言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2003/11/18
あるべき様に
15・11・18
昨夜、眠る時に「あるべきように」と言葉が遣って来て、視た霊夢は、清い水が流れ落ちて来るのを、私が手持ち鍋で、汲み取る場面だった。
其の水は、瞬時に手鍋一杯に成って、どんどん流れ落ちて行き、手鍋が差し出されている影響は、全く受けていなかった。
私は、今朝の夢の意味を考えて居て、今朝の夢の意味する処は、自然の時空(とき)の流れは、人間が手を出して汲んでも、何も変化しない。
そんな行為をするよりは、天と同じ目線で、全体的な流れを見詰めて居た方が、良いとの理・ことではないかと想えて来た。
そして「あるべきように」の言葉を、広辞苑で調べて見ると、
【あるべきようは】佛教の自然法爾(じねんほうに)の理念を 各人の身の処し方にあてはめて和訓化した語。と 載っていたので、今度は「自然法爾」を調べて見た。
【自然法爾】人為を加えず、一切の存在はおのずから真理にかなっていること。また、人為を捨てて仏に任せきること。親鸞の晩年の境地と成っている。と載っている。
「あるべきように・あるべきようは」の意味が理解されたら、水の流れの解釈は当たっている事になる。
「あるべきように」と云って来たのが、親鸞聖人の御霊であれば、水の流れを、私の夢の中に送り込んで来たのは何者で、手鍋を差し出して居た手は、誰の手であろうか。其れが、仏の手なのだろうか。
仏とは、「ブッダ(仏陀)」の事であり、神の事ではない。
ブッダ(覚醒した者)に成ると言う事は、神の手足の役目をする事であろうか。
そうであれば、私は、神の手として働いている、仏陀の助けに拠って、日常を暮らして居る事に成る。
しかし、仏陀も、嘗ては人間として、此の世界で生活をした者なのだから、水の流れを造り出す事は出来ない。
更に、仏陀が水の流れを使用して、私に宇宙の大きさを教えようと考えても、私自身が、水の流れを体験して知っていなければ、其れを知らせる事は、不可能な事である。其の様に考えると、人間が生きているこの現象世界こそが、神の本体と謂うことが出来る。
私の肉体を含めて、地球の存在や、屋久島の自然や、天体の星々までもが、全て神の本体なのである。
その森羅万象が、何の目的の為に存在しているのか、それは、我々人間の意識を育てる為なのだ。我々人間の意識こそ、神の収穫物なのである。
我々が、自分の水だけを汲もうとする事は、神の意思には適っていない理になる。我々人間は、地球の全生命の代わりに、全体の流れを見(観)続けなければ成らないのだ。
其れが「自然法爾」の理で、「あるべきように」とは、其の理を踏まえて生きて行く事なのだろう。
私の名の、自適の「悠々自適」とは、本来は「遊遊自適」だったと、物の本に書いて有った。
「遊遊自適」とは、曲がりくねった川の水が、河の曲がりのままに、流れて行く事だとの意味である。自然の流れに、手を加えないで、在るが侭に流れて行く、その理・ことを、私は本日知らされたのだ。
では、是迄の私の19年間の修業は、何の為だったのであろうか。
私に起きた出来事は、嵐の様な激しい衝撃を与える現象であった。
全てを押し流すかの様に、私の全てを取り去ったのである。
考えてみれば、私が自分の物だと意って居た物は、全て、神の手鍋の中の世界で在って、神の働きの大きな流れの中では、無き物と同じであった事なのだ。
私は、全てを捨て去って、19年間の旅を続けたからこそ、現在の意識に達する事が出来たのである。
自分の、手持ちの世界を取り去られたからこそ、大きな神の世界を、体験する事が出来たのである。其れも、自分の力ではなく、大きな力が、私の全てを包み込んでの事であった。
いま現在、私は静かなトキを迎えて、自分に起きた様々な事を、振り返って考えて見ると、自分の意識とは本来なく、大きな存在の意志の力で、育てられて来た事に気付く。
此れから、私が何を想い、何を目的として生きて行けば良いのかは、何も分からない。
今朝のメッセージから考えれば、「自然法爾」の理を、頭に置いて行けば良いとのことだろう。「あるべきように」とは、「そのままで」と同じ意味であろうと想う。
私の、個人的な考えなど全部棄て去って、ただ「惟神の道」を歩いて行けば良いのだ。
悠々自適を、遊遊自適として・・。
平成15年11月18日
礒邉自適
2003/11/10
頭が枯れる
15・11・10
今日は、「三遊亭歌之介さん」一行14名を空港に送り、その足で「生命の島」の「日吉眞夫さん」を訪ね、1時間ほど、話し相手に成って貰った。
私への、此処のところのメッセージが、新しい段階を告げて来ているので、心の中心に成るものが、確実な状態に成りつつある。
屋久島に帰ってから、一年半に成るが、何度か、目標が定まらない時に、日吉さんを訪ね、ヒントを頂いているので、同じ状態に成って来ると、自然に日吉さんの所に足が向いてしまう。
不思議な事に、その様な時は、何時も「日吉さん」は会社に居られて、相手をして頂いている。
今回も、屋久島の学校造りの話しから、人間の生き方の話と成った。
そして、日吉さんが「人間にとって 一番大事なのは ところだ」との理を説き始めた。
「ところ」は漢字では、「所」と「処」があり、「所・ショ」の漢字は、戸のところに斧を置いてある象形で、「処」の漢字は「椅子に 人間が腰掛けて動かない意味」である。
両方とも、場が決まり、動かない理を意味している。
日吉さんが「ところが大事だ」と言う意味が、私には能く理解出来た。
人間は、「ところ」を得る事が、一番大事なことである。
自分の立場が決まらなければ、自分の考え方の支柱も、不安定と成ってしまう。人間は、身と心のところが不安定であれば、「あの人は 根無し草の様だ」と云われる事になる。
私は、20年間「家離・たび」を続けていたので、他人の目には、根無し草だと想われても、仕方がない。
どうしたものかと意いながら、日吉さんの所を辞して、自宅へと向った。
途中の船行集落に差し掛かると、船行の神社が気に成りだしたので、神社にお参りをしていく事にした。
神社の鳥居の前に、車を止めて車を降り、鳥居の前で帽子を脱いで、一礼してから境内に入り、社の方に向って歩き始めた。
すると、声が掛かり「左の上を見ろ」と言う。
私は、その声に従って、左の上空を見ると、境内に植えられた、樹齢500〜600年の杉の木の頂が、白く枯れているのが見えた。
私は、それを見て「そうか 樹木は年取ると 成長が止まって 頭が枯れてしまうのだ」と想い、又歩き始め、社の階段を上って鈴を鳴らして、拍手を打って参拝を済ませ、車の方に向かった。
すると、今度は、意識・目線が、花壇の鶏頭に捉まって離れなくなった。
私は、何故かと意うと「鶏頭」の名前が脳裏に浮かんで、「嗚呼 鶏頭も 頭の字が使われており 若い雄鶏のトサカの事だな」と感じて、大きな雄鶏の真赤なトサカの映像が、頭に映し出されてきた。
白く枯れた杉の大木の頭と、血潮滾(たぎ)る雄鶏の鶏冠(とさか)の赤い色、是はいのちの陰陽を端的に現す物だ。
赤い鶏冠は、雄鶏に限らず、雌鶏でも、産卵の時期を知らせるものであり、生命力が旺盛な事を、示すものである。
一方、頂きが白く枯れた杉の木は、もう生命の成長が止まった事を示しており、後は、朽ちて枯れて行く静寂を現している。
この老杉の姿は、日本の伝統である「侘(わびしい)」「寂(さびしい)」「枯れ(かれる)」の世界を、感じさせるものだ。
日本に何故、侘び、寂び、枯れの世界が、大事だと伝えられて来たのだろうか。
其れは、仏教が中国を経由して、禅の型で、日本に導入されたからであろう。
「執着を捨てる」と言う、インドの釈迦の訓えに、中国の老子の「我に三宝あり」が加わり、日本に伝わって来て、「惟神らの道」と合体したからであろう。
今日は、何故、日吉さんの所に足が向いて、其処で日吉さんが「人間自分のところが一番大事だよ」と謂われ、帰りに神社に寄せられたのかが、理解されて来た。
私は侘び、寂び、枯れの処に、身も心も、措かなければ成らないとの事だ。
其れを裏付けるかの様に、自宅に帰り付いたら、同じ内容を書いたFAXが東京から届いており、この文章を書いている時に、下関からも電話が有って、「自適さんは そう在るように」と、示唆を受けた。
今日は、日吉眞夫氏と、東京の女性と、下関の女性の、三人の人間と、神社の老杉と鶏頭が、私の人生を導いてくれている。
19年前、私を捜し出して下さった無庵師匠が、「自適さんは 動かなくて良いのだよ」と、私に云った言葉が、ようやく実行に移される時を、迎えた様だ。
昨夜は、山の様に「海の幸」が盛られて、遅くまで飲み食いをした。
余りご馳走を食べ過ぎて、お腹を壊し、朝から9時までに二回もトイレに行った。
そして、客人達を空港に送って、近くの薬局で正露丸を買って、日吉さんの所を訪ねたのである。
何と言う、昨日から、今日へのギャップであろうか。
気付いて見れば、「ギャッ」と驚く程のギャップである。
この親父ギャグで、歌之介師匠が少しでも笑ってくだされば、昨日、東京から屋久島に、演出に来て下さった事への恩返しに成るのだが、簡単には笑ってくれないであろう。
気付いて見れば、昨日から今日までに、実に多くの人達と物が、私の為に働きを起していたかが、能く理解出来る。
昨夜、料理が多過ぎて、手を付けずに残された、魚や蟹と貝に謝りながら、静寂の道へと、歩き出そうと意う。
もう成長する事を止めて、梢を白く枯らせ、静かに立ち尽くす老杉の姿は、私にどうしたら「ところ」を得る事が出来るかを、示してくれているのだ。
神社に何故、木が植えられているのか、古代の人達の知恵が、正しい理が、今日確かめられた。
「休」の漢字は、「人が木に寄り掛かって 休んでいる象形」である。
人間が処を得るとは、そう言う事なのであろう。
縄文杉の有る屋久島は、最後に残された、老木の林立する島である。
其の老杉には、山の神霊が休んでいる事だろう。
私も、生きている間に、自分の魂の宿り木を、捜しておきたいと意う。
此の世に、身を置いているところと、あの世に行ってから、魂を置くところと、何かの繋がりがあるのだと想われる。
最後に、無庵師匠に19年前、渡された書きものを記して、3年間続いたインターネットへの書き込みを、此処で一応終る事にしようと思う。
「ナニモナサザルナ ソノママデヨイ」
自然無為
達人が平凡に生くることこそ
本科 なり
カンヨウ
必要 こそ道
無庵記
「何も為さざるな」http://sun.ap.teacup.com/20061030/233.html
長い間、陰になり日向になり、私を支えて下さった方々に、お礼を申し上げます。真に ありがとうございました。
(此処まで書いたら 左手の中指が 通じてビリビリしております)
平成15年11月10日
礒邉自適
2003/11/6
箇条書の文章
15・11・6
今朝のメッセージは、別紙に書いた旅の終わりの内容と、箇条書きの文章が並んでいるのが映って来た。
文章の意味する処は、言語の一言一句を、しっかりと認識しなさいとの事の様である。
私の、記憶と理解力には自信が無いので難しいが、参考に成るならと考え、書き出してみる事にした。
「道」道は 確かにあるのだから 求めて見よう。
「光」光は 確かに存在するのだから 感じてみよう。
「愛」愛は 実行してみれば 理解出来るものである。
「海」海は 水中眼鏡を掛けて潜って見れば 能く分かる。
「水」水は 自分の手足を使って触れて見ればその存在の意味も確かめられる。
「森」森は 自分で森の中に這入って見なければ 解からない。
「山」山は 頂上に登った者だけが 良く分かる。
「川」川は 一年中見詰め続け 川に入って 上り下りして見て
ようやく理解出来るものである。
「空」大都会の空には 本当の空は無い。
「火」火は 自分の肌で触れて見て 初めて その熱さが分かる。
「釣り」釣りは 自分で魚を釣った者しか その感動を味わう事は出来ない。
「仏」仏とは 生きて此の世に在る間に悟った者だけが理解出来る言葉である。
「神」神とは 人間の目には 直接見えない働きの事である。
「痛み」痛みは 痛みを体験した者だけが理解出来る 生命の基本的な能力である。
「産」産は 子供を産んだ事のある女性にしか分からない 特別の言葉だ。
「男」男の文字は 土地を耕す腕力の意味である。
「女」女は しなやかに両手をそえて 跽・ひざまづく女性の姿の事で
だんだんと その様な女性は 少なく成って来ている。
「媼・おうな」媼は 優しく人々を抱きしめて 温かい言葉を掛けている
年配の女性のことである。
「翁・おきな」翁は 髭の長く伸びた老人のことで 長生をして物事の経験が深く 知恵多く有している人のことで日本語の「おとな」はその人に当る。
「暑」暑は 太陽の熱が 物が煮える程あついの意味で
夏の熱を体験して見て それが理解される。
「寒」寒は 冬 氷が張っている夜に草にくるまってこごえるの意味である。
現在の人々には その体験が無い。
この様に書き出して行くと、全部の文字を、書き続けなければならないので、ここ等で止める事にして、今朝のメッセージの意味を考えると、私は自分の旅は終って、真理を探して旅する人達の、覚醒への道の案内役になれとの事だろう。
「真理」とは、人間の誕生と共に発達して来た「言葉」や「文字」に、秘められているとのことだろう。
一つ一つの言葉を、正しく理解する事が出来れば、自ずと覚醒への道は開かれて行くものと想う。
その手掛かりを、私に準備しろとの事で、今朝の箇条書きの文章が、映されて来たものと考えられる。
現代の人達に、理解出来る言葉は、歩く、食べる、飲む等で、数は少ないだろう。
経済や、政治の意味も分からない人達が、政治や経済事に携わっているのだから、仕方のない事だと想うが、人類が助かる為には、言葉の本質を知って、真の道に帰るしかない。その時が、身近に迫って来ているのだ。
私達が、自分の使用している言葉を、正しく理解する事が出来れば、真理の扉は開かれ、神への道は明らかになるのだ。
その為には、言葉を創り出した人達の生活の場に、自分の立場を戻すしかない。それは、生活の体験の場である。
私に出来る事と言えば、その体験を、他の人より多く積んでいるので、人々のサポートをする事だろう。
私の、是からの人生も、段々と見えて来る様な気がする。
19年前、光に包まれ、道を体験した日々が、又蘇るのだろうか。
再び、屋久島の水と、緑と、光に溶け込んで行く、自分の姿が目に見える様だ。
此処まで書いたら、左手の親指が神に通じて、ビリビリ痛くなって来た。
愈々、精神的な親分をしろとの指令の様である。
平成11月6日 13時5分
礒邉自適
2003/11/1
たび
15・11・1
私の「たび」も、ボツボツ完了を迎えそうである。
何故かと言うと、私の心が、終着駅に近付いている様な気がするからである。
「たび・旅」は、英語でも(Traveling)トラヴェリングで、リング(輪・環)の意味が付されているので、再び、元の位置に返る事が含まれている様である。
私のたびは、旅行のトラヴェルとは、又違った意味合いがある。
漢字の「旅」の文字は、軍隊が旗を立てて、団体で移動する意味なので、日本人の団体旅行は、其れに合っていても、私のタビは当て嵌まらない。
私のタビは、帰る日が決まっていない、当ての無い無期限の「一人タビ」だったのである。
私の、心の「たび」が始まったのは20年前で、一切の仕事を止め、家族とも離れ、島での一人暮らしを5ヶ月間続けてからの、屋久島からの脱出であった。
昨年4月24日に屋久島に帰り、20振りに屋久島で生活する事と成った。
島に帰って、1年7ヶ月に成るが、ようやく長たびの間に、身に付いたモノが取れそうな気がして来ている。
そして、心も、ようやく屋久島に帰った様に感じる。
私が屋久島を出たのは1984年の11月半ばだから、丸19年が経過した事になる。
神の世界に入ったのは6月4日だから、其れを合わせると、19年と5ヶ月が経ったのだ。
私の心のたびは19年5ヶ月間と成り、その間、島を離れていた期間は、17年5ヶ月と成る。
だから私は、島外で17年5ヶ月を過ごした事に成る。
正確に言うと、途中で3〜4回島に立ち帰った事が有るので、其の日数を差し引かなければならないが、帰島している時も、心は、島に在らずの状態だったので、その日数は、考えに入れないでも良いだろう。
私は此の処、人間にとって「たび」の意味は、何だろうかと考えている。
19年前、神の世界に入った当時は、精霊達が、私の身心に侵入して、私の意思とは関係なく、私の体を使用していたので、私の意識は、其の対応に追われるだけで、何のゆとりも無かったのである。
だから、正確に説明すると、最初の期間は、私の心のたびと言える様な、状態では無かったのだ。
今では、其の期間が、一番大事であったと思っているので、勿論、其の期間もたびの日数には入っている。
私が、現在考えている事は、神の世界に入って、屋久島で修業をした最初の5ヶ月間と、昨年、島に帰ってからの1年5ヶ月間は、私の心を、自分の船(身体)に乗せる期間と、旅から帰港して、一杯に積んで帰った荷物を、降ろす期間だった様に想われる。
身体の移動と、精神のタビとの関係には、助走や、アプローチが、必要なのであろう。
そして最後に、正しい位置に着地する事が、物凄く難しいのだと想われて来た。
正しい着地をしないと、変な宗教や、拝み屋の様な事をする様に、成ってしまうのである。
折角、たびが無事に終っても、金を集め、御殿を建てる様な事をすれば、たびは失敗だった事に成るのだ。
魂しいの方が強くなり、身心の欲求を、調整出来る様に、成らなければならないのである。
其の為に、助走と着地が大事であり、魂の着地が上手く行く様に、身体の置き場にも気を付けなければならないのだ。
私が、島に帰り1年半もの間、何も出来なかったのは、其の為だったのだろう。
此の理を能く考えて見ると、相対世界である、物質(人間の身体も含め)の世界と、絶対世界である精神(神・魂)の世界が、適合・調和する為には、それなりの期間が必要とされるようである。
私が現在住んでいる安房の自宅は、私が27才の時に、自分で購入した中古の家で、私が結婚してから住んだ家だから、此の家には、自分の妻や子供の思い出しかない。
此の家は、27才から37才までの、10年間の記憶の貯蔵庫でしかないのである。
だから19年前、神の世界に入った時は、此の自宅を出て、松峰の自分が生れ育った実家である、母の住む家に帰って、自分の潜在意識を探って行った。
自分のトラウマ(精神的外傷)を、治療するには、生れ育った家に帰る必要があったのだろう。
私の身の回りに、奇跡が起き始めたのも、実家に帰って、トラウマが解消されてからであった。
私が今、こうして自分のたびを思い返していると、自分の記憶の糸は、人間(ひと)との出会いの記憶で、出来ている事が分かる。
「ひと」を、人間と、漢字で「人の間」と書くのかが、理解される様な気がする。
人間は、この世に産れ出て、両親と出会い、弟妹と出会い、社会や学校で、色々様々な人達と出会って、心の紋を織り込んで行くのである。
人間が感じる事の出来る、幸福も、不幸も、相手の人間が存在してこそ、起きること(現象)なのだ。
私が、神の世界に入る切っ掛けも、無庵師匠との出会いであるし、日本国中のたびでも、心に残っているのは、出会った人々の顔である。
たびとは、知らない人々に出会って、様々な心(魂)に触れ、新たな、自分の心の紋を編んで行く事なのである。
私が、現在の魂しいにまで育つ事が出来たのは、全ての人々との出会いが、要因と成っているのだ。
善い人も、悪い人も、私の魂を育ててくれる為に存在したのだ。
「終り良ければ 全て良し」と言う、昔の人達の諺が、的を射ている事が、確かめられそうである。
19年前、私の助走を手助けしてくれた人達は、数名を除いて、悪役を努めて下さった人である。
周囲の人々が皆、善人であれば、私が世の中に疑問を持って、出家(たび)をする事は無かったであろう。
17年振りに、島に帰って1年半で、静かな気持ちに成る事が出来たのは、嘗ての悪役の人達が、大した悪役では無い事が判明したからである。
私の着地が、上手く行ったのかどうかは、是からの人間の出会いで、結果が見えて来るものと想われる。
とにもかくにも、今迄に出会った人達と、屋久島の存在に感謝である。
平成15年11月1日
礒邉自適
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