言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2003/12/17
虚偽
15・12・17
今朝のメッセージは、最初に、私が茸・キノコが数種類生えている場所に居て、茸を採ろうとしている場面が映って来た。
私は、何個かの茸を手に採り、他にも、地面や木に茸が生えているので選び採ろうとして居るのだが、どれが食べられて、どれが毒茸なのかが見分けられずに困っていた。
そして場面が変わり、今度は広い建物の中に私が居て、数10名の人達が講演を聴く為に集まって来た。
皆が集まったので、私が演壇の上にあがって話しを始めたのだが、客の中に、その日のテーマに付いての専門家が来て居るのに気付いて、其の方に、代わりに話しをして貰う事にし、私はその方を演壇に呼んで、自分の首に掛けていたマイクの器具を外して渡した。
その男性は、60〜70歳の学者風の方であった。
その人の話は「虚偽・キョギ」に付いての内容である事が知らされた。
私は、其の話しの内容に、安心しながら聴いている処で、今朝の映像は終った。
私は「虚偽」の言葉が理解出来ないので、朝、早速、其の言葉を広辞苑で調べて見た。
「虚偽」・真実でないこと。また真実のように見せかけること。うそ。いつわり。そらごと。と、載っている。
「虚偽」とは、真実と見掛けが似ていて、見分けが着け難い事柄を意味していることが解かった。そうであれば、私が今朝、夢で見せられた茸採りの場面は、その事と関係が有りそうである。
茸は、食べ物の中でも、特に見分けが着き難く、危険性が高い食べ物である。素人には、毒の有る無も、種類の判断も難しい。
今朝のメッセージは、茸採りの場面も、講演会の場面も、真か否かの見極めに注意しろとの事のようである。
何故、今朝、この様なメッセージが告げられて来たのだろうか。
私の身近に、虚偽の事が迫って来ているのか。
それとも、此れから、私が真実を見分けなければ成らない、何かの事が起きるとの事だろうか。
私には、20年前「人類の未来を お前に託す。だが チャンスは一度だけ 失敗は許されない」と、神に告げられた事が有った。
それから、12月5日で19年半が経過した事になる。今は、是と言った大きな出来事は起きていないが、全国的には、何かが始まりそうな予兆が有り、私も、静かに其の動きを見詰めている処である。
今朝のメッセージは、何かが始まるとの知らせであれば、真実と虚偽が見分け難い事と、私が人選をするのに、虚偽の有る人間を、選んではならないとの事であろう。
現在の世の中は、どちらかと言うと、真実よりも、虚偽の事の方が多過ぎると想われる。食べ物や、人間の生活スタイルや、考え方等、全てが、本来の道から外れている様である。
特に、人間の行動や言動にも、虚偽の有る人間の方が、一般的に受け入れ易い状況と成っている。
真実を語り、真実の行動をする者達は、排他される様なご時世である。
皆が、毒茸を食べる事に慣れ過ぎてしまい、真実の味が判らなく成ってしまっているのだ。どうしたら、真実の味を取り戻す事が出来るのだろうか。
茸の見分け方も、写真入りの本を買って来て、写真と説明を見ても、実際に現場に行って見ると区別が難しく、自信を持って、食べる処まではナカナカ行動が進まない。
やはり、誰か熟練者を頼み、現場で教えて貰いながら、自分で採った物を、実際に食べる事まで体験しないと、身には習得出来ない。
人間の、人物評価も其れと同じで、本物の人物に会って、本物とはどういう者であるかを熟知して、其れを基本として、他を視る物差しとしなければ、毒に当る事に成ってしまう。
人類全体は、大きな転換期を迎えている。
是から先、何が起きるかは、神にしか分からないことだろうが、神の選んだ者達に従うことは、一つの方法だろう。しかし、其れには、付いて行っても、其れが救われる道なのか、滅ぶべき道なのかを、見分ける能力がなければ、随う事は危険な事であるとも言える。
私は20年間、真実を探って全国の旅を続けて来た。
そして、ようやく神の真意が理解出来て来た。
神は、毒茸を選んで取り除く事や、悪い人間を排除してはくれないのである。寧ろ、毒茸や悪い人間を増やして問題を与え、人間の智慧が完成する事を願っている様なのだ。
人間に、神が与えた課題は「選び採る」と言うテーマではないだろうか。
特に、男性に与えられたテーマは、情報の伝え方であると想われる。
生命が、存在を続ける為の情報の選択こそが、男性に与えられた役割であり、女性は、其の正しい情報を受け取る為の、受容体的存在ではないだろうか。
男性の精子や、女性の卵子は、其の役割が現象化した姿である。
又は、其の反対で、精子や卵子の仕組みこそが、男性と女性の性(いとなみ)を創り出しているとも言える。
男性は「頭(知識・理屈)」で考え、女性は「子宮(ラブ・エロス・色)」で考えると言われるのも、其の為であろう。
新しい世の中とは、女性のラブに支えられ、男性は新しい情報(価値観)を創造する社会ではないだろうか。
女性の、其れも、完成された母性が、喜ぶ情報でなければならない。
今朝のメッセージで、虚偽に付いて話をした人は、完成した人間に近い男性であり、会場に集まって居た人達には、女性が多かったので、女性はもう其の事を、求め始めて居るとの事ではないだろうか。
私は、百姓に戻って、種子の選び方を、考え直さなければ成らない時を迎えている様である。
平成15年12月17日
礒邉自適
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