kさんは、今年から、オーストラリアに住むダチョウの飼育を始め、40数頭を飼っている。ダチョウの居る「つばくろの里」の村が、出来るのかも知れない。
平成14年12月24日
礒邉自適
2002/12/19
正蔵神宝所
14・12・19
今朝の霊夢には、70歳ぐらいの眼鏡を掛けた恰幅の良い、物思いに耽っている感じの、男性の左側上半身が映って来た。
其の姿を見ていると、「正蔵神宝所」との漢字が浮かび、続いて30歳ぐらいの理知的な美しい女性が、表情豊かに「早く話して欲しい」と、訴えているのが映った。
私は、其の女性の指示に従い、何を話せば良いのか戸惑っている内に、其の夢の場面は終った。
この夢の意味は、単純に受け取れば、「正しい蔵書は 神の宝であるから 図書館を造れ」との事に、成るのではないだろうか。
昨夜8時より、長峰の「朝比奈敏子さん」宅に、私と、宮之浦の「長井三郎氏」とで、三名が集まり話をした。
屋久島には、文化資料が乏しいので、「自分達で 何か出来る事をやろう」と言う事になり、取り敢えず地層学の勉強から始めようとの事で、その第一回目の集会となったのである。
今朝の霊夢は、其の事を、霊界も支持するとの事ではないだろうか。
人類は、伝えられている言葉や物品で、自分達の思考を組み立てて、文化を創って行く。
その文化の、基礎である何かが間違っていれば、思考は真理から外れて行く事になる。人類にとって、文化は大事なものであるが、正しい物でなければ、無い方が良い。
今朝の夢は、母親に成るべき女性に、正しい情報を与え、蔵書を選択する者は思慮深く、経験豊かな、正しい見識を持った人でなければ成らないとの理・ことであろう。
霊界の「神霊の思頼・みたまのふゆ」と、現世の動きが、段々とスムーズに進み出した様である。
平成14年12月19日
礒邉自適
2002/12/17
文(あや.おもい)
14・12・17
今朝の霊夢は、レベルの高いもので、内容は幾通りにかに分かれているが、其の内容はたった一つの方向性を示している理・ことは理解出来る。
其の方向性とは、人間が此の世に存在する本来の目的である「魂の完成」と「人類の新たな進歩」を速す、何等かの指針と成るモノであろう。
1、先ず、光の世界の中に、波打つ地層が映り出されて来て、幾重にも重なった黄土色の堆積層の土中に、何かの意識が存在している事が感じられた。
すると、場面が、深い大きな谷に変り、その谷底に温泉らしき物が有った。
其れは、岩から湧き出している鉱泉で、高温の所為か湯気が上がっている。
其処に、自分の意識発生の記憶が在る様だった。
2、次の映像は、「文」の漢字が現れ、其れが、自分の體・からだであり、胸の意いがセンターとなって、「文・あや・おもい」を創造していると、実感されて来た。
3、そして次に、三つの建物が順番に映って来た。
一番目の建物は、大きな建物の玄関に、何10足もの履物が脱がれて有り、澤山の人が、奥の部屋に相談に訪れている様子である。
二番目の建物は、建物が立ち並ぶ街の中でも、一際大きい、20〜30階程の高さのビルディングが建っている。
其の大きな建物は、ホテルか、会社の様な、経済的な活動に使用される物の様である。
三番目の建物は、緑色の屋根の大きな庭園が有る10階建て程の建物で、入口が遠くに見えるほど前庭が広く、建物の周囲には、大きな樹木が植栽されている。
其の建物の他には、建造物は見当たらず「ワシントン」との言葉が来たので、政治的な「まつり事」に使用する施設だと受け取れた。
4、次は、「ケビン-コスナー」の名前が出て、何の事だか解かりかねていると、「光の速度に定着する」との意味が示されて来た。
5、そして次ぎに、白い衣装が畳まれて現れて来た。
其れは、私が是から着る事になる、衣装のように感じた。
「1」の私の解釈は、「黄土」の堆積層だから、植物性プランクトンの死骸で出来た、地層の部分を表している様に想われる。
そして、其のプランクトンである微生物が誕生したのが、岩層から湧き出す、鉱泉のミネラルの泉からだとの、メッセージではないだろうか。
其れは、メッセージと言うよりも、私の魂が、潜在意識の記憶を、取り戻したと言った方が、適切かも知れない。
私は、昨夜で三日連続、夕食に、有明海の干潟の泥に生きる牡蠣を食べた。
其の、牡蠣の細胞の記憶が、私の身の細胞に情報を齎らしたのかも知れない。
科学者の研究の成果で、地球生命の全ての源は、岩から溶け出したミネラルの、粘土の海である事が解明されている。
最初に出来上がった微生物は、自分から酸を出して岩を溶かし、ミネラルを吸収して生きて居たと言うのである。
旧約聖書にも「神は 自分に似せて 粘土で人を創った」と有るので、古代の人も、意識の世界で、其の理・こと気付いており、中国の有名な「孫悟空」の話にも、悟空は岩から誕生した事にされている。
古代から、何等かの形で悟りを得た人々は、生命が、岩と繋がっている事を感じていたのであろう。
「2」の場面は、「文」の文字が自分の肉体と一体となっており、自分の気持ちが胸の所にある理・ことが自覚されて来た。
「文」は、日本語で「あや」と読むように、自分の気持ちを言い当てている。
「あや」は「物の面に表れた さまざまの線や形の模様、特に 斜めに交差した模様、綾。 人間の気持ちが様々に変化する事から、「心のあや」とも使用する。
漢字の「文」の成り立ちは、「甲骨分― 金文― 篆文」で、「人の胸を開いて、そこに入れ墨、模様を書くさまにかたどり、模様、あやの意味を表す。」とある。 意味は「あらわれ、のり法律、礼儀」までもが含まれている。
「文・ブン・モン」象形。人の胸を開いて、そこに入れ墨の模様を書くさまにかたどり、模様・あやの意味を表す。文を音符に含む形声文字に、彣・紋・雯などがある。
【字義】@あや。模様。かざり。いろどり。外見の美。外観的装飾。Aあらわれ。現象。Bすじ。すじみち。Cのり。法律。礼儀。D文字。Eことば。語句。文句。Fことばをつづって、まとまった意味を表すもの。特に文章をいう。
Gふみ。書いたもの。文書。書物。手紙。H学問。芸術。道徳文化。↔武。
Iよい。美しい。みやびやか。J仁徳。めぐみ深い徳。」
漢語林より
私の精神が、胸のセンターに強く納まり、其れを意識が認識していた事になる。
人間の気の持ち方が、胸の中心に存在する事は、古代の人々には常識だったのだろう。
だから「心・ココロ」の日本語の意味である「コロコロ変化」する気持ちを定める為に、自分にとって一番大事な「文・おもい」を印として、入れ墨をしたのだろう。
「文」は、言葉そのモノなのである。
漢字の「言」は「入れ墨をする針と口(言葉)」の組み合わせで出来ている事からも、文字と言葉の成り立ちにも、共通性が見えて来る。
私は、其の意識の源点に、今朝辿り着いていたのだろう。
「3」の場面は、三つの建物が場所と共に映って来た。
現れた建物は、其々が意味を持ち、使用の方法が決められている様である。
最初の建物は、日本建築様式で神社の社務所的な造りで、精神的な活動の拠点となっている様であった。
玄関の土間には、敷石が敷かれており、床は板張りで、土間よりは10cm程高くて、履物は脱いで上がる様に成っている。
奥には、精神的な力の有る人間が居る事は、間違いない様であった。
二番目の建物は、街の中に建っており、白くて高いビルディングであり、ホテルか大きい会社の建物の様なので、経済活動の為に建てられている物である。
三番目の建物は、政府の建物の様で、国政が行われる為の施設であった。
其の三つの建物は、全て真新しく、人の姿は一人も見えなかったので、現在実在するものではなく、是から始まる、新しき時代の様子を知らせて来たものと想われる。
私の感じとしては、「人間の準備が出来たので、未来社会を このようにしなさい」との、暗示ではないかと想われる。
「4」の場面は、少し解くのが難しい様である。
ケビン・コスナーは、ハリウッドのスターの名で、私の記憶に残っている。
ケビン・コスナー出演の映画で、印象深い作品に、愛する人へのメッセージ・手紙を空ビンに入れて海に流す物語が有る。
その映画のストーリーと、今朝のメッセージの内容が合っていれば、自分の「文・あや・おもい」を手紙にして、海と言う流れに託して、解決を願うという事になる。
「海」は「水」であり、「水の流れ」は「宇宙の時間の流れ」と受け取る事が出来る。水は、世界中で、神との約束事として、儀式に使用されるものである。
「神」は「光」であり、「水」は「生命」と「光」の中間に位置するものである。
「光の速度に定着」とは、水の意識に自分を合わせる理・ことではないだろうか。
水は、水素と酸素の化合物で、水素も酸素も、火に変化するものであるから、「火=光」と捉えても良い。
光のエネルギーが、定着した姿が「水」であれば、旧約聖書の「神は 天と地に水を分けた」との言葉も、理解出来そうである。
光と、水と、人心と、手紙、其れ等の一連の繋がりが明確になれば、私の思索の旅も終りが近いのだろう。
「5」の場面の白い服は、自分の意識が浄化され、クリアになった事を暗示しているものと想われる。
日本の結婚式では、花嫁が角隠しを被り、白無垢の姿をする。
其れは、自分の自我意識を消して、無垢の心で相手方の家に嫁ぎ、相手の家の家風に染まるとの意味を持っている。
だが、今朝の白い服は男物であり、神に仕える者の衣装らしいので、神に嫁ぐ神主や、神父を意味しているのではないだろうか。
5つの場面が、順を追って何を伝えて来ているのか、整理しなければならないだろう。
始まり 生命の誕生 −38億年前
言葉・意識の発生 −400万年前
道 人間の営み
法 精神・経済・政治 現代社会
ダルマ 悟り
光り・水・物・文字 未来
神と人の繋がり
永遠 完成
今回のメッセージは、私一人では、理解出来ない程の内容が含まれていると意われる。
整理が出来ないのだが、忘れない内に、思考の基礎(タタキ台)として、一応の記録を残す形にした。
今後、この内容を、時間を掛けて、吟味して行こうと意っている。
平成14年12月17日
礒邉自適
2002/12/6
石原都知事
14・12・6
今朝の霊夢は、石原都知事が乗っている車に私が乗り込み、何かの相談を受ける為、何処かに出掛ける場面だった。
挨拶の後、私が「前から 会いたいと想っていたのですよ」と言う処で、夢は終った。
朝起きて「知事」とは何かと思い、辞典で調べて見た。
@ 都道府県知事の総称。各都、道、府、県を統括し、これを代表する首長。住民の直接選挙による公選制がとられ、任期は4年。明治初年に置かれた『県令』が、明治19年(1886)に改称されたもので、旧制では内務省の任命による官選。
A 寺院の雑事や庶務をつかさどる職。
B 中国で州、県などの地方の長官。地方長官。」と載っている。辞典言泉
「知事」とは、文字の意味からすると「事を知る」の意味だから、Aの雑事や庶務をつかさどる職というのが、本来の姿に近いのだろう。
昔は人口が少ないので、現在の町長ぐらいの職務だったのかも知れない。
現在の都知事位に成ると、昔の「国の長」程の、権力と責任が有るのではないだろうか。特に、現在の石原都知事は、国の代表である「総理大臣」と、互角にモノが言えるぐらいの力を持っている様である。
私は、石原都知事と会った事も無いのに、何故、夢の中で、車に同乗する事になったのだろうか。
それも、私の方が、知事の方から何かの相談を受ける為に、待ち合わせをしていた様である。しかし、その話し合いの内容等は、全然分からない。
私が19年前、屋久島で1983年3月18日に無庵師匠に出会い、「やっと見付けた」と云って抱きしめられ、「自適さんは 何でも 想った様に成るでしょう」と訊かれたので、私は考えてみたら、善い事も、悪い事も、自分の想った通りに成っているので、「そうですね」と応じた。
すると無庵師匠は、「未来は 貴方が想った様に成るのです」「貴方は 大事な役目があるので 仕事も全部止めて 家族とも別れて下さい」と云うのである。
私は、若い時から、誰かが捜しに来る事は、予感していたので、「貴方ですか 時が来たのですか」と云うと、「そうです 貴方の処に 総理大臣も連れて来るので 貴方は動かないで良いのです」と云われた。
私は、その無庵師匠の謂う事を信じられたので、云われる通りに仕事も辞め、家族とも離別して、全身全霊で、其の無庵師匠の言う通りにし、修業の道に入って行ったのである。
そして、1984年の3月5日迄に、屋久島に無庵師匠の建てた道場が出来、其の日から、衣食を師と共にし始めたのである。
其れから、丸3ヶ月後の6月4日(旧5月5日)に神の世界に入った。
そして、11月の中旬迄、屋久島での荒野の行が続き、イチョウの黄色い葉が舞う頃に屋久島を出て、全国の旅が始まった。
それから、様々な体験と研究を続け、全国に人脈も出来た。
19年前に無庵師匠に云われた事が、いま始まれば、総理大臣が訪ねて来ても、大体の答えは出来るように成っているのだろう。
今朝の夢は、其の前触れなのだろうか。
何事にも、心の準備が大事である。何時、其の様な場面が生じるか分からない。不意打ちを食らっても良い様に、前もって知らせて来たのだろう。
本日12月6日は、私の神憑りから丁度18年半の月日が経過し、次へのステップの始まりの日である。
私は、1984年6月4日に神の世界に入って、「16年半掛かる」と告げられた。
その年数は、神武天皇が南九州を旅立って、奈良で「政治(まつりごと)」を始める迄の、年月と同じである事が、旅の途中で分かった。
(大分で「宇佐彦」と出会って、福岡の「岡田宮」で1年。岡田宮を出て広島の「安芸宮」で7年。「安芸宮」を出て岡山の「高島宮」で8年。岡山を出て奈良の橿原で政・まつりごとを始める迄半年。
合計 1+7+8+半年=16年半)
丸16年の後、東京から四国の山中に入り、文章を書き始めて、丸2年半経った事になる。
私は、一応、頭の整理が出来、天界も準備が出来たのだろうか。
若しかしたら、「塩土の翁」に神のメッセージが降りてから、神武の兄弟が南九州を出発するまで、2年が経過していたのかも知れない。
そうであれば、今日からが本番となるのだが、未だ決定的な事は現れて来ていない。
私には、物事が立ち現れて来るのを、静かに待つしか、方法が無いのである。
平成14年12月6日
礒邉自適
2002/12/5
仗布
14・12・5
今朝は、朝日が昇って、安房川河口に照り輝くのを拝してから、部屋に戻りタンポポコーヒーを飲んで、する事が何も無いので、瞑想状態に入ってしまった。
最初の間は、老子の謂う「ただ恍ただ惚 惚たり恍たり」の言葉を想っていて、次に金剛が思われ、其れ等の言葉が、現在の「自分・みづからの分け」である事が、意味付けられて来た。そして、其の状態を納得すると、深い無意識の中に落ちていった。
しばらくすると、漢字が二文字映って来て、「じょうふ」と読む事が理解された。
瞑想から覚めて、漢語林で調べて見ると、其の漢字は「仗」と「布」を組み合わせた「仗布」の様である。
「仗・ジョウ」@つえ Aつく Bよる(倚)。たのむ。で、つえをつく事は、倚る、頼む意味を含んでいる事になる。漢字の「仗」は、「人+丈」の組み合わせで、人が丈に身をあずける様子が表現されている言葉らしい。
「布・フ」は、@ぬの Aぜに Bしく。広げる、行き渡らせる。くばる。であり、「布教」「布告」や「布施」等、17の単語が載っている。
「仗」は、C兵器 Dまもり。そなえ。の意味も有り、身を守る道具としての杖の意味も表すようだが、私には武器としての杖は、考えに入れないで良いだろう。
私の現在の状況にとって、「仗布」とは、どのような意味合いが有るのだろうか。
○ 杖を突いた 仙人の姿を布める。
○ 杖と 布だけしか 所有してはならない。
○ 仗布は 布する事による(仗)との 漢語読みも出来る。
現在の私には、是ぐらいの事しか浮かばないが、私が自分の好きな写真として、ホームページに載せたり、他人に配ったりしているのは、京都の大徳寺で1997年5月10日に撮影した、インドの服を着て、竹の杖を突いた姿である。
私が、旅を続けている時は、此の姿が一番落ち着くものであった。其の時の、姿に戻れと言う事なのか。其の姿を、大事に考えろと言う事なのか、それも分からない。
イエス-キリストの言葉を伝える聖書にも、「杖の他には 下着一枚しか持ってはならない」との理・ことが記されている。其のイエスの言葉から、杖を突いて、上着は着用しているモノだけで、その他には下着一枚だけを所持し、教えを広める姿が思い浮かんで来る。
家無し、住所無し、家族無し、仕事無し、財無し、名無し、無い無い尽くしの人物の姿が浮かんで来る。
イエスや、釈迦は、そうした姿で布教して歩いたのだろう。
日本の皇室でも、「大嘗祭」の儀式には、麻布で衣服が整えられ、部屋には杖が備えられていると聞く。神に近い人々か、神に近付こうとする人々には、是らの状態が一番適っているとの理・ことだろう。
自分の本質が、光であると悟って、恍惚の中に自分を置き、それを金剛として護れば、私の大役が果せるとの事だろうか。
私は、是までの55年間の人生で、様々な事を行じて来た。もう修行が済んだので、「ブッダ・覚者」の立場(遍照金剛)を維持しろとの事だろうか。
日本の書院造りの建物には、床の間が設けられ、掛け軸が掛けられるが、其の絵は岩山に滝が有り、川の縁りに庵が建てられ、白い服の老人が、杖を突いて暮している。
其処には、女性の姿は無いし、簡素で何の派手さも無い。金持ちが造った家でさえ、その様な絵を、何故、一番大事な空間に置くのだろうか。人間の究極の願望が、其処に在るとの事なのだろうか。 (ここで電話が掛かる)
私は、18年半前に4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きた時に、全ての仕事や、物や、家族を捨て去り、杖を突いて荒野で修行を重ねた。
文章を書いている途中に、愛媛県大洲市の芳我美光氏より電話があり、「今日が12月5日で、自適さんに初めて会って、丸2年目の日です。」と言って来た。それを聞いて、今日の日の意味が理解出来てきた。
今日で、本当の意味の、私の「カルマ・宿業」が終ったのである。
漢語林の中に「仗節・ジョウセツ」との単語が有り、「正しい道に よる」との意味が載っている。仏教にも、「時節因縁」「一大事因縁」と、大事にされている言葉が存在する。私の一大事因縁が達成されて、時節因縁が表に現れ出るとの事なのかも知れない。
神霊界は、人間界の「暦・日読み・かよみ」を使って、段取りを付けてメッセージを送って来る。
私には、無庵師匠の下で1984年6月4日(旧暦5月5日)に「イエス-キリスト」や「釈迦仏陀」や「伊邪那岐命・いざなぎのみこと」と同じ、水での「禊・みそぎ」が行われ、神霊に満たされて「神霊の思頼」が起きた。
其の「神霊の思頼」との言葉は、日本の神社で唱えられる祝詞の中での言葉であり、キリスト教の「精霊に満たされる」との意味と同じであり、日蓮聖人の謂う「諸天善神皆加護に付く」との意味と同じモノである。
1984年6月4日に起きた「神霊の思頼」の後に、「地球の未来をお前に任す。其れには16年半掛かる。」と告げられたのだが、其の日から、昨日で丁度18年半が経った事になり、今日は次の始まりの第一日目である。
16年半掛かると告げられて、16年半経った其の日は、東京脱出が決った日であった。何かが、16年半経てば始まるのかと考えていたのだが、身一つで東京から四国山中に引越しするだけだったのである。
其の「16年半」の年月は、神武天皇が「国を治めよ」とのメッセージを受けて、九州を出発し、奈良で政治を始めるまでの月日と同じである事を、旅の途中で知った。私にも、同じ事が起きるのかと想っていたのだが、其の時点では、何もなく、更に丸2年が経過したのである。
12月2日には、「後戻りは出来ない」との文章を書かされている。3日には「年賀状」を、4日には「年末年始」の文章を書いている。私にとっての節目は、6月4日と12月5日に有るらしい。
今日から、私に始まる事、それは政治をする事ではなく、「何もしない事」「無為自然」を、実行する事であるようだ。
私の名の「自適」は本名で、中国の「悠々自適」の「自適」であり、インドの 「サマディ」 と同じ意味を持ち、「三昧・ざんまい」の言葉で知られている。私がようやく、自分の宿命に辿り着いたという事だろうか。
今日は、小春日和で風も無く、日が良く当って暖かい一日である。安房川の上空の青い空には、トンビが円を画いて舞いながら、“ヒュル ヒュル”と鳴いている。何と、長閑・のどかな一日であろうか。
私の気持ちが、天候を創り出しているのか、天候が私の気持ちを創り出しているのか、良くは分からないが、一体化している事には間違いないだろう。
今朝のメッセージの「仗布」は、複数の意味を含んでいるのだろう。それは、是から追追と解って来るのだろう。今日は、何も無い日かと想っていたが、一番大事な日となって様である。
人間の、知識や感情では計れない世界が、私を大きく包み込んで居る様である。
其の力を、「阿弥陀佛」「大日如来・マハーヴァイローチャナ」「天照皇大神・あまてらすすめおおかみ」「アラー」と呼んで来たのだろう。
日本の神社の祝詞の「神議りに議りて・・・」の意味が、ようやく実感出来てきた。古神道の「神惟の道・かんながらみち」が、ようやく私の目の前に立ち現れようとしているのだ。
1984年に「人類の未来を お前に託す」「チャンスは一度」「失敗は許されない」と告げられ、責任感一杯で18年間を過ごして来た。私はようやく、気を抜ける時節が来たのだろうか。
自分から、何かを起こす事は、大変なエネルギーが必要であるが、起きて来る事を認識するだけなら、エネルギーの浪費は少なくて済む。
年賀状を書き終えて居た事と、年末と年始の意味を確認出来て居た事が、今日の安心をもたらしたのだろう。今日は、私にとっては、全てが集結したのだと考えて良いのだろうか。
是からは、本当の意味の「聖者・ひじり・日知り・霊知り」の生活が始まるのだろうか。
此の屋久島は、其の場としては、申し分ないだろう。屋久島は、私が産れ育った故郷である。何もかもが、私の意識の内に納まっている。誰にも気を使わず、悠々自適の生活が始まるのだろうか。私は、手作りの杖と、数年着る分の衣服は持っている。
何もしなければ、何も必要としない生活の日々が、ようやく始まろうとしている。
神武天皇は、16年半の年月旅をした。達磨禅師は、南インドから中国に来て、慧可が訪ねて来るのを9年待った。釈迦は、45年間国内を廻り説法を続けた。私はこれから、どうなるのか。
イエス-キリストは、3年で殺された。老子は、年老いてから国の関所を出て、行方知れずである。私には、イエスキリストと老子の様な事は、無いだろう。
14年12月5日(旧11月2日)
屋久島人 礒邉自適
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