言葉とは「あや・文」が変化して来たものですが、現在は心のあやが乱れたので 皆の魂しいが変に成っているのです。
言葉を本来の処に戻さないと 智恵も受け継ぐ事が出来ないのです。
マントラとは「言葉が 考える器」の 意味ですが 其れは日本語の「ことたま・言霊」の意味に通じるものです。
言葉は 魂しいの元なのです。
そして言葉は 36億年の「いのち」の年輪を刻んでいるのです。
其れは 40億年前 岩を溶かして 存在を始めたのです。
其の命は 現在も私達の胃の細胞として生き続けているもので、其れが「謂」の漢字の意味なのです。
2008/3/31
為手・仕手
20・3・31
明日から、新年度である。
今年度、最後のメッセージは、午前2時頃に文字が一行出て来ただけである。
そして、其れから眠れなく成ったので、2時半から事務所に出て来て、朝まで関係している事の、たたき台を少し作成した。
今朝現われた、一行の文字は、「 ・・・・・・・・ 、している。 」との単語だけである。
其の文章の前には、何々に付いてとかの内容が有った様だが、文字は現われなかったので、何が書かれていたのかは全然判らない。
古語辞典で「している。」の「して」を調べると、「為手」「仕手」が有る。
「して」の意味は、する人。行う人。またうまくやる人。やり手。と 載っている。
其の意味からすると、私に知らされなくても、私の見えない処で、神か、聖霊達が、事を為しているとの事であろう。
そうであれば、是から、私にメッセージが何等来なく成っても、私は心配する必要が無いとの事であろう。
私はただ、毎日、日常起きる事を、しっかりと認識して居れば、良いとの事であろう。
其れは、イエスキリストの言葉である「今日一日を しっかりと認識して生きたら、明日の事は 何も考えないで寝なさい。明日の事は、明日の朝起きた時に、用意されている。」を、実行すると言う事であろう。
今日は、29日から来島して居た前田社長一行も、無事に予定をこなして、午後の便で帰って行った。
明日は、少し、のんびり出来るのではないだろうか。
平成20年3月31日
礒邉自適
2008/3/16
ベンチを取り除 く
20・3・16
今朝のメッセージの映像は、800年前の時代のベンチと、1200年前の時代のベンチが取り除かれ、其の時代の人達の残した文献が廃棄され、其れが保存されて居た本箱も、廃棄物回収業者の手に拠って、屋外に出される様子が映されて来た。
そして、「周」の時代まで、空間が縮んだとの意味が伝えられて来た。
其のベンチは、何処かの庭に、円い半円形で扇型に並んでおり、7〜8人が座れる様に備え付けられている物であった。
私が、今朝の映像で思い当たる事柄は、無庵師匠が屋久島に引っ越して来て、行動を共に始めた時に、「自適さん 私は断食を続けて第七次元まで行き 霊界に有るベンチに 輪廻転生の順番を待っている人達が 座っている処までは見て来たが 其れより先に どうしても行けなかったので 私が付いているから 其処から先を見て来てくれないか。」と、云ったのである。
其れで、無庵師匠が錨の役割を果たす事で、私が第九次元まで辿り着き、第十次元が見える処まで達したのである。
何故、十次元まで進まなかったかと謂うと、十次元はゼロ・O空間なので、人間が人間で在ると言う、存在プログラムが解けて、電子の集合が崩壊し、肉体の存在が消えてしまうからである。
其れで、私には、此の世に人間が存在する理由が、理解出来たのである。
其れに、奈良の「大倭あじさい邑」の創設者である「矢追日聖氏」の話では「私の遣っている事は 霊界人が皆成仏して 霊界に 人間の霊魂が居なく成る事の為である。霊界に 悟っていない霊魂が沢山在って 地上の現世の人に依り憑いて余計な事をするので 一向に此の世の中が平和にならないのである。だから 霊界人が皆 成仏して居なく成れば 神(天)と人間の意識が直結するので 地上は天国に成るのだ。」との事であった。
今は、既に無庵師匠も、矢追日聖氏も彼の世に還っているので、霊界から私に協力して、其の作業を早めているのであろう。
だからこそ、今朝の映像が、送られて来たのではないだろうか。
今朝事務所に出て来て、今朝のメッセージに付いて、ウィキペディア辞典で調べると、次の様に載っている。
【周・しゅう】中国古代、紀元前1046年ごろ-紀元前256年に存在した王朝。
文化・・・・この時代の青銅器はほぼ全てが祭祀用であり、実用のものは少ない。器には占卜の結果を鋳込んである。これが金文と呼ばれるもので、この時代の貴重な資料となっている。殷代と比べて周代はこの文が非常に長いものとなっていることに特徴がある。
また、それまでの絶対的な祖先崇拝が薄められたことも、殷と周との違いとして挙げられる。殷では祖先に対する崇拝と畏れが非常に強く、祭祀を怠ったりすればすぐにでも祟られるという考えを持っていた。周の人々も祖先に対する祭祀は行っていたが、祟りと言う考えは薄まり、純粋に敬意を払う象徴としてのものとなっていると言われる。殷では事あるごとに占卜を行い、祖先の祟りではないかなどと言う事を占っていたのだが、周にはそれが少なくなる。そのような理由から殷が残した金文に比べて、周が残した金文の数が少なく、時代が後の周代前期よりむしろ殷代の方が資料が多いと言う状態になっている。
これらの青銅器に文字を鋳込む技術は王室の独占技術であったようで、諸侯には時に王室から下賜されることがあった。春秋時代に入るときの混乱から技術が諸侯にも伝播して諸侯の間でも青銅器に文字を鋳込むことが行われ始めた。
建築の分野では、周に入ってからそれまでの茅葺きから瓦が一般的になったことがわかっている。
1200年前
・最澄(さいちょう、神護景雲元年8月18日(767年9月19日) - 弘仁13年6月4日(822年6月26日))は、平安時代の僧で、日本の天台宗を開く。近江国(滋賀県)滋賀郡古市郷(現在の大津市)に生れ、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)。生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在する。
先祖は後漢の孝献帝(こうけんてい)に連なる登萬貴王(とまきおう)で、応神天皇の時代に日本に渡来したといわれている。
能書家としても著名であり、三筆と並び称される。
・空海(くうかい、宝亀5年6月15日(774年7月27日) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、「弘法大師(こうぼうだいし)」の諡号(醍醐天皇、921年)でも知られる日本真言宗の開祖。俗名は佐伯 真魚(さえき の まお/まな、佐伯 眞魚)。最澄(伝教大師)とともに、旧来のいわゆる奈良仏教から新しい平安仏教へと日本仏教が転換していく流れの劈頭に位置し、中国から真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられる。
800年前
・叡空(えいくう、生年不詳 - 治承3年(1179年))は平安時代後期の天台宗の僧。
・法然(ほうねん、長承2年4月7日(1133年5月13日) - 建暦2年1月25日(1212年2月29日))は平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧侶で、浄土宗の開祖。円光大師とも言われる。
・弟子一覧。善鸞、如信、河和田の唯円、(二十四輩)性信、真仏、順信、乗然、信楽、成然、西念、證性、善性、是真、無為信、善念、信願、定信、入西(道円)、穴沢の入信、念信、八田の入信、明法(弁円)、慈善、唯仏、戸森の唯信、畠谷の唯信、鳥喰の唯円、他
・親鸞(しんらん、承安3年4月1日〈1173年5月21日〉 - 弘長2年11月28日〈1263年1月16日)は、鎌倉時代初期の日本の僧。浄土真宗の開祖(宗祖)とされる。同宗旨では、「親鸞聖人」と尊称される。
これ等の事から、今朝のメッセージの意味を解釈すると、日本に伝わって来た外来の価値観に、汚染された人達が、本来の意識に立ち還り、其のベンチから離れて、自分の書き残した文献を全て処分し、本箱まで廃棄して、自分のカルマ・業を処分出来たと言う事である。
其れは、日本の霊界が、日本の本来の宗教世界である「惟神道・かんながらのみち」に、復帰出来たとの事ではないだろうか。
其れは、無庵師匠の努力と、矢追日聖氏の想いが適ったとの事でもある。
そして、今朝のメッセージでは、周の国の次元に、時間軸が設定されたとの事であるので、周の文化に注目をしなければならない。
其れは、霊界に存在する先祖霊に対する考え方と、文字の完成に付いてである。
漢字に付いては、 ─引用開始─
・・・現在存在する中での最古の物が紀元前1500年ごろの物であるが、これらは既に現在の漢字の書体に似通っている部分が見受けられ、非常に発展したものであり、おそらくはこれ以前から発展の経路をたどってきたものと見られる。・・・
・・・その後、青銅器に鋳込まれた金文という文字が登場し、次代の周に引き継がれ、更に周の混乱により各地で独自の発展をすることになる。・・・・
ウィキペディア辞典 現在記載
「漢字」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%AD%97
今朝のメッセージに関連して、私が、個人的に自我意識で考える事は、是から日本が果たすべき役割は、人類全体に、新しい価値観の文化を提供する事である。
そして、其の文化の土台と成る物が、中国で発展した漢字である。
漢字は、アルファベットやハングルや平仮名の表音文字ではなく、表音と表意を両方合わせ持つ、人類が発明した最大の文化遺産である。
其れが、本家本元の中国でも略字化され、本来の力を失いつつある。
最早、漢字の本来の意味を解釈できるのは、日本人だけに成りつつあるのだ。
其の漢字を、文化遺産として残して行けるのは、此の自然豊かな日本国土の人間だけであろう。
何故なら、漢字が出来た背景は、4000年前の中国の暮らし向きであり、其の背景を失った人間には、漢字の意味が、正しく読み込めないからである。
其の意味では、今は亡き「白川静氏」は、大きな仕事を成し遂げたと言えるであろう。
其れに、養老孟司氏も「漢字こそが 人間にとって 一番覚え易い文字である。」と謂っている。
其の理由は、人間は、子供の頃から物を見て、其の名前・名詞を覚える事から、脳の基盤が出来て行くので、漫画である象形文字が、一番頭に残り易いとのことである。
幸いにして、日本では、PCの電子回路の発達で、漢字変換のプログラムも開発され、現在では携帯電話の画像や、ミクシィ等のブログでは、絵文字が使用される様に成って来ている。
其の技術を生かせば、世界中が「象形・漫画」文字の組み合わせで、新しい漢字文化を創出できるのである。
日本語は、音楽的「言葉・音韻」の組み合わせであり、抽象的な表現なので、物の名詞以外、一切写真に撮る事が出来ないが、漢字は、全部物の形の象形であるので、全て写真に撮れる物である。
だから、デジカメとPCの機能を使えば、新しい漢字が、無限に創作できるのである。
是までの教育は、漢字や、英語や、方程式や、歴史等の、決った事を暗記する事が主体であり、2〜3歳から大学受験まで、精神的な発達と体力増進をそっち除けにして、記憶力の競争が為されて来た。
其れが、PCの発達で、記憶脳である左脳の働きはPCに預けて、右脳の創造力開発に、脳のエネルギーを向けられる時代に成ったのである。
其れは、日本の漫画やカラオケの文化が、世界に受け入れられつつある事で、人間の潜在意識が何を求めているかが、証明されて来ているのである。
其れに現在・いま、世界中で漢字が精神的な護符として、流行りつつある。
其れも、文字の始まりである「文・あや」が、「刺青・タトゥー・胸像(むなかた)」の始まりである事からも、人間の潜在意識に深く関わるものが、図柄や物の形態である理が明らかである。
だから今朝のメッセージは、人間の「祷り・帰命・ナーム・リリジョン・religion」の原点に、「殷」や「周」の文化が大事であり、其の次元から、もう一度、文化を組み直せとの事ではないだろうか。
私には、1994年3月22日に「風 麦東 陶・ふうれんとう」との言葉が告げられ、200年7月22日には「「讜 逓 聖・とうていせい」の言葉が告げられて来た。
「言葉の智慧袋」http://wave.ap.teacup.com/20060106/
其の事が、是から、霊界の助力に因り、開始されるとの事ではないだろうか。
其の基本の処に、「殷」の時代に、青銅器に鋳込まれた「金文」という文字の祷りの世界や、紀元前1800年に玄武岩の石碑に刻まれた、「ハンムラビ法典」の決まりの文字等の世界が関係有り、其処の処まで遡って、文化を新しき物にしろとの事であろう。
其の発信基地として、世界自然遺産に登録された、花崗岩の山岳島である屋久島が、組み込まれていると言う事ではないだろうか。
屋久島は、電気は水力発電であるし、全島が花崗岩の塊だから、断層が無いので直下型の地震も無いだろうから、ITのサーバー本機を設置しても良いのではないだろうか。
其れこそが、新しき時代の「須弥山・しゅみせん」と成りえるのである。
「屋久島の位置」 http://www17.ocn.ne.jp/~yjj/yjj/top.html
http://www17.ocn.ne.jp/~yjj/yjj/top.html
最早、分けの解からない、難しい経典等は必要ないのである。
此処まで科学が発達し、電子顕微鏡の発達で細胞の活動や脳の仕組みも解明され、電波望遠鏡の発達で宇宙の成り立ちも解明されて来たのである。
だから3000年遡って、人間の意識を、新しく組み直す事は、簡単な事であるのだ。
明日は、前田社長が、大学のデザインの教授と丹治氏を伴って、屋久島に遣って来る。
此の文章を書いて居たら、此の文章は、明日の会議の資料であり、是からの動きを示唆する、叩き台に成る物ではないかと想えて来た。
屋久島の山岳に住む「大山祇神・(大きな山の巳)」が、「大物主神・大己貴命(オオナムチ)」として、水分峠の御神木から、里に降りて来る時節が、回って来たのだろう。
平成20年3月16日
礒邉自適
2008/3/2
物と言葉の管理
20・3・2
今朝のメッセージは、昨日の続きの様である。
其れは、女性が子育てをする事に対して、男性が遣らなければ成らない事に付いて、示して来ているのではないかと想われる。
今朝のメッセージ映像は、先ず、平仮名の文章に、漢字が離れて二個混ざっていた。
処が、其の二個の漢字が、象形の組み合わせが間違っており、其の間違いに因って、全ての文章の意味が、違った方向性を帯びる事に、成ってしまっているのである。
上の行の、漢字は「岡」の文字で、其の岡の文字が「山」や「丘」の象形文字と意味が混濁していて、本来の意味を示していない事が示された。
下行の、一つの漢字は、良くは覚えていないが、「尚」の漢字の様に感じた。
今朝、漢語林で「岡」の漢字を調べると「山+网(モウ・ボウ)」の組み合わせで、「网」は「亢(コウ・たかぶる)」に通じアーチ形の意味。アーチ形の山、おかの意味を表わす。と 載っている。
其れは「丘」の漢字の意味の、「稜より小さいおか」と、「山岳(嶽)」の間に、「岡」の大きさが有る様子を示している。
其れだと、奈良の三輪神社の御神体である三輪山の様子が其れらしいし、三輪山は「神奈備山・かんなびやま(神の住む山の意味)」とされているので、岡の漢字の意味に合っている。
何故、今朝の文章の中に、岡の漢字が、間違いの象徴として現れて来たのだろうか。
其れは、イエス-キリストの教えの解釈に付いて、一番大事な理が、正しく解釈されていない事を、意味しているのではないだろうか。
其れは、現在「イスラエル」と「アラブ民族」の戦争が、エルサレムの岡の奪い合いで行われている事を、イエスが心配・心労しているからかも知れない。
モーゼや、イエスや、マホメットが、神に最初に導かれたのは、岡ではなくシナイ山などの厳しい嶽である。
だから一番大事な場所は、エルサレムの岡ではなく、他人が登って来ない山嶽であり、簡単に誰でも登れる岡ではない。
其れを、何も修行をしていない者が、エルサレムの岡の占有権を争うのは、イエスの訓えに反している事に成るのだ。
イエスが訓えた事は、岡の占有ではなく、神の意志を、衆生に伝え述べる事である。
だから、イエス-キリストの弟子であるならば、岡の占有権を争うのではなく、イエスの教えを広める伝道の旅に出る事である。
そして、イエスは、其の旅は、杖以外は下着一枚だけしか、持っていてはならないと謂っている。
仏教の信者は、托鉢する時に、食べ物を入れて貰う容器を一個だけ持って歩くが、其れさえも、イエスは禁止しているのである。
其れは、訓えを広める為に、相手の家の食堂や居間に、招き入れられる為である。
其の、イエスキリストの訓えを守る弟子であるなら、自分の建物を持つ事や、土地の占有を主張する事は、イエスの訓えを、護っている事には成らないのである。
「尚」の漢字は「八+向」で、「八」は神の気配がくだる様を示す。
「向」は、屋内で祈る様を示す。こいねがう・たっとぶの意味を表わす。
【字義】@こいねがう。Aこのむ。Bたっとぶ。Cたかい。たかくする。と 載っている。 漢語林より
是で見ると、「岡」の上でイエスが祈って居た様子が、「尚」の漢字で表わされている事に成る。
次のメッセージの映像は、私が自宅前の安房川に、自分の船を繋留していて、其の船の繋留の仕方が悪いので、近所に住んでいる老漁夫が、自分の船を繋ぐのに困っている場面が、映し出されて来た。
其の意味は、人間は、自分の持ち物をちゃんと管理しないと、他人に迷惑を掛けてしまうと言う事である。
今朝の二つの場面から、私が想ったのは、男性の役割は、言葉や文字の正確な伝達と、あらゆる物質の管理にあると言うことである。
其の事が、正しく行なわれた時に、女性が安心して子供を産み育てて行く事が、出来ると言う事である。
其れが、昨日のメッセージに有った、女性の動きを支える事に、繋がるとの事ではないだろうか。
今朝、私が想った事は、昨日の「石蕗・つわぶき」の「つわ」の「つ」が、「妻・つま」の「つ」と同じ「言霊・ことたま」ではないかと言うことである。
其れだと「わ」は「輪・和・環」の意味であり、石蕗の円い葉の意味を示している事に成る。
そして「ま」は、「スメミマ」の「美体・みま(うつくしいからだ)」の「ま」と同じく、「ま・体・體」を意味しているのではないだろうか。
其れだと、「つ」は「津・都」の意味を持っている事に成る。
「津・つ」は、船が集まる港の意味で、「都・つ」は人が沢山集まる都の意味である。
其れは、両方とも「集まる」の意味である。
と言う事は、「つ」は何かが「集まる」ことを意味しているので、「妻」の「つ」は、輪廻転生の霊魂が、女性のミマに集まる事を意味しており、「石蕗・つわぶき」の「つ」は、円い葉に太陽の光が集まる意味か、葉脈が中央に集まっている様子を、意味しているのではないだろうか。
昨日の文章に、コメントが有り、京都の「下賀茂・上賀茂神社」の神紋が、石蕗に似た「葵の紋」である事が、知らされて来た。
賀茂神社の祭神は、「賀茂別雷大神・かもわけいかづちのおおかみ」で「いかづち・雷」が祭神である。
其れは、「稲穂・いなほ」の「イナ」で、「稲光・イナビカリ」の「イナ」と同じ落雷の電気の事である。
其れは、イナビカリが多く落ちた田は、稲が良く育つ理を意味している。
其の事を考えれば、「賀茂別雷大神・かもわけいかづちのおおかみ」名は、「カモ」が「神・電気」の意味であり、其の「別け」が「いかづち・稲光」の「大神・大いなる働き」に有るとの意味に成る。
其の様に考えて行けば、ツワブキの「つわ」とは「都輪」で、円い葉を広げて、太陽のエネルギーを沢山集める・受け取るとの意味に成り、宇宙からの電波を受け取るパラボラ-アンテナと、同じ働きの物であると言う事になる。
其れだと、昨日と今朝のメッセージは、女性を円形に集め、宇宙・神のエネルギーを集めろと言う意味の、メッセージである事が理解されて来る。
その解釈が当っていれば、出来るだけ早く、宇宙の働きが、地上に現実化する為に、神の働きに関係の有る女性達を、集める必要があると言う事になる。
私には、2006年10月7日に「2008年9月15日までに 準備を整えろ。」とのメッセージが来ている。
其れだと、後7ヶ月と13日だけしか、月日が残されてはいない。
だと、私はあまり悠長に構えている分けにも行かないだろう。
「情報の管理と発信」http://star.ap.teacup.com/170606/597.html
さて、どうしたものだろうか。
今の処、私が知っている目ぼしい女性は、全国に100名程居在るだろうか。先ずは、其の人達に送るメッセージでも、書く事でも考えて見る事にしようか。
しかし、其れを始めれば、私の事だから、直ぐに自我意識が先に立ってしまうだろうから、本当に「ドウシタモノカ・如何した物か」である。
成20年3月2日12時00分 丁度正午でした。
やはり 時間の神が 憑いて居る様である。
礒邉自適
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