言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2006/4/7
7000年前の絵文字が中国で発見された

2006/4/7
彫物(えもの)
18・4・7
今回の旅で、一番大事な収穫は、文字と神の関係が、理解出来た事である。
私は、3月27日の新聞に載っていた、7000年前の絵文字発見の記事をコピーして、カバンに入れていたので、今回、其れが役に立ったのである。
其の記事を、「小田原修氏」に七枚コピーして貰っていたら、回る事に成った所が、1・道祖神神社 2・草壁神社 3・槵觸(くしふる)神社 4・天の岩戸神社 5・東の宮 6・高千穂神社 7・日の宮弊立神宮で、参詣した神社は丁度七社であった。
其の七社で、絵文字の記事の裏に、夫々皆が好きな絵文字を書いて、火で燃して神界に送った。
何故かと言えば、其れが、本来の文字の使い方だからである。
本来の、文字の意味は、神に対して、人間が祈りを表現する為に、創られた物との事なのである。
其の関連性で、二日目には、小国町の「河津耕治氏」の案内で、押戸岩の岩組に「牛」と「蛇」の古代絵文字が彫られているのが分かった。
そして三日目には、高千穂の天の岩戸神社の神楽殿で、神楽を舞う為の舞台上の、四方に張られた縄に、紙の切り絵が全面に下げられているのを見た。
其れは、中国で発見された絵文字が、発展して出来た物であり、其の切り絵の意味する事は、古代の人達と同じく、神に対する祈りが目的なのだと気付いた。
其の切り絵を「えもの」と呼ぶのだが、何故「絵物」と書かないで「彫物」と書くのか、其れは、古代では、岩や粘土の焼き物に、絵文字を彫り着けていたからだろう。
27日の新聞記事には、「昨年も 寧夏回族自治区で 1万年以上前のものとみられる大量の絵文字が発見された」と書いてある。其れは、一万年前から絵文字を使用して、神に対して、祈りが行われていた事の証拠でもある。
日本の高千穂にも、稲作文化と共に、伝えられて来たのだろう。
私が、絵文字を目にした、次の日の霊夢には、平仮名の文字形が澤山現われ、其の内から「と・や・ま」が紐に下げられ、上空に登って行った事は、既に書いてある。
しかし、其れが、神楽殿の「彫物・えもの」と同じものである事には、今まで気付いていなかった。
一万年も前から、人間は、神とのコミュニケーションに、絵文字を使用していたのである。
其れは、何故かと言えば、人間の思考は、物の形に因り組み込まれているので、物の形を彫り込む事で、意識が明確に成り、脳の働きが能力アップするからである。
其の事は、私の脳が、文字による情報脳ではなく、現場主義の映像脳だから良く理解できる。
神は、文字で動くのではなく、文字に表されている、映像の情報信号で動くのである。だから、文字だけの理屈を云っている人では、神は動かせないし、本人も、神の知らせを受け取ることが出来ないのだ。
其れが「不立文字(文字には龍が住まない)」との意味である。
これ等の事から考えれば、子供達を、3〜4歳から物の世界で遊ばせないで、文字ばかりを詰め込んで教育すれば、神の世界が、全く理解出来ない人ばかりに成る理・ことが、良く理解されてくる。
私は、其の事が理解出来る、最後の人間なのかも知れない。
何故なら、私は、中学校だけしか出ていないし、学校の授業時間以外は、殆んど机に向かった事がないからである。
私は、世界自然遺産に登録された、屋久島の大自然の中で、物の形だけに取り囲まれて、生きて来た人間である。
だから、私の、目や、耳や、手足に拠る五感は、38年間、その屋久島の大自然の中で、鍛えられて来ている。
そんな、私の脳だからこそ、神との、映像通信が上手く運び、情報の疎通が図られているのだ。
古代社会では、極当たり前の事が、現代では忘れ去られてしまっているのだ。
是から、どれだけの子供達を、本来の姿に返す事が出来るのか、其の一点に、人間の未来は、懸けられていると云っても、過言ではないだろう。
平成18年4月7日
礒邉自適
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