言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2008/1/20
耳が言葉を生み出す
20・1・19
今朝のメッセージは、やはり、昨日のメッセージに続く内容の物であった。
今朝の映像は、濃い紫色の空間を現す画面の中に、小さな金色の丸い粒が一個有って、其の粒の存在を、私の意識が確認出来た処で、其の金色の粒は消えてしまい、濃い紫色のエネルギーの詰まった空間だけになってしまった。
それから、其の空間に、文章の文字が現れた。
其れは、文章中の単語の「・・・しかし、何々・・・」の連用語・副助・接続助に使われる「・・・し」の一字が、色着きで強調されて映し出されて来たものである。
そして、大学生ぐらいの年代の、若者男女が10名程、私の居る処へ、社員か弟子の様に、訪ねて来る場面が現れた。
今朝のメッセージの意味は、宇宙に、最後まで一粒だけ残されていた、金色のエネルギーの粒が、消滅した事を意味している。
しかし、其れは、全てが終わったのではなく、場が清まって、是から新しい事象の芽・目が、生じるとの事ではないだろうか。
其の為に、「・・・よ。」の終助ではなく、「・・・し」の副助の「し」の文字が見せられたものであろう。
其れは「宇宙・大日如来」の「身体・空間」が清まり、是から其の空間に、新しい意味合いが、詰められて行くとの、意味ではないだろうか。
そして、其の為に、学問の基礎を一応学んだ若者が、集まって来るとの意味であろう。
そして其の為に、一番大事な物が、文字を読む、言葉の「音・ね」である理が示されて来たのである。
其れは、「伊呂波・いろは」の48音の言霊(ことだま)が正しく使われ、大日如来と人間の意識が、一分の狂いも無く同調して、新しい森羅万象を描きだして行くと言うことである。
其の為に、「しかし・是から・・・」の「し」を、正しく、音として読み込み、響かせなければ成らないのである。
其れは「し」から始まり、「・・・よ」等、次々に、48音色に魂を吹き込んで行かなければ成らないのである。
其れは、釈迦牟尼佛が「言葉を 一度離れろ」と謂った事の世界に、今朝、私が辿り着いた事を意味し、今日から私が、新しい音色で「言の葉風」を起して行かなければならない事を、示している。
「法華経の12因縁起」http://wave.ap.teacup.com/20060106/
今、此の分章を打っていると、NHKFMのラジオ番組「日曜喫茶室」・はかま 満緒氏の司会で、宮澤賢治の世界をテーマに放送が為されており、宮澤賢治の詩の朗読や、歌が唄われている。
其れは、宮澤賢治の言葉の使い方に付いて、取り上げているものである。
其れは、今朝のテーマと、全くシンクロしている現象である。
其れに、今朝は事務所に出て来て、脳が動き出す迄に「前のメッセージ」の整理を始めると、昨夜の続きが「池と雌」で、耳の鼓膜の働きに付いて書いてある。
「17年5月21日」http://star.ap.teacup.com/170606/13.html
其れ等の、シンクロ現象からも、今朝のメッセージは、耳の働きに付いて、認識する様に告げて来ているのであろう。
今日は、前の分章の整理を午前中行なって、昼飯を食べてから、今日の分を書き始めたのである。
其れが丁度、宮澤賢治の詩の放送に、合う事に成ってしまったのである。其の事からも、私の意識は、宇宙の中心である「大日如来」の働きに、適っている事に成る。
其れは、私の言葉の使い方と、文字を読み込む音色が、大日如来の意にシンクロしているからであろう。
其れは、私の言葉が、「真言・マントラ」の世界に在ると言う事でもある。
いよいよ、私の言葉が、森羅万象を動かす時節が到来したのであろうか。
其れは、弘法大師空海や、イエス-キリストの憶いが、漸く現実と成る事を意味し、釈迦牟尼佛の行為の続きが始まると言う事でもある。
昨日、真っ白のノッペラボウの顔が現れて、其の頭に、耳が着いているのが見せられたのは、今日のメッセージの前触れだったのである。
そして、長い髪の御仁が素戔鳴尊であれば、日本の和歌の世界が復活するとの事かも知れない。
素戔鳴尊が、稲田姫と新居を出雲の須賀に構え、歌った詩が「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る 其の八重垣を」である。この歌は、日本初の和歌として伝えられている歌である。
此の事からも、日本の大和言葉が、神にとって大事である事が、理解出来ると言うものである。
「カン」http://wave.ap.teacup.com/20060106/181.html
しかし何故、古事記には左右の目と、鼻の神は誕生した事に成っているのに、大事な耳(聴覚)の神様は、ないがしろにされたのであろうか。
其れは、言葉と音の関係性までに、認識が進まなかったからなのか、其れとも一番大事で危険な世界だから、民衆に触らせない為に、秘密にされたのであろうか。
其の真言の世界が、人間の意識から外された為に、現在の様に「嘘」と「偽り」が蔓延る世界に、成ったのではないだろうか。
其れとも、バベルの塔事件の時に、神が、人間の言葉の世界を破壊した侭、放置しているので、現在の世の中の様な在り様に成ってしまったのであろうか。
其の、真言の世界を復活させる事が、此の日本の役割なのではないだろうか。
しかし、昨日のメッセージでは、日本人の中には、其の世界に居る者が13万人しか居ない事が知らされた。
13万人だと、1億3000万人の1000分の1である。
それだと、1000人に一人しか、正しい言葉が使えないと言う事に成る。
しかし、13万人しか居ないと云われても、私が知っている人で、正しい言葉を使って神と通じている人は、何百人も居ない。
其れを考えると、まだまだ先の道程は遠いと言える。
しかし、今日の私の出来事や、ラジオ番組のシンクロの事を考えれば、神の計画は順調であり、一気に、人類の意識は開けられるのかもしれない。
其の為の儀式は、昨年の3月13日に、阿蘇に在る「日の宮弊立神宮」で行なっている。
今年は其の日迄、残り52日である。
3月13日に、太陽の磁気が何を齎すのか、楽しみに成って来た。
「新しき御旗」http://green.ap.teacup.com/20060818/322.html
今朝解かって来た理・ことは、耳(聴覚)が無ければ、言葉が生まれないし、言葉が無ければ「文字」も「歌」も無いと言う事である。
何故、其の事が、今まで取り上げられなかったのか、不思議な事である。
其れは、耳の事に付いて、触れていない古事記が有った為に、人間の意識が塞がれていたからであろう。
今朝は、最後の古い金剛が外されたのである。其の為に、古い社会の言葉に縋(すが)っている者は、是から大変な事に成るであろう。
何故なら、子供の時から、考える為に使っていた言葉が、拘束を失い、頭の中でバラバラに成れば、思考をする事が出来なく成るのである。
そう成れば、石油危機の時のテッシュペーパー騒ぎ処ではなく、社会全体が混乱する事は目に見えている。
そして、そう成れば、株式や、銀行のシステムが、維持出来る訳はない。
私は、24年前に、其の世界から逃げ出しているので、何にも関係無いが、今からはそう簡単には逃げ出せないであろう。
其の時、人間を救いたいと頑張って居た宮澤賢治が、霊界で笑い出すのか、泣き出すのか、私の知り得る処ではない。
平成20年1月19日
礒邉自適
2008/1/15
ビッグ
20・1・15
数ヶ月間、気に掛かっていたNPO法人「緑の風」の、第一回屋久島移住体験の催しが昨日無事に終わり、今朝は頭には何も無く成っており、思考があまり動かない。
セミナーの様子「自適今日」http://wave.ap.teacup.com/894019/
朝一通り、他人のブログも見て回ったが、特に変わった事は書かれてはいない。どうやら、穏やかな日々が続いている様である。
昨夜は、久し振りに10時にはベッドに入って休んだ。
良く眠ったので、あまり夢は覚えてはいない。
今朝のメッセージの映像は、光に包まれている世界で、私のパートナーに成って居る女神の妹を、「岩川郁夫」のパートナーとして引き合わす場面であった。
そうすると、NHK放送で、ビックな人々を取り上げる番組が、始まる事が知らされた。
其の映像の意味は能く解からないが、岩川郁夫氏は安房一番地が誕生地で、私より三歳年上の中学校の先輩であり、私を取り上げた産婆さんの息子である。
其の岩川郁夫氏は、何故か、私と馬が合う間柄であり、既に、屋久町役場を退職して、孫の守などをしながらノンビリと日々を過ごしている人である。
今朝、何故、其の岩川氏の姿が使われて来たのかは解からない。
其れに、女神が姉妹で付いたとの意味も、どう言う意味合いが有るのだろうか。
漢語林で「郁」を調べると、「邑+有」で「むらが有る」との意味である。
【字義】は、もとは地名を表わす。借りて、香気の盛んな様を表わす擬態語として用いる。@かぐわしい。香気のさかんなさま。「馥郁・ふくいく」Aさかん。文化の高いこと。Bあたたかい。Cあや。あや模様の美しいさま。D地名。
と有り、熟語として「郁郁・いくいく」文物のさかんなさま。文化の高いさま。と 載っている。
どうやら、今朝のメッセージは、NHKで「郁々しい」文化が、放送され始める事に成り、其の番組に、ビックな人物が取り上げられる事に成るのか、其の番組自体が、ビッグな番組に成るかのどちらかであろう。
其れに関して、「岩川」や「磯辺」の地名か、風景が、関係有るのかもしれない。
其の事に、関係が有るのかどうかは判らないが、今月12日に東京の「阿部幸子さん」と言う方に、初めてFAXを頂いた。
そして13日の朝、出掛けに其の方のブログである「ウロボロスの螺旋」を検索して、其のブログの画面が開いたら、突然に、私の左手親指の指紋の所に、強烈なカモ(神の電気信号)が起きた。
其れは、今までに無い程の現象である。
其れで、阿部幸子さんが、ただ者ではない事が解かった。
若しかしたら、是から阿部幸子さんが始めようとしている事が、「郁郁」に関係有るのかも知れない。
私は、既に、NHK番組で「恐竜&哺乳類」の番組制作に関わったので、エンタープライズの関係者とも繋がりは出来ている。
阿部幸子さんは、精神学教会の会員にも成っていて、代表の「積哲夫氏」とも繋がりが有り、私の事が、積さんの口からも出されたらしい。
私は未だ、精神学教会の会員には成っていないが、毎日積さんのブログには目を通している。
阿部幸子さんの意識は、全国を網羅しつつ有り、私の24年間の旅と重なりつつある。
それも、ウロボロスの螺旋に関係が有るのだろう。
「ウロボロスの螺旋」http://www.godbrain.com/members_blog/index.php?catid=88&blogid=14
ようやく、神の謀・はかりごとも、日の目を見る事に成りそうである。
其れは、ようやく人間界が、本来の働きを取り戻しつつあるからであろう。
今まで、八回もウロボロスのトンネル潜りが成功しなかった事を、私は1984年11月21日に伊勢神宮の外宮に参詣した時に、22日の未明に知らされた。
其れで、九回目が無事に成功する様に、八大龍王を祭っている磯部町の山上の岩の所で儀式を行った。
其の結果で、新しき龍の魂しいを持った子供が、265日目のジャンボ機が御巣鷹山に墜落した85年8月12日に、奈良で誕生している。
其れから、既に22年5ヶ月が経過している。
私も、無庵師匠に見出されてから今年の3月18日で、24年が経過する事に成る。
ようやく、無庵師匠が私にイメージして居た事が、現実として、此の世に現象化するのであろうか。
其の無庵師匠は、既に、此の世の者ではないが、師の念いは、段々と現実化して来ている様である。
平成20年1月15日
礒邉自適
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