言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2003/1/31
済す (わたす)
15・1・31
今朝の霊夢は、河口に近い海での場面が、長く続いた。
私が、海辺に建っている、誰かの別荘に遊びに行って居ると、海の水が満潮に成って来て、岸を越えて別荘の有る所まで、海水がどんどん上がって来る。
やがて、建物の中まで侵入して来たので、履物などを上にあげたが、何処まで水が入って来るのか、心配に成って来ていた。
そうしている間に、海の温泉に入浴に行っている、知り合いの事が心配になって、迎えに出掛けた。
行く途中の海には、潜りに行った知り合いが、2〜3名海中を泳いでいるので、早く上がるように伝えて、もっと先に有る海の温泉場に行くと、知り合いが居て「もう 海水が満ちて入れないので 帰る処だ」と云う。
私は、知り合いの無事が確認出来たので、安心した処で、今朝の夢は終った。
そして、暫くすると、「わたす」の言葉が出て来た。
朝起きて、「わたす」を「渡す」にして、題を書いてみたが、何も言葉が浮かんで来ないので、漢語林で「わたす」を調べて見ると、「わたす」には「渡す」と「済す」の二つが有る事が分かった。
夢の内容からすると、「済」の意味の方が当っている様である。
「済」は、「水+斉」の組み合わせで、音符の「斉・セイ」はそろうの意味。多くのものがそろう。ひとしいの意味を表す。また「斉」は「進」に通じ、すすむの意味。川をすすむ、わたるの意味を表す。また貧困や障害をわたり過ごさせて たすけるの意味をも表す。と 載っている。
「済化」救い化す。人を救い導いて善に移らせる。
「済世」世を救う。時の弊害を正し、人民の難儀を救う事。
「済度」すくう。仏道によって衆人をこの苦海から極楽の彼岸に救い渡すこと。
「済時才能」時世を救う才能。世の乱れを救う才能。
「済」の漢字は、以上の様な言葉に使われているが、この中の「済度」の文章の「苦海から 極楽の彼岸に 救い渡す事」が、今朝の霊夢の内容と合っている様に感じる。
今朝の夢の物語は、私自身の物事は全く関係が無く、他人の事に、私が関わって行く場面だけだったのである。
今朝の夢からすると、私自身には、既に問題が何も残っていないのであろうと想われる。
私は、ようやく自分の業・カルマが終って、他人のカルマを、済度する事に移って行くとの、事ではないだろうか。
「済時才能」との言葉が存在する事も、今朝初めて知った。
この様な言葉が、有るにも拘らず、目にも、耳にも、接していないと言う事は、現代社会が、如何に、自分の事だけに意識が行っていて、誰も「済時才能」等の言葉に付いて、学ぼうとの気持ちが無いからであろう。
私でさえ、此の様な世界に入って、18年にも成るのに、其の言葉を、知らなかったのである。
やはり、社会教育とは、教える人と、其れに興味を持つ人の、両方が存在しなければならない。
其れに、学ぶ心を養う為には、人々の尊敬を、集められるだけの人物が必要であろう。
私は、夢の中では、潮が満ちて来ている事を知らせて、早く避難する様に動いているだけで、別に、具体的な事を遣っているわけではなかった。
私には、未だ「済時才能」が備わっているとは想えない。
今朝の夢は、衆人を済す為に、是から「済時才能」を研けと、言う事なのだろうか。
夢の場面では、潮の満ち方が通常の位置ではなく、家の中まで侵入して来て、家具をどうしようかと、戸惑う処まで、事態が緊迫していた。
その意味する事は、苦海に皆が溺れる事も暗示しているのだろう。
時が満ちて来て、溺れようとしている人達を、どの様にして済せば能いのか、私には未だ具体性が見えていない。
今朝の結論としては、「時が満ちて来ているから、其の事を知らない人達に知らせ、準備する様に伝える事」と、もう一つは「私に済時才能を研け」との知らせであると、受け取っておくと言う事である。
「斉」は「一斉」の「せい」である。
「斉」は「多くの者が等しくそろう」の意味だから、全体的な出発を考えに入れていなければならない。
日本の、古神道の「神惟・かんながら」の「事挙げ・ことあげ」が、近付いているのだろうか。
平成15年1月31日
礒邉自適
2003/1/30
いのちのはじまり
15・1・30
「いのちの はじまり」と言っても、何処まで遡って捉えれば良いのかが判らない。
それは「いのち」の言葉が、何を意味しているのか、理解出来ないからである。
・「いのち」は、現代の医学的に言えば、「オギャー」と泣いて産まれた時からであって、産まれても、泣いて呼吸をしなければ、「いのち有るもの」とは言わない。
お腹の中で、心臓が動いていたにしても、未だ「いのち有るもの」ではない。
・島根県出雲地方では、妊娠したら「霊(ヒ)がとど(止)まっしゃった」と云って、「いのち有るもの」として考えられていた。
そして、其れが、日本語の「ひと」の語源である。
・仏教の教えでは、動物は皆「いのち有るもの」だから、殺生(せっしょう)してはいけないと云う。
・科学者は、動物も植物も、同じ遺伝子から分裂したものだから、「いのちのもと」は38億年前に誕生したと言っている。
・密教の教えでは、宇宙は大日如来の化身で、一切の物質にも意識が存在しているという。それだと138億年前に誕生した宇宙に、「いのち」が有る事になってしまう。
上記の様に捉えていけば、短いのは、自分の誕生日からが「いのち」で、一番長いのは宇宙誕生年の138億年前からの、長い「いのち」まである。
古代、日本社会では「アメノウズメ」と呼ばれていた妖術使いがいて、宇宙(アメ)の渦(ウズ)が見える目(メ)の女性が存在した事が伝えられている。
「アメのウズ女」の妖術使いは、宇宙誕生の様子、二重螺旋の渦が見えていたらしい。
縄文土器や、世界の古代社会のシンボルマークを見れば、その事が理解される。
「OO・メビスの輪」は、そのまま、私達の住む宇宙誕生の姿で、宇宙の赤ちゃんの姿なのである。
それを「いのち」と呼ぶなら、私達の年令は、138億歳と言う事に成るのだが、其れをいったい何人の人が、実感出来るだろうか。
「阿弥陀仏」や、「大日如来・マハーヴァイローチャナ」は、其の138億歳なのだが、仏壇の仏は信じられても、自分が同じ物だとは意えないだろう。
人間は、どうしても、最高120歳くらいが、一番長い「いのち」だと考えてしまうものである。
生物と鉱物とを、別けて考えれば、生物は38億歳で、鉱物(地球)は46億歳と考えられている。
これは科学者の判断であるが、西洋の旧約聖書では「鉱物が溶け出した粘土の海で 神が 生命アダムを 誕生させた」と書かれているので、鉱物が溶けた海(水)で、最初の生命「アダム」が誕生したのは、38億年前と考えても可能(よい)らしい。
1999年10月6日の新聞には、「生命が 始めて地球上出現したのは 釣40億年前で、花崗岩や玄武岩を硫酸や硝酸で溶かし、鉄を化学反応させ、そのとき発生するエネルギーを使って、有機物を作り出すタイプの微生物が存在する事が発見された。」と 載っている。
現代科学に前(さきん)じて、古代の人々は、自分の体の記憶から、其の事に気付いていたのだろう。遺伝子の力とは、凄いものである。
「神仏」の言葉と言っても、其れは人間の頭脳が、自分の身体の中の、遺伝子・DNAの記憶から導き出したものであり、太陽や月・星などが、人間の言葉をシャベルわけではない。
「生命・いのち」と名を付け、呼び始めたのも、人間の脳である。
脳は、皮膚の一部が変化をして、頭蓋骨の中に入り込んだ物なので、土中に住むミミズの皮膚と変るものではない。
餌の取り方で、身体の仕組みが変化しただけである。
「いのち」の言葉が使用され始めたのは、どうも、心臓が脈打っているのに気付き、それが止まると動かなくなる事が分かった時に、「いのちが止まる」と定義付けた様である。
「いのち」の言葉が、「いの」と「ち」であり、「いの」も「ち」も、両方心臓に関する名称のようである。
古代では心臓が「いのち」であり、その永続性を神に祈る為に、生きたままの人間の心臓や、家畜の心臓を取り出して、神に供えていたらしい。
心臓の働きこそが「いのち」であり、こころも又、心臓に有ると考えられていたようである。
「こころ(意識)」が生れたのは、未だ、何時の時代かは分からないが、「いのち」の言葉は有るのだから、人間が、言葉を使い始めてからである事は間違いない。
そうであれば、人間誕生650万年よりは前ではない。
人間が、猿と分離する以前の生命を、何と、呼べば良いのか分からない。
私の体験からすれば、私の修業中には、植物や鳥・虫・魚・犬・猫・皆一体になって協力してくれた。
だから、私の名付けた「いのち」は、人間だけのものではない「何か」なのだ。
釈迦は、其れを何と言ったのかは知らないが、全ての生命が、一つに繋がっていると教えていた様である。
「仏陀・ブッダ」とは、其のモノに繋がり、一体化した者の呼び名である。
「生命」の「生」は、地面に生えている草の象形である。
草より以前の、海中の微生物には、未だ正式な名が付いていない。
漢字の「命」は「天からの 命令の言葉」の意味だから、「生命」は「草に与えられた天の命令」との意味なので、正式な名前には成っていない。
私が、知る限界(かぎり)では、「光の化身」が一番短い言葉であるが、其れを「ビルシャナ」とか「アミダ」と呼べば、余りにも古臭くなる。
釈迦は「衆生一切 我が子」と、「いのち有るものは 全て自分の化身である」と謂っている。
釈迦が気付いた様に、言葉に拠る記憶は、言葉(名付けられたもの)以前に遡る事が出来ないのは、当然の事と言えよう。
岩石を溶かして生きる生物は、現在でも、植物の毛細根に住んで、其の働きを行っているし、人間の腸内にも、繊毛として生き続けて、人間を生かしている。
心臓より、長生きしている「いのち」は、人間の目には見えない。
ようやく電子顕微鏡が発明されて、ナノスペース(1センチの1億分の1の世界)が見える様に成って、極小の世界が、人間の意識に捉えられて来た。
10数年前に、人間の目に触れたその物には、未だ、正式な名前が無いのである。
光と、人間の、中間に位置するその生命体に、何か良い名前がないものだろうか。
屋久島には、花崗岩の上に、美しい花を咲かせる「しゃくなげ(石南花)」の木が生えている。
石南花は、岩のミネラルをエサとして、葉の表面からは太陽エネルギーを吸い込み、葉の裏にピッシリ生えている毛から、霧を集めて水分を補給して生きている。
其のシャクナゲの名の意味は知らないが、其れ等の理・ことを、シャクナゲの木に聴いて見るのも、一興かも知れない。
平成15年1月30日
礒邉自適
2003/1/30
島
15・1・30
屋久島は、「鹿の沢山いる島」の意味で、中国では鹿は「ヤク」ではなく、「ロク」と呼んでいる。
日本で、鹿を「シカ」と読むのは、雄鹿を「セカ」と呼んでいたのが、サ行の「セ」が「シ」へと変化したものらしい。
ちなみに、雌鹿は「メカ」と呼んでいたらしい。 (広辞苑)
屋久島で「うるさい」事を、「セカラシイ」と言うが、其れは「雄鹿みたいだ(雄鹿らしい)」との表現であろう。
うるさい事を、「五月蝿」とハエに例えるより、鹿に例える方が屋久島らしい。
私の子供の頃は、11月頃から「雪雨(しぐれ・時雨)」が降り始めると、家の裏山で、毎晩、雄鹿が雌鹿を呼ぶ為に鳴いて、セカラシかったものである。
屋久島は「鹿の島」で、古代の海洋航海民族にとっては、鹿が食料として獲れる島と考えており、「沖永良部島・おきのえらぶじま」と「口永良部島・くちのえらぶじま」は、海蛇・エラブが産卵に上陸する島なので、「エラブ島」つまり「蛇が食料として獲れる島」と、名付けていた理・ことが解る。
これ等の事から、古代人の生活や価値観、名前の付け方等が見えて来る。
「島」の漢字を漢語林で調べて見ると、「島」と「嶋」があり、両方とも「山」と「鳥」の組み合わせで出来ている。
其れは、沖海に離れて存在する「島(山)」に、海鳥が沢山住み着いている事を表しており、鳥を捕まえたり、卵を取ったりしていた事が見えて来る。
私も、遊び盛りの子供の頃は、野山をよく駆け回っていたので、何処に、どんな植物が生えており、何月には、どんな実が熟して食べられるかを、覚えていた。
人間にとって、食物は一番大事な物である。
古代社会では、現代社会の様に、電話を掛けて注文すれば、宅配便で、何でも届けられたり、長期貯蔵出来る缶詰めなんかは無いので、移動生活をするのに、何処に、どんな食べ物が有るかと言う事が、最も大事な情報であったのだろう。
一番大事な情報は、簡略で内容が明確な方が良い。
「鹿島・ヤクシマ」「蛇島・エラブジマ」は、その意味では理に適っている。
「エラブ島」が二島有るので、「沖」と「口」を頭に付けて、区別が出来るようにしている。
「沖」と「口」の区分の思考が、何処の位置に立って生じているのかは分からないが、船旅からすれば、鹿児島湾が口(みなと)であれば、「口の近く」と、「沖(遠く)」に有る島とに、区別が出来ないでもない。
こんな事に気付くのは、私自身が、船を持っていた事と、旅をした事、そして言葉に興味を覚えたからである。
日常の生活に埋没していれば、こんな事には気付かなかったであろう。
「島」を日本語の「シマ」に当てたのは、「シマ」は「孤立して単独に存在する物」の意味であり、古代語では「シ(有・在)」「マ(魔・目・身・間)」で、「ある」と「有る物」の意味らしい。
「シ」は「シあわせ(合)」「シくみ(組)」「シがらみ(柵)」と、多くの意味に使用されている。
鹿は、神の化身とも、考えられた時代があったらしいので、私は、自分の思考を「鹿島・やくしま」から、組み直して行くべきだと想っている。
鹿の様に、純粋な眼・マナコに成れたらの、話しだけれども・・・。
平成15年1月30日
礒邉自適
2003/1/26
ことばの次元
15・1・26
現代社会の人間は、言葉に拠って思考を組み立て、会話をし、物事を行っています。
だから、使う言葉が天の道(タオ・ダルマ)より外れていれば、人間の活動も道より外れている事になります。
言葉が、道から外れると、其の結果として、人間は不安を覚え始める事になります。
現在の、社会状況がそうだと言えますし、言葉が、人間の都合だけに、使用されていると言ってもよいでしょう。
では、言葉の源点が、何処に在ったかと謂うと、其れは、天地一切の物の説明として、名詞を使う事から始まっています。
古代社会には、現在の様な経済システムや、学校教育などが有りませんから、単語の数も少なく、言葉を使うのは、最小限で済んでいた筈です。
現在の都会生活で、使用されている言葉は、古代社会では、殆んど無かったのではないでしょうか。
古代人の暮らしの中に有ったのは、自然物に対しての名詞と、自然現象を表現する形容詞などであり、其れと、人間の行動を意味付ける動詞などです。
簡単な例を挙げれば、「雨の降る道を 歩いて行く」の【「雨」(名詞)「降る」(形容詞)「歩く」(動詞)】の様な言葉で、現在多く使われている様な「株式の 取引で 利益が 出た」等の言葉は、無かったのです。
古代人の社会には、お金や、車や、テレビ等は有りませんから、脳裏に浮かぶ物は、自然に存在する物だけでした。
ですから、人間の脳は、自由に夢を視る事が出来たのです。
此処で、私が夢の段階を説明すると、次の様に成ります。
<有意識>
≪現在の人間社会での生活の夢≫
≪言葉がある≫ ↓ ≪本人の夢≫
≪過去に存在していた人達が関連している夢≫
≪言葉がある≫ ↓ ≪本人に関係ある夢≫
≪霊界が神の働きを伝えて来る夢≫
≪言葉と文字がある≫ ↓ ≪本人だけでなく全体に対しての夢≫
≪宇宙システムが映って来る≫
≪言葉が使用されないで画像だけが映る≫
<無意識>
≪自分の意識は無い夢≫
≪宇宙の記憶≫
↓
≪神・存在≫
矢印の方向(→)は、自分から、神に近付いて行く高みの方向ですが、自分の中心に向う矢印でもあります。
玉ネギを剥く様に、一皮一皮剥いで行くと、自分の内に、神の仕組(佛)が存在する事が理解されて来ます。
其の、芯の処には、言葉が有りません。ただ、森羅万象の流転が映るだけです。
其の、脳裏に映る映像に対して、人間は、自分たちが創り出した言葉を当てはめて認識します。
そして人間は、文字を発明し、文字で思考する様に成りました。
現在、使用されている中国の漢字は、全部象形文字ですので、全て画像ですから、現在流行している漫画・マンガやイラストの絵と、同じ物でした。
ですから象形文字は、言葉が生れてから、言葉を伝える為に、人間が考え出した手段なのです。
私達が、神の存在(自分の源点)に戻るには、先ず、現代社会で押し付けられている、意味が判らない文字を、一度忘れてしまわなければなりません。
そして、無意識の世界から映し出されて来る画像から、言葉の本来の意味(ちから)を、取り戻さなければならないのです。
本来の言葉は、魂(こころ)と一体のものであったのですから、言葉の持つ真実を知る為には、「根」「本」の世界に帰るしか、他に方法は無いのです。
経済や、政治の世界が生じて、言葉が駆引きに使用される様に成り、「虚偽(うそ)」が成り立つ様に成って来ました。
そして、虚偽が上手な者が、出世すると言う、天道から外れた社会が、生れたのです。
現在のテレビ番組や新聞を見ても、本来の言葉が見当たりません。
和歌の世界に、残骸らしき物が残っている様に見えますが、果たして、現在の和歌が天の道に本当に繋がっているかどうかは、問題です。
似た様な世界に、仏教の経や、神社の祝詞等が有ります。
しかし、その言葉を発する者の思考が、本当に源点に立ち戻っているのかが、問題なのです。
新しき「神の国」が到来する為には、正しき者の、正しき言葉の使用が、求められているのです。
子供達は、物語が大好きです。
其の、物語を聞かせる大人の心構えが、一番大事なのです。
何故なら、言葉の世界が創り出されるのが、其の子供の時期だからです。
子供達が、どの様な言葉を覚え、どの様な夢を視るかに因って、未来は変ります。
言葉の世界は、其の様な大事な次元であり、人間の、最大の特長を表す事柄なのです。
いまは、言葉の次元を、もう一度、認識しなければならない時代と、言えるでしょう。
平成15年1月26日
礒邉自適
2003/1/23
木琴教育
15・1・23
今朝の霊夢には、バスに乗り込んでいる、制服を着た高校生ぐらいの男女が、20名ほど映って来た。
私の目の位置は、バスの前方の空中に在って、バスの中の全員が見える位置に在った。私は、其の高校生達が「学校に行くのかな」と思ったら、楽器の木琴がカラーで見え、「木琴教育」との言葉が浮かんで来た。
何の事かと思って、良く考えて見ると、木琴と言う楽器は、長さの異なる板が並んでいる物である。
その板を、全て同じ長さと厚さに揃えてしまえば、皆同じ音しか出なくなる。其れでは、楽器としては役に立たない。
楽器とか、音楽は「楽」の文字が使われており、「楽」は「たのしい」との日本語に使用されている様に、楽しくなければ音楽ではない。
この事からすると、学生を一律にするのではなく、木琴の様に、全て異なる音が出る様にしろとの事だろう。
現在の教育は、其れとは反対の方向であり、全て同じ教育システムの中で、個性を失わせてしまっている。
全員が、同じ音色しか出ない様な人間を、大量に生産している事に成るのである。
特に、男性の方に個性がなく成り、面白味が無くなって来ているのだ。
逆の言い方をすると、異なる音色の者は、社会のルールから外され、生活がし難い状態に追い遣られている。
芸能界だけは別の様だが、田舎では、未だ昔のままで、変化は嫌われる事が多い。
私が、18年振りに島に帰って見ると、島出身の若者は、相変わらず島外に出て行き、替わりに、島外からの若者達が、どんどんと移住して来ている。
島外からの人達は、皆どこか風変わりな人達が多い。
其れ等の人達の事を考えると、「都会では 馴染めないので 屋久島に来たのかな」と想える人が居る。彼等は、音色が異なっているからなのかも知れない。
島外から移住して来て居る人達を、木琴の様に組んで見るのも、一つのアイデアではないだろうか。さぞや、楽しい演奏に成る事だろう。
しかし、同じ木琴上に乗せる事は、非常に難しい作業に成るだろう。
でも、それが出来れば、新しい教育の、雛形に成る可能性は有るだろう。
私は、自分で楽器を演奏する事は、何一つ出来ないので、音階の事も分からない。誰が、何処の位置に当たるのかは、一人一人の生命のリズムを探るしか無いだろう。
私は、思考の基盤が「百姓」であるので、人間を、畑の野菜として観る事は可能だが、楽器として観る事は経験が無い。
今朝の霊夢を、私に見せている霊界人は、「音楽畑」出身者なのだろうか。
やっぱり、畑の言葉を使っている私が、いま此処に在る。
平成15年1月23日
礒邉自適
投稿者: isobejiteki
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2003/1/19
浅と狼
15・1・19
今朝の霊夢は「浅」の漢字が現れて、狼が一頭、静かに私の所へ訪れて、何も言わず去って行った。今朝の夢は、場面は簡単だが、内容が難しいようである。
「浅・セン」の漢字は、日本語の「あさい」に使用されている。
漢語林で「浅」を調べて見ると、「『浅』は『淺』で篆文では『 』で『水+戔』の組み合わせ。音符の戔・センは、うすく細かに切るの意味。うすい水。あさいの意味を表す。」と 載っている。
「狼」の方は「おしよせるなみのように群れをなしておそう。おおかみの意味を表す。『犭』はケモノで『良』は浪に通じる」と 載っている。
「浅」と「おお(ほ)かみ一匹」の意味が、何を意味するのだろうか。
「戔」は「物事をうすくスライスして細かに切る」との事だから、顕微鏡で物を調べる事に似ている。私の行動を、これから精密にしろとの事だろうか。
一方、「狼」は群れではなく、ボスの様な力の有る「おほかみ」が一頭、静かに私の所へ遣って来て、私に、何かメッセージを残して行った様である。
「狼」の漢字は「ケモノが浪のように群れで襲って来る」との意味で出来ている。其れは、狼が獲物の猟をする時の行動を表している。
しかし、今朝の夢の場面は、自然の主として、唯一頭で、私に挨拶に出掛けて来た様子であった。
自然の「然」の漢字は、「犬+月+火」の組み合わせで、「満月が 火の様に赤く照っている時に 山の頂上で 狼が月に向かって吠えている象形(狼を避ける為に火を燃すとの説も有る)」でもある事から解かる様に、人間の暮らしの身近な所に、狼の存在があった様である。
「狼・ロウ」が、日本語の「おほかみ」に当てられているが、其れは、狼の姿より、行動を意味している様に思われる。
私が勝手に、「おほかみ」に漢字を当て嵌めれば、「尾穂髪・おほかみ」にも書く事が出来る。
尾っ穂(おっぽ)の毛が、長い動物との姿を、説明する「言霊・ことたま」に成って来る。
西洋は羊を飼っているので、狼は、童話では何時も悪者とされているが、日本では羊を飼っていないので、家畜を襲って来る悪者ではない。
日本狼は、鹿やカモシカを食糧としていたであろうから、人間には被害が無く共存していたと言うか、住み分けていたのではないだろうか。
日本は森林の国であって、草原の国ではない。
森の王者は「熊」だったので、神はクマとされて、森林のエネルギーやシャーマニズム的な力は、熊が征していると考えられていた。
出雲地方では、神秘的な森を「クマクマしき場所」と呼んでいた。
熊野大社の名は「クマのおおやしろ」の意味で、森の力を称える風習から来ている。日本では、数は少なくても、未だ、熊は自然の中に現存しているが、狼は絶滅してしまっている。
今朝の夢に出て来た「おほかみ」は、子孫が絶滅して、転生しようにも個体が無いとの、悲しみを伝えに来たのではないだろうか。
地球上には、現在63億人とも言われる人口が在る。
人類が増えるほどに、自然のバランスは崩れ、多くの生き物の命が失われているのである。
今朝の夢は、現実な処を詳しく調べて、自然のバランス・調和を、取り戻せとの理・ことだろうか。
私は、1991年3月13日に「生活達人」との言葉を、メッセージで受けている。
「生活達人」とは、人間の生活の達人と言うだけではなく、自然との調和をどう画かるかとの事までが、含まれているのかも知れない。
其処まで、考えが及ばなければ、「浅い」との事なのであろう。
平成15年1月19日
礒邉自適
2003/1/16
見える
15・1・16
昨日「見ること」について書いたら、今朝は「見えること」についてのメッセージが来た。
「見る」http://moon.ap.teacup.com/20061108/229.html
「見る」という意味は、人間が、何かを見ると言う事だが、「見える」と言うのは、何かを、第三者から「見せられる」と言う事までもが、含まれている。
本人が、見に行く訳でもなく、見たくないのにも係わらず、強引に見せられる事は、此の人間社会では度々起きる事である。
例を挙げれば、テレビのコマーシャルは、見たくないのに、次から次へと見せられてしまう良い例である。
人間が誕生して、大人に成るまで見なくてよい物を、どれだけ澤山見せられているのだろうか。
私の生れた家は、野中の一軒家で、テレビも17歳迄は無かったし、屋久島には都市も無いので、余計な物事は、都会の人々に比べたら、極端に少ないのではないだろうか。
私が、見せられたと言うより、見て来た物は、屋久島の自然と、其の自然の中で働く両親の姿である。
私と同年代か、それ以前の生れの人達は、私と同じ様な条件の中で、育っていると想われる。
私が、島の他の人達と違うのは、夢で、色々な事を見せられている事だろう。私の見る夢が、普通の人達と同じ夢だったら、私も、夢を覚えている事も無いし、夢に興味を示す事も無かったと想われる。
私が、此の年令に達して、ある程度、冷静に而も客観的に夢を分析し、理論的に思考出来るのは、様々な先輩達が、言葉や文字を伝承して来たからなのだが、その言葉や文字の文化から、真理だけを探り出すのは、なかなか困難な作業と謂わなければならない。
私が、素人知識で学問的に著述しても、問題を引き起こすのが落ちだと想うので、私の自分なりの説明で済ませて置きたい。
「見る」と言う行為は、自分が意識して、首を動かしたり、歩き出したりしなければ発生しないものだろう。
それに比べて、朝目覚めて、布団の中から窓の外の景色を見るのは、「見える」と言った方が当っているだろう。
「見よう」との意識は無くても、見えている物は澤山在る。
光が在って、物が存在すれば、目蓋を閉じない限り、何かが、人間の目には見えている。
日常の暮らしの風景は、自然物の状景の中に、人工物が存在して、出来上がっている。
だから、大自然と、人間社会の中に生きていれば、皆、同じ場面、共通の物事を見て、生活していると言えるだろう。
私が今日、説明を試みたいのは、其の日常的な世界ではなく、三次元に隣接している、少し「はずれた」世界である。
日本語の中にも、「夢 幻を見た」との単語が存在するし、「幻覚」との言葉もあるので、日常ではない世界が在る事は、万人が認めている処である。
私は、その夢幻の世界に、接触と言うか、侵入してしまったのである。
私は18年間、現実の世界と、夢幻の世界を、掛け持ちで、動き回って来たと言える。
最初の頃は、現実の世界と、夢幻の間の境界が分からず、大変な目に遭った。
世界が、幾層にも成り、自分の意識のコントロールと言うか、精神状態の維持が大変だったのである。
自分の考えでも、意志でもなく、目的でも無い世界が、見え始めるのである。
それは「見る」というのではなく、「見せられる」との言葉が、当て嵌るだろう。
例を挙げると、鏡で自分の顔を見ると、鏡に映っている自分の顔が、自分の「死顔」だったり、出来たばかりの無庵師匠の家が、夢の中では消えてしまい、周囲の石垣しか残っていなかったりするのである。
私は、現在・いまも生きているが、18年前の世界を続けていれば、確かに病気で死んでしまい、今は生きていないと想われるし、無庵師匠の家も現在でも未だ在るにはあるが、白蟻に食われて使い物には成らなくなり、もう直ぐ朽ち果てて石垣しか残らないのは、時間の問題である。
18年前に夢で見せられた事が、今では現実と成りつつあり、実際に、此の目で見る事が出来る様に成って来ているのである。
私は、小学校6年生の時に、夢で見たロシアの事が、チェルノブイリ原発事故で現実のものと成ったし、子供の時から、日本国中旅する事を夢に見ていたが、其れも現実と成り、全国の旅も終った。
私の人生は、夢に見せられる事が無ければ、現在の人生とは、全然違ったものと成っていただろう。
「見る」「見える」「見せられる」の言葉は、言葉の単なる違いだけではなく、確かに内容が違うのである。
一、「見る」というのは、自分の意志に因って見る事。
二、「見える」は、自分が行動しなくても、目に映るものを意味している。
三、「見せられる」は、自分が見たくなくても見せられる事。他の力が加わって起きる事である様だ。
私の人生は「見る事」の書物、映像、旅行等が他人より少なく、夢や幻で見せられる事が多かったのだろう。
其の、目に見える事の世界も、幾層かに成っている様だ。
一、日常の普通の三次元を見る世界。
二、起きていて、目蓋を閉じた状態で、まぶたに映る映像の世界。
三、眠った状態で夢として視る世界。
(1)自分の、個人的な現在の情報が原因で夢見る世界。
(2)自分の、個人的な潜在意識が表層意識に現れ出て来る世界。
(3)眠った状態で、霊夢として見せられる、予知的に見せられる世界。
四、起きて、現実に生活しているのに、突然に映り込んで来る世界。
五、現実の世界なのに、現実が変容して見える世界。
六、実際に現実が変化し、新しい世界が出来て、事実として手にとって見える世界(奇蹟)。
以上、本来はもっと複雑なのだが、簡単に六段階に分けて見た。
西洋の旧約聖書は、多くの預言が書かれているが、其れは、霊夢の世界で映った事を言葉にしたものであるので、三と四の世界であろう。
一方、イエス・キリストの世界は、五と六の世界である様だ。
パンが、食べる前より食べた後の方が増えたり、死人が生き返ったりしているので、イエスが見るものは、現実として現れ出ていた様である。
私も、18年前は、其れと、同じ様な現象が起きていたので、それは十分現実として捉えている。
其の世界は、自分が見るのではなく、何者かに見せられて、見せられた事が、現実として現れ出てしまうのである。
此の事は、実際に体験したものにしか、理解されない世界である。
しかし、古代の伝説からすれば、世界中に当然の事として、在った様に見受けられる。
是から、私に見せられる事が、どれだけ、此の現実の見える世界に、現実化するかどうかは分からないが、社会全体は、良いも悪いも、神の意いの外には出て行かない様である。
18年前、地球が、私の左手に乗せられた幻は、現実のものとして進んでいる様である。
しかし、私の中で、夢を見ている者の存在は、何者なのか、未だいまの私の力では、説明が出来ないままである。
平成15年1月16日
礒邉自適
2003/1/14
小石や岩に刻まれた文字
15・1・14
今朝の霊夢は、此れ迄にも、何回も出て来た事の有る、同じ夢が、久し振りに現れた。其れは、未だ私の無意識の中に、解決されていない事柄がある様だ。
今迄、説明が難しかったので、文章にはしていなかったが、何回も出て来るので「一度 文章にしてしまった方が良いだろう」と想い、書く事にした。
其の夢の場面は、いつも基本的な処は同じである。
人家の無い山中で、道路の部分の様な空地の土面に、直径2〜3cmの小石が澤山露出していて、其れ等の小石には、其々違った文字や、数字や、絵が、印されているのである。そして、近くの川には、動物の姿に彫刻された石が、澤山露出しているのである。
其れ等の霊夢は、太古に石の文化が存在した事を、明確にして、私に何かを知らせようとしている様なのだが、私には、其の事が、何を意味しているのかが、未だに分からないのである。
其の夢は、毎回、私が謎を知りたい為に、山中に分け入って行くので、長い夢となる。
その度に、私が、「昔し 何が有って その様な石が 土中に埋まっているのだろうか」と想いながら、山中に入って行くと、岩組や、石の塔等が現れ、其の場所に、以前都市文明が存在した事が判り、私が「誰かに 知らせなければ」と想った処で、夢は終るのである。
何回、同じ夢を見ても、誰かを其処に案内すると言う続編は見ない。
今朝の夢は、最後に、横に倒れている、長方形の岩の上部を取り除くと、インドの仏像よりも古い、文化の神仏らしき像が一体、崩れ掛けて出て来た。
其の像を見た私は、「これは 貴重な物だから 大事にしなければ」と考え、上部に蓋をする処で夢は終った。
この系統の夢に共通する処は、次の様な物である。
・現在、人家の無い、山中に在る事。
・小石に文字が刻まれており、其の小石は丸くてつるつるなので、川か海岸で、 集めて来ているらしき事。
・岩が、動物の姿に彫刻されている事。
・近くに、必ず遺跡が在る事。
・何時も、私は一人で迷い込んでいる事。
・文字や、絵や、造形物の意味が明確にならない事。
・場所が平な所で、草原ではなく木が生えているが、屋久島の様な大森林地帯ではない事。
・私が其処に辿り着くのに、軽装で、食物も道具も持っていないで、手ぶらであり、近く迄は車で行ったのか、体が疲労していない事。
・通信手段は何も持っていない事。
・気候はどちらかと言うと、暖かい南方か夏の様な感じ。
以上の様な内容で、何を訴えて来ているのかも定かではない。
私が感じているのは、古代人が石を第一に考え、文化を築いていたとの事くらいである。
古代社会は、現代の世の中の様に、金・マネーが主体の文化ではなく、神の存在が、人間の目的意識を占めており、神の存在と、人間の魂しいの間に、石が存在した事を知らせて来ているのだろう。
私が子供の頃より、石に興味を覚えて止まなかったのは、若しかしたら前世で石を使って、神とコンタクトを図る役目をしていて、其の記憶が、私の潜在意識と成り、現在の時間の中で、過去の思い出を、探ろうとしているのではないだろうか。
夢の中では、現実に存在する場所だと想っているのだが、起きてから、冷静に此の三次元世界の事を考えると、其れは、やはり夢の世界の事であって、現実には存在しないのだと思ってしまう。
其れとも、地球の何処かに、其の様な遺跡が在って、探して欲しいと、霊界が願っているのだろうか。
現代の世の中を生きる人達に、一番大事な理・ことが、其の遺跡の中に秘められていると言うのであろうか。
此れだけの事を、書いて置けば、次は夢の続編が現れるかも知れない。
平成15年1月14日
礒邉自適
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