言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2003/3/22
自(ゆるやかに)
15・3・22
今朝は、縦書きに一行だけ文章が映り、其の文章の中に「自」の漢字が有って、下の方には線が引かれ、平仮名が続いていた。
私の意識が、何と書いてあるのか、意味を探ると「ゆるやかに」の意味だと解された。
「・・・自 − ゆるやかに・・・」とは、どう言う意味なのであろうか。
「自」は「自分」「自由」の単語に使用されており、「自」は鼻の象形から出来ている漢字である。
漢語林で「自」を調べると、「自・ジ・みずから」【解字】甲骨文。はなの象形。転じて自己・おのれの意味を表し、借りて、助字の、より、からの意味をも表す。
【字義】@みずから。 Aおのずから。ひとりでに。Bより。 Cよる。もとづく。 D用いる。 もっと。 E率いる。 F始まり。 初め。其れに、「自」が頭に付く単語は「自然」「自給」等105も有る。
今朝のメッセージの「自」を「ゆるやかに」とする根拠を、何処に求めれば良いのだろうか。
「自分」とは「みずからを 刀で両方に切り分けて 自分の内側を見て 自分の分を知る」との意味であり、「自由」とは「最も 大きな存在に 自分をあずけ よりついて安心する事」の意味である。
「自」の【字義】は、7つとも、自分に視点を置いて思考する態度を現している。特に、Fの「始まり、初め」と、Eの率の「ひきいる、先に立つ、導く」は、自分が中心に在り、他人は関係がなく、自分から全て始まる事を、自覚するものである。
其の立場を自覚し、事を始めるのであれば、全責任は自分に有り、他人に責任を転換する事は出来ない。
私の名である「自適」は「自分の心のままに 楽しむ『悠々自適』」と、辞典には載っている。
「自分の 心のままに 楽しむ」とは、他人の真似をするとか、他人に聞くとかではなく、自分の魂に従って自由に生きていく事を意味している。
其れは、佛教の「サマディ・三昧」と同じ意味であろう。
今朝のメッセージは、その自分が、ゆるやかにトキの流れに身を任せ切って、ゆるやか(緩やか)に生きていく事を知らせて来ている。
「緩やか」とは、「ゆったりしている。きびしくない。いそがしくない。のろい。おそい。」の意味と載っている。
是等の意味を纏(まと)めると「自分を 拠(よりどころ)として、トキの流れ(森羅万象の変化)に 緩やかに身を委(まか)せて 行く」とのことに成るであろうか。
これは、私の名の「自適」の意味と同じ理(こと)に成るのではないだろうか。
そうであれば、私は56年間掛かって、自分の誕生時まで帰り着いた事になる。
其れは、何も知らずに居た、生まれたばかりの自分に、ようやく帰り着いて、無為の状態に至ったとの事であろうか。
私の「自適」の名は、私が産れた次の日1947(S22)年1月30日に、父親が畑の農作業から、馬を引いて、馬小屋の前まで帰って来たら、突然頭の中に「自適」と言葉が飛び込んで来て、父親は驚いて、馬をそのまま馬小屋の前に放って、自宅に走って来て「この子は自適だ」と、叫んだとの母親の話である。
私の四人の子供達も、同じ様に、名前を持って産れて来たので、私はこの母親の話に十分納得が出来る。
私が不思議に想うのは、名前を告げて来るのが何者なのかと言う事である。
産れ出たばかりの子供が、意志を持っていてテレパシーで親に告げて来るのか、子供の守護霊が、自分の使用する個体に対して、意味付けをするのか、あるいは未だ別の理由があるのかは、私には未だ分からない。
私の、個体に対しての呼び名を、「自適」とする者の根拠は、何処に有り、其の者の目的とは、何なのであろうか。
私に考えられるのは、誰かの意志が働いているとすれば、それは中国の老子の様な気がする。
老子【(1)中国、春秋戦国時代の思想家。道家の祖。史記によれば、姓は季、名は耳、字は?(たん)または伯陽。楚の苦県(こけん) 邏ソ(れいきょう)曲仁里(河南省)の人。周の守蔵室(図書館)の書記官。乱世を逃れて関(函谷関または散関)に至った時、関守の尹喜(いんき)が道を求めたので、老子(2)を説いたという。→太上老君。 (2)(1)の著書。2巻。宇宙の本体を大または道といい、現象界のものは相対的で、道は絶対的であるとし、清静・恬淡(てんたん)・無為・自然に帰すれば乱離なしと説く。編纂は孟子以後と考えられ、前漢初には現行本に近いものが成立していた。老子道徳経→ろうし・けこ・きょう「老子化胡経」。】 広辞苑
私が、母親の胎内に宿ったのは鹿児島市(旧谷山市)である。
産れ育ったのは屋久島だが、父親は中国に15年程生活しているので、老子の教えにも触れていたのかも知れない。
私の育て方にも、中国古典の影響は有ったであろう。
老子の魂が、私の肉体を借りるとすれば、実に都合が良かったという事に成る。
老子の本名は「李・耳(リ・ジ)」と言う事だが、私も自適なので、赤ちゃんの時より“ジちゃん”“ジー”と呼ばれていた。音色的にも、馴染みがあり、抵抗が無かったのではと思われる。
私は、全国の旅の途中で、引越しをする事になり、荷物を減らす為に、本を他人にあげようとしたら、夢の中で、老子の本だけが、ゴミ箱から飛び出して来たので、老子の本だけは、身近に置いておかなければと想い、現在でも座右の書として離さないようにしている。
他の人は、老子は難解だと言うが、私には、何故か、老子の書き物は能く理解出来る。
それも、老子の御魂が、私の脳裏に係わりがあるのなら、合点が行く話である。
老子は、王様の図書室の書記官だったとの事だから、中国の何万字と有る漢字の象形の意味も、全部把握していたと推測出来る。
そうであれば、老子の「道徳経 五千余言」の書き物は、信頼出来るものと成るし、釈迦の方便品や、イエスの例え話とは、内容の質と高さが、全く異なる事になる。
此処のところ釈迦仏陀、イエスキリスト、一休宗純禅師と、気配を感じて来たが、今日のメッセージが、老子のものであれば、最後の取りを執ったのが、老子という事になる。
老子は、釈迦やイエスと違って、誰一人弟子なる者を採っていない。
老子の考えの中に、「道は 他人に説くものではなく 自分が実行してこそ 価値があるのだ」と有るので、私にも、其の事を「実行せよ」との事だろうか。
老子が、一番大事とした事は「柔(やわ)らかい者は 賢く強いものにうち勝つ だから水の様に柔らかく生きよ」との事である。
この事からも「ゆるやかに」は、老子の意志が、関係していると想われて来る。
それにしても、19年掛かった私の精神的な旅は、結論として「自が 緩やかに 生きる事」であった事には、驚きである。
しかし、其れは、自分の「自適」の名前や、自分の気持からしても納得出来る事なので、メッセージ通りに、是からの人生を送って行きたいと想う。
今年は、島外からの客が来ないで、書き物をする日々が多かった。
今日、明日と東京より二組の客人が来る。
是からの私の人生が、多忙であればある程、今朝のメッセージは、大事なものと成るであろう。
今朝のお告げは、忙しく成るからこその、誡めなのかも知れない。
多忙の「忙」の漢字は「心+亡」で「心が亡くなる」の意味である。
其れは、今朝のメッセージとは、全く、逆の立場を現すものだ。
心を失わない為にも、自分の人生を、緩やかなものにして行きたい。
老子の「自然無為」の言葉こそ、是からの自分を、支えてくれるものだと想われる。
自らの心(意識)が、何時も何処に在るのか、其の事を気遣う事が、翁(オキナ・おとな)の資格だと、考えられて来た。
平成15年3月22日
礒邉自適
2003/3/12
宇宙
15・3・12
今朝の霊夢には、「宇宙」の文字が現れたのだが、「宇」が「ふ」(両方の点なし)と「う」の、中間の平仮名の様に現れたので、「宇」と「う」の事を調べろとの事だろうと想い 調べる事にした。
【広辞苑】
「う」(裏の意)袋綴じの本で。綴じた紙の偶数ページに当る面の称。ウ⇔オ
【言泉】
・「う」現代の「う」が歴史的かなづかいでは「ふ」にあたる場合がある。
・「ふ」その動作が継続する。進行していく。
【漢語林】
・「宇」は「宀+于」の組み合わせで、「宀」は家の屋根、「于」は弓なりに曲がってまたがるの意味。家屋の中でまたぐように覆う部分。のき(軒)の意味を表す。
・「宙」そら、大空、また地面から離れた空間、空中。
・「宇宙」宇は空間の広がり、宙は時間の広がりをいう。
@ 無限の空間と悠久の時間。
Aあらゆる事物を包括する空間。哲学的には秩序ある統一体として考えられる世界全体。物理学的には物質と輻射エネルギーが存在する限りの空間。天文学的には全ての天体を含む空間。
以上の様な事柄が載っているが、今朝の「宇」は「う」と「ふ」に近かったので「う」と「ふ」の関係を重点に考えると、「う」は裏側の事で、「ふ」は動作が反復されながら継続していくとの事だから、繋いで考えると「裏側が 反復されながら 継続して行く事。」に成る。
今朝の夢には、「う 宙」と映って来たので、「宇宙」の単語も、合わせて考えなければならない。
其れ等を考え合わせると、「宇宙の空間の裏側(内側)の事が 反復されながら 継続する。」との、意味と取れる事になる。
其の意味から、私に、何を知れと言うのだろうか。
私が、宇宙の裏側の森羅万象を「支える」か、「抱える」、「のき(軒)」の役目だと言うのだろうか。
地球の物質には、重力が存在するので「“のき”」は大変な力を要するが、宇宙全体で見れば、地球自体も重量は0である。
そして、意識だけの事であれば、地球に在っても、肉体的力は不要なので、私が出来る事かも知れない。
仏教的に言えば「色即是空 空即是色」なので、宇宙に存在する物質は、本来は「空」であり、無いとの事だから、意識の力で「のき」の役目が出来る事に成る。
地球上の、実際の家屋は、土台に全ての重量が掛かるが、軒には、屋根の部分だけの重量が掛かるだけである。
しかし、宇宙の「宙・そら」は丸いので、土台の部分は無く、円の内側は全体が「軒」であるとも言える。
宙の内側に在って、丸くなり、背で、宇宙を支えて世界を守護している、人間の姿の絵が、エジプトの壁画に残されている。
其れを考えると、漢字の「宇」の意味と、エジプトの文化に、同じ概念があった事になる。
エジプトの王には、其れだけの認識が、必要とされていたのであろうか。
それは、人間の王が、自分で感じた事なのか、神官が、神のお告げを受けて絵にしたのかは、私には知る由も無いが、今日の私と、同じメッセージを受け取った者が、古代に存在した事になる。
私も、未だ、人間の意識力と、「神・宇宙」の意志との繋がりは、明確には説明出来ない。
だが、確かに、人間の意志よりは、遥かに偉大な存在が現存する事は、疑いようが無い程の、体験を味わっているので、この様な文章を、書いているのである。
今朝の夢は、私が軒の役目なのか、軒の働きの存在が、私に「そのもの」の存在を、知らせて来ただけなのか、私には良く分からない。
私は、神の働きである軒の存在を、人間側に知って貰う為に、夢を見せられ、言葉に置き換えているだけなのかも知れない。
だが、其れだけでも大事なコトである。
他に、適当な人物が無いので、私が選ばれたのであろう。
今朝の夢で、森羅万象を支えている、内側の軒の存在を、知らされる事になった。
私は、絵を画く技術が無いので、誰か、この文章からイメージを取り出し、色付きの絵に出来ないものであろうか。
それにしても、文字が有るだけでも、神界は、楽をしていると、言えるのではないだろうか。
平成15年3月12日
礒邉自適
2003/3/10
東西南北
15・3・10
今朝の霊夢は、釈迦仏陀やイエスキリストの意識を土台にして、生命の根源に辿り着き、人類の言葉の発生時を、捉えた様な気がするものであった。
今朝は、私の意識が、車の荷台に、後向きに座っていて、過ぎ去る景色を視ている様な映像だった。其の私の意識は、太陽の光自体なのか、神霊の意識なのか、宇宙意識なのか、其れとも生命全体の潜在意識なのかが、良く分からない。
左手の後方から現れて、前方へ流れ去っていく映像は、皆、鴇色(淡紅色)をしており、鴇色の朝日が、全体に色付けをしている様であった。
場面に映って来るのは、全部植物の葉で、光の方向に、葉の表全面を向けているので、葉の形が全部ハッキリ浮き出して見えている。
丸い葉、長い葉、トゲの有る葉、ススキの株や、蔓性の植物等が、存在感を持って、次々と現れて後方に流れて行くのである。
其れが、何10メートルも続いた後、私の意識が、どうして葉だけが映り続けるのかを、疑問に想った処で、其の夢の場面は終った。
そして、朝起きる時「東西南北」の語が頭に出て来たので、今朝の夢と「東西南北」の言葉の関係を探っていて、是は、大事な内容を含んだメッセージだと気が付いた。と言うのは、私には、幾つもの意味が読み取れたからである。
・植物の葉は 太陽の運行を追っているので 東西南北の方向性を知っている。
・朝日が当る頃に目覚める。
・葉の形状が 植物の性質を現している。
・人間の言葉の 左(ひだり・日足る)と右(みぎ・見切る)の意識の始まりを知らせて来ている。
・植物は 毎日 太陽と付き合わなければ生きていけない。
・太陽が当らないと 真白くなって緑の植物ではなくなる。
人間は、植物を食べているので、直接には、太陽の運行とは切り離れていても、生きていけるが、植物は、太陽の存在がなければ生きていけない。
だから、植物は人間と違って、太陽が、東から昇って西へ沈んでいく理・ことを、能く知っているのだ。
それと比べると、都会のビルの谷間で生活する人間は、朝日の昇る時間や、夕日が地平線に沈んでいく時間を気にせず、其れ等の事とは、全く関係無く生きていると言える。
其れは、極近代に成ってからの事であり、電気が無く、時計も無い時代は、皆太陽と共に、寝起きしていた筈である。
昼と夜が、逆転している様な生活をしている人達は、昔なら、生活出来なかった事になる。
人類は、近代文明社会に成ってから、北の寒い地域の人や、南の暖かい地域の人も、似た様な生活様式に成って来て、西と東の国も違いが、あまり無くなって来てしまった。
言葉にしても、世界中の言葉が混ざり合い、環境の異なる地域で発生した言語を、使用するので、語源の本来の意味を失ってしまっている。
日本人が、英語を話しても、言葉の置き換えをしているだけで、語源まで理解していないので、脳に浮かぶ映像は、本来の姿(テイスト・taste・味わい)とは、全然異なる物に成っていると考えられる。
私には、右(ライト)左(レフト)の英語の語源は分からないが、「みぎ」と「ひだり」の言葉の意味は、予測が出来て来た。
書物に拠れば、「ひだり」とは「日足りる」の意味で、「南に向かって 東から太陽が昇る事から来ている」とされている。
私も、その意味を信じていたが、今朝の霊夢が告げて来た処から考えると、意識の向きが、逆に成って来る。
今朝の映像は、私の左の後方から、景色が現れて、前方に流れ去って行ったので、植物の葉に当っている光の源は、右側に存在する事になる。
何故なら、植物の葉は太陽に向かうものだから、葉の向きからすれば、そう言う事に成って来るのだ。
その様子を、見ている、私の立場からすると、左に光が当る葉が有り、右に太陽が有るとすれば、私は、朝日が東から昇る時に北を向いているか、夕日が沈む時に、南を向いているかのどちらかに成り、「ひだり」とは「日足りる」ではなく、「日当る(ひあたる)」→「ひあたり」→「ひたり」ではないかと想えて来る。
左側に、日の当る葉・物が有り、右側に光源・ライトが有るとすれば、英語の光の「ライト・light」と、右の「ライト・right」も、同義語として考えられて来る。そうであれば、日本語の「ヒタリ」も同意の言語と成って来るので、8000年程遡れば、同族の言葉使いが見えて来る。
英語の元はフランス語で、フランス語の元はラテン語で、ラテン語の元にシュメール文化が有るとの事。
日本の文化にも、シュメールの文化や言語が、影響を与えている事から考えると、当然の事かも知れない。
英語と、日本語の「左右」に、光(日)の位置が関係していれば、言葉の発生が、同文化と言う事に成り、同族が関係している事に成って来る。
私が想うには、古い文化の中に、言葉を想い付いた誰かが、自然の中に佇んでいるのだ。
太陽の光が当る事で、自然の色合いが見え、自分の意識の中に、状況を言葉に交換する技を見出した者が居るらしい。その者の魂が、私の意識の内に住んでいて、私に「東西南北」の言葉を、自覚させようとしているのではないだろうか。
現在の学校教育では、地図上などで「東西南北」は教えているが、自然の野山に出掛けて、草花等と一緒に、日の出や、日の入りを体験しながら、東西南北の意味を理解する事はしていない。
「時計」の言葉も、元々は「土計・とけい」で「つちはかり」の意味であり、地面に棒を立てて、東から昇った太陽が、西に沈む迄を、地面に出来る棒の影で、計った事から生じている。
私達人間の生活も、自然の働きである、季節の運行と共に在ったのだ。
それが現在では、建物の中で時計を見ながら、冬は暖房、夏は冷房で、太陽の運行も、季節の移り変りも気にしないで、生活をしているのである。
人間は、現在の生活を何代も続けて行くと、生体リズムも狂ってしまい、細胞やDNAからも、トキの記憶が消え去ってしまうのではないだろうか。
今朝の私の夢の、ピンク色した鴇色の世界は、太陽の魂の世界だったのかも知れない。色占いの世界でも、ピンクは物質を司る色とされている。
其れに、エジプトの太陽の船の舳に立つ、水先案内の役割をする神は、鴇の頭を持つ「イビス・Ebisu神」である。
物の世界を理解する為には、自然の仕組を理解し、改めて東西南北の意味を理解して、自分の立場を明確にし、物事を見極めよとの事ではないだろうか。
私が1984年3月13日に、太陽からの強いメッセージを受けて、今月13日で丸19年になる。
そして、平成元年(1989)3月13日に、阿蘇郡蘇陽町の「日宮幣立神宮」に参拝した時間に、太陽が喜んで観測史上稀な反応を起した。
其れから、丸15年が経つ事になる。
「長い旅だった」http://star.ap.teacup.com/170606/881.html
「昭和天皇」http://moon.ap.teacup.com/20061108/64.html
私達、地球の生物は、皆太陽の恩恵を受けて生きているし、又太陽の光を利用して、視神経を発達させて、物の位置を確かめられる様に成り、自分の立場も認識出来る様に成って来た。
今朝の霊夢は、生物の原点を知らせて来た事と、人間の意識の発生と、言葉の持つ本来の働きを、再認識せよとの事ではないだろうか。
私のメッセージも、私が言葉を知らなければ、どんな映像を見せられても、他人に説明する事は出来ない。
今朝、気付かされた事は、言葉の始まりに、生命の意識が関わっていると言う理・ことである。私が、其れを、何処まで思い出せるかが、大事なのであろう。
今年も3月13日まで、残り3日である。
其の日に、どんな知らせが来るのかは分からないが、真理に対して、真剣に取り組まなければと感じている。
平成15年3月10日
礒邉自適
投稿者: isobejiteki
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