言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2003/7/28
家離・たび
15・7・29
自分の精神的なたびを、「旅」と書くしかない事に、長らく不満を覚えていたが、ようやく日本語の、「たび」のイメージを捉えることが出来てきた。
漢字の「旅」の字は、軍隊が列を組んで、旗を立てて行進している様子を表す象形文字である。
私の旅は、唯一人にて、神の為に進む行為なので、「旅」の字は合わない。旗も立てていないし、行き先さえ確定していないのである。
普通の人であれば、「たび」の語を聞いても、旅行の事ぐらいにしか思はないだろうが、私は「心のたび」までを意識しているので、日本語の「たび」の意味を知りたかったのである。
それが、「日吉眞夫さん」にプレゼントされた古語林を調べて見て、「たび」とは、家を離れる事の意味であることが判明した。
家を離れる事が「たび」であるなら、釈迦仏陀の教えである「出家」も旅であるし、イエスキリストが「私に付いて来なさい」と云って、弟子を家から連れ出した事も、たびをさせる事と同じであることが分かる。
人間は、悟る為には、家を離れる事が不可欠の様である。
日本語の「たび」を、漢字に置き換えるとすれば、「出家」か「家離」と成る様である。
此の事を、基準として考えれば、家から遠くへ旅行に出かける事も、たびの一部である事には間違いない。
しかし、旅行は女・子供でも、老人でも出来るが、釈迦やイエスに付いて行くたびは、女・子供は出来ない。
子供は、大きく成って一人前に成ってからでないと、たびをする事は出来ないのだ。
女性も、その意味では「たび」には不向きである。
其れは、女性は家庭に在って、子育てをする事が本能である事から言っても、正しい事である。
人間以外の動物の世界も、群から離れて行くのは雄の方であり、雌は群に残り、子孫を残して行くのが役割である。
女性は、遺伝子的にも、家を離れてはいけない様に出来ているのだ。
動物の群は、雌が群を維持している事で、雄が武者修行に出て行けるのである。雄は、血筋が重ならない様に、武者修行が済んでも、自分の育った群には帰らない。他の血筋の、群のボスと戦って、自分の遺伝子を残して行くのである。
純粋な生命システムから言っても、たびをするのは男性であり、女性はシステムを維持するのが役割の様である。
女性が、群のシステムを完全に維持してくれるからこそ、男性は心置きなく、旅に出掛ける事が出来るのだ。
その理・ことは、人間の家庭にも同じ様に言える事である。
家庭は、母親が、しっかりと維持を続ける事で安定し、安らかな空間と成り得る。
子供達が大きく育つ為にも、精神的基礎が出来る段階の家庭は、重要な意味を持っている。
私が子供の頃から、家離をする事が好きだったのは、母親がしっかりしており、安定出来ていたからだろう。
安定した環境の中に居るからこそ、刺激を求めて家離・たびをする気持が起きて来るのだ。家庭が不安定であれば、ゆっくりと家離をする事は出来ない。
寧ろ、家を飛び出しても、気に成るのは家の事だけであり、心のたびをする余裕は生れない。
私が、念願の全国への家離・たびに出掛けられたのも、母親がしっかりしていたからであり、妻や子供を実家に帰しても、実家に対して心配が無かったからである。
母親が、病気であったり、妻や子供に障害でもあれば、それを放って措いて、家離をする事は出来なかったであろう。
その意味においても、母親や妻子に感謝したいと想う。
私は18年間の全国の巡回が終り、屋久島に帰って一年間が過ぎた。
改めて、此の19年間を降り返って見ると、実に多くの方達の世話になり、又協力を受けた事に感謝の念が湧いて来る。
「帰る」の漢字は、「肉+箒(竹ほうきを手にする)」の組み合わせで、人が無事にたびから帰った時、清潔にした場所で神に肉を捧げて、感謝をすることから、帰るの意味を表す。
後に、足を意味する「止」を付加し、其の歩行にかかわる意味を明らかにした。転じて、女性が落ち着くべき所に落ち着く、とつぐの意味を表す。
【字義】@とつぐ。嫁に行く。Aゆく。(往)Bかえる。もどる。引き返す。Cかえす。もどす。D身を寄せる。また、その所。Eくみする。味方する。また、あつまる。おちつく。Fまかせる。ゆだねる。G終わる。死す。二おくる。(贈)与える。 漢語林より
私は、その古代の人達の気持ちが、手に取る様に良く理解出来る。
其れは、私が長い家離を無事に終えて、自宅に帰る事が出来たからであろう。
此れが、屋久島に存在する、以前・もとの自宅に帰っているのでなければ、現在の心境には成っていないと想われる。
何処かの地に、未だ住んでいれば、其れは、未だ家離・たびの延長であり、帰り着いた事にはならない。
自宅に帰り着いたからこそ、「無事に帰った」との自覚が、湧いて来ていると考えられる。
自分の家を離れ、たびを終えて、再び自分の家に帰る。その過程を終了してこそ、たびが完成したと言えるのではないだろうか。
その意味で言えば、イエスは殺されて家に帰っていないので、旅の途中で死んだ事になり、釈迦は自分の産れ育った家を、他の王に破壊され失っているので、たびを終えて帰り着いた事には成らない。
故郷が存在し、故郷の自然の中で、自分の生い立ちからの人生を、振り返って観る時、本来の人生の意味が理解されて来る。
屋久島に生れ育った人でも、島を離れ、家離・たびを済ませていなければ、大きな人生の意味を悟る事は出来ないし、島外から島に移り住んで来た人達も、たびから帰ったとの実感を持つ事は出来ない。
真の「たび」の実感を得て、自分の存在意義を確かめる為には、出発地点と、再び帰る地点が、確保されていなければならないのだ。
私に、此の様な気付きが起きたのも、家離をする事が出来たからである。
普通では、考えられないタビがどうして出来たのか、其れには、様々な条件が揃った事が挙げられる。
・無庵師匠に見出された事。
・私が家を離れても、皆がなんとか遣っていけると考えられた事。
・聖霊の導きが有った事。
・神が森羅万象を支えていてくれた事。 等が考えられる。
私のタビは、私が家離をする事だけではなく、神や聖霊が係っていたのである。
其の事を考えると、この宇宙自体が、タビを目的としている理・ことが理解されて来る。
私は、人類の代表者として神に育てられ、聖霊の導きと、人々の協力を受けて、タビを続ける事が出来たのだ。
だから、私の家離・たびで得られた収穫は、私一人だけのものではなく、人類共通財産であり、神の収穫物でもあるのだ。
仏教用語に、「往生(おうじょう・ワウジャウ)」と在って、この世を去って神の世界に帰る事を意味しているが、其れは此の世での役目を無事に果たして、大手を振って、あの世への大道を帰る事である。
私は、此の世でのタビを終え、宿命を果たして、大往生する事が出来るのだろうか。
私が気に成るのは、中国の老子は、最後に周から立ち去って、函谷関(かんこくかん)を通って、何処かにタビ立っている。
日本の空海は、魂を身体から切り離して、未だに高野山に居るという。
彼等の行動から見れば、タビとは、もっと深い意味があるのかも知れない。
私は現在56歳である。
老子や空海の事を考えると、未だ、家離が終ったとはとても思えない。
これからも「荼毘・ダビ」に服する迄、何が起きるか分からない。
一応、重要な一課程が過ぎただけなのかも知れないが、先ず、家離が終了した事だけは、自覚しておこうと意う。
平成15年7月29日
礒邉自適
2003/7/8
無双
15・7・8
今朝は、強烈なメッセージの映像が送られて来る体験をした。
其れは、私が無庵師匠の自宅を訪ね、勝手口で訪問を告げると、奥さんの声で表に廻るように言われ、表の方から家の中に入ると、師の姿が其処に在って、子供の治療をしている。
その様子を見ていると、無庵師匠は、左手が不自由に成っていて、右手を使いながら口に物を咥えている。
私は既に、16年間程無庵師匠には会っていないのに、昔の若い姿ではなく60歳くらいで、現在の師の年恰好である。
風の噂では、病気で倒れたとの事なので、現在の本当の様子が、映って来たのかも知れない。
私が声を掛けて、一言か二言か、話している間に、私の体に霊が憑依して、私を他の場所に連れ出して行った。
私は、自分では、意識のコントロールが効かない状態に成って、誰かに、演説をする様に話し始めた。
その声と、話の内容と手振りが、マクロビオティックの創立者である「桜沢如一(1893─1966)」のものである事が直ぐに分かった。
そして、話している内容のテーマは「無双」に付いてである事も判った。
更に、話の続きには、文字や文章が出て来て、其の内容が見えた。
文章は、大きな文字で、右側に「か」の平仮名が書かれていて、左側に「い」の字が書かれていた。
そして、両方の下に、文字に関する事が、色々と書かれていたのである。
今朝の映像は、私の意識が、其の「か」と「い」の文字を、記憶した処で終わった。
朝階下に下りて、広辞苑で「無双」を調べると、【@ならぶもののないこと。二つとないこと。無比。】と 載っている。
そして、横の本棚に有る桜沢如一の数冊の本の中に、『無双原理・易』と言う題の本が有った。
私が、現在の様な価値観に至ったのは、無庵師匠に出会ったからであり、その師が、部屋に飾っていた写真は、桜沢如一の御影が唯一枚だけであった。
今朝の映像の場面が、私が無庵師匠の家を訪ねる事で、桜沢如一の霊を身に付ける事に成ったのは、私の人生に関して、一番の根本的な処を示して来ている。
私が、無庵師匠に出会って「玄米正食・マクロビオティック」の世界に入り、聖霊に満たされる事に成った時に、一番初に姿を現したのが其の「桜沢如一」であり、次に現れたが「出口王仁三郎」で、次が「宮本武蔵」だったのである。
今日は、夢の内容から、19年前の世界に逆戻りした感がある。
しかし、19年前には、「か」とか「い」とかの、具体的な言葉に付いては示されて来てはいない。
やはり19年前の私とは、何かが違っている事は、間違い無い様である。
漢語林で「か」と「い」を調べて見ると、次の様に載っている。
【か】は、「加・カ」の草書体で出来た仮名文字で、加の意味は・くわえる。くわわる。で、加の漢字の意味は、力は「ちから」、口は「のりと」との意味。と ある。
【い】は、「以・イ」の草書体で出来た仮名文字で、以の意味は・もってする。もちいる。で、以の漢字の意味は「すきで土をやわらかくする」の意味。
「以」は本字が「人+厶 」で、其れが使用されている漢字は、「賢い、厳しい事態が消えてやわらぐ」「前の事態が解消されて、新しい事態がはじまる」の意味を共有する。
「加」と「以(呂)」の意味は、「のりとの力が加わって賢い・厳しい事態がやわらいで、前の事態が解消されて、新しい事態が始まる」との意味だから、新しい流れが、良い方向に始まることが、知らされて来た事になる。
一方「桜沢如一」の『無双原理・易』の書き出しには、「帝王の書・易は広大悉く備わる。それは『宇宙の秩序』、万物が不断に展開し転換してゆく原理である。
つまり『無常』のメカニズムを教える。易は古今無双千古不滅の『無常』の根本原理である。だから唯一無双の恒常の原理である。・・・易とは倫理道徳のみの原理ではない。易は広大悉く備わる。と言われている通り、実に万有に共通の根本的無双原理である。・・・後続く」
と有り、「二つと無い原理は 易である」との事だ。
この宇宙の森羅万象が、働いている世界を観て行く基準が、易なのである。
私へのメッセージは、その易の世界を、聖霊達が伝えて来るものである。
何故、私に告げられて来るのか、其れは、私が「蜥蜴・トカゲ」の脳(古皮質)に目覚めているからである。
「易」の漢字は、「日+勿」の組み汗で、太陽の光りが体に当たっている蜥蜴の象形である。
中国の「道・タオ」のマークは、陰陽の蜥蜴の姿をモチーフとしたものである。私の意識に住む、陰陽の「トカゲ(戸陰)」が、新しい流れをキャッチしている様だ。
不思議な事に、今日の昼前、銀行の支店長が自宅を訪れて、今後の事を話し合う事に成った。
とても感じの良い方であり、私の文章が載っている島の雑誌「生命の島」も読んで下さっているとの事。
今日は、19年振りに、銀行の支店長と接触する事と成ったのである。
これも、新しい流れの始まりであり、私の気持ちも、和らぐ事に成るのだろうか。
今日は、私の人生の中で、忘れられない一日と成った様である。
平成15年7月8日
礒邉自適
2003/7/6
綴られて行く魂
15・7・6
文化とは、「文・あや」が変化して行く事である。「あや」は、「心の意・おもい」の事だが、「あや・心・意」は言葉に因って組み立てられ、変化して行くものである。
猿と人間の差は、言葉を使い、文字を使用するか、しないかの違いである。
人間は、言葉を使う事で、言葉に自分が振り回され、文字を使う事で、自然の働きから分離して来た。その為に、人間は常に不安を覚え、元に還ろうとして、神佛を求める行動に走って来たのである。
だから、本来の自分自身に還る為には、言葉に頼る事が無かった時代の、原点に帰らなければならない。
本来の自分に還る為の方法に、祈りの行為がある。「祈・禱」の漢字は、「人が鈴の飾りの付いた旗を持ちながら、幸福に近づくことを願う様から いのりの意味を表す」である。 漢語林より
「祈・セツ」を日本語の「いのり」に当てているが、日本語の「いのり」は、人間の姿ではなく、心の状態を表す言葉だから、「祈」をする人物が、心の中で何を想っているのかを、考えなければならない。
日本語の「いのり」の言葉の意味は、「いの」が「帰る」の意味だから、神に向かって「いのる」とは、「神に帰る」との意味に成る。其れだと、漢字の「祈・セツ」と同じ意味を持つ事に成る。
祈る人の姿は、世界共通のものである様なので、人間の行為としては、「跽・ひざまづく」事は、理に適っているのだろう。
アルファベットの「B」も、人間が跪いている形で、人間の意味であるし、漢字の「命」の字も「卩」がアルファベットの「B」と同じで、人間が天の神に対して、命令を待って跽いている姿を現している。
因みに「A」は牛の象形で、「令」の頭の△と同じで、「令」の漢字は「△(A)+卩(B)」の組み合わせで、「牛神を 跽いて祈る人」の意味である。
そして、知らされる言葉が「命令」の「令」である。
日本語の「いのる」とは、自分の身に、神の意志が降りて来るか、自分の念いが神に通じるのを願うかのどちらかであり、神・天の意志と、自分の意志が、共通のモノと成る事を目的とした行為である。
現代風に言えば、この世は、全て波動・振動で出来ているので、神の振動に、自分の振動が同調して、波動が同じ物に成り、神と自分の想いが一体と成る事を、願う行為であると言えるだろうか。
「意・イ」の漢字は、「未だ 音にしない 心のおもい」の意味だから、自分の言葉として、他に話す前に、神と一体と成り、間違いが無いかどうかを確かめるものとも言える。
「話す」の漢字も、人間が「はなす」時には、舌が動くので、「話・ワ」とは「言+舌」の組み合わせで、人間がものを言う時は、舌が動いているとの絵・象形と言う事に成る。
話すとは、自分の意見を他人に向けて「はなす・離す・放す」事だから、日本語ではピッチャーが、キャッチャーに向けてボールを投げる事と、同じ様子を言い表している。
優秀なキャッチャーに出会う事が出来れば、自分の能力以上のものが出て来る事も有るのだ。其れと逆に、優秀なキャッチャーに、自分が成る事が出来れば、相手の潜在能力を引き出して遣る事も出来る。
「教育」の語は、明治時代に英語の「エディケーション・education」の訳として出来た言葉だとの事。エディケーションとは、相手の長所を引き出して育てるとの意味らしい。
相手が、説明出来ないでいる胸の内の意いを、上手く引き出してやる事が出来れば、親としても、教育者としても、友人としても役に立つ事に成る。
その理・ことは、人間関係ばかりではなく、神と人間との関係にも当て嵌める事が出来る。聖者や、預言者とは、神霊の意向を良く受けとれる人物の事であり、神に対して良きキャッチャーと成れる者の事である。
聖者や預言者は、自分の要求を神に押し付けたりはしない。神霊の意志を受け取り、此の三次元世界である「人間世界」が、神の意向通りに創造される事に、協力をするのである。
言葉とは、人間の為にだけ存在するものではなく、神霊との交信の為にも必要なものであり、漢字の多くは、神と人間の交信の様子を、絵として画いたものである事が、象形文字を見れば良く理解出来る。
宇宙に存在するあらゆる物質は、「ナミ・振動」に拠って出来ていると言う。光も、音も、物質も、全部ナミに因って生じているものである。言葉は音の世界であり、文字は光の世界(視覚)と、物質(筆・ペン紙)の世界の組み合わせである。
神と人間の関係性は、全部ナミで出来上がっている事に成る。その理・ことを考えれば、「いのり」とは、神と人間が、同じ周波数のナミに同調する事であると言えるだろう。
人間は、祈る時に、跽いて両手を胸の所で合す。何故、胸の所で両手を合すのだろうか。其れは、胸の場所が意識のセンターだからである。
漢字の「文・ブン」の文字は、人間が両手を広げた形で、胸に自分の意いを入れ墨している象形である。古代の人々は、自分が一番大事とする事柄・おもいを、胸の中心に入れ墨する事で、意志が変わらない様にしたのである。
「文・ブン」を、「あや」と日本語に当ててあるのは、自分の心の「あや(意い)」を言葉に織り込む事を意味している。
そして、織物が発達して、絵柄を布に織り込む事が出来る様に成ったので、「糸」を加えて「糸+文」の「紋」が、生まれたのである。
「意識」とは、自分の心の「意・模様・あや」を織り込む事を、意味しているのだ。人は、自分の胸に直接入れ墨をする事から、「文・あや」や「綾・あや」に自分の気持ちを依託するように成り、入れ墨の風習は一般的ではなくなったが、「文」の文字だけは現在まで使われ続けているのである。
私達人類は、自分の胸に去来する「おもい」を、言葉に変えて意識を組み上げて来たのである。
「文化」とは、その言葉に組み込んだ“おもい”が、時と共に変化して行く事を、言い表す言葉なのだ。
私達は、遥か昔の人々が、言葉に織り込んだ“おもい”を伝える事で、文化を発達させて来たのである。私達の魂とは、古代から続く言葉の「あや」の連続性に拠って成りたって来たものである。
この文章の題を「綴られて行く魂」としたのは、その意味からである。
では、私達の胸に去来する“あや”とは、何処から来て、何処へ去って行くのだろうか。
その根拠は、私達自分自身の胸のセンターに出入り口が有り、私達自身の胸の所から出たり入ったりしているからである。
その理・ことを、昔の人達は知っていて「食国の政・おすくにのまつりごと」と言って、神と人間の間に立つ者は、言葉を汚さない為に、食べる物を一番大事にしなければならないと訓えている。
漢字の「謂・いう」は、「言+胃」の組み合わせで、「言葉は 胃袋の中に有る 穀物から生じる」との意味の象形文字である。
佛教の中にも「精進・しょうじん」との言葉があり、日本でも禅宗の寺では、台所で食物を用意する者が「典座・てんぞ」と言って、優秀な者が選ばれる。
日本の天皇家の伝統で、一番大事な理は、「天皇・スメラのみこと」の食事を作る「台所(御饌殿・みけどの)」を祭る事である。
この様に、中国でも、日本でも、佛教でも、神仏と交わる者は、食物を一番大事とする理が伝えられて来ているのだ。
食べる物が、人間の魂を左右し、「あや・意」を変化させ、言葉の選択をすると考えられているし、「御饌殿・みけどの」の「饌」の和製文字が、その理を能く伝えている。
現代の日本社会は、言葉が乱れ、日本の大事な文化が若者に伝わらなく成って来ている。「スメラのみこと・天皇」に成るべき皇太子が、テニスをしたり、英国に英語の勉強に行く前に、するべき事は国内に澤山有るのだ。
いまの儘では、言葉の持つ「あや」は、変な方向に向かい、神の働きと掛け離れた意識が、不幸の綴りを織って行くのではないだろうか。
漢字は、人間の暮らしを相対的に現したものだが、日本の大和言葉は、人間の内側に働く、目には直接見えない魂の働きを表現するものである。
漢字の文字が書いて有るお札だけを、幾ら神社や神棚に張っても、何にも成らないのである。
正しい言葉が有って、道に適った念いがなければ、幾ら祈っても効果は無いのだ。正しい言葉の「あやの者」が一人でも多く現れて、神(天地)に通じる意いを念じなければ、人類は救われないであろう。
屋久島の方言に、「もう あやが 引っ切れた」と有る。此れは「自分の想いが 体力的にも 精神的にも、エネルギーが続かなくて 切れてしまった」と言う意味である。
私は19年間、是まで、よく「あや」が切れないで続けられたと想う。
其れは、神の意いを受け取りながら、キャッチャーとしての役目を果たして来たからである。
私は、自分の胸に、どんな意味の言葉を入れ墨すれば良いか、未だ決まってはいないが、地球生命全体の中で生きている私には、自分一人の勝手で言葉を選ぶ事が出来ない。
島の、猿や鹿と同じ物を饌・ケとして、もう1度、森の中で深く考えて見たいと想う。
平成15年7月6日
礒邉自適
2003/7/3
現場には物を通した言葉が有る
15・7・3
私の人生は、机にしがみ付いて哲学書を読んだ分けでもなく、誰か指導者に付いて弟子の修業をしたわけでもない。私の父も、是と言って、教えを残してくれた覚えもないのだが、何となく、此の様な事を考える人間にまで育った。
私の父には、暴力は無かったし、「勉強をしろ」とかの、言葉に因る強要も覚えが無い。
それなのに、文章を書いたりする処までに、育って来ている。
勿論、私の文章は、文筆家の様に言葉や文字が、正確で練れた物ではない事は自覚しているが、陸(ろく)に勉強もしていない私が、言葉を繋げる事が出来るのは、自分でも不思議な事である。
確かに、私も中学校までは学校に通って学んだし、親や社会から言葉遣いも習い、或る程度は本も読んでいる。しかし、自分を能く観察して見ると、私の思考は、自分の体験の映像を説明する為に、それに合った様な言葉を捜して、繋ぎ合わせている様な感じなのだ。
此処、数年書いている文章も、半分以上が夢で視た映像を、何とか言葉にし、整理して忘れてしまおうとするものである。
私の書いているものは、小説の様に、人間が頭で考え出した、架空の創造物ではないのだ。私の書いているものが、夢の説明なら、夢も人間の頭の産物だから、やはり頭が生み出したものだと言われれば、一言も無いが、意識的に創作活動として取り組んでいないので、私の作品というわけでは無いとも言える。
私の書いている文章は、自分の毎日の日記の様なものだから、他人に読んで貰う為とか、これで生活をしようとかの目的も無い。強いて言うなら、霊界人達の鎮魂の為にと成るだろうか。
私の文章には、自分が見た事も、聞いた事も無い語が有るが、その事が、霊界人が係っている事の証拠と成るのではないだろうか。
私は農家に生れ、小さい時から両親と畑で過ごして来た。畑仕事では、必要以外の言葉はいらないので、一日中畑に居ても、「お茶にしようか」とか「もう止めて帰ろうか」とか限られた言葉しか交わされない。
世間話も無いし、映画や音楽の話題も無い。グルメの話とかは夢にも出て来ない。盆と正月に服を、1着ずつ買うだけだったので、ファッションとも無関係である。
そんな環境に育ったのに、どうして1人前に育ったのだろうか。
改めて、その事を考えると、家には、馬・牛・山羊・豚・鶏・犬・猫等が居たので、牛馬や山羊の草を刈って来たり、豚の餌にするさつま芋を刻む行為をする時に、「牛の草を取りに行かなければ」とか「豚の餌を刻まなければ」とか、声には出さないが、行為自体を、言葉で判断していたので、それらの日常が、言葉を組み立てる事に繋がったのかも知れない。良質の草を刈って来て、牛馬が美味しそうに食べるのを見れば、「そんなに美味しいか」との気持ちが言葉に拠って生じて来る。
誰かに、此の行動には、こんな言葉が使用されるべきであるとか、教えられた分けでもないのに、何時の間にか、数多くの言葉を、現場の中から汲み取っているのである。
私の頭には、方程式の様な、専門用語は何も残っていない。頭が覚えられないのである。私の頭の中には、現場の映像が無いものは、記憶され難いらしい。
樹木の名前も、生活に利用した物は、名前を覚えているが、生活に直接関係の無い物は、覚えていないし、聞いても直ぐ忘れてしまう。鳥の名前も、自分が飼っていた小鳥や、罠を仕掛けて捕まえて食べた鳥の名前は、今でも忘れないで覚えている。
是等の事を考えると、私の思考は、現場主義型と言えるのではないだろうか。
都会生れの子供達が、パイナップルが木に成っていると想っているのとは、反対の処に在る。しかし、その私にはテレビ放送のTBSの、会社の名前を聞かれても分からない。都会は、私の現場ではないのだ。
屋久島の、自然の中に生れ育った私は、都会の建物は、ゴミ箱の様に思えるのだ。自然は、人間が手を加えなければ、美しい緑の自然に還って行くが、都会の建物は数十年すれば、醜い廃棄物と成ってしまう。
都会で育った子供と、自然の中で育った子供には、言葉の持つ背景が違うのだ。
私達には、遊びと言えば、自然の海川山が思い浮かびあがって来るが、都会の子供達の遊びには、違った情景が浮かぶだろう。
人間が生きるという事は、自分が置かれた現場から、どの様な言葉を汲み取って行くかに、掛かっているのではないだろうか。
島に帰って改めて、島のくらしを考えるとき、都会の人間が考えた文化(言葉)が、島の文化を破壊して、僕等が育った現場は、消滅し掛けている様である。
田畑は荒れ放題で、何処の家にも牛馬も居ないし、鶏さえ飼っている家は、捜して歩かなければ目にも付かない状況である。
島で育った言葉を使う人が居なくなった時、島の自然と共に、存在した魂が消えて、島の自然と、人間の鎖が切れてしまうのではないだろうか。
人間の心(魂・意識)が、言葉に拠って出来るものであるなら、現場を失った子供達には、島の言葉が無くなり、それに伴って、島の魂も、失われてしまうのではないだろうか。
今日、国も現場教育の大切さを打ち出しては来ているが、都会で生れ育った人達が、机にしがみ付いて幾等考えても、現場が建物の外にまで、脹みでる事は無いのではないだろうか。
磯物捕りを、一週間続けた私の身は、机に座ってペンを握っていても、沈んだり浮かんだりする感覚が時折り襲って来る。現場とは、自分の身を其処に置いて、全身全霊で取り組んだ時に、はじめて自分の物と成って来るものなのではないだろうか。
今日は、波の揺れを感じる自分を、不思議に想いながら、ソファーに座っていて、言葉が如何なるものなのか、少し解った気に成って来た。
釈迦が、臨終の時に謂い残した言葉に、「一生を修業を怠らず続けなさい」とある。人間は、場が変れば、直ぐに思考も変ってしまう。便利でもあるし、不便でもある。佛教には、何時も変らぬ心を保つ為に 「精進」 との言葉もある。
自分の身を置く現場を、何処にするか、もう一度真剣に考えて見なければ成らないようだ。
日本には古くから「言霊(ことだま)幸(さ)きあうくに」という言葉がある。昔の人は現場にこそ、言葉が生じる力が有る事を、知っていたのではないだろうか。自然の中にこそ、人間を幸せにする言葉があるのだと、世界に示す時節に至っているのではないだろうか。
平成15年7月3日
礒邉自適
2003/7/3
茎・くき
15・7・3
6月27日より昨日まで、一週間連続、海に出掛け磯物捕りをした。
今回の大潮は、特別潮が引いたわけでは無いが、毎日、島の何処かが風下に成って、海が凪ぎていたからである。
捕れた磯物は、知人に配たり、全国にも宅配便で送って喜んで貰えた。
私が、七日間磯物捕りに夢中に成る事を、神も知っているのか、殆んどメッセージらしいものは無かったが、今朝は、大事な理・ことを告げて来た様である。
今朝の映像は、私の意識が、何か大事な物を探していて、ようやく探し出して手にしたものが、25日の日付で、意味は丈夫な「茎」に成れとの事だった。
25日が、今月の7月25日であれば、其の日は、マヤ暦の一年で、一日だけ余りの日(時間の空いた日)である。
其れは、26日のマヤ暦元旦を迎えるにあたり、心の準備をする日である。マヤ暦は、現代のカレンダーの暦とは次元が異なり、人間と、宇宙の関係を深く考えて創られているものである。
現在の暦の価値観は、仕事をしたり、旅行をしたり、子供の産み月を計算したりと、生活の実用的な事にしか使用されないが、マヤの人達は、暦を、人間の魂と、神の働きの間に仲介するものとして捉えていたのである。
丁度、私が、現在感じて行動している様に、神の知らせて来る日付に合わせて、自分の考え方や、行動を決定して行く事と似ている。
今日のメッセージでは、25日に、私が「茎」を重要とする事柄に、出会う事に成るらしい。
「茎」を広辞苑で調べて見ると、
@高等植物において根・葉とならぶ基本的な栄養器官・胚の幼芽が発達したもので、枝葉をつけ、根を生する。地上茎と地下茎との別がある。
A一般に、ものの柄(え)など茎状のものの称。 と 載っている。
漢語林で見ると「草+圣」で、「圣」は「はたおりの縦糸の象形で、まっすぐで強いの意味」とあり、「草のまっすぐで強い部分、くきの意味を表す」とあって、くきの意味の他に「はしら。もと。みき。つか。の意味もある」と載っている。
今朝のメッセージの事柄で、私に関係が有りそうなのは、「はしら」とか「もと」の意味ではないだろうか。
神の計画で、何かが始まるのであれば、人間社会に、中心と成る柱の存在が無ければ、人も物も動かす事が出来ない。
柱とは、動かないで、地面と天井との間にあり、空間を作り出す大事な働きを持っている。柱の存在が無ければ、屋根も出来ないし、壁も作る事が出来ない。真直ぐで、強い力を持つ柱は、家を支える基だと言う事になる。
草花の茎にしても、大輪の花を咲かせるのには、強い力がなければ、花を支える事が出来ない。
茎とは、花や葉ではなく、根でもなくて、中間に有る大事な部分なのだ。
私に、丈夫な茎である様に告げて来たのは、大きな花か、数多い花を咲かせる為に、しっかりした立場と、心構えをしろとの事であろう。
私は、花として咲く必要も無いし、根の役目として、地下に潜る必要も無いらしい。
其れは、人の働いた成果を汲み上げて、上の花の方に送りながら、花を支えて行かなければならないとの事であろう。
花が、未来社会の仕組みの事であるなら、私の役目は大事なことになる。
未来社会と言う、花の蕾を支えながら育て、立派な花が開く様に、働かなければならない。
其れには、過去の社会から栄養を集めて、花の方に送り続けなければならないのだ。私の吸い上げる力の良否で、未来社会が、美しく開くかどうかの成果が異なるのだろう。
古代のマヤの人々が、そうであった様に、人間の力だけを過信するのではなく、宇宙の意志の存在を、当たり前の事として信じ、人間のエゴ(利己主義)を捨て、神や聖霊の働きに感謝しながら、より良き未来社会を、構築していかなければならないのだ。
私は、その為に、自分自身の思惑を捨て、只純粋な気持ちで、茎の役目として存在を続けなければならない様である。
言い伝えでは、インドのお釈迦さんが、或る日、花を一輪手にして、静かに座って瞑目していたと言う。
その姿を、山から下りて来た「摩訶迦葉(まかかしょう)尊者」が見て、意味を悟り、笑ったと云う。すると釈迦は、摩訶迦葉を側に呼んで「是まで、言葉によって真理を説いて来たが、言葉に出来ない真理をお前に託す」と告げて、宇宙の真理は生き物であり、常に変化して行く事を知らせている。
私に、今朝、花の茎をイメージとして送り込んで来た者の存在が、誰なのかは分からないが、宇宙の「永遠のトキ」の中に存在する一連の流れが、新しい舞台を用意している事は、間違いの無いとの事なのであろう。
今朝のメッセージに、「釋迦牟尼佛」や「摩訶迦葉尊者」が、係わっているのなら、私も静かに瞑目する事を、再度、実行する必要があるのかも知れない。
前日の7月2日に、日高雲平さんによって、「ファーザー(天の父)」だと知らされて二日目だが、ファーザーの役割が茎の働きであるのなら、子供達が、花として咲く事に協力をして行けば良い事に成る。
25日迄、残り三週間である。
26日のマヤ暦の元旦には、新しい人類の未来が始まるのだろうか。
私も、それ迄、静かに瞑目して過ごす事にしよう。
平成15年7月3日
礒邉自適
2003/7/1
ファーザー(Father)
15・7・1
今日は、梅雨の晴れ間で天気が良いので、梅雨の間の湿気を、全部戸外に追い出そうと意い、朝7時に家中の戸を開けていると、隣に住む、安房区の区長さんが遣って来て、「自適さん、お早うございます。今日は、初めて不思議な夢を見た」と云う。
私が「え、どんな夢だったのですか」と応えると、「隣りの家に『Father・ファーザー』が居ると告げられ、其のファーザーの頭文字は 大文字であった。」との事である。
私は、それを聞いて、愈々神の作戦が始まるのだと感じた。
今年の4月13日に「残り80日」とメッセージが有って、日付を計算すると、7月2日である事が分かった。
其のメッセージが有ってから、7月2日迄は、何かを始めたりしては成らないのだろうと想い、出来るだけ、物事を考えない様にして来た。
その7月2日を、明日迎える事になって、今朝の区長さんの出来事である。
安房区の、区長さんをされている「日高雲平氏」は、安房では一番由緒ある家柄の方で、昭和38年4月より安房中学校の教師となられ、平成元年に26年間の教職を辞められ、現在は、屋久町の公の役を、数多く成されて、多忙な日々を過ごして居られる方である。
私は、屋久島に帰り一年経つが、日高雲平さんは、「日吉眞夫さん」と並んで、私を理解して下さっている貴重な存在である。
私の父が、生前云って居た事に「雲平とは、良い名前だ」との事がある。
父は、「雲平」の名にすごく感銘をしていた。
私の名の「自適」も、父にとっては自信作だったのだろうが、「自適」は中国の「悠々自適」の「自適」なので、人間の暮らし方を言った言葉だが、「雲平」とは、大自然の雄大な風景を言い表しており、その情景を想うだけでも、人間の心の情景が豊かになり、善い方向に誘われる物である。
私が、雲平さんの御尊父・日高純夫さん(明治22年〜昭和63年)に、「私の父が、生前『雲平』という名前は、とても良い名前だと言っていました。」と伝えると、お父さんは「中国の古典の、ある文章の中に載っていたので、それが気に入ったので付けた。」と、応えられた。
雲平さんの父親の日高純夫さんは、長い間、屋久町(旧下屋久村)の町議会議長を務められた方で、現在の屋久町町長の「日高十七郎氏」は、純夫さんの御孫さんに当たられる方である。
日高純夫さんの父上で、雲平さんの御祖父にあたる方は、「日高小三」と云って、下屋久村の村議会議員を長く務められた方で、90歳まで長生きをされ、村の為に尽されたとの事。
前町長の「泊 義文氏」の御母堂は、小三氏の娘さんである。
現在は、小三氏の血筋は町長の他に、町議会議員を二名が務めて居られるので、日高家は、屋久町でも力の有る家系と言う事が出来るだろう。
私は20歳代の時、農業を営んでおり、黒毛和牛を多い時は40頭近く飼っていた。資金繰りに困った時、雲平さんのお父さんに、大金を貸して貰ったりした事がある。
「純夫おじさん(屋久島の人達は尊敬出来る親しい目上の方を、○○おじさんと呼ぶ)」は、私をとても気に入って下さって、大事にされた事に、今でも感謝している。
私の父親「礒邉 勲(いさお)」も、純夫おじさんと、良い交流をしていたので、父親の信用が、私の人生にプラスと成っていたものと考えられる。
私が、20年振りぐらいで町役場に行くと、年長者の方々が、私の父や母の事を直ぐに話題にする。
それは、皆さんが私を見ると、死んだ父や、福祉の仕事をしていた母親の姿を思い出すからだろう。私の背景に、生前の父親や、良心的な母親の姿が在る事は、間違いの無い事実の様である。
私が、常識的では無い行動を起こしても、何とか、社会的に相手をして貰っていられるのは、両親の徳の力が作用しているからだと想われる。
今朝、雲平先生(私達は雲平先生と呼び慣れているので、そう呼ぶ)に、現れた「ファーザー」のメッセージで、父を課題にする文章と成って来たが、雲平先生へのメッセージの裏には、私の父親や、雲平先生の御祖父・御尊父が霊界に在って、関係して来ているものと考えられる。
「ファーザー」を辞典で調べて見ると、
@ 父 。Aカトリックの神父や修道院長。 (有紀書房・カタカナ語辞典)
@ 父。A神父。 (広辞苑) と 載っており
「父」を調べると、@親・父親・実父の総称
@ (キリスト教)㋐神 ㋑三位一体(さんみいったい)の第一の位格。
(広辞苑)
@両親のうちの男の方・実父・継父・養父の総称。父親。
A キリスト教で神をいう。
B 新しいものの開祖。先駆者。また偉大な貢献者。
(言海社・最新式字典)
@ 父親。子のある男子。
A(キリスト教)天帝。 と、載っている。
この中で、気に成るのは、言海社の字典には、@は「father」で頭が小文字なのに、Aは「Father」で頭が大文字に成っている事である。
雲平先生の話では、どうして頭が大文字なのかが分からないとの事だったが、言海社の字典からすると、「父親」と「天帝」との違いが、有る事になる。
大文字のファーザーは、「天帝」や「天神」との意味であり、小文字のファーザーの「父親」とは、区別が有る事になる。
この事からすると、私が、言海社の字典を持っている事を、知っている何者かが、今朝のメッセージを送って来た犯人なのかも知れない。
それが、何者かを考えて見ると、佛教の開祖・偉大な人類の貢献者(ファーザー)である、「釈迦仏陀」の教えの言葉に「三世(過去・現在・未来)に 私の存在があり 衆生一切我が子」と有る。
これは、自分が天帝と一体であるとの自覚が無ければ、出て来る言葉ではない。ブッダに成る(成仏)事とは、宇宙意識を自分の物とする事である。
日本の、天皇家の元(はじまり)も、「皇御祖・すめみおや」の概念が根本の処にあり、「スメラのミコト(天皇)」は、国民(民草)全体の、平和と安定・調和を願うのが役目である。
これも「f」ではなく、「F」の頭文字の「ファーザー」であろう。
「イエス・キリスト」は、自分を子の位置において「天の父よ」と言っているので、自分の父親を、天に在る「神・天帝・ファーザー」としているのだから、「F」の「ファーザー」を呼んでいる事に成る。
私も、1984年(昭和59年)6月4日に、佛教で云う処の、虚空界の体験をして、全ての人類や、生物を救わなければ成らないとの、使命感に満たされた。
虚空界とは、イエスがヨルダン川で禊ぎの後、精霊に満たされキリストとして目覚めた時の状況と同じで、霊界に存在する高い次元の霊団が現れて、その者の守護に付く事を意味している。
日本の、天皇家の代替わり時の大嘗祭の儀式も、同じ意味を伝えるものであり、全ての国民の源である先祖の霊が、子孫を守る為に、総動員されて現われ出て来るのである。
其れ等が、先祖と、天帝とを認識する、大文字のファーザーの意味なのであろう。
平成15年7月1日
礒邉自適
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