言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2006/3/14
最終の答え
18・3・14
今朝の映像は、太陽の光りを背景に、人の形が見えるので、私の意識は左側に回り込んで見た。
すると、其れは、緑色のマタニティードレスを着て、お腹が大きく迫り出している女性だった。
其れから、次にアルバムの写真が、パソコン内に蓄積されたみたいに、永遠に繋がっているのが映り、其の写真帳は、次々に、写真が付け加えられているのが理解出来た。
其れは、イエスの謂う「永遠の命」の世界を暗示するものである。
其のポジ-フイルムが、頭の中で回れば、佛教の走馬灯と成るものである。
そして、記憶に残った言葉は「京都」で、文字は「生」一文字だけである。
今朝の映像は、宇宙の究極の答えを、一画面で示して来たものと考えられる。と言う事は、私の思考が、総ての概念を消化して、「す」の元に還り着いた事も意味している。
今朝の一画面は、動きも・音も・言葉も・文字も無かった。
存在するのは、光り続ける太陽と、其の光りのエネルギーで、育てられている母親と、其のお腹の中で、38億年の記憶の海を、平均265、8日を掛けて、一日に1429万年分の記憶の糸を辿りながら、自分の体を創り出している、命の存在だけである。
そして、母親の着ていた服の色が緑色だったのは、命が着ている色が「緑色・グリーン」である理を意味している。
グリーンは草であり、草の緑は葉緑素の色である。
此の地球に「いのち・生命」が存在するのは、「グリーン・葉」が太陽のエネルギーを使って、無機質を有機質に換えているからである。
其の葉の働きで、動物は、酸素と食料を得ているのである。
だから、今朝、緑色の服で身を被い、太陽の光りを背一杯に受けて、お腹に新しい生命を育くんで立って居る女性の姿は、地球生命の総ての象徴なのである。
其れが、「生」の文字が、一文字だけ現われた事の意味なのだろう。
生の漢字は、大地に草木が生じてきた様にかたどり、はえる・いきるの意味。である。(漢語林)
生命の根本は、大地に、小さな種から植物が芽を出し、生える事なのである。
其のシステムの最先端に、人間の存在が在るのだ。
其の理を考えると、何と、人間は無責任なのかと思えて来る。
22年前、大地から、エネルギーが噴出して来て、私に「全生命のバランスを司れ」と伝えて来た。
其れは、花一輪が、人間の魂しいより大きい存在であり、小さな蟻一匹が、人間よりも正しい生き方をしている理を、悟らされる現象であった。
そして、私は、今の侭では、神が、人類を減らさなければ成らないので、人間に「核」を創らせた事を知った。
其の、人間の処分の準備が出来たので、私を目覚めさせ「人類の生存のチャンスを一度だけ お前に与える」と、告げて来たのである。
其れから、昨日で、丸22年が過ぎた事に成る。
そして、今朝、神の本体が姿を現したのである。
「いのち」の源は、「ミ」なのである。
ミは、水のミでズは素である。
太陽は、水素原子が集まってヘリウム活動をしているのである。
其のミが集まって、「世・代・ヨ」を創造しているのである。
今朝の一画像は、「ミ」が「ヨ」を創造している姿なのである。
いのちの「イ」は、ひ(霊)・ふ(風)・み(水)・よ(世)・い・む・な・や・ここ・たり、の「い」であり「存在」の意味を現している。
「いのち」とは「胃の霊(チ)」である。
胃の細胞は、38億年前、酸を出して、岩を溶かして存在を始めた、細胞の子孫なのである。
其れが、植物の毛細根の先端に住み、鉱物を溶かして吸い上げ、葉に送っているのである。だから、人間自身の存在は、胃の細胞に在るのだ。
胃の細胞が、正しい食物を正しく溶かし、小腸の毛細根が其れを吸い上げ、「血・チ」として脳に送るトキ、宇宙の正しいタオ・ダルマが観えるのである。
中国の「謂」の漢字が、其れを謂い現している。
此の理が、「十草の神宝・とくさのかんだから」の言葉を生み出しているのだ。「石上物部・いそのかみもののべ」の秘儀は、此の「フツの御霊」に在るのである。
昨日は、朝から、自分で町に出掛け、蓬団子を2パック買って来て、其ればかりを食べている。
「蓬・よもぎ」は、屋久島語では「フツ」である。フツは菊科である。菊の御霊が、胃の中で、何かを謂おうとしているのだ。
京都との「京」は、数字の単位で一番大きな単位である。
京都とは、「一番大きな都」の意味である。
京都に上って、「いのち」の大事を起こせとのことだろうか。
そうであれば、菊の御紋に、京都御所に御還り願い、日本の伝統を復活して貰わなければ成らない。
其れが、昭和天皇に頼まれた事であれば、日宮弊立神宮の神々も、応援してくれるだろう。
マタニティーの英語が、「母性」を意味するとは、今日まで知らなかった。
まだまだ、知らない事ばかりである。
平成18年3月14日
礒邉自適
2006/3/11
坤・こん
18・3・11
今朝は「坤」の文字が出て来て、私にフローピーデスクを濡らすなと有った。
「坤・コン」とは、八卦の「乾坤・けんこん」の坤で、意味は【陰の卦で、地をかたどり。柔順で 物を成長させる徳を表わす。方位は南西(ひつじさる)に配する。坤徳。】と、広辞苑には 載っている。
其の文字に付いて、今朝の映像は、私が、工場のオンラインシステムの流れ作業の中に、作業員として在り、右側から流れて来る様々な品物を、調べて居た。其のラインは、全ての物を浄化する為に、物を、水で洗うラインである。
私の立場は、手元で水が噴出して、物が洗われて行く場所の、係り人である。
其のラインを止めるスイッチは、私の左手の上に在り、私の作業が間に合わなければ、ラインを止めてもよい仕組みに成っている。
私は、ラインを動かしたり止めたりしながら、作業を続けていると、銀色のフロッピーデスクが、右側から流れて来た。
私が、こんな物も洗って良いのかと疑問に意って、手に持って迷っていると、「其れは、貴方の新しい情報を入力する物だから 水に濡らしては成らない。」と、誰かが知らせてくれた。
そして、私が、其の声の存在を探ろうとして、意識が変わると、作業ラインが消えて、澤山の文字が並んでいるのが映し出されて来た。
其れは、「陰陽・タオ」の世界が、全て文字化されて記憶されている、文字コードの情報源であるらしい。
其の文字は、私には全く読めない複雑な漢字で、略字が一個も無いのである。
其れは、宇宙の真実の在り様が、全て文字化されて、蓄えられている情報源が、何処かに存在する事を告げて来ている。
私が其の文字を、一個だけでも解読しようと試みても、私の右脳の奥はブラックボックスに成っていて、何も情報を引き出せない。
どうやら、私の最大の欠点が、暴露されて来た様である。
私は、高校に進学する気持ちが無かったので、机に座って、漢字の読み書きの勉強をした記憶が無い。
だから、今でも、辞書かPCが無ければ、文章は書けないのである。
そんな私に、一番難しい易の世界を、紐解けと云って来ても、無理な話である。
私が、困惑して居ると、「映像」との言葉が来て、パソコンの画面が現れて「映像」の文字で検索された、ホームページの関係類が、画面に映りだされて来た。
それは、映画の最後に、俳優や関係者の名が、字幕で、下から上へ流れるのと同じく、次から次へと繰り上がって行った。
其れは、映像の制作に関係する人や、企業などを全部網羅して、宇宙の陰陽の世界を、映像に置き変えろとの事だろう。
そして、新しい象形文字を創り出し、フロッピーに入力出来る様にしろとの事である。
だから、新しい漢字は、現在の二次元バーコードの様な形状に成り、「川」の字をクイックすれば川の映像が、「木」の文字をクイックすれば木の映像が映り、「買物」と打ち出せば、人間が買い物をしている実際の映像が、映り出される様な仕組みに成るとの事であろう。
だから、世界は、全て漢字文化と成って、誰もが、自分の民族言語を使いながら、漢字を電子機器で打ち出せば、会話が出来る事に成る。
其れが、矢追日聖氏がS20年8月15日に、神に告げられた未来社会なのである。
私が、一ヶ月間付き合っているNHKの方々は、CG関係の方である。
今や、宇宙の陰陽の在り様・森羅万象の形態は、全てCGに拠って、視覚化される時代と成って来ている。
だから、神の世界は皆、視覚化されてしまうので、宗教が必要ではなく成るのだ。
「宗教」とは、宇宙の大元の情報を教わるとの意味である。
だからインターネット上に、宇宙の森羅万象の有様が、視覚化出来る様に載りさえすれば、宗教やイデオロギーや大学まで、必要なくなるのである。
世界中の人々が、同じ共通意識を持ちながら、自分の遺伝子の進化を、プログラミング出来る様に成るのである。
其処には、戦争や闘争は無く、如何に皆が、協力し合いながら、生命の進化を促すかに、テーマは絞られてくるのである。
私は、一日で、辰巳(南東)から未申(南西)の方角に、配置転換させられている。真に、人使いの荒い神々である。
水の世界でも、湿った大地で、生き物を育てる立場である。
其れは、本来、女性の立場である筈なのだが、其れが、自覚出来る女性が居ないからであろうか。
私が農業をさせられたのも、背景に、天の深い意いが在っての事なのだろう。
「未申・ひつじさる」の方向は「丑寅・うしとら」の金神の反対側である。
其れは、荒神様の反対側である。
少しは、ホットする持ち場ではある。
平成18年3月11日
礒邉自適
2006/3/8
うつる
18・3・8
昨年3月10日に、総ての情報が、自分の体に接続して来る感覚を得てから、残り二日で丸一年と成る。
今朝は、私自身が、人間社会に出て行かなければ成らない様な、場面が映されて来た。それに、中山博さんからの、今朝のメッセージは「うつる」である。
「うつる」には、「映る・移る・写る・遷る」が有る。
此の四つの単語は、物の「形・状態・内容」などが、そのまま他の所に現れる意。 と 広辞苑には載っている。
其の、「うつる」の「る」を外すと、「うつ」に成る。
「ウツ」には、うつるの他に「うつす」が有る。
「す」も「試す・諭す・捜す」等の助動詞に使用されている。
「る」とか「す」の音霊には、物事を定める力が有るらしい。
「うつる」が、天界の天幕に、物事の在り様を「うつす」力が有るのなら、今日の中山博さんの絵は、神棚に供物を御供えする、三方の台に見える。
三方とは、四角の台に、三方だけ穴が空けられている事を意味している。
三方の使い方は、一箇所だけ穴の空いていない部分を、神様の方に向けて、供物を三方に盛りつけ奉納する物である。
今朝の中山博さん絵は、三角が三個あるので、三次元の三箇所を、意味しているのではないだろうか。
そして、丸い形は、鏡の意味も有るが、残りの一箇所が開いて、「神の力が 此方側に見える様に成る」とも受け取れるし、神様側が、人間の気持ちを受け取り、三方の上に、存在を現すとの意味にも受け取れる。
其れは、神様が、計画を此方側の三次元に移すとも・写すとも受け取れる。
神界に在るプログラムが、愈々、私達の存在する此の三次元に、遷されて来るとの事だろうか。
今朝の、私へのメッセージも、其れに、関した事柄の様である。
人間社会は、人間自身の物であるので、人間が動きを変えないかぎり、何も変化しない。
其れも、今迄の在り方では、未来が無いのである。
其処に、変革を求めてくる、神界の意志が表明されているのだ。
段々と、其の動きが、具体的に成って来て、変化が早まって来ているのを感じるのは、私だけではないだろう。
平成18年3月8日
礒邉自適
2006/3/7
息合う
18・3・7
今日で、「結論」が題・テーマと成るのは、三日目である。
意識の構造が、変わったのだろうか。
スカイプの無料電話で、直接五名が会話をする様に成ったので、結論が一夜で出るからかも知れない。
電磁波と、人間の脳の仕組みの謎が解ければ、人間の意識とアカシックレコードの関係性も、科学的に解明されて来るのではないだろうか。
今朝は、暗い宇宙の中に「ス」の音だけの感覚があり、意識が研ぎ覚まされて、静かに澄み切っている感覚で、認識が始まった。
それは、音も文字も言葉も伴わない、唯 純粋に「ス」の音霊だけが、時間の中を滑って行くだけの感覚である。
それは、今迄に体験した事のない、至高の意識の高みである。
おそらく、其れは、老子の恍惚の世界も、釈迦牟尼佛のダルマの意識も超えた世界なのであろう。
何も無い、其の世界が、究極の世界であり、其れが「ス・主・素」の音の世界なのだ。此の世界に還る為に、人は祈りを繰り返すのであろう。
今朝は、其の世界に、鈍く光る、翡翠の星が一個だけ現れた。
中国で、何故、皇帝が翡翠を「玉・ギョク」として、一番大事にするのかが、今朝解かって来た。
其れは、人間の意識の最奥部に「ス」の世界が存在し、其の中心核が、碧の翡翠なのだ。
是で、漸く「御稜威・みいつ」の核心が視え、「グリーン・クラブ」の意味も、理解出来て来た。其れは、スの音に全ての秘密が在ったのだ。
「ス」の音は、「スー 」と息を吐き続けなければ音も出ないし、「スーとする」との感情も生じない。
「スー 」とは、息を吸うことではなく、息を吐くことなのである。
人間は、息を吐くことで、自然に、息を吸う事に成るのだ。
そして、息を吐き出す時に、「神・意識」も「力・筋肉エネルギー」も、取り込まれて来るのである。
息を深く吸おうと想えば、全ての息を、全て一回吐き出さなければ成らないのだ。
何かの想いや、物質の管理に追われて居れば、自然に呼吸は浅くなる。
そして、呼吸が浅い者は、神のはたらきとエネルギーを頂けなく成るのだ。
だから、「浅智恵」との言葉も生まれたのであろう。
深い呼吸をして居る者は、神の意識を取り込んでいるので、思考が深く成り、宇宙のシステムと同調しているので、失敗が少ないのである。
「ス」の音は、鳥が塒・ねぐらに帰る「巣」でもあるし、調味料の「酢」でもある。
「酢」は澱粉(炭水化物)が糖に変わり、酒に変わり、最後に酢に成るので、酸は最後の形態なのである。
人間の意識も、「祈り・帰命・ナーム・ヨーガ・リリジョン・religion」に成功すれば、其の「ス」の音の処に帰り着くのである。
皇帝とは、一番先に進んだ人のカタチではなく、一番「元・素・本・基」に還り着いた姿で、天帝と表裏一体と成った姿なのである。
「瞼・眼蓋」を閉じれば、天帝の目と成り、瞼を開けば「皇帝・スメミマ」の目なのである。
其の間に、存在する物質が翡翠・碧なのである。
今朝は、翡翠の星が現れたら「る」の文字が大きく出た。
其の「る」を、「ス」の世界に嵌めると「する」に成り、「行為」の意味と成る。
「翡翠・碧」は、皇帝の印しだから、私に、玉を与えるから行為を始めろか、天帝が行為を始めるかの、どちらかだろう。
今朝は、其れらの理・ことが理解されたら、「いきあう」との言葉が示されて来た。
「いきあう」とは、「行き合う」との言葉もあるが、今朝のメッセージの内容からすれば、「息が合う・呼吸が合う」の意味ではないだろうか。
それなら、何者と、息が合っていると言うのだろうか。
神霊達と呼吸が合っているのか、それとも、現実世界の人達と、息が合っているとの事だろうか。
現在の、人間関係を見れば、現実社会の関係も、神のメッセージとの関係も、巧く回転し始めている。
昨日の意識の、立ち鏡の上には、アンテナが三本立っていた。
其れを、神のメッセージを受け取る人間三名とすれば、「Yさん」が受け手で、「中山さん」が発信の役割と成るだろう。
私は、其の芯に立って、解釈をしている事に成る。
其れは、仏陀の説法印のカタチである。
私が、22年前に受け取った内容を、何も話さないのに、中山博氏は次々に絵や言葉に表して来るし、「Yさん」は、私と同じく、現在の宇宙情報の内容を受け取っている。
其れは、男性の受信方法と、女性の受信方法の違いを、理解させるモノがある。
是で、男女の生理機能の差や、脳細胞や、遺伝子の仕組みが、明らかにされるかも知れない。
これ等の動きが、「いきあう」との意味だろうか。それとも、是から、誰かに「行き合う」との事だろうか。・・・・・・
「違うでしょう。参加する者達、全てのイキが合うとの理ですよ。其れは森羅万象が総て、同じ「イキ」の内に在ると言うことですよ。」
「未だ、補佐が必要の様ですね・・・」
「あなたは誰ですか ? 」 若しかして、「スさのお」の奥さんかな。
それなら須佐之男が、何故イザナギ(時間軸)の鼻(呼吸)から生じたのか、理解出来るのですが・・・。
平成18年3月7日
礒邉自適
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