言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2006/9/30
あたらしい道
18・9・30
今朝の映像には、「道」の漢字の「首」が外された文字が映って来た。
そして、其の文字は、水色をした印鑑の文字として、使われる意味が知らされて来た。
其れは、今回の新しき時代の始まりは、敵の首を刎ねなくても、出来るとの理・ことであろう。
「道・衜」の漢字は、行の間に、手に首を下げた人が、存在する意味で、字義は「自分と違う考えを持つ相手の首を刎ねて、違うイメージを持つ人々を消し、自分の考え通りにする。」との意味から、清まる・征するの意味を表すものである。
今朝の映像は、其の首が外されていたので、是からの国造りは、自分以外の人間の首を刎ねる必要が無いとの理・ことであろう。
昔は、インターネットの様な、情報操作の方法が無いので、自分の考え通りにするには、自分の考えを受け入れない者は、総て排除するしか、他に方法が無ったのである。
しかし、現代社会はインターネットを利用すれば、世界中に、自分の考えを拡大する事が出来るのである。だから、別の考えが有っても、其れを排除する必要はなく、自分の考えが拡がれば、世の中を替えて行く事は可能である。
そして、其の代表印は、水色の文字である事が示されて来た。
水色は、水を意味し「弁財天・サラスヴァティー」」の働きを意味しているのであれば、「九代龍王水神」が新しき御世を、創出する段取りをしているとの事ではないだろうか。
私は、今回29日・30日と、宮島の国民宿舎に泊まっている。
宮島は、「厳島神社」の存在だけで、経済が成り立っている様な島である。
厳島神社の祭神は「市杵嶋姫(いちきしまひめ)」で、元は宗像神社の祭神であり、宗像の三女神の名前は、田心姫神(たごりひめかみ)湍津姫神(たぎつひめかみ)市杵島姫神(いちきしまひめかみ)で、沖ノ島の沖津宮には田心姫神、大島の中津宮には湍津姫神、田島の辺津宮には市杵島姫神がそれぞれ祭られている。
宗像大社の三女神は、天照大神の娘と成っているが、海から産まれた三女神は、インドのヒンズー教のブラフマンから生まれた、水の神の三女神が、日本に伝わったモノであろう。
住吉三神も、おそらく其の流れから、生じたモノではないだろうか。
どちらにしても、海の神・水の神が生命に関わりを持っている事には、間違いないのである。
何がどうあれ、今回 此の宮島で行われた「WAO&マザーグレース」の集いは、新しい国造りに向けて、確かな動きを興した事には、間違い無いようである。
平成18年9月30日
礒邉自適
2006/9/8
臭
18・9・8
昨日は久遠元初の初めに意識が在り、其の意識からおもいが発生する意味で「想」の漢字が現れたが、今朝は「臭」の漢字が一字だけ映されて来た。
朝 辞典漢語林で「臭」を調べると「鼻+犬」の組み合わせで【字義】は「鼻の働きの良い犬」で、意味は「臭いを良くかぐ」である。
今朝は、其の文字が出た後、人が手折った様々な花が映されて来て、女性の手で、どの花の時期に合わすかの検討が行われていた。
其れは、カレンダーと季節と月日を意味しているのだろう。
そして、次の映像は、長距離の列車に私が乗り込んで居て、次の駅に止まった時に、昼食を摂るには、どこら辺から準備を始めれば、ピッタリとタイミングが合うかの、検討をしている場面だった。
其れは、現実世界の、物事のタイミングを計るものである。
此の二つの映像は、よく言われる「何時・何処で・誰が・何を・どのように」始めるかの計画を、イメージしろとのメッセージの様に想われる。
昨日は、想いの文字が出て来たので、今朝は、其の想いが、具体的に現象化する為の、段階や方法を示唆して来ているものと考えられる。
「臭」の文字が映されて来たのは、感覚器官の始まりが、鼻に在るからではないだろうか。
昨日の、想いの文字は心の世界であるが、今朝の「臭」は、動物の感覚器官において一番大事な器官である。
一番情報量の多い目・視覚の働きは、光りが無い時には役に立たないものである。其の点、臭いを嗅ぐ鼻と、音を感知する耳・聴覚は、闇の中でも通用するものだ。
其れ等の事柄を考えれば、今朝のメッセージは、新しき文化や、未来社会を創造する為には、先ず、心の始まりである人間の感覚器官の在り様から、意識下に置いて、作業を開始しろとの事ではないだろうか。
其れは、インドの釈迦仏陀が法華経の中で「12縁起」として、言葉と意識の成り立ちや仕組みを説明しているが、其のバージョンを、近代風に書き改めろとのことではないだろうか。
其処のところが、明確に成り、確立されなければ、教育は「百害有って 一利も無」と言う諺のとおりに、成ってしまうだろう。
「12縁起」http://wave.ap.teacup.com/20060106/
其の点では、日本の神社の禊ぎ祓いの方法は、理に適っていると謂える。
其れに、世界一の言語学者であり、哲学者である中国の老子は「国民が学問を受けると 賢しらが増えて 世の中がどうしようもなく成る」と謂って、知識を増す事の危険性を説いている。
其れは、旧約聖書の物語に記されている、蛇が人間に勧めた「知識の実」と、同じ概念を含んでいる。其れ等の事柄を考えれば、是からの私の作業が、大きな意味を持っている事が理解されて来る。
「臭」の文字は「鼻+犬」で、犬は嗅覚が優れており、人間の数万倍もの感知能力が有るとの事である。其れは、臭いを感知する為の犬の鼻穴が長く、位置も肉体の一番先に付いているからである。
其れは、蛇と同じく、臭いを嗅ぐ事を、最重要に考えているからである。
人間は立ってはいるが、やはり鼻が一番前に位置しているし、鼻が詰まれば、食べ物の味がしなく成るので、舌の味覚よりも、鼻の感覚が大事だと言う理・ことにも成る。
我々人間は、風の流れの中に、花の香りを嗅げば、季節の彩りまで映像として浮かび上がって来る。
其れ等の感覚器官を使って、是から、どんな文化や未来社会を、構築して行くか、今朝のメッセージは、其れ等の基礎の部分を示して来たのだろう。
其れ等の指示が、何処から来るものなのかの答えは、未だ出せないが、判っている事は、何か途轍もない、巨大な思考システムが存在し、其のシステムと私の意識が、結び付いている事である。
其の情報の存在を、「神(示・祭壇+申・電気信号)」として、概念化した古代の人は正しかったのだ。
古代社会は、現代社会の様に、金銭感覚だけが重要な社会ではなく、神様の存在が主体に考えられていた社会である。
是から、築かれて行く未来社会は、其の古代の感覚が復活し、新しき社会システムと、上手く絡み合って、営まれて行く事に成るだろう。
其の前触れとして、私の思考が、動き出しているものと考えられる。
此の様子だと、明日は「耳」か「舌」の文字が出て来るのではないだろうか。
明日9月9日は、「重陽の節句」で「ククリの日」である。
菊理姫の働きである、「白山妙見大権現様」の御機嫌は如何であろうか。
大本教の出口王仁三郎は、9月8日に12の秘密が有ると云っている。
今日は、其の一つが、また解けたのかも知れないのだ。
平成18年9月8日
礒邉自適
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